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迷ったら、手触りのあるほうへ ― 五十歳で崖を買った私たちの作法①序章 ― なぜ、五十歳で崖を買ったのか

    いま、私たちの土地では、職人さんが地面に穴を掘っています。

    重機ではありません。人の手で、垂直に、地中深くへ。波型の鉄板で壁を支えながら、さらに潜っていきます。掘り進んだ深さは、十四メートル。ビルの四階分を、人力で地下に向かって掘っているのです。深礎杭という工法だそうです。本来は橋やダム、超高層ビルを支えるためのもので、一般の住宅にはまず使われません。

    それを、私たちは自宅の基礎に使っています。

    理由は単純で、私たちが買った土地が崖だからです。

    熱海。海から急に山が立ち上がるこの土地に、平らな場所はほとんどありません。私たちが手に入れた千二百坪は、三十五年前に地元の小学生が植えたヒノキの森で、傾斜地で、言ってしまえば崖。そこに五十歳を過ぎた共働きの夫婦が、自分たちの貯金と住宅ローンで家を建てようとしています。土地の取得に三年、設計に四年。着工までに七年かかりました。そしてこの原稿を書いているいまも、家はまだ建っていません。

    正気の沙汰ではない、と思われるかもしれません。実際、私の母は土地をみて絶句した後に言いました。

    「平らな場所はどこにあるの?」

    でも、これから書くのは「崖に家を建てた変わり者の話」ではないのです。

    家は、たまたま私たちが選んだ題材にすぎません。本当に書きたいのは、その過程で私たちが何度も突き当たった、ひとつの問いについてです。

    正解のないことを、どう決め、どう動かしていくか。

    会社の仕事には、たいてい前例があります。先輩がいて、マニュアルがあって、似た案件の記録が残っている。迷ったら誰かに聞けばいい。けれど、人生には、そういう前例のない決断のほうがずっと多いですよね。崖を買うべきか。実績ゼロの相手に大金を託すべきか。専門家が「無理だ」と言ったとき、引き下がるべきか、それとも自分で調べ直すべきか。

    正解は、どこにも書いていません。

    この七年間、私たちはそういう問いの連続を生きてきました。そして、あるとき気づいたのです。これは家づくりに固有の話ではなくて、「誰も正解を教えてくれない決断」を前にしたすべての人に、通じる話なのではないか、と。とりわけ、かつての私のように――定年が見えてきて、会社が終わったあとの日々をどう動かせばいいのか、迷っている人に。

    だからこの記録を、判断と決断の記録として書こうと思います。

    そしてもうひとつ、この七年で私が掴んだものがあります。たくさんの判断を重ねた末に残った、たったひとつの、シンプルな作法です。

    迷ったら、手触りのあるほうへ。

    自分の目で見て、足で歩いて、手で触れて確かめたもの。画面の中ではなく、現実の側にあるもの。心が「面白そうだ」と動いたもの。そういう、手触りのあるほうへ、一歩ずつ進んでいく。崖を買ったのも、森をこの足で歩いたのも、周りの人に助けを求めたのも、突き詰めれば、すべてその作法に従った結果でした。デジタルに何でも済ませられる時代だからこそ、私はあえて、手で触れられるものの側に賭けたかったのだと思います。

    迷ったとき、私は自分に、三つのことを問いかけるようになりました。

    ひとつ、それは、自分の手で確かめたことか。誰かの受け売りや、肩書きのある人の判断ではなく、自分の目で見て、足で歩いて、確かめたことか。

    ふたつ、心が、面白がっているか。やらねばならないからでも、損か得かでもなく、ただ「面白そうだ」と、内側から動いているか。

    みっつ、手放せるものは、手放したか。何もかも自分で抱え込まず、街や人に委ねられるものは、委ねたか。

    この三つに「はい」と言えるほうへ進む。それが、私にとっての「手触りのあるほうへ」の、具体的な中身でした。

    五十歳の、置いてけぼり

    話は、私が五十歳を間近にした七年前にさかのぼります。

    仕事は、まあまあ面白かったのです。不満があったわけではありません。ただ、信頼していた仲間たちが、次々と新しい挑戦へ移っていきました。それだけの実績を上げて旅立っていくのですから、めでたい話です。頭ではそう分かっていました。それでも、一緒に走ってきた身としては、なんだか置いてけぼりを食らったような気分でした。

    人生百年時代と言われます。だとすれば、五十歳は折り返し地点。後半をどう生きるか。これまでの延長で穏やかに着地していくのか、それとも、もう一度、誰も用意してくれない道に踏み出すのか。

    私、どうしたいんだろう。

    その答えが出ないまま、鬱々と日々を過ごしていました。

    もし、いまこれを読んでいるあなたが、かつての私と少し似た場所にいるなら――定年という二文字が、急に現実の重さを持ちはじめ、会社が終わったあとの時間を、どう生きればいいのか、まだ答えが見つからないでいるなら。あるいは、会社の外に何かやってみたい気持ちはあるのに、何から始めればいいのか分からず、「いつかやりたい」が「いつまでもやれない」に変わりかけているなら。

