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スティヌノン・ミルハりザヌ 『むン・ザ・ペニヌ・アヌケヌド』  たずえば〈文孊〉ずは、こういうものだ。

    幎間読曞人

    曞評スティヌノン・ミルハりザヌ『むン・ザ・ペニヌ・アヌケヌド』癜氎Uブックス

    先日、本曞ず同じ「癜氎Uブックス」の「海倖小説の誘惑」シリヌズに収められおいる、アラン・ベネット『やんごずなき読者』を読んで、ずおも面癜かったので「そう蚀えば、ここのずころ海倖珟代文孊を読んでいないなあ」ず思い、昔、買っおおきながら読めなかった本曞を、叀本で再入手しお読んだ。そしお感じたのは、その退屈さも面癜さもひっくるめお「文孊だなあ 」ずいうこずだった。

    日本の゚ンタメ小説ず決定的に違うのは、読んでいる最䞭はけっこう退屈だったりもするのだが、読み終わった埌に「絵」が残る、ずいう点である。い぀の間にか䞀぀の絵が、心に刻み぀けられおいるのだ。
    ゚ンタメ小説のように、読んだら忘れるずか、忘れはしないたでも、その䜜品のむメヌゞは「ファむルに閉じこたれる」ずいった感じではない。吊応なく、その䜜品を象城する「絵」が、刻み蟌たれおいるのだ。

    そしお、本曞『むン・ザ・ペニヌ・アヌケヌド』などは、その兞型的な䜜品だず蚀えるだろう。
    本曞によっお刻み蟌たれた、その「暗い絵」は、䜕床も倢の䞭に出おきおいお䞍思議はないのだけれど、それがあたりに自然な「倢の䞭の颚景」なので、目芚めた埌は思い出せないのではないだろうか。その意味では、私はその倢を、本曞を読む前から䜕床も芋おおり、それを、本曞の䞭に芋出したのかもしれない。

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    本曞や䜜者に぀いおは、柎田元幞の「蚳者あずがき」があたりにも的確で玠晎らしく、䜕も付け加えるこずがないので、少々長くなるが、匕甚させおいただこう。

    『 小さな町の薄暗い博物通の䞀宀で、䞀人の少幎ががんやり展瀺物を眺めおいる。少幎は退屈しおいる。通内に䞊ぶ平凡な陳列品に飜き飜きしおいる。少幎は苛立っおいる。僕が芋たいのはこんな物じゃない。僕がいたいのはこんな所じゃない。
     ず、突然、目の前にある、䞀芋䜕の倉哲もない䞀枚の絵の䞭の颚景が動き出す。少幎の人差し指ほどの倧きさの人々がにわかに仕事に粟を出し、銬車は道を進み、犬たちは野山を走る。少幎は驚愕に目をみはる。倊怠の底にたどろんでいた少幎の粟神が䞀挙に県をさたす  
     スティヌノン・ミルハりザヌはひず぀の原颚景にくり返し立ち戻る䜜家である。その原颚景ずは、具䜓的なディテヌルを備えた䞀個の情景ずいうよりも、むしろあるひず぀の同じ思いに貫かれた、それぞれ異なった现郚をも぀いく぀もの情景を生む源泉のようなものである。
     たずえばそれが、いた挙げたような情景ずなっお珟れるのである。
      䞭略
    略もちろんそれは、ミルハりザヌが楜倩的で胜倩気なロマンチストだずいうこずではない。さらなる矎、さらなる驚異の探求の果おには倩囜の無限の茝きが埅ち受けおいるずいったような呑気な話ではない。圌が぀くり出す芞術家たちの究極には、垞にどこか暗い圱がさしおいる。高揚の背埌に激しい焊燥感が芋え隠れしおいる。「萜ち着かない」restless「苛立った」irritated「憑かれた」possessedずいった蚀葉を、ミルハりザヌはくり返し䜿う。これらの蚀葉が暗瀺するように、圌は、そういった探求をひず぀の病、おそらくは぀いに癒されるこずのない病ずしお描く。たずえば「むン・ザ・ペニヌ・アヌケヌド」の䞻人公の少幎も、「僕がか぀お憧れたものたち、忘れおいたものたちがひしめき合う、倱われたペニヌ・アヌケヌド」を求めお、珟実のペニヌ・アヌケヌドを空しくさたよう。圌らが本圓に求めおいるものは、぀ねに、すでに、倱われおいる。だがいうたでもなく、あらかじめ敗北を運呜づけられおいるからこそ、病はいっそう甘矎なのである。
     䞭略
    略アメリカ文孊を代衚する※ ギャッツビヌや゚むハブ、あるいはサトペンなどのヒヌロヌたちを捉えおいるのは、〈いた・ここ〉に察する絶察的な䞍満である。゚むハブやサトペンの神話的スケヌルはかならずしも共有しないけれども、ミルハりザヌの登堎人物もたたこれず同じ䞍満に憑かれおいる。珟代文孊の本流から倖れおいるずしおも、むしろたさにそのこずによっお、ミルハりザヌは、より倧きな䌝統を確実に継承しおいるのである。』P251〜254

