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Time after time―蒼井みゆるのさとみの記憶 ◇3 中学校

    ◇3 中学校

     私は中学生になった。
     動物は学習する生き物だ。そして私はヒト科の動物だ。ゆえに、小学校の学級委員の経験から私は学習していた。

     その内容は二つある。
     女の子の知り合いは、誰かの事が好きとか嫌いとかいう関係では、猜疑心が強くなるということ。私がアキノ君に気があるのじゃないかと、フウカさんは目の敵のように見てきた。
     もう一つは、男の子はフウカさんみたいな美人の才女よりも、私のように、ちょっとどこか抜けている子の方が、本人の意思に関係なく、どうにでもなると思って絡んでくるのだということ。まさにアキノ君がそのタイプだったと思う。

     でもその対応策は一つで足りる。
     嘘でもいいから、憧れの男の子を持つこと。
     アキノ君以外の好きな人がいるとフウカさんが知っていれば、私に矛先を向けなかっただろうし、アキノ君だって、私を見くびって絡んできたりしなかっただろう。

     中学校の3年間を通して、私は演じ続けた。

     私は、同級生のサトシ君の事が好き。
     サトシ君は学年で人気が・・・そう、5番目くらい。女の子たちの密かな人気投票で、ランキングには入らないけれど、時々名前が出てくるくらいのポジションだ。控えめで内気な私が、精一杯背伸びをして、何とか射程に収められるくらいの男の子。
     そういう設定。

     加えてサトシ君には、密かに好きな子がいることを私は知っている。
     小学校の時の委員長、フウカさんだ。
     地方都市の中学校なんて、小学校からのエスカレーターでそうそうメンツは変わらない。ただアキノ君が私立の中学校へ行ってしまったことで、フウカさんは宙ぶらりんになってしまって、失意の彼女の心を誰がとらえるか話題になっている。そんなフウカさんを、小学校の頃から静かな眼差しで追っていたのがサトシ君だった。いつも学級委員で一緒にいたから、押し殺されたその視線から、生半可な気持ちでないことは分かっていた。

     つまりサトシ君は私にとって、完璧な安パイだった。
     ちなみに安パイって、別にエッチな言葉じゃないよね?

     なんの思い入れもない分、私はペルソナ創りに冷静で、それは説得力があり技巧的で、ブレのない完璧なものに仕上がっていた。
     「みゆるはサトシ君でしょ?」
     「やだ、名前を言わないで。」
     「いいじゃん。・・・でも、かなわぬ恋なんだよねぇ。」
     「うん。」
     「あ、私サトシ君にみゆるのこと聞いて・・・。」
     「止めて、そういうの。私はこのままでいいんだから。リイナこそヒノキ君に早くアプローチしないと誰かに持ってかれるよ。」
     「そうかも。ね、どんなふうにしたらいいと思う?」
     こと、男の子関係の会話は、こんな風にどうでもいい調子でやり過ごすことができていた。
     
     「やっぱり。みゆるは眼鏡がないとかわいいよね。」
     中学生になって、矯正眼鏡をする必要がなくなった私のことを、ゆいが時々褒めてくれる。
     それはうれしい。
     けれど私の意識は、依然として小学校のビン底メガネのまま。
     容姿への期待値は0だった。

     なら私は何もかもをあきらめていたのかというと、そんなことはまったくない。
     私には、いつかその人が現れる。
     男の子との関係において、私の人生はそこからしか始まらない。
     その人に会えば、世界が輝きはじめるという。
     だったら確認方法は簡単だ。

     その人に会えばいい。

     中学生になったからといっても発想は単純。私と同じ小学校から上がってきた顔見知りを除いて、新たに中学校の生徒になった男の子に、私は1人ずつ挨拶をすることにした。
     こんな風に。

     「ね、サイトウ君ってさ、小学校は1小じゃなかったよね。なんで1中に来たの?」
     「えーっと、僕はお父さんが丁度転勤になって、引っ越してきたんだ。」
     この時点でサイトウ君がその人でないことは分かっている。けれどここで話を中断する必要もない。
     「じゃ、前はどこに住んでいたの?」
     「北海道なんだ。」
     「え?じゃ、スキーとかできるの?」
     「うん。体育の時間にスキーをするからね。できない子はいないよ。」
     「えー、すごい。雪ってどのくらい積もるの?」
     そんな会話をしていると、自然とサイトウ君を中心に人だかりができてくる。私はそのあたりでそこから去っていけばいい。

