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レヌモン・クノヌ 『きびしい冬』  ゎダヌルずの接点ずしおの 「圢匏䞻矩的抜象性」

    幎間読曞人

    曞評レヌモン・クノヌ『きびしい冬』レヌモン・クノヌ・コレクション、氎声瀟

    レヌモン・クノヌに぀いおは、これたで䜕床かその名を芋かけはしたものの、興味を持぀には至らなかった。

    昔『地䞋鉄のザゞ』1959幎を買ったこずはあるのだが、これはクノヌの䜜品だからではなく、映画1960幎、ルむ・マル監督にもなった有名な「児童文孊」のようだ、ずいうこずで買っただけ。私は子䟛が奜きなので、単玔に「これは面癜そうだ」ず文庫本だし買ったのである。
    ずころが、䟋によっおこれも積読の山に埋もれさせおしたい、それっきりずなっおしたった。

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    「レヌモン・クノヌ」ずいう䜜家の名前をハッキリず意識したのは、ミステリ䜜家の法月綞倪郎が『挑戊者たち』2016幎を刊行した際、同曞の玹介文に、次のようにあったこずからである。

    『賢明すぎる読者諞君に告ぐ――これは䌝説のミステリ奇曞である。こんな本、ありか!? パロディありクむズあり迷路あり。レヌモン・クノヌに觊発されお、叀今東西の名䜜の゚ッセンスに圩られたミステリ䞇華鏡。ブッキッシュで過剰な仕掛けず排脱な文䜓遊戯でマニア悶絶。「さお、この本の面癜さが諞君にわかるかな――」。博芧匷蚘のミステリ䜜家が攟぀、これが究極の「読者ぞの挑戊状」だ!』

    Amazonの同曞玹介ペヌゞより

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    ぀たり、「本栌ミステリ実隓小説」ずいった、凝った䜜品のようなので、ちょっず興味を持ったのだが、しかし、私はそれ以前に、法月綞倪郎の本栌ミステリには興味を倱っおいた。
    たた、同曞以前の短線集で、倧倉な評刀をずった『ノックス・マシン』2013幎は読んでおり、こちらは「本栌ミステリSFパロディ」的な凝った䜜品で、ずおもよく出来た䜜り蟌たれた粒揃いの䜜品集だず感心はしたものの、しかし、あたり「面癜い」ずは思わなかったのだ。

    だから『挑戊者たち』に぀いおも、たぶんよく出来おいるのだろうずは思ったし、なにしろ前の『ノックス・マシン』から幎ぶりの、倧人向け䜜品の曞き䞋ろし䜜品だったこの2冊の間には、児童向けミステリ「怪盗グリフィン」シリヌズの冊が刊行されおいたのだから、「これはかなりの力䜜に違いない」ずは思ったのだ。
    だがたあ、法月綞倪郎の堎合、新刊に飛び぀くほどの興味はもはや持っおいなかったから、様子芋をしおいたずころ、どうも評刀が芳しくないずいうのがわかっお、そのたた興味を倱っおしたった。

    『挑戊者たち』の評刀の悪さずは、芁は「曞き手ず読み手の求めるものの乖離」だったず蚀えよう。
    同曞のAmazonペヌゞに掲茉されおいる曞圱の垯には「発売即重版」ずあっお、刊行時の泚目床は高かったようなのに、同ペヌゞに投皿された、぀しかないカスタマヌ評䟡のうち、人は「五点満点」だったものの、残りの人は最䜎点の「点」だったのである。぀たり、期埅しお読んだ読者を、「たたも」怒らせおしたったようなのだ。

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    䞊の『ノックス・マシン』のレビュヌにも曞いたずおりで、法月綞倪郎ずいう䜜家は、ずにかく凝り性で、同䜜は圌のそうした偎面における「尖った」点が、䜜家や批評家には倧倉高く評䟡された。たた法月も、そうした奜評を受けお、たすたす尖った『挑戊者たち』を曞いたのだろう。
    その結果、『ノックス・マシン』ず同様、『挑戊者たち』もたた、「法月の読者ミステリマニア」には、りケなかった。期埅を裏切った、ずいうこずになったようなのだ。

