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本能寺の変1582 【光秀という男】 結論 18/x №6-075 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    【光秀という男】 結論 18/x    №6-075

    はじめに ←目次 【記事一覧】 
    ←【五大要因】
     
    1時代の風潮 2光秀の実像 3光秀の苦悩 4武田の滅亡 5信長の油断
    ←【重要コメント】 
    ←【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
     【四国問題】 八 九 十 目次 【四国問題 概要】 八 九 十
     【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
     【さらなる夢】
     
    関連史料 1京都馬揃え 2ヴァリニャーノ 3安土の夜祭り
          4スペインの野望 5信長の「さらなる夢」 6光秀の思い
     
    【重史140】 【重史141】 【重史142】
     【足蹴事件】 目次 1/3 2/3 3/3 【重史040】 【重史041】
     【信長という男】 目次
     1/5 目  2/5 目  3/5 目  4/5 目  5/5 目  結論 目  【重史146】
     【光秀という男】
     
    目次 1/7 目  2/7 目  3/7 目  4/7 目  5/7 目  6/7 目  7/7 目  
     結論 目  1/8 目  2/8 目  3/8 目  4/8 目  5/x 目  6/x 目  7/x 目  8/x 目  9/x 目
     10/x 目  11/x 目  12/x 目  13/x 目  14/x 目  15/x 目  16/x 目  17/x 目
     18/x 目  19/x 目  20/x 目 
     【重史241】 1/2 2/2 【重史001】 【重史101】
     【時は今・・・】 目次
     0521 目 0526 目  0527 目  0528 目 0529 目
    →重要 ◎目次 
    →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
    →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
    →【シリーズ】
     信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5 
    →その一因 目次大 概説大 目次中 →
     3光秀と光慶  (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
    →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
    →【人物】
     【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
    →【ここがポイント!!】
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
     信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
    *加筆修正

    【光秀という男】 結論 18/x             №6-075

    ここで、東アジアを取り巻く国際情勢と「イエズス会」の動向にについて。

    1580年1月。                   →【重史256】
    スペイン、ポルトガルを併合。

     一五八〇年一月、ポルトガル国王ドン・エンリーケの死に伴い、
     スペイン国王フェリペ二世が三万の軍勢を率いてポルトガルの首府リスボ
     ンに入り、他の王位継承の候補者達をしりぞけて、
     一五八一年四月ポルトガル国王に即位し、
     以後一六四〇年のポルトガル独立に至るまで、
     六〇年間ポルトガルはスペインに併合されることになる。

    スペイン、ポルトガルの領土については干渉せず。

     ポルトガル領インド、即ち東インドに於けるポルトガルの利権に対して
     は、スペイン国王は一切干渉しない旨の約束を最初に行っている。
                   (「キリシタン時代の研究」高瀬弘一郎著) 

    1581年2月~7月。(陰暦)
    ヴァリニャーノ、信長との出会い~安土の「夜祭り」・別れ。

    5/x ヴァリニャーノが、上洛。信長に、拝謁した。
    6/x 「御馬揃の事」、その当日である。
    7/x そして、信長が現れた。
    8/x 正親町天皇は、大そう御喜びになられた。
    9/x フロイスの見た「京都馬揃え」。
    10/x ヴァリニャーノの見た安土。
    11/x 信長は、ヴァリニャーノ一行を安土城に招待した。
    12/x ヴァリニャーノは、、シナの事情に精通していた。
    13/x ヴァリニャーノは、安土にセミナリオ(神学校)を開校した。
    14/x ヴァリニャーノは、安土に一ヶ月ほど滞在した。
       信長は、覚醒した。「さらなる夢」が芽生えた。
    15/x 一、信長は、ヴァリニャーノに気に入りの屏風を贈った。
    16/x 二、信長は、ヴァリニャーノに経済的援助を約束した。
    17/x 三、信長は、ヴァリニャーノのために「夜祭り」を執り行った。

    1582年6月。(陰暦) 
    「本能寺の変」
    信長、死す。

    その半年後。
    1582年12月。
    この時、ヴァリニャーノはマカオにいた。
    天正遣欧少年使節団の一行を伴っていた。       →12/x 【人物】

    ヴァリニャーノは、スペインのフィリピン総督に以下の書簡を送った。
    スペイン国王は、フィリペ2世 (在位1556~98) 。
    フィリピン総督は、ドン・ゴンサロ・ロンキーリ・デ・ペニャロサ。

    スペインは、東アジア各地を征服しようとしていた。   →【重史256】
    イエズス会の布教活動は、これら征服事業と同時並行で行われた。

     これら東洋に於ける征服事業により、現在いろいろな地域に於いて、
     陛下(スペイン国王)に対し、多くのそして大きな門戸が開かれており、
     主への奉仕及び多数の人々の改宗に役立つところ大である。

     これら征服事業は、霊的な面ばかりでなく、
     それに劣らず陛下の王国の世俗的な進展にとって益する。

    スペインの最大の目的は、シナを征服することだった。

     そしてそれらの征服事業の内、最大のものの一つは、
     閣下(フィリピン総督)のすぐ近くのこのシナを征服することである。

    ヴァリニャーノは、スペインの征服事業に加担していた。

     私がこの地でえた経験を基に、その件のため判るいくつかの重要な事柄に
     ついて、
     閣下と相談することが出来れば大変嬉しく思う。

    イエズス会は、スペインに従属していた。

     私がこのことを閣下に書(き)送るのを望んだのは、
     イエズス会が主や陛下(スペイン国王)に対して忠誠を尽くすべきところか
     ら、
     凡(すべ)てに於いて、
     より大なる主の光栄と陛下への奉仕を願うが故である。
                          1582年12月14日付
             【重史256】「フィリピン総督宛ヴァリニャーノ書簡」
                   (「キリシタン時代の研究」高瀬弘一郎著)




     ⇒ 次へつづく




     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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