     男の子だけというのは誤解を生みそうだったから、同じような女の子にも挨拶をして回った。
     女の子の時はより簡単。ゆいがついてくるからだ。
     きっかけのセリフも使いまわしですんだ。

     「マリノさんって1小じゃなかったよね。」
     「私は2小だったけど、家のあるところは学区の境界にあるみたいで。小学校は2小でも中学は1中になるんだって。お姉ちゃんも同じだった。」
     女の子の場合、私の会話はそこまで。
     そこから先はゆいが会話を弾ませていく。
     「2中ってー、海の方でしょ。どのあたり?」
     「遊歩道沿いだよ。線路跡の。」
     「港の方?」
     「あっちは漁師が住んでることが多いかな。うちのお父さん普通にサラリーマンだし。もっと街の方。」
     会話を続けていると、やっぱりマリノさんのまわりに人だかりができて・・・。
     そうやって私は、新たにこの学区に入ってきた、新顔の生徒1人1人に声をかけてまわり、結局この中学校に私のその人はいないことを理解した。

     「あぁ。いなかった。」
     「みゆる?まだ2年と3年がいるよね。」
     ゆいの言う通り。
     私のその人が、同級生だって決まっているわけじゃない。
     けれど用もないのに、2年生や3年生に声をかけまくるなんて、できるわけがない。
     その方面に関しては、ただ待っていればいいだろうと思っていた。

     そんな時だった。
     ゆいが私の教室にやってきて耳打ちしてくる。
     「3年生が、みゆるの事探してる。」
     「?」
     「さっきB組に来てたから、すぐにD組にも来るよ。」
     「えっと・・・」
     ゆいが閉めた教室の扉が再び開いた。そのとたんに、教室のざわめきがピタリとやんだ。
     入ってきたのは男子と女子の3年生2人。声変りをしたよく通る男子生徒の声が、教室に響き渡った。
     「蒼井みゆるは、このクラスにいる?ここだと聞いたけど。」
     ”どうするの?”
     ゆいが目線で聞いてくるけど、答えようがない。私はゆっくりと手を上げた。心臓は宇宙の始まりくらい小さくなっていた。
     「君か。」
     値踏みするような視線が絡んできた。
     「放課後、生徒会室に来てくれるかな。」
     「・・・はい。」
     消え入るような返事はそれでも聞こえたらしい。そのまま男の人は教室を出ていった。
     「じゃ、待ってるから。」
     女の人の方は、教室から出ていくときに振り返って、薄笑みを浮かべていた。
     静まり返った教室にひそひそ声が聞こえ始めた。
     「みゆる、大丈夫ー?ひとりで行ける?私も一緒に行こうっか?」
     「い、いいよ、いいよ。悪いって。迷惑でしょ?だって私だけ呼ばれたんだし、一人で行けるからさ。ゆいは放課後は・・・、自分のことして。」
     「んーまぁ、そのつもりだけどー・・・。ほんとに大丈夫?」
     私はプルプルと震えだしていた。
     大丈夫なわけない。ゆいなんてもう友達じゃない、友達じゃない、友達じゃ・・・・・。
     「んあー分かった。私も一緒に行く。いくからさー・・・ちょっと!鍋島君も一緒に来るでしょ?」
     鍋島君は、私達と小学校が一緒だったから顔見知りだった。でも声をかけられたのは、たまたまその時にゆいの隣にいたからだ。
     「え、なんで俺が。」
     「みゆると私の2人だけで行かせるつもり?男の子だよね?」
     「ま、まぁいいけど。」
     鍋島君は、ゆいの隣にいた男の子というだけで、私達についてくることになった。

