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異世界に行けなかった俺の半生。|#12 新体制という名の停滞

    これは、“新体制”になれば会社は良くなると思っていた頃の話。
    でも実際に変わったのは、肩書だけだった。


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    #1 壊れた家と、死の匂い


    その後、会社は新設子会社として再編された。

    経営陣は総入れ替え。
    創業社長は退陣し、――部長も、いなくなった。

    「新体制」
    聞こえはいいけど、実態はただの寄せ集めだった。

    知らない顔が、次々と増えていく。

    「執行役員」「監査役」「社外取締役」
    ご大層な役職を掲げて。

    どこの誰かもわからない連中が、スーツのまま現場に口を出してくる。

    はっきり言う。
    俺は、この時の体制が一番嫌いだった。


    俺は、主任から人事部課長に昇進し、販売センター長も兼務することになった。

    人事部といっても、名ばかりの部署で、部長は不在。
    実質、総務部管轄のオマケ部署だった。

    要するに――配達せずに事務所にいるんだから、販売センターを回しながら、時間を作って、人も集めろという話だ。

    課長に昇進ーーそんな響きに、心は動かなかった。

    欲しいのは肩書きじゃない。
    人を引っ張れるだけの力が、俺には必要だった。

    あの社長の右腕になれるくらいに、俺は強くならなきゃいけない。
    もうあんな、自分の無力さに打ちのめされるのは、ごめんだ。

    社長も部長も、もうここにはいない。
    頼れる上司は、誰ひとり残っていなかった。

    もう誰かの背中を追う時代は終わった。

    立つしかない。
    自分の足で。


    会議室に、スーツ姿の新顔たちが並ぶ。

    「経営再建」「効率化」
    耳ざわりのいい言葉が、空気に漂う。

    けれど――
    「現場の声」を聞こうとする人間は、ひとりもいない。

    「もう無理です、体が限界です」

    あの声は、今もここには届いていない。

    倉庫の床は、きっと今も冷たいままだ。

    ――俺がやるしかない。


    採用担当になったのは、まったくの想定外だった。
    販売センターの仕事だけでも手一杯なのに、「東京の採用は任せた」と言われた。

    販売センターについては、倒産間際の混乱があったにもかかわらず、退職者はゼロ。全員が復帰してくれていた。

    俺は常駐できそうもないので、沖縄出身の部下と、例のアルバイトの女性、倉庫スタッフの女性――この三人を中心として回すことにした。

    「えぇぇぇ、主任、じゃなかった、課長、わたし置いていなくなっちゃうんですかぁ?あ、昇進オメデトです」

    相変わらず調子がいいやつだ。
    コイツ、俺をいじめて辞めさせようとしていたくせに。

    「いなくなるわけじゃなく、兼務な。たまに顔は出すよ」

    そう答えると――

    「わたしぃ、最近SQLスクリプト書けるようになったんでぇ、直接データベース更新できちゃうんですぅ〜。さぁ褒めて、褒めていいんだぜ課長」

    ……こいつ、よく考えると、何かとんでもない技術を身につけ始めてるんじゃないか?

    ・
    ・
    ・

    「で、採用媒体にはいくら使えるんだ?」

    ……予算を見て目を疑った。
    思わず二度見した。

    雀の涙って、こういうことを言うんだな。

    総務部長に即電話。
    「この予算で、本気で採用する気あるんですか?」

    沈黙。

    そのあと、ため息まじりの声が返ってきた。
    「……見直そう。」

    数日後、予算は多少マシになった。
    でも、まだ足りない。

    過去の採用資料を見て、思わず笑ってしまった。
    ハローワーク、紙媒体、新聞折込。

    昭和かよ。

    時代はもう平成だ。

    そもそも、ドライバー志望の人間が、わざわざ新聞なんて取るか?

