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サキガミエテモ(他人とは違うアイレベル●02話)

    #創作大賞2025 #ミステリー小説部門

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    ●02話 サキガミエテモ【Here Comes the Swimmer】

    (約8,400字)

     吉見佐和(よしみさわ)は、海蛇と戦っていた。
     大きい。
     どのくらい大きいのか、という比喩の仕方にも色々あるけれど。五階建てのビルぐらい。
     子どもの頃、国語の時間はいつも意味が分からないまま教室で座っていた。比喩表現なんて苦手だ。山のように大きくて、海水ぐらい塩っぱい。伝わればそれでいいはずなのに。五階建てのビルぐらい大きい海蛇なんて、分かりやすいことこの上ない。
     エメラルド色の鱗を輝かせながら、海蛇がわたしの体を締め付ける。キョウちゃんに聞いたことがある。大きな蛇は先に獲物を締め付けて、体中の骨をバキバキに砕いてから丸呑みにするんだって。わたしは今、丸呑み前の下ごしらえをされているところだ。キョウちゃんと明日、吉祥寺に行くはずだったんだけどな。ゴメンね、わたしの素敵な未来の旦那様。わたしは先に逝きます。この時の作者の気持ちを答えよ。
     答え:「眠い」

    「サワちゃん! それ、あと何分かかる!?」

     海蛇が突然叫んだ。
     それと同時に、自分の顔をシズル感溢れる海蛇の舌が撫でる。というより、シバかれた。
     
    「ファッ!?」
     わたしは高いレの音で叫んで、反射的に顔を上げたら目が合った。海蛇じゃなくて、赤い髪の右半分を刈り上げた凛音(りんね)先生の真っ赤な目と。

    「海じゃない……」
     辺りを見回して、波も潮の匂いもしないことを確認する。
     自分が着ているのは水着ではなく、最終日の徹夜作業に備えた作業用のツナギだ。
     ヒットした勢いで頭に巻き付いているおしぼりを、そっと手に取る。

    「ヤバそうだったらもういいから、その原稿こっちに回して。あと、おしぼり新しいの持ってきて」
     
     何度か瞬きして、下を見る。ワコム製の液晶ペンタブレット。カフェの中のモブを描いていたはずだけど、テーブルにニョロリと海蛇もどきが座っている。
    「すみません……、また小人さんがやりやがりました」
     凛音先生に言い訳したのか一人で呟いたのか自分でも分からないまま開ききらない口の中で発音したあと、大きく息を吸って席を立つ。
     視線を上げると壁に、扉が開かなくなってしまった鳩時計。開かない扉に内側から鳩がタックルする音がする。ごつん。一回。二十二時半だ。一時間前にもタックル音を一回聞いた。あの時空から、自分はワープしている。二十二時の十回鳴るはずのタックル音を私は聞いていない。恐ろしい。何者かの攻撃を受けている。そいつの名前はスイマーだ。
     寝てしまう自分が悪いのだけれど、おしぼりを乙女の顔面にぶつけることはないじゃないか。でも、口には出さない。自分の雇い主で週刊ジャムプで連載する大先生で、しかも現在は締め切り間近で、空気はピリッピリ。

    『アシスタントの尊厳より、原稿の締め切り』

    小林一茶も一句詠んでいたはず。何か言いたいことがあるなら、原稿が上がってからにすればいい。
     
     ここは漫画家の、緒良千峯凛音(おらちねりんね)先生の仕事場。締め切り直前でロマンチックが止まらないこの時間、約二十四時起き続けたまま、最後の仕上げを手伝っている。ひたすら繰り返す、ベタとスクリーントーンの作業。
     わたしはロングスリーパーで、徹夜は大の苦手だ。そして人は夜になったら寝るものだ。なのに本能に抗って、漫画家は今日も夜に活動する。なんなら夜になったら動き出す夜行性の漫画家の方が絶対多い。
     話を考えて『ネーム』にし、担当がチェックする。二十ページ分の『下描き』をして『ペン入れ』、『ベタ塗り』、『背景』を描いて、スクリーントーンを貼って仕上げる。最後に『ホワイト作業』。これを一週間で終わらせる。どこの誰が、こんなバカみたいなシステムを作ったのか。だけど自分の夢は、週刊連載する漫画家だ。人生はままならない。
     子どもの頃に漫画を読みながら、
    「なんで一週間でこれだけしか読めないんだろう。漫画家はもっと働けよ」
    と、一人憤っていたものだが、あの頃の自分に言いきかせてやりたい。
     『人間のやる事じゃないよ』と。
     
