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異世界に行けなかった俺の半生。|#13 無免許の俺が、店長と呼ばれた日:①

    これは、全部背負うとカッコつけた俺が見た、現場という地獄の話。
    そして同時に、少しずつ現場が息を吹き返した話だ。


    ▶ 初めての方はこちら
    #1 壊れた家と、死の匂い


    「……やってやるよ。」

    懇親会であの役員に投げつけた、自分の言葉が脳裏に浮かんだ。これで失敗なんてした日には、この会社に俺の居場所はない。

    「負けてたまるか」

    俺は江東店へ向かった。


    早朝の通勤電車。

    自分の今の状況を考えていると、腕に少しだけ力が入った。

    販売センター、人事、そして配送店。三足の草鞋。

    ……誰がどう見ても無理ゲーだ。

    三つ同時に回せる奴がいるなら会ってみたい。
    っていうか、そいつにやらせろ。

    「三倍の仕事量なら、給料三倍は欲しいよな、実際。」

    ひとりで笑いながら、窓の外を眺めた。

    時間はまだ6時を少し過ぎたくらい。
    朝の光が、ガラスに滲んでいた。

    「販売センター」の部下たちは、もう自立してるといっていいだろう。
    電話一本で指示を飛ばしても――いや、俺がいなくても、滞りなく業務を回せる。

    みんな本当に、頼もしくなった。

    ……でも。
    俺が要らないとかは、言わないでほしい。
    それは、ちょっと傷つく。


    錆びたシャッターを上げた。

    「ガラガラガラガラッ」

    駐車場に入った瞬間、足が止まった。

    壊れたまま放置された、埃だらけの配送車。
    油と砂埃の混ざったにおい。

    割れた蛍光灯がぶら下がり、倉庫は沈黙していた。

    中に入ると、すでに出勤していた四人の女性ドライバーが、睨みつけるようにこちらを見ていた。

    無言。

    ……視線だけで、十分だった。

    俺の配属と同時に退職した、女性店長の顔が一瞬よぎる。

    背筋がこわばった。

    ……逃げねえ。

    絶対に。

    俺の目標は、この店を“全国のモデル店舗”として蘇らせること。

    数字だけじゃない。

    働きやすく、自発的に動けて、
    小さな会社みたいに黒字で回る店にする。

    そのために俺はここに来たんだ。


    続々と出勤してきたドライバーが、ちらちらと俺の方を見る。
    しかし、誰も話しかけてはこなかった。

    今の彼らにとっての俺は、ただの「本社から来た、見知らぬ偉そうなやつ」。

    ゼロベースのスタートだ。いや、マイナスかもしれない。

     ――これから、俺の一挙手一投足が、彼らによって評価されていくことになる。


    始業時間になり、朝礼を始めた。

    「おはようございます。
    今日からこの店の店長として配属されました。」

    挨拶は、誰も返してこなかった。

    「時間もないと思うので、今日は挨拶だけにします。
    みなさんがこれまで大変な思いをしてきたのは知っています。私はそれを改善するために、ここに来ました。
    目標は――この店を、全国一のモデル店舗にすることです。」

