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菜那花とお兄さんはアタラヤで 13・終

    透子

    第1話は こちら から

    前話(第12話)は こちら から




     病院内は涼しくて、熱された肌がすぐに冷やされていく。うちわで扇ぐと余計に涼められて心地良い。このままずっと病院にいたいと思うけれど、病院独特のにおいには慣れない。
     階段を上がって入院棟へ向かい、一度訪れたことのある病室に向かう。油井富美夫のプレーが変わっていないことを確認してから扉をノックする。
    「富美夫さん、こんにちは」
    「こんにちは菜那花ちゃん。暑い中来てくれてありがとう」
     以前お見舞いに来た時と変わらない様子の富美夫さんに安心する。すぐ近くで購入したアイスクリームを差し出すと、夏っぽくていいね、と目尻にしわを寄せて喜んでくれた。早速アイスの蓋を開けて一口掬う富美夫さんに続いてチョコ味のアイスを食べると、甘みが口の中に広がって、内側から体が冷やされていく。
    「いろいろと大変だったみたいだね」
     お兄さんから話を聞いたのだろう、富美夫さんは先ほどまでの明るい表情を少しだけ曇らせていた。
    「うん。でもひとまずは解決したからもう大丈夫ですよ。お店の片付けも一通り終わったし」
    「腕を吊って来たときは驚いたよ。店にも空き巣が入ったって言うし、まさか僕がいない時にこんなことが起きるなんて。大切な孫に怪我をさせてしまって、娘に申し訳が立たないよ」
    「お兄さんは私を守ってくれたんです。私が夜にお店に行かなかったらあんなことにはならなかったので、富美夫さんのせいじゃないですよ」
    「でも元はと言えば僕が店番を頼んだからなってしまったことだから。菜那花ちゃんは気にしなくていいんだよ、ありがとう」
     柔らかい笑みを浮かべる富美夫さんを見ていると胸が締め付けられて、アイスもあまり喉を通らない。
    「そういえば、退院はできそうですか?」
    「ああ、明日には退院できるよ。心配かけてごめんね」
     ベッドサイドには大きなバッグが置かれていて、退院に向けて準備をしているらしい。どんな状態でもアタラヤに帰れるのが楽しみだよ、と富美夫さんは顔のしわを増やした。
     富美夫さんと話を終えて病室を出る。受付のお姉さんに挨拶をしてから階段に向かうと、見覚えのある姿の男の人が歩いてきていたのが目に入った。首から腕を吊るしている。お兄さんだ。
     お兄さんは私に気づくと、よ、と短い挨拶をした。
    「お見舞い?」
    「そうです」
    「そ、通院ついでに顔見せよ思て」
     短い会話だけしてすれ違うと、お兄さんは病室の方へ歩いていく。甘い香りを追いかけて視線を動かすと、小さくなっていくお兄さんの背中を見つめる。
    「あの」足を止めて振り返ったお兄さんに一歩歩み寄る。「どうしてあの日、アタラヤに来たんですか?」
     私は、優真くんが家でゆっくりしておいた方がいいと言ったことが引っかかっていた。まるで自分が行くから近づかない方がいいと言われたような、そんな嫌な予感がしたから向かったという理由がある。しかしそのことはお兄さんには話していない。お兄さんはどうして、アタラヤに来たのだろうか。
     お兄さんは、あともおともつかない微妙な言葉を伸ばしながら病院の天井に視線を向ける。
    「念のための見張り。犯人は現場に戻ってくるって言うし、これ以上店になんかあったら困るやろ」
    「そうですけど。日中ならまだしも、わざわざ夜に来るとは思えなくて」
    「なんや、僕が心配したらおかしいか?」
    「いえ、そういうわけじゃないんですけど、お兄さんにとってアタラヤはそんなに思い入れがある場所ではないから、と思って」
     そう言うとお兄さんは口を閉じてしまった。斜め上に向けられた視線は、やがてゆっくりと私に戻ってくる。
    「じいちゃんの店やし。あと、誰かさんの大切な場所みたいやから」
     ほな、と左手をひらひらと揺らすと、お兄さんは背を向けてしまった。
     お兄さんがいなければ、もっと大きな事件になっていたかもしれない。たった少しではあったけれどお兄さんの話があったから違和感に気づくことができて、優真くんに辿り着けた。お兄さんは飄々としていて、さも巻き込まれただけのような態度だけれど、アタラヤを守ってくれたのはお兄さんだと思う。
     明日には富美夫さんが退院して、アタラヤに戻ってくる。お兄さんは富美夫さんの代わりに店番をしていただけだから、富美夫さんが退院したら、もうアタラヤでは会えなくなってしまうのだろうか。
    「あ、せや」廊下を歩いていたお兄さんが足を止める。「プロフィール帳、書いといたから」
    「え?」
    「また取りに来てな。いつでもおるし」
     明日でも、明後日でも、明々後日でも? 言葉にはしなかったけれど、目を細めて笑むお兄さんを見ていると、いつでも、と頷いてくれている気がした。
    「はい!」
    「うるさいて、静かにしいや」
     病院やで、と人差し指を立てるお兄さんの眉間にはしわが寄っている。慌てて口元を抑えて、すみません、とお兄さんに視線を向けたまま頭を下げた。廊下には誰もおらず、大声を出してしまったことを咎められているような静けさに居心地が悪くなる。
     いそいそと病院を後にしようと体を縮こませながら階段に向かう。
     振り返ると、目をきゅっと細めたお兄さんがじっと見ていて小さく手を振ったから、頭を下げてから、手を振り返した。
     ──アタラヤに行けば、お兄さんに会える。
     そう思うだけで口角が上がってしまう。
     躓かないように気を付けながら、階段を一段飛ばしで降りた。



    おわり


     
     
     

    透子

     
     
    薮透子 | ヤブ トウコ | 小説 / エッセイ / 月記 など。 好きな時に好きな文章を書いています。 ▼活動場所まとめ https://lit.link/yabotoko

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