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誘導の旗 ―ご安全に!― 第4話 来訪者

    #創作大賞2026 #お仕事小説部門


    【目次】
    第1話 港区再開発、200台の生コン搬入
    第2話 緊急断水の修羅場 
    第3話 視線 
    第4話 来訪者 →(本記事)
    第5話 接触
    第6話 現場
    第7話 再起
    第8話 選択
    第9話 祭りの雑踏、見えない波
    第10話 オレンジの規制線
    第11話 残る
    第12話 ご安全に


     その朝、営業所の空気は妙に平らだった。

     前日の現場で見た黒い服の男のことが、起きた瞬間から朔太の頭のどこかに残っていた。夢に見たわけではない。だが、目を開けた途端に現実へ復帰する感覚のなかで、あれがただの思い込みではなかったことだけが、妙にはっきりしていた。洗面台の鏡に映る自分の顔は相変わらず疲れて見えたが、疲れの質が少し違う。肉体の消耗というより、視線をどこへ置くべきかが一つ増えた人間の顔だった。

     営業所へ向かう途中、朔太は二度、無意味に後ろを振り返った。誰かがいる気配がしたわけではない。ただ、自分がそういうことをする人間になり始めていることが不快だった。昨日までなら、そんな仕草をする人間を内心で笑っていただろう。現実はもっと構造的で、もっと数理的で、もっと整理できるものだと信じていたからだ。だが、現場に立つようになってから、整理できることと、先に身体が反応することは別なのだと、嫌でも思い知らされている。

     営業所のドアを開けると、熱気より先にコピー機の匂いがした。白石玲子が朝から請求書の束を整え、土門剛はホワイトボードの前で今日の配置を眺めている。無線機の充電ランプがずらりと並び、隊員たちのヘルメットが棚の上で少しずつ位置をずらされていた。昨日の緊急現場のような殺気はない。第六感めいたものが騒ぐには、拍子抜けするほどいつも通りの朝だった。

    「おはようございます」

     朔太が言うと、白石が顔を上げた。

    「おはようございます。今日は午前だけ短い現場が一件、そのあと待機です」

    「待機」

    「現場変更の可能性があるので営業所に残ってください、という意味です。何もないときは、本当に何もないです」

     白石はそこで朔太の顔を一度まっすぐ見た。

    「眠れてませんか」

    「そんなに顔に出てますか」

    「少し。目線が落ち着かないです」

     言われて、朔太は自分でも苦笑した。白石はこういうところが嫌だった。観察しているつもりの人間を、もっと小さい単位で観察している。

    「昨日の現場、少し引きずってるだけです」

    「現場は引きずるものです。でも、持ち場に出る前に戻しておいてください」

     叱責ではなく、事務連絡のような口調だった。白石にとっては、隊員の顔色も備品の残数も同じく管理対象なのだろう。

     土門がこちらを見た。

    「社長さん、今日は地味だぞ。町場の舗装補修、半日。終わったら営業所待機」

    「また地味、ですか」

    「派手な日は向こうから来るんだよ。こっちが選ぶもんじゃない」

     土門はそう言って、予定表の「待機」の横に小さく丸をつけた。

    「で、待機は大事だ。現場より楽だと思うと痛い目みる」

    「何があるんです」

    「何もないか、ろくでもない何かがあるか、どっちか」

     その言い方は半ば冗談めいていたが、土門の目はあまり笑っていなかった。

         *

     午前の現場は、本当に地味だった。

     住宅地の外れにある緩い坂道で、舗装補修のために短く規制を張る。片側交互通行と言っても、車の量は多くない。相方は四十前後の隊員で、口数も少なく、仕事もそつがなかった。作業帯も狭く、重機の出入りもない。前日やその前日の現場と比べれば、拍子抜けするほど平穏である。

     だが、その平穏さが逆に朔太の意識を外へ向けさせた。車を止める。流す。歩行者へ声をかける。枝道を確認する。やることはやっている。だが頭のどこかで、別の視線が現場の外を舐めている。黒い服の男。黒いセダン。昨日はそれが同じ線で繋がった。今日は現れないのか。それともすでにどこかから見ているのか。

