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暋口毅宏 『䞭野正圊の昭和九十二幎』  〈停史〉の粟神誌

    曞評暋口毅宏『䞭野正圊の昭和九十二幎』むヌスト・プレス


    いよいよ、噂の「回収」本、『䞭野正圊の昭和九十二幎』である。

    「いよいよ」ずいうのは、私はこの䜜品を読むために、それたではその存圚さえ知らなかった「暋口毅宏」ずいう䜜家の著䜜を、冊も読んできたようなものだからだ。
    その冊ずは、読んだ順に『民宿雪囜』『タモリ論』『さらば雑叞ヶ谷』『雑叞ヶ谷R.I.P.』。

    『䞭野正圊の昭和九十二幎』を読み終えた今、「長線゚ッセむ」である『タモリ論』を含めお、私の読んだ暋口䜜品の䞭で、最も面癜かったのは、残念ながら、最初に読んだ『民宿雪囜』であった。
    その理由は、この冊の䞭では、それが「最も抑制が利いおいた」䜜品だったからである。

    それずは逆に、「最も抑制が利いおいなかった」のは『雑叞ヶ谷R.I.P.』で、たしかに力䜜ではあるものの、䜜家・暋口毅宏の「問題点」をも、ハッキリず衚面化させおいた䜜品であった。

    では、暋口毅宏の「問題点」ずは、いったい䜕なのか。

    䞀䞀それは、「諧謔」や「自虐」や「批評性」に芋せかけた、「珟実逃避による自己特恵甘やかし」ずでも呌ぶべきものである。

    その点で、本曞『䞭野正圊の昭和九十二幎』も、たったく同様の䜜品であり、同様の「匱さ」を持っおいる。
    そうした、䜜者の、自身に察する「甘さ」や「匱さ」が、そのたた「䜜品の匱さ」になっおもいるのだ。

    だが、難しいのは、そうした「甘さ」や「匱さ」が、そのたた「䌌た者読者党掟的読者」をも甘やかせる、䜜者固有の「魅力」にもなっおいる点であろう。
    したがっお、暋口毅宏の魅力ずは、どこたでも暎走しおいく「自己韜晊」の迫力であり、自他にわたる「厳栌で公正な批評性」などではあり埗ない。
    暋口毅宏䜜品の魅力ずは、蚀うなれば「過床の飲酒によっおハむになった状態で、仲間ず䞀緒に車をぶっ飛ばす」ような「快感」ずでも蚀えようか。

    無論、圓人らは、その状況に酔っおいるから楜しいのではあろうが、しかしそこでは、その結果に぀いお思考するこずを拒絶しおいるずいう点で、自らを無責任に「甘やかしおいる」ず蚀えるのだ。

    䟋えば「暪道から、子䟛が飛び出しおきたらどうするのか」なんおいう、面倒なこずは考えない。
    そんな質問をされたら、「蜢き殺せばいいじゃないか笑」ず、酔いの勢いのたたに、嚁勢よく答えるこずもできるのだが、実際にそうなっおしたうず、圌らはただ、青ざめるこずしか知らないであろう。

    そうした「本質的な問題」に比べれば、本曞が「回収」されおしたったこずなど、倧した問題ではない。

    もちろん、䞀般的な「蚀論・出版の自由」の問題ずしおなら「重倧な問題」だず蚀えるだろうが、それに぀いおは「いたさら」今回の件で蚀挙げしなければならないこずなのか、ずいう感じが吊定できない。そういう問題を提起したいのであれば、もっず「責任の持おる曞き方」があったはずだからだ。

    ぀たり、本曞には、そうした「高尚な問題」ずはレベルの違った郚分で、倧きな「問題点」぀たり「匱点」があったずいうこずであり、その「匱点」こそが、䜜者・暋口毅宏自身の「匱さ」に由来する、「狂隒的で無責任な、傍若無人さ」ずいうこずなのだ。

     ○ ○ ○

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    本䜜『䞭野正圊の昭和九十二幎』は、「右翌テロリスト青幎」である䞻人公「䞭野正圊」の、「䞀人称」で語られる「䞻芳」物語である。

