
菜那花とお兄さんはアタラヤで 6
第1話は こちら から
前話(第5話)は こちら から
駅で優真くんと別れ、電車に揺られていつもの駅で下車する。優真くんとのお出掛けは、学校で会っている時とは少し違う雰囲気で、それは美術館という静かに見て回る場所だからというのもあるかもしれなかった。私もいつものように声を張ることはできず、心なしか声を抑えて話していた。
けれどきっとそれだけではないような気がしていて、美術館を歩く優真くんは、私が知っている優真くんとは少し違った。優真くんの全てを知っているわけではないから、私の知らない優真くんがずっと隣にいたと言うのが一番合っているかもしれない。
こういう時、富美夫さんに話を聞いてもらいたい。
退院日を聞いていなかったため、いつアタラヤに行けば会えるのか分からない。かといって病院に何度もお見舞いに行くのも迷惑かもしれないから気が引ける。そうなると自然とアタラヤに向かってしまっていて、いつの間にか店の戸が開け放たれているアタラヤの看板を見上げていた。
足を踏み入れて辿り着いたレジには誰もいない。先日万引きを疑われてしまった身としては、今は顔を合わせづらい。富美夫さんならいつもレジに座っていて離れることはほとんどないから、まだ退院していないのかもしれない。
引き返して店から出ようとした時、棚から黒い影が倒れるように現れた。
「らっしゃっせー」
「わあ!!」
自分でも驚くくらい腹から声が出た。慌てて口を押えるけれど大声を出してしまった事実は消えない。
開けているのか分からないほど目を細めたお兄さんは、白い歯を覗かせることなくにまにまと笑みを浮かべている。
「ほんま好きやね、ここ」
最初の頃の他人苦しい敬語は消えて、ラフな関西弁で軽快に話してくる。どこか呆れたような笑みにも思えたけれど、影の落ちた顔に浮かぶ笑顔は怪しさ満点で、何かを企んでいるような雰囲気があった。ただからかわれているだけかもしれない。
肩に掛けていたトートバッグを胸元で抱えて、目を離さずに後ずさる。逃げてしまいたい気持ちを押し殺して何とか踏みとどまっている自分を褒めたい。それほどお兄さんの笑顔は怖い。さすが京都人、というと余計に怒らせてしまうかもしれない。
「あの、富美夫さんはいつ退院するんですか?」
「あと一ヶ月くらいちゃう」
お兄さんは淡々とした口調で言う。そのせいで一ヶ月という期間の長さを理解するのに時間がかかった。
「検査したらあんまりよーなかったみたいで、治療するらしい。あんま詳しいこと聞いてへんから知らんけど」
「富美夫さんは元気そうでしたか?」
「いつも通りやったと思うけど。それより今日は何用? また万引き?」
富美夫さんの心配をさせる余裕を与えてくれないまま、お兄さんは話題を変えた。途端にかっと体が熱くなって、違います! と声を張ってしまった。
「私、万引きしてません!」
「すまんすまん冗談やん。分かっとるって」
両手のひらをこちらに向けて、降参と言わんばかりに口元を歪める。それは私には効かない冗談だ。結構ショックを受けているのにからかうなんて。
「あんたが万引きの罪を被せられた被害者ってことは明白やん。ハナから疑ってへんよ」
「どういうことですか?」
あんなに冷たい目で私のことを見ていたのに、お兄さんは私が万引きをしていないと分かっていたと言う。行動と言動が矛盾している気がする。
「あんたのリュックパンパンやったやん。万引きしに来たんやったらリュックの中に盗むもん入れるためにスカスカにするやろ。わざわざパンパンのリュックの中に詰め込むんは考えにくい。それに、店主がいつもと違うって知っとるんなら警戒して、まずは様子を見るんが普通ちゃう? どう出てくるか分からん相手の前で、パンパンのリュックの中に盗んだもの入れるんなら、それは阿呆やと思うわ」
