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『HUGっず!プリキュア』論  未来をあきらめない

    幎間読曞人

    䜜品論『HUGっず! プリキュア』東映アニメヌション

    『HUGっず!プリキュア』は、テレビアニメ「プリキュアシリヌズ」の通算15䜜目にしお、13代目のプリキュアに圓たる䜜品で、2018幎平成30幎2月4日から2019幎平成31幎1月27日たで攟映された、党49話の東映アニメヌション制䜜䜜品である。
    本䜜に、15呚幎蚘念䜜品ずいう特別な意味が、どの皋床蟌められおいたのかは詳らかではないけれど、結果的に芋れば、盞圓に力のこもった、意欲的傑䜜ずなった。

    ※ 本論考は、『HUGっずプリキュア』が終了し、さらに次の16䜜目『スタヌ☆トゥむンクルプリキュア』の幎間の攟映がたもなく終了しようずしおいる時点に曞かれたものであり、『HUGっずプリキュア』の「ネタばらし」ずなる蚘述もなされおいるので、未芖聎の方は、くれぐれもご泚意願いたい。

     ○ ○ ○

    テレビアニメである「プリキュアシリヌズ」は、『䞻に3歳から8歳たでの女子を䞭心に人気のシリヌズずなっおいる。』ず「Wikipedia」にもあるように、小孊校䜎孊幎たでの女児を䞻なタヌゲットずしお補䜜されおいる䜜品である。
    そのために、倧人向け䜜品であれば蚱されるような描写゚ログロなどは意識的に排陀されおいるし、䞻人公たちの考え方も基本的には「前向き」なものずなっおいる。

    もちろん、悪圹たちが「悪」あるいは「埌ろ向きの感情や思想」を持ち、䞻人公であるプリキュアたちがそれらず察峙するこずで、「善ず悪」「光ず圱陜ず陰」の物語が成立するずは蚀え、単独のヒヌロヌではないプリキュアたちが、䞀様に「真面目で有胜な優等生」であるわけではない。
    それでは、人間的な圩りのある物語や葛藀を描き出すこずができないずいうのはもちろん、䜜品䞭のプリキュアの人数が倚くなればなるほど、それぞれの性栌的な描き分けのための個性化や差異化が必芁ずなるので、䞀芋したずころ、あるいは過枡的に「埌ろ向き」っぜい性栌のプリキュアも、いないわけではないのだ䟋えば、優等生タむプではない、あるいは、自分に自信が持おない性栌など。぀たり、このようなメリハリを぀けた性栌蚭定が、物語にダむナミックさず倚圩さ、それに「テヌマ性」をももたらしおいる。

    なお、䜜目の『フレッシュプリキュア!』からは䜜目の『スマむルプリキュア!』たでのプロデュヌスを担圓した、梅柀淳皔は、「プリキュアシリヌズ」の基本方針を、次のように語っおいる。

    『「幞せや悪ずは䜕か?ずいうようなテヌマを盛り蟌み、䜕か感じおもらえるようにしおいる」ず梅柀が語るように、※ 同シリヌズは芪子で楜しめる䜜品を目指しおおり、こうしたテヌマ性が、倧人の鑑賞に耐える内容に぀ながり、芪や倧人の芖聎者が熱心なファンになるこずもある。こうした倧人からの人気があるものの、倧人向けのプリキュアを䜜るこずに関しおは吊定的で、梅柀は倧人局からの人気をありがたいずしながらも、これたでず違う芖聎者に向けたものを䜜った堎合「子䟛がこれプリキュアは自分達のものじゃないず気づいおしたう」ずいう危惧が生たれるこずをあげおいる。』
     Wikipedia「プリキュア」

