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Time after time―蒼井みゆるのさとみの記憶 ◇4 リスタート

    ◇4 リスタート

     県立香陵高等学校の、古めかしい廊下を私は歩いている。

     この高校の旧校舎は、木造で文化財的な古び方だ。
     鴬張りのような趣向でもないのに、歩くたびに床の羽目板がこすれてぎしぎしと鳴る。集団で移動するときは、床がたわんでいるのじゃないかと心配になる。
     この旧校舎には不文律がある。
     『廊下は絶対に走ってはいけない。』
     というのは、木造の廊下のところどころに打たれている隠し釘が、きしみの繰り返しで頭を出し、転んで滑った生徒が、二の腕を十数針も縫う怪我をしたのだとか。

     遥か昔に持ち上がった、市内中心部からの移転計画に、当時の教員生徒が猛反対して、立てこもり事件があったのは、地元では有名な話。時を経て、市街地に残った旧校舎の意義性などが見直されて、今に至っている。明治時代に建てられたというこの旧校舎は、戦争でこの辺りが焼け野原になっても、広い敷地のなかにぽつんと残っていた。立てこもり事件以降の伝統は、教員生徒が一丸となっての清掃だ。廊下も壁も、天井も窓枠も、すべての木組は長年のメンテナンスでてかてか光ってる。

     廊下を歩くと、カタカタと音を立てる教室側の窓ガラスは、腰から天井近くまで細い木枠にはまっている。一枚一枚は薄っぺらくて指で押しただけで割れそうだ。そのガラスは厚みが均等じゃない。だから、そこから教室を覗くと風景が歪んで見える。そのおかげで教室は、今の時代から取り残されたように感じられる。そこがとてもいい。はかまを着て登校したくなってしまう。このガラスについては、入学のオリエンテーションで説明があった。製造者が限られていて、割ってしまうと納期もコストもかかるから、絶対に割らないようにということだ。変質的なこだわりだと思うけれど、こんな校風は嫌いじゃない。

     昔は風情があったといわれた外壁の連装窓は、耐震改修のおかげで、1スパンごとに半分づつ壁に埋もれてしまっている。地震対策だから仕方がないとはいえ、歩いていると、明暗のコントラストで眩暈がする。焦点が合いにくい私の目は、ダメージを受けてしまい、眼精疲労から頭痛を起こしそうだ。
     そんな廊下にできた新しい壁は、掲示板としての役割を今は担っている。
     そして、そこに現在貼り出されているものは、最初の中間テストのランキング。
     窓からの光を手のひらで遮り、いくつか掲示板をやり過ごして、私は目的の場所にたどり着いた。

     新入生の最初のテストで、一番点数の良かった数学は、一体どのくらいの順位なのか?
     そんな疑問が私をここにたどり着かせた。
     満点が2人、98点が7人。96点は5人、そして92点は4人。つまり92点を取った私の順位は15位だった。
     ランキングは、上位25名まで名前が掲示される。
     下のほうに、私の名前もしっかりあった。
     信じられないことだけれど、これは現実だ。
     誰にも悟られないように、スマホを取り出してシャッターを押す。こっそりSNSを見るふりをして写真を確かめた。私の名前が確認できた。
     滑り込みで入ったはずの、進学校の1回目のテストでランクイン。
     これは喜んでいい結果。
     だけれど、そこに限界も感じる。
     私のような、取り立てて頭の良くない生徒は、精一杯やってもこれが限界。この先どれだけ努力しても、これ以上にはなれそうもない。
     それが分かったってこと。

     この高校に入学して以来、勉強以外はなにもしてこなかった。全ての時間を勉強につぎ込んできた。それで一番できた数学が15位。それ以外はランク外。総合順位も知らされている。それは平均点をかなり下回っている。得点のブレが大きい数学で、たまたま高得点を取っているにもかかわらず、この成績。

     このささやかな成果を喜びの記念品として、自分の道に戻ろうと思う。
     私は受験で好成績を残す才能には、恵まれていない。
     だから勉強以外の活動で、高校生活を楽しむべき・・・。