     そう考えた瞬間、自分が現場の仕事より先に「そちら」を優先しかけていることに気づき、朔太は舌打ちしたくなった。こういう内側の乱れが、いちばん性質が悪い。表からは見えないまま、判断の速度だけを僅かに鈍らせる。

    「小泉さん」

     相方が短く声をかけた。

    「はい」

    「右、先に一台出ます」

     朔太はすぐに意識を戻し、枝道から出てくる軽バンを見た。昨日までなら、その一拍の戻りが間に合っていたかどうか、自信が持てなかった。今日は間に合った。だが、こういう一拍を積み重ねていたら、いずれ間に合わなくなる。そう思うと、腹の底に小さな不快感が沈んだ。

     現場は正午前に終わった。規制を解き、資材車が去り、坂道は何事もなかったように生活道路の顔へ戻る。朔太は営業所へ戻る車の中で、窓の外を見ながら考えた。目の前の仕事に集中できない理由が、昨日までなら「疲れ」や「不慣れ」で済んだ。だが今は、それにひとつ説明しづらい異物が混じっている。

     それが気のせいであれば、まだいい。気のせいではないとしたら、もっと面倒だった。

         *

     営業所に戻ると、昼の空気が溜まっていた。

     午前で現場を終えた隊員が数人、ソファに沈み込み、コンビニの弁当を広げている。無線機の充電棚の横では、若い隊員がヘルメットの顎紐を直していた。白石はデスクで請求書の確認をし、電話口でいつものように低い声を保っている。土門は昼のテレビを消音のまま流し、新聞のスポーツ欄だけ広げていた。

     待機というのは、本当に曖昧な時間なのだと朔太は思った。仕事でも休みでもない。動けるようにして、動かない時間を過ごす。オフィスワークにも似ているようで、似ていない。スーツの世界では、待機のあいだも何かしらの数字やメールが埋めていた。ここでは、電話一本で現場に飛ぶ可能性だけが、空気の底に沈んでいる。

    「戻りました」

     朔太が声をかけると、白石が顔を上げた。

    「お疲れさまです。午後はとりあえず待機でお願いします。もしかしたら夕方に応援があるかもしれません」

    「わかりました」

     土門が新聞から目を離さずに言う。

    「社長さん、待機を舐めるなよ」

    「さっきも言われました」

    「二回言われることには理由がある」

     そのとき、営業所のドアが開いた。

     音は大きくなかった。誰かが乱暴に入ってきたわけでもない。ただ、空気が先に変わった。そういう感じだった。

     白石が反射的に顔を上げる。土門も新聞を少し下ろした。ソファで弁当を食べていた隊員たちの手が、一瞬だけ止まる。

     入口に立っていたのは、スーツ姿の男だった。

     年齢は四十代前半くらい。背は高すぎず低すぎず、仕立ての良い濃紺のスーツを着ている。ネクタイは細く、靴は磨かれていた。営業所の湿った空気の中で、そこだけ別の温度をまとっているように見える。威圧的ではない。むしろ礼儀正しそうにさえ見える。だが、そういう人間がこの場所にいること自体が、もう異物だった。