     怠け者の漫画家に怒っていたあの子は、大きくなって大学生になったら漫画を描き上げた。それをなんとなく投稿したら、小さな賞を受賞してしまう。そう、『してしまう』。運命の悪戯。担当編集がついていくつか企画を作って、更にもう一度受賞。その後ジャムプの増刊号に、別作品で一度掲載された。順風満帆な漫画家人生だと思っていたのに、現場がここまで過酷だなんて知らなかった。
     受賞した二作目は、企画からネーム完成まで半年。四十五ページの作画を、三ヶ月ぐらいでのんびり描いた。担当に締切を設定されなかったので、そういうものだと思って描いた。増刊に載った作品も元々は賞に出すつもりのもので、突然それが増刊会議に回されただけ。わたしは締め切りに終われるという経験なしで、漫画家という呪われた職業の端っこ、魔の領域に踏み込んでしまった。

     増刊号に載りはしたものの、その後通らない企画をいくつも出してたら、担当さんがある日の打ち合わせ後に言ってきた。
    「緒良千峯さんのところ、スタッフが抜けちゃって人が足りないんだよね。吉見さん、アシスタントやってみない? 新企画のための勉強にもなるし」
     なんと甘美なお誘いか。
     わたしがもっとも憧れる漫画家、それが緒良千峯凛音その人だった。
     最初の受賞はわたしと同じ、大学在学中。でも最初から準入選で、しかも半期に一度の柘植賞。大学を出たあとすぐに二度連載して、どちらも短期打ち切りになるけど、三作目の『空域×HUNTER』で一躍人気作家に。この『空域×HUNTER』という作品は、やたらとわたしのハートに刺さった。ストーリーはちょっとエキセントリックでアバンギャルド。難しいところもあるけど、とにかく見栄えのするあの絵。そしてジャムプ作家としては自分と年齢が近めの若い人。本人自身も容姿端麗で、雑誌上でグラビア企画をやったり、そんなところも好きだった。加えて出身地が自分と近くて、勝手に親近感を感じていた。
     とにかく一方的に憧れていた。
     そんなところに鴨がネギを背負ってやって来るように、海蛇がGペン背負って這い寄って来たわけだ。乗るしかない、このビッグウェーブに。
     そんなこんなでわたしは大学を出てから二年間の、バイトしながら会議用ネームを提出するという暮らしに別れを告げ、『アシスタントしながら会議用ネームを提出する』という形に、ジョブチェンジ、スキルアップ、ジャンプアップしたのでした。

     でもちょっと考えれば分かりそうなことに、わたしは当時、気付いていなかった。
     人手が足りない仕事場、アシスタント初心者でも欲しい仕事場。だけど、求められるのは高い画力。
     緒良千峯凛音先生のところはどちらかと言うと過酷で、いつも人を探してる。そんなまあ、少しだけブラック寄りの仕事場だった。

     一週間のうち五日ぐらいは作画して、泊まりのスタッフは六時間の睡眠時間以外は描きっ放し。締め切り前日から原稿アップまで、徹夜で進めるのが通常進行。
     わたしは『女性だから』という理由で通いにしてもらっている。表向きは『女性だから』ということにしてるけど本当は、『枕を変えると寝られない』のが理由。わたしは一度自宅へ帰らないと自分の精神をリセットできない。同棲している彼氏のキョウちゃんが恋しい。睡眠時間が六時間あるとは言えども(少ないけど)、職場に二十四時間、ずっと居続けるのは耐えられない。だから最終日の『家に帰れない』『寝れない』というコンボに、心の中で歯を食いしばりながら涙目で耐えている。
     睡眠が足りなくなると定期的に『小人さん』が現れて、勝手に原稿に手を加えて去っていく。小人さんを見たことはない。いつも痕跡だけ。今回の小人さんは、カフェのシーンに海蛇を描き込んでくれた。お手伝いありがとう。
    「小人さんはいいから。修正できそう? なんだったらマジで渡して」
     凛音先生が液タブの画面に描き込みながら、髪より赤い目だけこっちへ向けて吐き捨てる。いや『吐き捨てる』というのはわたしの主観だ、良くない。言った。言われた。おっしゃられました。
    「大丈夫です! 眠気覚ましに顔を洗ってきます! それでおしぼりも取ってきます!」
    「OK。仮眠時間あんまり取れなくてゴメン。でも、マジで急ぎでお願い」
     凛音先生の声を背中に聞きながら、洗面所に急ぐ。顔を洗っても、眠気が何処かへ行ってる時間なんてほんの一瞬。ボンタンアメのオブラートが口の中で踏ん張っているぐらいの、ほんのちょっとの間。