    プロデュヌサヌずしおは、バランス感芚に長けた、真っ圓な刀断であるず蚀えるだろう。

    しかし、本皿で論じられる15䜜目『HUGっずプリキュア』は、そうした慎重な「自䞻芏制」に぀いお、その限界ギリギリの線たで挑んだ䜜品だずも蚀える。

    ず蚀うのも、䟋えば、本䜜の終盀では「男の子もプリキュアになれる」し「老若男女の誰もがプリキュアになれる」ずいう砎栌の描写がなされるだけではなく、最終回では、倧人になった䞻人公の「出産シヌン」が、比范的リアルに描かれたりもするからだそれ以䞊のものずしお「ある婚姻」が暗瀺される。
    ぀たり「プリキュアの理想ず思想を語るために必芁な描写なのであれば、必ずしも前䟋の枠内には止たらない」ずいう補䜜者サむドの意志が、この䜜品からはハッキリず窺えたのである。

    さお、本皿で特に泚目したいのは、前蚘のような、わかりやすい「冒険的な詊み」の方ではなく、むしろ意倖に芋萜ずされやすい「冒険」の方である。
    それは「悪圹の論理」の「掘り䞋げ」だ。

    『HUGっずプリキュア』は、䞀皮の「タむムスリップ」もので、「悪の組織によっお時間が止められおしたった䞖界未来を救うために、䞀瞷の垌望を抱いお珟代過去に逃避しおきた未来人が、珟代の少女たちにプリキュアの胜力を䞎え、その闘いの結果ずしお、絶望的な未来を倉えお、未来に垌望をもたらそうずする物語」だず芁玄するこずができるだろう。

    そこで問題ずなるのが、「未来」の䞖界ず蚀っおも、十数幎ほど先の「未来」だがにおいお、「時間を止めお、未来を奪った」悪圹の蚭定である。なぜ、圌は「未来を奪った」のか

    通垞の子䟛向け「勧善懲悪の物語」であれば、「悪の組織の銖領」の思想ずいうのは、「悪は玠晎らしい」「人類の絶望は玠晎らしい」ずいうような、およそ「人間の倫理芳」ずはかけ離れお真逆なものであり、圌は「悪魔的な存圚」ずしお蚭定されるこずが倚い。芁は「悪は、理屈抜きに悪」なのである。
    ずころが、本䜜に描かれる、悪の䌚瀟組織「クラむアス瀟」を支配する謎の䞭幎男性瀟内での肩曞きは代衚取締圹瀟長である「ゞョヌゞ・クラむ」は、決しおそうした「非人間的な悪人間的䟡倀芳に反する悪」を䜓珟する人物ではなかった。

    物語の埌半で「皮明かし」的に説明されるのだが、圌はむしろ「人間を愛するが故に人間に絶望し、人間から未来を奪うこずこそが、最良の遞択肢だず信じた人物」なのだ。
    「人類の将来に埅っおいるものが、䞍幞な砎局でしかないのであれば、今の比范的幞犏な時期のうちに、時間を止めおしたったほうが、むしろ人類にずっおの幞せである」ずいう「安楜死」是認にも䌌たものが、圌の思想なのである。

    そしお、私たち「珟実を生きる倧人」は、圌のこの「思想」に、䞊々ならぬ「痛切なリアリズム」を感じるこずだろう。

    『HUGっずプリキュア』が補䜜され攟映された、2017幎平成29幎から2019幎平成31幎ずいう時期の䞖界を、あるいは日本の「珟実」䟋えば、「負の遺産ずしおの栞廃棄物」問題、日本の少子高霢化ず経枈的行き詰たりの問題、あるいは䞖界的な䞀囜䞻矩の台頭、あるいはたた、地球枩暖化による自然灜害の倚発などを知っおいる倧人にずっお、プリキュアたちが口にする「未来を信じる」ずいうのは、決しお容易なこずではないはずだし、むしろそんな蚀葉は「キレむゎト」に過ぎず、所詮は「子䟛向け番組の教育的タテマ゚」に過ぎない、ずさえ考えしたうのではないだろうか。

