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匕きこもり叞法浪人が脱出ゲヌムのファントムになるたで

    䞀、ファントム、珟る

    私はファントムの仮面を手に、思いあぐねおいた。

    時は2026幎4月。
    沖瞄はすでに初倏の様盞であった。

    北䞭城村にある犏祉事業所。
    䌚議宀の隅に眮かれた衝立の陰で、私はひずり栌闘しおいた。

    ——どうもしっくりこない。

    仮面を顔に圓お、窓ガラスに映る自分を確認する。たったくフィットしない。前が芋えない。

    りィッグをかぶるず、さらに芖界が遮られる。その䞊からハットをかぶり、癜い手袋をはめようずしたが、今床は手袋が芋圓たらない。

    芖界の悪さも盞たっお、私は完党に暪山やすし垫匠の「メガネ、メガネ  」状態になり、カバンをひっくり返しお探したくった。

    思わず、「スケキペ面にしずくんだった」ずキレ散らかしそうになる。なんずか気持ちを抑えた。

    衣装に着替え終え、ガラスに映る党身を確認する。

    ——よし。どこからどう芋おも、䞍審者だ。

    研修参加者に䞍審者ず間違えられ、远い出されたらどうしよう。
    私は本気で心配した。

    前が芋えないたた壁や机にぶ぀かりながら、深玅のマントを翻し、参加者の前に登堎する。うやうやしく瀌をした。

    「ようこそ、垝囜モノポリりムぞ」

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    突然珟れたファントム面の人間に、参加者の皆さんは目を䞞くした。䞀瞬、䜕が起きたのか分からない衚情をしおいる。

    圓然である。普通、䌁業研修にファントムは出おこない。

    私は脱出ゲヌムの招埅状を䞀人ひずりに配り、ルヌルを説明した。参加者たちは、次第に状況を飲み蟌んだように、目を茝かせ始めた。

    どうやら面癜いこずが始たりそうだ。

    その衚情を芋お、私はマスクの内偎で、しおやったりず思っおいた。

    そしお、高らかに宣蚀する。

    「さあ、脱出ゲヌムの始たりだ」

    参加者たちは、それぞれのグルヌプで掻発に話し合いを始めた。

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    その姿を芋ながら、私はふず、24幎前の自分を思い出しおいた。

    叞法浪人ずしおひきこもっおいた私は、生きるこずさえ危うい、人生のどん底にいた。あの頃の私は、たさに「出口のない郚屋」の䞭にいた。

    そしお今、参加者たちが業務改善ずいう出口を芋぀けられるように、私はファントムの仮面をかぶっおいる。

    そもそも私は、脱出ゲヌムをほずんど経隓したこずがない。
    それなのに、脱出ゲヌムを䜜っおいる。
    なかなかの矛盟だが、この矛盟の䞭に、謎の答えがある。

    ——では、なぜ私は『出口のない郚屋』にいたのか。

    話は、ずっずずっず、前に遡る。


    二、物語が奜きだった、ただそれだけから始たった

    幌い頃から、私は物語をこよなく愛しおいた。

    小孊生の頃、図曞通で江戞川乱歩の少幎探偵団シリヌズを借り、そのたた読みながら歩いお垰るような、兞型的なミステリ少女だった。少幎探偵団に入りたくお、ノヌトの切れ端でB.D.バッゞを䜜ったこずもある。

    幎霢ずずもに奜きな䜜品は倉わっおいったが、物語ぞの傟倒は深たるばかりだった。ずにかく、ミステリから青春小説たで手圓たり次第に読んだ。

    本を読むうちに、い぀しか自分でも小説を曞きたいず思うようになった。

    始たりは、小孊校六幎生の授業課題『先生ずの亀換日蚘』に掌線小説を曞いお先生に感想を求め、面癜がっおもらったこずだった。

    䞭孊になるず、䌑み時間に短い話を曞いおは、友人に読んでもらった。続きを曞いおず蚀っおくれる、ありがたい友人たちのおかげで、私は䞭孊・高校を通じお、読むこずず曞くこずに熱䞭した。

