
琥珀色の向こう側 ⑱ コラム : プロローグ (石原慎太郎の遺言とトインビーから読み解く「戦国日本の挑戦と応答」)
石原慎太郎の遺言とトインビーから読み解く「戦国日本の挑戦と応答」
平成25年(2013年)の衆議院予算委員会。18年ぶりに国政の舞台へと復帰した石原慎太郎氏は、ある世界的な歴史学者の言葉を引用し、現代日本に向けて烈々たる警告を発しました。
その学者とは、20世紀を代表するイギリスの歴史家、アーノルド・J・トインビー。そして彼の代表作が『歴史の研究』です。
石原氏がこの言葉を借りて、国会や著書で繰り返し語ったメッセージの本質は、
「自分で自分のことを決められなくなった国は、速やかに滅びる」
ということでした。
安全保障を他国(傭兵)に委ね、戦後の豊かさに溺れて市民が当事者意識(責任感)を失った現代日本を、彼はローマ帝国の末期に重ね、激しい危機感を抱いていたのです。
では、この「トインビーの視点」を、私たちが愛する信長、秀吉、家康、そして「ねね」の生きた時代に当てはめると、一体どのように映るのでしょうか。
■ トインビーが紐解く「戦国日本の Challenge & Response」
トインビーの有名な理論に、「挑戦と応答(Challenge and Response)」があります。
文明は、戦争、災害、人口問題、経済変化などの巨大な「挑戦」に対し、社会を導く「創造的少数者(Creative Minority)」が適切に「応答」できるかどうかで発展も衰退も決まる、という考え方です。
「文明は外敵によって滅びるのではない。滅びる原因は常に『内』にある」
これがトインビーの中心思想です。
応仁の乱以来、百年以上も秩序が崩れ、民が苦しみ、武士が争い続けた「戦国時代」とは、日本文明に与えられた巨大な「挑戦」そのものでした。しかし、日本は崩壊しなかった。なぜなら、命をかけてこの挑戦に「応答」した創造的少数者たちがいたからです。
三英傑の三者三様の「応答」
〇 織田信長の応答 =「破壊による応答」
旧来の権威、寺社勢力、身分の固定観念という、国を内側から腐らせていた古い秩序を徹底的にぶち壊した。しかし、新しい秩序を完成させる前に倒れる。
〇 豊臣秀吉の応答 =「統合による応答」
太閤検地や刀狩りによって、壊れた国を一つに繋ぎ、戦国の終わりを告げた。しかし晩年、朝鮮出兵や秀次事件によりその応答は揺らぐ。トインビーならここに「創造的少数者の疲労」を見るでしょう。
〇 徳川家康の応答 =「制度化された応答」
戦に勝つこと以上に、「二度と争わない仕組み(システム)」を構築し、二百六十年続く徳川の平和を定着させた。
しかし、ここに男たちの武力や制度とは全く異なる、もう一つの偉大な「応答」が存在しました。
■ ねねという「応答」―― 文明を支える「継承の人」
「文明は城では続かない。法でも続かない。人が人を育てる時にのみ続く」
男たちが刀や法で戦うなかで、ねね様という創造的少数者が試みたのは、「人づくり」と「憎しみを残さぬこと」による文明の救済でした。
育てた子供たちが豊臣と徳川、敵と味方に分かれ、凄惨な戦いを繰り広げても、彼女は決して憎しみを次の時代へ継承しませんでした。歴史は勝者(徳川)を記録しますが、文明の土壌を本当に支えるのは、しばしば歴史に記録されない「母の祈りと教育」です。
信長が「変革」、秀吉が「統合」、家康が「制度」の人であるならば、ねね様は間違いなく「継承」の人でした。誰を育て、何を次代へ遺すか。その気骨を傍らで見ていた人々は、一体何を語り合ったのでしょうか。
時の記録者・太田牛一が、高台寺の庭でねね様、そして妹のやや様と交わしたかもしれない、時空を超えた「歴史哲学の対話」をここに再現します。
幕間劇:高台寺・歴史の背骨を語る夜
大坂へ戻るため、草履を履こうとした太田牛一が、ふと足を止め、新緑の庭を見つめて呟いた。
太田牛一:
「北政所様。ふと思ったのですが、我らが若き頃に命をかけた戦国という時代は、後世の歴史学者から見れば、どのように映るのでしょうな。
私は海外の古い大国……『ローマ』という帝国の歴史を耳にしたことがございます。あの国は末期、市民が国を支える気概を失い、防衛をすべて『傭兵(金で雇った兵)』に頼り、誰も国家への責任を持たなくなったことで、自ら己を決められずに速やかに滅んだと聞きます」
ねね(静かに微笑み、牛一を見つめて):
「なるほど、牛一殿。『自分で自分の物事を決められなくなった国は滅びる』ですか。それなら、我が日の本(日本)は、そのローマとは真逆の道を選んで生き残ったと言えますね」
やや:
「真逆、にございますか? お姉様」
ねね:
