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竹中半兵衛は二度殺される 第3章

    あらすじ
    稀代の軍師・竹中半兵衛は病死ではなく、殺害されていた!?
    全て実在の古文書を引用し、戦国時代の裏側を推理する歴史ミステリー。

     竹中半兵衛を卒論のテーマに選んだ大学生とその友人の会話。
     『黒田家譜』と古文書を突き合わせた時に生まれた些細な疑問。
     史料を探し研究を進めると竹中半兵衛の殺害疑惑が浮上する。
     さらには『豊鏡』の不自然さ。『信長公記』に隠された謎。
     そこから浮かび上がるひとりの武将。
     忖度された通説が覆い隠す、本能寺の変直前までの歴史の謎に迫る。

    第3章 隠される残虐・豊臣秀吉

    歴史は勝者によって残される。それでも見る気があれば、丁寧に調べれば、真実の痕跡が残っているかもしれない。

    ◇

    「秀吉ほどサイコパスな武将は他にいないと思うけど」
    「どうして?人徳で農民から関白に成り上がった英雄だろ」
    「いや、そもそも秀吉が横暴だから別所長治は謀反を起こしたんだし、秀吉だから荒木村重も謀反を起こさざるを得なかったんだよ」

    「そうなのか?」
    「そうだよ。『別所記』、『黒田家譜』に書いてある。他にも説としては、自分の配下でもないのに別所長治の配下に政略結婚をさせるとか、それって当時の為政者の感覚から言えば越権行為なんだ。黒田官兵衛の子と別所重棟の子を結婚させようとする羽柴秀吉の書状が残ってる。
     秀吉は播磨の人たちを見下してたんだよ」
    「ふーん、そうなのか」
    「他にも秀吉の残虐な戦略と言えば、三木城の干し殺しは有名だよ。周辺の米を買い占めて別所長治が買えないようにした」

    今度秀吉、当国ニ下向シテ近国他国ニ威ヲ振ヒ、別所ノ家臣ニ向ヒ遠慮無キ
    我意ヲ振舞ノミナラズ、剰エ我下人ノ如クニ挨拶シ、国人ニ首ヲ上ゲサセヌヤウニスルコト
    、心底ヲ察スルニ、信長ノ謀計ト存ル。(中略)西国静謐ニ於イテハ初ノ約ヲ変ジ、往ク々ハ長治退治シ、播州ハ秀吉ニ与テ行フ可キ信長ノ心底鏡ニ移ス如シ」

    『播州三木別所記』加古川総合文化センター図書館蔵

    右信長公の御書の内、別所小三郎對羽柴筑前守號存分有之、と有之は、別所より信長公へ使札をまゐらせ、秀吉播磨の國政横逆の由を訟へしを仰せられし成べし

    『黒田家譜』貝原益軒 著 益軒全集5

    三木攻めの時の兵糧攻め
    羽柴秀吉書状(天正六年)九月一五日  〔浅野家文書〕
    ーーーーーーーーーーーーーーーーー
      猶々かそへのふきいた(葺 板)をハ先相留候て、此方之をさせ、
      急度可相届候、少も不可有由油断候、以上、
    追而申候、ふき板事、孫右張(別所重棟)被置候板へき、其都内居候由候
    間、十間二五六間之家ふき候ほとに、早々持可相届候、仍其元より三木へ兵粮以下差籠通路之事、堅可被申付候、猶以此方家ふきかけ候て置候間、早々持可相届候、恐々謹言、
               筑前羽柴
     九月(天正六年)十五日       秀吉(花押)
      高田長左衛門慰殿
      浅野弥兵衛慰殿

