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本能寺の変1582 【重史005】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    【重史005】 「続群書類従」

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    →【シリーズ】
     信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5 
    →その一因 目次大 概説大 目次中 →
     1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶 
     4光秀の苦悩 5志向の相違  +信長の油断 →
     3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
    →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
    →【人物】 【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
    →【ここがポイント!!】
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
     信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
    *加筆修正 250507 251006 

    【重史005】

    ①時は今、あめか下なる五月かな、 光秀

    ②国々は、猶、長閑なる時、    光慶

                          「続群書類従」


     天正十年1582、五月二十八日。           158200528
     (三日前)

     光秀は、愛宕山西坊にて連歌会を催した。

      時は今、あめか下なる五月哉        光秀
      水上まさる、庭の夏山           行祐
      花落つる、池の流れをせき留めて      紹巴
      (中略)
      色もか(香)も、ゑひ(酔い)をすゝむる花の下  心前
      国々は、猶、長閑なる時           光慶
                             (「続群書類従」)

     ここで、注目!!
     「続群書類従」には、「あめか下なる」とある。 

     ⇄【比較参照】【重史234】『信長公記』「あめが下知る」
     ⇄【比較参照】【重史032】「惟任退治記」「あめかしたしる」

      【参照】『信長公記』について。    →◎第4話
          「惟任退治記」について。   →【 重史 032 】
           これらの、真偽について。  →そ第78話⑬

     【引用】【四国問題】 天正十年1582
         そ第78話⑬ ◎第55話 ◎第75話

     【参照】【四国問題】
        
    天正八年1580
        天正九年1581
        天正十年1582

     【参照】【四国問題 概要】
        
    天正八年1580
        天正九年1581
        天正十年1582



     ⇒ 次へつづく!

     
     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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