    ……こんなんで人来るかよ。
    今は求人だってネットだよ。ネット。
    imodeだよ、EZ-WEBだよ、J-SKYだよ。

    紙媒体は全部やめて、ネット媒体に切り替えた。
    会社のサイトを自分で更新して、採用コンテンツも作った。

    ニート時代に培った技術が、初めて生きた瞬間だった。

    携帯ひとつで応募できるようにして、とにかく“人”を集めた。

    ある日――
    突然、紙媒体の営業が飛んできた。

    「急に切らないでくださいよ!」

    ……話を聞いてみると、
    「じゃあ半額でやります」だと。

    その金額でできるなら、最初からやっとけ。
    足元見やがって。


    さて、気になる採用率だけど――
    ほぼ100%。
    免許さえあれば、80歳だって採用した。

    ただし、条件をひとつだけ付けた。

    「3か月の研修期間で、お互い納得できたら正式採用。」

    面接のたびに、会社の現状を正直に伝えた。

    「現場は今、正直、荒れています。苦しい時期かもしれません。
    それでも、力を貸してもらえませんか。」

    飾らず、誤魔化さず。嘘をつかず。
    “本音の採用”を続けた。

    そのおかげで、崩壊していた店舗が、ひとつ、またひとつと息を吹き返していった。

    「もう人はいらないです。」

    そんな言葉を聞いたのは、久しぶりだった。

    心の中で、何かがふっとほどけた。


    クレームの電話も鳴らなくなり、事務員やドライバーの表情にも、ようやく笑顔が戻りはじめた。

    この“ごっこ遊びみたいな会社”にも、ほんの少しだけ風が吹いた気がした。

    目を輝かせて面接に来た若者がいた。
    「頑張ります」と何度も頭を下げて帰っていった。

    ――その一週間後。

    電話で俺に暴言を吐いて、辞めていった。

    あの時の声は、忘れられない。

    “何があったんだろう”じゃない。

    ――“何をされたんだろう”。

    採用が悪い?違う。
    現場のどこかで、何かが壊れてる。

    ……嫌な予感がした。

    電話が切れたあとも、しばらく受話器を置けなかった。


    ――神田の事務所の雰囲気は、異様だった。

    昼間なのに、配送にも出ず、スーツ姿の“偉そうな人たち”がふらふらしている。コーヒー片手に、「現場の意識が低い」「人材の質が悪い」と言い合っている。

    蛍光灯の白さだけが、やけに明るく感じた。

    笑えてくる。

    現場にも行かず、椅子に座ったまま、全部“現場や採用のせい”にしている。

    採用のせい?直接言ってこいよ。俺に。
    木っ端微塵にしてやるから。

    でもな――

    現場は、肩書きを見ていない。見てるのは“人”だ。

    ドライバーたちは、誰が信頼できるかを一瞬で見抜く。
    そして、信用できないと判断した人間には、もう二度とついてこない。

    だから、あの人たちは現場に居場所がなくなった。

    見られてるのは、行動だ。


    新体制の経営陣は、目新しいものが好きだった。

    新しい会社のロゴ。新しい制服。
    そして、戦時中の大本営発表みたいな「社内報」。

    この時、特に力を入れていたのが「女性スタッフ」の躍進だった。

    入社した数名の女性ドライバーにスポットを当てて、やたらともてはやす。

    もともと、女性ドライバーが活躍している店舗もあった。
    そのうちの一人が、「店長」に抜擢された。

    本人は、最後まで拒んでいた。

    それでも――
    新しい社長のゴリ押しで、店長にされた。


    新人の状況報告が上がってこない店舗があった。

    江東店。

    「初の女性店長」が就任した店。
    そして、あの新人が配属された店舗でもあった。

    ……俺に電話口で暴言を吐いて、辞めていった彼だ。

    ここは、あの“偉そうな役員”が見ているはずだった。

    なのに――
    昼間から神田の事務所でフラフラしているのを見かける。
    コーヒーを飲んで、“指導してるフリ”をしている。

    ……嫌な感じがした。

    報告が途絶えているのは、ここだけだ。

    どうか、最悪の状態になっていませんように。

    そう願いながら、俺はその日の午後、江東店へ向かった。