    『新三木市史 第四巻 資料編 古代・中世』p622

    「それは戦争だから仕方ないだろ。味方が死なない戦略。そういう戦略はあっても良いと思う」
    「それは否定しない。でも、鳥取城では兵士ではない無関係な農民も城内に追い込んで餓死させている。それが人徳のある英雄の戦略か?」
    「うーん」
    「兵糧攻めするにあたって、早く城内の食料を消費させるために近くの非戦闘員の農民を追い込んだんだよ。それこそ何の罪もない農民を意図的に巻き込んだ。鳥取城を守る吉川経家は、人道的だから民を守るために受け入れざるを得ない。そうしてから死ぬまで、人徳のある・・・・・秀吉は兵糧攻めをした。降参を申し入れても、時間稼ぎをして受け入れなかった。城内では死んだ仲間の死体を奪い合って喰っていた。それを人徳のある・・・・・秀吉は外から見て楽しんでた」
    「嫌味な言い方するなぁ」
    「本来、農民は大名の資産なんだよ。生産力であり兵士。例えば武田軍でも兵士や農民を生け捕りにして、富士山近くの市で奴隷売買してた。征服した領地を生産力のある土地にするなら、労働力となる農民は生かさないといけない。それなのに秀吉は農民もまとめて皆殺しにしてる」
    「人の命の軽い時代だからなぁ」
    「いや、秀吉は違うよ。上月城を落とした時には、秀吉は降参した兵士だけじゃなく、女・子供まで串刺しにして、敵に見えるように公開展示してる。それが人徳のある・・・・・秀吉の趣味なんだよ。
     地理的に近い、親戚がいてもおかしくないような地域で、問答無用の虐殺行為。別所長治も荒木村重も、ドン引きしたんじゃないか?そんな人間が領主になる?普通嫌だろ。そんな恐怖政治」

    天正五年の上月城の戦いの様子
    下村玄蕃助宛、秀吉の書状  「下郷共済文庫所蔵文書」東大史影写
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    (前略)
    一 合戦場より引返し、七条城弥取詰、水之手取候付、色々侘言候へ共、不能承引、降参して色々弁明したが、承諾せずかへりしゝかき地 垣三重ゆいまわし、諸口よりしより仕 寄申付、去三日乗入、悉刎首ことごとく首を刎ね、其上已来敵方ミこりと存知これから来る敵方に見て分かるように、女子共二百余人、備作播州三ケ国之堺目ニ、子とも子供をハくし串ニさし刺し、女をハはた物磔:はりつけにかけならへ並べ置候事、
    一 最前之合戦首共、今度七条討果首、塚二ツつかせ、悉以任存分候事、
    (後略)
     十二(天正五年)月五日          秀吉(花押)
     下村玄審助殿
          御返報

    『豊臣秀吉文書集1』 p51 

    「でも、それは戦国時代だから・・・」
    「他ではあまり例を見ないよ。秀吉はそんな残酷なことをしてる。
     小谷城攻めでは、信長に早く攻めろと急かしていたのに、中国攻めでは、のんびり兵糧攻め。余裕ができたんだろうね。秀吉本来の性格だよ」
    「殺し合いの戦争だから・・・」
    「平時だって豊臣秀吉は残酷だよ。秀頼が生まれると自分の子・秀頼を後継ぎにするために秀次を処刑している。最上義光の娘なんて、秀次の側室に召しだされて、僅か3日で処刑。そりゃぁ最上義光は東軍につくよ」

    「あぁ、そんな話もあったな」
    「これは知ってたんだ」
    「何か歴史ものの記事で読んだ」

    「首切りが当然の時代とは言え、秀吉はサイコパスだよ。『信長公記』だって、その秀吉の逆鱗に触れないように改ざんされている節があるんだよ」
    「そうかぁ?誰もが認める第一級史料だろ。だから、ゼミの必読書になっているんだろ」
    「それは否定しない。でも、第一級の二次史料だよね。一級品でも二次史料だから、太田牛一の創作が含まれてるとみるべきだよね」
    「・・・なんだよ。何か具体的にあるのかよ」
    「例えば、上洛戦で松永久秀は、信長の味方について筒井順慶と戦ってた。だから、三好三人衆を畿内から追い出した直後、信長は松永久秀の援軍として佐久間信盛たち2万の兵を大和に送った。それを書かない。
     三好義継討伐の時、松永久秀が活躍したのに書かない。
     斎藤義龍が范可を名乗ったのは、長良川の戦いの前なのに、長良川の戦いで父・道三を殺したから范可を名乗ったという。これも嘘・創作」
    「もう、そこまで確認したのか?」
    「うん。古文書や他の史料と照らし合わせた。上洛戦なら『多聞院日記』、三好義継討伐だったら『細川家記』や『筒井家記』、斎藤義龍ならもっと単純に一次資料をざっと眺めてたら出てきた。
     学生とは言え、研究者なら当然のことじゃないの。興味をもったら普通、調べるよね?」
    「え~~っ・・・」

