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Solve et Coagula ―『ELDEN RING』における分離と修復

『ELDEN RING』について今さら考察するのもどうかと思うが、DLC『SHADOW OF THE ERDTREE』まで含めて遊び倒した今だからこそ、攻略中には気づかなかったことをゆっくり考えてみたくなった。

初見では、とにかく情報量が多い。NPCの話を追い、アイテム説明を読み、地下へ降り、さらにその下へ降り、知らない神や律の話を聞かされる。
世界の成り立ちを整理する以前に、目の前の敵を倒し、次の祝福へ進むだけでも忙しい。

一通り終えてから振り返ると、この作品では似た操作が何度も繰り返されている。

一つだったものが分けられる。分かれたことで、それぞれの性質が露出する。片方を切り離しても問題は消えない。
そして最後には、分離以前とは異なる関係や配置が作られる。

『ELDEN RING』における「修復」とは、壊れる前へ戻すことではなく、分離と破壊を経験した後の条件から、次に成立する状態を作ることなのではないか。

この構造を考えるうえで、錬金術の Solve et Coagula「溶かせ、そして固めよ」という言葉が一つの補助線になる。

まず、この世界では何が壊れたのか

舞台となる「狭間の地」は、かつて女王マリカと、その時代の秩序である黄金律のもとにまとめられていた。

その中心にあるのが、作品名にもなっているエルデンリングである。

名前から指輪のような物体を想像するが、実際には複数のルーンが組み合わされ、世界の律を表すものとして描かれている。
何を律に含め、何を外すかによって、生や死を含めた世界のあり方そのものが変わる。

黄金律も、最初からすべてを含んだ自然な秩序として存在していたわけではない。その成立にあたり「運命の死」はエルデンリングから取り除かれ、封じられた。

この世界は物語が始まる以前から、何かを切り離すことで秩序を成立させていたことになる。

その後、エルデンリングそのものが砕かれる。破片である大ルーンは半神たちの手に渡り、それを巡って破砕戦争が起きる。
しかし誰も決定的な勝者にはならず、壊れた秩序だけが残された。

そこで狭間の地へ呼び戻されるのが褪せ人たちである。
プレイヤーが操作する主人公もその一人で、各地を巡って大ルーンを集め、最後には壊れたエルデンリングのもとへたどり着く。

大枠だけを見れば、これは壊れた世界を修復する物語である。

問題は、その「修復」が何を意味するのかである。

坩堝―分かれる以前の生命

その前提を考えるなら、さらに古い「坩堝」まで遡る必要がある。

作中で坩堝は、黄金樹の原初に関わり、かつて生命が混ざり合っていた状態として語られる。
現在のように生命がそれぞれの形へ分かれる以前、異なる性質が一つの中に混在していた。

これを黄金律の直接的な前身と断定する必要はない。
ただ、この世界のかなり古い層に、異なるものがまだ分かれていない状態が置かれていることは重要だと思う。

しかも「坩堝」とは、本来、異なる物質を溶かし、混ぜ、変成させるための器でもある。

『ELDEN RING』では、生命の原初そのものがすでに混合として設定されている。
そこから生命が分かれ、律によって区別され、黄金律では運命の死が排除され、さらにエルデンリングそのものまで砕ける。

