メインコンテンツへスキップ
見出し画像

『身体に嘘をつかない日本語』 #9. あとがき― 日本語の旅、自分の旅

    日本語はすごい。 
    いつもそう思っていました。

    しかし
    こんなクセツヨな話、
    聞いてくださる人はなかなか少なく、
    説明するのもまどろっこしく、

    ここで初めて
    日本語への想いを衝動的に
    書いてみました。

    こうして書き上がってみると
    私は
    日本語オタクというよりも、
    自分オタクだった。


    日本語を手がかりとして
    自分というものと、
    自分の位置を確認していたようです。


    他人様からみたら
    私は
    言葉にこだわりのある変な人にも思えるかもしれません。

    と、いうか、
    ほんとならわざわざこんな旅など
    したくないのです。

    本来私はめんどくさがり屋。
    料理するくらいなら
    毎日卵かけご飯でオッケーな人です。

    そんな私がなぜここまで日本語にこだわったのか。
    それは多分、
    自分がわからなかったし
    気に入らなかったからです。


    みんなが普通に思える、
    感謝やワクワクがわからない自分って
    どんだけ悪い人間なんだ。
    アホなのか?
    なぜ
    私は感謝も
    ワクワクもわからないんだろう。

    これは苦悩そのものでしたもん。


    わからないことをそのままにしても
    幸せ感ならば全然問題なかった、
    しかし、
    やはり、
    それらをわからないまま過ごすことの
    虚無感、無意味さに耐えられなかったのだと思います。


    小学生でひとりぼっち感に気づき出し、
    思春期にはすでに、独りなのは当然となっていた。

    この、いわゆる孤独感が
    全て言葉の捉え方に原因があったからです、
    ということではなく、
    自分のことを知るための、
    一つのツールとして
    日本語を分解してきたわけです。


    モヤモヤ〜じゃ、ヤだ。
    この中身をはっきり知りたい。

    だがら
    身体の反応を見て、
    波形という仮定を置き、
    慣用句や名前から
    映像や音を見つける旅をした。



    書き終わって初めて気づいたのは、

    私は日常の日本語を、
    いつも「言葉になる前」のほうから見ていたらしい、
    ということでした。


    日本語の中のちょこんと置かれた小さい矢印、
    そんな手がかりはあるものの、
    かなり朧げで手探り状態、
    誰かが「それ正解!」と言ってくれるわけでもない。

    でも唯一、
    自分の身体が正解!と判定してくれると
    私は一気に
    呼吸が楽になり
    メリメリと視界が開ける感覚になりました。

    これが私にとっての納得であり、
    腑に落ちる、ということなのだと
    解釈しています。


    体感は一人ひとり違うので
    肩の張りが緩んだり、
    腸がぐるぐる緩み出したり
    超眠くなったりすることもあるかもしれない。

    とにかく身体は
    自分にとっての正解、不正解を
    ちゃんと示してくれるものだなぁと
    感心することばかりでした。




    日本語の旅のようでいて、
    自分の心の足跡を辿っていたのでした。

    こじらせるねぇ〜。と
    自分にツッコまずにはいられません。






    日本語は美しい。
    優秀だし、柔らかいし、自由度も高い。

    でも
    それを発するのは自分です。

    日本語の外枠の美しさを守るために
    心が
    澱む、
    ぶれる、
    モヤるのだとしたら、
    それは
    私には不健康です。

    息が詰まる。
    足がすくむ。
    からです。



    楽しいということを見つけられなかった私が、
    じゃ、どうして
    楽しくないのかを
    日本語という地図をにぎりしめて
    探求したこの記録の中には

    マニアックで
    シニカルで
    生きることに大真面目な私が
    洞窟の中を右往左往していました。

    そして、
    今思うのは
    この右往左往が
    私のワクワクであり、
    萌えポイントなのかもしれない。

    世間で言うワクワクとは
    ちょっと違うのかもしれません。

    でも、明らかに高揚している自覚がある。

    こうやって
    微調整を繰り返し、
    言葉としてのワクワクと、
    一致が起きた時の自分に会えたらいいなと思います。


    でも、
    もしかしたら似たような感覚を持った人がいたならば
    その人を少し楽にする可能性を秘めている気がしています。

    もしそうだとしたら、
    この長きにわたる
    トンデモ日本語旅行も
    少しは報われるのかもしれません。

    そう思うと
    この旅はようやく一本につながります。



    日本語は、
    私にとって
    自分を聞き
    自分と話すための言語でした。

    それは
    毎日、
    図らずとも
    自分を探す旅をしてゆく

    ということなのでしょう。

    お読みいただき、ありがとうございました。


    『身体に嘘をつかない日本語』― 言葉から自分を探す
    #0.まえがき〜なぜその言葉で泣いたのか
    #1. 「感謝がわかりません」と言ってみる―言葉に対する身体のズレ
    #2. 美しい言葉の奥に本音がある―感情を回収する日本語
    #3. 言葉になる前の自分がいる―身体観察とオノマトペ
    #4. 察する優しさは消耗でもある―言葉の奥にある波形
    #5. 身体表現として慣用句を読む―姿勢と感情の観察
    #6. 音が先に意味を知っている―駄洒落と音の連想
    #7. 名前は固有の音―響きが風景を立ち上げる
    #8. 日本語は身体からの反響音―美しさよりも正確さを追う


    【身体言語についてはこちらで詳しく綴っています⬇️】

     
     
    キネシオロジーを通じ、身体が発する「声なき声」を聞く。 身体は何を知っているのか。霊性・感情・日本語を観察し、自分(仮)を更新しています。「正しさ」より「身体との一致」を言語化する、自称「陰陽境界の住人」。

    あなたへのおすすめ