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Time after time―蒼井みゆるのさとみの記憶 ◇2 幼小期 小学校

    ◇2 幼小期 小学校

     いったい、いつの頃からそんな記憶が私の中にあったのだろう。ゆりかごの中かその前か。物覚えがついたころには、私はその言葉に安心しきっていた。

     いつか私の目の前に、その人が現れる。
     その人は世界を輝かせ、私の全てが変わってしまう。

     全てが変わってしまうのなら、その先のことはその時に考えるしかない。
     今は何も考えなくていい。
     今はなにもする必要がない。
     この安心感。
     誰に想像できるだろうか。

     私はただ、その人を待っていればいい。

     私は、男の子を全く意識しない女の子になっていた。

     

     幼馴染に、ヨージ君っていう男の子がいた。

     ヨージ君は、近所の男の子の中で、かっこいいと評判。
     家が近くて、幼稚園の送迎バスに毎日一緒に乗り込んだ。
     ままごとをするときは、いつもヨージ君が旦那さんで、私が奥さんの役。
     でも私は、
     「みゆるはヨージ君のお嫁さんになる、約束だよ。」
     なんていう必要はなかった。
     たとえヨージ君が、他の女の子に向かって、こんな風に宣言していたとしても。
     「おれはみゆるの旦那だから、他の女の子とままごとはできないんだからなっ!」
     なぜなら、私のまわりで世界は何も変わっていなかったから。

     そのヨージ君が引っ越しをすることになった。
     丁度、私達が小学校へ上がる年の春先だった。
     私はお母さんと一緒に、ヨージ君を見送りに行った。
     お母さんたちは、あら、東京ですか。ここよりずっと便利そうですねとか、いえ物価が高いらしくてちょっと心配で・・・、なんて大人の話をしていた。
     その時、私はこんな風に考えていた。
     ”あぁ、これでヨージ君とも、金輪際会うことはないんだろうな。”
     そこに悲しみはなくて、この引っ越しという知り合いの身に起こった事実を、ただ客観的に受け止めていた。

     ヨージ君は、私を見ると駆け寄ってきた。
     そして目の前で、大きな声をだして泣き始めた。
     「みゆる!おれ、お前の事、むかえに帰ってくるからなっ。絶対、ぜーったい、帰ってくるから!」
     どうしてヨージ君は勝手に泣いて、私のシャツで、涙と鼻水を拭いているの。
     こんな姿を見せて、恥ずかしくはないのかな?
     私は、そんな疑問の中にいた。
     そしてヨージ君の立場に立って、最大限の寛大さと優しさをもって、こんな言葉を伝えた。
     「大丈夫だよ、ヨージ君。だって、みゆるとヨージ君は、この先二度と会うことはないんだから。もちろん、これから先もヨージ君の事を思い出すこともないと思うよ?」
     その言葉を聞いて、ヨージ君が泣き止んだことに、私はとても満足していた。

     

     小学生になった。

     私はコジマ君の席の隣だった。
     コジマ君は真面目で、誠意にあふれた男の子。
     先生が、誰も答えられない問題を何人かにあてていくと、最後にはコジマ君が答えた。どうして最後になるかというと、コジマ君が間違うということがなかったから。つまり、コジマ君は頭も良かった。
     そんなコジマ君は、立ち上がって正解を述べると、座ってからちらっと私の方を見て、にっこりと笑うのが常だった。

     ところで私は、小学校に入学してから卒業するまで、眼鏡をかけていた。視力矯正用の眼鏡だった。子供っぽくて、赤い眼鏡はビン底レンズ。私の目は普通の人より大きく、矯正眼鏡でさらに強調されて、常識的な目の大きさからかけ離れていた。
      私は規格外製品だった。

     そんな私を、コジマ君が見てほほ笑むときに、君の眼鏡の向こうを見ているんだよっていう、優しさに溢れているのが分かった。
     けれど私はそんな微笑みに、うつむいて顔を赤らめたりはしなかった。
     もちろんそれは、コジマ君が私のその人ではなかったから。

     コジマ君の視線は、私にとって小鳥のさえずりと変わらなかった。ともに自然現象の1つであるという点において。
     私は冷静にその視線を観察した。
     そして私は、興味深い変化を目の当たりにした。
     私の顔をのぞき込むコジマ君の瞳には、最初はハートのマークが浮かんでいた。それは次第にダイヤの形になり、そして色彩を失って三つ葉のようになり、学年が変わるころには漆黒のスペードになっていた。それと同じくして、コジマ君はクラスの女の子達と仲良くなっていき、1人1人を私に紹介した。最終的には、私以外の全ての女の子と親しい友達になって、全員を私に紹介した。小鳥の水浴びを眺めるように、私はそれをほほえましく観察した。
     後に聞いたことだけれど、コジマ君は転校していったということだ。噂では心の病に落ちたとか。