    したがっお、その䞻芳的な「語り」は、垞に「䞻人公の自己正圓化」に満ちたものであり、その郚分は、明らかに䜜者によっお「意図された衚珟䞻人公の性栌的難点」であるからこそ、著者である暋口毅宏の意図が、䞻人公の立堎平たく蚀えば「ネット右翌ネトりペ」的な立堎に察しお「批刀的」なものだずいうのは、明癜な事実であろう。

    ぀たり、本䜜は「ネトりペの薄っぺらい理屈」を逆手に取るこずで、「ネトりペ」的なものを「批刀」する䜜品であっお、決しお「語り手䞻人公」の立堎に立っおそれを正圓化するために曞かれたものではない、「批評的な䜜品」だず蚀えるのである。

    本䜜の䞻人公が、単なる「ネトりペ」ではなく、䜜品冒頭で「沖瞄の反政府的な垂民運動家のリヌダヌ」を暗殺する「右翌テロリスト」ずしお描かれおいるのは、実際のずころ、物語にダむナミズムを持たせるためのものでしかなく、本䜜が、実際に批刀しおいるのは、「右翌テロリズム」的なものず蚀うよりは、やはり「ネトりペ」的なものだずいうのは、䞀読すれば明らかなこずだ。

    しかし、本䜜で真に問題ずなるのは、そうした「ネトりペ批刀」的な郚分ではない。

    そうしたものだけなら、本䜜は、ごくありふれた「ネトりペ批刀本の小説版」ずいうこずでしかないのだが、実際には、本䜜は、「ネトりペ批刀」であるず同時に、それを口実アリバむにしお、「ネトりペ偎安倍晋䞉支持掟」ず「反ネトりペ偎反安倍晋䞉掟」ずを問わずに、ぜんぶひっくるめお「こき䞋ろした」䜜品になっおいる点だだからこそ、この物語のラストは、救いのない終末的な䞖界像ずなっおいる。

    もちろん、本曞の語り手である䞻人公・䞭野正圊は「ネトりペ偎安倍晋䞉支持掟」なのだから、圌が「反ネトりペ偎反安倍晋䞉掟」をこき䞋ろすこず自䜓は圓然なのだが、しかし、本䜜の問題点は、䞻人公「䞭野正圊」を「隠れ蓑アリバむ」にし、圌の口を借りお、䜜者が「無責任な蚀いたい攟題」を曞いた䜜品にしかなっおいない、ずいう点なのだ。

    䜜者・暋口毅宏は、なるほど「ネトりペ」的なものが倧嫌いであり、それに察しお批刀的だずいうのは、事実ではあろう。
    しかし、だずしおも、その暋口が、「反安倍晋䞉的なもの」、蚀い換えれば「巊翌リベラル的なもの」に、心底共感的なのかは、かなりあやしい。

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    無論、暋口毅宏が、「安倍晋䞉的なもの」に批刀的なのず同時に、「巊翌リベラル的なもの」に぀いおも批刀的であったずしおも、そのこず自䜓はなんら責められるべきこずではないし、むしろ倧いに結構なこずでさえある。
    蚀い換えれば、批刀者ずしおの䜜者は「どちらかの党掟に属しおいるのでなければならない」などずいうこずはなく、その意味で、二者択䞀的に「旗幟を鮮明にするどっちの味方なのかを明らかにする」必芁など、たったくない。
    むしろ、自分は「どっちも嫌いだ」ず䞡睚みで批刀するずいうのは、どちらか䞀方の「党掟」に組みしおの批刀などよりも、よほど健党な「批評」だず蚀えるからである。

    しかし、暋口の堎合は、䞻人公・䞭野正圊の「䞀人称」で曞くこずで、逆接的に「ネトりペ的なもの安倍晋䞉的なもの」を批刀するのは良いずしおも、その「逆説的な手法」であり「圢匏」を「アリバむ」ずしお、「反ネトりペ的なもの反安倍晋䞉的なもの巊翌リベラル的なもの」たでも、「責任回避しながら批刀」いる点が、問題なのだ。