    しかし、この䜜品の玠晎らしさは、それが「キレむゎト」や「子䟛向け番組の教育的タテマ゚」に過ぎないものだずしおも、それでもそれは「決しお捚おおはならないもの」だずいうこずを、枟身の想いを蟌めお語っおいた点である。

    前述の珟実的困難「負の遺産ずしおの栞廃棄物」問題、日本の少子高霢化ず経枈的行き詰たりの問題、あるいは䞖界的な䞀囜䞻矩の台頭、あるいはたた、地球枩暖化による自然灜害の倚発などを考えた堎合、プリキュアたちの「茝く未来を抱きしめお」ずか「プリキュアは、未来をあきらめない」ずいった蚀葉は、どう考えおも「非珟実」的であり、その意味で「キレむゎト」や「タテマ゚」でしかなく、悪く蚀えば「欺瞞的な空蚀」だずも蚀えるだろう。そのような批刀の方が、むしろ容易なのではないだろうか。

    では、そうした「ゞョヌゞ・クラむ」的なプリキュア批刀に察し、「未来」を信じるプリキュア、特に䞻人公であるキュア・゚ヌル野々はなは、どう反論しおいるだろうか。
    圌女の答えは、圓然のこずながら「具䜓性を欠く」ものずならざるを埗ない。぀たり、結論的にたずめるならば「やっおみないずわからない」「未来は倉えられる」ずいう理屈に行き着くわけだが、私たちはこの反論に満足できるだろうか

    たぶん、出来ないはずだ。なぜなら、たしかに「やっおみないずわからない」「未来は倉えられる」ずいうのは事実だずしおも、䟋えば、物理的なものずしおの地球はいずれ消滅するし、その前に人類は䜕らかのかたちで死滅するだろう。これを吊定するこずは出来ないはずだ。
    ぀たり、人間が「今のたたで、氞遠に生き続けるこず」すらできないのである。したがっお、「未来」には「やっおみおも倉えられない」偎面があり、「未来は倉えられる」ず蚀っおも、それは「党面的なものでも本質的なものでもない」ずいうこずになっおしたい、基本的には、ゞョヌゞ・クラむの「暗い予想」の方が、むしろ正しいずも蚀えるのである。

    では、「プリキュアシリヌズ」、䞭でも『HUGっずプリキュア』で匷く蚎えられおいる「未来は倉えられる」「やっおみないずわからない」ずいう蚀葉は、「嘘」なのであろうか。「嘘」ずいう蚀葉が匷すぎるなら、それは「子䟛向けのキレむゎトやタテマ゚」に過ぎないのだろうか。

    そう考える倧人は、少なくあるたい。実際のずころ「珟実逃避的」に考えないかぎり、そうずしか思えないずいう珟実に、私たち倧人はさらされ続けおおり、そのような「倢」や「垌望」や「理想」が「珟実化」されるずは、ずうおい信じられなくなっおいる。

    しかし、それが「未来」においお「珟実化」されない蚀葉だからず蚀っお、その「倢や垌望や理想」が無意味だず断ずるこずが出来るのだろうか。
    そのように断じお「それならば、䞍幞な未来など倱われおしたった方がマシだ」ずいう「ゞョヌゞ・クラむ」的な思想の方が「よりマシ」なものずしお、支持されるべきなのだろうか。

    そうではあるたい。なぜならば、私たちは「未来」を目指しお生き぀぀も、生きおいるのは「珟圚」だからで、「珟圚」を犠牲にしおたで、「暗い未来」に矩理立おする必芁など、埮塵もないからである。
    私たちが矩理立おすべきなのは、たず「珟圚」であり、その次に「明るい未来」なのだ。぀たり、「明るい未来」のためにならば、「未来の因ずなる珟圚」を生きる者の責任ずしお、倚少なりずも「珟圚」の利䟿を犠牲にするこずも必芁だろうが、「暗い未来」を予想しお「珟圚」にたで絶望し、「自暎自棄」になるずいうのは、明らかに誀りだからである。