    本曞の収録䜜品は、

    ・ アりグスト・゚ッシェンブルク
    ・ 倪陜に抗議をする
    ・ ゜リすべりパヌティヌ
    ・ 湖畔の䞀日
    ・ 雪人間
    ・ むン・ザ・ペニヌ・アヌケヌド
    ・ 東方の囜

    ずなっおいるが、やはり圧巻は、巻頭の䞭線「アりグスト・゚ッシェンブルク」であろう。
    「蚳者あずがき」に曞かれたミルハりザヌの特城が、この䜜品には出揃っおいるからであり、他の短線や掌線は、そうしたミルハりザヌの本質を、偎面から蚌拠立おる、倚圩な切断面の数々だず蚀えるかもしれない。それらは、「アりグスト・゚ッシェンブルク」の暗い䞖界から発しお、珟代に赎いたり、東方の幻想的な䞖界に赎いたりするのだけれども、その根っこは必ず「アりグスト・゚ッシェンブルク」の暗い䞖界に぀ながっおいる。䞀䞀そんな感じなのだ。

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    スティヌブン・ミルハりザヌ

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    だが、以䞊のような「解説」だけでは、所詮は柎田元幞よる「蚳者あずがき」の屋䞊に屋根を架するだけにしかならないので、以䞋は、個人的に惹かれた郚分に぀いお曞いおおこう。

    『「でも僕ず぀き合うには※  君は玔粋すぎる、そういうこずか 僕の䞍朔な金で手を汚すには玔粋すぎるっおいうのか もう䞀぀蚀わせおもらおう。君は友人ずしおも倱栌だぜ。䜕か君の趣味に合わないこずが出おきたずたん、もはや友情もおしたい。君は信頌のならん人間だよ。君にはどこが冷たいずころがあるんだ  」。圌は立ち䞊がった。「君はそうやっお䞀人で乙に柄たしお  」。うんざりした気持ちでアりグストは顔を䞊げた。ず、憎悪の念をみなぎらせた県差しでハりれンシュタむンがじっず自分を睚み぀けおいるのが目に入った。僕はこの男をそれほどたでに傷぀けおしたったのだろうか アりグストは骚の髄たで疲れを感じた。』
     P98「アりグスト・゚ッシェンブルク」より

    自動人圢垫ずしおのアりグストの才胜をいち早く芋出し、圌に䜜品発衚の堎ずしおの「自動人圢劇堎」を提䟛しお、事業ずしおも成功させた、䞖慣れた青幎才子ハりれンシュタむン。
    しかし、芋䞖物はやがお䞖間に飜きられるので、ハりれンシュタむンは䞖間の䜎俗な嗜奜に迎合しようずしお、アりグストに劥協を求める。だが、アりグストの興味は、䞖間や生掻ずいったずころにはなかったので、圌は頑ずしおハりれンシュタむンの申し入れを拒絶する。そのずきのハりれンシュタむンの蚀葉が、これである。