     けれど、実際のところは、それよりもっと情けない理由で焦りを感じている。
     このままでは、友達が1人もできないかもしれない。

     廊下を歩いても、誰とも挨拶を交わさない。昼休みのお弁当は、一人で食べながら予習復習。休み時間も教科書を読み、放課後は誰にもさよならを告げずに、家に帰って勉強する。そんな生活を1か月以上も続けてきた。だから新しい友達どころか、知り合いさえ1人もできていない。中学が同じだった生徒以外、ほとんどが見知らぬ生徒。
     それが私の諦めの真相。

     入学したての高校。
     それは誰でも同じだったはず。でも多くの人が、気の合いそうな仲間を見つけてつるみだしてる。部活に入った人はグループになっている。廊下を通り過ぎていく女子の2人連れ。楽しそうな会話を弾ませている。今の私はといえば、一体どうやったら、誰かとあんな風に、仲良くすることができたんだっけ、って思ってる。

     私は人付き合いができないわけじゃない。
     けれどこれまでの私の行動は、周りの人にこんな印象を与えているんじゃない?
     あの子は勉強ばかりしている子。とっつきにくくて、なにを考えているのかわからない。私達とは1ミリも関係を持とうとも思っていない高慢な子。たいして勉強もできないのに、ポーズだけは勉強しているかっこ悪い子。
     そんな風に思われてしまったら、それがもう覆せないほど、みんなの心に固定されてしまったら?
     私はこのまま、勉強だけしている自分を演じ続けなければならなくなる。
     成績はついてこないのに。
     恐ろしい。

     誰かが、そんな私の心を見透かしている。
     そう思うと、横を向くのもためらわれて・・・。
     「やーっぱり、みゆるは・・・。」
     「うわぁぁ!・・・びっくりしたぁ。」
     絶叫に近かった。廊下にいた人がみんな振り向いてしまった。
     「ちょーっと、なに?」
     「な、何って、驚かさないでよ。」
     幼馴染のゆい。私の唯一の友達。
     「驚いたのはこっちなんだけどー?」
     「私は驚かせていないでしょ。ゆいが私を驚かせたから、いけないんだよ。」
     「どーゆー意味。」
     「だから、突然話しかけないでってこと。」
     「突然って・・・。じゃ、どーやって話しかければいいの?こんな風に小さな声で、・・・み・ゆ・る・・・・とか?」
     「最初に、顔を見せてくれればいい。」
     付き合いが長いだけあって、ゆいは私をイライラさせる方法をよく知ってる。ここでプルプル来たら、私の器が小さいって事を掘り起こしてきそうだ。
     「じゃ、次からはこーんな感じで行くね。」
     肩越しに、後ろからそっと顔を出してくる。
     「別にいいけど。」
     「でもさー、みゆるはやればできるんだね。すごいじゃん。」
     「えっと、これはかなりまぐれで・・・。」
     顔が近いなぁ。これは絡んできているときのやつ。
     「そんなことないでしょ?ずっと勉強してたよねー。だって毎日誰とも会話せずに、一心不乱に勉強してたよねー。私とも全然会話しないでずーっと勉強してたよねー。お昼ごはんさそって断られた時には、ほーんとびっくりしたんだけど?」
     私の肩に両手を置いてこないでよ・・・。
     あ、それはどうでもいい。
     今は、自分の無謀ぶりに感謝。
     私が、この高校を受けようと思った理由はただ一つ。
     ゆいが志望していた高校だったから。
     気の置けない友達といえば、私にはゆいしかいなかった。そして一緒の高校に進学できて、今ここでスキンシップを図ってきてくれている。
     今は、ゆいがの人間関係の命綱。
     ・・・そういえば何かの部活を、始めたって言ってたような?

