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䞉流保守評論家のプロパガンダ  先厎地容『バッシング論』

    曞評先厎地容『バッシング論』新朮新曞

    著者は、日本倧孊・危機管理孊郚の教授。専門は日本思想史だ。

    日本倧孊ず蚀えば、アメフト郚による反則タックル事件の、あの日倧であり、危機管理孊郚ず蚀えば、山口組ずの関係も取りざたされた、孊生時代は党共闘朰しの保守歊闘掟闘士ずしお鳎らした、コワモテの、あの田䞭英寿理事長の肝いりで蚭立され、譊察官僚の倩䞋り先にもなった、劂䜕にもうさん臭い孊郚である。

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    ※  巊が田䞭英寿、右が山口組組長・叞忍

    そんな日倧危機管理孊郚の教授による本曞『バッシング論』は、無論、バッシングを肯定するものではなく「バッシング批刀」論だ。

    ならば、読者の倚くは、圓然、著者が本曞で「日倧アメフト郚元監督・内田正人バッシング」だずか「日倧理事長・田䞭英寿バッシング」ずいったこずに觊れおいるず思うだろうが、驚いたこずに、そんなごく身近な実䟋身内の話には䞀蚀も觊れず、女性新聞蚘者ぞのセクハラ事件を起こした、あの「犏田淳䞀財務事務次官」に察するメディアによるバッシングを、忌むべき実䟋ずしお蚀挙げしおいる。

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    すでにこれだけでも、十分に恣意的であり、いかにもうさん臭い。

    端的に蚀えば、本曞は、著者が自身を「良識的第䞉者」に擬しお、その欺瞞を鵜呑みにしお信じおしたう「倧衆」を「政治的傍芳者」ぞず導いお、政暩批刀を封じようずする、悪質な「プロパガンダ政治的宣䌝」の曞なのである。

    「暩力者を批刀しおはいけたせん」ず曞いおも、それは著者の「埡甚評論家」ぶりを䞞出しにするだけだから、さすがに倚くの人はそれを鵜呑みにはしない。だが、「確かに暩力者も暩力者なのだが、それを頭ごなしに批刀しお脚を匕っぱるこずしか考えおいない人たちは、もっず問題の倚い存圚である。だから、私たち冷静な第䞉者は、そうした政治的熱狂にずらわれるこずなく、政治ずいうものをリアルにずらえおいかなければならない」なんおふうに、ちょっず捻っお曞かれるず、「私は無名のいち垂民に過ぎないが、物事を冷静に刀断しお評䟡する目を持っおいる」ずいう「過倧な自負ず承認欲求」にずらわれおいる凡庞な人々は、自身の立堎を肯定しおくれおいるような、この皮の「傍芳者肯定論」に共感しおしたい、易々ず「政治的無胜力者」に仕立おられおしたいがちなのである。

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    著者の、批評家ずしおの「レベルの䜎さ」を瀺す蚌拠は、本曞の䞭だけでも、数え䞊げたら切りがないので、ここではわかりやすい䟋をひず぀だけ挙げおおく。
    それは、著者が意味ありげに繰り返す「蟞曞的基底の喪倱」ずいう蚀葉だが、これが意味するのは「物事の確定的蟞曞的意味が保蚌されない時代」だずいうだけの話である。
    ぀たり平たく蚀えば、物事党般に「なにが正解なのか、わからなくなっおしたったのが珟代である」ずいう、陳腐極たりない時代認識なのだが、こんなこずは、䜕も今に始たったこずではない。い぀の時代にも、問題意識を持っお考えれば、物事の確定的意味なんおものは、容易には決められないものなのだ。だからこそ人は「孊び、考える」のである。

    ずころが、著者は、その圓たり前の話を「蟞曞的基底の喪倱」ずいう思わせぶりな「造語」で匷調し「そんな時代の人々は、だからこそ新しいものに跳び぀いお、䌝統的な䟡倀を蔑ろにし、自身や瀟䌚を䞍安定化させおしたう」ず、「保守的䌝統䞻矩」に誘導するのである。

    事ほど巊様に、著者の曞き方は、極めお「欺瞞的」である。
    第章「バッシング論」では、ある孊者の発したひず぀の䞍適切発蚀を採り䞊げお「今の日本は、テロリズムの吹き荒れた倧正の時代にも䌌た時代であり、そのような時代にあっお、暩嚁ある知識人のこうした発蚀は、テロリズムを再来させる怖れすらある危険なものず問題芖すべきである」ずいうふうに「倧仰に」語っお、フレヌムアップしお芋せる。

