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琥珀色の向こう側 ⑬ 第10話【幽玄の東山】白頭巾の奇跡――大谷吉継が命を懸けて貫いた「究極の信義」

    ねね(Nene - The Mother of Samurai)第10話


    今夜は、コオロギの音が少し多く、そして愛おしく感じる。

    ねね(高台院)は、しばし東山の静寂に響く虫の音に聞き入っていました。
    耳を澄ましていると、ふっと、かつて伏見城で催された「月見と虫聞き」の華やかな宴の情景が、懐かしく脳裏に浮かんできます。

    観月台に立ち、池に映る満月を見つめながら、森の奥から響くツヅレサコオロギやマツムシの声にじっと耳を傾ける――。

    夜も更けた京都・東山。
    ねねは高台寺を後にし、自らの住まう圓徳院(えんとくいん)に向かって、静かに歩き始めました。

    ゴーン、ゴーン……。
    遠くの寺から、夜を告げる鐘の音が響き渡ります。

    「遅くなるのを、気づかなんだな……」


    ぽつりと呟いた、その時でした。

    夜霧の向こう、遠くの参道に、ぼうっと「白いもの」が見えました。
    それは音もなく、しかし確かな威容を湛えて、こちらに近づいてきます。
    白い頭巾を深く被り、輿(こし)に乗った一人の武将。
    そして、その暮らしを護るように、多くの武者たちが音もなく、遥か後ろまで列をなして従っています。


    不思議と、怖さは微塵もありませんでした。ねねの胸に、確信が湧き上がります。
    「……吉継(よしつぐ)か!」
    「――母様」

    その声とともに、従っていた多くの武者たちが、一斉に音もなく石畳に膝を突きました。

    「母様、久しゅうございます。お別れを言う間もなく、今になってしまいました」
    「……凛々しいのう、吉継」
    「この者たちは、私の決断によって、ともに関ヶ原を駆け抜けた、最愛の家臣たちにございます」




    時はあの関ヶ原の決戦前。

    石田三成から「家康打倒」の計画を打ち明けられた吉継は、一度はその無謀さを激しく叱り飛ばしながらも、親友の「義」のために西軍に加わることを決意します。

    自身の敦賀城に戻った吉継は、家臣たちを集めてこう告げました。

    「今回の戦、我が大谷家に勝機はない。私は三成との義のために命を捨てる。しかし、お前たちまで私の個人的な情義(友情)に付き合う必要はない。豊臣に、あるいは私に義理立てせず、逃げたい者は今すぐここを去り、徳川殿に味方せよ」


    吉継から「去れ」と言われた家臣たちの答えは、一つでした。

    「殿が死ぬと分かっている戦に行くというのに、どうして私たちだけが生き残れましょうか。長浜の頃から、そして殿が病に冒されて周囲から疎まれた時も、私たちを家族のように愛してくれたのは殿です。大谷家全員で、三成殿のために華々しく散りましょう」

    誰一人、吉継の元を去る者はいませんでした。

    吉継の「誠実さ」を毎日一番近くで見ていた家臣たちだからこそ、彼らもまた、吉継と同じ「究極の誠実さ」で応えたのです。そこにあったのは、悲惨な強制などではなく、言葉にならないほどの深い愛と、信頼の決断でした。


    関ヶ原の戦い当日、大谷隊はわずか800人。対する裏切りの小早川秀秋の軍勢は1万5,000。

    吉継の指揮のもと、大谷隊は死狂いとなって戦いましたが、多勢に無勢、ついに終わりの時を迎えます。

    吉継は自刃する際、側近の湯浅五助(ゆあさごすけ)に「私の顔は病で崩れている。醜い姿を敵に晒したくない。首を斬ったら、決して敵に渡さず、どこか深くへ隠してくれ」
    と遺言しました。

    五助は主君の首を斬り、戦場の草むら深くへ密かに埋めますが、その直後、東軍の藤堂高刑(たかのり)に見つかってしまいます。

    逃げられないと悟った五助は、高刑に対し、こう懇願しました。
    「私の首は差し上げる。手柄にされてくだされ。ただし、主君(吉継)の首を埋めた場所だけは、誰にも言わず隠し通してほしい。これが私の最期の願いです」

    高刑、そしてその主君である藤堂高虎は、この命をかけた忠義心に激しく感動し、

    「よし、男の約束だ」

    と、その願いを聞き入れたのです。


    戦後の首実検の際、家康は五助の首を見て高刑に尋ねました。
    「吉継の首のありかも知っているはずだ。どこにある?」

    嘘をつけば自分たちが処刑される危険がある絶対の状況で、高刑は一歩も引かずに答えました。

    「五助から首のありかを聞きました。しかし、私は彼との男の約束で『誰にも言わぬ』と誓いました。大御所様の命令であっても、一度武士が交わした約束を破ることはできません。どうぞ、私を処刑してください」

    それを聞いた家康は、激怒するどころか、

    「敵ながら湯浅五助も天晴れなら、約束を守る藤堂の者たちも真の武士(もののふ)である」

    と深く感心し、彼らを一切咎めず、むしろその誠実さを称賛したのです。
    大谷吉継の首は、敵であった藤堂らの「男気」によって永遠に秘密とされ、彼の武士としての尊厳は守られたのでした。



    霧が立ち込める東山の参道で、ねねは愛おしそうに呟きます。

    「お前は、よく周りを見て、他人が困っているときにサッと手を差し伸べられる、本当に優しい少年でした。気性が激しく喧嘩ばかりする清正や正則と、理屈っぽくて周囲と衝突しがちだった三成の間に入り、いつも見事な調停役を果たしてくれていましたね」

    ねねは、膝を突く武者たちを見渡します。

    「お前のその調和の才と、他者への誠実さを知っているからこそ、この者たちもお前と最期まで共に歩んだのですね」

    「……あたたかいお言葉、感謝いたします。母様、どうか、お健やかにお過ごしください」



    いつしか、コオロギの音が少しずつ大きくなり、夜霧が晴れるように、吉継たちの姿は静かに消え去っていきました。



    圓徳院。

    ねねは、自らが祀る「三面大黒天」の前に立ち、お茶を供えながら、静かに祈りを捧げます。

    敗北を承知で親友のために命を懸けた、義の武将・大谷吉継。
    彼はのちに「ハンセン病(あるいはそれに類する重病)」を患い、顔を白い頭巾で覆って暮らすようになります。周囲の大名たちが彼を避けるようになる中、ねねだけは彼を長浜時代の「我が子」と全く同じように扱い、体調を気遣う手紙や仕送りを送り続けました。

    吉継が、三成を見捨てなかった背景には、「ねね様に育てられた恩義と、同じ釜の飯を食った仲間を見捨てない」という、長浜のあの小さな城下町で育まれた、絶対的な誠実さ(原点)があったのです。

    「吉継、よく、生き抜きましたね……」

    虫の音だけが、夜の圓徳院を優しく包み込んでいました。

    (第9話 終わり)



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    今朝、McDonaldの安いコーヒーを飲みながら新聞を広げていました。かつてビジネスマンだった頃の風景と重なり合います。まだまだ、好奇心に陰りは無いようです。カップの向こう側に浮かんだ「景色」を書き留めておく記憶の「保管庫(note)」です。

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