    ドアを開けた瞬間、空気が重かった。

    ――あの、品川の倉庫を思い出した。

    積み上がった段ボールの影。
    江東店の倉庫は、昼なのに暗かった。

    俺と目が合っても、誰も何も言わない。

    ……それだけで、状況は十分理解できた。

    俺が採用したドライバーがいたので、声をかけた。

    最初は小声で、でも、一度口を開くと止まらなかった。

    「あの役員、上から言うだけで、何もしないんですよ」
    「ドライバーが休んでも、手伝いもしない」
    「人が入っても、すぐ辞めていきます」

    出るわ出るわ、愚痴の嵐。

    話を聞きながら、胃が重くなっていった。
    言葉が出ない。

    配送コースは穴だらけ。
    人が入っても、埋まる前にまた辞める。

    ――まさに、底の抜けたバケツ。

    指示は通らない。
    誰も、誰の言うことも聞かない。

    その中で、みんな疲れ切っていた。

    俺は、何も言えなかった。

    神田の事務所へ戻る電車の中。
    吊り革を握る手に、力が入った。


    社長主催の懇親会があった。
    久しぶりに“全国の幹部一同”が顔を揃える。

    グラスに溶ける氷の音。

    そこでは――
    まるで他人事みたいな軽い会話が蔓延していた。

    例の“偉そうな役員”が言った。

    「うちのドライバー、どいつもこいつも根性ないですよね。仕事の文句ばっか言って、すぐ辞めるんですよ。あの女性店長も何もできないし。」

    グラスを置く音が、やけに響いた。

    笑って流そうと思った。
    無理だった。

    握った拳が震えた。
    ……飲み込めない。

    「現場の声……ドライバーの声を聞いたことありますか?」

    役員が、ゆっくりとこっちを見た。
    “何だこいつ”って顔だ。

    「本当の声? 媒体使って採用して終わりじゃないんですよ、課長。
    現場は、生きてるんです。」

    ……ああ、出たよ、その言葉。

    ふと、あの時のことを思い出した。

    倒産間際の店舗。
    机の上に残っていた、あのメモ。

    「もう無理です。体が限界です。」

    あの震えた文字が、今も頭から離れない。

    俺は、深く息を吸った。

    「ドライバーは、会社に希望を持って入社してるんです。不安だってある。でも、信じて働こうとしてる。」

    「店長だって同じです。相談したいこともある。言いづらいこともある。」

    「その声を、もっと聞いてやってください。」

    役員が鼻で笑った。
    「偉そうに。課長は、倒産させた前の社長に可愛がられてたんでしたっけ?
    だったらよ、あんたがやってみたらどうなんだよ、課長?」

    空気が、止まった。

    「……やってやるよ。」

    言葉が、勝手に出た。

    「あとで“私が悪かった”って泣くなよ。」
    「店舗ひとつ満足に回せない、偉そうなだけのお飾り役員さん。」

    役員は耳まで、真っ赤になっていた。

    一瞬、テーブルの上の氷がカランと鳴った。
    誰も、笑わなかった。


    ……役員に対してのあの暴言、普通ならクビだろうな。
    でも、翌日も俺は、いつも通り出社していた。

    社内メールが届いた。

    件名:「【社長通達】人事異動のお知らせ」

    ……嫌な予感しかしない。

    クリックして、目を疑った。

    俺氏――
    人事部課長兼 販売センター長兼 江東店店長に就任。

    ……いや、役職多すぎだろ。

    思わず、吹き出した。

    でも――
    これは、自分で蒔いた種だ。

    逃げる気は、なかった。

    味方だった社長も、部長も、もういない。
    俺を守ってくれる人間は、誰もいない。

    ……だったら、やるしかない。

    しっかり見ててくださいよ、社長。部長。
    俺が、この会社を変えてみせます。

    現場も、部下も、会社も――

    俺が立て直す。

    ――見とけよ、クソ役員。


    それから数日後。

    江東店の店長だった女性が――
    退職した。



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