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異世界に行けなかった俺の半生。|#15 無免許の俺が、店長と呼ばれた日:③

    これは、全部背負うとカッコつけた俺が見た、現場という地獄の話。
    そして同時に、ひとりでは立てなかった話だ。


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    #1 壊れた家と、死の匂い


    朝礼の時間。
    全員の顔を見渡しながら、俺はゆっくりと息を吸った。

    「今日は、皆さんにひとつ、お話しがあります」

    空気が、すこし張り詰める。

    「配属された初日にお話しした通り、私はここを会社のモデル店にするつもりです。それは今も変わっていません」

    ざわめきが起こる。

    「最終目標は――
    店舗の完全黒字化。つまり自分たちの力で、この店が生きていけるようになること。
    そのためには売上が必要です。」

    「全コース、新規顧客の獲得……営業に動いていただきます。」

    言い終えた瞬間、倉庫の空気が変わった。
    ラジオの音が止まり、誰かの呼吸音が聞こえる。

    「ハッ」

    その沈黙の中で、一人のドライバーが鼻で笑う。
    あのクセ者だ。

    「……冗談じゃねぇ。営業とか意味わかんねぇし。どう見ても配送だけで手一杯だろうがよ!」

    彼が叫ぶと、それが波のように広がっていった。
    冷たい笑いとため息が混じる。

    ……崩れる音が聞こえた気がした。

    俺は、じっと耳を傾け、ドライバーたちの声を聞いた。顔を上げたまま。

    手のひらには汗。
    でも、声は震えなかった。

    「配送していれば、働いているという実感はあるかもしれません。でも、配送だけで終わらせたら、きっと会社は潰れます。売上を作るのは“会社”じゃないんです。俺たち現場なんです。」

    我ながら、どこかで聞いたようなセリフだ。

    言葉を吐くたびに、喉の奥が焼けるように痛かった。

    そのとき、”クセ者”のドライバーが一歩前に出た。

    「営業なんかやらねぇだろ。あんたがひとりでやれば? 免許ねぇんだからよ。」

    ――来たな。

    視線が交わる。
    倉庫の蛍光灯が、かすかに揺れた。

    「俺についてくるか、来ないかは自由です。でも、邪魔をするなら……俺にも考えがあります。」

    静まり返った倉庫の中で、空気が重く沈んだ。

    誰も動かない。
    ただ、その弾けた空気の匂いだけが、火種のように漂っていた。


    あの朝礼から数日後の朝。

    朝の仕分けをしていると、鼻の奥を刺すような匂いがした。

    アルコール。

    この匂いを、俺は知っている。
    嫌というほど、子供の頃に嗅いできた匂いだ。

    営業帰りの父親の匂い。終電も終わった深夜、タクシーで帰ってくるあの匂いだ。玄関の電気。転ぶ音。母の怒鳴り声。

    ……まさか、こんなところで思い出すとは。

    そこにいたのは、あの「クセ者」ドライバーだった。
    目が赤く、足取りがふらついている。

    「おはようございます。」

    挨拶すると、彼は俺の方に顔を近づけてきた。

    「あ?……なんすか、その顔。」

    酒の匂いが、吐息に混じって広がる。

    「酒くせぇな。帰れ。」

    その一言に、目が光った。

    「なんだと?この野郎!偉そうに何なんだ!?」

    ドン、と胸ぐらを掴まれる。倉庫の空気が一瞬にして凍った。

    「酒残した奴を車に乗せるわけねえだろ。仕事舐めてんのか?帰れよ。」

    「おい、やめとけ。」

    低い声が響いた。
    振り返ると、職人ドライバーが立っていた。
    袖をまくり、無駄のない動きで腕を外す。

    「ここは職場や。ケンカなら外でやれ。」

    静かな声なのに、よく通る。

    「チッ!」

    「配送もできねえ店長が!俺に帰れだ?だったら辞めてやるよ!」

    その言葉に俺は反応した。

    「俺はな、その”辞めてやるよ”って言葉が大嫌いなんだよ!俺が抜けたら、コースに穴が開くから辞めさせられないだろう。
    そうやって脅してるんだよ。本当に辞める覚悟があるのか?あんたは。」

