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迷ったら、手触りのあるほうへ ― 五十歳で崖を買った私たちの作法② 詰んだ状況の動かし方

    【連載第2回です 第1回はこちら】

    「なんとかなるでしょう」が、なんともならなくなるまで

    土地を見つけたとき、私たちは舞い上がっていました。

    きっかけは、一軒の絶景カフェでした。晴れた日には房総半島まで見える相模湾、見ようによってはアマルフィのような熱海の市街、そして真っ青な空。そのテラスに立ったとき、私は言葉を失いました。絶景とは、まさにこの景色のことをいうのでしょう。

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    絶景カフェからの絶景

    道路から見れば、ただの森です。そこに目をつけて伐りひらき、絶景カフェを建てたオーナーさんのセンスに、私たちはすっかり惚れ込みました。そして、たまたまその敷地の一部が売りに出され、たまたま買いたいという方がキャンセルしたタイミングに、私たちは出くわしたのです。勇気を出して、購入希望を申し出ました。

    金額も合意し、仮の売買契約を結んだのが、二〇一九年の一月。
    そこから土地が本当に自分たちのものになるまで、二年半かかるとは、このときは想像もしていませんでした。

    つまずきは、契約してすぐに見えてきました。私たちが買おうとした敷地を分けるには、隣の土地の所有者の同意が必要だったのです。ところが、その隣地が、いわゆる不在地主の土地でした。

    不在地主問題、という言葉を、当時の私はほとんど知りませんでした。

    仕組みはこうです。登記がおじいさまの代で止まったまま、相続の手続きがされていない。すると、相続する権利を持つ人が、子、孫、と世代を下るごとにネズミ算式に増えていきます。中には、もう連絡先も分からない方がいる。それでも土地を動かすには、その全員の同意が要る。

    なぜ、こんなことが起きるのか。理由は身も蓋もないものでした。山林は、固定資産税評価額が三十万円以下だと、そもそも課税されません。つまり、相続登記をしなくても、誰も困らないのです。価値の低い土地ほど放置され、不在地主問題が起きやすい。後で知ったことですが、所有者の分からない土地は全国にあって、その面積は九州全体を超えるほど。山林にいたっては、四分の一が所有者不明だといいます。

    私たちは、その途方もない問題の、ごくごく小さな入り口に立っていたわけです。

    最初に土地を紹介してくれた不動産屋さんは、当初こう言っていました。

    「なんとかなるでしょう」

    そんなものか、と私も軽く考えていました。ところが、三カ月経っても、半年経っても、状況はいっこうに進みません。何度か契約を延長し、一年ほど経ったところで、ついに不動産屋さんから白旗が上がりました。

    「解決は、ほぼ無理です」

    仮契約は、いったん白紙に戻ることになりました。

    専門家が「無理」と言ったとき、私たちがしたこと

    ここが、最初の大きな分かれ道でした。

    プロが無理だと言っている。普通なら、ここで諦めます。相手は不動産のプロで、こちらは素人。その道の専門家が匙を投げたものを、素人が覆せるはずがない――そう考えるのが、おそらく自然です。

    でも、私たちは諦めきれませんでした。それは未練というより、ひとつの違和感からでした。

    私とダンナはプロではないものの、ネットで丹念に調べていました。すると、ちょうどこの時期に、不在地主問題をめぐる法律が動いていることが分かってきたのです。法務局の職権で、境界を確定できるよう制度が変わりつつある。私たちはそれを不動産屋さんに伝えてみました。けれど返ってきたのは「難しい」の一言。それ以上、話は進みませんでした。

    このとき気づいたのです。「無理」には、二種類あるのだと。

    ひとつは、本当に物理的・法的に不可能な「無理」。もうひとつは、「やればできるが、手間の割に実入りが少ないからやりたくない」という“無理”です。

    後から振り返れば、最初の不動産屋さんが白旗を上げたのは、おそらく後者でした。不在地主問題の解決は、関係者を一人ずつ探し出し、説得し、書類を集める、気の遠くなるような作業です。仲介手数料に見合わないと判断すれば、撤退するのが商売としては合理的でしょう。それを責めるつもりはありません。

    ただ、当事者である私たちにとっては、合理性の計算式がまったく違います。私たちにとって、その土地はかけがえのない一点もので、手間がいくらかかろうと、手に入れる価値があった。

    専門家の「無理」は、しばしば「その人にとって割に合わない」という意味でしかない。だから当事者は、自分で一次情報に当たって、その「無理」が本物かどうかを見極める必要がある。

    「迷ったら、手触りのあるほうへ」

    法改正の情報を自分で調べていなければ、私たちはここで諦めていました。プロの判断を鵜呑みにせず、自分の足で裏を取ったことが、次の扉を開けたのです。これが、詰んだ状況に出会ったときの、私たちの最初の作法になりました。