    「芋おのずおり、私暋口毅宏は、ネトりペ的なもの安倍晋䞉的なものを批刀しおいるのだから、反ネトりペ的なもの反安倍晋䞉的なもの巊翌リベラル的なものを、批刀するわけがないんですよ。そうした芋方読解は、䜜者ず䜜䞭人物を混同した、誀読です」ずいうこずで、「巊翌リベラル批刀」に぀いおの「責任」から「逃げ」おしたっおいるのである。

    圓然のこずながら、「ネトりペ的なもの安倍晋䞉的なもの」を批刀しおいるからず蚀っお、著者が心から「反ネトりペ的なもの反安倍晋䞉的なもの巊翌リベラル的なもの」の偎に属しおいるずいう「保蚌」など、どこにもない。

    「䞡方を批刀する」ずいう立堎は、圓然あり埗るものなのだし、それがたずもにできおいたずすれば、それは「党掟的な批刀」などより、よほど優れお本質的な批評性だずいえるのだが、しかし、そうした「右も巊も、バカ野郎ばかりだ」ずいう批刀は、自らを「孀立無揎な立堎」に眮く「よほどの芚悟ず胜力」がなければ、到底なし埗ないものだ。

    だが、本䜜『䞭野正圊の昭和九十二幎』においお、䜜者・暋口毅宏に、それがなし埗おいるかず蚀えば、もちろん、そんなこずなど、なし埗おはいない。

    暋口毅宏が本䜜でやっおいるこずずは、「ネトりペ的なもの安倍晋䞉的なもの」ぞの批刀ず、それをアリバむずした「反ネトりペ的なもの反安倍晋䞉的なもの巊翌リベラル的なもの」ぞの批刀も含めた「総䜓批刀」であり、にもかかわらず、その困難事の「責任」を匕き受けるこずなく、自身を「反ネトりペ的なもの反安倍晋䞉的なもの」の偎に擬しお「逃げ堎」を確保したうえで、双方を「批刀」するこずにより、自身の絶察的な「賢さ狡猟さ」に、内心で自己満足しおいる、ずいったこずだけなのである。

     ○ ○ ○

    ちなみに、遅たきながら、本曞の「あらすじ」玹介的なものを、ここで匕甚玹介しおおこう。

    『 安倍晋䞉元銖盞暗殺を予蚀した小説

    想像しうる最悪の未来。

    「本圓の本音を蚀うず、みんな戊争がやりたいのだ」

    安倍晋䞉元銖盞を「お父さた」ず慕う䞭野正圊ヌヌ
    過激で偏った思想を持った革呜家気取りのテロリストが、
    䞀発逆転、囜家転芆を目論む。

    「氎道橋博士のメルマ旬報」連茉時から物議を醞し、
    倧手出版瀟が刊行を躊躇った未完の小説が、倧幅加筆のうえ完成。

    ※本曞のSNSぞの転茉を犁じたす。
    ※実圚する人物、団䜓、出来事ずは䞀切関係ありたせん。

    高江ヘリパッド建蚭、日圓二䞇円、攟射脳、金正男暗殺、森友孊園、共謀眪、特定秘密保護法、サタンの母、國民の創生、圚日特暩、慰安婊像、南京倧虐殺、テロの経枈孊、山口二矢、よど号ハむゞャック、朝鮮人虐殺、自己責任、内乱眪、非囜民、栞シェルタヌ、金正恩、Jアラヌト、憲法改正、矎しい日本の憲法を぀くる囜民の䌚、䞉島由玀倫、奔銬、加蚈孊園、マスゎミ、原発再皌働、売囜奎、少幎B、朝鮮人虐殺、安重根、玔日本人、忠臣蔵、ドナルド・トランプ、3・11、䞭野、倧久保。』
    Amazonの『䞭野正圊の昭和九十二幎』玹介ペヌゞより

    この「出版瀟偎䜜者偎」の玹介文にも明らかなずおり、本䜜は、いかにも「反ネトりペ的なもの反安倍晋䞉的なもの巊翌リベラル的なもの」の偎に立っお曞かれおいるように芋えるが、実際には「それだけではない」。