    「覚悟だ?脅しじゃねえ!辞めてやるよ!」

    「いつ」
    「今だよ!」

    「わかりました。受理します。今までお疲れさまでした。有給消化と退職手続きについては、総務に確認してください。」

    「クセ者」ドライバーは、椅子を蹴り倒し、ドアを叩きつけてそのまま出ていった。

    沈黙。
    誰も何も言わない。
    蛍光灯が小さく鳴る。

    「……店長、あんた、本気やな。」

    俺は少しだけ笑った。

    「やるしかないんで。
    本当は殴られて終わりでもいいと思ってたんですけど、助かりました。」

    彼は、静かに笑った。

    クセ者ドライバーは、この日を最後に、この店を……会社を去っていった。


    朝、出発前のエンジン音が重なって響く。
    油のにおいの奥に、コーヒーの香りが混じっていた。

    誰も口には出さない。
    でも――あの日のことは、頭に残った。

    「だったら辞めます」は、もう軽く言える言葉じゃなくなっていた。

    そして、その日の午後。

    「店長。」

    背後から声をかけられた。

    振り返ると、職人ドライバーが立っていた。
    軍手を片方だけ外し、缶コーヒーを二つ、差し出してくる。

    「一本どうぞ。どっちにします?」

    「ありがとうございます。」

    缶のプルタブを開けると、香ばしい湯気がふっと立ちのぼった。
    倉庫と缶コーヒーの匂いが、少しだけ昔の販売センターを思い出させた。

    「……店長、あんた、本気でこの店を、変えようとしとるんやな。」

    静かな声だった。言葉より、目の圧の方が重い。

    「年甲斐もなく、な。
    俺も、ちょっと熱くなってきたわ。あんたの夢に協力させてくれ。俺も、もう一花咲かせたい。」

    その一言で、俺の胸の奥に、静かな熱が宿った。

    またここで、俺を救ってくれる人が現れた、と。

    「ありがとうございます。でも、こんな荒れた店が、本当にモデル店になると思いますか?」

    「なるやろ。」と彼は笑った。

    「現場が生き返れば、会社はあとから付いてくる。」

    その言葉が、心に残った。


    聞けば、彼は運送会社の元経営者だった。
    しかも俺が尊敬する「あの」社長とは旧知の仲だという。

    「頑張れ」

    社長に背中を叩かれたような気がした。

    「自分の会社は失敗したけどな……」

    一瞬、間を置いて彼は笑った。

    「俺の積み重ねてきた経験を、継いでもらいますか、店長。」

    ……言葉より、その立ち方に説得力があった。

    「人に恵まれたな」

    いつかのオヤッサンの言葉を思い出す。
    本当に、俺はいつも人に恵まれている。

    ……気づけば、こういうとき、隣にいるのは関西の人間が多い。


    「まず、コースの運用を見直さなあかんな。」

    彼の提案は、シンプルだった。

    「各エリアのコース設定を三つ作る。平常、サポート、緊急や。」

    隣同士でカバーできるようにして、貨物量に応じて動かす。

    「緊急コースはな、人が休んだりで、足りんときに回す用や。新人の練習にも使える。」

    続けて、研修の話になる。

    最初の一週間は横乗り。
    その後は緊急コースで、じっくり経験を積ませる。

    「リーダー中心で回せば、無理せんでも育つやろ。」

    次に、ルートの話。

    橋や線路をまたぐような無駄な動きを削る。飛び地をなくして、負担を減らす。

    「あと、荷物が増えてきたらな、コース増やすタイミングを間違えたらあかんで。」

    ひとつひとつは難しくない。でも、全部がつながっていた。

    「リーダーが嫌や言うたら、理由だけでも聞いてやれ。焦らんでええ。一年でも二年でもかかってええ。何年も腐ってた店や。時間なんて気にする必要あらへん。」

    ……俺はメモを取りながら、内心ゾッとした。

    この人、敵に回さなくて本当に良かった。


    リーダーミーティングで内容を共有した。

    もちろん職人ドライバーも同席。彼のポジションは店長補佐。
    当たり前だが、会社非公式なので手当はなしだ。

    空気が完全に変わった。

    「いいっすねぇ。俺たちの考え、わかってくれたんですね」

    「お前ら配送のプロだろ。俺は無免許のアマチュアだ。プロがやりやすい環境を作るのが、監督の仕事だ」

    「考えたのは俺やけどな」

    いや、そこは俺に花を持たせてくれよ。

    笑いが漏れる。

    今回の改変で、負担が増えるリーダーもいる。それでも、誰も何も言わなかった。

    「俺はマジでモデル店を目指してる。店長補佐とリーダーの皆さんにお願いする。――頼む。」

    テーブルに両手をつき、頭を下げた。

