メインコンテンツへスキップ

創作大賞2026【AI小説】『最後ノ爪⑮』第15話:捜査犬

    画像

     篠宮が案内した部屋に入った瞬間、怜奈は、そこが会議をする場所ではないことを理解した。

     壁際のモニターには、外典ページの保存画像、復習ログの一覧、共有URL、セミナー管理画面、業務終了報告、端末ログ、入退館照会の結果が、それぞれ別の窓で開かれている。画面の端には、取得時刻、照会番号、保全状態を示す小さな表示が並んでいた。

     白衣の人間はいない。試験管もない。薬品の匂いもしない。代わりに、複数の端末が同時に動いていた。

     篠宮は座る前に認証を通した。矢代はすでに別の照会先へ電話をかけ、ルートの氏名と所属を読み上げている。桐野は部屋の入口近くで、別の担当者に短く指示を出していた。

    「主催者側には保全要請。運営会社にはルートの勤務実態と最終出勤。ビル管理には入退館。通信は照会準備。出ないものは、出ない理由ごと記録しろ」

     声は大きくない。けれど、部屋の空気がその声に従って動いている。

     怜奈だけが、一瞬遅れて立ち止まった。

    「ここが、科捜研ですか」

    「正確には、今だけの本陣です」
     篠宮は画面から目を離さずに答えた。

    「ルートさん本人が見えないなら、周囲から潰します」

     その言い方は、荒くなかった。
     けれど、もう昨日の軽さではなかった。

         *

     篠宮の端末には、いくつかの処理が並行して走っていた。

     外典ページと復習ログの語順照合。画像候補フォルダの抽出。共有URLのアクセス履歴の整列。生成出力と人間編集箇所の差分表示。画面の片隅には、犬の横顔のような小さなアイコンが点滅している。

