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フェロモン感知課長ヒミコ「貴女、香ってますよ」|第11話『御前の乱は散る、秘密の爪痕』

    前回の話

    社長室を出た後、近くのスターバックスに行って少し頭を冷やした。

    もう、宮崎さんがどうこうという話の次元を超えている。

    恋愛してる場合じゃない。

    御前様はここまで読んでいたのか。
    彼女は社長の近くで仕事をしてきた人だから。
    社長がどんな人で、どういう考えを持っていたのか、わかっていた。

    でもなぜ、新体制なんて作ろうとしたんだろう。

    あの社長相手に、御前様だって適うわけがない。
    かといって、最初から負け戦とわかっていることを仕掛けるだろうか。

    この疑問は、関が解き明かしてくれた。

    スタバでまだコーヒーが半分も減ってないタイミングで、関から電話がきた。

    「ヒミコ、今、どこ?」

    「すいません、スタバで休憩してます」

    「わかった、行くわ」

    会社が入っているビルの1階にあるので、関は5分くらいで到着。

    「ヒミコ、今から出られる?」

    「はい」

    「あ、それ飲んでからでいいよ」

    飲み残したコーヒーを見て、関が気を遣ってくれた。
    しかし、関の用事の方が気になったので、残りのコーヒーは飲まずに関と一緒にスタバを出た。

    「どこがいいかなぁ」

    「そこに個室のある居酒屋ありますよ。もうすぐ開店する時間です」

    「いや、店はまずいな。不特定多数が出入りするから。んー、じゃあ、ドライブだ。ヒミコ、俺の車に乗ってくれ」

    こうして、私は関とドライブすることになった。
    ドッと疲れたからか、話す気力はなかった。

    関のレクサスの助手席に乗って、ため息をついてしまった。

    「ふふ。そうなるよなぁ。俺でさえ、社長と話すと一気に脱力するもん。あの目には何か魔力が宿っているに違いない」

    関の冗談にも返す気力がなかった。

    「ヒミコさー、健治(けんじ)さん、あ、社長の息子さんね。CEOのこと聞いたんでしょ?さっき社長から、フォローしとけって言われてさ」

    「フォローじゃなくて、再度、口留め、ですよね」

    「さすがヒミコ。ま、そゆこと」

    関のこの楽観的な態度が、ある意味あの社長との相性がいいのかもしれないな。こいつ、女子社員食っちゃって、不倫までしたのに、取締役だもんな。

    「私はこれ以上、爆弾抱えるのは嫌ですけど、爆発は命がけで避けたいんで、そこは安心してください」

    「わかりやすい例えで意思表明ありがと」

    秋になって日が沈むのが早くなり、夕焼けはあっという間に夜の闇に溶けた。

    星の代わりに都会の灯り。

    私はいつも、恋愛関係にない男の助手席に乗ってる。
    ウケるw
    これが私の生き様なのかもね。
    黄昏ていると、関がまた爆弾を持ってきた。

    「後藤がCEOを排除しようとしてたの知ってる?」

    聞き間違い?幻聴?
    私は信じがたい話に、返事ができなかった。

    「そのことも話しておけって、社長命令でね」

    「…。運命共同体に入れと。今、強制的に入れられましたよね。私の許可なく」

    「怒るなって。でも、無理だよ、ヒミコ。君は会社の心臓でずっと働いていたんだから、今更、平みたいに生きていきたいなんて、できないんだよ」

    泣きたい。
    私、いつこの泥沼に足突っ込んでた?
    知らんうちに頭まで浸かっちゃってるじゃん。

    「だから、知っておいて」

    そのあとの話は正直、脳がパソコンのデータだったら、即削除して、初期化してしまいたい内容だった。






    「後藤は社長の愛人だ」






    ため息が止まらなくて、両手で顔を覆った。
    でも漏れる息は激しくなるだけ。


    「タケル君は、社長の隠し子だ」


    「すみません、聞かなかったことにできませんか」


    「無理」


    「こんなこと、知らなくても私、ちゃんと仕事しますよ。てゆうか、今までだって、後藤さんの私生活も、関さんの火遊びも、ぜーんぶ、スルーして抵触せずに、きちんと仕事してきましたよね??」

    「怒るな怒るな」

    一気に怒りが噴出した。

    御前様が黙っていたことじゃない。


    墓まで持ってけ!!!!!!