これらを一本の歴史として機械的につなぐことはできないが、世界の各段階で、混ざっていたものが分かれ、一部が切り離され、全体が砕かれるという操作が繰り返されている。

そして物語の最後では、その破断したものをどう扱うかが褪せ人に委ねられる。

マリカとラダゴン―直そうとしても、元には戻らない

最初に分かりやすいのが、この世界を統べていた女王マリカと、その王配でありながら同一存在でもあるラダゴンである。

ゲーム内では、王都にあるラダゴンの像へ「回帰性原理」という祈祷を使うことで「ラダゴンとはマリカである」という秘密が明らかになる。

同じ存在でありながら、二人の意志は一致していない。

マリカはエルデンリングを砕き、ラダゴンは同じ槌を使ってそれを修復しようとした。
破壊と修復という逆方向の行為が、一つの身体の中で行われている。

しかし、ラダゴンは破砕以前の状態を取り戻せない。

一つの存在の内部にあった異なる方向性が露出した後では、逆方向へ力をかけても以前と同じ状態には戻らない。

修復という行為は、ここですでに単純な復元から外れ始めている。

ミケラとトリーナ―純化しても、完全にはならない

DLCでは、同じ問題が別の方向から描かれる。

ミケラは女王マリカの子である半神の一人で、新たな神になることを目指して影の地を進む。その過程で、自らの身体や感情を一つずつ捨てていく。

その中に、聖女トリーナがいる。
トリーナはミケラと無関係な別人ではなく、ミケラの「片割れ」とされる存在である。
そしてミケラが神になろうとするのに対し、トリーナはその神性を牢獄とみなし、彼を止めることを望む。
ミケラは目的へ近づくため、自分から不要と判断したものを切り離していく。その中には愛も、トリーナも含まれている。

ところが、純化すればするほど完全になるわけではない。

不要と判断したものを削ぎ落とす過程で、自分自身を成立させていた性質まで失われていく。

マリカとラダゴンでは、壊したものを直しても元には戻らない。
ミケラとトリーナでは、片割れを切り離しても完全にはならない。

分離は物事を整理する一方で、その分離によって別の欠損も生み出している。

ラニ―分かれたまま、次へ進む

ラニは、さらに違う答えを示している。

ラニは二本指によって神人に選ばれていた。
しかし、その運命を拒み、自らの神人としての肉体を死なせ、魂だけの存在となった。
その後は人形の身体を使って活動する。

重要なのは、ラニが失った肉体を取り戻そうとしないことだ。
身体と魂を再び一つにすることを目指さず、分離した状態を前提として次の秩序へ進む。
さらに彼女が構想する星の世では、律そのものを地上の生命や魂から遠ざけ、自らもその律とともにこの地を離れようとする。

ラニの場合、分離は解消されない。

その一方で、彼女は褪せ人を王として選び、星の律との新しい関係を成立させる。

ここでは、元の身体へ戻ることより、何を分けたまま残し、何と新しく結び直すのかが重要になる。

この例を入れると「再結合」という言葉を単純な融合として理解することはできなくなる。

黄金律も、分離によって成立した

人物だけではない。
黄金律そのものが「運命の死」を切り離すことで成立している。
死を消滅させたのではない。律から外し、封じた。

しかし、切り離したものはなくならない。

やがて死の力の一部が奪われ、二人の半神が同時に死ぬ。一人は魂だけを失い、もう一人は肉体だけを失った。
その結果、本来一つの円となるはずだった死の呪痕も、二つの欠環へ分かれた。

