
菜那花とお兄さんはアタラヤで 5
第1話は こちら から
前話(第4話)は こちら から
いつも下りる駅を見送って、しばらく電車に揺れる。
見慣れない町の風景を眺めていると、目的の駅にはすぐに到着した。構内に貼られたポスターに目が留まり、今向かっている美術館で開催されている絵画展の告知がされている。教科書で聞いたことのある画家の絵画展。優真くんはこれに行きたいのだろうかと思いつつ駅から出ると、正面のコンビニのイートインスペースで本を読んでいる優真くんの姿があった。
顔を上げた優真くんに手を振る。
コンビニから出てきた優真くんに、おはよう、と声をかける。
「早いね」
「さっき来たところだよ」
白いTシャツに薄手のカーディガンを羽織り、大きめのパンツも相まって全体的にオーバーサイズの服装で揃えられている。
「長袖、暑くないの?」
「風通しが良いから半袖とあんまり変わんないよ。肌出したくないし」
風が吹くと薄めのカーディガンは軽やかに揺れた。
たんすの肥やしになりかけていたシースルーの白シャツを着てきたけれど、多分浮いていないから大丈夫と何度も言い聞かせる。
今日のために全身鏡で何度もファッションショーをして、これまで見てこなかった分の自分の姿を見た気がする。すとんとした体つきに見飽きた先にあったのは、もっとスタイル良くならないかなという自己否定で、決してスタイルは悪くないはずなのに悪循環に入ってしまうところだった。平均身長よりも上だし太りすぎているわけでもないから見栄えが酷く悪いわけではないと思い直したけれど、一度沸き上がった感想は簡単に消えてくれないのが現実。少しだけヒールの高いサンダルを履いて誤魔化した。
道なりにしばらく歩くと、教科書でしか見た事のないような洋風建築が現れ、それが美術館だと知った。外壁には等間隔で柱が立てられており、入り口でシンメトリーになるデザインになっている。この辺りだけ別世界かのような風景を眺めながら階段を上がり、開け放たれている入口から中に入る。
チケットを購入し、案内看板に従って奥へと進む。中はそれほど混み合っておらず、広々としている。高い天井は突き抜けるようで、足音や声が反響して静かに降ってくる感覚があった。入り込んだ日差しが反射して白い壁や床が柔らかく光っている。
ゴッホ絵画展、優真くんのお目当てはこれだった。チケットを見せて中に入り順番に進んでいくと、部屋の壁に沿ってゴッホの絵画が展示されていた。
「ゴッホは知ってる?」
「ひまわりだっけ?」
「そう。あとは美術の教科書の表紙がゴッホの絵なんだけど」
「夜のテラス席みたいなやつ?」
「夜のカフェテラスっていう絵だよ。ほら」
順番に眺めていたゴッホの絵画の中に、見覚えのある絵画が目に留まる。輝く星々がはっきりと見える深い夜の中で明かりを放つカフェテラスが描かれている。見た事はあるけれど誰が描いたかまでは知らず、これがゴッホの絵であることを初めて知った。
「これゴッホなんだ」
「実際にあるカフェがモデルらしいよ」
「へえ、他に何が有名なの?」
「星月夜とかひまわりとか、ジャガイモを食べる人々、アルルの寝室」
「ひまわりしか分かんないかも」
「絵を見たら分かると思う、有名だから」
そう言われ、展示された絵画を眺めながら人の流れに従って進んでいく。題名と一緒に書かれた解説は見ていても読んでいないようなもので、流れを止めてはいけないという思いが生まれて優真くんの後ろをついて歩くばかりだった。普段から本を読んでいるから文字を読むのも早いのだろうか。
「ゴッホの絵は、ゴッホが死んでから有名になったんだ」
見た事ある、見た事ない、の基準で絵画をひとつひとつ眺めていく。先を歩く優真くんの声は、静かな展示会場の中ではっきりと聞こえた。まるで直接鼓膜を震わされたみたいで、ふと、にまにまと笑う佳央ちゃんのことを思い出してしまった。どうして今、デートっぽいなんて確かにそうだけど、優真くんはそういう意図があって誘ったのか、私が災難続きだから声をかけてくれただけなのか、どちらにしても彼の優しさであることは変わらない気がする。
「それでゴッホは救われたのかな」
優真くんの視線は、青が印象的な絵画に向けられている。渦を巻くような空の青と星の明かり。これもどこかで見た事がある。
「僕なら、生きているうちに認められたいって思う。死んでからじゃ喜べもしない」
タイトルは、星月夜と書かれていた。長く見ることなく優真くんの背中が離れていく、せっかく知っている絵なのに、と思ったけれど優真くんにとっては見慣れた絵画のひとつなのかもしれない。
「どうやって死んでから有名になったの? 幽霊になって脅したとか?」
「弟との書簡集が出たから。書簡集って、手紙のコレクションみたいなもの。手紙を通してゴッホがどんな人だったのかが広まって、作品への理解度が深まったからって言われてる。作品を理解されるために自分のことも知られないといけないって、なんか」
優真くんの言葉が詰まる。絵画へ視線を向けるときに覗く横顔はほんの少ししか見えなくて、でもその一瞬だけで絵画に込められたもの全てを見ているような強さを感じた。
「なんか?」
「壮絶な人生を歩んでいないと認めてもらえないって言われてるみたいで、僕は嫌だ。あまり知られたくないことだってあるだろうに、これまでの人生を公にされて、それでゴッホは救われたとは思えない」
「……ゴッホは救われたくて絵を描いてたの?」
「知らない。でも僕だったらそう思う。絵を描いて生きているなら、画家として認められたい。だって芸術作品には少なからず自分の内面が写し出されるから」
ゴッホの話をする優真くんはいつもよりも大きく見えた。私よりも背が低くて少し猫背になりながら本を読んでいるのに、今日は背筋をまっすぐと伸ばして歩いている。でも少しも楽しそうじゃない。
回り終えてから、美術館内のカフェに入った。絵画モチーフのドリンクやフードが提供されており、せっかくだからゴッホの絵画がランダムで描かれるというパンケーキを注文した。優真くんは普通のサンドウィッチを選んだ。興味があるのは、画家本人が作った作品だけなのかもしれない。
第6話は こちら から