    松永久秀援護のため、佐久間信盛や和田惟政が、大和へ行ったのに『信長公記』は書かない。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    『多聞院日記』
    十日、京ヨリ細川兵部大輔・和多伊賀守(公方方ノ兩大将)、佐久間(織田尾張守方大将)、以上二万ほとにて、西京招提寺邊へ打越了、今日ハ何方へも人數不遣之、窪城之城開了、井戸・柳本・豊田・森屋・十市・布施・楢原・万歳ハ今日迄ハ城堅固ニ被持了、
    **************************
    『信長公記』
    (略)芥川に十四日間滞在していた間、外国や我が国の珍宝を持参して信長に挨拶しようとする人でごったがえす有様だった。
    十四日、義昭は芥川から帰京、六条の本圀時に入った。天下の人々は、皆一様に、顔に喜悦の色を浮かべたのであった。
     信長は一安心と思い、直属の軍勢を引きつれて、真っ直ぐに清水寺にはいった。(以下略)

    『多聞院日記』 永禄十一年十月
    『信長公記』巻1 入京し、畿内隣国を平定

    三好義継討伐に、松永久秀が活躍したのに『信長公記』は書かない。
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    〔細川家記〕
    十一月、松永久秀謀て、三好義継か家人を討取、若江の領内ニ信長公の先手を引入る、(中略)同十六日、河州若江城落城ニて、義継自殺
    **************************
    〔增補筒井家記〕
    降臣ノ和州信貴城城主松永弾正少弼久秀ニ謀ラルヽニ、久秀ハ舊主旧主の恩ヲ忘レ、却テ信長公に追従し、多羅尾右近・池田丹後守・野間左京等ヲシテ、信長公ヘ返忠セシメ、同十一月十四日、義継ガ重臣金山駿河守ヲ殺ス、
    **************************
    『信長公記』
    三好義継は信長への謀反を企てた。しかし、家老の多羅尾右近・池田教正・野間康久の三人は行動を共にしなかったので金山信貞一人に万事任せておいた。多羅尾・池田・野間の三人は金山信貞を切腹に追い込み、佐久間信盛の軍勢を城内に引き入れた。

    〔細川家記〕『大日本史料 第十編之十八』p349
    〔增補筒井家記〕『大日本史料 第十編之十八』p370
    『信長公記』巻6 三好義継切腹

    父・道三を殺したから范可を名乗ったという、創作。
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    范可
    名で出された禁制 弘治元年十二月 (義龍以前に范可を使っていた)
       禁制  美江寺
    一、甲乙人等執宿事 附軍勢執陣事
    一、寺領・祠堂物等之煩、幷破先例之寺法事
    一、寺領・坊領賣買之地、諸寄進、幷新堂地・坊地之年貢・山林寄進之上及違亂事
    一、諸役免許之處、寄事於左右、寺家衆仁無謂子細申懸事
    一、國中德政法式之儀付而、當寺中可混惣竝之旨申族之事
    右條ゝ、於違犯輩者、速可處罪科之状如件、
      弘治元年十二月 日   范可(齋藤義龍)(花押)
    **************************
    義龍名で出された禁制 弘治二年四月 (長良川の戦いの直前に発行)
       禁制  常在寺
    一、甲乙人等濫妨狼藉之事
    一、俗人輩執宿事
    一、伐採竹木・放牛馬事
    一、當寺境内殺生之事
    一、寺領名主百姓・御寺地之披官、年貢諸公事等令無沙汰事
    右之條ゝ、堅所制止也、
      弘治二年四月 日    義(齋藤)龍(花押影)
    **************************
    『信長公記』
     合戦に勝って、義龍が首実検をしているところへ道三の首が届けられた。 義龍はこの時、親を殺すはめになったのも我が身から出た罪と悟って、出家したのである。これから後、義龍は新九郎范可と名乗ることにした。昔、唐土に范可という者がいて、親の首を切った。(略)

    上)『岐阜県史 史料編 古代中世一』 p123 美江寺文書
    中)『岐阜県史 史料編 古代中世一』 p56  常在寺文書
    下)『信長公記』首巻 斎藤道三、敗死

