
異世界に行けなかった俺の半生。|#14 無免許の俺が、店長と呼ばれた日:②
これは、全部背負うとカッコつけた俺が見た、現場という地獄の話。
そして同時に、空回りしながらも前に進んだ話だ。
▶ 初めての方はこちら
#1 壊れた家と、死の匂い
江東店には、二人の“クセ者”がいた。
二人とも口が悪く、態度もでかい。客先からのクレームも多く、カスタマーセンターには逆ギレ。
それでも、配送業務だけは速い。
配送だけはできる。しかし――。
一人は、寡黙な男。
関西弁の中に、標準語の響き。東京に長く住んでいることが分かる。
無口で、淡々として、何を考えているのか、掴みどころが分からない。そんな50代の男だった。
荷物を積みこむ手つきを見て、息が止まった。
無駄がない。まるで、料理を皿の上に盛りつけるみたいな動き。
そんな彼の車に横乗りした帰り道、ぽつりと言った。
「店長、あんた料理やっとったんやろ」
背もたれに体を預けたまま、続けた。
「段取り八分ってあるやろ。あれ、配送も一緒やで。配送の順番ひとつ狂ったら、そこまでや」
遠くを見るような声。
その言葉で、昔働いていた、板場の匂いがふっと脳裏に蘇った。
仕込みの順番、火入れのタイミング、皿を出す流れ。すべてがひとつにつながっている。
この段取りが崩れると、料理の流れが止まる。会席の順番が狂う。
「なるほど」
彼の言葉が、胸に残った。
あの頃、オヤッサンに叩き込まれた「段取り」が、今、配送の現場にまでつながった。
その後も会話はほとんどなかったが、時折、彼が呟いた。
「日本の道は左側通行やろ。せやから、左に配送先を置いてルートを決めるんや。できるだけ右折はしない。左折、左折、左折や。
右側に配送先があると、車を止めてから距離が出来る。
それが時間の無駄や」
何気ない言葉なのに、俺の中で、尊敬の念が湧いた。
“この人は、プロ、職人だ”と感じた。
もう一人は、真逆のタイプだった。
ニヤニヤと、人を小ばかにしたような顔で俺を見る。
「免許取って、ドライバーからやり直したらいいんじゃねえの?」
「配送もできないのに、偉そうにしてても、誰もついてこねぇよ」
少し間を置いてから、
「みんなそう言ってる」と。
口の端を歪めて笑う。一言一言がトゲの塊。声が大きく、力で押し切るタイプ。
ただ、経験が長いだけで、技術を突き詰めた感じはない。
でも本人だけは、職人ドライバーと同格だと思っているのが痛い。
……裸の王様、か。
彼に対して言ったのか、自分に対して言ったのか。
そして、彼は俺のことを完全にナメていた。
配送の経験もない若造が、自分の上に立ったのが気に入らない。
「こいつが居座ると、自分の好きにできなくなる」――そんな気配もある。
店舗の改革。
これをデメリットと感じる存在もあるんだな、と初めて気づいた。
ただ――あの寡黙な職人ドライバーの前では、一段トーンが落ちる。
彼と話すときは、目を合わせられない。
……きっと自分との差は、分かっているんだろう。
俺は、明らかに嫌がる職人ドライバーと距離を詰め、無理やり一緒に作業していた。
周りからは、俺が弟子入りしたように見えていたと思う。
伝票組みは俺がやり、荷物を積んで、助手席に乗り込む。
「また俺の車か。勘弁してくれ」
「今回の伝票組みは、完璧ですよ」
「んな簡単なもんちゃうやろ。」
道中、自分がこの店をどう変えたいのか、俺の夢を一方的に語った。
ふと隣を見ると、職人ドライバーが小さくうなずいた。
「リーダー制度か。店長、あんたこの会社の立て直しなんて、本当にやれると思っとんのか」
「当然。俺、口だけの上司は嫌いなんですよ。たとえば、偉そうなだけの役員とかね」
「夢はな、夢のままで終わらせた方がいい時もあるんやで」
彼はハンドルを握りながら、そう言って少し笑った。
その笑いが、車内に静かに残った。
江東店の歯車は小さく回り始めていた。
各エリアのリーダーたちは、それぞれの持ち場で声をかけ合い、問題が起きれば俺に相談してくる。
持ち込まれた問題を、一つずつ潰していく。
ようやく、店らしくなってきた。
……そう感じた矢先――。
机の上に、A4サイズの分厚い封筒が置かれていた。
中に入っていたのは、カスタマーセンター長と事業本部長からの「クレーム報告書」だった。
一件、二件……いや、五件。
「解決せよ」
最後にそう書かれていた。
これ全部、放置されていた損害賠償レベルのやつだ。
「……マジかよ。胃がいてえ。」
その日から、また地獄のような日々が始まった。
取引先を回り、必死で頭を下げ続けた。
怒鳴られるのは当たり前。時には、襟首を掴まれて殴られそうにもなった。
俺を辞める直前までイジメぬいた、販売センターの女性主任より怖い女性に出会った。
女性が本気で怒ったらこうなる。というシチュエーションを、身を持って体験した。
俺は、逃げなかった。
逃げたら、「あの」社長と部長の期待を裏切る気がしたからだ。
「またあんたか」
そう言われようと、何度も足を運んで謝罪を繰り返し、損害が出ている案件は、会社として誠実に補償した。
やり直すために、謝って、詫びて、また謝った。
時には、土下座もした。
今の時代に土下座とか、と思うかもしれないが――
その効果といったら凄まじい。
問題が解決できるなら、俺ができる事はなんだってやる。
そんな俺の勢いが勝った。
ヘビークレーム四件は、なんとか解決。
しかし、最後の一件だけは、どうにもならなかった。
この件は、そのまま会社間の訴訟問題にまで発展した。
ここまでこじれてしまうと、もう店長レベルで抱えられる話じゃない。
本社に引き継ぎ、弁護士対応案件となった。
俺にやれることは全部やった。
――これが、全身全霊ってやつなんだろうな。
……そう思った矢先。
「来週から復帰しますので、よろしくお願いします」
社内メールに、その一文があった。
……ああ。
あの人、戻ってくるのか。
かつて、俺を潰しかけた人間が。
江東店の店長に就任してから半年が過ぎた。
割れた蛍光灯がぶら下がり、埃まみれのトラックが放置されていた店が、ようやく「普通の店」に戻りつつある。
朝の倉庫にはコーヒーの香り。
誰かが持ってきたスピーカーから、微かにラジオが流れている。出発前の点呼には、笑い声が混じる。
倉庫の床は、光が反射するほどピカピカに輝いていた。
当初は、俺が毎朝モップを握って磨いていたが、今は当番を決め、ドライバーがやっている。
「この店、ちょっと変わったよね」
そんな声が聞こえると、少しだけ心が熱を持った。
──でも。
変わったのは店の器、外側だけだ。中身は……まだ何もできていない。
「改善」と呼ぶにはまだ程遠く、マイナスだったものが、ゼロになっただけ。
このままでは、いつ元に戻ってもおかしくはない。
……そう思うと、危機感が募った。