ベトナム写真紀行|6. カジノ一家(前編)
ホーチミンには一週間の滞在予定だった。そして僕は日本へ帰る飛行機をハノイから取っていた。ホーチミンとハノイはベトナムの南北に位置しており、距離にすると福岡から東京までと同じくらいだ。ハノイまでの交通手段としては飛行機を使ってしまうのが定石だったが、僕はベトナム中部も見てみたいと思っていた。中部の海岸沿いの街は主にリゾート地として内外からのバカンス客で賑わっているはずだし、内陸部は都市開発の及んでいない長閑な田園風景が広がっており、どちらの街も魅力的に思った。僕は長距離バスを使ってベトナム中部を一週間かけて転々としようと旅に出る前から計画していた。

ホーチミンの滞在日数も残り少なくなってきたので、僕はハノイまでの長距離バスチケットを手に入れるために再びファングーラオ通りを歩いていた。事前に調べていた情報としては、ベトナムにはオープンバスチケットというものがあるらしく、ホーチミンからハノイまでのオープンチケットを買っておけば、道中で停車するクイニョン、ホイアン、フエなどに期間中はいつ・どこで途中下車してもいいとのことだった。どういうルートを辿るか決めていなかったので、賑わっているリゾート地か観光客の少ない田舎のどちらかを選ばなければいけないのは悩ましかった。長距離バスが停車する街は運行するバス会社によって違うらしいので、いずれにせよバス会社を見つけるところから始めなければいけなかった。
バス会社を探しながら歩いているとバイクに乗った青年が話しかけてきた。
「コンニチワ」
こういったとき「ハロー」でも「ニーハオ」でもなく、必ず日本語で「コンニチハ」と話しかけられるのだが、よくもまあ顔だけで国籍がわかるものだなと感心する。それにこのあたりは五分ごとにバイクタクシーに声をかけられるのであまり好きじゃなかった。とにかくしつこいのだ。無視していても平気で百メートルくらいは並走してくるし、夜になると「マ〇コ、マ〇コ」と含みのある笑みで言い寄ってくる輩まで出没するのでうんざりしていた。
青年を無視して歩き続けるも、「どこまで行くの?」と彼はお構いなしに話を続けた。
「ハノイまで。バスで」
こう言えば諦めると思って僕は青年にそう伝えた。バスで? と驚かれたが、「それならバスターミナルまで案内するよ」と青年が言った。
「タクシーは必要ないよ。残念だけど」
「ノーノー、僕はタクシードライバーじゃない」と青年が言った。そのひと言が余計に怪しく感じたが、「バスターミナルはここから近い?」と訊いてみた。
「長距離バスのターミナルはここからは遠いよ」と青年が答えた。
バスターミナルまでは遠くて、彼はタクシードライバーでもない、それでも案内するとはどういうことなのか疑問に思った。まあいい、金は払わないと伝えた。すると青年はバイクを降りて、「ついてきて」と僕に手招きした。彼のあとに続いて行くと近くのカフェに入って行った。なぜカフェ? と思っていると店内にいたおばさんに青年が話しかけ、僕に母親だと紹介した。
「こんにちは。日本人なのね?」と青年の母親は言った。
状況が呑み込めないまま、差し出された手を握って挨拶をした。
「ええと、こんにちは。ゆっくりしたいところだけど僕はこれからバスターミナルに行かなくちゃいけないので」と僕は言った。
そして青年が母親にここまでの経緯を説明し始めた。
「ハノイまでバスで行くとなると一日半は乗り続けるのよ」
「何日かかけて行くつもりなんです。フエかホイアンか、とにかく途中下車しながらハノイに行くつもりです」
なるほど、と母親は言って少なくとも僕の英語が通じたらしく納得したようだった。「でも飛行機のほうが便利よ」と母親は笑いながら付け加えた。
僕と母親が話しているあいだに青年が自分と僕の分のカフェラテを買って持ってきた。まったく、長居するつもりはなかったのだが。しかたなくカフェラテの入ったカップを受け取り、青年も加わって三人で話を続けた。とにかくこれをさっさと飲み干して出て行こうと思った。
「娘がチバに住んでいるのよ」と母親が思い出したかのように言った。たしかにさっきから<八重桜は美しい><東京ディズニーランドはチバにある><アサヒビールはベトナムのビールより美味しい>と変な日本の知識を披露していた。
青年と母親が数年前に行った日本の話をベトナム語ではじめて、僕を置いてけぼりにして盛り上がっていた。いったい僕は何に付き合わされているんだろう。すると母親が、