     怜奈が目を留めると、篠宮が言った。

    「例の小型犬です」

    「AIエージェントですか」

    「そこまで立派ではありません。こっちのは、拾って並べるだけです」

     篠宮は、点滅しているアイコンを一度だけ見た。

    「向こうのAIは、足りないところを物語で埋めます。こちらのは、足りないところに『足りない』と札を付けます」

    「保全用、ということですか」

    「はい。補完しないためのAIです」

     その言葉に、怜奈は少しだけ息を止めた。

     AI対AI。だが、派手な戦いではない。

     片方は、人の死を称号に変える。もう片方は、欠けた場所に欠けたままの札を付ける。

     篠宮は、別の窓を開いた。

    「まず、業務終了報告から入ります」

     矢代が電話を切って戻ってきた。

    「ルート本人への連絡は、いまのところ不通です。運営会社は、担当者確認中」

     桐野が言った。

    「その文面も残せ」

    「はい」

     篠宮は、業務終了報告のファイルを開いた。

         *

     報告書は、簡潔だった。

    •  本日の演習は予定通り完了しました。

    •  参加者ログは復習用に保存済みです。

    •  未整理項目は次工程へ引き継ぎ済みです。

    •  関係資料は再利用可能な形式で格納されています。

     怜奈は、三行目で眉を寄せた。

    「次工程」

    「気になりますか」

    「はい。人のことを、工程にしています」

    「私もそこを見ています」

     篠宮は、報告書のメタ情報を表示した。作成時刻、更新時刻、送信時刻、テンプレートID、自動要約の履歴。数字が並ぶ。

    「業務端末は十八時七分にログアウトしています。でも、この文書の最終整形は十八時九分です」

     矢代が画面を覗いた。

    「ログアウト後に報告書が整えられている」

    「はい。自動送信の仕組み自体はあります。異常ではありません」

    「でも」

     篠宮は、画面の隅にある解析結果を指した。

     自動要約テンプレート一致。
     本人入力比率低。
     手動追記不明。
     確認対象。

    「この文は、ルートさん本人が打ったものではありません。テンプレートと自動要約の混合です」

    「AIが書いたんですか」
     怜奈が聞いた。

    「業務支援の自動要約です。生成AIというより、報告文を整える仕組みです」

     篠宮は短く息を吐いた。

    「だから厄介です。便利で、普通で、よく使われています」

     怜奈は、報告書の文面をもう一度読んだ。
     予定通り完了。保存済み。引き継ぎ済み。再利用可能。

    「科学捜査というより、事務作業に見えます」
     思わず、そう言っていた。

     篠宮は画面から目を離さなかった。

    「だからテレビドラマにならない」

     篠宮は、小さく呟いて、報告書の送信時刻を指した。

    「人が消えた痕跡は、こういうところに残ります」

     怜奈は、カーソルを目で追った。
     
     人が消えたとき、誰が気づくのか。ログはアラートを発するのか。報告書は読まれるのか。それとも、ただ処理するだけなのか。

     〈人が倒れたとき、誰が気づくんでしょう。〉

     怜奈は、牧野の声を思い出した。

         *

    「時系列、出ます」
     篠宮が言った。

     モニターに、短い行が並んだ。

    1. 17:42 セミナー終了。

    2. 17:49 復習ログ一括エクスポート。

    3. 18:03 業務終了報告、自動送信。

    4. 18:05 予定表削除。

    5. 18:07 業務端末ログアウト。

    6. 18:09 業務終了報告、最終整形。

    7. 18:11 入退館記録なし。

    8. 18:16 社用チャット既読。

    9. 18:17 以後応答なし。

     怜奈は、六行目と七行目を見比べた。

    「入退館記録なし、ですか」

    「はい。ビル側の正規の入退館記録には、ルートさんの退出が残っていません」

    「正規の記録だけがない」
     怜奈が言うと、矢代がこちらを見た。

    「牧野さんのときと似ていますね」

    「はい。でも、同じではありません」

     篠宮が、わずかに首を傾けた。

    「どこが違いますか」

    「牧野さんは、現場にいたのに記録がなかった。ルートさんは、記録の上では処理されているのに、本人の動きがない」

     篠宮は、少しだけ目を細め、別の処理結果を呼び出した。

    「ルートさんは、完全に消えているわけではありません。むしろ、必要な処理だけはきれいに残っています」

     矢代が言った。
    「きれいすぎる……」

    そのとき、桐野が電話口を押さえて振り返った。

    「生活痕跡は」

     矢代がメモを見た。

    「はい、確認中です。社用スマホの基地局、ビルWi-Fi、交通系IC、決済、私物スマホ。順に返ってきています」

    「来たものから出せ」

    「はい」

     篠宮の画面に、次々に新しい通知が流れる。

    •  社用スマホ、最終基地局。

    •  ビルWi-Fi接続終了。

    •  交通系IC、該当なし。

    •  決済履歴、該当なし。

    •  私物スマホ、圏外。

    •  社用チャット、既読後応答なし。

     矢代は、その一覧を見て、少しだけ表情を変えた。

    「生活の痕がない」

    「生活の痕?」
     怜奈が聞いた。

    「逃げた人間は、完全には消えません」
     矢代は言った。

    「腹が減ります。移動します。誰かに連絡します。金を使う。交通機関に乗る。どこかのカメラに映る」

    「ルートさんには」

    「今のところ、それがありません」

     篠宮が、画面の別窓を開いた。

    「ログだけ見ると、きれいです。でも、人間がその時間にそこにいたなら、こうはなりません。操作ミス、開きっぱなしの画面、遅れた返信、余計な移動、迷い。それがありません」

