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#7|親を大切に思っているのに、お墓が決められない。──大阪のおかんが遺してくれた最後の宿題

    親のお墓を決められないまま、もう数年が経ちます。

    義母が亡くなって、義父も逝って、それでも今日も遺骨は家の中にある。

    決められない理由は、確かにある。でも「大切に思っていないから」では、絶対にない。

    同じ状況の方へ、私たちのリアルと「聞いておいてよかった」一言を。


    ■このnoteは、
    今はもう50代の私や妻が、
    40代から先で実際に直面した「想定外」について、誰かにとっての「あとで困らないための予習」となるよう、この10年の記憶を掘り返して綴った、現実の記録です。

    このシリーズ『大阪のおかんが遺してくれた宿題』では、

    実家の鍵(#1)、
    延命の選択肢(#2)、
    白装束じゃない最期の服(#3)、
    葬儀決めのタイムリミット(#4)、
    遺影写真(#5)、
    家族葬のやり繰り(#6)…と、

    義母の死に際して私たちが直面した出来事を、順に書いてきました。

    今回はその最終回。お墓の話です。

    そして、今回がシリーズ最終回になったことには、理由があります。
    それは後ほど。

    前回の記事(#6)では、
    誰に連絡するか、どこまで呼ぶか、
    初めての喪主側という立場で嵐のように決断し続けた葬儀の話を書きました。

    葬儀が終わって、ようやく一息。
    ですが、一息つきながらも分かっていた事。

    私たちの前には、まだ残っていました。最後の「宿題」が。
     

    お墓はまだ決まっていません。遺骨は、今も家の中にあります。

    最初に、正直に申し上げます。

    義母が亡くなって、もう数年が経ちます。
    それでも今日現在、お墓はまだ決まっていません。

    義母の1年ちょっと後、
    義父も追いかけるように亡くなりました。
    必然的に、お二人ともお墓未定の状態。

    もしかしたら、
    非常識なことかもしれない。そう思いながら書いています。

    火葬後の遺骨は、
    一部を分骨し、大阪に住む義弟と、埼玉に住む私たち夫婦とで預かっています。

    我が家では、暫定的ですが、
    決まった場所に小さなスペースを設けて、義母が好きだったビールの缶と、写真と一緒に安置しています。これが、私たちのリアルな現在地。

    骨壺のそばに、ビール。
    義母らしいと言えば、これ以上ないかもしれません。

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    前の記事#5のBeer友の話を覚えてくださっている方には、きっとニヤッとしていただけるはず!

     
    ただ、「暫定」であることは、ずっと変わらないままです。
     

    なぜ決められないのか。理由は、いくつも重なっています。

    1.足らない

    大阪で暮らす義弟は、ずっと多忙です。

    休日も仕事が入るような生活ぶりで、時間が足らないのはもちろん、体も脳もリソース残量が「0」となる日々。

    AIに選択肢の整理を頼んでみることを思いつく気力すら残っていない、というのは、笑えそうで笑えない話です。

    …ほんとうに。
     

    2.定まらない

    もう一つ、ずっとそこにある問題があります。
    「引っ越しの可能性」です。

    義父母は、
    生まれ育った熊本から二人で大阪へ移り住み、そこで妻と義弟の姉弟を育てました。
    義弟にとって大阪は、今も暮らす「故郷」です。

    ただ、
    仕事の事情で、大阪を離れる可能性が、現実感を伴ったまま、ずっと義弟の傍らに横たわっています。

    お墓は、
    調べるとすぐ分かりますが、引っ越し(改葬)できます。

    ただし、
    引っ越し可能なお墓となると、合祀墓(他の方と一緒のお墓)が選択肢から外れ、費用の幅が大きく変わってきます。

    「姉ちゃんが来られへんような場所はあかんしな」と義弟は言っています。

    妻がお参りできる場所かどうか、
    ということも、考えてくれているようです。
     

    3.残したくない

    それから、
    我が子——義父母にとって孫——に
    将来の手間やお金の負担を残したくない、という思いもあります。
     

    4.「ちょうどいい」が見えない

    一般墓・樹木葬・納骨堂・永代供養・散骨。

    選択肢は調べると思ったより多い。

    でも、多すぎる選択肢が、かえって思考を止めることもあります。
     

    5.…で、繰り返す

    ふと思い出しては、また悩む。

    でも、まとまった時間が取れない。

    そうこうするうちに、怒涛の日常。

    数年間、そういう状態が続いています。
     

    お坊さんには怒られそうな、でも最高に温かかった法事の話

    お墓が決まっていない
    ということは、当然のことながら、四十九日も、一周忌も、その後も、家族が集まる場所は「墓前」ではありませんでした。

    どこで、どうやって?
    義弟一家の暮らす家に、妻と二人でお邪魔して。

    義弟と奥さんとお子さん(甥っ子にあたります)、それと妻と私の、5人で。義母のお骨と遺影写真を、食卓のそばに移動させて。

    義母が生前こよなく愛したプレミアムモルツを、たくさん並べて。

    皆んなで義母に話しかけながら、食事をしました。

    「おかん、見てるかー?」
    「今は、おとんも一緒におるんか?」
    「あの自由人は、また急にふらっと、どっか行ったかもしれへんな(爆笑)」

    一般的な法事とは、相当かけ離れた光景だったと思います。
    お坊さんが見たら、眉をひそめるかもしれない。

    でも。
    笑いが絶えない時間でした。

    温かくて、賑やかで、
    テーブル上のプレミアムモルツがどんどん空いていって、
    「おかん、飲みすぎやろ」などとツッコミを入れながら笑う。

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    義母が確かにそこにいるような気がした、不思議な時間でした。

