
第13話 「いつもの子」
その日。
あたしは橋へ行かなかった。
気分だった。
猫というのは、 そういうものだ。
住宅街を歩き回る。
見慣れた道。
見慣れた家。
昼の光は少し強くなっていた。
春は終わりらしい。
公園の横を通りかかった時だった。
子どもたちの声が聞こえた。
走る音。
笑い声。
誰かが大声で何か叫んでいる。
人間の子どもは忙しい。
あたしは植え込みの影から眺めた。
その中に。
見覚えのある顔があった。
少女だった。
ランドセルはない。
友達が三人いる。
みんなで追いかけっこをしていた。
「待てー!」
「ずるい!」
「違うって!」
少女は笑っていた。
大きな声だった。
橋の上では見たことのない顔だった。
あたしは少し驚いた。
人間は場所によって姿が変わる。
知っていたはずなのに。
少女は転びそうになりながら走る。
友達に何か言い返す。
また笑う。
どこにでもいる子どもだった。
しばらく見ていると、 一人の女の子が言った。
「ねえ、今日も行くの?」
少女は少しだけ黙った。
「うん」
それだけ答えた。
「また?」
「別に」
少女は笑った。
でも。
その時だけ。
少しだけ違う匂いがした気がした。
もちろん。
本当に匂ったわけじゃない。
ただ。
橋の上で見せる顔に、 少し似ていた。
友達は気付いていない。
たぶん。
少女自身も気付いていない。
そんな一瞬だった。
やがて遊びは終わった。
子どもたちは帰っていく。
少女も帰る。
でも。
家とは違う方へ歩き出した。
あたしは何となく後をついて行った。
少女は振り返らない。
細い道を抜ける。
桜並木を通る。
そして。
橋へ向かった。
風が吹いていた。
川はいつも通り流れている。
少女は欄干にもたれた。
しばらく何も言わない。
その時。
「いた」
声がした。
あたしだった。
いや。
鳴いたわけじゃない。
ただ。
そこにいた。
少女は少し笑った。
「今日は来ないかと思った」
あたしは耳だけ動かした。
少女は川を見る。
あたしも見る。
それ以上は何もなかった。
でも。
何もないことを、 少しだけ残念に思った自分がいた。
それはきっと。
少女も同じだった。