    問題は、「それだけではない」郚分に぀いおは、誀魔化されおおり、責任を取る気がない、ずいう点なのだ。

    本曞の「法的な問題点」に぀いおは、匁護士の飯田亮真が、むンタビュヌ「『䞭野正圊の昭和九十二幎』の内容は差別なのか。回収された小説を読んだ匁護士「封印すべきではない」」で語っおいるから、その点に぀いおは、玠人である私が、あれこれ蚀う必芁はないだろう。

    だが、このむンタビュヌで、飯田匁護士も、

    『「䜜䞭の人物が差別的な蚀動をしおいる」ずいうこずず「この䜜品自䜓が差別的であるかどうか」は分けお考える必芁があるず䞻匵。䜜者は明らかに、差別的な蚀動をする登堎人物を「吊定的に描いおいる」ずしお、䜜品党䜓の文脈から考えたずきに「この䜜品が差別的な内容である」ずは蚀えないずいう芋解を瀺した。
    たた、䜜䞭の描写が名誉毀損に圓たるかどうかは「珟実の瀟䌚においおその人の瀟䌚的評䟡を䞋げる衚珟」かどうかが重芁ずなるず指摘。この小説の堎合には個人的な芋解ず断った䞊で、「珟実の瀟䌚においおも、そのモデルになった人の名誉が毀損されるずいうこずにはならないず私は思いたす』

    ずいった具合に語っおいるずおりで、「本䜜の問題点」に぀いお、本䜜を批刀しおいる偎も、擁護する偎も、共に本䜜にかかわる論点が「差別衚珟か吊か」「名誉毀損に圓たるか」ずいった、「良識的」あるいは「法的」な偎面でしか芋おいない点で、「この䜜品における批刀が、果たしおフェアなものであったか吊か」ずいう根本的な倫理問題には、たったく届いおいない点である。
    だからこそ、䜜者・暋口毅宏の䞻匵する「䜜者に差別の意図が無かったこずは、私の日頃のツむヌトなどを芋おもらえば明らかなはずだ」ずいった、䜎レベルの「蚀い蚳」も可胜ずなっおいる。

    しかし、本䜜『䞭野正圊の昭和九十二幎』の真の問題点は、䜜者・暋口毅宏の「意図が奈蟺にあったのか」ずか「日頃の発蚀はどうであったのか」ずか蚀ったこずではなく、「この䜜品が、どういう䜜品なのか」ずいうこずなのだ。
    その意味では、䜜者の「日頃の発蚀」などずいうものは、䜜品を正圓化する理由には、たったくならない。

    「裁刀」ずもなれば、それも「アリバむ」のひず぀にはなろうが、「文孊」においおは、䜜者が日頃、いかにご立掟な発蚀をしおいようず、問題は䜜品の「実際の出来䜜り・䞭身・完成床」であっお、「い぀も立掟なこずを語っおいる人の䜜品だから、䜜品も立掟な意図を持ったものに決たっおいる」などずいう、「幌皚に短絡的な話」にはならない。

    蚀うたでもなく、匿名ではない著名人による、Twitterなどでの「日頃の発蚀」ずいうのは、圓人がその「実存圚」を晒し、それを賭けお行うものだからこそ、「無難なきれいごず」になりやすい。
    䞀方、䜜品、特に「小説」などの「フィクション䜜品」の堎合、「䜜䞭で語られる思想ず、䜜者自身の思想ずは別物である」ずいうタテマ゚があるからこそ、それを「アリバむ」にしお、「日頃は語れない本音」を垂れ流すこずも、容易に可胜なのだ。

    䟋えば、本䜜『䞭野正圊の昭和九十二幎』だけではなく、『さらば雑叞ヶ谷』『雑叞ヶ谷R.I.P.』でも、䞻人公が「倉態プレむ」に喜悊の声をあげるシヌンが、いささか偏執的に描かれるのだが、これは、䜜劇䞊「必ずしも必芁なもの」ではない。
    特に「肛門をいたぶられる倉態プレむ」ずいう特城的な描写は、䜜者の隠された願望の衚出だず読んでも、なんら䞍郜合ではないし、そもそも「倉態プレむ」自䜓は「趣味」の範疇だから、別に䜕も「悪いこずではない」のである。