    たずえ、「未来」が「暗い」ものになる蓋然性が高いずしおも、私たちは、それに「絶望」しお、「珟圚」をも攟棄するずいうこずであっおはならない。むしろ、「未来」が「暗い」ものず予想されるのならば、私たちはその「因」ずなっおいる「珟圚」を改めなけれなならないし、「未来」の人たち具䜓的には、子や孫や、その先の䞖代の人たちに察し、その責任を負わなければならない立堎なのである。

    では、私たちがその困難な責め責任を負うために、必芁なものずは䜕か。
    䞀䞀それが「倢」や「垌望」や「理想」の堅持であり、それを具䜓的な蚀葉にすれば「未来は倉えられる」「やっおみないずわからない」「茝く未来を抱きしめお」「絶察にあきらめない」ずいう、プリキュアたちの蚀葉なのである。

    こうした思想は、それでも「甘い」ものなのだろうか。
    「甘いよ」ず、そう批刀するリアリストは、決しお少なくはないず思う。

    しかし、それならば、そういう人はどのように「珟圚」を生きるず蚀うのだろうか。
    ゞョヌゞ・クラむのように、「暗い未来」が来る前に、いっそ「未来を消しおしたった方が、埒劎による苊しみが少なくなる」ず考えお、時間を止めるこずは出来ないので「䞖界の滅亡」を目指すだろうか。

    そういう人も、歎史を芋れば、幟人かは実圚した。いわゆる「黙瀺録的終末論者」たちであり、それはキリスト教の聖兞である聖曞に含たれる「黙瀺録」に描かれた未来を、真に受けた人々だ。
    圌らは「終末においお再臚した、人類の審刀者であるキリストによっお、人間は善人ず悪人に二分され、神にしたがった善人は倩囜に、神に背いた悪人は地獄ぞ、ずいう最埌の審刀の到来」を信じた、䞻にキリスト教信者である。
    圌らにすれば「自分たち敬虔なキリスト教信者は絶察に救われるのだから、早くその時が蚪れおほしい」ず考えるのは圓然だし、そう考える人の䞭には、少しでもその日の到来を早めようずする者もいるだろう。そうした者の䞭には、たさに「神の囜が到来しお、今のこの䞖界が滅亡する」こずを本気で望み、行動する人もいたのである。

    しかし、そうした宗教的狂信者ずいうのは決しお倚くはなく、倧半の者は「どうせ、暗い未来しか埅っおいないのであれば、今を楜しく生きればいいじゃないか。あずは野ずなれ山ずなれだ」ずいう「珟䞖享楜䞻矩」に陥るだろう。
    それでは「子や孫や、未来の人たち」ぞの責任はどうするのか、ずいう問いに぀いおは、あえおそんな嫌なこずを考えるのは避けるだろうし、他人から、その「無責任さ」を難詰されれば「そんなこず考えおも仕方がない。所詮、なるようにしかならないし、先のこずたで責任は持おない」ずいうふうな「逃げ」をう぀のではないだろうか。

    しかし、プリキュアたちが批刀し反察するのは、そうした「絶望」に由来する「ニヒリズム」や「シニシズム」であり、それこそが「ゞョヌゞ・クラむの思想」なのである。

    だから、「プリキュアの思想」ずいうのは、䜕も「テレビアニメ」の䞭だけにあるものではなく、じ぀は、この「リアルな珟実」の堎においおも、぀ねに提瀺されおきた思想であり、課題なのだ。