    一瞬の静寂。

    その直後、どこからか失笑が漏れた。

    「早速、綺麗事かよ」
    「ここがモデル店? ははっ。」
    「本社で椅子に座りながら、夢でも見てたんじゃねぇの?」

    ざわつきが広がる。

    俺は笑ってごまかすように言った。
    「まあ、皆さんがそう思うのも無理ないですよね。」

    ――そして、ひとつ、伝えておかないといけないことがあった。

    「それと…私は免許を持っていません。なので、配送はできません。」

    空気が、完全に止まった。

    どこかで咳払いが一つ。

    「免許がないのに、配送店に何しに来たんだよ。」

    「あの役員と一緒じゃん。偉そうなだけで何もできねぇ。」

    ……こらこら全部、聞こえてるぞ。

    それでも、言い返さなかった。

    「それではみなさん、よろしくお願いします。」

    誰も返事を返さないまま、朝礼は終わった。


    マズイ。
    初日から、みんなに嫌われた。誰か助けて。

    朝礼が終わったあとも、誰も俺に話しかけてこなかった。笑顔どころか、視線さえ合わせてこない。こいつは期待値ゼロと判断されたらしい。

    35歳、車の免許なし。肩書だけ店長。
    もしかすると、あの役員より使えないやつ扱いかもしれない。

    そんな重たい空気の中、FAXの音が鳴った。

    「ピー……ガガッ」
    「ピーーー」一枚の紙がゆっくりと出てくる。

    『辞めます。 田中』

    ……たった一言。

    FAX退職。

    すげえな。こんな画期的な辞め方、初めて見た。これは機能美だね。無駄がない。

    「ちっ……またかよ。店長、どうします? ひとつコース、空きましたけど。歩いて台車で配送します?」

    後ろから笑い声。

    ……クソ、好きに言え。でも、やるしかない。

    「辞めた人のコースの内訳を教えてください。それと伝票組み、荷物は仕分けておいてください。配送は――なんとかします。」

    そう言ってポケットから携帯電話を取りだし、販売センターにいる、沖縄出身の部下に連絡。

    「悪い、ドライバーが抜けて、コースに穴が空いた。お前、今日運転手な。」

    「えっ!? わんがやいびーんか!?」

    「そう。俺、免許ないから運転してくれ。」

    「アルバイトの彼女が、大型二種と牽引免許持ってるって言ってますが」

    「……お前がこい」

    こんなこともあろうかと、10tトラックの運転経験がある部下を採用したのは、正解だった。

    こうして無免許店長と事務職二人組の、愉快な配送が始まった。


    まず、お金がない会社のトラックにはナビがない。
    その上、俺と部下は地図が読めない。土地勘もないし納品先も知らない。

    トラックを停める場所すらわからないまま、慢性渋滞の幹線を走り、そのまま巻き込まれていた。

    部下の運転が上手いことだけが、唯一の救いだった。

    「ちっ生意気な。」
    部下の頭を、軽くはたく。

    「いてっ。なんすか。やめてくださいよ」

    「料理ならな、お前なんかに負けねえんだよ」
    意味のわからない対抗心を燃やした。

    ・
    ・
    ・

     「課長、ここ右ですか?」

    「いや、しらね。左じゃね?……たぶん。」

    「たぶんて!地図見てくださいよ!」

     もう笑うしかない。

    汗だくで、伝票はぐしゃぐしゃ。
    車内の空気は、必死すぎて混沌としていたが、途中途中で、笑いがこぼれた。

    「この感じ、文化祭の準備みたいですね。」

    「俺ら、やってること、どう見てもプロっぽくねぇよな。」

    「そんな人が、店長って。」

    ……パシッ!

    そんな会話で、なんとか気持ちを保った。

     ようやく荷物を配り終えて倉庫に戻ると、ドライバーの一人が言った。

    「店長、遅いよ。路線便、ずっと待ってんだけど?」

    怒られて、頭を下げた。
    配属初日から、ひどい目に遭った。

     ……シュン。


    家に帰り、玄関を開けるとリビングから物音がした。
    ……父だ。何年ぶりだろう、平日のこの時間に顔を合わせるのは。

    「おかえり。珍しいな、この時間に」

    先に声をかけられたのは、こっちの方だった。

    「どうだ、仕事はうまくいってるのか」

    何気ない一言だったが、渡りに船だと思った。
    父ならこの手の話、何か知っているかもしれない。仕事一筋でここまでやってきた男だからな。

    「実はさ……車の免許も持ってないのに、配送店の店長になっちゃってさ」

    言ってから、自分でも間抜けな話だと思った。

    「誰も俺の言うことなんて、聞く気なさそうなんだよね」

    父は箸を止め、こっちを見た。笑いをこらえているような、それでいてどこか真剣な目だった。

    「ひとつ聞くぞ」
    一拍置いて、父が言った。

    「包丁も握れない奴が、ある日突然板長になったとする。お前、その下で働けるか」

    包丁を握れない板長?それはだめだろう。
    「無理だろ、それは。誰も認めないよ」

    食い気味に答えると、父は小さくうなずいた。
    「だよな。——じゃあ、その板長がお前の仕事ぶりを毎日見てて、話もちゃんと聞いてくれて、お前を頼りながら店を良くしようと本気で動いてたら?」

