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菜那花とお兄さんはアタラヤで 9

    第1話は こちら から

    前話(第8話)は こちら から



     数日は夏休み講習終わりにアタラヤに出向き、片づけを手伝うことにした。お兄さんはひとりでも大丈夫だと言ったけれど、この状態のアタラヤが続くことは私が許せない。営業はできなくとも、できるだけ早く原状復帰してほしい。熱中症を早めに対処することで重症化を防げることと同じで、アタラヤも、早めに片づけてしまわないと手遅れになってしまうような気がしたから。
    「菜那花、なんかぼーっとしてるけど、熱中症じゃない?」
     何度か名前を呼ばれてようやく返事をしたらしい。ただ考え事をしていただけなのだけれど、半強制的に連れていかれた保健室で熱を測ると、三十七度六分で微熱を示していた。
    「熱あるじゃん」
    「あんまりそんな感じしないんだけどな」
     体の重さもだるさもない。考え事をしていたからぼーっとしていただけだと思っていたため、平時よりも体温が上がっていることを示す数字を疑ってしまった。何回か測ってみたけれど数字は変わらない。
    「疲れてるんじゃない? 最近ずっと暑いし」
    「家ではエアコンつけて涼んでるよ」
    「暑さに慣れてなくてすぐにバテちゃうとか」
     アタラヤにはエアコンがなく、壊れかけの扇風機の弱い風を受けながら片づけをしていた。あの状態を何とかしようと片づけることに夢中だったから、その時だろうか。時間差熱中症になることがあるとテレビで言っていたけれど、体のことは自分でもよく分からないのだから不思議だ。
    「講習終わったらお母さんに迎えに来てもらうから、一緒に車で帰ろ。それまで保健室で休んでなよ」
    「ありがとう。でも講習は受けられるよ」
     そう言って立ち上がったものの、目の前がふっと白くなって、体がふらついてしまった。慌てて手を付いて転倒はしなかったけれど、佳央ちゃんの方を見ると、心配そうに眉をひそめていて、大人しく休んでいることにした。
     エアコンの効いた保健室の、白いベッドに寝転ぶ。部屋のベッドよりも柔らかくて、目を瞑れば眠れそうな気がする。エアコンの効いた部屋で布団を頭までかぶって寝るのは最高だ。枕に頭をうずめて目を瞑ったけれど、今日はアタラヤに行けないな、と思うと、もやもやと考えが巡って眠れなかった。
     ──手ぇ見たら犯人か一発で判断できるやろ。
     アタラヤに入った空き巣犯を許すことはできない。けれど今は、犯人を探す気にはあまりなれなかった。それは警察の仕事だし、私自身で歩み寄ることは、その人の悪意に直接触れることになるから。あの男の子の刺すような視線を受けた時に痛いほどそれを感じ取った。
     布団にしまっていた左手を出すと、ひんやりとした空気に包まれる。手のひら、手の甲。あの男の子にもう一度会えて、手を確認することができたら。あの子に怪我があれば明白なのに。誰かに褒めてほしくて、万引きの罪を被せてそれを指摘して、けれど上手くいかなかった、だからその腹いせに店を襲った。罪を犯す理由としてはあり得る。
     けれど、誰かに褒めてほしかった、というところだけが引っかかって、あの子を探す足が止まってしまう。褒めてほしかった、ということは、これまで誰にも褒められたことがないということで、その思いが大きくなるということは、ずっと否定されてきたということ。つまり褒めてほしいというのは、認めてもらいたいとすごく似ているんじゃないだろうか。
     講習終わりのチャイムが鳴り、私は保健室を出た。むっとした空気に体の熱が上がった気がして、こんな中をひとりで歩いて帰らなくて良かったと思う。
     教室棟に入ったところで、階段から下りてくる優真くんがいた。あ、と声が漏れる。
    「体調、大丈夫?」
     優真くんは私の声には気づかなかったのか気にしていないのか、そう声をかけてくれた。
    「うん、寝てたから大丈夫。佳央ちゃんのお母さんに送ってもらう」
    「暑いからそうしたほうがいいよ」
     優真くんはちょいちょいと指だけを曲げて手招きをする。昇降口の方へ歩いていく優真くんについていくと自動販売機の前で立ち止まって、出てきたお茶を差し出してくれた。
    「熱中症だったら、水分ちゃんと取った方がいいよ」
    「ありがとう」
     自動販売機から出たばかりのお茶は冷たくて、手首に当てて体を冷やしてみる。熱された空気に触れたペットボトルはすぐに汗ばんできて、まだ冷たい水滴が肌にくっついてすぐに消えた。
     優真くんのいつものトートバックは重たそうで、きっと講習で使うテキスト以外の本も入っているのだろう。
    「講習に行って塾にも行ってすごいね」
     優真くんはトートバックから取り出した自前のお茶に口を付ける。初めは視線が合ったけれど、お茶を喉に流すために視線が上がって、それ以降は目が合わなくなってしまった。
    「こういうのがないと多分家に引き籠るから、講習とか塾があった方が夏バテしなくて済むよ。運動にもなるし」
    「前向きだね。帰りはいつも遅いの?」
    「七時か八時くらい。でもそんなに暗くないよ。七時なんてすごく明るい」
     アタラヤの片づけで七時まで残っていたけれど、確かに明るかった。昼間が長くなるというのは不思議だ。夜のはずなのに暗くないのだから。
    「たまに遅くまで残っても九時には帰らされるんだ。一昨日も早く帰れって言われた」
    「そんな時間まで勉強できるのすごいね、私だったら飽きちゃう」
    「他にすることがないから」
     お茶をトートバックにしまってから、そういえば、と優真くんは顔を上げた。
    「お店はどう?」
    「へ?」
    「前に、万引きを疑われて行きづらいって言ってたから」
     確かに優真くんに話を聞いてもらっていた。突然のことにどくどくと大きく跳ねる心臓を落ち着かせながら、本当のことを伝えるべきか迷った。優真くんの表情を窺う。
    「……実は、泥棒に入られたみたいで」
     一瞬目が大きくなって、瞳の縁がはっきりと見えた。けれどすぐに元に戻ってしまって、それからまた視線は私に向けられた。
    「棚が倒されたり、商品が壊れてたり、しばらくは営業できなさそうで。……でも、商品の在庫はあるから、片付けれたらまた営業できるみたいで、だから私も手伝ってるんだ」
     夏の暑さも相まって、優真くんに見つめられて体が少しずつ熱くなってくる。せっかく保健室で体を冷やしたのにまた熱がぶり返しているのかもしれない。ふらつきそうになる体を懸命に支える。足の裏の敷き詰められた石がぶつかって、じゃり、と小気味よい音を立てる。
    「……そう」ため息のようにか細い声だった。「誤解が解けてそうで良かった。でも今日は手伝いに行かない方がいいよ。ちゃんと体調を万全にしてからじゃないと、倒れるから」
    「うん、そうするつもり」
     菜那花ー、と名前を呼ぶ声がして振り返ると、私のリュックサックも持った佳央ちゃんが走ってきた。お茶ありがとう、と優真くんに言ってから佳央ちゃんに駆け寄り、リュックサックを受け取る。もうすぐお母さん迎えに来てくれるよ、と教えてくれた佳央ちゃんの言葉をよそに校門へ視線を向けると、ちょうど優真くんが出ていくところで、後ろ姿しか見られなかった。


    第10話は こちら から

     
     
     

    透子

     
     
    薮透子 | ヤブ トウコ | 小説 / エッセイ / 月記 など。 好きな時に好きな文章を書いています。 ▼活動場所まとめ https://lit.link/yabotoko

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