    絶対に義母も笑っていたと、私は今でも思っています。
     

    もう一つ重要な思い出――お墓に関する「絶対嫌」と言う希望

    ここで少し話が変わります。

    義母の話とは対照的に、
    自分の親からは、お墓に関する希望を聞かされた経験があります。

    実は私の場合、
    お墓にまつわる親の「希望」というものが、約四半世紀も前から、頭の中にずっとある状態で生きてきました。

    私がまだ大学生か、大阪で一人暮らしをしていた20代の頃のことです。

    祖父母の葬儀などで両親の在所に顔を出す機会が続いていた時期に、母から、言われた一言があります。

    「お父さんの実家のお墓に入るのだけは、絶対に嫌だからね。
    それだけは本当にやめてね」

    笑いながらの言葉でしたが、
    本気であることは十二分に伝わりました。そもそも、冗談でそんな事を言う人ではありません。

    私の母は、
    背が妙に小さかったのと運動神経を全く持ち合わせていなかったこと以外は、特に欠点らしい欠点の見当たらない、朗らかで細やかな気遣いの人です。

    争いごとを心の底から厭い、
    「和」の中でなければ生きていけなさそうな、そんな人。

    そんな母が、笑いながらとはいえ…。
    ——やっぱり、何かあるんだろうな。

    と思いながら、でも理由は聞きませんでした。
    薄っすらとながら、聞かなくても何となく分かる気もしました。

    その一言は物凄く強いインパクトで、
    以来ずっと、いざと言う時にすぐに思い出して果たすべき「使命」として、記憶の中にクッキリと輪郭を保ったまま置かれていました。

    お墓には、
    「誰と一緒に入る(のが嫌)か」という希望(あるいは地雷)がある。
    私にとってはそれが、ごく当たり前の現実認識となっていました。
     

    「散骨」という、父からの予想外の答え

    義母のことがあり、大阪で出来る事は一旦やりきった後のこと。
    埼玉に帰る新幹線の中で、すっかり平静さを取り戻した風の妻が言いました。

    「あたし思ててんけどな。
    あなたは、お父さんもお母さんも、今まだ元気やんか。
    今のうちに話しといた方がええんちゃうかな」

    その通りだと思いました。

    その後の帰省の機会に、まず先に妹夫婦と話しました。
    「親にこんなことを聞いておこうと思う、必要だよな」という認識合わせです。

    いざという時に、妹と意見が割れては困る。
    それは本当に避けたかったので。

    —— 皆さんにも、もしご兄弟がいらっしゃるなら、同じことをお勧めします。親御さんと話す前に、まずご兄弟の間での認識合わせを。
     

    妹とのすり合わせを経て、
    いよいよ両親それぞれと、個別に話をしました(お墓の話は特に)。

    母については、実は少し予想通りでした。

    「お母さんはあんた達に負担かけるつもりはないよ。
    お葬式は〇〇で、お墓は永代供養で…」と、

    既にある程度考えてあるとのこと。
    私や妹にとっても、特に抵抗感のない内容でした。
     

    問題は、父です。

    父は三重県の出身で、一族の皆さんがとても仲良し。
    お正月など、特に集まる大人が多い分、子供の頃の私はお年玉に期待をかけていましたが、全員で「学年×百円」を徹底されるような、そんな律儀な一家でした。