    「失礼。小泉朔太さんは、いらっしゃいますか」

     声も静かだった。営業所中に響かせるつもりはない。だが、抑えた声の方がかえって耳につくことがある。

     朔太の喉が、ほんの少しだけ固まった。

     顔を知っているわけではない。だが、わかる。わかってしまう。昨日の人影、第1話の黒い車、その延長線上にいる人間の匂いがした。合理ではなく、感覚として。

     白石が先に応じた。

    「ご用件をうかがいます」

     男は白石の方へ丁寧に視線を向けた。

    「以前、少し仕事でご一緒したもので。ご挨拶だけでもと思いまして」

     それは、どこにも違法性のない言い回しだった。怪しくもない。だが、ここへ来る理由としては十分に気味が悪い。

     白石は朔太を見た。確認の視線だった。知り合いなのか、違うのか。その判断をこちらへ返している。

     朔太は、一瞬だけ逃げることを考えた。知らないと言えば済むかもしれない。だが、その場で嘘をつくと、かえって営業所全体を巻き込む気がした。

    「......知り合いです」

     自分の声が思っていたより平たく出た。

     白石の眉が、ほんのわずかに動いた。土門は新聞を完全に畳む。

    「そうですか」

     白石は男へ向き直った。

    「でしたら、外でお願いします」

    「もちろん」

     男は笑いもしなかった。ただ頷いただけだった。

     朔太は立ち上がった。営業所の床が、さっきまでより少し狭く見える。背中に隊員たちの視線があるのがわかった。好奇心と、少しの警戒。誰も何も言わない。それがかえって嫌だった。

         *

     営業所の外階段は、昼の熱気をコンクリートに蓄えていた。

     非常階段と呼ぶほど大げさでもない、裏手の細い鉄階段だ。喫煙所代わりに使われているのか、踊り場の隅に空き缶と携帯灰皿が置いてある。都心のビルの谷間から、車の走る音が切れ切れに聞こえた。

     男は踊り場で足を止めた。

    「久しぶりですね、小泉さん」

     その言い方は、懐かしさを装っていた。だが、声の底にあるものは懐旧ではない。値踏みだ。朔太はそれをすぐに感じ取った。

    「誰です」

     わかっているくせに、そう言った。

     男はわずかに目を細めた。

    「名前から入るほど、他人行儀でもないでしょう」

    「こちらはそういうつもりですが」

    「そうですか」

     男はポケットから名刺入れを出した。滑らかな動作だった。差し出された名刺には、御堂啓介という名前と、不動産開発系の会社名が印字されていた。

     朔太は名刺を受け取らなかった。御堂はそれを無理に押しつけもせず、名刺入れへ戻した。

    「まだ立っているのが、少し意外でした」

     その言葉に、朔太のこめかみがわずかに熱くなった。

    「用件は何です」

    「挨拶ですよ」

    「挨拶で営業所まで来る人間を、私は知りません」

    「でも、あなたは知っている人間になった」

     御堂は手すりにもたれず、ただそこに立っていた。足元まで整った人間は、崩し方まで計算しているように見える。

    「現場に立つのは、性に合っていないと思っていました」

    「感想を聞くために来たわけではありません」

    「そうですね」

     御堂はあっさり言った。

    「では少しだけ、別の話をしましょうか」

     朔太は黙った。黙ることしかできなかった。ここで怒鳴るのは違う。だが、落ち着いてもいられない。その中途半端な位置へ、自分が立たされていることが腹立たしかった。

    「あなたは覚えていますか」

     御堂が言う。

    「何をです」

    「最後の案件のことを」

     その瞬間、胸の奥に硬いものが落ちた。

     最後の案件。

     具体的な名前は言わない。だが、その言い方で十分だった。会社が傾き、数字の辻褄と人の都合が食い違い、誰もが自分の責任を少しずつ他人へ渡そうとしていたあの時期。朔太はそれを思い出したくなかった。正確には、思い出せない部分が増えていることを認めたくなかった。

    「覚えている必要がありますか」

    「ありますよ。少なくとも、私には」

     御堂の口調は静かだった。感情を乗せていないようで、逆にその分だけ意図が見えづらい。

    「あなたは、切ったでしょう」

     朔太は眉を寄せた。

    「何を」

    「線をです」

     抽象的な言い方だった。だが抽象的だからこそ、胸の奥に引っかかる。あの頃、自分は確かにいくつもの線を切った。予算。人員。契約。見切り発車の計画。数字の合わない見通し。何かを生かすために何かを切るのは、経営では日常だった。問題は、その切り方が正しかったかどうかではなく、誰がそれを今さら持ち出すのかだった。

