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さんらん(仮)[8]

     森の中のゾンビ

     蓮田が、渋谷から、自宅に帰ると、夜の10時を過ぎていた。雑木林を抜けて、家の敷地に入る。玄関までの生垣の脇の狭い道を歩く度に、前の住人が残した、和風の飛び石に足を取られて転びそうになる。次は、ここを改修せしないと。石と石の間に、更に石を埋めて、コンクリートを流し込んで、平らにする。もしくは、土で埋めてもいい。脇の生垣は、取り除いて、オリーブか、百日紅を植えよう。
     そんなことを考えながら、玄関に近づくと、自分で取り付けた、センサー付きの自動照明が点いた。家の南側の照明も、同時に着いたので、また、狸かハクビシンでも通ったのかと思ったら、「あの女」だった。
     彼女は、こちらに気が付き、近づいて来た。

     「あのう。今日は、もうおしまいですか?」

    と、聞いて来た。蓮田は、店の入り口のドアに、「OPEN」のプレートが、掛かっているのに気づき、「しまった。」と思った。今日、来てくれた人もいたかもしれない。

     「あ、ごめんごめん。今日は、お休みだったんだ。」

    と、言うと、

     「今、あけてもらう事、出来ます? 一杯だけ、飲みたくて。モヒート。」

     と、言った。初めて話す彼女の声のトーンが、自分を緊張させる類のものであることに、多少、驚いた。見た目は、おとなしいタイプに見えるのに、有無を言わさない何かがある。しかし、彼女もあまり話したことはないとはいえ、「常連さん」には違いない。それに、札を掛け間違えてしまったのも、自分のミスだ。

     「あ、じゃあ、今、開けるから、待ってて。一杯だけならいいよ。飲んでく?」

     と、言って、自分だけ自宅に入り、内側から、カフェにつながるドアを開けた。廊下の明かりを頼りに、カウンター脇にある電気のスイッチを押すと、カウンターの上の電気だけが付き、人気のない広々としたカフェの片隅を、明るく照らした。

    「元は、和風の平屋だったとは思えない。」来てくれるお客たちが、皆、口を揃えて褒めてくれるが、自分でも、そう思う。
     玄関脇の客間と、八畳と十畳の和室をぶち抜き、畳を撤去し、木目のフローリングに張り替えると、かなり広いスペースとなったので、更に欲を出して、去年の夏は、庭に面して、ウッドデッキを自作した。
     その時、電ノコで、危うく足の指を落としそうになったが、カフェと、ウッドデッキの間の窓は、大きく、夏は開け放して開放的な雰囲気を演出できたし、窓の桟を白く塗ったおかげで、冬は、まるで、北欧家具の雑誌に出てくる誰かの温かい家にいるようだった。
     でも、お客のいない夜の店内は、まるで暗い森の中みたいだった。窓の外には深い闇が広がり、内と外の境目は消えて、人間が原始から持つ記憶のせいで、害獣が襲って来ることを想像した。初めて、自分の家を少し怖く感じた。
     暗闇の中で、反応したセンサーが、再び、彼女を捉えて照らした。明かりに吸い寄せらせられる蛾の様に、蓮田は、速足で窓に近づき、鍵を開け、彼女を室内に招き入れた。
     彼女は、猫の様に、音もたてずにさっと、店内に入ると、迷いなくカウンターに近づき、いつもの彼女の席に座った。蓮田は、

    「ちょっと、ミント採って来るね。」

     と、言って、庭に出たが、彼女は何も答えず、背中を向けたままだった。身じろぎもしない彼女の背中は、まるで手負いの動物の様だった。照明に照らされた、ミントの茂みから、収穫するには、遅すぎず、早すぎもしない枝を選びながら、蓮田は、一つの事だけ考えていた。今夜、俺たちが会ったのは二度目だという事を、彼女は、気付いているのだろうか。

      昨日の晩、映画の専門学校に通っている、昔の知り合いから連絡があり、「今日の夜、自分たちが制作した映画の上映会があるから、来て欲しい。」と、頼まれ、俺は、渋谷まで、映画を観に行くことになった。その作品は、こんな内容だった。
     ある男が、尋ねてきた女に殺される一部始終を、観客たちは、その主人公が飼っている猫の目を通して観ている。女は、猫に見られていたことが恐ろしくなり、猫も殺してしまう。しかし、猫の目を通して見ている。と、観客たちが思っていたのは、実は男の部屋に設置した、ペット用の監視カメラの映像だった。というものだった。
     ほんの10分ほどの、学生が作った短編映画を、昔なら簡単に知った顔で「面白い。」だの「面白くない。」だの、「セットがちゃち。」だのと、批評を始めたところだが、何かを作ることの時間と手間を体感として知った今は、むしろ感動さえした。
     自分は、全て、誰にも相談せずに自分の世界を作り上げているが、この映画を作った人たちは、他人と相談しながら、協力や相違を乗り越えて作ったのだろうか。それは、一人でやるよりも、より大きく複雑なことが出来るのだろうか。夏の初めの風を顔に感じながら、自分の未来というものが、初めて悲しい結末でないものに思えた。未知というものに希望というものが、水彩のように滲み合い、胸いっぱいに広がるのを感じた。
     