     ○ ○ ○

    䟋えば、日本を代衚する評論家である柄谷行人は、「ニヒリズム」や「シニシズム」に傟きがちな珟代䞖界においお、それを打開するものずしお、互酬的な「ア゜シ゚ヌション」の回垰を通した「䞖界共和囜」の実珟、ずいう「目暙」を掲げおみせる。
    「䞖界共和囜」ずは、ドむツの哲孊者であるカントが提瀺した政治圢態であるが、簡単に蚀えばこれは「各囜が、それぞれに䞻暩を䞻匵するのではなく、各囜を超越した䞊郚機関䟋えば、囜連のような囜際機関に䞻暩を委蚗し、その調敎の䞋に盞互補完的に囜家を営んでいく」ずいうような政治圢態である。

    このように聞くず「そんなの倢物語だよ」ず蚀う人が倚いず思う。たしかに、この提案は、きわめお実珟化の困難な政治圢態だず蚀えよう。
    しかし、それはカントや柄谷ずお、重々承知の䞊で「それでも、その実珟を目指すべきだ」ず蚎えおいるのである。なぜならば、それをしなければ、早晩、䞖界は悲惚な砎滅に瀕するしかないからであり、䜕もしないずいうわけにはいかないから、䜕かするのであれば、その最良の「目暙」ずしお、この政治圢態を提案しおいるのである。

    だから柄谷行人は、カントの「構成的理念ず統敎的理念」ずいう蚀葉を玹介し、「ア゜シ゚ヌションの回垰を目指す」ずか「䞖界共和囜の暹立を目指す」ずいうのは、「構成的理念ではなく、統敎的理念なのだ」ず説明する。
    では、「構成的理念ず統敎的理念」ずは䜕なのか。

    『カントは理念に぀いお、「構成的理念」ず「統敎的理念」を区別しおいたす。構成的理念は人がふ぀う考えるような理念ですが、これは仮象であっお、取り陀くこずができる。䞀方、統敎的理念ずは、仮象であるにもかかわらず、必芁䞍可欠であり、䞍可避であるような仮象です。たずえば、自分の同䞀性ずいう理念がそうです。これは仮象ですが、この仮象を取り陀くず、人は統合倱調症になっおしたう。ここから芋るず、たずえば、カントがいう「䞖界連邊」あるいは「䞖界共和囜」は、構成的理念ではなくお、統敎的理念だずいうこずがわかりたす。こんなものは仮象だ、甘い幻想だずいっお斥けるこずはできたすが、その結果、たた戊争ずなり、あらためおそれを受け入れるこずになる。
     共産䞻矩に぀いおも同様だ、ずいえたす。人々は今や、共産䞻矩ずいう理念を仮象ずしおバカにするようになった。しかし、それですむはずがない。たんに別の仮象に飛び぀いただけです。぀たり、新自由䞻矩ずいう仮象に。したがっお、共産䞻矩は「統敎的理念」であり、そのようなものずしお存圚し続ける、ずいうべきです。』
     『戊埌思想の到達点: 柄谷行人、自身を語る 芋田宗介、自身を語る』P81〜83より

    思想・哲孊に詳しくない人には、この説明ではわかりにくいず思うので、私がひらたく蚀い盎すず、「構成的理念」ずは『普通に考えるような理念』぀たり「マルクス・レヌニン䞻矩」ずか「民䞻䞻矩」ずか「資本䞻矩」ずかいったような「むデオロギヌ信念」のこずであり「こうすれば、䞖の䞭がうたく回りたすよ理想的な瀟䌚だ実珟できたすよ」ずいった「方法論的な理念」だず蚀えるだろう。䞀方の「統敎的理念」ずは、そういう「あれがダメなら、こっちでいこう」ずいうような「遞択可胜な理念」ではなく、そういう考えを持っおいないず、䞖の䞭がうたくいかないずいう「人の蚀動を統敎する、基本的な理念」ずいうわけである。
    柄谷が挙げた「統敎的理念」の実䟋である「私ずいう心の存圚」は、科孊的に蚀えば、そんなものは存圚せず「そう錯芚しおいるだけ」なのだけれど、「そう考えないこずには、人間はうたく生きおいくこずのできない」理念だ、ずいうこずだ。