    「それで気付いたんだけど、これらは太田牛一の書いた『太かうさまぐんきのうち』で、天道に叛いたと書かれた人物に関係することなんだよ。
     だから同じ太田牛一の書いた『信長公記』も、それらの人物に関することは意図的には削除されたり、嘘が書いてあるとみるべきなんだ」
    「それは、そうかもしれないな」
    「そういう目でみるとさ、他にも斎藤道三と織田信長は良い関係だったのに『信長公記』には嫌ってるように描かれてるだろ。嫌っていたら、村木砦の戦いに援軍を送ったりしないのに。それなのに『信長公記』と違うから『国譲り状』は偽物と断定。オカシイと思わない?」
    「確か、近年になって、斎藤道三が信長に好感をもっていたという書状も見つかっているよな」

    『信長公記』首巻  斎藤道三と会見
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     道三が帰るのを、信長は二十町ほど見送った。その時、斎藤勢の槍は短く、信長勢の槍は長く、それを掲げ立てて行列して行ったのを道三は見て、おもしろくなさそうな顔で、ものも言わずに帰って行った。
     途中、茜部というところで、猪子高就が斎藤道三に、「どう見ても信長は阿保でござりますな」と言った。道三は「だから無念だ。この道三の息子どもが、必ずあの阿保の門前に馬をつなぐことになろう」とだけ言った。
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    注)天文二十二年。太田牛一は僧侶か斯波家家臣。猪子高就は8才。
    太田牛一は、いつ誰からこの話を入手したのだろうか。創作では?

    『信長公記』首巻  斎藤道三と会見

    斎藤道三書状  〔天文二十一年(一五五二)頃〕二月六日
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    [釈文]
    如芳札未申通候処、示預候、/殊御使幷御太刀一腰・馬/一疋贈給候、本望之至候、/仍織三(織田信長)与御間之儀、別而御/入魂之旨於此方令祝/着候、若年之条毎事/可為不相届候耳候歟、有/御用捨永可被仰談事、/専要候、爰許相応之子細/不可有疎意候、猶自是/可申之間、抛筆候、恐々/謹言
      三月六日 道三(斎藤)(花押)
    佐治左馬允(為平)殿
             御返報
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    [大意]
    今までご挨拶をしたことはありませんが、先のお手紙の通りご連絡をいただきました。とりわけ、お使いと太刀一振り・馬一匹をいただいたことは本望です。織田三郎(信長)と(あなた様)の間が大変親しいとのことで、当方もうれしく思います。(信長は)若造なので、色々と至らない点ばかりだと思いますが、末永くお付き合いいただくのが大切です。こちらでできることがあれば、(あなた様のことを)疎かにすることはありません。その他は、この使者から申し伝えますので、ここで手紙を終わりにします。

    水戸市立博物館 特別公開「『戦国武将書翰集』の世界」
    (会期:令和七年(二〇二五)三月二十二日~五月二十五日)
    配布資料より・「戦国武将書翰集」の釈文と大意

    齊藤道三書状〔影寫本〕  浅井文書(淺井又太郎氏所藏) 
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    御札拝覧申候、御家中之體、如仰外聞不可然次第候、於此方令迷惑候、
    不寄退候間共、不被捨置可被仰談事可然候、何篇重而以使者御存分可承候、
    三郎殿様雖若年之義候、不謂御苦勞可爲尤候、猶〱期來音候、
    恐惶謹言
       六月廿二日    道三(齋藤)(花押)
         織田玄蕃允殿
              御報

    『岐阜県史 史料編 古代中世補遺』 p581

    「それなのに通説は『信長公記』に書かれてないから、史実ではないと解説する。『信長公記』以外の古文書の方が偽書と疑われる。
     河野島の戦いなら『中島文書』、墨俣一夜城は『前野家文書の武功夜話』に出てくるけど、『信長公記』には出てこない。河野島の戦いも墨俣一夜城も通説では要検討として、実質無かったことになってる。
     どれも『信長公記』が採用・不採用の基準になってる。『信長公記』の記載と辻褄が合わないと、古文書や他の史料の方が偽書として無視されてきたんだ。『信長公記』だって、後日創作された二次史料なのに」
    「・・・」
    「とにかく、僕には『信長公記』って豊臣秀吉を持ち上げるために、無理に信長を冷酷で残虐に描こうとしているように見えるんだよ。
     『太かうさまぐんきのうち』って豊臣秀吉の意向に沿ったものだろ。織田家は人徳がなかったから天下がとれなかったって言っているだろ。
     その同じ筆者が『信長公記』を書いている。秀吉の意向で改ざんされていると考えて読むべきじゃないのか?」