     そんな風にして夜道を歩いていると、自分の後ろで、数人の男たちが、大笑いするのが聞こえた。振り返ると、そのうちの一人が、

    「お、気付いた。気づいた。よう、蓮田!」

    と、言うと、仲間に、「面白え。」と、言い、残りの二人も、自分は、顔に見覚えが無かったが、こちらを揶揄うように笑い転げた。自分の名前を呼んだ主の顔が、「あいつ」のものだと、分かった瞬間、背筋から首筋に掛けて、冷たい血と熱い血が、同時に逆流して、頭に上り、自分の顔面を強張らせた。頭では、このまま気づかなかった振りをしようという考えているのに、足は、そいつに回し蹴りをしようと、地面をぎゅっと掴んで離さなかった。そうこうしているうちに、男は近づいてきて、俺の左肩を叩き、

     「久しぶりじゃん。あれから、どうしてたんだよ?」

     と、親しげに言った。まるで、何事もなかったかのような口ぶりに、肩をすくめて、男の右手を自分の肩から、払いのけた。後ろからついて来た二人もすぐにやって来て、自分を囲んだ。

    「社長、こいつが例の爆弾犯すか?」

     と、言った。坂口と呼ばれたその男は、さも可笑しそうに、

    「そうだよ、な?」

     と、こちらの肩の上に、また手を乗せた。そして、

    「いやあ、あそこのコンビニで、仕事終わりにこいつらに飲み物を奢ってやってたら、お前があの建物に入って行くのが見えてさ。お前の高校の時の武勇伝を、こいつらに話してやってたんだよ。そしたら、話してみたいっていうから、待ってたって訳。いやあ、懐かしいねえ。」

     と、言った。三人とも、坂口工務店という刺繍の入った、紺色の夏用作業着の上下を着ていた。そういえば、こいつは、建築科だったっけ。俺が高校を退学した、あの夏以降の、こいつの人生が、全て見える気がした。こちらが、どんな人生を送って来たかは、こいつには、想像もできないだろう。

    「すげー。そんで、刑務所には、どれくらい、いたんすか?」

     と、若い二人の内の一人が、言った。俺が黙っていると、坂口と、そいつが、「ばか、刑務所は、大人が行くところ。こいつがいたのは、鑑別所。」「鑑別所と刑務所って何が違うんすか。」「ばか。ググれよ。チャットなんとかに聞けよ。」「え、面倒くさいす。」「だから、お前は、ダメなんだよ。自分で学べよ。そういうとこだぞ。」と、上司と部下のやり取りを始めた。それを見ていた俺は、こいつが偉そうにするのを見るのが、こんなにも嫌だとは、今の今まで想像もしなかった。すぐにでも、この場を立ち去りたい。そして、今夜、こいつと会ったことを無かったことにしよう。と、思った。今の自分は、あの頃の自分じゃないんだ。なるべく、穏便に済まそうと、軽い口調で、

    「大げさに言うなよ。単なる花火だろ。それに、お前のせいだろ。」

     と、言った。坂口は、

    「いやあ、悪かったって。でも、まさか、自販機、破壊するほどの威力があるとは、思わないじゃん。」

    と、言った。そして、黙っている俺に、

    「あれから、俺もそれなりの立場になってさ、ほんとに悪かったなって思ったんだって。社会人になってみないと、分からんことあるじゃん。お互い、若気の至り。ってことで。」

     と、言った。その言葉に、「お前が、全て俺のせいにしたんじゃないか。」と、また、頭に血が上るのを感じたが、自分の苦心して作り上げた、あの森の中のカフェと生活を思い浮かべて、握りこぶしを握りしめた。坂口は、

    「でも、会えて良かったよ。胸のつかえが降りるっつうの?」

     と、言い、晴れ晴れとした顔で、
     
    「これから飲みに行くか?」

     と、若い二人に言った。二人は、「やった。やった。爆弾兄さんのおかげだ。」「やっぱ、すげえわ。爆弾作るような人は。」
    と、はしゃいだ。
     突然、通りを、全速力で駆けてきた女が自分にぶつかった。自分も油断して尻餅をついたが、昔、地域のコミュニティーセンターに通って身につけた空手の癖か、知らず知らずのうちに受け身をとっていた。一方、女は、体ごとはね帰り、そのまま地面に叩きつけられるように仰向けにひっくり返った。驚いて、すぐに立ち上がると、女を起こそうと、女の顔の上に、手を伸ばしたが、女は、ピクリとも動かないまま、空を見上げている。その顔を見て、
     
    「あっ。」
     
     と、声を上げた。それは、カフェの常連の女だった。しかし、その時、初めて気がついたのだが、その女の名前を、俺は、知らなかった。
     
    「あのう。大丈夫?」
     
     声をかけると、女は、その瞳に正気を取り戻し、の顔を見るなり、眉間に皺を寄せた。そして、上半身を勢いよく起こすと、差し出された手を無視して這うように起き上がり、逃げるように、今、上って来た坂を、全速力で駆け下りて行った。振り返ると、坂口たちは、もう飲みに行ったのか、姿は、消えていた。



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