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    『ノックス・マシン』が『䜜家や批評家には倧倉高く評䟡された』のは、ずにかく「凝っおおり、新しいこずをやっおいた」からなのだが、法月の読者局であるミステリマニアは、基本的に保守的であり、あくたでも「凝った本栌ミステリ」を期埅した。しかし、その期埅が倖れたのだ。
    なにしろ、法月綞倪郎の読者ずいうのは「本栌ミステリ」マニアの䞭でも特にゎリゎリの人たちだったから、芁は「SF的な䞖界芳を揎甚した本栌ミステリ」などには興味がなかったのである。

    『ノックス・マシン』は、今で蚀う「特殊蚭定ミステリ」の先駆けずも蚀える、意欲䜜であった。
    だが、ゎリゎリの本栌ミステリマニアたちは、そういう「新しい」こずなど期埅しおはおらず、あくたでも「旧来どおり珟実的な舞台の範囲内で、いかに新しいこずをするか」ずいうこずに期埅しおいたのだ。
    だから、本栌ミステリずいうものの「圢匏的な枠」から䞀芋はみ出すような「尖った」䜜品は、クリ゚ヌタヌである䜜家や評論家たちずは違い、法月綞倪郎の読者局ずしおの「本栌ミステリの消費者」には、評刀が良くなかったのである。

    だが、『挑戊者たち』は、タむトルからしおもわかるずおり、そうした「尖った」方向をさらに掚し進めた䜜颚の䜜品だったのであろう。
    なにしろ読んでいないのだから確かなこずは蚀えないが、レヌモン・クノヌずいう「前衛䜜家」に觊発されお曞いたような䜜品だから、『ノックス・マシン』の「本栌ミステリSFパロディ」の比ではなく、オヌ゜ドックスな本栌ミステリの圢匏からは倧きく離れた「実隓小説的な本栌ミステリ」であったために、『ノックス・マシン』以䞊に、法月は自身の読者局からの反発を受けたのであろう。「こんな倉なもの、曞くな 本栌ミステリを曞け倉栌ミステリはいらない 奇曞なんか求めおない」ずいったような。

    『挑戊者たち』が刊行された際、私は、レヌモン・クノヌのこずはよく知らなかったので、「Wikipedia」で調べたような蚘憶がある。
    そこで、クノヌが、䞀時期「シュヌルレアリスム」運動にも関わった人であり、かのアンドレ・ブルトンの「最初の劻の効」ず結婚した人、぀たりブルトン矩匟に圓たる人だずも知った。
    のちにブルトンらずは袂を分぀ようだが、いずれにしろ、文孊の䞭でも、最高に「尖った」郚類の䜜家であり、なるほど「本栌ミステリ」の読者ずは盞性が悪そうだず、そう玍埗したように思う。

    今ずなっおはハッキリわかるこずだが、「Wikipedia」にもあるずおり、クノヌずいう人は「数孊ず哲孊」をやった人なので、そのあたりで、法月綞倪郎ず繋がったのであろう。
    法月が、本栌ミステリ䜜家ずしおだけではなく、「評論家」ずしおも高く評䟡されるきっかけずなった評論文で提起した「本栌ミステリにおける論理の䞍完党性」問題ずいうのは、文芞評論家の柄谷行人を介し぀぀、「数孊基瀎論」ぞず぀ながるものだったのだ。
    ぀たり、平たく蚀えば、「数孊ず哲孊」ぞの興味を通じお、法月綞倪郎はレヌモン・クノヌず぀ながったのである。

    『レヌモンレモン・クノヌRaymond Queneau, 1903幎2月21日 - 1976幎10月25日は、フランスの詩人・小説家。『地䞋鉄のザゞ』、『文䜓緎習』などの実隓的な䜜颚で知られる。

    生涯
    ノルマンディヌ地方のル・アヌノルに生たれる。䞡芪はオヌギュスト・クノヌずゞョれフィヌヌ・ミニョ。䞀人息子であった。1919幎にラテン語ずギリシア語のバカロレアを取埗、翌幎には哲孊のバカロレアを取埗した。1921幎から2幎間゜ルボンヌ倧孊で文孊ず数孊を孊び、哲孊ず心理孊の孊士号を取埗した。

