
菜那花とお兄さんはアタラヤで 12
第1話は こちら から
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夏休み講習が終わり、テキストやペンケースをリュックの中に入れる。さほど物を入れていないリュックサックは軽い。二つのジッパーの穴にキーホルダーの紐を通してつけると簡単に人からは開けられないという知恵を見つけてから試していて、ようやく慣れてきて煩わしさも感じなくなってきた。
「それ、まだやってるんだ」
スクールバックを肩にかけた佳央ちゃんは、変わったことするね、と言っていた。
「やってるよ。もう慣れてきた」
「用心だねー。まあ一回疑われたんなら仕方ないか」
安心してリュックサックを背負えることが重要だ。変なことに巻き込まれないために自分で対策をすることの大切さを身に染みて感じて、けれどだからと言ってこれ以上何かをする気にはなれなかった。
生徒がまばらになった教室を見回すけれど、今日も優真くんの姿はない。
あれから一週間が経って、きっかり優真くんは講習には来なくなった。私が呼んだ警察の人に連れていかれてから、優真くんがどうなったのかは分からない。逮捕されないこともあるとネットには書いてあったけれど、数日間拘留させられることもあるらしい。結局優真くんがどこまで何をしていたのか知らされず、こんなことなら通報せずに優真くんからもっと話を聞いておいたらよかったと思った。けれど、聞きたくない気持ちもあって、もし許せない何かを優真くんが犯していた時、きっと彼を突き放すように、身を守るための対策をできる限りしてしまう気がする。だから今はまだ、キーホルダーひとつで十分なのだ。
いつもと同じ帰路に着き、アタラヤへ向かう。締まっている戸を開けるとむっとこもった空気が出迎えてくれて、首から掛けていた小型の扇風機のスイッチを入れた。
「こんにちはー」
「らっしゃい、おーきに」
レジの奥の椅子に腰かけていたお兄さんは本から視線を外さないまま返事をする。眼鏡を掛けて読書に勤しむ姿は相変わらず絵になる。写真一枚お願いしようかなと思うけれど、首にかけた白い布で右腕をつるしている姿を見て思いとどまる。
ガラス片で傷を負ったお兄さんは、骨折まではしていなかったけれど、腱の損傷があって炎症を起こしているらしく、安静にするために腕をつるしている。
ページにしおりを挟むと本を閉じ、眼鏡を外しながら顔を上げる。
「何見とん?」
優しい声色でそう言うと、お兄さんの目が細くなる。口角をわずかに上げて唇を薄く伸ばして笑むお兄さんにどきりと心臓が跳ねて、目を離せなくなるのはいつものこと。そろそろお兄さんの顔にも慣れたいところだけれど、喜怒哀楽に表情を変えられると無意識に体が反応してしまう。
「ぼーっとしとらんと、はよ片づけて」
眼鏡を胸元に引っ掛けて、頬杖をつく。
腕を動かせずしばらく安静にとの指示を受けたお兄さんの代わりに、今は私だけで片づけをしている。元はと言えば私が万引き押し付け犯に目を付けられたからだし、優真くんのことに関してはアタラヤは被害者だ。お兄さんは巻き込まれた側であって、原因のほとんどは私にある。富美夫さんにもこれ以上迷惑と心配をかけさせるわけにはいかない。
だからと言って召使いみたいな扱いをされるのはちょっと違う気がしている。でもお兄さんは自分の良さを分かっているのか、私の弱みを握っているみたいに、からかいじみて片づけてと言ってくるのだから、大人しく言われた通りに片づけるしかない。
別にお兄さんに言われて片づけているわけではない、私が片づけたいから手伝っているはずなのに。お兄さんの腕の怪我は私を守るためにできてしまったものだから、どうしても罪悪感が付きまとってしまう。
部屋の隅に立てかけていたほうちとちりとりを持って、小さな欠片を集めていく。しばらくは警察が入っていたため片付けが進められなかったがそれらがようやく終わり、片づけを再開することができるようになったのは数日前だ。割れたガラス片が散乱していることもあり手間が増えてしまったが、ひとつひとつを集めるのはそれほど苦ではない。
ガラス片を見つける度に優真くんのことを思い出して、あの時の優真くんは何を考えていたんだろうと考える。
本を読んでいる時、リョーガさんのことを話している時、勉強をしている時、石を投げた時。いくら考えても分かるはずないけれど、分かりたいから考えていたいと思う。そう思うことは優真くんの負担になってしまうのだろうか。