    っていう話なんだよ。


    「仕事に関係ないですから、そういうことは!!」


    声が荒くなった。
    関が焦りながら私をなだめる。


    「泣くなって。ヒミコの気持ちはわかるから」


    泣いてた。
    知らんうちに号泣してた。

    どうして。

    私は静かに仕事をしたいだけ。

    欲があるとすれば、

    普通の恋愛がしたいんだ。

    こんな異常な世界とは縁を切りたいよ。


    「ヒミコまでやめるなんて言うなよ」


    「言います。今日やめます」


    「ははは。だよね」


    「やめられないですけど」


    「それもわかってる」


    関はしばらく黙った。
    私は涙がおさまるまで、ひたすら窓の外を見ていた。高田の車からみた夜景が遠い昔のように思えた。


    「後藤さんは、どうしてCEOを排除しようとしたんですか」

    「CEOは、後藤のこともタケル君のことも認めてない」

    「社長もひどい男ですね。健治さんの漢字からタケルくんを名付けたでしょう」

    「ヒミコはすごいな。社長が一目置くだけあるよ。お前は愛人になるなよ」

    「かんべん」

    知らないうちに高速道路に乗っていたらしい。
    レインボーブリッジにいこうと提案され、快諾した。

    「関さん、このあと奢ってくださいね」

    「いいよ、ホテルバー行く?」

    「どうせ社長の行きつけですよね。こないだ後藤さんと行きました。そこ行くくらいなら、ラーメン次郎でいい」

    ははは、と力のない笑いを飛ばし、「もっと良い店連れてってやるよ」と言って、関はまた黙った。
    私に主導権を譲ってくれているようだった。
    関が火遊びできる程度にはモテる理由はわかった。
    優しいんだね。

    関の気遣いに甘えて、私は話を整理した。

    「CEOが戻ってくることは前々から決まっていた。むしろ、いずれ引き渡すために渡米させて経営を学ばせた、これは合ってますか?」

    「あながち間違いではない。健治くんが渡米したのは、彼の意志だよ。親のすねかじりたくないって、自立したんだ。学生の時に自分でお金をためて、社長の支援を一切受けずに彼は自分で切り開いたんだよ」

    「すごい人じゃないですか。来ていただけるのが楽しみですね」

    「うん。それは本当に期待していい」

    じゃあ、CEOが来たら、自動的に御前様はクビになる、ってことだったのか。今度は関が説明を始めた。

    「健治くんはね、もともと社長の経営方針に疑問を持っていたんだ。社長は良い意味で人情派、反面、合理性にちょっと欠くところもあってね。だから、自分の意志で渡米したけど、社長を助けるつもりだったと思う」

    「後藤さんは、最初から、自分にはカウンダウン、つまり時限爆弾付きの役職だったってことはわかっていたんですか」


    「知らされてなかった」


    だからか。御前様の髪がパサパサだった時に知ったかな。


    「息子はもう渡米したから、関係ないって、後藤は思っていたんだよ」


    「それで、戻ってくることを知った。ないし、社長の愛人なら気が付きますよね。それで、息子を呼び寄せないように、自分が会社を仕切るって覚悟決めたんですかね」

    「そのとおり」

    「それが、社長には反逆とみなされた、と」

    「そ。でも、実際そうでしょ」

    確かにそれは、反逆とみなされて当然だ。
    関はもう一つ付け加えた。

    「そして、高田の登場」

    「そっか。もう愛人ですらいられないってことね」

    そう、御前様の恋は離婚すればいいっていう単純なものではなかった。でも、そもそも愛人なら結婚はしていない?

    「あの、後藤さん、籍は入っていないですよね?当然」

    「うん。事実婚。社長には世田谷に別宅があってね。そこに一時期、通い婚してたんだよ。タケルくんがまだ赤ちゃんで、後藤も専業主婦だった」

    御前様が「旦那」と言っていたのは、社長のことだった。
    でもどうして”結婚”という形を装ったのだろう。タケル君だって、実質実家に預けていたのだから、独身で通せるし、実際誰も御前様が子持ちだと知らなかった。

    社長と籍を入れていないなら、高田のことだって不倫にならないし、”離婚”という儀式さえ発生しない。社長が愛人を自由に作って手放せるのと同じように、御前様だって自由に愛人になることも、やめることもできるのに。