     放課後、教室に残っていた私はちびっていた。鍋島君が同じように、教室に残ってくれていたのが救いだった。すぐにゆいも教室にやってきた。
     「じゃ、行こうか。」
     1年生が4人ほど廊下にいて、生徒会室へ行こうとすると後をついてきた。
     「僕達、蒼井さんが呼び出されたって聞いて・・・、一緒に行きます。」
     それは北海道のサイトウ君と、2小のマリノさんとその他2名だった。
     「なんでー?」
     素っ気なく、ゆいが聞いた答えはこんなところ。
     知り合いの一人もいない中学で、蒼井さんに声をかけてもらって、打ち解けることができた。だから蒼井さんがピンチなら手助けしたい。
     それを聞いた私は、緊張から完全に的外れな答えをしていた。
     「あぁそうなんだぁ。そっかそっか。それはよかったね。」

     生徒会室の扉は閉まっていた。私とゆいと鍋島君が、その引き戸の前で横並びになって立った。数分が過ぎ、私はこれで生徒会室には来たんだから、このまま帰ってもいいのじゃないかと考え始めていた。
     その時、ゆいが行動に出た。
     「お前がー、中に入れ。」
     低く脅すような声だ。ゆいは鍋島君の制服の襟をつかんで、扉を半開きにして生徒会室に押し込んだ。私達は廊下の外から中の様子に聞き耳をたてた。
     中から声が漏れ聞こえてくる。
     「誰だ。・・・お前1年か。」
     「用があるなら、声をかけてから入って来いよ。で?」
     「あっ、はいっ。放課後に、生徒会室に来いって言われたものですから。」
     「それで君は?」
     女の人の声だ。
     「はい、鍋島ゆうたです。」
     「だって。誰か呼んだ?」
     沈黙の後、鍋島君の声。
     「えっと、呼ばれたのは僕じゃなくて。蒼井さんって女の子です。」
     「アオイ・・・。あぁ、それで・・・どうして君が?」
     突然後ろで声がした。
     「ああ、もうなにやってんの。」
     マリノさんだった。彼女は生徒会室の扉をガラッとあけて、中に入っていった。私とゆいが聞き耳を立てていたのが、中から丸見えになったはず。
     「あのさ、お姉ちゃんが蒼井さんをここに呼んだんでしょ?理由を伝えてないから何事だってみんな思ってんの!」
     お姉ちゃん?
     生徒会室の中が少しざわついた。廊下もそれぞれ顔を見合わせた。
     「ああ、この子は私の妹。」
     会長の妹さん・・・。生徒会室の中が少し静かになった。
     「それで、どうしてマリノがここにいるの?」
     「それは、お姉ちゃんが、蒼井さんを呼び出した理由がわからないから。変な言いがかりをつかるようだったら、やめろって言いに来たの。」
     マリノさんのお姉さんは、鍋島君と私とゆいを見た。それから廊下の3人の事も。
     「じゃ廊下のおまけも、みんなそういうこと?」
     「そういうこと。」
     するとマリノのお姉さんは振り返って、生徒会室の中の生徒たちに聞いた。
     「丁度7人じゃない。この子達でいいよね?1年の学年委員は。」
     異議なし、という声が6つ聞こえた。
     私は生徒会室前の廊下で、ぼっ立ちのまま学年委員長になった。

     なんでも学年委員になるにはその効力の強い順に、任命、立候補・推薦となっているそうだ。そして今回は、任命による学年委員の決定となったということ。
     要するに、私のその人探しは、学区外から入ってきた生徒が、この学校に溶け込む事に貢献した、という評価を得ていたのでした。
     鍋島君はたまたま私達の隣にいたというだけで、学年副委員になった。

     中学1年生は成長期の真っただ中にある。その時期にふさわしく、私の脳の神経回路は成長を続け、一見関係のない異なる事象を不意に結び付けた。
     この立場は使える。

     学年委員活動と私のその人探しは、利害の一致をみた。

     私は事あるごとに2年生・3年生の学年委員に会いに、適当な用事を見つけては出かけて行った。2年か3年生にその人がいるのかどうかを確かめるために。
     その作業は思いのほか時間がかかった。休み時間や放課後にそのクラスへ行っても、クラスの全員が揃っているわけじゃない。何度も何度も足を運ぶ必要があった。そういう時、私は深緑の眼鏡をかけていった。矯正が終了したとはいえ、眼鏡をかけていた方がよく見える。その眼鏡が放つ理知的な印象も手伝ってか、1年生も終わりの頃には、私はこの学校で誰もが認める、学年委員活動に勤勉な生徒、ということになっていた。
     そんな評価を得たころに、ようやく2年生と3年生の検分が終わった。
     結局、私のその人はいなかった。