    「あなたが何を言いたいのか、さっぱりわかりません」

    「そうでしょうね」

     御堂はそこで初めて、わずかに笑みのようなものを浮かべた。

    「わからない方が、生きやすい」

    「回りくどいんですよ」

    「回りくどくしないと、こういう話は壊れやすいので」

     朔太は手すりを握りたくなったが、握らなかった。動揺を見せるのが嫌だった。

    「用件はそれだけですか」

    「いえ。もう一つあります」

     御堂は営業所のドアの方を一瞬だけ見た。向こうには白石も土門もいる。ここは完全な密室ではない。だが、半端に開かれた場所の方が、逃げ道が少なく感じることがある。

    「あなたは、今の場所を安全地帯だと思っているかもしれない」

    「思っていません」

    「それならいい」

     御堂は頷いた。

    「思っていないのなら、まだ間に合う」

    「何がです」

    「気づくことが、です」

     朔太はそこで初めて、本気でこの男を殴りたくなった。脅しているのか、警告しているのか、説教しているのか。そのどれでもない顔で、人の神経だけを撫でていく。意図的に腹立たしい。

    「あなたは何を知ってるんです」

     声が少しだけ低くなった。

     御堂は真正面から朔太を見た。

    「あなたが知らないことを、少し」

    「ふざけるな」

     言葉は短かったが、抑えきれなかった熱が乗った。御堂は驚かなかった。

    「怒るのは構いません。でも、現場にそれを持ち込まないでください」

     その一言で、朔太の身体が一瞬だけ凍った。

     現場、という単語が出るとは思っていなかったからだ。

    「見てるんですか」

    「見える場所に立っているだけです」

    「何のために」

    「それは、いずれ」

     御堂はそこで会話を切った。自分のペースを崩さない。切る位置まで決めている人間の話し方だった。

    「今日はこれで失礼します。また来ます」

    「来るな」

     朔太は即答した。

    「それは難しいですね」

     御堂はほんのわずかに頭を下げた。礼儀に見せかけた、侵入者の作法だった。

    「まだ終わっていませんから」

     それだけ言って、階段を下りていく。

     朔太はその背中を追わなかった。追ったところで、何になる。そう思ったというより、脚が動かなかった。

         *

     営業所に戻ると、空気が少し変わっていた。

     誰も露骨にこちらを見てはいない。だが、見ていないふりの濃度が高い。そういう空気だった。土門は新聞を再び開いていたが、ページがさっきから変わっていない。白石は伝票を揃えているが、手の速度がほんの少しだけ遅い。

    「お疲れさまです」

     白石が先に口を開いた。

     その言い方は丁寧だったが、質問も混じっていた。大丈夫ですか、ではなく、崩れていませんか、に近い。

    「知り合いでした」

     朔太は言った。

    「そうですか」

     白石はそれ以上聞かなかった。そこが逆にありがたく、逆に辛かった。踏み込まれないのは救いだが、踏み込まれない分だけ、自分で整えなければならない。

     土門が新聞を畳んだ。

    「面倒な知り合いか」

    「たぶん」

    「たぶん、ってことは、かなり面倒だな」

     土門はそれだけ言った。

    「現場に持ち込むなよ」

     さっき御堂に言われたのと同じ言葉だった。朔太は思わず顔を上げた。土門は特に深い意味はないような顔で、また新聞へ目を落とす。

    「警備会社ってのはな、いろんなもん抱えたまま来る奴が多いんだよ。借金、離婚、病気、前科、いろいろな。別に珍しくない。でも現場に持ち込まれたら、そこで初めて迷惑になる」

    「......わかっています」

    「ならいい」

     雑な物言いだった。だが、その雑さは思いのほか公平だった。ここでは過去の重さそのものは問題ではない。問題は、それがいまの持ち場を壊すかどうかだけだ。

     その基準の単純さが、朔太には少しだけ救いだった。

         *

     午後は、結局現場の応援要請は来なかった。

     何も起きない待機時間が、逆に神経を削った。白石の電話、コピー機の音、外の車の走行音。どれも平常のはずなのに、朔太の意識は階段の方へ何度も向く。御堂が再び来るのではないか。来ないなら来ないで、どこかで見ているのではないか。そういう考えが浮かんでは消える。

