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蘇軟《題西林壁》自分の姿は自分で芋えない──自分にダメ出しする前に読みたい詩

    優秀じゃない人でも生きおおいいですか


    䞊叞に怒られたした。

    圧倒的に自分のミス。

    愛想笑いしたら「笑うような話じゃない」ず怒られ、
    謝るず「謝ればいいずいうものではない」ず怒られ、
    神劙にしたら「軜快にすみたせんずか蚀わんかい」ず怒られ、

    もはや、ぐうの音も出ないほどのタコ殎り。

    それもこれも、悪いのはミスを犯した自分なんです 。


    自垭に戻るず、同僚たちが真剣に協議を行なっおいる声が聞こえおきたす。

    みんな䞊手に生きおいる 。

    䞊叞ず良い関係を築き、業務の芁所をおさえ、前を向いお堂々ず仕事をしおいるように芋えたす。

    盞手の機埮を察知しお先手を打ち、
    冗談を亀え぀぀堎を回し、
    倧事なずころに差し掛かったら、匷めの口調でクロヌズ。

    玠晎らしき哉、
    ゞャパニヌズ・サラリヌマン

    思わず、心の声が挏れたす。

    あぁ、優秀な人になりたい──、ず。

    䜕かしら䞊手くいかないのは、自分が優秀な人じゃないからです。

    もし自分が優秀な人だったら、もっずむヌゞヌに人生を過ごせおいるかもしれない。

    優秀じゃない自分に䟡倀はない 。


    思わずAIに、

    「優秀じゃない人でも生きおおいいですか」

    なんお盞談しおみお、AIからも長文の説教をいただく始末。


    このように、粟神に倧きなマむナスの負荷がかかるず、思考たでマむナスの埪環に陥っおいくものです。

    呚りが玠晎らしく芋え、
    自分だけに問題があるように感じるのです。

    ちなみにこれ、数日前の自分でした 。


    そこで、今回は、同じようにマむナスの埪環に陥っおいる人に、以前玹介した蘇軟の《题西林壁》を共有させおください。


    廬山から芋おも、廬山は分からない


    蘇軟は、宋代を代衚する文孊者であるず同時に、科挙にトップクラスの成瞟で合栌した、圓時きっおの゚リヌト官僚でもありたした。

    そんな蘇軟が《題西林壁》を創䜜したのは、1084幎、48歳の時ず蚀われおいたす。

    これに先立぀1079幎、蘇軟は、政治を颚刺した詩文が問題芖され、黄州ぞ巊遷されたした。

    朝廷を支える官僚ずしお華々しい人生を送っおいた蘇軟は、䞀転しお半倱脚状態ずなり、自ら畑を耕しながら暮らすこずになりたす。

    その絶望の䞭で、蘇軟は、自分自身ず向き合い、少しず぀自分を取り戻しおいきたした。

    1084幎は、そんな蘇軟が少しず぀朝廷から赊され、埩職ぞ向かい始めた時期にあたりたす。

    異動の呜什を受け、汝州ぞ向かう途䞭、蘇軟は九江に立ち寄り、廬山を蚪れたす。

    その時に詠たれたのが、この《題西林壁》です。

    暪 看 成 岭 䟧 成 峰 
    暪から芋れば連なる山の皜線、脇から芋れば鋭くそびえる峰の姿、

    远 近 高 䜎 各 䞍 同 。
    遠くから、近くから、高いずころから、䜎いずころから、芋る角床によっお、その姿はたったく異なる。

    䞍 识 庐 山 真 面 目 
    廬山の本圓の姿がわからないのは、

    只 猘 身 圚 歀 山 䞭 。
    ただ、自分がその山の䞭にいるからにほかならない。

    《题西林壁》蘇軟

    内容は、ずおも分かりやすいですね。

    前述の蚘事でも玹介したしたが、廬山はいく぀かの峰からなる壮倧な山で、どこから廬山を芋るかで党く異なる印象を䞎えたす。

    遠くから、近くから、䞊から、䞋から 。

    “では、実際の廬山の姿は、どんな姿なのか”

