
異世界に行けなかった俺の半生。|#13 無免許の俺が、店長と呼ばれた日:①
これは、全部背負うとカッコつけた俺が見た、現場という地獄の話。
そして同時に、少しずつ現場が息を吹き返した話だ。
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#1 壊れた家と、死の匂い
「……やってやるよ。」
懇親会であの役員に投げつけた、自分の言葉が脳裏に浮かんだ。これで失敗なんてした日には、この会社に俺の居場所はない。
「負けてたまるか」
俺は江東店へ向かった。
早朝の通勤電車。
自分の今の状況を考えていると、腕に少しだけ力が入った。
販売センター、人事、そして配送店。三足の草鞋。
……誰がどう見ても無理ゲーだ。
三つ同時に回せる奴がいるなら会ってみたい。
っていうか、そいつにやらせろ。
「三倍の仕事量なら、給料三倍は欲しいよな、実際。」
ひとりで笑いながら、窓の外を眺めた。
時間はまだ6時を少し過ぎたくらい。
朝の光が、ガラスに滲んでいた。
「販売センター」の部下たちは、もう自立してるといっていいだろう。
電話一本で指示を飛ばしても――いや、俺がいなくても、滞りなく業務を回せる。
みんな本当に、頼もしくなった。
……でも。
俺が要らないとかは、言わないでほしい。
それは、ちょっと傷つく。
錆びたシャッターを上げた。
「ガラガラガラガラッ」
駐車場に入った瞬間、足が止まった。
壊れたまま放置された、埃だらけの配送車。
油と砂埃の混ざったにおい。
割れた蛍光灯がぶら下がり、倉庫は沈黙していた。
中に入ると、すでに出勤していた四人の女性ドライバーが、睨みつけるようにこちらを見ていた。
無言。
……視線だけで、十分だった。
俺の配属と同時に退職した、女性店長の顔が一瞬よぎる。
背筋がこわばった。
……逃げねえ。
絶対に。
俺の目標は、この店を“全国のモデル店舗”として蘇らせること。
数字だけじゃない。
働きやすく、自発的に動けて、
小さな会社みたいに黒字で回る店にする。
そのために俺はここに来たんだ。
続々と出勤してきたドライバーが、ちらちらと俺の方を見る。
しかし、誰も話しかけてはこなかった。
今の彼らにとっての俺は、ただの「本社から来た、見知らぬ偉そうなやつ」。
ゼロベースのスタートだ。いや、マイナスかもしれない。
――これから、俺の一挙手一投足が、彼らによって評価されていくことになる。
始業時間になり、朝礼を始めた。
「おはようございます。
今日からこの店の店長として配属されました。」
挨拶は、誰も返してこなかった。
「時間もないと思うので、今日は挨拶だけにします。
みなさんがこれまで大変な思いをしてきたのは知っています。私はそれを改善するために、ここに来ました。
目標は――この店を、全国一のモデル店舗にすることです。」
一瞬の静寂。
その直後、どこからか失笑が漏れた。
「早速、綺麗事かよ」
「ここがモデル店? ははっ。」
「本社で椅子に座りながら、夢でも見てたんじゃねぇの?」
ざわつきが広がる。
俺は笑ってごまかすように言った。
「まあ、皆さんがそう思うのも無理ないですよね。」
――そして、ひとつ、伝えておかないといけないことがあった。
「それと…私は免許を持っていません。なので、配送はできません。」
空気が、完全に止まった。
どこかで咳払いが一つ。
「免許がないのに、配送店に何しに来たんだよ。」
「あの役員と一緒じゃん。偉そうなだけで何もできねぇ。」
……こらこら全部、聞こえてるぞ。
それでも、言い返さなかった。
「それではみなさん、よろしくお願いします。」
誰も返事を返さないまま、朝礼は終わった。
マズイ。
初日から、みんなに嫌われた。誰か助けて。
朝礼が終わったあとも、誰も俺に話しかけてこなかった。笑顔どころか、視線さえ合わせてこない。こいつは期待値ゼロと判断されたらしい。