     おしぼり大好きな凛音先生は、業者さんに定期配達してもらってる。冷蔵庫横の保温器の中でホカホカ状態のそれを、凛音先生と自分用に二つ取り出して仕事部屋に急いで戻る。
    「おわーっっ、タミさんの背景もう届いた! マジで、速っ!」
     部屋に戻ったら、先生が叫んでた。わたしも机に戻る前に、先生の液タブを覗いてみる。
    「二十三時でも上がらんかなと思ってたんだけど、マジでクソ速ぇな……」
    「下手したら二十四時近くまでかかるんちゃうか、思うてましたわ」
     最後に残ったあちこちの細かい背景を進めていたゴロさんも、デスクの近くまで来て完成コマを覗き込んでる。細くて背の高いゴロさんは、私の頭の上から液タブを覗き込んでいる。
     田見屋さんの背景はいつも綺麗で速い。ゴロさんも背景は上手いけど、田見屋さんは更にめちゃくちゃ速い。どうやってみんな背景を描いているのか理解できない。人間なら、その辺の人をわたしもいつも見ている。自分の体だって、同じ人間の体だ。だからキャラ絵は、人間を原稿の上に描けばいい、それだけ。だけど、街中の看板とかビルとか電柱とかカバンとか車とか、並びや形や方向に規則性が無さ過ぎて絶望感を抱く。ゆっくり描けば、一つ一つはきちんと描ける。でも色んなものをセットで描くと、住宅展示場みたいな謎のキッチリ感に支配される。
     あとは傘とか飛行機とか、変なカーブが多い物も嫌い。サッカーボールの模様なんて訳が分からない。あれ、人間が手作業で描くもの? 最近ここの職場にも3Dモデルが導入されて助かっている。

     今日の修羅場メンバーは、凛音先生とわたし、そしてゴロさんの三人が現場組。他にリモートで仕上げを手伝う人が一人と背景が二人の、全部でヘルプさんは三人。それでもこぼれてしまう背景を飛び込みでお願いできたのが、タミさんこと田見屋さんだ。

    「なんでこんなに描くの速いんですかね……」
     描かなくても良かった海蛇をテーブルや椅子と一緒にレイヤーごと消そうか、一部を消しゴムツールで削除するか。悩んでるわたしは、きっと涙目になっている。眠すぎなのか、時間を無駄に使ったからか、先生のピリピリした空気に当てられたのか、田見屋さんと比べて自分の不甲斐なさに涙が出てくるのか。
    「今回出てきそうな背景を、タミさん事前に描いといたんちゃいます? いくらなんでも速すぎやで」
     ゴロさんが自分のデスクに戻って、トーン削りのブラシツールで画面を撫でながら呟く。背景を描いていたはずだけど、担当分は終わって仕上げに回っているようだ。ゴロさんも速い。
    「いやー、でも今まであんまり出てきてない街並みなんだよね。歓楽街とか出してないから。これ先に描いとくのは、先読みで色んなパターン作っとかないとでしょ。看板も今回初めて出てきたお店だし」
    「看板の文字だけ後から変えりゃええんちゃいます? デジタルってそういうの楽でいいっスよね」
    「あー、分かります。一作目はわたしも紙の原稿だったから。デジタルなかった昔は、どうしてたんだろ」
     右手で海蛇を人間に変更するための下描きを入れ、左手のおしぼりで顔を拭きつつ画面だけ見ながら相槌を打つ。会話をしている方が睡魔に耐えられるのだ。
    「タミさんに聞いたことあるんやけど。消したいとこだけ上に白いコピー用紙とか貼っといて、そんでコピーを取るんやて」
    「看板の中だけ白くなったコピーが、一枚できるってコトですか?」
     描く手は止めずに、わたしは顔を上げてゴロさんを見た。
    「で、その看板の中だけ描いて、そのコピー用紙を原稿用紙に貼るんやて」