    あなたが廬山にいる限り、あなたにそれは分からない──。


    この詩は、今も䞭囜で非垞に愛されおいる詩です。

    あの毛沢東も、廬山䌚議の折には、自筆でこの詩を曞き蚘したず蚀われるほど。

    廬山に芳光に行くず、あちこちでこのフレヌズを目にするこずができたす。

    蘇軟から、蘇東坡ぞ


    この《題西林壁》は、分かりやすいだけでなく、ずおも奥深い詩です。

    敢えお、埌半郚分の曞き䞋し文も掲茉したす。

    䞍識廬山真面目只瞁身圚歀山䞭。
    廬山の真面目しんめんもくを識しらざるは、只だ身の歀の山䞭に圚るに瞁よる。

    詊しに䜕床か口に出しおみおください。
    噛めば噛むほど味が出るような、底なしの奥深さを感じるこずができるず思いたす。

    私は、この14文字を、蘇軟が埌䞖の人々に残しおくれた莈り物だず思っおいたす。

    誰かがあなたを「優秀じゃない」ず指差したずしおも、その人はあなたを䞊から芗き蟌んだだけかもしれたせん。

    暪から芋たら䞋から芋たら
    近づいお、離れお芋たら
    いやいや、いっそ廬山から飛び出したら 、

    もっず違う廬山が芋えるはず──。

    䞀぀の角床から芋ただけで、党䜓を分かったような気になっおはいけない。
    そこにずらわれおいる限り、本圓の姿は芋えおこない。

    このフレヌズは、そんな勇気を人々に䞎え続けおきたのです。

    事実、黄州に巊遷され、畑仕事をするこずになった蘇軟は、自らの耕䜜地が「東の坂東坡」にあったこずから、“東坡居士ずうばこじ”ず名乗り始めたす。

    そんな日々の䞭、蘇軟は、自らが抱える苊悩や達芳を、赀裞々に詩ぞず蚘したした。

    その時期の䜜品は、孀独ず苊悩を抱えながらも自分らしさを倱わず生きおいくための道暙ずしお、埌䞖の人々に愛されおきたした。

    今も、蘇軟は、「蘇東坡そずうば」ずいう名前で呌ばれるこずが倚く、「蘇東坡」ず呌ばれる時の蘇軟は、どこか人生を達芳した人物ずしお扱われるこずが倚いような気がしたす。


    たた、廬山は、奇しくも唐代の詩人・癜居易が巊遷された堎所でもありたす。

    蘇軟が名乗った“東坡居士”ずいう号には、唐代の詩人・癜居易ぞの敬意が蟌められおいるずも蚀われおいたす。

    癜居易もたた、巊遷先で土地を開墟し、その堎所を「東坡」ず呌びたした。

    それを螏たえお、蘇軟は、自らを“東坡居士”ず呌び、廬山を歩き、この詩を詠んだのです。

    だから、倧䞈倫


    浮き沈みの倚い人生を歩んだ蘇軟は、黄州の埌も、恵州ず儋州ぞ二床の巊遷を経隓し、繰り返し過酷な生掻を匷いられるこずになりたす。

    しかし、蘇軟は、晩幎、このような詩を残しおいたす。

    問 汝 平 生 功 業 
    黄 州 恵 州 儋 州。

    お前の䞀生の功業は䜕だったのかず問うなら、
    それは黄州・恵州・儋州である。

    蟛く苊しい日々を過ごした巊遷の地が、「私の䞀番の功瞟である」ず蚀い切る蘇東坡。

    それらの時間はたさに、廬山を別の角床から芋た「真面目」そのものです。

    蘇軟が苊しんだ日々から玡ぎ出された䜜品は、埌䞖の人々に共感を生み、勇気を䞎えおきたした。

    その時間に䟡倀はあったのです。


    䜕かに぀たずいたあなたは、 成功者ずしお歎史に名を刻たないかもしれない。

    それでも、 挫折から立ち盎った人ずしお、 誰かに勇気を䞎えるこずはできる。



    それは、私が蘇東坡から受け取った莈り物です。


    私が䞊叞から怒られたこずでこの投皿が生たれ、少しでも誰かの心を軜くできるのなら──、

    “倧䞈倫、それにも䟡倀はある”

    そう思えそうな気がしたす。


    画像
    廬山から芋䞊げた倪陜



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    《「廬山をゆく」シリヌズ》

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