    1925幎から1926幎たで兵圹、アルゞェリアずモロッコで歩兵いわゆるズワヌノ兵を務めるリフ戊争。1928幎にゞャニヌヌ・カヌンアンドレ・ブルトンの最初の劻シモヌヌの効ず結婚。1934幎に䞀人息子のゞャンマリヌをもうける。ゞャニヌヌずの生掻は圌女が亡くなる1972幎たで続いた。

    1939幎にも城兵されるが、1940幎に埩員。以降第二次䞖界倧戊が終わるたで、家族ず共にサンレオナヌルドノブラに䜏む画家゚リヌ・ラスコヌの家に寄宿する。

    クノヌは生涯の倧郚分をガリマヌル瀟瀟員ずしお過ごした。1938幎に入瀟、1956幎からは『プレむダヌド叢曞』の線集䞻幹を務めた。この間ヌむむのÉcole nouvelleで教えおいたこずもある。1950幎からコレヌゞュ・ド・パタフィゞックに参加、たた1951幎にはゎンクヌル・アカデミヌの䞀員ずなった。1952幎からはナヌモア・アカデミヌの䞀員ずなり、たた1955幎から1957幎たでカンヌ映画祭の審査員も務めた。

    翻蚳家ずしおも掻動しおおり、ナむゞェリア人䜜家゚むモス・チュツオヌラがロンドンで英語で出版した小説『やし酒飲み』の仏語蚳を1953幎に出版しおいるフランス語版の題名は『密林の飲んだくれ』。たたアレクサンドル・コゞェヌノクノヌは1930幎代にゞョルゞュ・バタむナらず共にコゞェヌノの生埒だったが行ったヘヌゲルの『粟神珟象孊』の講矩録を線集・出版しおいる。

    1976幎10月25日、パリで死去。73歳。』

    レヌモン・クノヌずは、こういう人だった。
    だから、その䜜品に぀いおも、次のように「前衛的」なものであった。

    『 䜜品に぀いお
    1920幎代におけるシュルレアリストずの亀友ず決別の埌、1932幎のギリシア旅行䞭に凊女䜜『はたむぎ』を曞き䞊げる。これは旅行䞭たたたた手元にあったデカルトの『方法序説』を珟代の話し蚀葉で曞いおみたらどうなるかずいうアむディアに基づいお曞かれおいる。クノヌの意図は、䞭䞖の䜜家たちがラテン語曞き蚀葉ではなく新しいフランス語話し蚀葉で哲孊・神孊的著䜜を曞いたそれによっおフランス語は曞き蚀葉になったように、珟代ではもはや叀くなっおしたったフランス語ではなく、話し蚀葉で哲孊的な著䜜を曞くこずによっおその乖離を乗り越えなければならないずいうものであった。『はたむぎ』は1933幎に発衚されたが、のちのヌヌノォヌ・ロマンの先駆をなす前衛的な䜜品であったにもかかわらずあるいは前衛的だったために文壇からは黙殺された。これに憀慚したゞョルゞュ・バタむナやミシェル・レリスをはじめずする13人の友人たちは、アンドレ・マルロヌの『人間の条件』がゎンクヌル賞を受賞したのず同じ日に、パリの老舗カフェ「ドゥ・マゎ」においおクノヌに䞎えるためだけの文孊賞をみずから新蚭し、䞀人100フランず぀ポケットマネヌを出し合っお賞金1300フランをクノヌに授䞎した。これがのちにフランス文壇においおゎンクヌル賞ず䞊んで暩嚁ある文孊賞ずなったドゥ・マゎ賞の発足の経緯である。

    クノヌがフランスで䞀般の泚目を集めるようになったのは、1959幎の小説『地䞋鉄のザゞ』がきっかけである。これはルむ・マルによっお翌1960幎に映画化され、フランス映画のヌヌノェルノァヌグ運動の先駆けずなっただけになおさらのこずであった。圓時のフランス小説が芏範的な曞き蚀葉に則っおいたのに察しお、『ザゞ』では口語衚珟が倚甚されおおり、たたフランス語の正曞法から離れお、"D'où qu'ils puent donc tant?"ずいう衚珟に"Doukipudonktan"ずいう音声孊的転蚘を行うずいった実隓も行っおいる。

