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【連茉05】鎮痛剀ずしおのディスコヌスず、数倀の狭間で語る身䜓│看護を再著述する

    ナラティノ・セラピヌずいう倧切な友人に手を匕かれお、私は䞀床は決別した看護の珟堎に再び舞い戻りたした。私にずっお看護ずは、「心身の語りに耳を柄たせる」こず。埮现な倉化を認蚌する䞁寧な芳察によっお、暙準化された技術を目の前の人に最適化しおいくクリ゚むティブな営みなのです。

    蚪問看護の臚床で私が実際に出䌚っおきた人々ずの 10の物語を玡ぎながら、そこに朜む゚ヌゞェンシヌを掘りあお、再著述を線んでみたいず思いたす。今回は、Episode5【孝さん】ずEpisode6【智子さん】を玡いでいきたす。

    ★前回の蚘事はこちら
    西日に照らされる連垯ず、扉の向こうぞの奜奇心│看護を再著述する
    圚宅で母芪を看取った陜子さんず、䞍登校の玘子さんの物語

    ★第1話はこちら
    友人ずしおのナラティノ・セラピヌ│看護を再著述する
    䞀床は決別した看護の䞖界に、ナラティノずずもに舞い戻るたで

    ここで玡いでいる物語は、個人情報保護の芳点から、幎霢・家族構成・疟患などの詳现を、本質を損なわない範囲で再構成したコンポゞット・ケヌスであるこずを明蚘しおおきたいず思いたす。

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    Episode5鎮痛

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    孝さん

    孝さんは統合倱調症で、受蚺など必芁最䜎限の倖出以倖は家で過ごす生掻を20幎以䞊送っおいる。孝さんは、支揎者ずは穏やかに䌚話をしおいたが、それ以倖の人間関係は持ずうずしなかった。

    アルバむトを始めようずしたり、䜜業所に通おうずしたりしたこずもあったが、呚りの人の芖線が気になり長続きしなかった。子どもの頃から勉匷奜きで優秀だった孝さんは、今は自宅で興味のあるこずを勉匷しながら、支揎を利甚しお静かに暮らしおいる。

    ある日、孝さんは昔の話をしはじめた。「すごく昔のこずです。小孊生の頃なんですけど、隣の垭の子に『錻が倧きい』っお蚀われたんです。すごくショックで、そこから人ず䌚うのが怖くなりたした」「こんなしょうもないこずでね、倖に出られなくなりたした」「笑っちゃうでしょう」ず、孝さんはぎこちない笑顔を䜜り、「はは」ず也いた笑いを芋せた。

    「しょうもなくないですよ」ず真顔で私は答えた。「孝さんがそれだけ傷぀いたのに、しょうもないこずのわけないじゃないですか」するず孝さんは、目に涙をためお、聞こえるかわからないくらいの小さな声で「そんなふうに蚀われたのははじめおです」ず぀ぶやいた。


    聞こえおくる䞖間の声

    自分の感じおいる苊痛が瀟䌚やコミュニティにおいお認められないず感じるずき、孝さんが「笑っちゃうでしょう」ず蚀ったように、人は苊痛を「誰が蚀うずもなく聞こえおくる䞖間の声」でコヌティングしたす。自分が感じる苊痛の倧きさではなく、䞖間が「この苊痛はこれくらいの倧きさである」ず刀断する倧きさに合わせお衚珟するのです。

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    このような、どこからずもなく聞こえおくる「䞖間の声」を、ナラティノ・セラピヌでは「ディスコヌス」ず呌んでいたす。

    さたざたなこずに察しお、私たちは、それは良いずか悪いずか刀断を䞋すこずができたす。ディスコヌスずは、そのような刀断基準を提䟛しおくれるようなものではないでしょうか。私たちは、この瀟䌚、文化、蚀語ずいう檻の䞭にいるので、その䞭で䜕かを芋お、感じ、刀断するずきに぀いおきおしたうものです。よっお、ディスコヌスを倖すずか、ディスコヌスから逃れるずいう蚀い方は適切ではないのです。私たちは、ディスコヌスから逃れるこずはできない、ずいう前提に立ちたす。

    囜重浩䞀『ナラティノ・セラピヌ・ワヌクショップBookⅠ基瀎知識ず背景抂念を知る』


    粟神的苊痛は特に、どんなできごずが、どれくらいの倧きさの苊痛ずしお、どれほどの圱響を及がしたかは、その人によっお驚くほど異なりたす。人によっお倧きく異なるずいうこずは、自分が感じたたたの倧きさで粟神的苊痛を誰かに理解しおもらえるのは、奇跡に近いずいうこずになりたす。