     作業報告書を書こうとしても、字が少しだけ硬くなる。無線機の充電ランプを見つめている時間が長くなる。自分でもわかるほど、集中が散っていた。

    「小泉さん」

     白石が呼んだ。

    「はい」

    「報告書、日付が昨日になってます」

     朔太は紙を見て、無言で書き直した。そんな初歩的なミスは、普段の自分ならしない。しないはずだ、という意識が、余計に苛立ちを増やす。

     白石は新しい伝票を置きながら、声のトーンを変えずに言った。

    「今日のうちに戻してください」

    「何をです」

    「目線です」

     朔太は黙った。

    「ずっと外階段の方を見てます。何があったかは聞きません。でも、ここにいる間は、ここを見てください」

     きつい言い方ではない。だが、逃げようのない言葉だった。朔太は小さく息を吐いた。

    「すみません」

    「謝るのは、出してからでいいです」

     白石はそう言って、自分の席へ戻った。

     分析も説明もない。ただ、崩れを崩れとして示す。それが営業所の人間の仕事なのだろう。現場で足元を直すのが黒岩なら、営業所で目線を戻すのが白石なのかもしれない。

         *

     夕方、待機解除が出たころには、空は少し赤みを帯びていた。

     隊員たちが順に帰り支度を始める。無線機を棚へ戻し、ヘルメットをロッカーへ収め、今日の分の日報を出す。いつもの営業所の終わり方だ。だが、朔太にとっては朝よりも狭く感じられた。自分の過去が一度ここへ入り込んだ以上、営業所も現場も、もう完全には分けられないような気がしたからだ。

     帰り際、土門が声をかけた。

    「明日も来るか」

    「来ます」

    「じゃあ今日は寝ろ。考えるのは、寝てからでも遅い」

    「寝たら消えるような話でもないでしょう」

    「消えなくても、頭が鈍いまま考えるよりましだ」

     土門はそこで初めて、少しだけ真面目な顔をした。

    「現場ってのは、眠い奴から順に危ないからな」

     それはたぶん、経営論よりずっと実際的な忠告だった。

     営業所を出て、朔太は一度だけ裏手の外階段を見た。昼の熱を失ったコンクリートが、薄暗く沈んでいる。踊り場には誰もいない。手すりの影が長く伸びているだけだ。

     それでも、そこで交わした会話の残滓だけは消えなかった。

     あなたは切ったでしょう。

     現場に持ち込まないでください。

     まだ終わっていませんから。

     言葉の意味ははっきりしない。だが、意味がわからないまま残る言葉ほど、神経を削るものはない。

     道路に出ると、夕方の車列が動いていた。信号待ちの列、歩道を急ぐ会社員、自転車の学生。どれも昨日と変わらない街の流れだ。その流れのどこかに、黒い車が混じっていても不思議ではない気がした。

     朔太は無意識に歩調を速めた。逃げているつもりはない。だが、立ち止まりたくもなかった。

     安アパートの階段を上がるころには、空は完全に夜へ移っていた。鍵を開け、六畳一間の部屋へ入る。蛍光灯をつける。誰もいない。静かだ。当たり前の静けさが、少しだけ救いに見える。

     しかし、その静けさの中でさえ、今日の営業所のドアが開いた瞬間の空気だけは消えなかった。

     外から来るものは、現場だけを乱すとは限らない。

     仕事場そのものの温度を変えることがある。

     朔太は作業服のまま床に座り込み、壁に背中を預けた。疲れているのに、眠気はまだ来ない。頭のどこかで、御堂という名前だけが静かに居座っている。

     明日も現場はある。

     それは、安心でもあり、脅しでもあった。


     
     
    日本映画学校出身。劇場映画・テレビアニメの編集を経て、映像・Web・音楽をワンストップで手がけて25年。SF/ミステリー小説・脚本原案を執筆中。noteでは映像編集ノウハウと創作の記録を発信。

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