「そうですよ、やや。信長様が『うつけ』と呼ばれていた頃、尾張の周りの大人たちはみんな、戦になれば農民を小作人として連れてくるだけの、責任なき戦をしていました。
それを変えたのが信長様です。身分は低くとも『自分で自分の運命を決める覚悟』を持った若者たち(馬廻・母衣衆)を自ら育て、金や義務ではなく、強固な【志の絆】で結ばれた直属の軍を創られました。これはローマの傭兵とは違い、一人ひとりが織田の家を支える強烈な当事者意識を持っていたのです」
太田牛一(目を輝かせて):
「まさに! 桶狭間のあの嵐の突撃は、誰かに頼まれた防衛ではなく、我ら一人ひとりが『自らの手で未来を決める』という覚悟の集まりでございました!」
ねね:
「そして、秀吉です。秀吉が天下を獲ったあと、最初に行ったのは『刀狩り』と『太閤検地』でしたね。
あれは、農民から武器を取り上げて戦の責任を武士に一任する代わりに、農民には『自らの土地を耕し、国を支える当事者』としての役割と責任(年貢の義務)をはっきりと持たせる仕組み(プラットフォーム)でした。ローマのように市民が義務を忘れて遊興に溺れるのとは違い、すべての民に、それぞれの場所での責任を与えたのです」
やや:
「それを引き継いだのが、徳川の家康殿ですね。
家康殿がいま創ろうとしている江戸の世は、武士が『国を守り、治める』という絶対の責任感を失わないための仕組みです。戦をなくす代わりに、武士には武芸と学問を義務づけ、自らの不始末は切腹という命をかけた責任で償わせる。守りを他国や傭兵に委ねず、自分の足で立ち、自分の物事は自分で決めるという強烈な『信義の背骨』を通そうとしています。だからこそ、これから始まる日本の平和は、中から腐って滅びることはありません」
太田牛一(感極まったように、筆を固く握りしめ):
「……自分で自分の国を決め、自分で守る。その気概を、信長様が蒔き、太閤様が育て、家康殿が国家の仕組みとして定着させた。北政所様が【縁組】で繋いだその心のなかに、トインビーという未来の学者が驚くほどの、日本人の『自立の精神』が宿っていたのですね」
ねね(優しく牛一を送り出すように):
「ええ。もし未来の日本人が、この『自分で自分の物事を決める覚悟』を忘れ、守りを他国に頼り、自己主張ばかりで国家への責任感を失うようなことがあれば……その時は、この国もローマと同じように滅びの道を歩むでしょう。
だからこそ牛一殿。未来の者たちが豊かさに溺れて堕落しそうになったとき、もう一度目を覚まさせるために、あなたの筆で『自らの命と責任をかけて生きた、泥臭くも気高い男たちの史実』を、生々しく残してきてくださいな」
太田牛一(覚悟に満ちた表情で、深く頭を下げる):
「ははっ! 我らの国が、自分で自分の運命を決められる誇り高き国であり続けるために、この命に代えて、真実の文字を未来へ届けてまいります。暴走老人のごとく、最後までこのペンを走らせてご覧に入れますぞ。お健やかに!」
(牛一は今度こそ、日本の未来を守るための大きなバトンを胸に抱き、力強く大坂へと歩き出した。ねねとややは、その背中に未来の日本人の目覚めを託すように、いつまでも誇らしげに見送り続けた)
■ 結びにかえて――現代の私たちへの遺言
石原慎太郎氏がトインビーの言葉を借りて、命を削りながら私たちに伝えたかったこと。それは、「自分の国を自分で守り、自分の言葉と生き方に責任を持つという、日本人が本来持っていたはずの『気骨(背骨)』を取り戻せ」という、烈々たる遺言でした。
信長、秀吉、家康たちが命がけで創り上げ、ねね様たちが「文化」や「人づくり」として繋いだ日本という国は、ローマ帝国末期のような「無責任社会」を克服して誕生した、奇跡の結晶です。
「誰を育て、何を次代へ継承するか」
ねね様が遺したその問いは、400年の時を超え、豊かさのなかで当事者意識を失いかけている現代の私たちへ、今もなお鋭く突き刺さっています。
(おわり)
創作大賞用に、記載(以下)
本編が➀~⑰、コラム編が⑱~㉕です。以下URLを記載します。
また、本編、コラム編をマガジン分けています。
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⑰ 本編最終話
コラム編(本編とコラムで、2つのマガジンに分けてあります)
⑱コラム プロローグ
⑲コラム 物語の世界観(戦国時代の米コメ)
⑳コラム 物語の世界観(気象変動と戦国時代)
㉑コラム 物語の世界観(火山の噴火と人類の歴史)
㉒コラム 物語の世界観(安土饗応膳の豪華メニュー:信長物流)
㉓コラム (マインドフルネス茶道)
㉔
㉕
以上 ありがとうございます。