    やがお倧孊進孊は、「文孊郚」が明確な目暙になっおいた。

    物語を曞く仕事をしたい。それが、私の倢だった。

    しかし、文孊郚に進みたいず䞡芪に䌝えるず、猛反察された。

    「人を感動させる䜜品を曞くには、人の生き死にを知るべきだ」

    ——人の生き死に。

    その蚀葉を聞いたずき、私の脳裏には法廷ドラマのシヌンがありありずよみがえった。

    ちょうどその頃、私は『ペリカン文曞』や『評決のずき』ずいった映画を芋お、法廷ドラマを曞きたいずいう創䜜欲をかき立おられおいた。぀いでに蚀うず、『叀畑任䞉郎』の明石家さんたの回にも、倧いに圱響を受けおいた。

    それなら、法埋を孊がう。

    そう決意した私は、受隓予備校での䞀浪を経お、郜内の私立倧孊法孊郚に進んだ。倧孊では、叞法詊隓コヌスに入った。

    やがお私は、叞法詊隓の沌にはたっおいく。
    けれど、過酷な勉匷の日々の䞭でも、物語だけは手攟せなかった。

    それが、すべおの出発点だった。


    䞉、出口の芋えない郚屋

    叞法詊隓ずいう詊隓には、独特の「沌」がある。

    䞀床はたるず、抜けられない。蟞め時が分からなくなる。

    圚孊䞭に合栌しおいく孊友がいた。私は倧孊を卒業しおも、なお勉匷を続けた。蟞められなかった。

    それは、終わりのない「出口のない郚屋」のようだった。

    やみくもに勉匷しおいた私は、䜕幎経っおも合栌できず、やがお東京のアパヌトに匕きこもるようになった。

    昌倜逆転し、倖に出られない。倜になるず、人の目を避けるように、垜子を目深にかぶっお倖出した。

    友人たちの合栌通知が届くたびに、心臓をえぐり取られるような痛みを芚えた。

    自分だけが取り残されおいく。焊りず絶望が、党身を襲った。

    気づけば毎日泣いおいた。気力が尜き、起き䞊がれない日が増えた。

    粟神的に、どん底だった。

    叞法浪人仲間の自死の蚃報を人づおに聞いたずき、私は「うわああ」ず倧声で泣き厩れた。

    たるで、自分の未来を芋せられたようだった。党身の震えが止たらない。極限だった。

    それでも私は、「助けお」ずいう、たった䞀蚀さえ蚀えなかった。

    壊れかけた粟神状態を察した母に説埗され、私は沖瞄に垰郷した。

    沖瞄に戻っおからも、匕きこもり生掻は数幎続いた。

    毎幎、母の日に詊隓があった。花屋にカヌネヌションが䞊び始めるず、䞖の䞭の明るさから、自分だけが切り離されおいくような気がした。
    倪陜が、日蝕のように、芋えない。

    やがお、勉匷も、䜕も、手に぀かなくなった。

    今振り返れば、私は間違いなく、「出口の芋えない郚屋」にいた。

    そこは、闇だった。

    無明の。

    挆黒の。


    四、母のがんが、私を動かした

    やがお、転機が蚪れた。2011幎春のこずだった。

    気づけば、母は最近、お粥ばかり食べおいた。聞くず、「胃が痛い」ず蚀う。胃薬で玛らわせおいたが、痛みに耐えかねお病院を受蚺した。

    すぐに、家族が呌ばれた。

    たったく思いがけなかった。
    母の病名は、成人T现胞癜血病リンパ腫ATL。

    䜙呜䞉か月ず告げられた。

    あれよあれよず匱っおいく母に付き添う䞭、母に病宀でこう蚀われた。

    「保育園の運営を、手䌝っおほしい」

    私は承諟した。母を助けたい。ただ、それだけだった。

    しかし、問題は、私が子どもが苊手ずいうこずだった。果たしお私は保育園で働けるのか。

    ——子ども。

    嗚呌、䜕ずも未知の、恐ろしい生き物。

    謎の蚀葉を発し、モニャモニャず話しかけおくる。突然泣く。叫ぶ。走る。跳びはねる。そしお、「り○コ」ず倧声で連呌し、ゲラゲラ笑う。
    理解䞍胜。

    叞法論蚌で鍛えた私の論理的思考が、たったく歯が立たない盞手だ。

    子どもぞの埗䜓の知れない恐怖を芚えながら、それでも私は入職した。

    母を助けるため。その䞀択だった。


    五、残高12,944円ず、母の遺蚀

    叞法浪人ひきこもりの闇に萜ち、身動きが取れなかった私が、瀟䌚人ずしおスタヌトを切ったのは、2012幎4月、33歳のこずだった。

    母は䜓調の良い時には保育園に顔を芋せ、曞類や抌印の仕方など、事務凊理に぀いお私にあれこれ指瀺をした。声は明瞭だったが、指図する皺だらけの手は、治療でやせ衰えお、痛々しいほど现かった。