35歳、車の免許なし。肩書だけ店長。
もしかすると、あの役員より使えないやつ扱いかもしれない。
そんな重たい空気の中、FAXの音が鳴った。
「ピー……ガガッ」
「ピーーー」一枚の紙がゆっくりと出てくる。
『辞めます。 田中』
……たった一言。
FAX退職。
すげえな。こんな画期的な辞め方、初めて見た。これは機能美だね。無駄がない。
「ちっ……またかよ。店長、どうします? ひとつコース、空きましたけど。歩いて台車で配送します?」
後ろから笑い声。
……クソ、好きに言え。でも、やるしかない。
「辞めた人のコースの内訳を教えてください。それと伝票組み、荷物は仕分けておいてください。配送は――なんとかします。」
そう言ってポケットから携帯電話を取りだし、販売センターにいる、沖縄出身の部下に連絡。
「悪い、ドライバーが抜けて、コースに穴が空いた。お前、今日運転手な。」
「えっ!? わんがやいびーんか!?」
「そう。俺、免許ないから運転してくれ。」
「アルバイトの彼女が、大型二種と牽引免許持ってるって言ってますが」
「……お前がこい」
こんなこともあろうかと、10tトラックの運転経験がある部下を採用したのは、正解だった。
こうして無免許店長と事務職二人組の、愉快な配送が始まった。
まず、お金がない会社のトラックにはナビがない。
その上、俺と部下は地図が読めない。土地勘もないし納品先も知らない。
トラックを停める場所すらわからないまま、慢性渋滞の幹線を走り、そのまま巻き込まれていた。
部下の運転が上手いことだけが、唯一の救いだった。
「ちっ生意気な。」
部下の頭を、軽くはたく。
「いてっ。なんすか。やめてくださいよ」
「料理ならな、お前なんかに負けねえんだよ」
意味のわからない対抗心を燃やした。
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「課長、ここ右ですか?」
「いや、しらね。左じゃね?……たぶん。」
「たぶんて!地図見てくださいよ!」
もう笑うしかない。
汗だくで、伝票はぐしゃぐしゃ。
車内の空気は、必死すぎて混沌としていたが、途中途中で、笑いがこぼれた。
「この感じ、文化祭の準備みたいですね。」
「俺ら、やってること、どう見てもプロっぽくねぇよな。」
「そんな人が、店長って。」
……パシッ!
そんな会話で、なんとか気持ちを保った。
ようやく荷物を配り終えて倉庫に戻ると、ドライバーの一人が言った。
「店長、遅いよ。路線便、ずっと待ってんだけど?」
怒られて、頭を下げた。
配属初日から、ひどい目に遭った。
……シュン。
家に帰り、玄関を開けるとリビングから物音がした。
……父だ。何年ぶりだろう、平日のこの時間に顔を合わせるのは。
「おかえり。珍しいな、この時間に」
先に声をかけられたのは、こっちの方だった。
「どうだ、仕事はうまくいってるのか」
何気ない一言だったが、渡りに船だと思った。
父ならこの手の話、何か知っているかもしれない。仕事一筋でここまでやってきた男だからな。
「実はさ……車の免許も持ってないのに、配送店の店長になっちゃってさ」
言ってから、自分でも間抜けな話だと思った。
「誰も俺の言うことなんて、聞く気なさそうなんだよね」
父は箸を止め、こっちを見た。笑いをこらえているような、それでいてどこか真剣な目だった。
「ひとつ聞くぞ」
一拍置いて、父が言った。
「包丁も握れない奴が、ある日突然板長になったとする。お前、その下で働けるか」
包丁を握れない板長?それはだめだろう。
「無理だろ、それは。誰も認めないよ」
食い気味に答えると、父は小さくうなずいた。
「だよな。——じゃあ、その板長がお前の仕事ぶりを毎日見てて、話もちゃんと聞いてくれて、お前を頼りながら店を良くしようと本気で動いてたら?」
返す言葉に詰まった。