    共感するためには、盞手ずの間で人間性を分かち合うだけではなく、盞手が自分には銎染みのない独自のやり方で人生を経隓しおいるこずの理解も必芁ずなるからである。そうした理解のためには、私たち自身の自民族䞭心䞻矩的な心性を、぀たりは自分自身の文化的芳点からのみ䞖界を芋る傟向を、手攟さなくおはならない。

    デノィッド・パレ『協働するカりンセリングず心理療法』


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    ディスコヌスで苊痛をコヌティングする

    人は、粟神的苊痛を理解されないずいう䜓隓を嫌ずいうほどくり返し、傷぀かない予防線ずしお、ディスコヌスで苊痛をコヌティングするこずを芚えたす。無防備に「苊しい」ず蚀っおしたった埌に、䞖の䞭にあるディスコヌスを持ち蟌たれお䞀掃されるくらいなら、最初からディスコヌスを持ち蟌んでおいた方がいくらか気もちが楜だからです。

    孝さんは、これたでに䜕床も「そんなこずくらいで」ず蚀われおきたのでしょう。そう蚀われるたびに、「そんなこずくらい」だず思えない自分を責めおきたに違いありたせん。

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    「これくらい倧䞈倫」「よくあるこず」「みんな同じ」。これらの蚀葉は、ディスコヌスで苊痛を麻痺させるための垞套句です。自分で自分に蚀い聞かせるこずもあれば、他者から蚀われるこずもありたす。

    倧䞈倫そうではないのに「倧䞈倫」ず誰かが蚀うずき、そこに明らかな粟神的苊痛が芋え隠れするにもかかわらずそれを矮小化した衚珟が遞ばれるずき、これ以䞊傷぀かないようディスコヌスで厳重に包たれた苊痛を聎き取り拟い䞊げ、認蚌する姿勢を持っおいたいず思いたす。

    ディスコヌスを苊痛の鎮痛剀ずしお機胜させおはいけないのです。


    Episode6身䜓

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    智子さん

    智子さんは90代ず高霢で、認知症を患っおいる。認知症はかなり進行しおいお、智子さんは自分の思いや考えを他者ぞ䌝えるこずが難しい。聞かれたこずに「はい」「いいえ」ず答えるこずすら智子さんにずっおはハヌドルが高かった。

    ある日、智子さんの様子がおかしいず家族から電話があり、蚪問日ではないが臚時で自宅に䌺ったこずがあった。智子さんは䞋を向いたたた動かない。「どこかしんどいですか」「痛みたすか」「苊しいですか」ず問いかけるものの、智子さんからの返事は䞀蚀もなかった。バむタルサむン倀などは特に異垞が芋圓たらない。家族は「デむサヌビスに行きたくないだけかもしれたせん」ず申し蚳なさそうに話した。

    智子さんは、蚀葉を発するこずは枛っおいたが、衚情は豊かな人だった。特に、倧奜きなショヌトケヌキを食べるずきは、芋おいるこちらが幞せになるような、氞久保存版にしおおきたいくらいの笑みを芋せおくれる。

    声をかけながら芳察しおいるず、姿勢はやや前かがみで、少しだが眉間の間に皺を寄せおいる。「お腹が痛いのかもしれない」ず考え、鎮痛剀を内服しおもらった。するず、しばらくしお智子さんの様子は萜ち着いた。腹郚の状態を確認するず䟿秘を起こしおいそうだったので、䞋剀も服甚しおもらった。翌日には䟿秘が解消され、智子さんは元気にデむサヌビスぞ出かけお行ったそうだ。

    智子さんは自分で痛みや腹郚の症状を蚎えるこずができなかった。しかし、智子さんの身䜓は、そこに朜圚しおいる痛みずその背景を豊かに語っおいた。それを認蚌するこずで、智子さんに必芁なケアを届けるこずができたのである。


    数倀や゚ビデンスの狭間

    医療の珟堎に身を眮いおいるず、人々が切実に蚎える内容は、怜査の数倀ずしお客芳的デヌタにできない症状ばかりです。痛みや䞍安はその代衚栌であり、他にも倊怠感や呌吞苊、䞍眠など、いくらでも䟋をあげるこずができたす。

    怜査デヌタずしお数倀化されにくい蚎えは、軜く扱われる傟向がありたす。肉県的に血が流れおいたり、怜査デヌタずしお悪い数字が出おいたりすれば、蚎えにお墚付きが埗られるため、䞁寧に察応しおもらえる可胜性が高たりたす。しかし、そうでない堎合は「病は気から」ず蚀わんばかりの察応を受けるこずも少なくありたせん。

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    その人が確かに感じおいる苊痛があるにもかかわらず、「たいしたこずないのに蚎えの倚い厄介な患者」ずいうラベルを貌られるこずも未だにあるず蚀わざるを埗ないのです。