    「貼ふぅ?」
     欠伸が一緒に出てしまい、馬鹿みたいな声を出してしまった。恥ずかしい、が徹夜中の誰も気にしない。
    「スプレー糊っちゅう、貼ったり剥がしたりできる糊があるんやてさ」
     わたしには未知の世界だ。
     Ctrl+Zで、失敗した線を一つ前に戻せないなんて。どうやって以前の自分は、紙に絵を描いてたんだろう。電話をみんなが持っていない時代はどうやって待ち合わせして、会うことができていたのか。海蛇が耳元で小さな疑問を囁いてくる。
    「サワちゃん!」
     顔に何かが当たって体が、ビクッと反応した。折角、先生のためにおしぼりを取ってきたのに、先生の手元からどんどん無くなっていく。わたしを砲撃するために、もっと沢山渡しておいた方が良いのか。毎回締め切り間際になると、おしぼりがわたしの周りに集まり始める。わたしの机の周りにおしぼりが増えてきたら、佳境の合図。
     
     いつの間に自分は目を閉じていたのか。先生の手元にはもう、投げるためのおしぼりがないはず。それでも先生が、チラチラこちらを見てくる。モテる女は辛いぜ。目を閉じたって、世界は見える。ハロー海蛇。早くカフェの海蛇を人間にしなくちゃ、むにゃむにゃ……。

     零時前に担当の東(あずま)さんがやって来た。昔と違って原稿用紙を回収しなくて良いから、編集さんは締め切り時間に仕事場まで来なくても大丈夫だ。地方に住んだまま連載している人もいるし、完成原稿の確認は電話やチャットで問題ない。一緒にクラウド上のデータを確認すれば、それで良いはす。だけど東さんは毎回、締めの時間に仕事場に来る。担当として丁寧な人でもあるのだが、現場に来てプレッシャーをかけることが多分一番の目的だ。そうでもしないと、無限に原稿は上がらない。
     日が変わる零時アップの目標で進行中で、東さんが零時前にやって来て。となると、多分原稿がちゃんと終わって渡せるのが一時。零時が締め切りなのに変な話だけど、漫画家さんの時計はそういうものだ。なんなら二時という世界線だってかなりの確率で存在する。頑張れ二時の世界線のわたし。
     終電行っちゃったな、どうやって帰ろ。朝までここで寝かせてもらうのは嫌だな。家で寝たい……。
    「サワちゃん! サワちゃん! あと少しだからお願い!」

     遠く、遠くで、海蛇の母がわたしに語りかけてくる……。

    「はい、お疲れ様でした! 原稿、確かにいただきました~!」
    「お疲れ様でした~!」
    「っしタぁ~!」
    「ァ~っ!」
     印刷した完成原稿を確認していた東さんが、全てをめくり終えて大きな声を上げた。わたしたちも順に声を上げる。狼の群れの遠吠えみたい。カスカスになった声で懸命に挨拶する。徹夜に弱いわたしは、最後の追い込みタイムで役に立てているのか。最終日が終わる度に、そんなことを考えてしまう。

    「お疲れっ! ゴメンね、今日もベシベシおしぼりぶつけて……。締め切り間際は人が変わっちゃうんだよね……」
    「いえ、大丈夫です。でもすみません、どうしても最後は意識が……」
     平常時でも締め切り間際でも先生の性格は正直変わらないけど、海蛇カフェを修正してもらった手前そんなことは言えず、ひたすら頭を下げる。
     