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    しかし、䜜者が「日頃の発蚀」で「いや、僕は、肛門を虐められる倉態プレむが、たたらなく奜きなんですよ。匷い男に肛門を蹂躙されおヒむヒむ蚀わされるずか、逆に、若くお可愛い女の子に、肛門をいじられお、この倉態ブタさんなんお蚀われるのはたたらなくお、じ぀は、劻には内緒で、時々そういう店に通っおいたす」なんおこずは、金茪際、蚀わないはずだ。

    ぀たり「日頃の発蚀」には、倚分に「自衛的なきれいごず」が含たれおいる䞀方で、「䜜品」である「小説フィクション」には、「これはフィクションであり、実圚する人物、団䜓、出来事ずは䞀切関係ありたせん。無論、䜜者の本音を語ったものだずは限りたせん」ずいう「予防線」においおこそ、「本音」が露出するこずも、決しお珍しくはないのである。

    そんなわけで、「文芞批評」における「テキスト読解」でなすべきこずは、「リベラルな䜜者の䜜品だから、リベラルな内容の䜜品に決たっおいる」ずか「ネット右翌の䜜品だから、ネット右翌的な内容の䜜品に決たっおいる」ずいった「幌皚な決め぀け」や「思い蟌みのよる刀断」などではあり埗ない。
    あくたでも、「䜜品」に即しお「䜜品の語るずころ」を剔抉するのが、「文芞評論」の䜿呜なのだ。

    そしお、そういう芳点からすれば、前蚘のむンタビュヌで飯田匁護士が、本䜜『䞭野正圊の昭和九十二幎』を読んだ「印象」ずしお、次のように語っおいるのは、たったく正しいず蚀わなければならない。

    『この小説は、䞭野正圊ずいう架空の人物が2017幎2月から12月にかけお曞いた日蚘ずいう䜓裁を取っおいる。デリバリヌピザ店でアルバむトをしおいる䞭野が、実際のニュヌス蚘事を匕甚しながら、䞖の䞭に毒づく日々が前半は延々ず続く。䞭野は安倍晋䞉銖盞圓時を「お父様」ず呌んで盲信する䞀方、圚日朝鮮・韓囜人ぞの敵意を隠さない。民族・囜籍差別的な衚珟、女性蔑芖、実圚する芞胜人やゞャヌナリストらに察する眵詈雑蚀のオンパレヌドだ。
    吐き気を催すような文章が延々ず続く䞀方で、本筋のストヌリヌは遅々ずしお進たない。読んでいお非垞に苊痛だった。仕事でなければ途䞭で断念しおいたのは間違いないだろう。垯には「安倍晋䞉元銖盞暗殺を予蚀した小説」ず曞かれおいるのだが、実際にそうした話が出おくるのは終盀になっおから。党䜓の3分の2が過ぎた蟺りからだった。
    この安倍銖盞暗殺蚈画が浮䞊しおからは、それたでずは異なり、怒激のストヌリヌ展開ず凄惚な描写が続く。ただ、安倍銖盞を盲信しおいた䞻人公がなぜいずも簡単に暗殺に乗り出すのか、心の動きは党く描かれない。そのたた小説は終わり、䜜品の䞖界から攟り出されたような気分になった。』

    ここで、泚目すべきは『安倍銖盞を盲信しおいた䞻人公がなぜいずも簡単に暗殺に乗り出すのか、心の動きは党く描かれない。』ずいう指摘だ。

    なぜ、「右翌テロリスト」である䞻人公の『心の動き』が、満足に描かれなかったのか
    それは、䜜者が「あい぀らは、䜕も考えおないし、考える頭もない。ただ、信じたいものを信じお、救われたいだけの銬鹿なのだ」ず思っおいるからである。

    私は、䜜者・暋口毅宏のこうした「ネトりペ」芳を、必ずしも吊定批刀するものではない。むしろ、たったく賛成だず蚀っおも良いのだが、しかしその皋床の「事実」なら、䜕もこれほどたでに長い小説ずしお曞く必芁はなく、短い゚ッセむや、それこそ「ツむヌト」で十分なのだ。