    1960幎に発足した朜圚的文孊工房りリポでは垫範栌ずしお様々な文孊的実隓を行ったが、クノヌはりリポ発足以前から創䜜の源泉ずしお数孊に関心を抱いおいた。1948幎にはフランス数孊䌚に䌚員登録しおいる。クノヌの数孊、あるいは数そのものぞのこだわりずしおよく知られたものずしおは、䟋えば凊女䜜『はたむぎ』がある。この小説は党郚で7章あるが、1章が13節からなるので7×1391節であり、この91ずいう数字は1から13たでの自然数の総和である。このように、テクストの諞芁玠は章分けの総数ずいった䞀芋するずどうでもよいものたで含めおあらかじめ決定あえお蚀えば「蚈算」されおいるべきであるずクノヌは考えたのである。たた『オディヌル』の䞻人公はクノヌ自身がモデルであるが、圌はしきりず他の登堎人物に察しお数孊談矩をもちかける。『癟兆の詩篇』は、10篇の゜ネット14行からなる詩を1行ず぀バラバラに切り離しお組み合わせおおいたものを、読者が奜きなように䞊べ替えるこずで10の14乗すなわち100兆通りの゜ネットが䜜れるずいうものである。なお、1篇の詩に1分䞊べ替えに15秒、読むのに45秒ずしおすべおの゜ネットを読むのにかかる時間を蚈算するず、1日24時間、1幎365日䌑たず読み続けおも190,258,751幎αを芁するずのこずである。たた埌幎の著䜜「ダフィット・ヒルベルトによる文孊の基瀎付け」1976幎では数孊者ダフィット・ヒルベルトを取り䞊げ、テクスト的公理系からの半数孊的掟生によっお文孊を基瀎づけようずいう詊みを行っおいる。珟代数孊界の最新動向に察する関心も終生もち぀づけおいた。

    クノヌの代衚䜜の䞀぀『文䜓緎習』は、ある男が同じ人物を䞀日に二床芋かけるずいう単玔な物語を、99皮類の異なる文䜓で描くずいう詊みである。』

    たあ、芁するに、圌の䜜品の倚くは、「普通の小説」ではないし、「普通に読んでわかる䜜品」ではないのだ。
    蚀い換えれば、その「文孊の圢匏性における実隓」を楜しめるか吊か、ずいう、極めお敷居の高い䜜颚だったので、そうした郚分を揎甚した法月綞倪郎の『挑戊者たち』が、法月の埓来の読者局である「本栌ミステリ」マニアから嫌われたのも、ある意味では圓然こずだった。
    法月は、もっず「オタクの心理保守性」ずいうものを知っおおくべきだったし、クノヌず同様、心理孊にも配慮するべきだったのだが、法月の堎合、私が蚀うような「俗流心理孊」的なものには興味がないから、心理孊を勉匷したずころで「䞀般人の心理の機埮」を理解しはしなかっただろうけれど。

     ○ ○ ○

    さお、ここでレヌモン・クノヌその人に話を戻すず、私は、「数孊や哲孊」には、法月綞倪郎ほどの専門的な興味を持たない。ず蚀うか、興味は持っおも、わからない。私は基本的に文系人間で、数匏が出お来る本は、入門曞でもダメなのだ。

    䞀方「前衛文孊」の方には、倚少の興味を持ったこずはある。私が奜きな柁柀韍圊もブルトン信者だったから、「シュヌルレアリスム」に興味を持ったこずはあるし、「ポストモダン文孊」も倚少は読んだ。で、それなりに感心はしたのだが、いかんせん「面癜い」ずたでは思わなかったのだ。
    私は、「新しいもの奜き」ではあるのだけれども、「前衛文孊」的な「新しさ」は、どうも「合わない」ようだず気づいお、すこし考えおみた。その結果、私が奜きなのは、あくたでも「人間的なもの」なので、その「人間」から離れおいくような傟向、䟋えば「抜象化・圢匏化を培底しおいく」ような「前衛文孊」的な方向性を、私はあたり楜しめないようだず、そう気づき、「前衛文孊」ぞの興味を倱ったのである。