その二つは、後に「死王子の修復ルーン」として再び合わされる。

この修復ルーンが行うのは、運命の死を取り除く以前の状態への復元ではない。一度排除された死を「死に生きる理」として新しい律へ組み込む。

ここで修復は、はっきりと復元とは別のものになる。

金仮面卿の完全律も、元の黄金律をそのまま保存しようとするものではない。

「完全律の修復ルーン」には、「現黄金律の不完全は、即ち視座の揺らぎであった」「人のごとき、心持つ神など不要であり、律の瑕疵であったのだ」とある。

金仮面卿が問題にしているのは、律そのものよりも、それを担う神の意志や感情によって視座が揺らぐことである。

死王子の修復ルーンが排除されていたものを組み込む方向なら、完全律は不安定さを生む要因を取り除く方向へ進む。

どちらも、破砕以前へ戻ることを目指してはいない。

修復とは、何を加え、何を外し、何を固定するかを選び直す作業になっている。

狂い火―差異そのものを消す

さらに異なる答えを示すのが狂い火である。

狂い火は、単なる破壊の炎ではない。

三本指の言葉を伝えるハイータによれば、かつてすべては「一なる大いなるもの」から生じた。そこに亀裂が入り、生命や魂が生まれ、同時に苦しみや絶望、罪や呪いも生じた。

三本指は、その分化そのものを過ちとみなす。
分かれたことで苦しみが生じたのなら、すべてを再び一つに溶かしてしまえばよい。

狂い火が否定しているのは、黄金律という一つの秩序だけではない。
生命が個体として分かれ、魂があり、それぞれが別の存在として生きること自体が問題とされる。

ここで語られる「一なる大いなるもの」と坩堝が同一である、と作中で明言されているわけではない。

ただ、両者がともに分化以前の状態を語っている点は興味深い。

坩堝では、異なる生命が混ざり合っている。

狂い火が求めるのは、その差異さえ残さない状態への回帰である。

そのため、狂い火は、壊したものから別の形を作るという意味での変成とは性格が異なる。

分解を進めた先で、新しい形を成立させること自体を拒む。

この違いは、後で Solve et Coagula に戻ったときに重要になる。

修復の前には、焼却がある

その選択へ進むためには、まず黄金樹を燃やさなければならない。

通常の流れでは、メリナが自ら種火となり、黄金樹を焼く。
さらにファルム・アズラで運命の死が解放されることで、黄金樹を閉ざしていた棘は焼け落ち、褪せ人は内部へ進めるようになる。