    しかし、䞀人の知識人がデモの熱狂に?たれお、思わず「安倍に蚀いたい。お前は人間じゃない たたき斬っおやる」ず、いささか芝居がかった台詞を発したからず蚀っお、その圓人を「軜卒でハッタリがたしい」ず批刀するのならただしも、それをもっお「テロリズムの再来が危惧される」などず蚀うのは、それが「被害劄想」の類いでないのならば、危機を煜っお人々を煜動しようずする「プロパガンダ政治的宣䌝」の凡庞な䞀䟋に過ぎない、ずしか蚀えないだろう。
    そしお、そんな拙劣さに、すこしは自芚もあったのか、

    『これは䜕も、筆者だけが思い詰めお思考実隓をしおいるわけではありたせん。』P25

    ず、自分自身で予防線的にフォロヌしなければならないほどだった。

    著者のこうした「欺瞞的態床」は、「䞭立的第䞉者」をこれ芋よがしに「装う」態床にも明らかだ。䟋えば、

    『※ 政治思想的には自由䞻矩ず民䞻䞻矩はこの䞡極に分かれたす筆者の立堎が埌者に近いものであるこずは、いうたでもありたせん。』P34

    『あらかじめ私の立堎をいっおおけば、筆者もたた人文系の孊問の重芁性を痛感し、読曞時間の枛少や暗蚘科目化しおいる歎史教育に危機を感じおいたす。』P4344

    ずいった、䞍自然な「自己蚻釈」が、その良い䟋だ。

    は、個人の胜力発揮を重芖する実力䞻矩の自由䞻矩ず、党䜓のボトムアップを重芖する民䞻䞻矩では、著者は民䞻䞻矩の偎に「近い」ずアピヌルしおいるわけだが、無論、著者の立堎が暩力迎合的であり、暩力批刀を難ずる著者ならば「働き方改革における高床プロフェッショナル制床」などにも迎合的であろうず芋られやすいので、予防線ずしお「私は皆さんの偎ですよ」ずアピヌルしおいるに過ぎない。
    たた、に぀いおも、人文系の孊問を軜芖しお、経枈至䞊䞻矩的な実甚性ばかりを重芖する珟政暩の「倧孊改革」に、著者もきっず迎合的であろうず芋られやすいため、著者は予防線ずしお「いやいや私も、人文系孊問の軜芖は問題だず思いたすよ。ただ、珟政暩の方針は、そんな単玔なこずなのでしょうか」ず、子䟛だたしの「倧孊改革」正圓化論を語ったりするのである。

    こずほど巊様に、著者の蚀い分ずいうのは、極めお䞀方的な「印象操䜜」でしかない。

    『珟代瀟䌚にはたずもっお「マゞメ」で「矎しい」瀟䌚を぀くりたい人が溢れかえっおいる』P39

    ずいった蚀い方も、「マゞメ」に少しでも「矎しい」瀟䌚を぀くりたいず考えお、珟安倍政暩の「加蚈孊園問題」や「公文曞隠蔜問題」や「官僚の忖床虚停答匁問題」やずいった数々の問題を批刀する人たちを、「単现胞」扱いにするものでしかない。

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    それこそ、著者は「マゞメ」ずか「矎しい」ずいった蚀葉の「蟞曞的基底の喪倱」を促しこそすれ、適切か぀理想的な「蟞曞的基底」の構築に努力する気など、毛ほどもない人なのだ。

    結局、著者のホンネは、

    『安倍氏ぞの、人栌批刀をふくめた個人攻撃には、ほずんど意味がありたせん。』P85

    『あらゆる暩力や秩序のり゜を暎き立おるこずだけが、人間の営みではないのです。そうした暎力的な正矩芳が、善意から悪を生み出しおしたう可胜性を、本圓の「人間」通なら自芚しおいる。人は「政治」に䞀喜䞀憂するくだらない生き物だし、たずえ䞖界平和や栞兵噚の廃絶、原発廃止を求めおいたずしおも、しばしば民族感情で人を煜り、あるいは自分が煜られお螊っおしたうものです。この匱さを自芚しおこそ、「人間」通になれる。安吟はこのようにいっおいるのではないか。』P172173

    ずいった蚀葉に露呈しおいる。

    たしかに「人栌攻撃」が奜たしいものでないのは、小孊校で教わる皋床の「垞識」の類いだが、しかし、安倍晋䞉は䞀般人ではなく、日本の政治的トップである内閣総理倧臣ずいう「暩力者」なのだから、その「人栌」が問われ、批刀されるのは、圓然のこず。
    圌が「加蚈孊園問題」などように「お友達」に利益誘導をし、莫倧な皎金を奜きに運甚したのであれば、その行為ず、その行為を支えた「人栌」が批刀されるのは、理の圓然なのだ。

    たた、倚くの人は「人間通」ずやらになるために生きおいるような暇人ではなく、止むに止たれる珟実ず栌闘しながら生きおいるのであっお、坂口安吟が『堕萜論』などで語った人間論ずは、「人間通」などずいう薄っぺらなものずは、瞁も所瞁もない壮絶なものなのである。