確かにあの日は、期末テストに向けて勉強するためにノートやらテキストやらを詰め込んでいた。プロフィール帳を取り出すのも手間取った記憶がある。
「まあ、自分は阿呆やって言うんやったら可能性はあるかもしれんけど」
「アホじゃないです。期末テストの点数平均以上取れましたし」
「ほーでっか。それにじいちゃんに話したら、あの子はそんなことする子ちゃうって言っとったし。僕よりも付き合いの長い人が言うんやから嘘はないやろ」
「富美夫さんに言ったんですか⁉」
「言うた。毎日報告せんなんで」
次富美夫さんと会う時、どんな顔をすればいいのだろうか。冤罪とはいえ店に迷惑をかけてしまった。体調が万全ではない富美夫さんに余計な心配をかけて、体調が悪化してしまったら私のせいだ。できれば言わないでほしかった。
「……罪を被せられた被害者、っていうのはどういうことですか?」
「パンパンのリュックの中に偶然商品が入るわけない。たぬきやって言っても木彫りやから自分で動くわけないし、やとしたら、誰かがあんたのリュックの中に入れたって考えんとおかしない?」
「でもさすがにそんなことをされたら気づきますよ」
「せやなぁ、普通は気づくよなぁ。でもあん時のあんたは、僕にプロフィール帳書いてもらえんくて拗ねてたから、気づかんかったんちゃう?」
お兄さんの伸ばした人差し指が伸びてきて、とんと額にぶつかる。そのまま店の奥のレジまで歩いていくお兄さんを追いかける。
拗ねてないですけど、と言い返したいところだけど、タイミングとしてはその時だったから私としてもどちらか分からない。自分が鈍感なあまりまんまと犯人に仕立て上げられたということ? だとしたら何としてでも犯人を懲らしめてやりたいけれど、証拠のない今の状態では犯人を追い詰めることはできない。
「お兄さんの言うとおりだったらどうしたらいいんですか?」
「知らん」
吐き捨てるようにそう言った。関西弁のせいか冷たく感じる。
「警察に言うても相手にしてもらえんと思う。証拠の映像とかがあれば別やろうけど、あとは現行犯? でも迷惑行為で注意だけになるかもしれんな、詳しないで知らんけど。実際に盗んだわけちゃうし。何回も繰り返して悪質やったら対応してくれるかもしれんけど、あんまり期待できんな」
カウンターに頬杖をついて体重を預ける。カウンター越しにぐっと近づいてきたお兄さんの顔はやはりリョーガさんに似ていて、今日は柄物のシャツだからちょい悪のお兄さんみたい。
何が楽しいのは分からないけれどくっと口角を上げたお兄さんは悪戯気で、私の管理外の場所で心臓が跳ねてしまう。
実際に万引きをしているわけではないから、万引きと同じような罪に問われるかは分からない。でも迷惑を被っている人がいるのは事実で、今この間も被害者が増えているかもしれない。またこの店に来て同じ行為をすることは防ぎたい。お兄さんの話が合っているのであれば、あの時の男の子が犯人であることは確実だ。こんなことならもっとちゃんと顔を見ておけばよかった。
「でもだとしたら、何が目的なんだろう」
あの男の子が私のリュックにたぬきの木彫りを入れたのだとしても、意味があるはずだ。意味もなく人の荷物に商品を入れるとは考えにくい。
「これは昔聞いた話な」
昔とはどれほど前の話だろう。お兄さんの言い方はまるで十年前くらいのことを思い出しているようだった。
「万引きのひとつの手口として、人の荷物の中に商品を入れることがあったらしい。人の荷物に入れることで、もし店内で怪しまれても自分は商品を持ってないわけやから免れる。相手が外に出てから荷物を回収したらそれでしまい。回収するときにバレてしまっても、荷物を確認したら自分の物は無くなってないわけやから、被害届けも出されずに済むケースがほとんどやったらしい」