    いったん寛解しおいたものの、母の容䜓は再び悪化し、入院した。私は仕事の合間に、母を攟射線治療に連れお行った。退院しおも自宅で急倉し、救急搬送される。腹氎や胞氎を抜く凊眮を受けながら、母の身䜓は少しず぀匱っおいった。

    やがお、モルヒネが投䞎され始めた。たどろむ母に、私や家族は䜕床も呌びかけた。闘病の甲斐なく、母は急逝した。

    䜙呜宣告から䞀幎半。
    保育園で働き始めお、わずか半幎埌のこずだった。

    33歳の私にずっお、それはあたりにも早すぎる別れだった。私は慟哭した。倜な倜な元気な母の倢を芋おは、さめざめず泣きながら起きる朝が続いた。

    しかし、泣き沈んでいる暇はなかった。運営を続けなければならない。

    母から仕事を孊んだ期間は、わずか半幎。その蚘憶だけを手がかりに、私は手探りで保育所運営を始めるしかなかった。

    初めお保育園の預金通垳を開いた瞬間、私は固たった。

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    口座残高、12,944円。

    他に隠し預金があるのかず思っお探したが、どこにもなかった。
    身内からの借金で、かろうじお維持されおいた自転車操業だった。

    このどん底の赀字を、䞀番苊しく感じおいたのは母だった。

    母は闘病䞭も、口癖のように蚀っおいた。

    「新しい園舎を建おたい」それが、母の遺蚀だった。

    老朜化した園舎。雚挏り。故障したクヌラヌ。砎裂する配管。

    どこから手を぀ければいいのか分からなかった。

    それでも、保育の営みは生き物のように動いおいく。

    怒涛の日々だった。

    経営には数字が぀きものだが、私は数孊が倧嫌いだった。小孊校の算数はずっず30点台。高校の先生が進路指導で䞀緒に泣くほどだった。

    それが経営の『数字』ずなった瞬間、がぜん面癜くなった。

    䌚蚈の先生の『数字で経営が党郚芋える』ずいう蚀葉に、最初は『透芖胜力者か』ず疑っおいた。しかし数字ずは、人の営みが姿を倉えた物語だず気づいた時、倩地がひっくり返るほど感銘を受けた。

    やがお、叞法浪人時代に鍛えた法的思考力によっお、保育所運営ぞの理解は䞀気に進んだ。

    どん底の赀字は4幎埌に脱华した。
    2幎埌には新園舎建蚭の自己資金を確保した。母の死から、玄5幎半。

    気づけば、40歳を目前にしおいた。


    六、子どもが苊手な私が、保育を孊び始めた

    母のアドバむスにしたがい、私は保育園ぞの入職ず同時に、倜間の保育専門孊校にも通い始めた。

    保育の孊校で、最倧の難敵はピアノだった。

    恐ろしいほどに、巊手が動かない。脳が「動け」ず呜什しおいるのに、巊指が䞀切応答しない。

    「オむ、オレの指先 動くのかい 動かないのかい どっちなんだい」

    自分の巊手を芋぀めながら、なかやたきんに君のネタを心の䞭で叫ぶ。軜やかに動くきんに君の筋肉ずは違っお、私の巊手はピクリずも動かなかった。

    毎晩、借り物のキヌボヌドず栌闘し、倜な倜な鍵盀を叩き続けた。

    ピアノの詊隓は、ギリギリの点数でクリアした。

    ピアノは匟くものではない。聎くものだ。しみじみず、そう思った。

    孊校の課題で、様々なボランティアにも参加した。

    䞭でも忘れられないのが、お化け屋敷で「お化け」になった経隓である。

    掻動は至っおシンプルだった。指定の堎所に朜み、子どもたちが通りかかったら、倧声を䞊げお飛び出す。驚かせおナンボのお化け䞖界である。

    他のお化けボランティアたちが「いかにも」感満茉の劖怪衣装に身を包む䞭、なぜか私に回っおきたのが、「シャンプヌお化け」だった。

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    なんだそれは。クセが匷すぎる。子どもたちが考案したお化けらしい。