腕はなくても、そこまでされたら――俺は認めてしまうかもしれない。
父はそれ以上何も言わず、味噌汁をすすった。
「結局な」
どんぶりを置いて、父が言った。
「本気でやってる奴には、誰も文句言えねえんだよ」
現場の空気は、変わらず重かった。
配送ができないので、強く出ることもできない。しかし、黙ってここにいるだけじゃ何も変わらない。
そこで俺は、ドライバーの「本音」を聞くことにした。
俺が実行したのは、順番に、ドライバーの助手席に乗っていく。いわゆる「横乗り」ってやつだ。
一人ずつ。
朝から晩まで三ヶ月。
総勢三十名――。
ハンドルを握る彼らの横顔を見ながら、話を聞いた。俺の意見は言わず、ただ話を聞いた。
車のような空間は、そういった「生の声」が聞きやすい。
ドライバーが今、何を思っているのか。そんな本音を聞くには、うってつけの場所だった。
「なんか、お前らは配達だけしとけって、会社に言われてるみたいで。」
「一人が担当するエリアが、広すぎなんですよ。」
「新人が入ってもすぐ辞めるし。教えるだけ無駄なんですよね。」
「……俺は別に。俺のことは、今のまま放っておいてくれ。」
どの車にも、不満が積まれていた。
でも、誰も間違ったことは言っていなかった。
メモを取りながら、俺は気づいた。
……誰も、ちゃんと話を聞いてこなかったんだな。
「その声を、もっと聞いてやってください。」
役員に言い放った自分の言葉が、自分自身に突き刺さった。
俺の存在に慣れてきた江東店では、少しずつ、笑いが混ざるようになった。
横乗りして会話したおかげ、というもあるんだろう。
「店長、横乗りして、俺らの話聞いてるだけで大丈夫なんすか?」
「うるさいよ。話を聞くのが俺の仕事なんだよ。毒吐いて、少しは楽になったろ?お前らだって。たまには俺の毒も聞いてくれよ。なあ。」
「嫌ですよ。ドス黒そうだし、内容を想像するだけで怖いです。」
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「お疲れ様でしたー」
ドライバーが帰った後も、事務所に残ってPCのモニターを眺める。解決しなくてはならない課題は、山ほどあった。
人員不足。
ドライバーの負担過大。
営業意識ゼロ。
横のつながりの欠如。
そこからつながる、積もった会社への不満。
全体的に陰側に引っ張られているーー。
個別で見ると、中には、カスタマーセンターからの指示に対して怒鳴り散らし、その指示を完全に無視するドライバーもいた。
特に一名。コンプライアンス的な問題がある奴。正直、こいつの横には、もう二度と乗りたくない。辞めてもらうべき人間というのもいる。
江東店の病巣は、思ったよりも深刻だった。
これは、俺が上から命令しても、きっと変わらない。
だったら――
現場側から変えるしかない。
ボトムアップだ。
リーダーを置こう。
各エリアに一人ずつ。
次の週の夜。
路線便への積み込みが終わったあと、適性がありそうな五人のドライバーに声をかけた。
元々、担当エリアでリーダーシップをとっていたので、きっと大丈夫だろう。問題は引き受けてくれるかどうかだ。
「皆さんには、明日から担当エリアのリーダーになってもらいます。
会社の正式な役職じゃないけど――でも、絶対に損はさせないから。自分が働く職場を良くするためと思って、頼むよ。俺を助けて。」
「……え、正式じゃないって、手当は?」
「出ない。でも俺が毎週コーヒー奢るよ。」
「マジかよ。」
それでも、彼らは笑った。
「わかりました。やりますよ。店長、マジでこの店変える気なんだな。」
「おう。俺は、やるときはやる男だ。免許ないけどな。」
「俺、何も言ってないじゃないですか!」
倉庫の片隅で、初めて「前向きな声」が生まれた。
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#12 新体制という名の停滞