    返す言葉に詰まった。
    腕はなくても、そこまでされたら――俺は認めてしまうかもしれない。

    父はそれ以上何も言わず、味噌汁をすすった。

    「結局な」
    どんぶりを置いて、父が言った。

    「本気でやってる奴には、誰も文句言えねえんだよ」


    現場の空気は、変わらず重かった。

    配送ができないので、強く出ることもできない。しかし、黙ってここにいるだけじゃ何も変わらない。

    そこで俺は、ドライバーの「本音」を聞くことにした。

    俺が実行したのは、順番に、ドライバーの助手席に乗っていく。いわゆる「横乗り」ってやつだ。

    一人ずつ。
    朝から晩まで三ヶ月。
    総勢三十名――。

    ハンドルを握る彼らの横顔を見ながら、話を聞いた。俺の意見は言わず、ただ話を聞いた。

    車のような空間は、そういった「生の声」が聞きやすい。
    ドライバーが今、何を思っているのか。そんな本音を聞くには、うってつけの場所だった。

    「なんか、お前らは配達だけしとけって、会社に言われてるみたいで。」
    「一人が担当するエリアが、広すぎなんですよ。」
    「新人が入ってもすぐ辞めるし。教えるだけ無駄なんですよね。」

     「……俺は別に。俺のことは、今のまま放っておいてくれ。」

    どの車にも、不満が積まれていた。
    でも、誰も間違ったことは言っていなかった。

    メモを取りながら、俺は気づいた。
    ……誰も、ちゃんと話を聞いてこなかったんだな。

    「その声を、もっと聞いてやってください。」

    役員に言い放った自分の言葉が、自分自身に突き刺さった。


    俺の存在に慣れてきた江東店では、少しずつ、笑いが混ざるようになった。
    横乗りして会話したおかげ、というもあるんだろう。

    「店長、横乗りして、俺らの話聞いてるだけで大丈夫なんすか?」

    「うるさいよ。話を聞くのが俺の仕事なんだよ。毒吐いて、少しは楽になったろ?お前らだって。たまには俺の毒も聞いてくれよ。なあ。」

    「嫌ですよ。ドス黒そうだし、内容を想像するだけで怖いです。」

    ・
    ・
    ・

    「お疲れ様でしたー」

    ドライバーが帰った後も、事務所に残ってPCのモニターを眺める。解決しなくてはならない課題は、山ほどあった。

    人員不足。
    ドライバーの負担過大。
    営業意識ゼロ。
    横のつながりの欠如。

    そこからつながる、積もった会社への不満。
    全体的に陰側に引っ張られているーー。

    個別で見ると、中には、カスタマーセンターからの指示に対して怒鳴り散らし、その指示を完全に無視するドライバーもいた。

    特に一名。コンプライアンス的な問題がある奴。正直、こいつの横には、もう二度と乗りたくない。辞めてもらうべき人間というのもいる。

    江東店の病巣は、思ったよりも深刻だった。
    これは、俺が上から命令しても、きっと変わらない。

    だったら――
    現場側から変えるしかない。
    ボトムアップだ。

    リーダーを置こう。
    各エリアに一人ずつ。


    次の週の夜。

    路線便への積み込みが終わったあと、適性がありそうな五人のドライバーに声をかけた。

    元々、担当エリアでリーダーシップをとっていたので、きっと大丈夫だろう。問題は引き受けてくれるかどうかだ。

    「皆さんには、明日から担当エリアのリーダーになってもらいます。
    会社の正式な役職じゃないけど――でも、絶対に損はさせないから。自分が働く職場を良くするためと思って、頼むよ。俺を助けて。」

    「……え、正式じゃないって、手当は?」

    「出ない。でも俺が毎週コーヒー奢るよ。」

    「マジかよ。」

    それでも、彼らは笑った。

    「わかりました。やりますよ。店長、マジでこの店変える気なんだな。」

    「おう。俺は、やるときはやる男だ。免許ないけどな。」

    「俺、何も言ってないじゃないですか!」

    倉庫の片隅で、初めて「前向きな声」が生まれた。



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    #12 新体制という名の停滞


     
     
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