    しばらく沈黙。
    やがて、誰かが言った。

    「……モデル店、やりましょうよ、店長。」

    ……その一言で、流れが決まった。


    掃除の時間を設け、事務所も倉庫も車も、常にピカピカにした。
    新人が来るたびに、リーダーたちが自発的に教育する。

    「店長、こうしたほうが覚えるの早かったっすよ」

    「アホか、そんなん最初からやってない方がおかしいやろ。」

    そんなやり取りが、毎日のように飛び交っていた。

    チームごとにコース用携帯のグループを作り、報告ルールを整えた。

    積み込み完了。出庫。積み残し。トラブル。帰庫。

    それぞれを、必ずメールで共有する。

    こうして、30人のドライバーの動きが、一つに見えるようになった。

    件名:積み残し報告
    江戸川3の貨物が倉庫に残ってます。最寄り駅まで着いたら連絡するので、◯時から1時間は駅の近隣を配送するよう段取りしてください。

    やがて、ドライバーたちは、俺が送るこのメールををこう呼んだ。

    「悪魔のメール」と。

    ……でも、誰も本気で嫌がってはいない。
    現場が、生き返っていく、そんな気がした。


    夜、職人ドライバーと缶コーヒーを飲みながら話した。

    「あれから、この店、けっこう変わりましたよね。」

    「せやろ。人が変わったら、店は変わる。店が変われば会社も変わる。」

    「会社も変わってくれると良いんですけどね。ほんと。」

    倉庫のシャッター越しに、外の風がひゅうっと通り抜けた。その音は、不思議と心地よかった。

    ――江東店再起動の気配を、俺たちは、確かに感じていた。


    本社からの電話は、短かった。

    「至急、本社の会議に出てくれ」

    それだけだった。
    嫌な予感っていうのは、本当にある。電話を切った瞬間、胃のあたりがずしんと重くなった。

    出発前の倉庫で、職人ドライバーが声をかけてきた。

    「店長どないしたん?顔色悪いで」

    「いや、たぶん気のせいです。ちょっと呼ばれたので、本社行ってきます」

    シャッターの隙間から朝の光が差し込む。その光が妙に冷たく見えた。


    久しぶりに販売センターのスタッフと顔を合わせた。

    「長く部署を空けちゃってごめん。江東店もあと一歩のところまで来てるから……あと少しの間、よろしくお願いします。」

    「で、聞いときたいんだけど、急に本社から呼び出されて……何かあった?」

    「物々しい雰囲気は感じるんですけど……何があったのかまではわかりません。すみません」

    倉庫スタッフの女性に事情を聞いたが、何も知らないようだった。
    嫌な予感がさらに強まる。

    「課長~なんかあの主任が、近いうちに帰ってくるって。わたしは課長の味方ですからね~って、行っちゃったよ……もう」


    会議室のドアを開けた瞬間の空気が、いつもと違った。
    沈黙。コピー機の音だけがカタカタと響いていた。

    役員たちが顔をそろえ、腕を組み、黙って並んで座っていた。
    社長の姿はない。

    「こちらが今回の資料です」
    経理部長から資料が配られた。

    「っ!」

    資料を手に取って読み始めた瞬間、息が止まった。

    「資金不足により、今月の給与は、半分しか支払えなくなりました。社員、アルバイト、パート全てが対象になります」

    その一言で、心の中の何かが音を立てて崩れた。

    誰も声を出さない。
    椅子の軋む音が、やけに大きく聞こえてくる。

    「資金繰りの問題で、既に事業譲渡先を探し始めています。」

    そう続ける役員の声は、まるで他人事。

    「なんなんだよ、これは」

    俺は小さく呟いた。

    人件費を削る。
    それは、会社の最後の手段。「倒産」の二文字が頭にチラつく。

    続けて「あの偉そうな役員」が言った。

    「結局さ、前と何も変わらなかったんですよ。この会社は。どいつもこいつも口ばかりで結果を“出してこない”。当然の結果でしょう。」

    何かが切れた音がした。

    「役員、ひとこといいですか」

    誰が許可をしたわけでもなく、俺は一方的に口を開いた。

    「俺はさ、あんたらが出した辞令に従って、三部門もの責任者を兼務した。これが会社の再生に繋がるなら、やるしかないと思った。本気で取り組んだよ」

    「結果、出したよな。販売センターは俺がいなくても、しっかり業務を遂行した。採用では、東京全体の人員不足を埋めた。そして――あんたが腐らせたままにした、あの江東店も立ち直りつつある。」

    「“何も変わらなかった”だ?そう言うアンタは、神田の事務所でコーヒーをすすりながらフラフラして、何をやり遂げた?
    ……人を評価する前に、自分がやり遂げた成果を聞かせてくれよ。」