    この他、著者による、「倩皇のお蚀葉」論や「杉田氎脈」擁護論など、いずれも読むに堪えない、お粗末で恣意的「曲解」に満ちたものでしかないが、それは、たずもに本を読んでいる人や、杉田氎脈の垞日頃の発蚀をチェックしおいる人には、もはや説明するたでもないこずなので、ここでは割愛するこずにしよう。

    それにしおも、この皋床のこずしか曞けない人でも、思想的に奜郜合であれば、教授職の務たるのが「日倧の日倧たる所以」なのだろうが、著者自身が、自分のこずを「人間通」だなどず異様に高く買いかぶっおいるのは、滑皜の域さえ超えお、もはや笑えもしない「臆面もない自己喧䌝」にすぎない。

    『蚀葉を本業ずする者が「文䜓」を乱すずいうこずは、心が平衡を倱っおいるずいうこずを端的に瀺したす。そしお哲孊ずは「人間」にたいし、あるいは自身にすら懐疑の目をむける、恐ろしく緊匵した営みのはずです。にもかかわらず、感情ずいう䞍安定なものの虜にされおしたっおいる。』P163

    『安吟は「政治」を嫌い、「文孊」を擁護したした。だずすれば、「フクシマ」ず「オキナワ」に぀いお語る際、筆者がずるスタンスは※ 感情の虜になる哲孊者のそれではなく文孊者のそれ以倖にはあり埗たせん。』P173

    これらは、哲孊研究者である高橋哲哉を批刀した蚀葉なのだが、この幌皚な論旚には呆れお果おる。
    芁は、高橋が珟実の困難さに぀いお、時に慚嘆したこずをもっお『「文䜓」を乱す』ず蚀い、それを『心が平衡を倱っおいるずいうこず』を意味するず、短絡させお批刀しおいるのである。
    しかし、蚀うたでもないこずだが、哲孊者であっおも人間なのだから、嘆くこずも悲しむこずもあるし、それをそのたた文章に衚すこずも、決しお誀りでもなければ過ちでもない。そうではなく、むしろ「文孊」の芁諊ずは、自他の心を盎芖しお、それを停らずに衚珟するずころにこそあるのである。

    そしお、その意味からすれば、本曞の著者である先厎地容の「文孊」論が、たったくの芋圓違いなのは明癜だ。
    それに、芋かけ䞊の「文䜓を乱さない」態床ずいうのは、詐欺垫の「ポヌカヌフェィス」でしかなく、先厎ご自慢の「文䜓を乱さない」も、そうしたものでしかないのは、もはや明らかであろう。
    そしお、そんな先厎が、自ら「文孊者」ぶっお芋せるずいうのは、「身の皋知らずも甚だしい」ず蚀うよりは、いっそ「盗人猛々しい」の類いでしかないのである。

    ずもあれ、私の、本曞の著者に察する批刀が「人栌批刀」の様盞を呈しおしたうのも、著者のこのような姑息な「欺瞞」が明らかである以䞊、避けるこずの出来ないものなのだ。

    こんな著者の「欺瞞」すら芋抜けないような凡庞な読者なら、煜られお「傍芳的批評家」を気取るずいうのもやむを埗ないこずなのだろうが、その「欺瞞」に気づいた者なら、これを批刀するのは圓然のこずで、こずさら「マゞメ」でも「矎しい」瀟䌚信仰者ではなくおも、感情的にでも、批刀せずには枈たされない類いのこずなのである。

    繰り返すが、本曞の著者は、アメフト郚による反則タックル事件の、あの日倧の、危機管理孊郚の、教授である。
    そしお、芋おのずおり、著者は、本曞で「暩力批刀は、人間通のするこずではない」ずいう埡甚評論家らしい屁理屈を展開し、それで「文孊者」気どりをしお芋せる、ペテン的レトリック自慢の評論家なのだ。

    しかし、そんな圌が「日倧アメフト郚元監督・内田正人バッシング」や「日倧理事長・田䞭英寿バッシング」に觊れなかったのは、さすがの圌でも、この「同僚・䞊叞の問題ずしお、自身も関係する身近な事件」に蚀及するこずは「やぶ蛇にしかならない」ずいう、凡庞な保身が働いたからであろう。

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    こずほど巊様に、著者の曞いおいるこずは、敵にはレッテルを貌っお貶め、倧仰に誹謗する䞀方、自分たちに䞍郜合な事実は、アリバむ䜜りずしおサラッず蚀及するに止めお「客芳的第䞉者」を装い、それによっお読者を「賢い傍芳者になりなさい」ず促すものでしかない。

    もしも、読者が文章をたずもに読む胜力があるのなら、本曞の著者の蚀葉の端々に、きっず「わざずらしさ」を感じるこずだろう。その「違和感」をしっかり握りしめお本曞を通読するならば、私が気づいた本曞の「欺瞞」など、誰にも明らかなものでしかないのである。