    この記録は、そんなあなたのために書いています。

    私には、特別な才能も、太い人脈も、潤沢な資金もありません。会社員として、仕事を進めるために関係者を動かし、仕事を通して誰かの役に立つ。そんな地道な経験を積み重ねてきただけです。でも、会社が終わってしまったら、その経験を、どう生かして動けばいいのか、分からなかった。

    きっと、多くの会社員がそうなのではないでしょうか。みんな、仕事を通じて、確かに何かしらの価値を残してきている。ただ、それを会社という文脈の外で、どう生かせばいいのかが分からない。

    そんな普通の会社員が、正解のない一歩を、どう踏み出し、どう続けてきたのか。これは、その七年の記録です。あなたが自分の一歩を踏み出すとき、その背中を、ほんの少しでも押せたらいい。そう願って書いています。


    話は再び七年前に戻ります。

    ある日、ダンナは突然、こう言い出したのです。

    「熱海に別荘を建てよう」

    なぜ熱海だったのか、いまでもよく分かりません。箱根でも軽井沢でもなく、熱海。ダンナからすれば、友達を呼びやすい場所に、一年中使える拠点が欲しかったのでしょう。私にとっては、その思いつきが、停滞した日々を動かす口実として、ちょうどよかった。

    付け加えると、ダンナは、手の届く贅沢を提供する企業で不動産開発を手がけています。会社は違えど仕事に困ることはなさそうです。一方の私は、調査や研究という、かたちの見えにくい仕事をしてきた人間です。会社という器を離れたとき、自分がいったい社会の何の役に立てるのか、正直、うまく思い描けずにいました。安泰に見えるダンナの隣で、私の足元だけが、少しぐらついていたのかもしれません。

    こうして、何の計画もないまま、私たちの熱海通いが始まりました。いま思えば、これが七年に及ぶプロジェクトの、あまりに軽い第一歩だったのです。

    「別荘」が「実験」に変わった瞬間

    最初は、ただの別荘探しでした。

    それがある時から、まったく違うものに変わっていきます。きっかけは、夫婦の何気ないブレストでした。熱海への行き帰りの車の中で、どんな家を建てるか、それはもう激論を重ねました。私たち夫婦は世田谷区のまちづくり学校で出会っていて、建築やまちづくりについてのこういう「あーでもない、こうでもない」が、大好物なのです。

    そこで生まれたのが、ひとつのコンセプトでした。

    現代版の、ケース・スタディ・ハウス。

    ケース・スタディ・ハウスというのは、第二次世界大戦後のアメリカで行われた、実験的な住宅建築プログラムのことです。戦後の住宅需要に備えて、著名な建築家たちが、経済的で効率的で、しかも複製可能な住宅のモデルを模索しました。一軒の家を建てることが、社会全体への問いかけになっていたのです。

    だったら、と私たちは考えました。本家が戦後の住宅難に応えるものだったなら、私たちの取り組みは、いまの社会が抱える課題に応えるものにしよう。最新の技術を使いながら、自然に寄り添い、人と人との新しい関係をつくる。一軒の家を、ひとつの問いとして建ててみよう。

    名付けて、熱海ケース・スタディ・ハウス。

    仕事がら、つい頭でっかちに考えてしまう癖があります。私たちは、この家で何を検証するのかを、七つの仮説として書き出しました。脱成長という言葉が話題になっていた頃で、私たちの暮らしが、知らないうちに地球の裏側や未来の誰かに負荷を押しつけているのではないか――そんな問題意識が出発点でした。土地、エネルギー、水、食、安全、移動、人とのつながり。生活のインフラを、できるだけ外部に負荷をかけず、それでいて不便でもなく、お金をかけすぎもせずに成り立たせられないか。その七つの問いを、自腹で検証してみよう、と。

    頭で立てた仮説です。机上の空論かもしれない。でも、私たちにできれば、ほかの人にもできるはずだ――そう考えると、この家づくりは、ただの終の住処づくりではなく、ひとつの実験になりました。連載の各回で書いていくのは、その仮説が現実とぶつかって、どう着地したかの記録でもあります。

    土地もまだ見つかっていないのに、コンセプトだけが先に立ち上がりました。順番が逆ですよね。普通のプロジェクトなら、こんな進め方はしません。

    ところが、この「逆」が、プロジェクトを推進する大きな力になりました。

    不思議なことに、相談した方の多くが、このコンセプトを面白がってくださったのです。本家の写真集を貸してくださる方、森づくりのNPOのみなさん、図々しくも相談に乗ってくださり設計案や模型をつくってくださった建築家の方々。土地ひとつ持っていない段階なのに、人と情報だけが先に集まり始めたのです。