    ――一瞬、江東店と販売センターみんなの顔が頭に浮かんだ。

    まさかの反撃に目を丸くする偉そうな役員。

    「俺はな、お前ら店長クラスがやれないようなことを――。」

    「具体的な成果を教えてくださいって言ってるんですよ」

    ここで総務部長に止められた。

    「お前、やりすぎだ」

    俺は言った。

    「これ、現場に伝えるのは、店長ですか?」

    「そうだ。店舗責任者として、ドライバーに説明してくれ。販売センターには俺が直接説明する」

    こいつら、現場だけに泥をかぶせる気か。

    「会社のこれだけ大きな問題を、現場だけに押しつける気ですか?俺たち店長だって、ドライバーと同じ現場で働いてる、いち従業員だ。役員も一緒に行って、会社として社員に直接説明してください。それが経営者としてのスジでしょう。」

    会議室の空気が、凍った。
    偉そうな役員が、俺を睨む。ものすごい形相だった。

    俺も……睨み返してやった。

    「俺を睨む暇があるなら、現場の空気を一度でも吸ってくださいよ。それとも、怖いんですか?あなたが腐らせた江東店が。」

    会議は、静かに終わった。
    いや、終わったというより、沈んだだけだった。

    エアコンの風が、やけに冷たかった。


    翌朝。

    江東店の朝礼に、あの役員が参加した。
    職人ドライバーとリーダーたちが並ぶ前で、俺は深呼吸して言った。

    「会社から重要な話があります」

    倉庫の空気が重く沈む。
    ラジオが止まり、誰かの咳払いが響く。

    役員が前に出た。

    「給与は、今月分の半分しか支払えません。経営は厳しく、事業の譲渡先を探しています」

    誰も動かない。
    倉庫の奥から誰かが、小さく「マジかよ」と呟いた。

    役員が、言葉を続けた。

    「皆さん、今後のことは追って連絡します。店長、これで良いですか?」

    ――これで良いですか、だ?……馬鹿なのか、こいつは。

    俺は一歩前に出た。

    「役員は経営者のひとりですよね?納得はされないでしょうが、せめて、会社として、みんなに頭を下げるべきでは?」

    倉庫が、しんとした。
    一瞬の沈黙のあと、役員が頭を下げた。

    「この会社を良くしたい。そう考えてやってきたのは本当です。
    ただ……力が及ばなかった……私たちの責任です。申し訳ない……。」

    最後の最後に、役員は本音を漏らした。
    ……が、ドライバーはなんの反応もせず、ただ、それを見つめていた。


    朝礼のあと、一人ずつドライバーと面談した。

    「どうなるんですか?会社、つぶれるんですか?」
    「給料、戻るんですか?」
    「このまま働いても大丈夫なんですか?」

    ごめん、答えなんて、俺にもわからない。

    「モデル店舗にするなんて息巻いていたのに、結局こんなことになってしまって、本当にすまない。」

    しかし、誰一人として俺を責めることはなかった。

    「店長が悪いわけじゃないですよね。店長は本当に頑張ってくれたじゃないですか」

    その言葉に、心のどこかが震えた

    「申し訳ない……」

    気づいたら、涙が落ちていた。


    その日の業務が終了した後、事務所に残り、机に積み重なっていたノートを開いた。
    そこには、初めて横乗りしたときのメモ書きがあった。

    ――会社を、現場から変えていきたい。

    そう書いてあった。

    辛い日々だったが、日ごとに良くなっていく江東店を見るのは楽しかった。

    ……二度目の倒産の危機。

    「けどな、あきらめたら終わりや。俺らみたいなんは、あきらめた瞬間に全部止まる。」

    退陣した前社長の声。
    会社の借金すべてを背負って去っていった、あの男の言葉。

    俺は、天井を見上げた。

    「また資本が変わるだけだ。そんなの、もう経験済みだろ?今の経営陣は腐ってる。……むしろ、会社が変わるなら、今がチャンスだ。」

    次の資本が見つかるかは分からない。このまま倒産する可能性の方が高いだろう。でも、今の俺には自分への嘘が必要だった。


    翌週、会社の資本が――また変わった。

    支払われなかった残り半分の給与も、全額支払われた。
    そして、誰一人、辞める者はいなかった。

    シャッターが上がる音。エンジンが一斉にかかる音。寒い風の中、コーヒーを片手に立っている職人ドライバーが言った。

    「ついに動き出しましたね、店長。」

    俺は笑った。「ええ、やっと再起動です。」

    「新しい経営陣に、この店舗を紹介せんとあかんですね。ここがモデル店舗や。」

    空に、春の匂いが混じっていた。

    俺は、もう一度だけ息を吸った。

    そうだ、現場は止まらない。――勝負はここからだ。



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