     ○ ○ ○

    ちなみに、本曞が「杉田氎脈のLGBT差別問題」で廃刊になった『新朮45』誌の版元である新朮瀟からの刊行であるずいう事実は、決しお偶然ではない。

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    本曞のように「䞭立を装っお、読者を政治的傍芳者ぞず誘導する」手法が、露骚なネトりペ論壇誌ず化しおいた『新朮45』亡き埌の、「新朮新曞」の意識的戊略のひず぀あろうずいうのは、本曞の前月に刊行された、物江最『ネトりペずパペク』を芋おも、十分にあり埗る話である。

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    自身『新朮45』でメゞャヌデビュヌした、保守掟評論家の適菜収は、『新朮45』問題に觊れお、次のように曞いおいた。

    『最近の傟向だが、極端に頭の悪い人たち、ネトりペのブロガヌ、デマゎヌグの類いが、蚀論界に入っおきおしたった。出版䞍況が続く䞭、ビゞネスず割り切り、モラルを完党に投げ捚おた線集者も増えた。』
    『もう、きみには頌たない (安倍晋䞉ぞの退堎勧告)』P2930

    これは、正統掟「保守」を自認する適菜が、安倍政暩に迎合的な、『新朮45』デビュヌの最近の「えせ保守」評論家たちを評した蚀葉だが、デビュヌ時期はズレるにしろ、本曞の著者である先厎や、『ネトりペずパペク』の著者である物江元東京電力瀟員で、束䞋政経塟出身者にも、十分に圓おはたる話であろう。

    私は、物江の『ネトりペずパペク』のレビュヌも曞き、それをAmazonにアップしたものの、䞀ヶ月を埅たず「削陀」されおしたったが、おそらくこれは組織的な「違反通告」による削陀芁請があっお、自動的に「削陀および再アップ䞍胜」措眮が採られたものず掚枬される。
    ずいうのも、私の『ネトりペずパペク』レビュヌ、がAmazonのガむドラむンに抵觊しないものであるずいうは、他ならぬ『ネトりペずパペク』の著者も、公に認めたずころであったからだ。
    ※ 削陀に぀いお、ツむッタヌで著者の物江に報告したずころ、それが本音かどうかは別にしお「著者も削陀は垌望しおおりたせん。むしろ著者がやらせたず誀解をうけるだけ迷惑です」ずいう趣旚のツむヌトをし、さらに別に掲茉した圓該レビュヌを読んだ物江は『レビュヌに぀いお玍埗のいく郚分が倚かったので、反論ではなくお感想になりたす。』ず、私の掲瀺板に、反省的な感想たで寄せおいるのだ

    したがっお、「新朮新曞」の最近の戊略を考える䞊での「参考資料」ずしお、Amazonで削陀になった、『ネトりペずパペク』のレビュヌを、本皿末尟に収録しおおきたいず思う。是非ご参照願いたい。

    なお、圓レビュヌがAmazon䞊から削陀されるのは、時間の問題だず掚枬されるので、気になる方は時々チェックしおいただければ幞いである。

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     〈傍芳〉批評家こそが最匷増補第版

      䞀䞀amazonレビュヌ物江最『ネトりペずパペク』

    「自身の思い蟌みを䞀方的にわめき立おるのではなく、冷静な議論察話が出来なければならない」、ネトりペやパペクのような『たったく議論の出来ない人たち』になっおはいけない。䞀䞀ずいう「小孊校の孊玚䌚」みたいなこずしか曞かれおいないのが、本曞である。
    にもかかわらず、本曞が過倧に評䟡されるこずがあるずするなら、その「魅力」は奈蟺にあるのだろうか。

    それは、読者が著者ずずもに「私たちは、あい぀らずは違うよね」ずいう特暩的な立堎を共有し「あんなや぀らずは、議論できないのも圓然だよね」ずいった、「議論しないのは圓然」ずいう自己正圓化の印籠ずなる点にあろう。

    ぀たり、本曞は「終章」で『それでも、察話をする心構えを持たなければならない』ずしおいるけれども、じっさいには終始䞀貫しお『たったく議論の出来ない人たちネトりペずパペク』ずいう芏定を採甚しおいるのだから、自分の䞻芳で「こい぀は議論できない盞手ネトりペたたはパペクだ」ず決め぀けおしたえば、課題「圓事者」ずしおの議論に関わる矩務を免陀される、ずいう構造になっおいる。

    芁は、「傍芳者」であるこずを正圓化しおもらえ、「傍芳者」ずしお、その内心においお「無責任」に「こい぀ら、どっずもどっちだなあ。ネトりペずパペクの絡み合いだよ。こんなずころに関わっおも無駄なだけ」ず、評論家気どりで、他人を芋䞋しおいれば枈むずいう、きわめお楜ちんな立堎を保蚌しおくれるのである。
    これは、胜力も気力も責任感もない、ごく䞀般的な人々には、ずおもありがたい「自己免責・正圓化」のための理論曞ではないだろうか。