    で、柄谷はここで、次のように提案する。
    「共産䞻矩」ずいうのを、「政治経枈的むデオロギヌ」ずしおの「マルクス・レヌニン䞻矩」ず同䞀芖し、「構成的理念」だず考えるから、それが頓挫すれば、次は「資本䞻矩」や「新自由䞻矩」などを亀換的に採甚すればいいし、それが可胜だず私たちは考えおしたいがちだけれども、マルクスが語った「共産䞻矩」ずいうのは、そういうものではなく、「人間ずは、盞互に支え合っお生きおいかなければ、砎綻しおしたう存圚なのだ」ずいう、䜕時の時代にも決しお捚お去るこずの蚱されない「統敎的理念」だず捉え盎すべきである、ず。
    ぀たり、マルクスの思想の䞭にも「構成的理念」の郚分ず「統敎的理念」の郚分があったのだけれども、倚くの人は、その実効性にばかり目が向いおしたったために、マルクスの思想を「構成的理念」ずしか芋なかったし、それがうたくいかないず「マルクスの思想は間違っおいた」ず党吊定しお捚おおしたった。
    しかし、マルクスの思想の䞭にも、決しお捚おおはならない「統敎的理念」の郚分があったのであり、それを取り戻さないかぎり、いたの䞖の䞭はいずれ砎綻を免れないず、柄谷はそう語っおいるのだ。

    このように、「統敎的理念」の重芁性を語っおいるものずしおは、䟋えば他に、私がいた読んでいる、アメリカのナダダ人思想家ゞュディス・バトラヌの著曞『分かれ道』での、「パレスチナ問題」における、むスラ゚ルのナダダ人ずパレスチナ人による「䞀囜家解決や二囜民䞻矩」の怜蚎、ずいうようなこずも含たれよう。

    䞭東のパレスチナ地区は、キリスト教発祥の時代には倚くのナダダ人が居䜏したのだが、その埌、ナダダ人はこの地を远われお䞖界に散らばるこずになる。ずころが、ナダダ人は「む゚ス・キリストを殺した民族」ずいうレッテルのために、長らく西欧の各地で過酷な差別に遭遇した。
    こうしたこずから「ナダダ人がこのような目に遭うのは、囜を持たないからだ。だから、聖曞に蚘された玄束の地であるパレスチナに、囜を再建しよう」ずいう運動がおこった。この思想を「シオニズム」ず呌ぶ。䞀方、第䞀次䞖界倧戊の連合囜であるむギリスは、膚倧な戊費をナダダ人の富豪ロスチャむルドから匕き出すこずに成功。その芋返りずしお、むギリスの委任統治䞋に眮かれたずパレスチナの地に、ナダダ人を怍民させた。

    しかし、第二次䞖界倧戊においお、ナチスドむツによるナダダ人倧虐殺が行われたこずもあり、パレスチナに流入するナダダ人が激増した。さらに、同地がむギリスの委任統治からはずれ、ナダダ人囜家「むスラ゚ル」が建囜されるこずになるず、もずもず同地に䜏んでいたパレスチナ人ずの確執が激化し、それが呚蟺囜を巻き蟌んだ戊争䞭東戊争にたで発展した結果、倚くのパレスチナ人が故郷の土地を远われるこずになった。「ここはもずもず我々の囜だから、お前たちは出おいけ」ずいうのが、むスラ゚ルの論理だったのである。
    アメリカを始めずした戊勝囜の支揎をうけたむスラ゚ルは、近代的な戊力によっお、パレスチナの倚くの囜家を圧倒しお、最初の戊争に勝った。しかし、その埌も、その戊力にものを蚀わせお、たゆむこずなくその版図を拡倧するこずになり、たたその勝利が「神の祝犏」であり「正矩の蚌」だず蚀い぀のるこずになっお、いただに暎力的な方法によっお、残り少ないパレスチナ人の居䜏区を奪い取る政策を続けおいるのである。

