
菜那花とお兄さんはアタラヤで 4
第1話は こちら から
前話(第3話)は こちら から
リュックサックを腹で抱えながら、佳央ちゃんの帰りを待つ。ほとんどの生徒は既に帰宅したり部活に勤しんでいたりして、天井に埋め込まれた冷房からささやかに流れ出てくる冷気でも教室内はしっかりと冷やされていた。
あれから、リュックサックが視界に入る位置にないと落ち着かない。一番困っているのはお店側だけれど、冤罪を掛けられてしまった手前、まあいいかと楽観的に切り捨てることはできなかった。
実際リュックサックの中にはお店の商品が入っていたし、盗んだと思われても仕方がない。冤罪だと声を張っても信じてはもらえない状況だ。
「最近万引きが多いらしいね」
眼鏡のフレームをくいと持ち上げる様は、クラスに一人はいそうな賢い優等生っぽいけれど、成績は私とあまり変わらない。いつも点数を競い合っていて、先日から返却されている期末テストの勝率は半々だ。
「お店のお兄さんに変な目で見られるし、好きなお店なのにちょっとだけ行きづらくてさ。優真くんならこういう時どうする? やっぱり菓子折り持っていった方がいいかな?」
隣に座る優真くんの顔を覗き込む。男の子にしては少し長めの髪が顔にかかってこそばゆそうだけれど、優真くんは気にせずに広げた本に視線を落としている。
本を見つめたまま唸ってしばらくしてから、眼鏡をくいと上げるとレンズがきらりと白く光った。
「万引きして迷惑かけたんなら持っていった方かもしれないね。それで許してもらえるかは分からないけど」
「優真くんも、やっぱり私が万引きしたって思う?」
ちらりと向けられた瞳が、全身を見定めるように動く。閉じた本を引き出しに片づけると、代わりにノートを取り出してぱらぱらとめくり出す。
「嘘とか苦手そうだから、正直びっくりしてる。そんなことするんだって」
「してないよ? 私やってないからね?」
「そういえばこの間貸した日本史のノート破れてたんだけど」
「え、うそ」
そう言って差し出されたノートを見てみると、確かにページの端が破れてしまっていた。切れ端も見当たらず、矢印の先に書かれた歴史上の人物の功績が分からない。
「最後に貸したの井上さんだから、井上さんが破ったとしか考えられないんだけど」
「でも私、ここちゃんと見た記憶があるよ。ノートにもまとめたし」
リュックサックから勉強ノートを取り出して、該当のページを開く。優真くんのノートを見て書いたため、歴史上の人物の名前の隣には功績がちゃんと書かれている。
「破ってない、破ってないよ? あれ、でもどうだろう、あの時結構眠たかったから……」
ぼんやりとした記憶を呼び起こそうとするが、はっきりと出てきてくれない。もしかしたら破ってしまっていたということがあるのだろうか。うんうんと唸っていると、「そういうところ」と、優真くんの声が聞こえた。
「うそ、僕が間違えて破っただけ」
「私に罪をなすり付けようとした?」
「ちょっと流されそうだったじゃん」
「それは記憶があいまいだったから。万引きの時はちゃんと違うって言ったし」
からかわないでよ、という言葉に返事はなかった。
ノートを引き出しに片づけた優真くんは再び本を取り出して続きを読み始める。聞いたことのあるタイトルの小説を読んでいる優真くんをじいっと睨みつけてみるけれど、気にせずの調子でページを捲っていく。
「そういえば。この間リョーガさんのドラマ最終回だったんだ」
「主人公の女の子が事故に遭って終わった続き?」
「そう!」
ドラマを見ていないのに話を聞いてくれる優真くんは変わらず本に視線を向けたままだけれど、ちゃんと相槌をしてくれるから聞いてくれているのだと分かる。私の話でドラマの内容を理解していて、リョーガさんのプロフィールも話せるほどだ。私が教え込んでいると言っても過言はない。
「優真くんってドラマとか見ないんだっけ」
「見ない。親が厳しくてニュースしか見せてくれないから」
そういえばお兄さんが二人いて、偏差値の高い大学に進学していると聞いたことがある。バラエティ番組も見られないなんて、私だったら反抗してきっと勉強なんてしないと思う。今でさえリョーガさんの写真集を眺めたりSNSを覗いたりしているうちに勉強している時間がなくなっているくらいなのに。きっと優真くんのお母さんにこっぴどく怒られてしまう。
「ドラマが終わって毎週の楽しみがなくなっちゃった上に万引きだって言われちゃうしさ。テストの点数だってそんなに良くなかったし、今運勢下がり気味かも」
「テストの点数はいつも通り平均じゃなかった?」
肘をついた両手で頬を包み、ふうとため息をつく。
今月の運勢を見てみようとスマホを開くとリョーガさんの笑顔が写し出され、つい頬が緩んでしまう。アタラヤのお兄さんも笑うとこんな風なのだろうか。直視すると心臓が持つか分からないけれど、見てみたい気持ちはある。というかあのお兄さんがこんなに破顔することはあるのだろうか。
「井上さん、絵画は好き?」
優真くんはいつの間にか本を閉じていた。
「勉強とか根詰めにやるとたまに調子が乗らなくなって、気分転換に出かけることが多くてさ。今週末に美術館に行こうと思ってるんだけど、井上さんも行く?」
「いいの? 私も一緒に行って。絵画とか詳しくないよ」
「詳しくなくてもいいよ。見てるだけで気分転換になるし。運気も上がるよ」
「そんな力があるの?」
「適当に言った。でも気分転換すれば運気も変わるかもしれない」
絵画は美術の授業の時に習ったくらいで、美術館に行って見ようと思ったことはない。こういう機会がないとこの先行く機会を逃し続けるだろう。休日は扇風機の前で暑さをしのぐしかやることはないだろうし、せっかくなら外出してもいいかもしれない。
「じゃあ行こうかな。私あんまりわかんないから、優真くんがいろいろ教えてくれる?」
「いつも好きな俳優の話を聞いてる代わりに、話聞いてもらおうかな。今度の土曜日でいい?」
予定がないことを確認してから頷く。優真くんは荷物をリュックサックにまとめると、じゃあ、と言って教室から出ていった。入れ替わるように面談から戻ってきた佳央ちゃんに話すと、にまにまと笑われてしまい、そこでようやくこれってデートっぽいのでは、と気づいた。
第5話は こちら から