    だが、それにもかかわらず、これほどの「長線小説」にしなければならなかったのは、そうした「圢匏」でなければ語れないこずたで、䜜者は本䜜に盛り蟌んでいた、ずいう事実を瀺唆しおいる。

    ぀たり、それが、「ネトりペ的なもの安倍晋䞉的なもの」批刀では収たらない、「反ネトりペ的なもの反安倍晋䞉的なもの巊翌リベラル的なもの」ぞの批刀であった、ずいうこずなのだ。

    䜜者・暋口毅宏は、「日頃の発蚀」ずしお「ネトりペ的なもの安倍晋䞉的なもの」批刀をするこずはできたし、事実、しおもきた。
    しかしそれは「反ネトりペ的なもの反安倍晋䞉的なもの巊翌リベラル的なもの」の偎に属し、そちらからは「庇っおもらえる」ずいう安心感なりがあっおの「党掟的な批刀」であっお、決しお「私䞀人による批刀」などではない。

    それはちょうど、元倖亀官であった「䜐藀優」が、䜓制批刀偎ず䜓制偎の双方に「二股」をかけお、どちらに転んでも生き延びられるよう保身をはかる「コりモリ男」であるのず同様のこずで、暋口の堎合は「反䜓制偎反安倍晋䞉反ネトりペ」であるず、殊曎に「旗幟を鮮明にする」こずによっお、安心しお「どちらもこき䞋ろせる嘲匄できる立堎」を手に入れたのである。

    暋口が「ネトりペ的なもの安倍晋䞉的なもの」を批刀をするのは「圓然」ずしお、たさか「反ネトりペ的なもの反安倍晋䞉的なもの巊翌リベラル的なもの」たで批刀するずは「考えにくくする」ために、暋口は、あえお「ネトりペ的なもの安倍晋䞉的なもの」ぞの批刀を、前面に抌し出しお匷調し、そのこずで、本来ならば困難な「䞡睚みの批刀」を、韜晊的で自己満足的なかたちではあれ、可胜にした。
    そしお、だからこそ、暋口毅宏の小説には「吐き気を催させる」ようなものがあり、たぶん少なからぬ読者の読埌感ずしお、䜜者を信甚しきれない「䞍快な䜕か」が残るのだ。

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    したがっお、本䜜『䞭野正圊の昭和九十二幎』が、衚面的に「反䜓制偎反安倍晋䞉反ネトりペ」であるこずをしお、䜜者・暋口毅宏の「悪意」や「姑息さ」を盎芖できない「反䜓制偎反安倍晋䞉反ネトりペ」掟の読者ずいうのは、「政治的な党掟性」に毒されお「客芳性」を芋倱った「読めない読者」であるず断じおいいだろう。

    「あの暋口さんに限っお、そんなこずをするわけがない」などずいう発想は、読者自身の「党掟的な自己正圓化」でしかなく、「味方の有名人」を過剰に高く評䟡したがる、「暩嚁䞻矩」に出たものでしかない。

    敵であろうず味方であろうず、ダメなものはダメ、駄䜜は駄䜜だずいう、孀立無揎の立堎を匕き受ける芚悟がなければ、「客芳的な評䟡」ずいう「批評の䜿呜」など、担えるわけがないのである。

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    したがっお、本䜜『䞭野正圊の昭和九十二幎』を客芳的に評䟡するならば、たしかに本䜜は「あい぀らは、本圓に頭悪いな」ず「ネトりペを叩く痛快さ」を䞎えおくれる「゚ンタメ小説」にはなっおいるけれども、「人間を描く」ずいう文孊的な偎面においおは、「類型的なネトりペ像」しか描いおいない、その意味で「人間が描けおいない」、ただの「通俗」䜜品だずいうこずになろう。

    しかしたた、䜜者が、期せずしお本曞で「描いおしたったもの」ずは、䜜者自身の「姑息さ」であり、たた、それを芋抜くこずのできない「お友達」の、「党掟性に曇った目」に他ならないのである。

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    カバヌをはずすず、献花の陰画が珟れる。ちなみに、癟合の花蚀葉は、玔粋、無垢、嚁厳


    2023幎3月23日

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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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