    「やる気のある人」をどう見つけ、どうつなぐか

    とはいえ、違和感を持っただけでは、土地は動きません。
    膠着した状況を変えてくれたのは、頼りになる絶景カフェのオーナーさんでした。私たちが諦めていないのを見て、新しい不動産屋さんを紹介してくださったのです。

    熱海はここ数年、ずいぶん注目されています。その再生の立役者の一人が、マチモリ不動産の三好社長。この方が、行き詰まった私たちに道をつくってくれました。不在地主問題の解決に経験豊富な、いわの不動産の岩野社長へとつないでくださったのです。

    岩野さんのアドバイスは、明快でした。まず敷地を改めてきちんと測量する。次に、地元のネットワークをフルに使って、隣接地の方と交渉する。そのうえで法務局と相談し、職権で境界を確定する――。

    驚いたのは、これが、私が一年前にネットで調べて最初の不動産屋さんに伝えた方法と、ほぼ同じだったことです。違ったのは、知識ではなく、それを「実際にやり切る人」がいたかどうかでした。

    測量には、それなりの費用がかかります。けれど、売り手も買い手も前向きだったこともあり、ここからはトントン拍子でした。もちろん、細かなトラブルは次々と発生します。それを岩野さんが、ひとつずつ、丁寧にほどいていってくれました。

    詰んだ状況を動かすのは、たいてい「正しい知識」ではなく、「その知識を実行しきる当事者意識を持った人」である。

    「迷ったら、手触りのあるほうへ」

    解決策そのものは、最初から目の前にあったのです。足りなかったのは、それを引き受けてくれる人。そして、そのキーパーソンは、すでに信頼関係のあるオーナーさんからの紹介で見つかりました。

    制度は、追い風になることがある

    もうひとつ、私たちには幸運がありました。時代が、味方をしてくれたのです。

    二〇二一年四月、私たちがまさにこの問題と格闘している最中に、国会で関連する法律が成立しました。相続登記を義務化し、正当な理由なく怠れば過料を科す、というものです。所有者不明土地という、九州を超える面積に広がった国家的な問題に、ようやく国が本格的に手を打ち始めた。

    私たちは、その制度が施行される前に、いわば自力で、不在地主問題のケーススタディを一件、解いてしまったことになります。

    ただ、正直に言えば、この新しい制度も万能ではありません。義務化されたとはいえ、過料は十万円に満たない額。国土の二割が不在地主だという現実の前では、もっと抜本的な対策がなければ、状況は大きくは変わらないだろう、というのが、当事者として現場を見た私の実感です。

    だからこそ、制度が整うのを待つだけでなく、経験を積んで丁寧に寄り添ってくれる三好さんや岩野さんのような「人」の存在が、当面はやはり鍵を握り続けるのだと思います

    二年半は、無駄な時間ではなかった

    こうして、最初の仮契約から二年半。私たちはようやく、土地取得の目処を立てることができました。長い時間でした。でもあれは、無駄な時間ではありませんでした。

    熱海ビーチラインとブルーラインの回数券を買って、コロナのさなかも、月に一、二度、数えること四十回。私たちは熱海に通うたびに地元の人と知り合いました。熱海の森を整備するNPO熱海キコリーズと知り合ったのもこの頃。チェーンソーの購入先を紹介してもらったり、ヒノキやスギのクリスマスリースの作り方を教えてもらいました。熱海で有名な製麺所のお母さんとも顔なじみになれました。不在地主問題に手こずったおかげで、かえってこの街の人々と仲良くなる時間が増えたのです。後の回で書く街への思い入れも、消滅可能性都市について本気で考えるようになったのも、もとをたどればこの二年半があったからでした。

    詰んだ状況は、ただの足止めではありません。そこで何を見て、誰と出会うかによって、後から効いてくる伏線にもなる。

    ――とはいえ、それはあくまで結果論。渦中にいるときは、ただただ、先の見えないトンネルでした。次の章では、その土地取得と並行して進めていた、もうひとつの大きな賭けについて書いていきます。住宅を一軒も建てたことのない会社に、私たちはなぜ、自宅の設計を託したのか。という話です。

    【連載第3回はこちら。ぜひこちらも読んでください!】


     
     
    日系シンクタンクのマネージャー、博士。新卒で研究員として入社、以来同じ会社で調査・研究・実装を通じて社会課題に立ち向かう。五十歳を前に「会社が終わった後、この経験をどう社会で生かせるのか」を問い始め、その答えを探す試みとして、夫と熱海の崖に家を建てている。夫と十八歳の猫と暮らす。

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