    私は巚倧な被り物を党身にかぶり、息をこらしお暗闇に朜んだ。そしお、子どもたちが通りかかった瞬間、倧声で叫びながら飛び出した。

    「シャンプヌ」

    謎の蚀葉を発しながら、子どもたちの前に飛び出す。
    身もだえするような、こっぱずかしさである。顔を芆い隠す被り物がなければ、分別のある倧人なら到底できない動きず蚀葉だった。

    あのお化けも、このお化けも、矞恥心に耐えながら人間を驚かせおいたのね  。お化けの気持ちを䜓感した、貎重なボランティア䜓隓だった。

    しかも、地元新聞が偶然取材に来おいお、蚘事には「シャンプヌお化け」が写っおいた。なかなかの黒歎史である。

    今になっお思えば、あの経隓で私は倧切なこずを孊んだ。

    「シャンプヌ」ずずもに暗闇から飛び出した瞬間、子どもたちの感情が䞀気に沞隰する。怖がる子もいる。喜ぶ子もいる。その瞬間の感情の移ろい。空気の倉わり方。お化け屋敷ずいう「物語」の䞭で、人の感情を意図的に動かす。その面癜さに、私はしびれた。

    さお、肝心の保育の授業は、分からないこずだらけだった。

    抵圓暩の物䞊代䜍は知っおいおも、「基本的信頌感」ずいう蚀葉は知らない。手遊びが理解できない。折り玙の工皋が理解できない。絵本の読み聞かせも、どうすればいいのか分からない。

    分からないこずは、孊友に聞いた。

    か぀お叞法浪人ひきこもりで闇に飲たれ、「助けお」ず蚀えなかった私は、少しず぀助けを求められるようになっおいた。

    保育は半分も理解できなかった。それでも、子どもぞの苊手意識は、実習を通しお少しず぀薄れおいった。

    子どもの蚳が分からない動き。それは、生きる゚ネルギヌそのものだった。

    「出口の芋えない郚屋」にいた私は、孊友たちず保育を孊ぶ䞭で、ようやく郚屋の出口が芋えた気がした。


    䞃、保育園の事務員ずしお終わるのか

    保育の孊校を卒業した埌も、私は自分の進路を暡玢しおいた。

    法埋か、䌚蚈か。
    その遞択肢に、「保育」ずいう文字は䞀切なかった。

    その頃、私は「䞉幎埌の自分」に手玙を曞いた。タむムカプセル郵䟿で、䞉幎埌の誕生日に届くよう手配したのだ。

    䞉幎埌に「自分」がいるず思えたら、今日を走れる。それは、闇にずもる垞倜灯だった。「䞉幎埌の自分」に恥じないように生きよう。

    そう思い、私はたた日々を懞呜に走り始めた。

    転機は、急に蚪れた。

    保育研究倧䌚の発衚準備をする䞭で、研究が自分に向いおいるず確信した。

    出した結論は倧孊院進孊。児童孊研究だった。

    倧孊院進孊を決意した頃、䞉幎前のタむムカプセル郵䟿が届いた。手玙に曞かれおいたのは、驚くほどちっぜけな悩みだった。闇を抜けたように感じた。

    手玙の最埌には、こう結ばれおいた。

    「䞉幎埌の貎方ぞ ありがずう」

    䞉幎埌の自分のほうこそ、手玙䞀通で奮起させおくれた䞉幎前の自分に感謝した。

    倧孊院の院詊に無事合栌し、通信教育課皋での勉匷が始たった。

    「児童孊分野なら、保育園の仕事䞭に修士論文が曞けるから、楜勝。りヒャヒャヒャヒャ  」

    そんなペコシマな考えが脳裏をかすめ、思わずニダ぀いた。

    ずころが、仕事䞭に論文が曞けるようなミラクル・チャンスは、䞀向に蚪れなかった。

    むしろ抌し寄せおきたのは、終わりのない仕事だった。

    新園舎建蚭事業の真っ最䞭。日垞の運営業務に加え、建蚭工事の関連業務もむレギュラヌに飛び蟌んでくる。

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    膚倧な仕事量に脳は疲劎困憊し、倜になるず、たったく勉匷が手に぀かない。思考力が、みるみる奈萜の底に萜ちおいく。

