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琥珀色の向こう側 ㉔ コラム  大一大万大吉』とケネディの演説(時空を超える「利他」のコンパス)


    宇治煎茶の向こう側  : 時空を超える「利他」のコンパス



     渋みの効いた宇治煎茶をいただきながら、静かな朝を迎えている。
    今はこんな、少し骨太な渋みが気分だ。


     豊臣秀吉が長浜の城主だったのは、1574年(天正2年)から本能寺の変が起きる1582年(天正10年)までの約8年間。農民出身の秀吉には、古来から続く「譜代の家臣」がいなかった。

     そこで秀吉と寧々(ねね)は、長浜城を未来の家臣団養成所、今で言う「長浜アカデミー」として機能させる。

    そこには、のちに天才軍師・竹中半兵衛の背中を見つめながら育ち、やがて豊臣の世を支えることとなる若き小姓たちが集っていた。

    大谷吉継、石田三成、加藤清正、福島正則、増田長盛、長束正家……。
    そうそうたる顔ぶれである。
    そこに我が子のいない豊臣家の後継者候補として、織田信長の四男(羽柴秀勝)をも迎えていた。


    この長浜の教育劇についてはまた別の機会に譲るとして、今朝、私の目が留まったのは、その中の一人、石田三成が後年掲げたあの旗印である。

    「大一大万大吉(だいいち だいまん だいきち)」

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    石田三成 旗印


    「一人が万民のために、万民が一人のために尽くせば、天下に平和が訪れ、皆が幸福(吉)になれる」

    三成の気高き志が込められた、政治理念を表す象徴的な言葉だ。

    この安土桃山から江戸へと向かう激動の日本を生きた武将の言葉が、360年の時空を超えて、冷戦期のアメリカで自由主義世界の頂点に立った大統領、ジョン・F・ケネディのあの大統領就任演説と、煎茶の湯気の向こうで鮮に結びついた。


    二人の生涯が、一本の細く、しかし強靭な精神の糸で繋がっていく感覚に、私は震えるような感動を覚えたのだ。


    ケネディは、ワシントンの寒空の下でこう叫んだ。
    「国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを問いかけてほしい(Ask not what your country can do for you...)」


    東洋の武将と、西洋の大統領。

    国も時代も違えど、二人が到達した地平線は驚くほどに酷似している。
    それは、「私利私欲を捨て、個が全体の幸福のために主体的に責任を果たす」という、極めて純粋で高度な「公(パブリック)」への献身の哲学であった。


    しかし同時に、この強すぎる理想主義ゆえに、二人が共に志半ばで処刑、あるいは暗殺という非業の死を遂げたという宿命までもが、悲劇的な反転写のように一致している。


    なぜ、彼らはこれほどまでに激しく生き、そして散らねばならなかったのか。

    その答えは、彼らが直面した「社会システムの過渡期」という構図の中に見出すことができる。


    イノベーションのジレンマと既得権益の衝突


    いつの時代も、古い社会システムから新しい社会システムへと移行するパラダイムシフトの先頭に立つ者は、巨大な壁にぶつかる。
    その壁の正体こそ「既得権益」であり、社会全体が陥る「イノベーションのジレンマ」だ。


    三成の生きた戦国時代は、個人の武勇や血統が支配する「中世」から、組織と法による統治を目指す「近世」への過渡期だった。三成が通そうとした理路整然とした「公儀の法」は、力づくで領地を奪い合ってきた古い武断派の大名たちにとっては、自分たちの特権を縛る受け入れがたい新システムだったのである。

    同様に、ケネディの生きた20世紀後半も、古い政治秩序や人種差別という強固な既得権益がはびこる過渡期だった。ケネディが急進的に進めようとした公民権運動や新しい国際秩序は、保守派やエスタブリッシュメント(支配階層)の激しい反発と憎悪を買うこととなった。


    過去の成功体験や利権にしがみつき、変化を拒絶する人々のエネルギー。
    二人の非業の死は、システムが次の時代へ変わるための、あまりにも巨大な代償だったのかもしれない。

    そして今、私たちは再び、これらと全く同じ構図のうねりの中に立っている。

    「AIをパートナーとする、新しい社会システムへの過渡期」だ。


    加速度を伴う順応が「次の覇者」を決める


    現在、私たちが直面している変革は、単なるビジネスの効率化ではない。
    行政、法制度、医療、暮らしに関わるすべてにおいて、これまでの「人間の役割」が根底から覆るほどの変化が、今まさに加速度を伴って起きている。

    ここでもまた、既存の仕事や仕組みを守ろうとするイノベーションのジレンマが、社会全体を覆い尽くそうとしている。

    歴史を振り返れば、戦国時代に鉄砲という新しいテクノロジーを「単に便利な武器」として部分的に取り入れた大名は、時代の波に飲まれて淘汰された。

    一方で、鉄砲を前提に戦術、物流、城の構造、さらには税制にいたるまで、社会システムそのものを大胆に再設計(デジタルトランスフォーメーション)した織田信長が天下の覇権を握った。


    現代のAI社会もまったく同じだ。いまある業務の延長線上でAIを少し使う程度では、この激流には乗れない。


    人間が書類をチェックする前提の手続きそのものを廃止するような法制度の刷新、あるいは、医師の経験則を飛び越えてAIとゲノム解析を融合させる医療システムの構築など、「新しいテクノロジーを前提として、社会のルールを最も速く、かつ加速度を伴ってアップデートしたプレイヤー」こそが、次の時代の覇者になる。



    三成やケネディの精神が、いまこそ必要な理由


    しかし、ただテクノロジーの進化と効率性だけを追い求める社会は、人間味を失い、冷酷な格差や分断を生むだけだろう。

    社会システムが激変する過渡期だからこそ、私たちは最初の問い、あの二人のリーダーが命を懸けて遺した言葉に立ち返らねばならないと、強く思う。

    私たちがこれから築くべきAI共生社会の根底を支えるべきもの。

    それは、どれほど高度なテクノロジーが生まれようとも、石田三成が関ヶ原の霧の向こうに見つめ、ケネディがワシントンの寒空の下で叫んだ、あの「全体の幸福のために、個がどう主体的に貢献するか」という利他の哲学(パブリックの精神)であるはずだ。

    「自分が新しいシステムから何を得られるか(既得権益)」を奪い合うのではない。
    「新しいシステムを使って、いかに全体の幸福(大吉)をもたらすか」を、私たち一人ひとりが主体的に考えること。


    時空を超えて響き合う「大一大万大吉」の精神。

    それこそが、激動のAI時代を迷わずに生きるための、時をも超えるコンパスなのだと、煎茶の湯気の向こうから、ケネディのあの力強い演説の残響が聞こえてくるような気がする。


    (終わり)




     
     
    今朝、McDonaldの安いコーヒーを飲みながら新聞を広げていました。かつてビジネスマンだった頃の風景と重なり合います。まだまだ、好奇心に陰りは無いようです。カップの向こう側に浮かんだ「景色」を書き留めておく記憶の「保管庫(note)」です。

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