     毎週こんなことを繰り返す仕事を、わたしは本当にやりたいのか。
     そんな気持ちが自分の奥底から湧いて来るけど、見ない振りをする。
     
     それでも。
     自分は漫画家になりたい。

     今どき珍しく、お給料は週毎に手渡しだ。その場でお金をもらって領収書に記入してハンコを押す。仕事をした、という感じがしてこの瞬間が好きだ。
    「データは印刷所に送らせてもらったし、僕はタクシーで編集部に戻るけど誰かあっちの方行く人いたら一緒に乗っていく?」
     東さんが左手首のApple Watchを見たあと、わたし達を見回す。後ろで鳩時計のタックル音が響き渡る。一回。
     金曜夜から日が変わり、土曜の一時。この時間から編集部に戻るのか。編集の人って大変。そして、わたしは朝までどうしよう。
    「すんません、飯田橋か水道橋か、あの辺で降ろしてもろてええですか?」 
     ゴロさんが手を上げた。ゴロさんはほぼネットゲーム内で暮らしてると聞くので、早く帰ってゲームをしたいのだろう。ゴロさんにヘルプの打診をする時は電話やsRime(スライム)じゃ連絡が付かないので、こちらも一回ゲームにログインする必要があるらしい。ゲーム内で話しかけないと連絡がつかないのだ。ゲームをプレイしていない凛音先生は、『ゴロさんに話しかける係のプレーヤー』を連絡用に確保しているらしい。こちらとあちら、ゴロさんはどっちの世界の住人なんだろう。わたしには分からない世界だ。
    「あっれぇ~? おかしいな。タミさん、ギャラの振り込み連絡に既読つかないな」
    「先に一つ別の仕事あったみたいだし、寝てるんじゃないですか?」
    「それか会議用のネーム作っとるとかかな?」
    「今回の読み切り面白かったですもんね。あれなら連載会議も行けそうな気がします」
     言いながら、目をこする。自分なら絶対寝てる。先生は田見屋さんとのチャットは諦めたようで、買い込んであった夜食に手を伸ばす。
    「確かに。急にタミさんの話、面白くなった」
    「何か今までとちゃいましたよね」
    「佐和ちゃんは、次の会議は?」
    「増刊用の会議、来月末締めに出します。まだ全然できてないですけど……」
     ゴロさんと先生が、コンビニ袋を漁りながら話しかけてくる。
    「サワちゃんは、彼氏さんが迎えに来てくれたりしないの?」
     機嫌の良くなった先生がコンビニのおにぎりをパクつきながら聞いてきた。最後はご飯の時間も取れなくなるので、作業しながらつまめる夜食は徹夜のお供だ。だけど先生は食べないままで原稿を終わらせることが多い。作家さんは作業が多いので、多分なるべく食べないようにしてる。食べると眠くなるから。仮眠の時間も先生は取れないことが多い。だけどわたしは、空腹に耐えられない。お腹が減ると元気が出ない、描けない。食べちゃう。そして眠くなる。駄目なピタゴラスイッチだ。
    「キョウちゃん最近忙しいみたいで、特に金曜は帰りが遅いんですよね……。凛音先生、ここで始発が動くまで寝てもいいですか?」
    「ええやん、サワちゃん。待ってるから仕事終わったら車で迎えに来て~、で。金曜の夜なんやし」
     他人事だと思って適当なことを言いながら、ゴロさんは東さんと出て行った。

    「お疲れ様でした~」

     出て行く二人を見送って。先生とわたしは仮眠室に引っ込んだ。
     
     仮眠室に置かれた二つの二段ベッド。窓と反対側のベッドの上で、布団を被って天井を見る。二段ベッドの上側なので天井がとても近い。月とか星とは違って比喩ではなく、手を伸ばせば届く。徹夜で眠気MAXなのに、アップ直後は脳味噌が興奮してるのか、いつも寝付きは最悪だ。そもそも自分の布団じゃないと寝られないので、徹夜明けは関係ないのかも。机の上なら簡単に寝られるのに。
     疲れ過ぎていたので、ピアスを外すのも忘れて上のベッドによじ登ってしまった。両耳につけたままだった紙製のハコフグピアスを外して、枕元にそっと置く。寝返りを打って潰したりしてしまったら悲しすぎる。
     もうデジタル化された仕事場ではインクで服を汚すようなことはないけれど、そのまま仮眠もとれるように最終日はツナギを着てくる。ただ、ツナギはゴワゴワして寝にくい。
     下の段で先生が、もう寝息をたてていた。寝息というより、ちょっとイビキっぽい。疲れているのだろう。豪快だ。豪快で分かりやすい。右の耳たぶについた安全ピンもそのままだ。寝返りを打つ時に引っかかったりしないのだろうか。
     ここは先生の自宅兼仕事場だけど、自分の寝室はないらしい。いや、自分の部屋も特にないとか。アシが職場にいない時でも、先生はこの下のベッドで寝てるはず。わたしならこれだけ稼いでたら、大きなベッドにふかふかマットレスで最高の寝床を作るのに。食とか住への興味が薄そうだ。原稿を描く机と、下段のベッドと。その二箇所の間を、ただ往復する暮らし。
     それじゃただの漫画マシーンだ。楽しいのだろうか。
     わたしも漫画を描くことは好きだ。だけどこんなに漫画を描くという事に追いかけられながら、わたしは生きていけるのか。『就職する』ということそのものを、避けているだけじゃないのか。
     わたしの信念はどこにあるのか。
     描きたいものは何なのか。
     作家性とは何だ。
     今売れているジャンルにただ寄せれば良いんじゃないのか?

     海蛇が、わたしを問い正し続ける。



    ●03話へ続きます


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    「仁藤と田塚の日常」のコメントを考えていた人。LINEマンガ→AMG出版。 週刊漫画アシ→専門学校漫画教員→web漫画編集→現職。誤字が酷いのはご愛嬌。猫が好き。発信内容は個人の所感です。

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