じゃあ私もそれに利用されたということだろうか、と思ったけれど、だとしたら万引きを指摘するのは余計だ。
「どんな行動にも絶対理由が付いてくる。納得できる理由、共感できる理由、突飛な思想もあり得る。理解できんくても、本人が納得できる理由が必ずある。他人の荷物に商品を入れるのは、『バレんようにするため』。ほな、他人の荷物に商品を入れて万引きしたって罪をなすり付ける理由は?」
頬杖をついて緩やかに口角を上げるお兄さんはどこか楽しそうだった。ドラマでよく見る名探偵と会話しているような感じ、私はさながら助手だろうか。親指と人差し指で顎を挟みながら、むむむ、と唸ってみる。
落とし物の財布を交番に預けて持ち主が現れなかった場合、財布の中に入っていたお金の一部が拾い主に渡されるという話を聞いたことがある。けれど万引きを指摘したから盗まれそうになった商品を貰える、という話は聞いたことがない。お店によっては感謝の気持ちを込めて割引してくれるかもしれないけれど、それならいっそのこと万引きをしてしまった方が手っ取り早いのではないだろうか。罪が大きくなることを避けているのだとしても、リターンの少ないことを延々としていれば、成果が出るまえに迷惑行為として警察の面倒になってしまいそうだ。それに、とても繰り返し使えるような手ではない。何度も万引きを指摘していれば警察に顔を覚えられてしまうし、どの被害者も罪を否定するのであれば、完全犯罪にはならない。
助手になりきれば名案が思い付くかと思ったけれど、現実はそう簡単ではない。
お兄さんの推理に頼ろうと視線を上げると、柔らかな笑みを浮かべるお兄さんと目が合って、ばちっと、まるで電気が通ったかのような衝撃が体を走った。ついこの間最終回を迎えた恋愛ドラマでリョーガさんが演じた大学生が浮かべた笑顔が目の前にある。想いを伝えた相手から返事をもらい、愛おしそうに見つめ、ふと目が合った時の、蕾が花開くときのような感動を持ち合わせた笑顔。
私と目が合うとお兄さんはきゅっと目を細め、少しだけ悪そうに、笑みを深くした。
「理由はなんやと思う?」
細く笑みをこぼしながら、こくりと首を傾ける。
お兄さんにからかわれても構わないと、とにかくひたすらに首を大きく振って、目の裏にまで焼き付いたお兄さんの笑顔を振り払う。けれど全然消えてくれなくて、「あーっと、えーっと」と声を脳に響かせて振動で落ちてくれることを祈った。
「あれです、じゃあ、えっと」
少しでも顔を上げれば視界に入ってくるお兄さんの顔を隠すために顔の前で手を躍らせる。奇怪なダンスになってしまったが正直お兄さんに見られていることの方が恥ずかしくて、夏の暑さに溶けて消えてしまいたい。
「すごいねーって、言われるため、とか⁉ 子どもにおつかいを頼んだら褒めるみたいな感じで、万引き犯見つけてえらいねーって言われたいからやっちゃうとか」
テンパっているけれど口だけはスムーズに動いてくれる。馬鹿げた考えだと笑われたって仕方がないと思うけれど、それらしい理由が口先から流れるように出てきてしまう。この際笑われたって構わない。ここは助手が推理を誤って、探偵が修正をしてくれるパートだ。
かたりと物音がした。お兄さんが立ち上がり、カウンターテーブルに沿ってゆっくりと歩く。近づいてくるお兄さんの顔を見上げなければならない距離まで詰められた時、頭に重みを感じて思わず目を閉じて、しばらくしてからそれはお兄さんの手だと気付いた。
何事かと思いながらゆっくりと目を開ける。開けているのか分からないほど目を細めて笑むお兄さんは白い歯を少しだけ覗かせていた。
「せーかい」
えらいやん、と言ったお兄さんの手が頭を一回、優しく撫でる。
先ほどまで異次元なまでにときめいて跳ねて血流が上がっていたのに、ひゅっと落ち着いてしまって、お兄さんの顔が少しだけ曇った。
第7話は こちら から