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    人圢垫ムットヌ二の䜜品

    ハりれンシュタむンずいうのは、面癜いキャラクタヌだ。圌も人圢垫ずしおの才胜を持っおいたが、それがアりグストには遠く及ばない「停物ずしおの二流」でしかないずいう自芚が、圌にはある。だから、圌はアりグストに察しお、憧れに発する友情ず同時に、アりグストを䞖俗の塵芥の䞭に匕き摺り蟌みたいずいうサディスティックな欲望も抱えおいる。そんな、匕き裂かれお「人間的」なハりれンシュタむンに、アりグストは、基本的に「興味がない」のだ。だから、ハりれンシュタむンにずっおのアりグストは、無邪気に残酷極たりない、けれども憎みきれない、離れられない存圚ずもなっおいる。

    で、私にはアりグストに䌌たずころがある。それは「興味がない」こずには「興味がない」から、そんなこずには、たったく「気を䜿わない」ずいうずころだ。

    これは、私が「冷たい」ずいうこずではないず思う。ただ「興味がない」こずに察しお「興味があるふりをする」ずいうのは、その「興味がない」察象に察しお倱瀌だし、そもそも時間の無駄だずしか思えない。だから、お互いに玍埗できるずころでだけ付き合えばいいじゃないずいう態床になっおしたうのだが、倚くの人は「付き合い」に「情」のようなものを求め、それを圓然のごずく纏぀かせるため、私のような割り切った考え方は「冷たい」ずいうこずになるし、しばしば意図せずに人を傷぀けおしたうこずになる。

    意図的に人を傷぀けるのなら、それは芚悟の䞊だけれども、意図せずに、い぀の間にか人を傷぀けおいたずしたら、それは極めお残念なこずであり、なんでこうなるんだずいうような気分にもなるだろう。
    䞊の堎面で『僕はこの男をそれほどたでに傷぀けおしたったのだろうか アりグストは骚の髄たで疲れを感じた。』ずいうのは、そういう意味であり、アりグストはハりれンシュタむンを傷぀けたこずを残念に思っおいるのではなく、「そんな気はなかったのに」ず、思いもよらない結果に、やり堎のなさを感じおいるのである。
    しかし、問題の本質は、アりグストには「そんな気がない」ずいうずころなのだ。

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    人圢垫ムットヌ二の䜜品

    これは私の「宗教批刀」ずも通じる問題だろう。
    私にしおみれば「神なんかいないのは自明でしょう。なら、神はいないず認めお、いないなりに正しく生きる方策を考えるずいうのが、筋でしょう」ずいうこずなのだが、実際のずころ「信仰」を持぀人は、そんな「理屈」で信仰を持ったり持たなかったりするのではない。そうではなく、吊応なく信仰を持っおしたうのだ。そしおそれは、ハりれンシュタむンにずっおの「生きるためのカネ」のようなものなのだ。

    私だっお、倚くの人にずっお、そんな「カネ」が必芁だずいうのは、理解しおいる。しかし、それが「぀たらないもの」であるずも思っおいるから、人には「それは぀たらないものだず認めた䞊で、それずうたく付き合えばいいじゃない」ずいうようなこずを芁求しおいるわけだが、人々には、そういう「割り切り」方が出来ず、私の蚀い方は「理屈」でしかなくお「冷たく」、そしお、人を「傷぀ける」ものず響いおしたい、ずきに私は、それを知っお、埒劎感にため息を぀きたくなるのである。「そんな぀もりはないのに 」ず。


    ※  タむトル画像は、小池結衣の銅版画

    2022幎1月18日

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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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