    父は、そういう仲良し一家の長男です。

    「もしかしたら、父は代々の墓に入りたいと思っているかもしれない」
    そう想像しながら聞きました。

    父の答えは —— 散骨でした。

    「散骨」という文言で言われたのではありません。
    「海か山にまいといてくれ」でした。要するに「散骨」です。

    「えっ、ちょ待って。冗談…では、ないんやんな」と、思わず聞き返してしまいました。

    ハッキリとは言いませんでしたが、
    どうやら「墓は、子供たちに負担をかけるからだめだ」と考えているようでした。

    とても合理的で、損得にもきちんと向き合う人だった記憶もありましたから、後で思い返してみれば

    「確かに父らしいかもな」と。

    でも、その会話の日、
    何故かちょっと受け入れにくいものも感じてしまい、「分かった、考えとくわー」と、やや軽く返事して、今に至ります。

    親の心、子知らず。。。― と、いうことなのでしょうか。

    でも、気持ちと考えは、理解できました。

    そして、自分の中である共通点に思い至りました。
     

    共通点

    義母や義父は、
    妻や義弟に対して、たぶんこんな風に思っているやろうなと感じたこと。

    翻って、
    自分の両親に聞いてみて、実際に両親が二人とも考えてくれていたこと。

    その間にあるであろう、共通した思い。

    ―― 負担をかけたくない。
     

    今私が思う2つのこと、その1――今40代のあなたへ

    もし、今もご両親が元気でいらっしゃるなら。

    お墓についても、親御さんに希望を聞いておいた方がいいと私は思います。「サラッと」聞いてみてください。

    「こうしたい」だけではなく、
    「これだけは嫌。」という話も含めて。

    親の本音は、案外、子どもが想像しているものとは違うかもしれません。

    そして、
    その希望が分かるだけでも、残された家族の悩みは少し軽くなるように思います。
     

    今私が思う2つのこと、その2――決められなくても、それでいい。

    お墓という「形」より大切なこと。
    すでに親御さんを亡くされて、今もお墓が決まっていないという方へ向けて書きます。

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    この記事を読んで、
    「やっぱり早く決めなければ」と焦ったり、「ちゃんとできていない」と後悔を深めたりすることには、なってほしくないと思っています。

    私たちだって、まだ決めていないのですから。

    少し、考えてみてほしいのです。

    仮に、父の望む通りに散骨したとします。

    そうしたら、
    もう父のことを想う気持ちはなくなるのでしょうか。

    そんなわけが、ありません。

    私と妹は、
    父親が合理と損得の狭間で零れ落とした数々の笑い話を、父の死後も少なくとも384回は思い出すと思います。
    まー、当人はまだガッツリ生きている訳ですが。

    どこにどんな形で埋葬されようと散骨されようと、親への感謝や、ふと思い出して笑ってしまう記憶は、消えるものではありません。

    「形ある物」に縛られることで悩みが深まるくらいなら、残った家族が思い出して笑い合えるきっかけになるような物を、ただ身近に置いておく。

    そんな形の方が、むしろ嬉しい
    と感じる親御さんも、実はたくさんいらっしゃるような気がします。

    義弟一家の食卓で過ごした、あの賑やかな法事の夜のように。
     

    決められないものは、決められない。
    しゃーない。

     
    今は、義母も義父も、きっと我が子たち(義弟や妻)にこう言っている気がします。

    「お前らのええようにしたらええねんで」

    それがこのシリーズ、最後の宿題で気づいたことでした。
     

    【終章】「宿題」の意味と、このシリーズのこと

    「大阪のおかんが遺してくれた宿題」——
    このシリーズタイトルの意味を、最終回である今回、初めてきちんと書いておこうと思います。

    「大阪のおかん」とは、義母のことです。

    そして「宿題」とは。

    義母の死を通じて、私たちは何度も同じ後悔を繰り返しました。

    「叶うことなら、本人の希望に寄り添いたかった」

    その後悔の積み重なりを見て、妻が示してくれた私のToDo。
    自分の親と元気なうちに話しておくこと。

    それが、私にとっての「宿題」でした。
    義母が、自分の死を通じて、私に遺していったもの。

    今回、このシリーズ最終回を書きながら、
    義弟一家との法事の夜を何度も思い出しました。

    「ちゃんとしたお墓参り」より、
    「思い出して笑い合える時間」の方が、義母は絶対に喜んでいる。

    そのくらい確信できる時間が、あった。

    私には、その結論で十分です。

    義母から妻を通じて私が受け取ったバトン。
    次は、これを読んだあなたへ。
     


    このシリーズは、今回で一区切り。

    ■「大阪のおかんが遺してくれた宿題」シリーズ記事一覧

    #0 はじめに|40代からの10年を、知らないまま迎えないために。
    #1|親と連絡が取れない夜、実家の鍵を持たなかった40代の失敗
    #2|親の「延命」どう決める?元気なうちに本音を聞くことが家族を救う
    #3|親の最期に「大阪のおばちゃん」全開の服を選んだ話:病院での逆転劇
    #4|親が元気なうちに読んでほしい病院で初めて知った『数時間』のタイムリミット
    #5|遺影に使える写真が、一枚もなかった話。──40代のあなたへ
    #6|家族葬はどこまで呼ぶ?誰に連絡?──親の交友関係を何も知らなかった我が家の盲点
    【本記事】#7|親を大切に思っているのに、お墓が決められない。──大阪のおかんが遺してくれた最後の宿題

    40代以降で同じような場面に向き合う方の、何かの予習になればと思って書いてきました。

    最終回まで読んでいただけた方、本当にありがとうございました。

    もし読んで何か感じるところがあれば、画面下の「スキ(♡)」を押していただけると、次からに向けて大きな励みになります。

    次の記事はフォローいただくと届きます。

    40代の方が向き合う「知らないまま迎えてもらいたくないこと」は、義母の話で終わりではありません。

    宿題を(一応)提出し終えた私の、新しいノート。
    よろしければ、これからもまた、ふらりと覗きにきていただけますと幸いです。

    またいつか、別の記事でお会いできれば幸いです。

    浮水徹凪


     
     
    40代のこれから10年、知らないと地味に困る現実を体験ベースで記録。まずはこちらの固定記事から↓ https://note.com/rosy_macaw8007/n/na9cdfc2648ac

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