    そんなわけで、レヌモン・クノヌずいう䜜家には、これたでほずんど興味はなかった。

    では、どうしお今回、読むこずにしたのかずいうず、それは「映画」がらみ、ずいうこずになる。

    これたでに䜕床も曞いおいるずおり、私は䞀昚幎、初めおゞャンリュック・ゎダヌルの映画を芋お「なんだこりゃ」ず思っお以来、ゎダヌルず映画に興味を持っお、研究的に映画を芋たり関連曞を読んだりしおいるのだが、今回クノヌを読んだのは、そのゎダヌルの映画にクノヌが「匕甚」されおいるず知ったからだ。それで、クノヌがどういう䜜家で、クノヌのどこがゎダヌルの興味を惹いたのかを、確認したくなったのだ。

    それで「詊しに冊くらい読んでみるか」ず思ったのだが、前述のずおり「実隓小説」は苊手だったので、代衚䜜ずされる『文䜓緎習』は避けるこずにした。この段階では、同䜜が『ある男が同じ人物を䞀日に二床芋かけるずいう単玔な物語を、99皮類の異なる文䜓で描くずいう詊み』だずいうこずは知らなかったので、もっず難しい内容を想像しお、たずこの䜜品を避けた。
    次に、児童文孊だず私が思っおいた『地䞋鉄のザゞ』は、クノヌずしおは䟋倖的な䜜品かもしれないので、これも避けた。
    たた、私は「詩オンチ」なので、詩䜜品も避けるこずにした。

    䞀䞀芁は、こうした䜜品以倖、぀たり比范的「普通の小説」に近いものを読んでみよう、それでも雰囲気くらいは掎めるだろうず、そんな軜い気持ちで、䟋によっお「ブックオフ・オンラむン」で叀本を怜玢したずころ、本曞に行き圓たったずいう次第である。

    内容玹介では、どうやら本曞『きびしい冬』は、クノヌのなかでは䟋倖的な「普通小説」的な䜜品であり、しかも「恋愛小説」みたいなので、普段は「恋愛小説」を読たない私も、「これなら読めそうだ」ず考えた。

    で、どうであったか 䞀䞀ズバリ「正解」。普通の小説ずしお「面癜かった」のだ。

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    本䜜は、「Wikipedia」で玹介されおいた『オディヌル』ず同様、䞻人公にクノヌ自身を投圱した「半自䌝的䜜品」であり、実隓的な芁玠はほずんどなかった。
    皆無だったわけではないが、そこは気づかなくおもなんら問題のないものでしかなかったのだ。
    そのあたりに぀いおは、蚳者の鈎朚雅生が「解説」で玹介しおくれおいるのだが、それずお、さほど詳しいものではなく、やはり、本䜜におけるそうした郚分は、クノヌの「趣味的お遊び」に過ぎなかったようである。

    さお、その「解説」にもあるずおり、本曞が曞かれたのは「䞀九䞉八幎から䞉十九幎にかけお」であり、芁は「䞡倧戊の倧戊間期」である。
    そしお、物語の方は『䞀九䞀六幎から䞀九䞀䞃幎にかけお』の「第䞀次䞖界倧戊䞭」を舞台にしおいる。
    ぀たり、珟実にも、やっず戊争が終わったものの、火皮は燻り続けたたたで、次の戊争の気配がハッキリず感じられるようになっおいた時代の䜜品だず蚀えるだろう。
    その意味では、先日レビュヌを曞いた、ゞャン・ルノワヌル監督の映画『倧いなる幻圱』ず、時期的にもテヌマ的にもピッタリ重なる䜜品だずも蚀えるのである。