     「・・・からずっとだもんね。気合の入れ方が違ってたっていうか、人って変わるもんだなーって。私はもう合格しただけで惚けちゃってさ、やばい。本当にやばいよー。伊達に進学率が高いわけじゃないんだってこの高校。それが本当によくわかったから・・・。」
     確かそんな部活があるんだって、なんでまたそんな部活はじめたんだって、不思議に思って・・・。
     「・・・だからもうちょっとね、真面目にやらないと。次のテストからはさ、得意科目くらいはランキングに入らないとまずいなーって・・・。」
     そうだ、思い出した。
     「ね、ゆいってフェンシング部に入ったんだよね?」
     「うん?入ったけども・・・。」
     「私も入る。」
     「え?」
     ・・・・・。
     この間をどうとらえるべき?
     「だから、私も入りたいってこと。」
     「いや、それはうれしいけど、一回誘ったら断ったよねー。」
     そうだっけ?
     「でも今は入りたいの。」
     別な理由から。友達のいない、知り合いさえ1人もできていない、この状況から逃れたいの。
     「んー、それはいいけど、大丈夫?フェンシング部って、華道部とかじゃないよ?運動部だよ?」
     「そんなこと分かってるよ。バカにしないで。」
     「それに、目が良くないとさー。マスケってかぶると見えづらいんだよね。」
     指を私の目の前で回さないでよ。
     「もう矯正は済んでるし。それに卓球部だったんだよ?目が悪いわけないじゃん。」
     「そうか。あの眼鏡が強烈だったからなぁ。」
     あー、やっぱりそんな風に思ってたんだ。
     「もうね、眼鏡はしなくていいの。ねぇ、一回誘ってくれたんだよね。どうして今ハードル上げてくるの?」
     だんだんイライラしてきた。ゆいは私の窮状を分かっていない。
     「えっと、今オリンピックで日本選手とか活躍してるでしょ?・・・だからかな。それに影響されているみたいで。でも思ってたより地味っていうか、1年の部員がもう3人も辞めちゃってて。イメージとのギャップが大きかったみたいでね。」
     フェンシング部に、どんなイメージを持って入っていくのか想像がつかない。
     「イメージって?」
     「ほら、綺麗な服着てキラキラーって。」
     「は?」
     意味が分からない。
     「そういう状況だし、大丈夫かなぁ。」
     「そういう状況って・・・。」
     どういう状況なのよ?
     「こんなすぐに辞めちゃう部活は、他にないみたいよ。なんか、悪い噂が立ってるらしい。」
     「どんな?」
     「んー。先輩のしごきがいじめに近いとか、コーチがセクハラ野郎だとか。」
     「それホント?」
     「本当だったら、私もやめてるかもねー。」
     「じゃ、なんで?」
     「んー、普通の競技と違うからかな。練習が独特っていうか、それを厳しいって感じるのかな?」
     「厳しいって、どのくらい?」
     「そんなに。テニス部とか空手とか、援団なんかに比べたらぜんぜん、ぜんぜん。」
     テニス部の、信じられないシゴキのことは聞いていた。なんでも朝夕の1回ずつ、10キロのランニングをしてから練習を始めるのだとか。普通に考えると、それで終わりなんだけど。
     「で、ゆいは続けるんでしょ?」
     「ん、まぁね。」
     その余裕を感じる応え方が許せない。それに何?そんなに部員がいないなら、私が入るって言ったら喜んでくれていいはずじゃない。別にいい。私はゆいには頼らない。
     「あのさ、私ゆいに誘われなくても入るから。」
     「え?今は誘ってないけど・・・。」
     「いいよもう。私は入るから。自分の意思で入るってこと。だからもういい。誘ってくれなくていい。」
     考えてみれば、部活をはじめれば知り合いだってできるはず。別に不愉快なくらい余裕を感じるゆいに、すがりつく必要は全然ない。
     「あぁ、そうなの。なら、一緒に来てくれれば先輩達に紹介する。すぐ入部はできると思うよ。」
     「そう。じゃ、お願い。」
     はじめっからそう言ってくれればいいのに・・・。
     「ほんと?うれしい!」
     「抱きつかないでっ。」
     嬉しいなら、どうして試すようなことを言うのよ・・・。
     「そしたら、放課後一緒に行こう。今日からでいいよね?」
     「うん。」
     「やった!みゆると一緒ならもう少し楽しくなるかも。これで新入部員も3人になるからね。」
     え?