「あなたをランチへ招待したい。日本人は大歓迎よ」と言った。
僕はバスターミナルがどこにあるか訊きたかっただけだったので、バスターミナルの場所を教えてくれるだけでいいと言うと、「私たちの家の近くだからランチを食べた後で行けばいい」と母親と青年が口を揃えて言った。
かなり強引な物言いと日本語を使うベトナム人があまり信用ならなかったので胡散臭さを感じていた。僕が断り続けるも二人は店を出る支度をはじめ家にはタクシーで行くと言い、青年がアプリを使ってタクシーの予約を始めた。行くとはひと言も言っていないのに僕を置いて話がどんどん進んでいった。さすがに着いて行くのは危険だな、と思ったのだが、逃げてしまおうか迷っていると胸に引かかるものを感じた。
ここまで旅は難なく続いて順調すぎたのだ。メコン川ツアーに参加できたことは旅らしいといえば旅らしいイヴェントだったが、もっとローカルでディープなベトナムを見てみたい気持ちがあった。空港に着いたばかりの僕なら、こんな得体の知れない誘いに乗ったりはしなかっただろう。だがメコン川を見てからの僕は「冒険」をしてみたい思いが強くなっていた。
──ついて行ってみるか。
この親子のことを何も信用したわけではなかったが、手持ちのリュックにはカメラとフィルムとクレジットカードが一枚、現金が五十万ドンだけだ。身ぐるみを剥がされたとしても致命的にはならない。覚悟を決めてついて行くことにした。
やってきたタクシーには青年が助手席に座り、母親と僕が後部座席に座った。母親は家まで十五分ほどだと言った。
「あなた日本に恋人は?」と母親が訊いた。
「いますよ。結婚はしてないですけど」と僕は言った。
「結婚はしなくちゃダメよ。子どもも作らないと」
「まあそうですね。でも東京で家庭をもつのは大変ですから」
「そうかもしれないわね。娘も東京は物価が高いと言っていたわ」
ところであなたは仕事はなにをしているの? 東京の家賃は? 車は持っているの? と、それからいろんな質問をされた。僕はまともに答えなかったが、今にして思えば僕にどのくらいの資産があるかを判断するための質問ではないかと思う。
タクシーは僕がまだ来たことのないローカルな地区で停車した。いざとなれば走って逃げるためにポケットの荷物は全部リュックにしまい込み、タクシーを降りて二人について行った。
大通りから路地裏に進んで行くと、三階建ての建物の前に親子は立ち、これが私たちの家だと言った。三階建てとは言っても横幅はそこまで広くなく、隣家との隙間はほとんどない窮屈そうな家だった。
玄関をくぐると、すぐ目の前がダイニングになっており、ソファーに男が一人座っていた。近づいて挨拶をすると彼は父親だった。
「ランチの準備をするからここで寛いでいてね」、と母親は僕をダイニングのソファーに座らせた。父親と並んで座って、ランチができあがるまで話をした。
父親も日本のことには詳しく、「宇多田ヒカルを知っているか」と訊かれたので、「もちろん。彼女は素晴らしい歌手です」と僕は言った。父親は宇多田ヒカルの『Automatic』を口ずさみ、次に長渕剛の『乾杯』まで歌った。僕は宇多田ヒカルが好きな人に悪い人はいないだろうという気になっており、もしかしたらこの人たちは本当にただランチに招待してくれただけではないかと思い始めていた。
仕事の話になると、父親はカジノのディーラーで世界中をまわって仕事をしていたと言った。ラスベガス、マカオ、シンガポール、と各地でトランプのディーラーをしていたらしい。「食事の後にトランプを教えてやる」と父親は僕に言った。
ほどなくしてランチが運ばれてきた。食事はライスと焼き魚とビネガーのかかったサラダ。豪華な食事を期待していたわけではなかったが、味は特に美味しいとは思わなかった。一緒に出されたセブンアップはよく冷えていて美味しかった。

(後編へ続く)
『ベトナム写真紀行』
目次
|1. 出発前
|2. ホーチミン到着
|3. ホーチミンの夜
|4. メコン川クルーズ(前編)
|5. メコン川クルーズ(後編)
|6. カジノ一家(前編)
|7. カジノ一家(後編)
|8. 不調
|9. タム・ビエット
|10. ハノイ到着
|11. 再会
|12. ホーおじさん
|13. トゥーソンの町と小林くんの思い出
|14. 旅の終わり
|15. 編集後記
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