     2年生になって、私は再び生徒会から学年委員の任命を受けた。謙虚に快諾した。そして1年生の教室に、学年委員の用事を理由に入り浸り、そしてその人はいないことを確認した。
     3年生になって生徒会長に推薦され、立候補の3名と選挙で戦って圧勝した。これも日頃の地道な活動のたまものだった。その立場を利用して、新1年生の教室にしばしば通い、学区外生徒に優しく声をかけながら、男子生徒全員をチェックした。やはりというべきか、そこにも私のその人はいなかった。

     中学生が終わるまで、私の恋愛はスタートしないことが確定となった。
     物心ついてからこれまで、まったく手つかずな恋愛感情は、何も描かれないキャンバスの様に真っ白なまま・・・。
     というわけでもなかった。
     私の設定したペルソナは、しっかり恋愛代行をおこなっていた。
     そう。
     私は人気投票5番目くらいのサトシ君に、密かに叶わぬ恋心を寄せる女子中学生。
     けれどそれを設定したのは、私が学年委員なんかに任命されるちょっと前。
     今では生徒会長になった私の恋愛事情は、その頃から比べると少し厄介なことになっている。

     こんな事を、まわりの女の子たちがささやきだしていた。
     「もう、みゆるの方から、サトシ君にアプローチしたら大丈夫だって。」
     「そうだよ、あいつって結構気が弱そうだし、押しにも弱そうだしさ。みゆるが自信を持っていけば絶対だって。」
     そんな無責任な言葉に、こんな風に答えたら真実味が薄い。
     今やこの学校での私の知名度は、相当なものになってしまっている。
     「無理だよぅ。私のことなんて名前も知らないに決まってる。」
     私は恋愛トラブルを避けたいあまり、私のペルソナには完璧さを求めていた。
     「そんなことはないと思うけど・・・。でも、もしそうするんだったら、その時は自分で決めるから。」
     そのくらいの気構えを見せておく方が、真実味があるというものだ。

     真実味という観点からすれば、私は自分の部屋で試していることがあった。なんでもベッドに横になって、抱き枕をぎゅっと抱きしめ、憧れの男の子を思うだけで、胸のあたりが締め付けられるように苦しいのだとか。何度か試みたけれど、そんな現象は確認できなかった。それもそのはずだ。私はサトシ君にはなんの思い入れもないのだから。
     ふと思いついた。仮想人格ならばどうだろう。
     3年間、サトシ君を思い続けた、私のペルソナに身を任せてみたらどうなんだろう。
     そうしてみると、一瞬その仮面は生気を帯びて、私の胸のあたりがほんの少しだけ、とぅんくってなった。
     あぁ、こういうことなのかもしれない。
     自分事とは思えなかったけれど、なんとなく雰囲気だけは感じられた。

     ペルソナに任せた恋愛事情は、少し複雑になっていたけれど、それをより複雑にしていたのが、生徒会副会長のフウカさんだった。
     そう。フウカさんは私が小学校の時の学級委員長。中学3年で生徒会長に立候補して、選挙で私に大差で敗れたものの、2位だったフウカさんは副会長をやっている。
     これまで私は、演じていた割にサトシ君の事を見てこなかった。どうしてかといえば、私の視線を感じて、サトシ君の方からこんな風に言われては困ってしまう。
     「蒼井さん。僕は君の気持ちには応えられないんだ。」
     そうなったら、私は新たな思い人を探さなければならなくなる。もちろんそれは説得力のある人でなければならない。新たにそんな人を探すのは大変に面倒くさい。だからサトシ君に、私はほとんど注意を払ってはいなかった。
     けれど、課外活動でフウカさんと一緒にいると、サトシ君の視線が気になり始めた。それは控えめでありながら思いを感じさせる視線だった。

     そうだったんだ。やっぱりサトシ君はフウカさんを・・・。
     私はサトシ君のひたむきさに感心した。
     小学校のころは、アキノ君に阻まれていたその想いが、ようやく実を結ぶかもしれない。小学校からだから、少なくとも4年以上は思い続けていることになる。
     さすがに私も、フウカさんにひと言くらいは聞いてみたくなった。
     サトシ君をどう思っているのかについて。