エルデンリングを修復するために、現在の秩序を象徴する黄金樹をまず燃やさなければならない。

そして黄金律成立時に切り離された運命の死も、再び解放される。

古い秩序をそのまま保存した状態では、次の律へ進めない。

ただし、同じ「燃やす」という行為でも、メリナの炎と狂い火では意味が異なる。

メリナは、生が続き、新しい命が生まれることを肯定している。彼女の焼身は、次の状態へ進むために現在の閉塞を破る行為として働く。

狂い火は、その「次」を必要としない。生命も魂も差異も含めて燃やし尽くす。

どちらも破壊を行うが、破壊の後に新しい形を成立させるのか、それとも新しい形が生まれる可能性そのものを消すのかで意味は大きく異なる。

褪せ人が入ると、問いが変わる

マリカとラダゴンだけを見れば、破壊と修復が逆方向へ働き続ける。

そこへ褪せ人が入る。

褪せ人は、マリカの破壊をそのまま継続するわけでも、ラダゴンの修復をそのまま完成させるわけでもない。

最後にエルデンリングへ介入し、破砕後の世界を何によって成立させるかを選ぶ。

死王子の修復ルーンを用い、排除されていた死を新しい律へ組み込むことができる。

金仮面卿の完全律を用い、神の心が生む「視座の揺らぎ」を瑕疵として取り除くこともできる。

忌み呪いを世界全体へ広げ、それを新たな常態にすることもできる。

ラニとともに、律そのものを地上から遠ざけることもできる。

狂い火によって、あらゆる区別そのものを消してしまうこともできる。

ここで問われているのは、破壊か修復かという二択ではない。
破砕によって露出した差異を、次の世界でどう扱うかである。

何を残すのか。何を組み込むのか。何を固定するのか。何を遠ざけるのか。何を消すのか。

褪せ人が選んでいるのは、破砕以前への帰還ではなく、破砕後の条件から何を成立させるかである。

回帰とは、過去へ戻ることなのか

黄金律を研究する思想には「因果性原理」と「回帰性原理」がある。

「回帰性原理」では、回帰について「万物が不易に収斂しようとする、意味の引力」と説明される。

ただし、『ELDEN RING』の展開を見る限り、この「回帰」を単純な原状復帰と考えると噛み合わない。

死の呪痕は二つの欠環から一つになるが、そこで生まれるのは以前と同じ死ではなく、新しい律へ組み込まれる修復ルーンである。

分かれたものが収斂することと、分かれる前へ戻ることは同じではない。

一度起きた分離や破砕を消去するのではなく、その後に残ったものが別の関係へ入り直す。

本稿では、回帰をそのような運動として読んでいる。

エルデンリングそのものにも上下がある

エルデンリングの紋様自体も、ただ円が重なった図ではない。
左右には強い均衡がある一方、上下は対称ではない。

「ルーンの弧」の説明では、下部の弧は「エルデンリングの下方の弧」であり、「輪の恩恵の受け皿、底辺の弧」とされている。

図像全体を見ても、横方向には複数の輪が重なる一方、縦方向には上から下へ通る軸と、下部の受け皿がある。
見方によっては聖杯のようにも見える。

ただ、この世界には黄金樹という、より直接的な垂直構造が存在する。
上へ伸びる樹冠、地上の幹、その下へ広がる根。

狭間の地そのものも、かなり強い上下構造を持っている。
地上には黄金樹と王都があり、その下にはシーフラ河やエインセル河、永遠の都、さらに深き根の底がある。
地下には現在の黄金律より古い文明や、黄金樹の根、死に関わるものが残されている。

ただし「古いものはすべて下にある」と単純化することもできない。

空には崩れゆくファルム・アズラがある。
そこには古竜の王権と古い都が残り、その中心には通常とは異なる時間のあり方を示す領域まで存在する。

古いものは地下にも、空にも残る。
現在の黄金樹の秩序が成立する地上を挟むように、異なる時代や原理が別の層へ配置されている。

この地理を、そのままエルデンリングの紋様へ対応させる必要はない。

ただ、エルデンリングが示しているものが均質な混合ではなく、複数の要素に位置と役割を与えた構成であることは、今の議論とよく合う。

組み直すことには、何をどこへ置くかを決め、再び秩序を与えることも含まれる。

分けられた要素をどのように結び、どこへ配置するかまで含めて、この世界では次の全体が作られている。

DLCでは、分離と結合が身体にまで及ぶ

DLCでは、この分離と再結合が、さらに直接的な形で身体にまで及んでいる。

影の地には、大壺を使った儀式が残されている。
罪人たちは切り刻まれ、大壺へ詰められ、「善き人」へ作り替えられようとしていた。
巫子たちもまた壺へ送られ、武器「歯の鞭」の説明では「巫子たちは、他の肉とよく馴染んだという」とされる。
身体を切り分け、異なる肉を混ぜ、別の存在として成立させる。

これを後のマリカの思想形成と直接結びつけるなら推測になる。

ただ、マリカの出発点に近い場所で「分ける」「混ぜる」「別のものへ変える」という操作が、比喩ではなく肉体の水準で行われていたことは重要だと思う。

さらに、壺という器そのものはDLCで突然現れたものでもない。
本編の戦士の壺たちも、死んだ戦士の肉を内部へ取り込み、それを自分の「中身」として継承している。

アレキサンダーはラダーン祭りの後、戦場に残された戦士たちの肉を自らへ詰める。
「アレキサンダーの破片」には、その中から「赤髪の英雄の遺品」が見つかるとも記されている。文脈上、ラダーンを指す可能性が高い。

ここで行われているのは、死者の魂そのものを降ろすことではない。

それでも、個体が死んだ後、その一部が別の器へ移され、その器の中で継承されるという発想は、本編の時点ですでにある。

DLC終盤では、さらにラダーンの魂が、モーグの遺体を依代とする別の肉体へ戻される。

壺、肉体、魂、依代をすべて同じ仕組みとして扱うことはできない。
それでも、個体を構成していたものが別の器へ移され、以前とは異なる形で成立するという発想が、作品の複数の場所に現れていることは確かである。

五本指について

五本指については、補助線程度に置いておきたい。

ファルム・アズラに関係する短剣「チンクエディア」では、五指が、かつて獣たちに与えられた知性の象徴として明記されている。

その一方で、宗教的に大きな役割を持つのは二本指と三本指である。
二本指は秩序の側に関わり、三本指は狂い火によって分化そのものを解消しようとする。

五指にすでに意味が与えられている世界で、この二つが相反する方向を担っている配置は気になる。

ただし、二本指と三本指がもともと一つの五本指だった、とする直接の証拠はない。
DLCでは二本指には「指の母」メーテールが存在し、彼女がすべての二本指とユビムシの母であることも明らかになった。

ここは世界設定の事実として主張する部分ではなく、一つの全体と、その内部で相反する原理が繰り返し現れるこの作品を読むうえでの、象徴的な仮説として残しておく程度が妥当だと思う。