     その理由を、私は知る由もない。


     それは小学校中学年の時。

     私はうかつにも何かに熱中し、トイレに行くのを忘れて休み時間を過ごしてしまった。考えてみれば、その前も私はトイレに行っていない。そう思うと緊張にとらわれて、授業が始まるや、足を揺らしながらトイレを我慢する羽目になった。
     もし教室でちびったりしたら、将来にわたって、コンプレックスになってしまうだろう。
     そんな時だ。
     マツモト君は、先生が教科書を読み上げているにもかかわらず、がたっと席を立ち上がった。
     サラサラヘアをなびかせて、目鼻立ちもくっきりはっきり。誠意を感じるそのまなざしに、女の子たちはいつも釘付け。
     そんなマツモト君は、その時私の後ろの席だった。
     「先生!」
     「なに?マツモト君。」
     突然のことに驚いて、ほんの一瞬おトイレを我慢していることを、私は忘れて振り向いた。
     マツモト君はこっちを見ていた。
     「蒼井さんが、調子が悪いみたいです。僕、保健室に連れていきます。」
     あおいさん?
     初めて名字をさん付けで呼ばれ、それが自分の事なのかよくわからなかった。でもマツモト君は私を見てるし、その行為に便乗しない手はない。汗ばんでしまった手を引かれ、うつむいて教室から出ていった。
     私は歩きながら、保健室へ行く途中に、トイレがあったかどうか思い出していた。
     ふいに、マツモト君は立ち止まって、にっこりとほほ笑みかけてきた。
     意味が分からない。
     私は死にそうな思いで、トイレを我慢しているのに、なぜマツモト君は笑っているの?
     するとマツモト君は頭を下げ、こちらへどうぞという感じで、片手で示した。

     女子トイレの入り口だった!

     急いで中に駆け込み、ブースの扉を開けると同時に反転し、便座に腰かける自由落下の間に、パンツを下ろしておしっこを放出した。
     ててててててててててててててて、てんてんてん、てん・・てん、・・・て。
     私は、安堵の大きなため息をついて水を流した。
     わずかについてしまったパンツのしみを、トイレットペーパーでごしごしこすって消していると、私の中に芽生え始めた、女の子らしい私の1人が、こんな反応をしてみたらといってきた。
     私は廊下に戻る。マツモト君の目を見ることはできない。
     それは恥ずかしすぎるから。
     私は縮こまって肩を丸め、ちょっとどもりながらこういう。
     「ど、どうもありがと。ま、マツモト君、やさしい。」
     そしてうつむいた目を、左右にきょとらせて顔を赤らめる。
     「気にしなくていいよ、蒼井さん!」
     マツモト君は教室へ戻っていく。
     その優しさを受け入れながら、私は髪をくるくる指に巻き付ける。
     女の子の可愛さって、こういうものじゃないのかな。
     私その1はそう語っていた。

     もう1人の気の強い女の子らしい私は、別のこんな提案をしてきた。
     私は廊下に戻る。そしてマツモト君の目を見る。
     さっと眼鏡をはずしてこう言い放つ。
     「たっ、頼んでなんか、いないんだからねっ!」
     マツモト君は、ちょっと驚いたような顔をする。
     「余計なお世話だったね、蒼井さん。」
     「そうよ!私は保健室に行くから、マツモト君は教室に戻りなさいよ。話が合わなくなるでしょ!・・・でも、ありがと。その・・・助かったわ。」
     このくらいの、見え透いた強がりを言う女の子のほうが、男の子の気を惹くんじゃないのかな。
     私その2はそう語っていた。
     
     迷うことなく判断を下した。
     2人とも却下だ。
     なぜなら、マツモト君はその人ではなかったから。
     トイレから出てきた私は、マツモト君に感謝の言葉を返すべきだとわかっていた。そして私のこんな恥ずかしいことを知ってしまったマツモト君には、しっかり口止めが必要だということも。
     「ありがとう、マツモト君。とっても助かった。私このことは一生忘れないと思う。それから、マツモト君が女の子のトイレを監視してる、変態さんだっていうことも、もちろん一生忘れないからね。」
     にっこり微笑んだ私は、マツモト君などいないかのように、保健室へ歩いて行った。