     その時私達は3年生の冬休みを間近にしていた。
     そう。中学生生活で最後のクリスマス。大晦日。そして年越し元旦初詣。それらのイベントが控えている。恋する男女で期待に胸を膨らませない人はいない、というくらいの事はわかる。サトシ君の恋が実るのなら、橋渡しくらいはしてもいいかなって思っていた。
     「ね、フウカさんはサトシ君の事どう思っているの?」
     私はさりげなく聞く方法を思いつけなかったので、単刀直入に聞いた。
     「サトシ・・・。あっ、私、彼の事はなんとも思ってない。確約する。本当の本当だからね、蒼井さん。」
     あぁ、かわいそうなサトシ君。見事にフラれてしまいました。
     でもこれで私は、余計なお世話を焼く必要もなくなり、さっぱりした気分だ。
     すると、フウカさんの方から聞いてきた。
     「蒼井さんはどうなの?」
     そう。私の恋心のうわさは、私が意図してさり気なく流しているものだ。生徒会活動以外はほとんど関係を持たないフウカさんも、そのことを知っているのは想定内だ。
     「そういう気持ちになったら、自分で言うからいいの。気にしないで。」
     あらかじめ用意していたセリフ。すると予想外の答えが返って来た。
     「私が言いたいのはサトシ君の方。謙虚になるのもほどほどにしなさいよ。」

     その言葉の意味については、まったく心当たりがなかった。それを本当に私が理解したのは、短い3学期もそろそろ終わろうかという頃のこと。
     高校の合格発表を受け、誰もがこれから始まる新しい世界へ、期待に胸をふくらませていたり、失意の中で自分の運命をかみしめている時だった。
     教室に戻った私は、机の上に置いたノートの下からメモ書きを発見した。
     一か八かで受けた、県立の進学校に合格した私は浮かれきっていて、迂闊にもそのメモを、みんながいる前で開いてしまった。

     『今日の放課後、体育館北まで来てください。待っています。』

     それはサトシ君からのものだった。なんだか嫌な予感がした。
     「蒼井さん、これって・・・?」
     冷やかしの歓声が、その時に側にいた2人から沸き上がって、慌てて私はそれを沈めた。
     「ちょっと待って。これは、フウカさんへの取次ぎの頼みごとだと思う。」
     騒がしい中での会話だったから、私の声も大きかったのだろう。私のその言葉をフウカさんが聞きつけて、つかつかと歩み寄ってきた。
     「ちょっと、蒼井さん。本当にそう思ってるの?あなたはその眼鏡をつけたり外したり、視点が定まっていなかったから、分からなかったのかもしれないけど。サトシ君はいつもあなたの事ばかり見てたじゃないの。はっきりさせてきなさいよ。」
     ひょっとしてという可能性。私が意識から遠ざけて、無意識領域に封印していたことを、フウカさんが言葉にしてしまった。
     「う、嘘だよね?・・・でも生徒会室に来て、フウカさんとサトシ君は、仲良くしゃべって・・・。」
     「しゃべっていたのはあなたの事。彼も本当にまどろっこしいったら。黙っててくれっていうからそうしていたの。ほんとうによかったじゃない。これで晴れて両想いなんだから、最高の卒業式になるんじゃない?」
     そんなフウカさんの話を、一緒にいた2人も聞いてしまった。
     「え?」
     「本当?やったね、みゆる!」
     完全に外堀が埋まってしまった。