    「逃げたというより、処理されたみたいですね」

     怜奈は言ったが、その言葉に寒気を感じた。人に使う言葉ではない。けれど、この一連のログは、そう見えた。

    「人間の行動としては、現場の温度が感じられません」

     篠宮は否定しなかった。

         *

     篠宮は、ルートの権限範囲を開いた。

     セミナー参加者の復習ログ、AIエージェントの出力履歴、画像生成候補の一時保存領域、アンケート回答、共有URLのアクセス履歴。それらが、一覧として並んでいる。

    「ルートさんが、外典の投稿者とは断言できません」
     篠宮が言った。

    「ただ、外典を作れる場所にはいたのは確かです」

    「場所」

    「材料庫です」

     篠宮は、フォルダ構造を表示した。

     怜奈には、それがただの保存先に見えた。だが、よく見ると、外典ページを作るために必要なものが、そこに揃っていた。

     参加者が出したカード名の候補、生成画像の失敗作、補助札の文言、調査者をカードに配置する案。そして、牧野修司の名前はないが、牧野修司を連想させる断片。

    《C17。古いネジ。床下配管。正規入館記録なし。》

     怜奈は、自分の目を疑った。

    「ここまで、見られたんですか」

    「ルートさんが、全部見たとは限らない」

    「次はアクセスの順番をトレースします」

     篠宮が操作すると、画面の端で小型犬のアイコンがまた点滅した。

    「この子は何をしているんですか」
     怜奈が聞いた。

    「候補を嗅いでいます」

    「ワンちゃん、何匹いるんですか」

     篠宮は、画面の隅を見た。

    「今は千二十四匹です」

    「千二十四ですか?」

    「探し物次第では増やせます。減らすこともできます」

     篠宮は、点滅する犬のアイコンを指した。

    「一匹ずつ違う匂いを追わせています。同じ語順、同じ画像ファイル、同じ共有元、同じ時刻帯。人間が全部見る前に、怪しい束を持ってきます」

    「判断は」

    「私がします」

     篠宮は即答した。

    「この子たちは、断定しません。断定するAIは、今は信用しません」

     画面に時刻が並ぶ。
     復習ログ。画像候補。カード名候補。補助札。そのあとに、RとYの文字があった。

     怜奈は、その二文字で呼吸が浅くなるのを感じた。

    「ここは」

    「ルートさんの管理画面から開かれています」
     篠宮が言った。

    「ただし、本人操作かどうかはまだ確定しません。セッションが生きていれば、別の人間が触ることもできます」

    「つまり」

    「ルートさんは、投稿者とは断定できません。でも、鍵は持っていました」

     矢代が低く言った。
    「材料庫の鍵」

    「はい。そして、その鍵を持った人間Xが、いま消えています」

     桐野が電話を切った。

    「運営会社はまだ担当者確認中だ」

     篠宮が顔を上げた。

    「出た、便利な言葉」

    「記録したか」

     桐野の確認に篠宮は頷いた。

    「よし、続けろ」

     桐野は、手振りを見せて短く指示を飛ばした。

         *

     午後になる前に、保全データの一部が返ってきた。

     セミナー管理画面のセッション履歴、復習ログの閲覧順、一時保存された画像候補のサムネイル。外典ページと完全には一致しないが、似たカードがいくつも並んでいる。

    『火の回廊に眠る男』『火の列に残された男』『熱を知った者』『風路に消えた男』『送風の影に倒れた男』『槽の底に沈んだ女』『水面に映らなかった女』『最後の爪を残した男』『古い爪を残した男』

     篠宮は、その候補を一つずつ並べた。

    「これが物量ですね」

     怜奈が言った。

    「はい。向こうは、たくさん作っています。その中から、いちばん刺さるものを選んでいる」

    「AIが選んだんでしょうか」

    「一部は。ただ、最終的な選択は人間だと思います」

    「根拠は」

    「嫌な言い方を選んでいるからです」

     篠宮は、五枚目の候補『最後の爪を残した男』のサムネイルを拡大した。

    「これは、ただの生成候補ではありません。意味がわかっている人間が選んでいます」

     怜奈は、画面を見た。たしかに、タイトルそのものが、牧野のカード名にされている。

     誰かが、こちらの読み方まで見ている。あるいは、そう思わせようとしている。

    「おとりですか」
     矢代が聞いた。

    「かもしれません。ただ、おとりでも構いません」

    「なぜですか」

    「餌を置くには、場所を知っている必要があります」

     篠宮は、画像候補の保存先を指した。

    「この候補は、復習ログから自動で生成されたものではありません。別のフォルダに移されています。誰かが、使う候補だけを選んでいます」

    「その誰かがルートさん」

    「仮にXと呼んでおきますが、ルートさんのセッションではあります。でも、Xがルートさんとは限りません」

    「限りなく、ルートさんに近いX」

    「そう解釈するのが自然です」
     篠宮は短く答えた。

     そのとき、画面右上に通知が出た。

    •  匿名アカウント、更新。

     部屋の空気が、一瞬で変わった。

         *

     篠宮は何も言わずに外典ページを開いた。
     灰色だった十三番目のカードが、半分だけめくられていた。

     顔はまだない。背景もぼやけている。ただ、称号だけが先に表示されていた。

    『次工程へ渡された男』

     怜奈は、息を止めた。ルートの名前は、どこにもない。
     男、とはルートを指しているのか。

     業務終了報告。次工程へ引き継ぎ済み。
     さっき見た言葉が、そのままカードの称号に変わっている。

     昨日、ルートは笑顔で言っていた「人間が最初から全部を見る必要はない。」その言葉を配っていた人間が、いまは誰にも見られないまま、次の工程へ送られたのだろうか。

     怜奈は、その皮肉を理解した瞬間、腹の底が冷えた。

    「見られていますね」
     矢代が言った。

    「はい」

     篠宮は、すでに保存処理を始めていた。

    「こちらがこの報告書を見たあとに、更新されています」

    「内部か」
     桐野が聞いた。

    「内部とは限りません。こちらの照会先、保全先、共有画面、どこかに反応している可能性があります」

    「追えるか」

    「追えます」

     篠宮は、少しだけ黙ってから言った。
    「ただし、向こうも追われることを前提にしています」

    「おとりか」

    「おとりです。でも、おとりには手癖があります」

     篠宮は、更新されたカードの画像ファイルを拡大した。

    「このカードだけ、生成条件が違います。前のカードより背景が浅い。人物の輪郭も曖昧です。急いで作っています」

    「誰が」

    「それを今から特定します」

     篠宮の声は、低かった。怒りではなく、集中の声だった。

     小型犬のアイコンが点滅する。

    • 関連候補抽出中。

    • 共有元照合中。

    • 更新時刻照合中。

    • 画像生成履歴照合中。

    「犬も怒っていますか」
     怜奈が聞いた。

    「犬は怒りませんよ」
     篠宮は画面を見たまま答えた。

    「怒るのは人間の領分です」

         *

     篠宮は、更新直後の通信を追った。

     外典ページのサーバ、画像ファイルの更新時刻、生成候補の保存先、共有ログの閲覧、セミナー管理画面の残存セッション。画面は次々に切り替わったが、篠宮の視線は一度も泳がなかった。