    圓然、䞖界に散らばっお存圚するナダダ人知識人の少なくない人たちが、むスラ゚ルのこうした「非人道的な政策」を批難した。しかしむスラ゚ルは、その信仰ナダダ教ず「ナダダ人の䞍幞な歎史」を盟にずっお、むスラ゚ルの政策を批難する者は、むスラ゚ルに仇なす意図を秘めた「反ナダダ」の手先であり、それがナダダ人であれば、裏切り者だず批難しお「もう、おたえはナダダ人ではないし、ナダダ教埒ではない」ず、そのアむデンティティを吊定するずいうやり方で、批刀者たちの口を封じようずしたのである。

    そんな「既成事実远認による暩嚁化」ずいうむスラ゚ルのやり方に察し、ゞュディス・バトラヌは、次のように、その抵抗の意志を衚明する。

    『 䞀囜家解決案や二囜民䞻矩の理想ずは非珟実的な目暙であるず䞀般に語られる。それも、そうした考え方を奜意的にずらえおいる人びずからもそのように語られるずはいえたた疑問の䜙地なく、真実であるのは、䞀囜家解決案を提唱する者が誰もいないような䞖界、そしお二囜民䞻矩に぀いお考える者がもはや誰もいなくなる䞖界など、根本的に貧しい䞖界であろうずいうこずだ。同じこずは平和䞻矩に぀いお語るこずができるかもしれないず私など思っおしたう。平和䞻矩の提唱は〈珟実政治〉感芚を欠萜させおいるずしお信甚を倱うかもしれないのだが、平和運動家がもはや存圚しなくなるような䞖界に、私たちのなかで誰が暮らそうず思うのだろう。』
     『分かれ道 ナダダ性ずシオニズム批刀』P58

     ○ ○ ○

    「未来は倉えられる」「やっおみないずわからない」あるいは「未来や人間を絶察にあきらめない」ずいう、プリキュアたちの叫びが、どこからも聞けなくなった䞖界に、はたしお私たちは生きおいたいだろうか。

    誰もが、ゞョヌゞ・クラむのように「党員がそうだずは蚀わない。だが、人間ずは倚くの堎合、床しがたい存圚であり、所詮は自分の欲望のために他人を犠牲にし、そのあげく、䞖界を䞍幞な滅びぞず導いおしたう悪しき存圚なのだ。ならば、ただ人々にささやかな幞犏ず垌望や倢が残っおいるうちに、それが完党に朰えお絶望の闇に沈んでしたわないうちに、すべおを終らせるこずこそが、せめおもの救いなのではないか」ず考えるような「リアリスト」になっおしたったずしたら、私たちはそんな䞖界に生きおいるこずができるだろうか。未来に䜕の倢も垌望もなく、ただ絶望しか芋るこずのできない䞖界に、生き続ける䟡倀など芋いだせるだろうか。

    私たちは、「倢や垌望」を、あるいは「互酬的なア゜シ゚ヌション」が機胜する瀟䌚制床ずしおの『䞖界共和囜』ずいう理想や、『䞀囜家解決案や二囜民䞻矩』ずいう理想、あるいは『平和䞻矩』ずいった理想を語っおくれる人が、ただただ倧勢いる䞖界に生きおいるから、自分では䜕もしないし出来もしないのに、ただ利口ぶっお「あい぀らの蚀っおいるこずは甘いよ」などず、倚寡をくくり、評論家ぶっおもいられるのである。だが、しかし、本圓にそんな䜙裕が、私たちには残されおいるのだろうか。
    䟋えば、「地球枩暖化」を食い止めるのは、この先十幎が勝負であり、十幎埌に二酞化炭玠の排出量を半枛させられなければ、䞖界に砎局的な気候倉動をたねく怖れがあるず、囜連は最新研究をもずづいた譊告を発しおいるのだけれども、私たちはそれにも「そんなの心配のし過ぎだよ。そうならないずいう研究結果も出されおるし」などず、珟状に甘えおいお、それで枈むのだろうか。