     それ以降、私はマツモト君と言葉を交わした記憶がない。


     小学校高学年になった。

     私は眼鏡のフレームが合わなくなって、買い換えることになった。
     お父さんとお母さんに連れられて、眼鏡屋さんへ出かけていった。
     過剰な期待からくる緊張で、私の鼓動は高鳴っていた。
     ”これで私は、赤いビン底メガネの、コンプレックスから脱却できる。”
     フレーム選びは慎重に。
     けれど、子供用のコーナーには、そんな望みを叶えてくれる、メガネのフレームは一つもなかった。
     おそらく私の顔に、ありありと失望の色が浮かんでいたのだろう。
     女性店員が助け舟を出してきた。
     「お客様の場合は、お顔が丸くて幅がありますし、大人用のフレームで問題無いかと思います。」
     その言葉が、苦し紛れの営業トークと、私が気付くはずもない。
     それは深い緑色の、光沢のあるフレームだった。これしかないと私は思った。そのフレームは大人用の棚にあって、特別な存在感を放っていた。
     「あれにする!」
     私は思いっきり腕を伸ばして、そのフレームを指定した。
     「みゆる。それはちょっと大きすぎないかなぁ・・・?」
     「みゆちゃん、そのフレームは細くて、壊れやすそうじゃない?」
     「これにレンズを入れたら重くなりそうだけど・・・?」
     やんわりと私の選択を否定する両親。どうして、どうして私の希望を聞いてくれないの?私がこんなに全てをかけているっていうのに?
     気持ちの小ささから、プルプルと震えだした私を見かねて、結局お母さんが折れてくれた。
     「まぁ、みゆちゃんがそういうならねぇ。」
     私は自尊心をようやく保って、レンズの度数を合わせていた。これで私は変われるんだと、淡い期待に胸を膨らませながら。

     1週間後に、私はお母さんを恨むことになった。
     どうしてこれは似合わないと、はっきり言ってくれなかったのか。
     お店に行って、新しい眼鏡をつけて鏡を見た。
     私の目は眼鏡が大きくなった分、以前よりもずっと大きくなって見えていた。自分が何をしたのか、この時に気が付いた。恥ずかしさで消えてしまいたいと思った。そしてあれだけ駄々をこねて買ってもらった眼鏡は、もう買い替えてはもらえない。
     自分の見た目に期待することは、金輪際しないと心に誓った。

     「みゆる、それ新しい眼鏡?」
     そう聞いてきたのは、小さい頃から隣りに住んでいる、私のたった1人の友達のゆいだった。
     「あれぇ、なんで?」
     ゆいは私と向き合って、眉間にしわを寄せた。それから席を離れて戻ってくる。
     「結構いいねー。頭よさそうに見える。」
     冗談かと思った。でもゆいは真面目にいっている。そして、私の正面に来て顔をのぞき込み、今度は笑いをこらえているのだ。
     要するに、正面から見ると瞳と顔のバランスが異常に悪く、それさえ見えなければ、この深緑のフレームは割といい感じだという。

     そんな私は学級副委員をやることになった。
     委員長はフウカさん。もう1人の副委員はアキノ君。フウカさんは女子の間で憧れの美人で、男の子からもとっても人気があった。友達も大勢いて、いつもその中心で行動力を発揮している。アキノ君はちょっと斜に構えたところがかっこよく、反面とても優しいと評判だ。
     私達3人は、クラスで上がった問題を、学級委員らしく解決するために、職員室にいる担任のフカボリ先生のところに交渉をしに行った。
     それはとても些細な問題で、外掃除当番と中掃除当番を、月決めで替えていこうという提案だった。それまでは1回当番が決まってしまうと、1年間同じ場所になっていた。中当番は水拭き掃除があり、冬は手が冷たくなって不満が噴出する。公平性を考えれば、月ごとに交代した方がいいに決まっている。
     3人とも、誰もこの案が反対されるとは思っていなかった。
     けれど、私達の話を聞いたフカボリ先生の答えはたった一言だった。
     「いやだ。」