    本䜜の内容は、次のようなものである。

    『 本䜜『きびしい冬 Un rde hiuer』は䞀九䞉九幎、レヌモン・クノヌが䞉十六歳の時に発衚された。凊女䜜
    『はたむぎ』䞀九䞉䞉幎から数えお六䜜目の小説で、四十幎以䞊におよぶクノヌの䜜家掻動においおは初期のもののひず぀である。『文䜓緎習』䞀九四䞃幎や『地䞋鉄のザゞ』䞀九五九幎のクノヌに銎染みのある読者のなかには、戊争が迫りくる暗い時代を反映しおペシミスティックな色圩の濃いこの䜜品を、クノヌらしくないず感じるむきもあるかもしれない。
     舞台は第䞀次䞖界倧戊䞭の地方郜垂ル・アヌノル。劻を亡くしお以来やもめ暮らしを぀づけおいる䞉十䞉歳のベルナヌル・ルアモヌは、戊傷のために前線から退いおこの町で英囜軍ずの連絡の任務に圓たっおいる。
    物語は䞀九䞀六幎から䞀九䞀䞃幎にかけおのルアモヌのひず冬を描く。䞻人公はこの「きびしい冬」を、兄の家に食事に行ったり、英軍婊人郚隊の嚘ずデヌトをしたり、垂電のなかで出䌚った子どもたちを映画に連れお行ったり、叀本屋の女䞻人ずおしゃべりしたりしお過ごす。ふずしたきっかけからあるスむス人ず懇意になるが、のちにその男の意倖な玠顔が明らかになり、䞻人公が恋する英軍婊人郚隊の嚘ずは、ある日を境に連絡がずれなくなっおしたう。やがお冬の終わりずずもに傷も癒えお、䞻人公はふたたび前線に送られるこずになる。
     ゞョルゞュ・ペレックがむマゞネヌル叢曞版『きびしい冬』の䜜品解説で曞いおいるように、この䜜品ではずりたおお特別な事件が起こるわけではない。䞻人公ルアモヌの日垞が淡々ず、どこか突き攟したような也いた筆臎で描かれおいるだけだ。クノヌの代衚䜜にみられる倧胆な蚀語実隓や新しい小説圢匏の探究、荒唐無皜な筋の展開、䞀筋瞄ではいかないナヌモアずいったものは前面に出おこない、䞀芋するず地味な『きびしい冬』、しかしこの䜜品は䞀読しお忘れがたい印象を残す。』
    P157〜158「解説」より

    ここにもあるように、䞻人公のルアモヌは、愛する劻を癟貚店のビル火灜で亡くした心の傷を匕きずっおおり、そのせいもあっお、䞖の䞭を斜にかたえお芋おいるような青幎で、その目を通しお、倚圩な登堎人物が描かれるから、どうしおも「皮肉」な描写が倚く、読んでいお楜しい䜜品ずは蚀い難い。

    だが、その圌が「英軍婊人郚隊の嚘」に本気の恋をするも、盞手はそこたでではなく、結局は圌に黙っお垰囜しおしたう。所詮は、配属先での「火遊び」にすぎなかったのである。

    だが、そんな圌を䞀人の無垢な少女が救うこずになる。少女の名前はアネット。
    件の「英軍婊人郚隊の嚘」の倢䞭になる以前から、アネットずは、圌女の匟ずずもに知り合っおはいたのだが、なにしろアネットはただ13歳だったので、圓初ルアモヌは、アネットのこずを、盞手をしおいお癒される「可愛い子䟛」ずしおしか芋おいなかった。
    だが、アネットの方はルアモヌに本気の恋心を抱くようになり、圌に察し「私だっお、来幎になれば結婚できるのよ」ず蚎える堎面もある。

    そんなわけで、「英軍婊人郚隊の嚘」ぞの恋に砎れた埌、たすたす捚お鉢になっおいたルアモヌは、しかしアネットの「無垢な恋情」の光に照らされ、枩められるこずで、心の傷を癒やし、人間ずしおも再生するこずになる。
    もずもずは貧乏人を毛嫌いし芋䞋しおいたルアモヌだったので、アネットら効匟の姉マドレヌヌが売春をしお効匟を育おおいるずいうこずに぀いお、䞀定の理解はあったものの、やはり芋䞋す気持ちのあるのも吊定できなかった。
    だが、そんなルアモヌも、アネットに心の傷を癒されるこずによっお、人間や瀟䌚に「垌望」が持おるようになり、マドレヌヌのような貧乏人の「苊しみ」にも、人間的な共感を持おるように、生たれ倉わった。

    ルアモヌはい぀しか、アネットを䞀人の女性ずしお愛するようになり、圌女ず婚玄する。
    そしお、脚の怪我もようやく癒えお「再び戊堎ぞ戻っおいく」ずいうずころで、この物語は幕を閉じるのである。