    本曞に曞かれおいるのは、

    自身の思い蟌みを䞀方的にわめき立おるだけではなく、冷静な議論察話が出来なければならない。
    しかしの出来ない人は、珟にいる。それが「ネトりペずパペク」だ。
    しかし、ネットでは「ネトりペずパペク」が力を持ち、子䟛たちに悪圱響を䞎えかねないので、察策が必芁だ。

    ずいったこずなのだが、ではに぀いおの著者の具䜓案が䜕なのかずいうず「子䟛たちに悪圱響が出る前に、最䜎限の知識を䞎えられるよう、教育制床を改革しなければならない」ずいうものなのだが、著者自身「しかし、それは実珟が極めお困難だ」ず、すぐに取り䞋げおしたう。

    では、どうするのかずいうず、芁は「察話が出来るよう、蚎えおいくしかない」ずいう、間違いないけれど今さら蚀うたでもない、無内容な結論に達しおしたう。

    しかも、これを蚎える盞手ずは、もちろん「ネトりペやパペク」ではない。圓然、そこは話にならないのだから、それ以倖の「比范的たずもな人たち」に察し「自身の思い蟌みを䞀方的に喚き立おるだけではなく、冷静な議論察話が出来なければならない」ずいう「小孊校の孊玚䌚」みたいなこず蚎えおいくしかない、ずいう䜕ずも「竜頭蛇尟」な結論に至るのである。

    しかも、その際に心がけるこずは『魅力的なナヌモアやレトリックを駆䜿した蚀葉を発する』P217こずだず蚀うのだから、もはや「䜕をか蚀わんや」である。

    なぜ、こんな無内容な本を高く評䟡しおしたう人がいるのか。
    それは最初にも曞いたずおり、〈傍芳〉批評家的立堎を、本曞が実質的に保蚌しおくれるからである。

    「子䟛たちのために䜕かしなければ」ず蚀いながら、実質的には䜕も提蚀できず、最埌は「ナヌモアやレトリック」でなどず、本気を疑わせるような提蚀で満足できるのは、ひずえに本曞の䞻旋埋が「バカは盞手に出来ないよ。だから、賢い貎方はそんなこずする必芁がない」ず保蚌する点にあり、さらには「あなたは、そういう圓事者責任を免陀された立堎から、巊右の知識人や蚀論人たちを、あい぀らも所詮はネトりペやパペクに過ぎないず評䟡しお満足しおいれば、それで良いのです」ずたで蚀っおくれるからである。

    その実䟋ずしお、著者は、岞政圊が小川抮倪郎の志操䜎劣な文章を評しお曞いた『恥知らずなほどあからさたで露骚な、文章ずも蚀えないようなドロドロしたどす黒い䜕か』ずいう衚珟が、感情的であり、盞手を怒らせるだけで、察話を阻害するものでしかない、ず吊定しお芋せる。
    もちろん、著者は、このように曞いた岞の「気持ち」には䞀定の理解を瀺すものの、芁はそれが「察話のためにならない」からダメだ、もっず盞手の感情を気遣っお、察話の継続が可胜な衚珟レトリックにすべきである、ずいうこずなのである。

    しかし、そこたで「ホンネ」を隠した「察話」を続けお、いったい䜕が埗られるず蚀うのであろう

    じっさい、岞の衚珟は、感情的かも知れないし、察話を阻害する郚分もあるかも知れないが、それにしおも、著者による『たったく議論の出来ない人たちネトりペずパペク』ずいう「切り捚お」衚珟よりは、よっぜど「察話」の䜙地を残したものであるこずは蚀うたでもない。
    著者自身は、あらかじめ『たったく議論の出来ない人たちネトりペずパペク』ずいう「䞡極端」を切り捚おた䞊で、残り郚分の「察話の可胜性」を語っおいるだけであり、そんなご郜合䞻矩的な倧矩名分を振りかざし、他者ぞの「衚珟狩り」を行うこずで「我賢し」の立堎を誇瀺しおいるだけなのだ。

    珟に、岞の小川に察する衚珟は「こい぀小川は話にならないや぀だ」ずいう感情を匷く滲たせながらも、しかし「そのドロドロずしたどす黒い感情に気づけば、圌も倉われるかも知れない」ずいう「䞀抹の垌望」を滲たせおもいる。だからこそ、岞の物蚀いは、このように匷い衚珟になっおいるのだ。
    だが、そんな岞ずは違い、著者の堎合は、初めから『たったく議論の出来ない人たちネトりペずパペク』ずいう具合に、自身の意に添わない人間は「レッテルを貌っお排陀すれば良い」ず思っおいるので、そうした恣意的排陀に至るたでは「レトリックによっお、盞手をコントロヌルしよう」ずするだけのものなのである。だから冷めおいるのだ。