Solve et Coagula

ここで Solve et Coagula に戻る。

この言葉を単に「壊して直す」の言い換えとして使うだけなら、わざわざ錬金術を持ち出す意味は薄い。

錬金術における Coagula も、分かれたものを元通りに接着することを意味しない。

Solve によって解かれたものを、別の安定した形として再び固定する。対立する性質を経たうえで、新しい形を成立させることが重要になる。

その意味で、本稿でいう「再配置」も、錬金術から離れた独自の言い換えではない。

分離以前へ戻すのではなく、分離によって露出した性質を抱えたまま、別の全体を成立させる。

『ELDEN RING』で繰り返されているのも、その操作に近い。

全体が分けられ、そこで性質や差異が露出する。
その差異が対立や欠損を生み、何を残し、何を外すかという選択が生じる。
最後に、それらへ新しい関係と配置が与えられる。

狂い火だけは、この過程から外れる。
狂い火は、分離したものを新しい形へ固定するのではなく、差異をさらに溶かし続ける。

新しい全体を作るために必要な複数性そのものが失われるため、その先に Coagula はない。

そう考えると、狂い火が他の結末と大きく性格を異にする理由も説明できる。

問題になるのは、一つに戻るかどうかではなく、分離と破砕を経た後に、新しい形を成立させるかどうかである。

坩堝の混合から、分化、排除、破砕を経て、最後には褪せ人が次の配置を選ぶ。

Solve et Coagula は、この作品へ外部から貼りつけた装飾的な言葉というより、世界の各所で繰り返される操作を説明するための補助線として機能する。

制作と受容にも、似た操作がある

ここから先は、作品内部の設定とは分けて考える必要がある。

宮崎英高が錬金術思想そのものを設計図として『ELDEN RING』を作った、と断定することはできない。

ただ、既存の神話や幻想文学、TRPG、さらにジョージ・R・R・マーティンが用意した神話的背景から素材を取り出し、それを別の関係へ配置し直して現在の『ELDEN RING』を作っているという制作方法にも、似た操作は見える。
この一致自体を作品内部の証拠にする必要はない。

もっと直接的なのは、プレイヤー側である。
『ELDEN RING』の世界設定は、最初からまとまった説明として渡されない。
NPCの台詞、アイテムのフレーバーテキスト、建築、地形、遺体の位置、ボス同士の関係などに情報が分散している。

プレイヤーが最初に受け取るのは、すでに断片化された世界である。
遊び終えた後になって「あの説明はここにつながるのか」「この人物の行動は、この歴史を知ると別の意味に見える」と、断片をもう一度組み合わせる。

こうして遊び終えた後に考察することも、その作業の一部である。

ゲームの中では褪せ人が大ルーンを集める。
ゲームの外ではプレイヤーが、散らばった情報を集める。

両者を同じものとして扱う必要はない。ただ、どちらも完成した全体を最初から与えられてはいない。

褪せ人という補修職人

ここまで考えると、褪せ人の役割も少し違って見える。

褪せ人は、ゼロから世界を作る創造主ではない。
すでに壊れた世界へ呼び戻され、各地に散らばった大ルーンを集め、半神たちが残した問題に関わり、黄金樹を焼き、運命の死を解放し、最後に壊れたエルデンリングまで戻ってくる。

そこで行うのは、破砕以前の状態を再現することではない。
すでに起きてしまった破砕を前提として、残されたものをどう組み直すかを選ぶ。

その意味で、褪せ人は救世主というより補修職人に近い。

補修では、壊れた事実そのものを消すことはできない。
残ったものの状態を見て、何を使い、何を残し、何を外し、何を遠ざけ、どこへ配置するのかを決める。

神も、律も、死も、呪いも、その材料になる。

そして、どの材料を使ったとしても、出来上がるものは最初にあったものと同じではない。

砕けたものは、元には戻らない。
褪せ人は、分かたれたものを集め、異なる形で結び直す。
それを、修復と呼ぶ。


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