    なぜ、「旦那」「結婚」、その形にこだわったのだろう。

    頭の中がグチャグチャしてきた。

    関がそれに気づいたように、説明を加える。

    「後藤はさ、タケル君を妊娠した時に言ったんだってよ」

    「『私と結婚して家庭を持ってくださるのなら、この子を産みます』って」

    でも、結局、事実婚になってしまった。
    社長がうまく言いくるめたのだろう。
    そういう人間だ、あの人は。
    誰の要望も聞かない。

    「社長はその時、快諾したんだよ。『事実婚で家庭を持とう』と言ってね。それで世田谷に別宅を持ったんだ。後藤のために、新築を立てたんだよ」

    「後藤さんは、その事実婚の中で、既婚者、そして母親として生きてきたってわけですか」

    「そゆこと」


    やっと全貌が見えてきたころ、話に夢中でレインボーブリッジからの景色も、ブリッジのライトアップも堪能することなく、あっという間に通過していた。

    しばらく、関も私も無言になった。

    私は御前様の言葉を思い出していた。

    「自立しようと思っている」
    「いつまでも旦那を頼れない」

    「旦那」は社長だった。
    いつまでも、社長を頼れない、だから自立しようと思っている、ってことだったのか…。
    バーキンは売ったって言ってたな。
    社長が買ってあげたものだったんだろうな。

    彼女は、自分がいつまでも愛人の席に座っていられるわけではないことがわかっていた。その座は脆く危うく、自分が簡単に手に入れたと同様、簡単に手に渡るものでもあるとわかっていたんだ。

    あわよくば、会社を乗っ取るつもりだったか。

    「旦那のことは宇宙一好きってことは言わせて?」

    違うね。乗っ取ろうなんて思ってない。
    彼女が唯一、社長と自分をつなぎとめられる絆だったんだ。
    会社が。

    CEOの帰還は、御前様にとって、社長に渡された引導だった。

    新体制は、最後の悪あがき。
    それで認めてもらえて、社長が息子より御前様を選んだのなら…。


    高田への想いは葬られただろう。
    それか火遊びで終了。


    「きっつー」


    ついつい、独り言が漏れてしまった。
    関は、「きっついでしょ」と相槌を打った。

    御前様と行った最後のスイパラを思い出した。

    「あのさ、私ね、スイパラに一緒に行ける仲って、なんか限られてると思うんだよね。なんていうかさ、ただの友達と行くってのも、なんとなく気を遣うじゃない?でも、こうやって、自由きままにケーキ広げられてさ、そういうのって家族とか、かなり気心しれてないとできないと思うの」

    窓の外を見ながら、瞬きもせずに、ただ涙が静かに流れ落ちた。

    もうどうすることもできない。
    御前様はそれを知っていた。
    高田も覚悟を決めていた。

    私だけが、わかっていなかった。

    関がハンカチをよこしてきた。

    「あげる。洗って返すとか言われるの俺キライだから」

    吹いたw。
    ありがとう関。

    「お気遣い感謝しますが、スーツの袖で拭くんで、結構です。関さんの形見になるの嫌なんで」

    関は笑ってハンカチを引っ込めた。

    「それでこそ、ヒミコ」

    「ハンカチの代わりに、たくさん贅沢させてやるよ」

    「関さんがそこまでする必要ないのでは?」

    「賄賂w。『当分の間二人っきりでここ(会社)を回すのだからな』」

    「ムスカかw」

    某アニメのセリフを文字ってふざける関のおかげで、元気が出た。関と高級焼肉店で肉をしこたま食べて、家まで送ってもらった。

    その帰り道、ふと気になって関に聞いた。

    「そもそも、後藤さんと社長のなれそめってなんですか」

    「後藤が元CAなの知ってるよね?」

    「はい」

    「合コン」

    一気にくだらない話に聞こえてきた。関の話だと、CAと社長の合コンというものがあり、社長はすでに家庭持ちだったが、その時、会社立ち上げで、看板になるような見た目の良い女子社員を探すために、その合コンに参加したとのこと。