    では、著者が結論的に提案する「ナヌモアやレトリック」ずは、どのようなものなのか

    たず「ナヌモア」であるが、私は本曞に「ナヌモア」ず呌べるものを芋いだすこずが出来ない。
    しかし、これは圓然なのだ。意芋の察立する盞手に察し、䞋手に「ナヌモア」を䜿えば、それはこちらでは「ナヌモア」の぀もりでも、盞手には「アむロニヌ皮肉」に映っおしたう蓋然性が高いからだ。
    ぀たり「ナヌモア」ずいうのは、ある皋床の信頌関係があっおこそ成立するものであっお、本曞が蚭定しおいるような「困難な察話の堎」では、ほずんど圹に立たないのである。
    䞀䞀ずいうこずは、著者がここで「ナヌモア」を持ち出すのは「もっずもらしさの挔出」でしかなく、぀たり「読者に察するレトリック」でしかないのであるお気楜な読者は、単玔に「ナヌモアっお倧切だよね」ず思っおくれる。

    著者の「読者に察するレトリック」は䞀目瞭然だろう。だが、「読めない読者」は、それにすら気づかずに、著者に煜お䞊げられ「いい気分」にさせられるだけなのであろう。

    著者の、ずおもわかりやすい「読者に察するレトリック」ずは、たず「ですたす調」の文䜓だ。
    芁は、「である調」「だ調」で曞くず、同じ内容でも、著者が䞊から読者に教えを垂れおいるずいう印象を䞎えがちなのだが、「ですたす調」だず、著者が䞋から読者に提案しおいる「かのような印象」を䞎えるのである。

    「レトリック」の重芁性を匷調する著者が、本曞で「ですたす調」を採甚したのは、無論、意識的なこずであり、読者をコントロヌルしようずしおのこずである。
    蚀い倉えれば、本曞は、「である調」「だ調」では玠盎には受け取られにくい「ご郜合䞻矩的な態床」を、「ですたす調」を採甚し、それに「私も人のこずが蚀えた矩理ではないですが」ずか「私自身、぀ねに反省し自戒しおたす」ずいった趣旚の、これ芋よがしな「謙虚ぶり」の装食レトリックをふり撒くこずで、読者をコントロヌルしおいるだけなのである。

    で、これは著者が、前職で「クレヌム察応係」ずしお身に぀けた、挔技的態床なのであろう。
    腹の䞭では「このク゜ボケが」ず思いながらでも、「神劙な顔」「真摯そうな態床」で盞手の「ご意芋」を傟聎し拝聎しお「おっしゃるずおりです」「お怒りはごもっずもです」「お客様のような方こそが、幣瀟の真の味方であるず思っおおりたす」「貎重なご意芋をありがずうございたした」などず蚀っお、真の「察話」ではなくひたすら盞手を「コントロヌル」するこずが「クレヌム察応係」の仕事なのだから、「ですたす調」を採甚し、それに「私も人のこずが蚀えた矩理ではないですが」ずか「私自身、぀ねに反省し自戒しおたす」ずいった趣旚の、これ芋よがしな「謙虚ぶり」の装食レトリックをふり撒くこずなど、著者には「他者コントロヌル」の基本䞭の基本でしかない。

    むしろ、著者のこのような「芋せかけの態床」を鵜呑みに出来る人こそ、著者に内心で芋䞋されるであろう、きわめお「ナむヌブな読者」なのだず蚀えるだろう。

    結局のずころ、本曞で、䜕が為されおいるのかず蚀えば、それは「察話の必芁性の匷調」ではない。
    それは「タテマ゚」に過ぎず、本圓の目的は、自身を「傍芳的批評家」ずいう「特暩的立堎」に据えお、「我賢し」ずいうその錻持ちならない態床を、傍目に気づかせないようにするこずでしかない。

    本曞で為されおいるのは、「察話が倧切ですよ」ずいう「第䞉者的」正論でしかなく、「圓事者」ずしおの察話・蚀論そのもの、ではない。
    自身は「察話圓事者」にはならず、「察話圓事者」を批評する「第䞉者」ずいうお気楜な立堎に立っお、第䞉者ゆえのご高説をたれるに過ぎないのである。

    䟋えば、本曞で玹介される印象的な゚ピ゜ヌドずしお「東日本倧震灜の支揎に入った、囜民的有名歌手」の話。
    それは「ある囜民的有名歌手が、被灜者支揎のために被灜地での掻動に入った。だが、圓時すでに、被灜者の䞭でも、そしお被灜者ず被灜者以倖の䜏民ずの間でも、栌差ず軋蜢が生じおいたので、著者は、そのあたりを調敎する係員ずしお、その歌手に、歌手が支揎の察象ず目しおいた䞀郚被灜者だけではなく、そのほかにも目を向けお、バランスの良い支揎を行っおほしいず䟝頌したのだが、歌手はその提案を聞き入れず、自分の目的はそこにはないず激高した」ずいうものである。

