
邪 3話「暴食」
康太は息をのんだ。
後戻りできない、の意味が少しわかる。
寒い。
…社を掃除している尊臣を見る目は、光を失いつつあった。
蘇る恐怖心。先ほどの何か。不吉な何か。
「山神」と呼ばれていたアレは、そんな神々しいものではなかった。
遠くで尊臣の声が聞こえる。行かなくちゃ…
一方。
尊臣は明らかに様子のおかしい康太を凝視していた。
普段饒舌な康太が一言も発しない。
一瞬の静寂…
急に康太が走り出す。
社の前に置かれたそれを貪り食う。
まてまてまてまて…
足がすくむ。震える。
…心境的には諦めたい。けれど康太がいつも自分に向けてくれた、「普通」に報いたい。
怖い。
それでも尊臣は康太に駆け寄っていた。
康太の肩に触れる…
触れてはいけない。絶対に…そういわれていた禁忌を破った。
社から引き離された康太は、比較的落ち着いていた。
なんか気が付いたらお供えがうまそうに見えてさ。
大丈夫!と元気よく答えたが顔色が良くない。
憑かれている…と思う。
こうなると自分ひとりでは対処できない。
調べるつもりだった。何も調べないうちにこんなことになった。
康太に対しての罪悪感が今更だけれど尊臣の心を冷やした…
「呼ぶべきじゃなかった…」
俯きこぼれた。
ここからは時間の勝負でもあった。夜になれば山神さんのテリトリーが広がる。その前にこの村から脱出させる?
果たしてそれだけで済む話なのか…?
自分たちの手に余る…最悪村全体の存続にかかわる事態ではある。
ひとまず。社の掃除は大方終わっていたので一旦下山することにした。
自宅に戻ると、母が出迎えてくれる。
康太の様子を見て
「入ったんだね」
「うん。入った。山神さんに会った」
尊臣が村の人間にここまで話すのは珍しかった。家族でも。
母は慌てることなく静かに言う。
「もう逃げられない。覚悟して。ただ…母さんはあなた達の味方だから」
まっすぐ目を見て言われた。
母の顔を見たのも数年ぶりだと気が付く…
康太は山から下りてから一言も話さない。顔色がさらに悪い。
ひとまず茶の間に来いと言われたので、二人で向かう。
そこにはおいしそうな料理が並べられていた。
康太の目の色が変わり、素手で貪る。
母も自分も止めなかった。
一通り食い終わると、また普段の康太が現れる。
惨状に康太は別の意味で顔色が悪くなっている。
尊臣は「気にすんな」一言。
正気を保っているうちに説明をしなければいけない。
けれど自分では何もできない。父の帰りを待つ。
母は台所で何かの準備をしている。
惨状を二人で片づけていると、すごい勢いで父が帰ってきた。
顔色が土気色。体は震えていた。
テーブルを見てため息を漏らす。
「あれほど入るなと…」
康太はビクッとなり素直に謝罪する。
「すみませんでした」
母が台所から顔をひょこっと出して
「父さん、時間ないから手短にね」
父は大きなため息を一つ。
怒るでもなく、座れと言われ二人で正座する。
これから村長の家へ行くこと。
現状、康太は危険な状態であること。
理由については村長から話があること。
腹が減ったら迷わず食べること。
大まかにこの3つを説明された。そして最後に
「康太くん、私は伝え方を間違えた。申し訳ない。これから君には過酷なことが起きると思う。何とか耐えてくれ…本当にすまん…」
土下座をされて、康太は慌てて
「自分が悪いんです…本当にすみません…」
康太の目から涙が零れ落ちていた。
父の車で村長の家へ向かう。
車内は康太のすすり泣く声と、たまに父がハンドルを強く叩く音だけがあった。
村長の家を通り過ぎた。
…どこへ行くのだろう…社とは逆方向の山の中へ入る。
尊臣がつぶやく
「きれいなところ…」
きれいなところ。尊臣がまだ小さいころに何度か訪れたことのある場所だった。お社を掃除するようになってからは足が遠のいていた。
しばらく進むと開けた神社のような建物と、たくさんの車が止まっている。見覚えのある車もちらほらあるので、村中の人間が集まっているのだろう。
尊臣は少し憂鬱になる。
車を止めて、社の入り口に立つと村の人たちの声が聞こえてくる。
「あの時止めてあげりゃよかった…」
「お守りさんとこの、何とかならんのかね」
「お守りさんもいらっしゃるんだろう?大丈夫だといいが」
…尊臣の目が少し揺れる…父の手が尊臣の背中を押す。
ノックしたかったが障子にノックはできなかった。
躊躇する尊臣を横目に父が、ガラッと障子を開けると村の人達の視線が一斉に集まった。
「この度は愚息が申し訳なかった!」
父が頭を下げる。尊臣もそれに続く。
しかし、村の人達は一言も責めることなどしない。
それどころか、俺たちも見逃してしまった。すまない、申し訳ないと謝罪をされる。
やり取りを見て、
「頭を上げなさい。」
村長の一言で場は静まり返った。
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