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ベトナム写真紀行|12. ホーおじさん

     その日は朝からホーチミンさんに会いに行った。ホーチミンさんの眠っているホーチミン廟びょうは改修工事のため八月十三日まで中に入れないと宿のオーナーに訊いて知っていたのだが、十四日に行ってみるとまだ廟の中には入れなかった。廟の目の前までは行けたので様子をうかがってみると、観光客たちが石造りの祠を前に写真を撮っていた。バスツアーで来ていた日本人が近くにいたので話を訊くと、「見学の再開は明日かららしいよ」と言われた。なかなかタイミングが合わないことにもどかしさを感じていたがハノイで観光地らしい場所はここしか目星をつけていなかったので、できることならば滞在期間中にホーチミンさんに会いにいきたかった。
     その三日後に再び施設へ行ってみることにした。昼ごろに先日入った門まで行くと「ここから入りたいのなら朝の七時から十時までに来い」と門兵によく分からないルールを言い渡されてしまった。後に知ることになるのだが、三日前とこの日に僕が入ったゲートは団体客用の裏口のようなところで、正門であれば十時以降も入ることができたのだった。再三入れなかったこともあって面倒くさい気分になりかけており、もう行かなくてもいいかな、と思ったがハノイの滞在も残りわずかとなっていたし思い残すことなくハノイを去りたかった。その翌日、諦めずに朝八時にバスツアーが何台も停まっている門に行くと、厳重な荷物のチェックをしてカメラは入り口で預けることになり、やっとの思いでホーチミン廟に入ることができた。

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    閉鎖中のホーチミン廟

     「ホーチミン廟」は名の通りホーチミンさんを祀っている場所であるが、彼は死後に永久保存され今も変わらぬ姿で僕たちは目にすることができる。そんなホーチミンさんは、ベトナム戦争の英雄で「ホーおじさん」の愛称でベトナムの老若男女から親しまれている。そしてベトナムの十二種類のすべての紙幣には「ホーおじさん」が描かれている。
     敷地内に入れたのは八時半過ぎだったが、すでに廟の中へ続く長い列に大勢の人が並んでいた。参列者は外国人観光客が多くみられたが、それでも同じくらい国内からやってくる人もいた。ホーおじさんと会うためにベトナム全土からホーチミン廟まで訪問に来るのだ。
     一時間弱ほど行列に並ぶとようやくホーチミン廟の内部へ入ることができた。施設の中は必要最低限の照明だけで薄暗く、ホーおじさんを温めないように強い冷房がかかっていた。そして通路を抜けた一室にホーおじさんは眠っていた。四角いガラスケースの中で顔だけをライトアップされて周りには四人のガードマンが厳かに彼の眠りを守っていた。顔を覗くと蝋人形を思わせる綺麗な顔で彼は眠り続けていた。部屋の中で立ち止まることは許されず、三十秒くらいでホーおじさんを一周してしまうと流れるように部屋を出て行った。

     ホーチミンさんは生前に遺言を残していた。死後は火葬して自身の遺灰をベトナムの北部・中部・南部の三ヵ所に撒いてくれと書き残していた。当時、まだベトナムが南北に分断されていたことからベトナム統一を願ってその遺言を残したらしいのだが、政府やホーチミンの後援者たちが国民の団結の象徴として遺体を永久保存する決定をした。遺体はソ連のレーニンや中国の毛沢東のように防腐処理をされてホーチミン廟で永久保存されることになった。政治のことはよく分からないが、共産主義的な思想のもと神格化されたということなのだろう。
     ベトナムに来る前に何冊か本を読んだけれど、共産党社会主義のベトナムだがホーチミンさんは中国やソ連の思想とは別の民族主義的な思想を持っていた。なによりもまず第一にベトナム独立を目指していた彼自身は神格化されることは望んでいなかったはずだ。それでも死後も国民からこのような愛し方をされている彼は今どのような気持ちなのだろう。しかしそれを尋ねることはもう叶わない。

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    ハノイ市街

     ホーチミン廟を出ると預けたカメラを回収するために、敷地の出口付近にあった「Baggage claim」と書かれた小屋で荷物を受け取ろうとした。荷物を預けたときに受け取ったナンバープレートを係員に渡すと、「ここじゃない、あっち」、「ネクスト」、と早口に言って僕の後ろの客を手招いた。僕は頭上にクエスチョンマークが浮かんだが、しかたなく言われた方向へ向かって来た道を戻るもすぐにガードマンに止められて「ここから先は戻れない」と言われてしまった。そして彼に連れられるまま正門から追い出された。
     僕は預けたカメラを回収できずに敷地を出されてしまったのだ。意味がわからなくなり、最初に入った門を目指して敷地を半周して戻ってみるが、ここからは入れない、正門まで行け、と門兵に言われ、また敷地を半周して追い出された正門まで戻った(このとき初めてこの門が団体客用の裏口だと知った)。門を抜けて最初に行った「Baggage claim」のところでもう一度荷物の在り処を尋ねるとあからさまに嫌な顔をされて「いいからあっちへ行け」というようなことを言われてしまった。
     そして僕をつまみ出したガードマンのところへ戻り、必死に説明をしてなんとかホーチミン廟近くまで戻ることができたのだが、変わらず荷物の行方がわからないままだった。敷地を行ったり来たり一時間以上うろつく羽目になって疲れていた。それにこの施設の人々は全員何かに苛立っているようで僕はもう関わりたくなかった。何もかも面倒になりつつカメラを諦めてしまおうかさえ思った。すべてを放ってここから立ち去ってしまおうかと思い始めていたところで、やっと話の通じる職員に荷物の在り処を案内してもらうと、ホーチミン廟を出てすぐ隣にテントがあり、そこで預けたカメラを受け取ることができたのだった。旅の最中、こんなに長い時間カメラを手放していなかったので、旧友と再会できたような気持ちになり、一瞬でもベトナムに置いていこうとしたことに罪悪感が湧いた。僕は大事なパートナーに謝ると、もう二度と手放さないようにしっかりと握りしめた。

     廟を出てすぐのところに荷物はあったのだから僕が見逃していただけなのだけれど、ここの施設の人はなんだかぴりぴりしていて皆機嫌が悪そうなのだ。外国人観光客が多いせいなのかもしれないが、ベトナムに来てから初めてこんな嫌な思いにさせられた。この日は朝からどっと疲れてしまったのだった。
     そしてこのとき僕の中の張り詰めていた糸がぷつんと音を立てて切れてしまったような気がした。ホーチミンとハノイの都市部の喧騒に二週間以上身を置いていたのだ。バイクも観光客もベトナム兵士もいない静かな町へ行きたくなった。人が少ない、どこか静かでゆっくりと過ごせるような場所を僕は心から求めていた。しかし日本から遠いベトナムの地までへやってきておいて、ここでもまた遠い地を目指したくなることに皮肉さを感じると僕は僕自身に苦笑してしまった。

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    ハノイ市街



    『ベトナム写真紀行』

    目次

    |1. 出発前
    |2. ホーチミン到着
    |3. ホーチミンの夜
    |4. メコン川クルーズ(前編)
    |5. メコン川クルーズ(後編)
    |6. カジノ一家(前編)
    |7. カジノ一家(後編)
    |8. 不調
    |9. タム・ビエット
    |10. ハノイ到着
    |11. 再会
    |12. ホーおじさん
    |13. トゥーソンの町と小林くんの思い出
    |14. 旅の終わり
    |15. 編集後記


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    羊男

     
     
    30代男の戯言。 雑記散文、もしくは作り話。

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