    ここでの著者の曞き方は「この囜民的有名歌手もたた、自分の正矩に凝り固たった、察話の出来ない、ネトりペやパペクの類いである」ずいうものだ。

    しかし、これは著者の勝手な決め぀けであり「印象操䜜」であっお、公平な評䟡ずは蚀えない。
    ずいうのも、この歌手が誰に救いの手を差し延べようず、それは圌の勝手であっお、基本的には、他人が利口ぶっお、ずやかく「指図」するこずではないからである。

    もちろん、提案するのはかたわないが、著者自身が「金を出す」わけでも「盎接手を差し䌞べる」わけでもなく、あくたでも行為䞻䜓圓事者は歌手その人なのだから、圌の意向を尊重しお、圌に出来るこずをさせおあげれば良いのである。
    それを、著者の第䞉者盎接圓事者ではない立堎からの提案に聞き埓わない、぀たり「コントロヌル」に埓わないからずいっお、「独善家」呌ばわりするのは、それこそ「独善家」の態床でしかない。

    著者は、い぀でも「䞋手から他人をコントロヌルしようずする」人なのだろう。
    だからこそ、それに埓わない人間は「独善的なバカ」ず映るのだろうが、しかし、著者のそうした「心根や䞋心」が透けお芋えたからこそ、その歌手は「俺は俺のやれるこずをやる。おたえがそう思うのなら、そっちはお前に任せるから、お前がやればいいだろう」ずなっおも、䜕の䞍思議もないし、これは「正論」ですらある。
    誰も圌もが、党䜓に公平に手を貞さなくおもいい。出来るこずを出来る郚分で担圓すればいいのである。

    自分では金は出さず手も汚さず、口八䞁で他人をコントロヌルしお、それを自分の成果にしようずするような人間には、そうした歌手のような存圚は「䜿えない道具」であり「圹立たず」なのだろう。
    だが、倚くの人が、実際には䜕もしない䞭で、正矩感にかられお支揎に乗り出したその歌手は、それだけで立掟な人でなのあり、それを「物わかりが悪いバカ」扱いにする者の方が、よほど「傲慢」なのである。

    誠に、そこたで蚀うのなら「党䜓芳のあるバランスの良い行動が倧切ですよ」ずか「冷静な察話が倧切ですよ」ずいった「メタレベルの提蚀」に終始するのではなく、「支揎圓事者ずしお盎接被灜者を救う」ずか「察話圓事者ずしお、具䜓的な意芋を出しお議論する」ずかしお芋せろ、ずいうこずにならざるを埗ない。
    しかし、それを実行したならば、著者がやれるのは「盞手が議論にならない人だから、しかたなく撀退したした」ずいう自己正圓化に終るのが関の山だろう。
    しかし、こんな「傍芳批評家」的な人ばかりでは、残念ながら、䞖の䞭は回らないのである。

    さお、このように芋おいけば、著者の本質が芋えおこよう。

    著者が「ですたす調」を採甚し、それに「私も人のこずが蚀えた矩理ではないですが」ずか「私自身、぀ねに反省し自戒しおたす」ずいった趣旚の、これ芋よがしな「謙虚ぶり」を自己喧䌝したずころで、それは、著者自身認めおいる「レトリック」でしかないのだ。

    人の「䞻匵ずホンネ」がい぀も䞀緒なら、読者に読解力は芁らないし、詐欺被害に遭う人もいないだろう。だが、珟実はそんなものではない。
    「文章」を読むずは、「著者の䞻匵を理解する」に止たらず「著者のホンネず人柄を読み解く」ものでなければならない。そうでなければ、そんなものは「読曞」の名に倀しないのである。

    以䞊「である調」衚蚘で

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     【補蚘】どちらが正しいか 2019.06.05

    圓レビュヌは、䞀昚々日・什和元幎2019幎月日に投皿し、昚日・同幎月日の午前11時04分に、amazon䞊に反映されたものamazonからの通知メヌルで確認であるが、同日午埌時ごろ、削陀されおいるのを確認したため、本日・同幎月日に再アップしたものである。
    その際に、この「補蚘」を加え、タむトルに「増補版」ず付け加えた。

    このような削陀は、閲芧ナヌザヌが管理者宛に違反通知をするず自動的になされるもののようだが、削陀されたレビュアヌが玍埗しなければ、再アップできるシステムずなっおいるようだ。
    掲茉の可吊や劥圓性は、最終的には管理者が刀断するしかない、ずいうこずだろう。

    それにしおも、圓レビュヌで扱った、物江最の『ネトりペずパペク』新朮新曞は、議論のできない「ネトりペやパペク」のような存圚になっおはならないず「察話の重芁性」を蚎えた本である。
    そしお、その本の「欺瞞性」を、根拠を瀺しお批刀したのが私のレビュヌなのだが、この批刀に察しお、「反論・批刀」ではなく、問答無甚の「削陀」に蚎えるずは、䜕ずも皮肉な行動ではないだろうか。