    「リクルート目的で合コン参加するって、社長らしいというか…」

    ある意味、このしょーもない馴れ初め話は、今までの重たい話の口直しになった。

    帰宅して、着替えもせず、ベッドに倒れ込んだ。

    宮崎さんから電話がきた。

    正直もうお腹いっぱいで、話す気力もなかった。

    でも、宮崎さんがお膳立てしてくれたおかげで、最高の状態で福原の件は進んでいるんだから、敬意と感謝を伝えたい。

    「ヒミコさん、福原はどうなりそうですか」

    「異動は確定です」

    宮崎さんはホッとしていた。

    「宮崎さん、ありがとうございます。宮崎さんが福原に通院するよう促して下さったおかげで、人事異動も全てスムーズに運びました」

    宮崎さんは、静かに「俺の落ち度から発展してしまったトラブルです」と元気なく答えた。

    「宮崎さん、ごめんなさい。私、毎日お話きいていたのに、ここまで宮崎さんが追い詰められていたことに気が付けなかった。宮崎さんのせいじゃないです。私がもっと働きかけるべきだったんです」

    そう、嫉妬に狂ったフェロモンは、大事なことを見過ごしていたんだ。


    宮崎さんが苦しんでいたという事実。
    事務さんも悩んでいたという事実。
    福原が業務不履行であったという事実。

    宮崎さんへの恋心が、全ての事実を自分の嫉妬にすり替えてしまって、本来対処すべき問題を、先延ばしにしてしまっていたんだ。

    「俺が未熟すぎたんです。ヒミコさんからは、言うこと言って、距離も置くようにって、いつも忠告されていたんですから。それをうまくできなかった俺の責任です」

    宮崎さんは優しい。
    本来なら、「もっと早く人事部が動いてほしかった」って言われてもおかしくないのに。

    私たちの間には、罪悪感と喪失感が混在した。

    そしてもう私の身体から、フェロモンが出てこないのを感じた。

    そっか、終わったか。
    この関係も。

    フェロモンのかわりに、
    嵐が過ぎ去っていくような香りがした。

    「福原を異動させることに、宮崎さん、異論なしで良いですね?」

    「はい」

    「事務さんのご意見は」

    「そうしてほしい、とのことでした」

    「承知しました。明日、対処いたします」

    宮崎さんは私に感謝し、あくまで業務連絡という態度を崩さず、電話を終わらせた。

    「おやすみなさい」のかわりに「お疲れさまでした、ありがとうございました」という言葉を残して。

    その日は不思議とよく眠れた。

    翌朝、歯を磨きながら、ふと思い出した。

    宮崎さん、昨日、なにか大事なことを言っていた気がする。

    「ひと段落したら、有休をもらって、実家に顔だしてこようと思ってるんです」

    単なるお休みの話だと思うけど、単なる帰省なのだろうか。
    ご家族がご病気とか何かあったのか。
    また私は自分に一杯一杯で、肝心な気遣いができなかった…。

    辞令そして終わり


    翌日、福原に最終辞令を言い渡した。

    そして、それが、

    最後の爆弾の栓を引くことになるとは、

    この時はまったく予期できなかった。

    応接室に福原を呼んだ。

    福原はもう悟ったような顔だった。

    「辞令。これが最終決定です」

    私が読み上げると、福原は微動だにせず、私をじっと見ていた。


    「福原沙耶(ふくはら さや)さん」


    「人事部に異動を命ずる」


    福原は黙って頭を下げた。
    そして静かに口を開いた。


    「これは、誰の意向ですか」


    「宮崎さんです」


    「そうですか。なんと言ってたか教えてもらうことはできますか」


    私は宮崎さんの証言をまとめた資料を福原に見せた。


    「閲覧のみです」


    福原はひたすら真剣に目を通した。

    泣くかと思ったら、全くその様子もなく、毅然としていた。


    宮崎さんの証言 まとめ


    「福原沙耶の勤務態度は看過できない問題があり、上司である私、宮崎と、事務員の笹谷より、福原沙耶の異動ないし然るべき対応を人事部に申し出いたします」


    嘆願書だった。


    福原は表情を変えず、淡々と言った。


    「わかりました。受け入れます」


    「このあと、役員の関さんと社長との面談をします。このままお待ちいただけますか」


    福原は小さくうなづいたあと、急に爆弾投下してきた。


    「私、知ってるんです」

    「え??」


    私は硬直した。
    何を??



    「この会社の役員の方の…」


    「不祥事を」


    脳内でなぜか、テンペストが流れた。


    次に続く




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