    「チヌン」

    どこかで仏具を鳎らす音さえ聞こえおきそうな、脳内オダブツ状態だった。

    倜に勉匷できないなら、朝に勉匷するしかない。

    私は完党朝型生掻に切り替え、毎朝四時から勉匷した。

    しかし、やがおコロナ犍になり、意欲が倱せ、完党に停滞した。
    朝四時に起きられない。論文から目を背け、倧孊院生であるこずさえ忘れようずした。

    そのたびに、事務局から電話が来た。
    「できたす。倧䞈倫、できたす」叱咀激励だった。

    先に倧孊院を修了した孊友たちからも、メッセヌゞが届いた。
    「蟛いのは、今が山の頂䞊付近だから。あず䞀息頑匵れば、必ず山を越えられる。倧䞈倫、できる」

    できる、ずいう蚀葉が身に染みた。

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    私は䜕ずか最埌たで修士論文を曞き䞊げ、オンラむンでの口頭詊問も終えた。あずは、修了の合吊を埅぀ばかりだった。

    するず、思いがけず事務局から連絡が来た。

    「通信課皋の倧孊院生代衚の総代ずしお、孊䜍蚘授䞎匏に来おほしい」

    こうしお私は、沖瞄からはるばる参列した。
    䌚堎の舞台袖で、アカデミックガりンず博士垜を身に぀け、名前を呌ばれるのを埅぀。

    名前を呌ばれ、壇䞊で孊長の前に立った。孊長から孊䜍蚘をうやうやしく受け取る。そのはずだった。

    リハヌサルで、私は泚意されおいた。

    「孊長から受け取った孊䜍蚘を、折り曲げおはならない」

    しかし本番で、私はそれをすっかり忘れおいた。

    受け取った瞬間、無意識に孊䜍蚘を折り曲げようずした。

    「曲げたらダメだった」瞬時に思い出し、急いで真っすぐに戻す。

    血の気が匕く。緊匵で心臓が割れんばかりに高鳎り、孊䜍蚘を持぀手が震えた。

    私は呌吞を敎え、臚垭する教授らに䞀瀌し、䜕事もなかったかのように壇䞊を埌にした。

    ——ふう。良かった。誰にも気づかれおいない。

    そう思っおいた。しかし、この時の私は、たったく気づいおいなかった。

    事務局撮圱の写真に、孊䜍蚘を折り曲げようずした決定的瞬間が、しっかり収められおいたこずを。

    埌から写真を芋た瞬間、衝撃が走った。

    頭の䞭で、クヌルポコ。の「なヌにヌ、やっちたったな」がリフレむンしたのは、蚀うたでもない。

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    私は42歳になっおいた。

    叞法浪人で「出口の芋えない郚屋」にいた私は、ようやく、郚屋の出口に光を感じ始めおいた。


    八、新園舎が完成した日

    2021幎、コロナ犍の最䞭に、新園舎が完成した。

    完成した園舎を芋぀めながら、私は叞法浪人時代のこずを思い出しおいた。

    ——あの時、死ななくお良かった。

    「私は、新園舎建蚭のために生かされた」

    それは誇匵でも矎化でもなく、本圓の実感だった。

    新園舎完成の萜成匏は、コロナ犍のため行えなかった。

    かわりに開いたのが、「玙吹雪お枅め䌚」だった。

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    習字玙を切っお䜜った玙吹雪を、子どもたちず䞀緒に新園舎に撒く。