     「ちょっと待って。」
     「何?」
     「今3人って。」
     「うん。今、新入部員は2人なの。私と矢本さん。矢本さんが無口でさ、はんのー薄いんだよね。」
     ということは、私が部活をはじめる事によって、新たに獲得できる知り合いは1人だけ・・・。えっとでも矢本さんってどこかで聞いた名前・・・。
     「でもさ、これであと1人入れば、団体戦に出られるよ。」
     ん?
     「エントリー4人だからね、団体戦は。やっぱり同級でチーム作りたいでしょ?」
     ということは。
     「私もメンバー?」
     「そりゃそうでしょーよ。」
     「で、でも私、初心者だよ?」
     「私もだよー。フェンシングの経験者なんてどこにもいないって。誰か知ってる?」
     「ううん。」
     「でしょ。」
     「そうなの・・・」。
     別に私は、部活を頑張ろうと思っているわけじゃない。レギュラーになって、シゴキ倒されるのが目的じゃない。
     「でもそんなに頑張ろうって思ってないし・・・。」
     「じゃ、何でフェンシング部に入ろうっていうの?」
     それはゆいが入っているからで・・・、いや違う。
     「それは、勉強だけしててもさ。あんまりおもしろくないっていうか。分かるでしょ?」
     「ぜーんぜん分からない。」
     あ、これは分かってるやつだ。だって不自然にしらっとしてるもん。
     「分からなくていいよ。ゆいと同じ部活じゃなきゃ、ダメだっていうわけでもないし!」
     「じゃ他の部活にする?」
     「そ、それもいいかもね。」
     「じゃあそういうことで、放課後は無しってことで・・・。」
     え、なんで。
     「あのさ、私は自分でフェンシング部にするって言ったよね?それでどうして放課後に紹介してくれる話がなくなるのっ。」
     「あれ、キレた?」
     「キレてません。」
     「まーでもあれだよ、てっきり私あれだと思って。」
     「あれって何よ。」
     「その人。」
     え。
     「フェンシング部にー、みゆるの王子様がいたのかなって。」
     そう。
     ゆいにだけは”その人”のことを話している。
     「それとは関係ないよ。もうそのことについてはさ。あれこれやっても無駄だと悟ったから。」
     「じゃあ、まだ出会ってないの。」
     「・・・うん。」
      「ふうん。そうなんだ。」
     「どうして嬉しそうな顔すんの?」
     「そりゃそうでしょ。その瞬間を私も共有したいからね。だって、ずっと前から思っているんだもんねー。」
     あ。それって、ちょっと嬉しい・・・。いやいや、絶対おちょくって来るに決まってる。
     「いつ会えるのかなぁ。おばあちゃんになってからだったら、感動的だよねー。一生分の思い。あぁ、やっとみゆるにも恋する時が。それを人生最後の楽しみにできるなんて。」
     ほら。
     「おばあちゃんになるまで、ゆいと友達でいるとは限りませんけどね。」
     「そだねー。・・・なら、今を楽しまないとね。」
     「それはそう。」
     「ね、フェンシング部って練習するとこがかわっててね。体育館が一望できるんだよ。ステージの上でさ・・・・・。」

     そういうわけで、私は高校生活をリスタートさせることにした。


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    ◇1 さとみの記憶 白い世界、声
    ◇2 幼小期 小学校
    ◇3 中学校
    ◇4 リスタート(本文)
    ◇5 さとみの記憶 出会い
    ◇6 すべてが変わる
    ◇7 私のその人(未確認)
    ◇8 長い午後① 保健室
    ◇9 長い午後② 授業中
    ◇10 長い午後③ 邂逅、疑いあり
    ◇11 長い午後④ 抱き枕記念日
    ◇12 さとみの記憶  後悔、決意
    ◇13 悪戯

    つづく

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    スキルス胃がんのステージ4と診断された妻は、1年と2か月の通院生活を終えて他界してしまいました。これは2人で考え2人で悩み2人で遊び、2人で夢を見続けた、―妻の言葉を借りれば「キラキラしていた」―日々を記した日記です。誰かの励みになってくれればと思います。

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