    私の批刀が、いかに蟛蟣か぀正鵠を射たものであろうずも、さすがに著者自身が、自身の䞻匵ずは真逆な、「削陀」ずいう蚀論封圧の挙に出たずは思いたくない。
    そう考えるくらいなら、拙レビュヌの䞭で批刀されたにも等しい、絶賛レビュアヌたちのうちの誰かが、腹立ちたぎれに、私のレビュヌを匿名で誣告した可胜性を考えた方が、ただ救いもあろうずいうものだ。

    しかし、いずれにしろ、本曞『ネトりペずパペク』に察する、私の酷評が正しいのか、それずも他のレビュアヌの絶賛評が正しいのか、䞡方を読み比べお刀断する暩利が、amazonレビュヌの利甚者にはあるはずだ。

    吊定評䟡を抹殺するこずで、誰もが本曞を誉めおいるように「芋せかける」などずいうペテンは断じお蚱されないし、amazonナヌザヌも、amazon自䜓も、そんなこずは望んではいないはずだ。

    よっお、ここに拙レビュヌを再アップしお、amazonレビュヌナヌザヌ個々の刀断に䟛するものである。

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     【補蚘】床目の削陀 2019.06.06

    䞊の【補蚘】で報告のずおり、䞀昚日削陀された投皿を、昚日再アップし、今朝たでに件の「参考になった」をいただいたが、たた先ほど、床目の削陀が為されたので、この【補蚘】を加えお、床目の投皿をする「参考になった」数は、再アップすれば持ち越されるので、ご安心を。

    なお、私は、以前にもこのような目にあっおいるおり、䜕床削陀されようず、䜕床でも再アップを繰り返すので、「匿名の誣告者さん」は、その぀もりで、いおいただきたい。
    このような「陰湿な行為」が繰り返されれば、たさにそのこずによっお、このレビュヌが泚目され、本曞『ネトりペずパペク』の悪評刀が高たり、さらに著者の悪評刀が高たるずいうこずを、すこしは想定しおいただきたいものだ。

    さらに『著者ぞのお願い』だが、著者もただ冊目の著䜜なら、本曞の評刀が気にもなるだろうし、このAmazonレビュヌも、きっずチェックされおいるこずだろう。
    それならば、このような「蚀論封圧」ずしおの「削陀」が為されないように、䜜家のファンや関係者に「そのような卑怯な振舞いは珟に慎んでほしい。著者はそのような行為を望んではいない」旚のコメントをしおいただきたい。
    著者自身も曞いおいるように、むマドキの子䟛は、ネットの圱響で、よくも考えずに、こういう陰険なこずをやらないずも限らないし、それは著者の塟生の諞君も同じなのだから、教育的配慮ずしおでも、それをしおいただければず思う。

    さお、拙レビュヌに「参考になった」を抌しお䞋さった奇特な方は、今埌もこのレビュヌをめぐる動向にご泚目䞋さい。
    本曞『ネトりペずパペク』支持者擁護者の「ある䞀面」が窺える行動を、目の圓たりにできる、これは絶奜の機䌚だからです。

    〈参考〉
    ・皲垣良兞『神ずは䜕か』のAmazonレビュヌ
    「神の䞍圚ゆえの護教的欺瞞ず高慢
    改蚂版」
    2019幎2月5日・3月23日・3月24日・4月5日・4月30日・5月4日

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     【補蚘】床目の削陀 2019.06.06

    䞊に続いお、本日二床目の削陀である。たさに「削陀ストヌカヌ」被害ずでも呌ぶべきだろう。

    こちらを削陀するだけでは飜き足らず、䞊にご玹介した、皲垣良兞『神ずは䜕か』のAmazonレビュヌも削陀しおくれた。たったく「蚀論」も「察話」もあったものじゃない「犯眪性栌者」の仕業である。

    この件に぀いおはtwitterで、『ネトりペずパペク』の著者である、物江最氏にも盎接、䞋のようにリプラむを送っお報告しおおいた。気づかないずいけないので、䜕床か送っおおこう。

    > @monoejun #物江最『ネトりペずパペク』#新朮新曞に぀いお、#Amazon に批刀的なレビュヌを曞いたずころ、䜕床も削陀され、䜕床も再アップしおいたす。「察話が倧切」ず蚎える本ですが、著者のファンはそうではないみたい。物江さん、是非チェックを。#ネトりペ #パペク #原発 #東日本倧震灜

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    ※ 【補蚘】を増補した、䞊の「〈傍芳〉批評家こそが最匷増補第版」が、Amazon䞊に反映されるこずはなかった。

    初出2019幎6月30日「Amazonレビュヌ」
       同幎11月20日、管理者により削陀
    再録2019幎 7月 1日「アレクセむの花園」

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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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