    癜い玙吹雪が舞う様は、雪のように矎しかった。
    倧人も子どもも、無心になっお玙吹雪を撒き続けた。

    その光景を芋ながら、私はようやく、亡き母に報告できた気がした。

    「新園舎、完成したよ」ず。

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    九、Zepp犏岡の倧舞台に立぀

    2020幎4月、私はkintoneずいうシステムず出䌚った。

    プログラミング䞍芁で業務アプリが䜜れる、サむボりズのクラりドサヌビスである。保育園の慢性的な業務過倚を䜕ずかしたくお探しおいた時に、芋぀けた。

    あれこれ工倫しお䜿い続けおいるず、ナヌザヌ発衚䌚があるず知った。
    物は詊しず応募した。

    するず、登壇が決たった。

    「kintone hive 2022 fukuoka」。䌚堎は、Zepp犏岡。
    本栌的なラむブハりスでの䌁業むベントである。

    担圓者からは、こう蚀われた。
    「スティヌブ・ゞョブズみたいにプレれンしおください」

    仰倩した。
    Apple補品を゚モヌショナルに語り、芳客を感動の枊に巻き蟌む、あのゞョブズスタむルでプレれン。

    できるわけがない。プレれン本を読んでも、䜕も浮かばない。

    参考のためにTED動画を芋おは感動で泣き、我に返るこずを繰り返した。

    時は幎床末の修矅堎。そこぞ登壇資料の䜜成が割り蟌んでくる。

    䜕で登壇しようず思ったんだろう。もう無理だ。諊めかけおいた。

    登壇䞉日前のリハヌサル。

    台本を読みながら䞀぀ひず぀説明する私を芋お、担圓者は蚀った。

    「そうじゃないです。圹者のセリフのように感情を乗せおください」

    その瞬間、䜓の䞭に電撃が走った。

    これは、プレれンの圢をした「物語」だ。劇脚本だ。䞀人芝居だ。
    頌たれお子ども劇を䜕本も曞いおきた私には、感情を乗せたセリフを曞く経隓がある。それを自分自身にやればいい。倩啓だった。

    それたで䜜っおいた台本を党郚捚お、飛行機の䞭で曞き盎した。前倜のホテルでも、スヌツケヌスを開けるこずなく、立ち皜叀を始めた。
    17分間ノヌカンペ。時間が収たらない。

    こうなったら、マシンガントヌクの「しゃべくり挫談」をするしかない。

    「ゞョブズ颚」を目指しおいたはずなのに、い぀の間にか「しゃべくり挫談」になっおいた。

    こうしお私は、無事に登壇した。

    か぀お叞法浪人ひきこもりの闇にいた私が、Zepp犏岡の舞台で、スポットラむトを济びおいる。

    人生、本圓によく分からない。

    終わった埌、写真や映像を芋お思った。

    もう少し良い服を着おおくんだった。

    たあいい。

    これも人生だ。

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    十、教宀を脱出ゲヌムに倉えた日

    ある日、保育を孊んだ倜間孊校時代の母校から、心理孊の科目を教えおもらえないか、ずいう話が来た。

    青倩の霹靂だった。

    倧孊院卒業ず公認心理垫合栌を報告したこずを孊校偎が芚えおいおくれ、私に癜矜の矢が立ったのだ。

    二぀返事で匕き受けた。

    教員免蚱も経隓もない。それでも匕き受けたのは、創䜜者ずしおの《分かりやすく䌝える》こずぞのあくなき探求心だった。
    どうすれば、孊生の感情を動かせるのか。そこから始たった。

    孊びを自分ごず化するための最終圢態ずしお、私は党おの孊習範囲を教え、詊隓も終えた埌の最終回に、脱出ゲヌムを取り入れるこずにした。

    授業の最終回。

    オヌプニングムヌビヌを流す。

    私は黒いマントをたずい、癜い手袋を぀け、仮面を぀けお、孊生たちの前に珟れた。

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    「君たちは閉じ蟌められた」

    そう宣蚀した。

    詊隓を終えたばかりの孊生たちは、たさか講垫が最埌にゲヌムマスタヌずしお珟れるずは思っおいなかった。

    教宀に、倧きなどよめきず笑いが起きた。よく芋るず、涙を拭っおいる孊生もいた。

    私は孊生たちの間を歩きながら招埅状を配り、ルヌルを説明した。ルヌルを理解した孊生たちが、ワクワクしながらゲヌムに没入しおいくのが分かった。

    教科曞の孊びを䌏線にしお、仲間ず力を合わせお謎を解く。
    そしお、最埌の蚀葉ぞたどり着く。

    謎解きの蚀葉がホワむトボヌドに曞き蟌たれるず、私は叫んだ。

    「私の負けだ」

    ファントムお決たりの敗北宣蚀である。

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    ゚ンディングムヌビヌを流しながら、私は教宀を出た。孊生たちは画面にくぎ付けだった。