からから、と戸が開かれる。お兄さんがどこかへ行くのかと思い顔を上げると、そこにいたのはお兄さんよりも背の低い人──、優真くんだった。
「……こんにちは」
相変わらず長袖を着ている優真くんの顔には影が落ちていて、彼が本物なのがしばらく考え込んでしまった。もしかして幻、でもちゃんと声は聞こえた。眼鏡を掛けている、髪は少し短くなっている。
ほうきとちりとりを置いてから駆け寄り、袖に少しだけ隠れている優真くんの手に触れた。温かい、人の肌。本物だ。
「久しぶり!」
ぎゅっと手を握ると優真くんの手のひらに指先が当たって、肌ではない布の感触がした。カラス片で怪我をして包帯を巻いていた箇所に触れてしまい、慌てて手を離す。
「あっ、ごめん。痛かった?」
「大丈夫、そんなに痛くないから」
ほっと心を撫でおろしてから、沈黙が落ちてしまう。
話したいことはたくさんある。けれど何から言い出せばいいのか分からない。
「しばらく、学校には行けないと思う」
戸の隙間から風が吹きこんで、少し大きめの優真くんの服や髪を揺らしていく。
「今はまだ学校の判断待ちだけど、夏休みは登校できなくて、二学期に入ってからもどうなるかは分からない。謹慎か停学、退学も視野に入れてるって言われた」
「そう、なんだ」
停学になったら寂しいね、も、退学にならなかったらいいね、も、どれも違う気がする。そうなんだというのが精いっぱいだった。優真くんもそれ以上は何も言わなくて、重なった視線から優真くんの心の中が見えるような気がしたけれど、やっぱりそれを読み取ることはできなかった。
優真くんは私の横を通り過ぎて、レジに腰掛けているお兄さんの前に立った。お兄さんは頬杖をやめて背筋を伸ばして、優真くんを少しだけ見下ろす。
「迷惑をかけてごめんなさい。お店の中壊してしまったり、怪我をさせてしまったり、取り返しのつかないことをしてしまいました。壊してしまった分は弁償します。怪我の治療費も出します」
「……万引きのんは?」
「井上さんに万引きの罪を着せようとしたのは僕の友人です。前に商品を人の鞄の中に入れて万引きだって言ったことがあって。その人は塾内でも成績が良かったけど、それ以来カンニングが疑われるようになって辞めていきました。そのことがバレたけど友人は、気に入らない奴蹴落とせるからいいじゃんって言ってくれて、気に入らない人がいたらするようになりました。でも最近は、ストレス発散ですることも多くて。僕が始めてしまったばっかりに、お兄さんや井上さんにも迷惑をかけてしまいました」
すみませんでした、と深々と頭を下げる。優真くんのはっきりとした言葉が聞こえなくなると店内は静かで、首元で稼働する小型扇風機の音が雑音のようにうるさい。
「筋通してくれたらええわ」
「はい」
頭を上げた優真くんは一回、深く頷いた。お兄さんの細い目が優真くんを見下ろし続けている。顔は見えないけれど、優真くんの後ろ姿は真っ直ぐとしていた。
「井上さん」
名前を呼ばれて、視線が重なり、私は瞬きをする。
「不安な思いをさせてごめん。僕と友達は警察の厄介になるからこの件に関しては終わり。どちらにしても僕はもう、学校には行けないだろうし。迷惑かけて本当にごめんなさい」
「なんだか、いつもの優真くんじゃないみたい」
「万引きのこととか、いろいろ、話してから、楽になったんだ。初めからこうしていればよかったんだけど、できてたら、こんなことにはならなかったよな」
じゃあ、と言って優真くんが見せてくれた笑顔は、すぐに消えてしまいそうで、でもすごく軽そうだった。
引き留めようと伸ばした手に添える言葉が見つからなくて、足を止めてしまう。優真くんはまた学校に来てくれるだろうか、またどこかで会えるのだろうか。それらが分からなくて、簡単に、またねとは言えない。
「……あと、いつも井上さんがリョーガさんの話をしてくれるの、楽しみだったよ」
そう言って背を向けて。優真くんは店から出て行く。
引き留める言葉なんてない。それでもこのままだと一緒会えないような気がして、彼を追いかけた。
「優真くん!」
太陽の降り注ぐ外は暑くて、額から汗が流れ落ちる。
「あの、連絡先交換しよう! またリョーガさんの話聞いてほしいの!」
炎天下の中振り返った優真くんは、眉間にしわを寄せながら、何も言わずに頷いた。
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