     職員室を出て、すぐ隣の階段を上りながら、フウカさんは怒鳴り散らしていた。
     「大人でしょ、先生だよね?それがなに。・・・いやだ、ってなに?子供なの?信じられないっ!」
     「フウカさん、聞こえるよ。」
     「聞かせているのっ。」
     そのつもりだろうってことは分かった。それにしてもフカボリ先生の答えは、ちょっと変だ。きっと何か理由が・・・。
     「蒼井さんは、どう思うの?」
     突然アキノ君が私の顔をのぞき込んできた。私はとっさにうつむいて顔を背けた。正面から顔を見られたような気がして、真っ赤になってしまった。
     「どうって・・・、たぶん何か理由が・・・・・。」
     そう答えてからはっとして、フウカさんを見た。案の定、非難とも嫉妬とも思える視線が、私の方に向けられていた。もちろん私は、フウカさんがアキノ君に、好意を寄せていることは分かってる。顔を赤らめてしまったことは大失態だ。
     「そうだよね。僕も理由があると思うよ。」
     「そんなのあるわけないじゃない!向こうがその気ならこっちにも考えがある。もう絶対口きかない。あんなバカ先生とまともに話す必要ある?あーやめやめ。交渉決裂。もう2度とあんなバカのところに行かない。」
     まくしたてながら、視線はアキノ君の方をちらちら覗き見ている。
     なのにアキノ君は私の方ばかり見ている。
     どうしてこの子は気が付かないの?ひょっとしてこの子はただ優しいというだけで、女の子の気持ちの機微を、これっぽっちも理解しないタイプなのでは?
     アキノ君。あなたはほんの一瞬でいいから、フウカさんに同意してあげればいいの。そしたら彼女はすぐに態度を変えるんだから・・・。
     「ちょっと黙って、委員長。僕は今、蒼井さんと話してるんだから。」
     廊下を歩く3人の足音が、一つしなくなったことに気が付いた。
     私はアキノ君を振り落とすべく、早足で廊下を進んだ。
     この2人と関係を持ち続けたら、ろくなことにならないだろう。
     「僕はね。思うんだけど。フカボリ先生は、僕達を試してるんじゃないかな。」
     すたすた。
     「もう一度ね、問題点をはっきりさせて説明すれば、きっとわかったって言うと思うんだ。」
     すたすたすた。
     「その期待にね、僕たちは応える必要があるよね。」
     スタスタスタスタ。
     「だから明日の朝、もう一回職員室に行こうよ。」
     ああそうだ。アキノ君の言っていることが正解だ。一緒に早歩きをしながら、アキノ君は私の顔をのぞき込んで、話し続けている。私は勇気を振り絞って、ピタリと止まり、アキノ君を見上げて面と向かった。
     ビン底メガネの奥の巨大な瞳。グレム・・・なんとかってやつにそっくりな、私の顔を見て笑ってくれていい。
     「それ。フウカさんに言ってあげて。」
     そうしたらアキノ君はあろうことか、私の眼鏡を両手ではずして、優しくこう言った。
     「蒼井さんは、もっと自分に自信を持った方が、いいんじゃないかな。」
     そんな言葉を聞いて、私は驚きとともにアキノ君を見つめ、戸惑いながらも疑いを確信にかえてくれることを期待して、こうつぶやく・・・・・必要はなかった。
     「アキノ君・・・。もしかして、こんな私のことが?」
     なぜならアキノ君は・・・以下略。
     私は眼鏡を取り返し、全力で走って2人から逃げた。

     そうやってその場しのぎをしたところで、結局私達は学級委員だった。事あるごとに3人で集まった。その度に私は居心地の悪さを感じることになった。アキノ君は無神経に私に近づき、フウカさんは息苦しそうな視線をアキノ君に向けたり、私を視線で射抜いたりしていた。

     私はその状況を打開するべく考えて、2人と話をするときは、面と向かって見つめ合うことにした。
     無神経でも嫉妬深くても、基本的に2人は善人だった。
     私の醜い顔を真っ向から見ても、それは本質とは関係がない。そんな態度を通していた。2人に自分たちが悪人であるという意識を植え付けるのは、容易な事ではなかった。根気よくそれを続け、私の顔を正面から見た後に、顔を背けてくれ始めたのは、小学校ももう卒業という頃だった。
     つまるところ、私の努力はまったく意味がなかったというわけ。
     結局私は、私には何の原因もない3角関係にからめとられて、最後の小学校生活を送る羽目になった。
     ところでもし2人が私の正面顔を見て、ゆいみたくクスって笑ってくれていたら、私は2人と友達になってもいいかなって思っていただろう。

     人間関係は多少複雑になってきたけれど、恋愛に関してはなんの経験もなく、それどころか未経験であるという認識さえもない、白紙の状態のまま私は小学校を卒業した。


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    ◇1 さとみの記憶 白い世界、声
    ◇2 幼小期 小学校(本文)
    ◇3 中学校
    ◇4 リスタート
    ◇5 さとみの記憶 出会い
    ◇6 すべてが変わる
    ◇7 私のその人(未確認)
    ◇8 長い午後① 保健室
    ◇9 長い午後② 授業中
    ◇10 長い午後③ 邂逅、疑いあり
    ◇11 長い午後④ 抱き枕記念日
    ◇12 さとみの記憶  後悔、決意
    ◇13 悪戯
    つづく

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    スキルス胃がんのステージ4と診断された妻は、1年と2か月の通院生活を終えて他界してしまいました。これは2人で考え2人で悩み2人で遊び、2人で夢を見続けた、―妻の言葉を借りれば「キラキラしていた」―日々を記した日記です。誰かの励みになってくれればと思います。

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