メインコンテンツへスキップ
見出し画像

琥珀色の向こう側 ⑩ 第8話 加賀百万石を救った「まつ」と「ねね」阿吽の呼吸

    ねね(Nene - The Mother of Samurai)第8話



    慶長四年(1599年)九月九日。重陽の節句。
    大坂城の華やかな席は、一瞬にして凍りつきました。
    伏見城から入城してきた徳川家康が、静かに口を開いたのです。


    「聞くところによると、前田利長殿の家中に、穏やかならぬ動きがあるという……」


    まだ若い秀頼公は意味を測りかね、淀殿の美しい眉がわずかに動きます。


    家康は、前田利長を責めるふりをしながら、実は周囲の出方を冷徹に見定めていました。
    誰が驚き、誰が黙るか――家康が見ているのは、『利家亡き後の豊臣家』の綻びそのものでした。


    少し離れた席からそれを見つめていたねね(高台院)は、直感します。
    (利家殿が亡くなった隙を狙った、家康殿の一手……動かれましたな)


    ねねはすぐさま淀殿を見つめ、信長の血を引く彼女へ「こらえよ」と目線で制しました。


    察した淀殿もさりげなく北政所に目線を合わせ、心の目で深く頷き、怒りを鎮めます。


    ねねは心の中で呟いていました。
    (秀吉が亡くなり、私は守るものが変わった。では、親友のまつ(芳春院)は、夫の利家殿が亡き今、何を守り、誰を支えるのか。……家康が仕掛けたこの大嘘、ただ事ではない)


    この日、家康がぶち上げた「前田利長らによる家康暗殺計画」というデマ。それこそが、豊臣家臣団を分断し、大坂城を占拠するための稀代の謀略でした。


    (急ぎ大坂城を退去し、京都へ移ろう。そして、まつと会わねば!)


    家康の揺さぶりに対し、金沢城の前田利長は「身に覚えのない言いがかりで、父が遺した加賀百万石を奪われてたまるか!」と徹底抗戦の構えを見せます。


    家康は新年早々、金沢へ兵を挙げるというブラフ(ハッタリ)を流し、時代は一気に戦争へと傾こうとしていました。


    そんな年の瀬迫る十二月初旬。


    京都・東山のねねの隠居所に、一人の女性が極秘裏に姿を現しました。まつです。


    尾張・清洲城下の長屋で、道路を挟んで向かい合わせに暮らしていた、貧しくも温かかった下積み時代からの戦友。

    戦国を生き抜いた二人の天才の会話には、無駄な言葉など一切ありませんでした。電撃のような「阿吽の呼吸」で、対話が始まります。



    ねね「家康の建てた大義は、前田の裏切り。ならば、その大義を根底から一網打尽にする答えは――」
    ねねが言いかけたその瞬間、まつがその先をすべて見通したように、凛とした声で言葉を重ねました。

    まつ「――この私が、自ら江戸へ下ること、ですね」

    ねねはふっと微かに微笑み、深く頷きました。

    ねね「……やはり、あなたならそう言うと思っていました。百万石の国母であるあなた自身が人質になれば、家康は前田を攻める大義名分を完全に失います」

    まつ「はい。男たちが意地を張り、刀を抜いて家を滅ぼすくらいなら、私が動きます。ねね様、家康への『お伝え』、よろしくお願いいたします」

    ねね「任せなさい。あやつ(家康)には、私が直接、言い渡してきます」




    稀代の謀略家・家康が仕掛けた完璧な罠を、この二人の女性は、わずか数言の対話だけで「人質を自ら差し出す」という究極のカウンター(逆転の一手)に変えてしまったのです。

    ひとしきり緊迫した智略の応酬が終わると、二人はふっと少女のような笑顔に戻り、亡き利家殿の思い出話に花を咲かせました。


    若い頃、「槍の又左(またざ)」と呼ばれ、血気盛んだった利家殿。
    まつ「利家が病床で危うかった時、万が一のためにと、心を込めて自ら縫った死装束(経帷子:きょうかたびら)を差し出したのです。そしたら夫は怒り狂いましてね!」