    正解の見えないプロジェクトでは、計画よりも先に「面白がられる旗」を立てたほうが、人もチャンスも集まってくる。

    「迷ったら、手触りのあるほうへ」

    完璧な事業計画を握りしめている人より、ワクワクする問いを掲げている人のところに、なぜか道がひらける。私たちは土地より先にコンセプトを持ったことで、土地が買えない二年半のあいだ、孤独にならずにすみました。

    あとで知ったのですが、この進め方には「エフェクチュエーション」という名前があるそうです。詳しくは終章で触れます。

    これは、家の本ではありません

    その後に待っていたのは、教科書のどこにも載っていない問題の連続でした。

    買おうとした土地には、不在地主問題が立ちはだかりました。登記がおじいさまの代で止まり、相続人がネズミ算式に増え、行方の分からない方までいる。それでも全員の同意がなければ、土地は分けられません。土地を紹介してくれた不動産屋さんは、一年がかりで「解決はほぼ無理」と白旗を上げました。所有者が分からない土地は、いまや全国で九州の面積を超えるそうです。私たちは、その巨大な社会問題の、ごく小さな当事者になっていました。

    手に入れた土地は、その三分の一が、足を踏み入れることもできない放置竹林でした。私たちはまず、自分が何を買ったのかを知るために、チェーンソーを手に、竹を伐るところから始めました。滑落して唇を打ち、全身筋肉痛になりながら、四年かけて森を歩けるようにしていきました。

    設計を頼んだのは、住宅を一軒も建てたことのないスタートアップでした。なぜ、そんな賭けに出たのか。

    崖という最悪の条件は、結果として、平地の常識では生まれない家を生みました。森をレーザーで測り、コンピューターで木材を加工する。制約が、独自解を引き出していったのです。

    そして家づくりを続けるうちに、私たちの目は「自分の家」から「この街」へと向いていきました。熱海は、消滅可能性都市に指定されています。温泉の街なのに、共同浴場が次々と閉まっていく。空き家は五割を超えるのに、住める家がない。移住者ですらない私が、いつのまにか本気でこの街の未来を考えるようになっていました。

    ――こうして並べてみると、分かっていただけるかもしれません。

    これは、家の本ではないのです。

    家は、それらの作法が一つずつ試される、舞台にすぎませんでした。
    七年かけて、私たちはたくさんの決断を間違え、いくつかをかろうじて正解に近づけました。そうして少しずつ身についていった作法の一つひとつを、これから順番に解剖していきたいと思います。

    まだ、家は建っていません

    最後に、正直に書いておきます。

    この原稿を世に出すとき、私たちの家はまだ完成していません。基礎を支える4本の杭穴を職人さんが堀り終え、鉄筋を組み、コンクリートが流し込まれました。十メートル以上の杭は地中に埋まり、これから先、誰も見ることはありません。杭頭がほんの少し、地面から頭を出し、基礎の鉄骨が載るのを、今か今かと待っています。完成は、年末の予定。つまり私は、結末を知らないまま、この物語を語り始めているのです。

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    ほんの少し、地面から頭を出した杭頭

    書き手としては、落ち着きません。家が建って、すべてがうまくいきました、と最後に書けたほうが、話はきれいにまとまるでしょう。

    でも、あるとき、森の整備を手伝いに来てくださった方が、こうおっしゃったのです。

    「ゴールを決めて、それを達成するというのではなく、そのときどきの過程を楽しむ、ということなんですね」

    その言葉が、いつかこの物語を書こう、と私の密かなモチベーションに火を灯しました。

    完成は、まだ先です。けれどこの七年は、まぎれもなく私の日々でした。土地を探した日々も、専門家に無理だと言われた日々も、崖の土地で森を伐りひらいた日々も、すべてが過程であり、同時に、それ自体が目的地でもあったのです。

    正解のないプロジェクトには、はっきりした完成などないのかもしれません。あるのは、迷いながら一つずつ決めて、その決断の責任を引き受けて、次の一歩を踏み出していく、その連続だけ。

    五十歳で、私はもう一度、誰も用意してくれない道に踏み出しました。

    その記録を、ここから始めます。

    【連載第2回はこちら。ぜひ読んでください!】

    著者について
    かとうゆり。日系シンクタンクのマネージャー、博士。新卒で研究員として入社し、以来同じ会社で、調査・研究・実装を通じて社会課題に立ち向かってきた。五十歳を前に「会社が終わったあと、この経験をどう社会で生かせるのか」を問いはじめ、その答えを探す試みとして、夫と熱海の崖に家を建てている。夫と、十八歳の猫と暮らす。


     
     
    日系シンクタンクのマネージャー、博士。新卒で研究員として入社、以来同じ会社で調査・研究・実装を通じて社会課題に立ち向かう。五十歳を前に「会社が終わった後、この経験をどう社会で生かせるのか」を問い始め、その答えを探す試みとして、夫と熱海の崖に家を建てている。夫と十八歳の猫と暮らす。

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