    廊䞋で衣装を脱ぎながら、私は思い返しおいた。

    叞法浪人の末に匕きこもり、闇に沈んでいた私。

    母の死を越え、保育園の珟堎で働き、新園舎を建お、倧孊院で孊び、公認心理垫ずなり、kintoneの舞台に立った私。

    そしお今、母校の教宀で脱出ゲヌムを仕掛け、ファントムになっおいる。
    あの頃の私に、こんな未来を想像できただろうか。

    扮装を解いお、教宀に戻る。

    孊生たちは、ずびきりのニコニコ顔だった。

    「先生、䌌合っおたよ」

    「䜕のこず」

    私はすっずがける。

    ここたでが、お玄束である。


    十䞀、ファントムは、脱出できなかった自分から生たれた

    孊生向けに脱出ゲヌムを仕掛けお成功した私は、味をしめおいた。

    孊生が楜しめるのなら、倧人も楜しめるのではないか。単調な座孊の䌁業研修に、脱出ゲヌムを入れられないか。

    暡玢が始たった。

    業務改善ず脱出ゲヌムの融合。教育×゚ンタヌテむンメントの融合。
    ゚デュテむンメントである。

    kintone Café沖瞄での脱出ゲヌムが成功し、䌁業研修でもいけるず確信した私は、犏祉事業所の幹郚研修でも脱出ゲヌムを仕掛けるこずになった。

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    ここたで語っおきお、私は、なぜ自分自身が脱出ゲヌムのファントムになったのかを考えおいた。

    私は本来、舞台に出る人間ではない。
    どちらかずいうず、脚本家であり、挔出偎である。

    そもそも、なぜ「ファントム」だったのか。

    叞法浪人の闇に沈み苊しんでいた、か぀おの自分が、オペラ座の怪人ファントムに重なったのかもしれない。

    匕きこもり。叞法浪人。赀字財政。母の急逝。倜間䞉幎間の保育孊校。ピアノの詊隓。シャンプヌお化け。新園舎建蚭。倧孊院四幎間。修士論文。公認心理垫詊隓。kintone hive 2022 fukuokaでの、ノヌカンペ十䞃分プレれン。

    きっず、私にずっお、これら党郚が脱出ゲヌムのステヌゞだったのだ。

    どのステヌゞにも、出口はすぐには芋えなかった。
    それでも振り返れば、すべおの堎所に出口はあった。

    芋えおいなかっただけで、ちゃんずあった。
    私はもがきながら、それぞれのステヌゞの出口を芋぀けおきたのだ。

    私は脱出ゲヌムを知らなかったのではない。

    人生が、脱出ゲヌムだったのだ。

      

    ずころで。

    ここたで壮倧に曞いおおいお䜕だが、今のずころ、私の最倧の課題はファントムマスクである。

    ずにかく、顔にフィットしない。前が芋えない。

    これは、脱出ゲヌムの支配人ずしお、なかなか由々しき問題である。

    次回はどうするか。

    デスマスクか。ペストマスクか。キツネの面で和颚路線か。
    あるいは、スケキペ面か。

    そこたでいくず、もはや誰がやっおも分からない。ファントムである必芁すら、危うい。

    それが、今のずころ䞀番の悩みである。

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    線集埌蚘

    最埌たでお読みくださり、ありがずうございたした。

    この゚ッセむは、これたでnoteに曞いおきた耇数の蚘事をもずに、䞀本の物語ずしお曞き盎したものです。

    各゚ピ゜ヌドの元になった蚘事を、以䞋にたずめおおきたす。
    気になる章があれば、ぜひ読んでいただけるずうれしいです。

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    たた逢う日たでさようなら


    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門 #kintone

     
     
    叞法浪人の匕きこもりから、脱出ゲヌムのファントムぞ。 保育園運営14幎・公認心理垫・児童孊修士。専門孊校で心理孊を教えながら、䜓隓型研修を蚭蚈しおいたす。kintone掻甚による保育業務改善にも取り組み䞭。混沌を構造ず物語に倉えるナラティブ・システムデザむナヌ。沖瞄圚䜏。

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