    ねね「なんして(笑)?」

    まつ「『俺は生涯、数え切れないほどの戦に出て、敵に後ろを見せたことはない!地獄へ落ちたら鬼どもを返り討ちにしてやるわ!そんな女々しい服を着ていけるか!』と突っぱねるのです。だから私もブチギレて、城中に聞こえる大声で叱り飛ばしてやりました!」

    ねね「何と申した、まつ殿」

    まつ「『何をバカなことを言っているのですか!あなたがこれまで戦ってきたのは自分のためではなく、主君のため、前田家と領民を守るためでしょう!それがなぜ地獄に落ちる理由になるのですか!四の五の言わずにこれを着なさい!』って(笑)」

    ねね「ふふ、利家殿らしいのう」



    そこへ、かつて前田家に仕え、今はねねの側近となっている「おちよ(のちの康庵尼)」が、静かにお茶を運んできます。

    ねね「文に書けない極秘のことは、すべてこのおちよから伝えます。よいな、まつ」

    まつは、静かに頷きました。

    昔話の余韻の中、ねねがぽつりと呟きます。


    ねね「利家様や秀吉が命がけで駆け抜けた時代は終わった。私たちの支えるものは、残された子供たちじゃ」
    まつ「利長、秀頼、徳川に嫁いだ江、それに……豪(ごう)姫も」

    豪姫は、利家とまつの四女であり、子供のいなかった秀吉とねねが2歳の時に養女として引き取り、我が子として育てたお転婆娘でした。


    ねね「豪はね、本当に藤吉郎(秀吉)に似てお転婆で、でも誰よりも情の厚い子に育っていますよ。秀吉がいつも『男なら関白にしたものを』と言っておりましたわ」
    まつ「まぁ……。あの子が……。ねね様、我が子ながら、ねね様に育てていただいて、本当に幸せな娘です」


    ひとしきりの沈黙ののち、まつが言いました。

    まつ「ねね殿が言われるように、これからは、子どもたちがこれ以上傷つかないように、それぞれの場所で睨みを利かせましょう。私たちは、次の時代を生きる子供たちを見守るのです」




    その後、金沢城内。

    「徳川と一戦交える!」と息巻く息子の利長に対し、まつは厳しい叱咤を浴びせました。
    「戦えば前田家は一瞬で滅びます。あなたが変わる(妥協する)のです。意地を張って家を潰すことこそ、亡き父上への最大の不孝です!私が江戸へ行って家康の目を引きつける。その間にあなたは徳川に恭順を示し、お家を守りなさい!」

    母の涙の覚悟に、利長はついに刀を収めました。



    慶長五年(1600年)一月末。

    ねねは約束通り、家康と直接面会します。

    家康が最も恐れていたのは、前田家が西軍(石田三成や宇喜多秀家)と完全に手を結び、背後を突かれることでした。

    そこへ、ねねは最後の切り札を突きつけます。
    「まつ殿が、前田家に反意がない証拠として『自ら進んで江戸へ下る』と言っております。百万石の国母がここまで形を示すのです。これ以上前田を疑い、お家を潰すような真似をすれば、天下の批判はすべてあなたに向きますよ」

    豊臣家の正室であり、全大名から慕われる「ねね」の調停を、家康も無視することはできませんでした。
    ねねから言質を取った家康は、四月、正式に加賀征伐の軍令を撤回したのです。


    まつはこの後、14年という長い歳月を江戸で人質として暮らすことになります。しかし、京都で見守ってくれるねねの存在は、彼女の大きな心の支えでした。


    歴史の教科書には、「男たちの公式な折衝記録」しか書かれません。
    しかし、あの絶体絶命の危機が劇的に回避された背景には、年末年始にかけて京都の東山で「ねねとまつ」が命がけで合意し、裏で手綱を引いていたという、女たちの究極のトップ外交(余白)があったのです。


    (第8話 終わり)




     
     
    今朝、McDonaldの安いコーヒーを飲みながら新聞を広げていました。かつてビジネスマンだった頃の風景と重なり合います。まだまだ、好奇心に陰りは無いようです。カップの向こう側に浮かんだ「景色」を書き留めておく記憶の「保管庫(note)」です。

    あなたへのおすすめ