    「熱くなるな。どーどーどー。嫌なことでもあったのか?」
    「・・・」
    「図星か。ははは」

    「詐欺師って、全て嘘を言うんじゃないんだよ。ホントの話の中にウソをまぎれこませるから騙される。『信長公記』はそれと同じ」
    「それ、教官に言ってみたら?」
    「ぅ。・・・無理。そんな怖い事、出来ない」
    「なんで言えないんだよ」
    「僕の指導教官は学会でも強烈な『信長公記』の信者だろ。知ってるだろ。そんな人に逆らったら卒業できなくなる」

    「はは。なんだそりゃ」
    「忖度・・は重要なんだよ・・・」
    「どうした?」
    「・・・そうだよね、まぁなんというか、太田牛一も豊臣秀吉に忖度ができないと切腹させられるんだから、僕よりも厳しい立場だったんだよね」

    「ははは。ついに同情し始めたか。おっと、そろそろバイトの時間だ。続きは明日。よい史料見つかるといいな。がんばれよ」
    「ああ、明日は図書館で。図書館の喫茶コーナー」
    「了解!」


    目次:竹中半兵衛は二度殺される

    第1章 生まれる疑問・貝原益軒
    第2章 創られる冷酷・織田信長
    第3章 隠される残虐・豊臣秀吉
    第4章 流される涕なみだ・松壽丸
    第5章 立たされる窮地・竹中半兵衛
    第6章 利用される嫡子・竹中重門
    第7章 隠される暗号・太田牛一
    第8章 疑われる切支丹・小西行長
    第9章 追放される義父・安藤守就
    第10章 操作される情報・佐久間信盛
    第11章 忖度される歴史・卒業論文

    ・戦国歴史小説:現代の経営戦略で視る新解釈 織田信長「歸蝶の戦国記」
        
    『竹中半兵衛は二度殺される』の背景となる物語。
          古文書などを200回以上引用しながら(特に3章以後)
           戦国時代と(覇王ではない)織田信長の真の姿を読み解く。

    ・科学エッセイ:科学と哲学の間で道草してみた 全編目次
        創作大賞2026応募版 : 観測する孤独 、 生命の物語

    参考資料・引用文献

    『信長公記』 太田牛一・著、中川太古・訳
    『甲陽軍鑑』 腰原哲朗・訳       
    『大日本史料 第十篇』 東京帝國大學文学部 史料編纂所編集
    『多聞院日記』 多聞院・著
    『豊鏡』(『群書類従 合戦部十一』) 竹中重門・著
    『織田軍記』(『総見記』) 遠山信春・著
    『太かうさまぐんきのうち』 太田牛一・著
    『佐久間軍記』Wikisource 
    『播州三木別所記』 加古川総合文化センター図書館蔵
    『黒田家文書』 福岡市博物館・編
    『黒田家譜』 貝原益軒・著
    『織田信長文書の研究』 奥野高廣・著
    『織田信長文書の世界』 永青文庫/熊本大学永青文庫研究センター・編
    『織田信長文書の古文書』 山本博文・堀新・曽根勇二・編
    『豊臣秀吉文書集1』
    『戦国大名の古文書』 山本博文・堀新・曽根勇二・編
    『岐阜県史 史料編 古代中世』
    『兵庫県史 史料編 中世』
    『新三木市史 第四巻 資料編 古代・中世』
    『不破郡史 上』
    『「戦国武将書翰集」の世界』 水戸市立博物館 特別公開 配布資料
    『小西行長』 鳥津亮二・著


     
     
     
    戦国時代を舞台にビジネスの視点を表現しようとNoteを始めた。調べ始めたら、信長像が大きく変わって調査続行中。また、それとは別に思った事をツラツラと公開してます。

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