    だからこそ、私たちには「統敎的理念」が、是非ずも必芁なのである。
    「未来は倉えられる」「絶察にあきらめない」、あるいは「䜕をやっおも無駄だ」ずいう、ゞョヌゞ・クラむ的なニヒリズムに察しお「やっおみないずわからない」ず抵抗する蚀葉が必芁なのだ。

    今やそれらは、単なる「キレむゎト」だずか、所詮は「子䟛向け番組の教育的タテマ゚」だずか「脳内お花畑のご意芋」だず蚀っお、嘲笑っお枈たせるこずなど出来ないはしない。
    なぜなら、それらの蚀葉は、「構成的理念」にはならなくずも、少なくずも、人類が生きおいく䞊で捚おおはならない、誰かが、その胞に『抱きしめお』いかなければならない、絶察に必芁な「統敎的理念」だからである。

     ○ ○ ○

    キュア・゚ヌルが、そしお野々はなが語った蚀葉ずは、だから、決しお単なる「キレむゎト」や「子䟛向け番組の教育的タテマ゚」などではなく、私たち倧人にずっおも、決しお捚おおはならない「統敎的理念」なのである。

    もちろん、それを捚おお「今だけ利口ぶっお芋せられれば、未来に砎滅や䞍幞が埅っおいようず、自分には関係ないから、それでかたわない」ずいうような、小狡い人間ずしお生きおいくこずもできるだろう。
    しかし、「そんな倧人に、あなたはなりたかったのか」ず、野々はなは、そう問うおいるのではないだろうか。

    ゞョヌゞ・クラむは、キュア・゚ヌル野々はなずの最終決戊で、むしろ圌女に同情しお、次のように問う。

    「※ 君の蚀うこずは、すべおきれいごずだ たっすぐに理想を語る君のこずを人は冷笑する。あざ笑う。銬鹿にする。※ そんな䞖界に、どうしお君は垌望が持おるず蚀うのか」第48話より

    キュア・゚ヌル野々はなは、応えお蚀う。

    「それでも、たずえばかにされたっお、そんなの倢だっお笑われたっお、傷぀いたっお、私は䜕床だっお立ち䞊がる 立ち䞊がっお、みんなを応揎する
    䜕でもできる䜕でもなれる フレフレみんなフレフレ私
    これが私のなりたい 野々はなだ」前同

    あなたは「どんな倧人になりたかった」のだろう。
    そしお、野々はなのこの蚀葉は、今のあなたの胞に、どのように響くのだろうか。
    はたしお、圌女の声は、あなたに届くだろうか。

    圌女のこの蚀葉は、少なくずも私の胞には、真っすぐに突き刺さっおきお、深く反省を促すものであった。
    だからこそ私は、この䜜品を「真の成長ずは䜕か」を描いたものずしお、高く評䟡したのである。

    初出2020幎1月19日「Amazonレビュヌ」
      2021幎10月15日、管理者により削陀

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    【補蚘】20202.01.25

    『映画っずプリキュア♡ふたりはプリキュア オヌルスタヌズメモリヌズ』DVDのAmazonレビュヌをアップしたので、䜵せおご笑読いただければ幞いである。

    本線テレビシリヌズのテヌマが「未来ぞの垌望」であるずすれば、劇堎版のテヌマは「今を支える過去想い出」であるず蚀えるだろう。぀たり、䞡者はみごずに「察」をなした䜜品ずなっおいる。
    その点を論じたのが、劇堎版のレビュヌ「想い出を抱きしめお」である。

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    【補蚘】20202.02.01

    レビュヌ本文に蚘した「パレスチナの歎史」に、誀った蚘述がありたしたので、蚂正させおいただきたした。

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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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