     そう気づいた瞬間、私は自分のペルソナが、生々しく生気を帯びてくるのを感じた。
     そう、私は3年間サトシ君を思い続けた女の子。卒業を前に告白を受けて、その恋の成就に身をゆだねればいい。そうすれば、私達は両想いのカップル。小学校から中学3年まで一途に思ってくれている男の子なら、この先だってずっと私の事を大切にしてくれるに違いない。そうだ。私はこの時点で将来の伴侶を決めることができる。たった1度のスタートがゴールを約束してくれている。私のその人はいなかったことにして、おぼろげな記憶もなかったことにして、今ここにいるサトシ君に、Yesって小さな声で囁けばいい・・・、とは考えなかった。
     私は、”その人”教のもっとも敬虔なる信者だった。こんな邪悪な仮面に、人格を乗っ取られるわけにはいかない。悪魔祓いの儀式さえ必要はない。真の信者は、疑いというものを持つことがないのだから。
     「えっと。私、別にサトシ君に用はないから。」
     さすがにフウカさんには、聞かせられないセリフだったので、その時にいた2人だけになってから言い放った。
     「ええと?」
     「どういうこと?」
     「こういうことなの。」
     私はそのメモ書きを折り畳み、さらに折り、そしてさらに2回折りたたんで、ゴミ箱にその小さな塊を放り投げた。気の小さ過ぎる私には、私の心情を説明して、理解してもらえるとはとても思えなかった。この状況から逃げるために、そのメモをなかったことにするために、ゴミ箱に捨て去るくらいしか思いつくことができなかった。

     それから卒業までの2週間、私は命の危険を感じていた。
     休み時間に席を離れると、椅子には画鋲が置かれていた。朝、学校へ来ると机に彫り込みがされている。
     『蒼井 死』
     私は授業やHR以外の時間は、ゆいのいる教室へ素早く移動して、ゆいとだけ目を合わせて話し込んだ。誰が自分に恨みを抱いているかなんて、恐ろしすぎて知りたくなかった。幸い、ゆいも同じ高校へ行くことになっていた。その会話の世界以外は、絶対にまわりを見ないようにしていた。

     考えてみればサトシ君は、学年で5番目に人気がある男の子。
     わざわざスーパーメジャーを相手にせず、そのあたりを狙う女の子はコアなファンが多かった。
     文学でいえば太宰あたりのポジションか。
     そんなサトシ君を弄んだ形になった私は、さしずめ人間失格をコメディじゃね?と言い放った輩のように、抹殺されるべき存在として、彼女達の標的になってしまったってわけ。

     それが卒業間近の出来事で、本当に助かったと思う。もしもそんなことが2年生の終わりだったら、私は登校拒否になっていたかもしれない。

     私は何とか最悪の2週間をやり過ごした。
     そしてその状況は、卒業式がリセットしてくれた。


     私は高校生になった。

     入学式で私がしたのは、中学校の時に、サトシ君に思いを寄せていた女の子のチェックだった。幸いにもそんな女の子は誰もいなかった。サトシ君本人もいなかった。

     これでこの問題には、きれいさっぱり片が付いた。


     一説によれば、高校生くらいになると、中学生よりも学習曲線は下降しているらしい。そのかわり、総合的な判断力が芽生えてくるのだとか。

     そんな年齢にふさわしく、私も少し思慮深くなった。私のまわりの人間関係を形作るために、短絡的にペルソナをこしらえてやり過ごすようなことは、自分のためにならないと判断した。

     私は自分に正直になって、ありのままを受け入れようと思う。

     私は、私のその人が、いつか自分の前に現れることを信じている女の子。

     それで?
     そう。
     それだけだ。

     それをひた隠しにする必要も、誇示する必要もない。
     私はただ、これから現れるであろう、その人を待っている。
     私はその時のために、心の邪念を捨て、その運命を受け入れる用意をしておけばいい。

     そういうこと。

     私のその人はきっと現れる。

     大丈夫。
     大丈夫っていうんだから・・・、大丈夫。

     ・・・・・だよね?


    ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

    ◇1 さとみの記憶 白い世界、声
    ◇2 幼小期 小学校
    ◇3 中学校(本文)
    ◇4 リスタート
    ◇5 さとみの記憶 出会い
    ◇6 すべてが変わる
    ◇7 私のその人(未確認)
    ◇8 長い午後① 保健室
    ◇9 長い午後② 授業中
    ◇10 長い午後③ 邂逅、疑いあり
    ◇11 長い午後④ 抱き枕記念日
    ◇12 さとみの記憶  後悔、決意
    ◇13 悪戯
    つづく

    ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


     
     
    スキルス胃がんのステージ4と診断された妻は、1年と2か月の通院生活を終えて他界してしまいました。これは2人で考え2人で悩み2人で遊び、2人で夢を見続けた、―妻の言葉を借りれば「キラキラしていた」―日々を記した日記です。誰かの励みになってくれればと思います。

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