     AIが作ったカード、人間が選んだ称号、自動で送られた業務終了報告。それらを、篠宮は一つずつ剥がしていく。

     補完されたピースを取り除き、推測を推測に、未確認を未確認に戻す。それは、外典とは逆の作業だった。

    「ここです」
     篠宮が言った。

     モニターに、古いフォルダ名が表示された。現行のセミナー資料ではない。

     保守資料。設備図面。冷却系統。C17。

     部屋の動きが、そこで一度止まった。さっきまで走っていた照会や照合の速度が、一本の古い線の前で止まる。

     怜奈は、画面に近づいた。

    「なぜ、ここに」

    「Xのセッションが最後に開いた資料です」
     篠宮が答えた。

    「外典の投稿画面ではありません。業務終了報告でもありません。この資料です」

    「Xは逃げ道を探したんでしょうか」
     矢代が言った。

    「逃げ道?」
     怜奈が聞き返すと、矢代は画面を見たまま答えた。

    「自分が見られていると気づいたなら、見られない場所を探すはずです」

     篠宮は、すぐには答えなかった。

    「可能性はあります。ただ、逃げるために開いたのか、何かを確かめるために開いたのかは、まだわかりません」

    「確かめる?」

    「牧野さんが残したものです。ルートさん自身も、それが何かを追っていた可能性があります」

     怜奈は、画面の古いフォルダ名を見た。

     Xは何者か、外典を作る側、外典に飲まれる側、あるいは、その両方だったのかもしれない。

     画面には、古い施設図が表示されていた。

     現在の図面とは違う。線の引き方が古く、区画名も少し違っている。冷却配管の枝番が細かく書かれているが、いくつかの系統には廃止済みの印がついていた。

     怜奈は、目で追った。

     C17の床下配管から、現在の管理図には載っていない細い線が一本伸びている。固定金具の位置を示す小さな記号が、途中で途切れるように残っていた。

    「この図面、現行じゃありません。古い版です」
     怜奈はそう言うと、画面を指した。

    「この線は、今の管理図には出ません」

     篠宮が顔を上げた。

    「どういうことですか」

    「撤去済み扱いになっているはずです。でも、現場では残っている可能性があります」

    「ログには」

    「出ません。現行設備として扱われていないなら、保守ログにも入らない。誰も見ない。けれど、古い図面を知っている人なら、そこに何かを隠せるかもしれません」

     矢代が、静かに聞いた。
    「人が通れる場所ですか」

    「人が通る場所ではありません。けれど、手を入れることはできます」

     篠宮は、何も言わなかった。

     その沈黙で、怜奈はわかった。

     ここから先は、篠宮の画面では追えない。ログは、ここで途切れている。この先は、現場に続いている。

    「ここから先は、三枝さんの領分です」

     篠宮が言った。

     怜奈は、画面の古い線を見た。

     外典は、牧野をカードにした。けれど牧野が残したものは、カードではない。

     床下に残った配管の枝番と、固定金具の位置。現行図面から消えたはずの細い線。そのどこかに、牧野が最後に触れた場所がある。

     怜奈は、小さく頷いた。

    「現場を見ます」

     桐野がすぐに電話を取った。

    「新東京第五センターにつなげ」

     篠宮が端末を閉じた。

    「私も行きます」

     桐野は受話口を押さえたまま、篠宮を見た。

    「現場で勝手に触るな」

    「触りません、見るだけです」
     篠宮は答えた。

     そして、少しだけ怜奈を見た。

    「見方は、教えてもらいます」

     矢代が資料を手に取った。

    「行きましょう」

     怜奈は、もう一度、古い図面を見た。

     C17の床下には、現行図面から消えた配管がまだ残っているかもしれない。その線の先に、牧野が最後に残したものがある。

     今度は、現場が答える番だった。


    第1話:布状廃棄物
    第2話:乾いた預言者
    第3話:正規入館記録
    第4話:最後の爪
    第5話:実家
    第6話:勝手口
    第7話:飛び火
    第8話:槽の底
    第9話:バディ
    第10話:衆目ー表
    第11話:衆目ー裏
    第12話:遺族リスト
    第13話:外典ー表
    第14話:外典ー裏


    あなたへのおすすめ