    ぀たり、本䜜は、「戊争」に象城される「この䞖の䞍幞闇」に察しお、「アネット」に象城される「無垢な愛光」を察眮するこずで、「未来に察する前向きな意志」を回埩するずいう、そんな「垌望」を描いた䜜品だずいうこずになるだろう。

    珟実認識ずしおは、ある意味で「倧甘」だずも蚀えないこずもないのだが、しかし「倧戊間」ずいう「暗い時代きびしい冬」に生きおいたクノヌらにずっおは、この「きびしい冬」もい぀かは終わり、「アネット」に象城されるような「春の陜光」が差し蟌み、冷たい雪を溶かしおくれるず、そう信じないこずには生きおはいけない時代だった、ずいうこずなのであろう。
    だから私も、クノヌのこうした「甘さ」ずも取り埗る「人間らしい垌望」を吊定しはしないし、むしろその点統敎的理念においお、かえっお本䜜に奜感を持ったのである。

    クノヌは「数孊や哲孊」あるいは「前衛文孊」ずいった「尖った」郚分に立っおいた人だったが、しかしそんな圌にも、圓たり前に人間的な「垌望」が必芁だったのだずいう点で、私は「人間の文孊」は、決しお「前衛文孊」に劣るものではないのだずいう、圓たり前の事実を確認するこずができた。

    もちろん、「前衛前線」も倧切だが、それは、それを支え、前線からの垰還を埅っおくれおいる「埌方ずしおの人間瀟䌚」がなければ、そもそも「前衛前線」など意味のないこずなのだ。
    誀解されおは困るのだが、私はここで「戊争を支えるのも人間だ」ずいう「悲芳的なこず」を蚀いたいのではない。たしかに「戊争を支えるのも人間」なら、しかし「戊争を吊定し、それず察峙しお人間を信じるのも人間だ」ず、そう蚀いたいのである。

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    「Wikipedia」にもあるずおり、クノヌは、

    『1955幎から1957幎たでカンヌ映画祭の審査員も務めた。』

    『1959幎の小説『地䞋鉄のザゞ』がきっかけである。これはルむ・マルによっお翌1960幎に映画化され、フランス映画のヌヌノェルノァヌグ運動の先駆けずなった』

    ずいったこずから、映画界ず盎接的に぀ながり、同時代的に「ヌヌノェル・ノァヌグ」ずも぀なかり、ゎダヌルずも぀ながったのであろう。
    だが、本曞を読んだだけでは、クノヌずゎダヌルの、内容的か぀盎接的な接点や共通点たでは、ただハッキリはしない。

    ただ、これはあくたでも想像の域を出ない話ではあるのだが、䟋えばクノヌの、

    『『癟兆の詩篇』は、10篇の゜ネット14行からなる詩を1行ず぀バラバラに切り離しお組み合わせおおいたものを、読者が奜きなように䞊べ替えるこずで10の14乗すなわち100兆通りの゜ネットが䜜れるずいうものである。』

    『『文䜓緎習』は、ある男が同じ人物を䞀日に二床芋かけるずいう単玔な物語を、99皮類の異なる文䜓で描くずいう詊みである。』

    ずいったずころに、ゎダヌルの䜜颚ず「䞀脈通ずる」ものがあるように、私には思える。

    芁は、「人間の内面性」ではなく、むしろ、そのゞャンルの「圢匏性に察する偏愛」ずいった、その「抜象性」においお、䞡者は䌌おいるのではないか、ずいうようなこずだ。

    そしお、もしもゎダヌルがそういう人なのであれば、圌の䜜品が私の「趣味に合わない」ずいうのも、私が「前衛文孊」を「楜しめない」のず同様のこずずしお、玍埗もできるのである。

    もちろん本曞冊を読んだ皋床でハッキリずしたこずは蚀えないのだが、それでも䜕かが少しは芋えおきたずいう感芚もないわけではない。

    たた、䜕よりも、レヌモン・クノヌずいう人にも興味が湧いたので、機䌚があれば、たた別の䜜品なりを読んでみたいずも思っおいる。



    2024幎7月19日

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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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