    認蚌がもたらす「事実」

    怜査デヌタずしお数倀化されにくい蚎えに出䌚ったずき、たずはその蚎えを「そこに確かに存圚するもの」ずしお認蚌するこずが、協働の出発点になりたす。

    圢がなく目に芋えない、客芳的な数倀ずしお枬定するこずができないものは、それを認蚌しおくれる他者の存圚がなければ、簡単になかったこずになっおしたいたす。数倀化されにくい蚎えを受け取ったら、「蚎えの背景ずなる苊痛がそこにあるこず」を前提ずしお䌚話を玡いでいく必芁があるのです。

    その蚎えが「真実」かどうか確かめようずしたくなる衝動に駆られるずきもあるかもしれたせん。しかし、そのような数倀化されにくい蚎えが関係性の䞭にしか存圚できないのだずしたら、たずはその人が衚珟した倧きさの苊痛があるものずしお、しっかり耳を傟けるこずからはじめたいず思いたす。

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    ケネス・ガヌゲンは、苊痛ずは個人の内偎に閉ざされたものではなく、他者ずの関係性解釈の䞭ではじめお立ち珟れるものだず指摘しおいたす。

    私たちが生きる䞖界においお出䌚う他の事象ず同様に、私たちは身䜓に起こる事象を、自分が参加する関係の䞖界に取り蟌もうずする。この意味で、身䜓に起こる事象は、他者が私たちに察しお行う行為に䌌おいる。それは必ずしも私たちの行動を芁求するわけではないが、協応行為を通しお、他ではないあるものになる。存圚するのは苊痛ではなく解釈である。苊痛ずいう事実は、解釈のプロセスにおいお生たれるのである。䞭略

    痛みに関する十分満足な尺床や基準は存圚しない。二人の人間がずもに「䞭ぐらいの痛み」を感じおいるず報告するずき、この二人が同じ心的状態に぀いお述べおいるずなぜわかるだろうか。ある経隓を苊痛ずしお報告するかどうかは、その人のゞェンダヌ、幎霢、宗教、民族によっお異なる。私たちは前に、内偎にあるプラむベヌトな䞖界を想定するならば、私たちは決しお互いに぀いお知るこずはできなくなるずいう結論に達した。身䜓の内郚にある心ずいう考えを吊定し、人は関係の䞭のパフォヌマヌであるずいう芋方をずるこずにした理由の䞀぀は、ここにある。私たちは苊痛に぀いおも同じ方向に向かっお行かなければならない。苊痛は身䜓の䞭に隔離されお存圚するのではなく、関係の十党な参加者だず考えるこずにしよう。

    ケネス・ガヌゲン『関係からはじたる瀟䌚構成䞻矩がひらく人間芳』


    ​関係性の䞭で立ち䞊がる痛み

    誰かに受け取っおもらっおはじめお、苊痛はそこに存圚するこずができたす。粟神的苊痛だけでなく、身䜓的苊痛も同様です。自らの痛みを蚀葉にしお衚珟するこずが難しい人々の苊痛は、特に芋過ごされがちだず蚀えるでしょう。

    呚囲の人々が良かれず思っお代匁するうちに、違う倧きさの苊痛ずしお衚珟されおしたったり、異なる意味づけをされおしたったりするこずも倚いのではないでしょうか。  

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    しかし、蚀語衚珟ずしおの蚀葉を持たない人々も、身䜓衚珟ずしお豊かに語っおいるずするなら、倚くの語りを聎き取るこずができたす。粟神的なものも身䜓的なものも、埮现な衚珟を拟い䞊げお認蚌するこずで、はじめおそれが事実ずなっお目の前に珟れるのです。

    瀟䌚構成䞻矩の基瀎的な考えはずおもシンプルなようでいお、非垞に奥深くもありたす。私たちが「珟実だ」ず思っおいるこずはすべお「瀟䌚的に構成されたもの」です。もっずドラマチックに衚珟するずしたら、そこにいる人たちが「そうだ」ず「合意」しお初めお、それは「リアルになる」のです。

    ケネス・ガヌゲン&メアリヌ・ガヌゲン『珟実はい぀も察話から生たれる』


    そこに存圚するこずを蚱されなかった苊痛の亡霊は、認蚌を求めお圷埚い続けるでしょう。苊痛を抱え圷埚う亡霊を生たないために、人々の「痛み」を、ただそこに圚る事実ずしお認蚌する察話者でありたいず思っおいたす。

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    ★連茉の党蚘事はこちら



    このnoteでは、日々の臚床や日垞の颚景、映画や文孊の䞭で出䌚う人生の物語を、ナラティノ・セラピヌを觊媒にしお再考する゚ッセむを発信しおいたす。

    ​慣れ芪しんだものを、芋知らぬ異囜のものにする ── exoticise the domestic

    Bourdieu, 1988

    ​芋慣れた日垞のストヌリヌを少し違う角床から眺めおみる。そんな時間をご䞀緒できたら嬉しいです。

    野村涌子

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