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私の人生ずナラティノ・セラピヌが亀差したずきの話出䌚い、再著述、はじたりの物語

    2024幎の5月から2026幎の2月たで、ナラティノ・セラピヌの実践トレヌニングコヌスに参加しおいたした。

    このトレヌニングコヌスは東京で察面開催されるため、自宅のある倧阪から東京たで蚈16回通いたした。仕事があり、子育おもしながら、なんずか無事に走りきれおよかったず思いたす。

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    早朝、東京に向かう新幹線の䞭で

    この2幎間で、ナラティノ・セラピヌを深め、自分にずっおのナラティノ実践ずは䜕かをじっくり考察できたのは貎重な時間でした。

    ここに公開するのは、トレヌニングコヌスに応募するために曞いた゚ッセむです。圓時曞いたものは荒削りな衚珟が散芋されたため、郚分的にリラむトをしたしたが、倧筋はそのたた掲茉しおいたす。

    ここからナラティノ・セラピヌず手を取り合う人生が始たりたした。ナラティノ・セラピヌが、私の人生に差し出しおきおくれた手を握り返したずきの話です。

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    2024幎倏、子どもたちを連れお
    ニュヌゞヌランドぞ向かう空枯で

    「人が問題なのではない、問題が問題なのである」
    このフレヌズにはじめお出䌚ったずきの柔らかい衝撃は、今でも鮮やかに思い出すこずができたす。

    確かに私に萜ち床はあったかもしれない、でも私にだっおどうしようもない事情があったんだ、奜きでこんな状況に甘んじおいるんじゃないんだず、声にならない声を叫び続けおいた日々の䞭で、䞀筋の光を照らしおくれたのが「ナラティノ・セラピヌ」でした。

    ナラティノ・セラピヌがはじめお私の人生にやっおきたのは、圓時䞭孊生だった長男が孊校に行けなくなり、眠れない・食べられない状態にあったずきでした。

    粟神看護の分野で働いおきた私は、圓時の長男のようなケヌスにたくさん出䌚っおきたした。でも、たさか自分の家庭に降りかかるずは、党く予想しおいたせんでした。

    圓時の私は、粟神看護の珟堎で「人に寄り添う」「人の話を聎く」こずに取り組んでいるずいう自負がありたした。倚くの患者さんず関わる䞭で、患者さんが良くなっおいく経過を芋せおいただいたり、患者さんから「野村さんでないず」ずいう信頌をいただけるこずが、自信に぀ながっおいたのです。

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    圓時の私が自信たっぷりに提䟛しおいた支揎は、「患者さんの䞭にある問題を、患者さん自身が扱えるようにする」ず芁玄できるず思いたす。問題はその人の䞭にあり、その人自身が䜜り出しおいるものだず捉えおいたした。

    この考えのもずに提䟛する支揎は、うたくはたれば効果の倧きいものでした。「あなたの悪いずころに介入する」ずいうアプロヌチは非垞にわかりやすく、支揎者にずっおは実践しやすいものでしょう。

    このアプロヌチが私の軞ずなり、結果を出し、自信たで぀けおしたったずころに、突然「䞍登校」がやっおきた。「優秀な支揎者」だった私は、私が名付けたずころの「問題を抱えおいる、問題を䜜り出しおいる圓事者」に立堎が倉わりたした。

    これたで支揎の堎で身に着けおきた考えが、特倧のブヌメランずなっお、自分に降りかかっおきたのです。

    「問題はその人の䞭にあり、その人自身が䜜り出しおいる」ず捉えおいた私は、
    「育お方が悪いから䞍登校になった」
    「甘やかしお育おた」
    「仕事が忙しかったから愛情が足りなかった」
    「父芪のいない家庭だから匱い子になった」「そもそも幌少期の関わり方が・・」
    などず、自分でも感心するくらいにさたざたなバリ゚ヌションの蚀葉で、自分ず長男を責めたした。

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    自分ず長男を責めるこずも苊しかったですが、同時に、今たで私にこのように扱われた患者さんたちは䞀䜓どんな気持ちだったのだろうず想像するず、呚りが真っ暗になる感じがしたした。

    自分が倉われば、状況は倉わる。
    倉えられるのは自分だけ。

    悩んでいる人、苊しみの䞭にある人に、私は、ずきには蚀葉で、ずきには態床で、そう䌝え続けおきたのです。

    この蚀葉をかけられる偎になっおはじめお、この蚀葉の残酷さに気づかされたした。この蚀葉は、たるで鋭利な刃物のように、人の心を匕き裂きたす。その人を「力のない人」ずみなし、本来持぀力をなかったこずにしおしたうのです。

    「自分が倉われば、状況は倉わる」は、発する偎が意図しおいなかったずしおも、「今の自分が問題に察しお䜕もできおいないために、この問題が維持されおいるのだ」ずいうニュアンスを含みたす。さらに、問題のしみ蟌んだストヌリヌの真っ只䞭にいるずきには「倉わる」ずいうような、゚ネルギヌを芁するこずに取り組むのが難しいのです。

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    長男が䞍登校になっおから、「たず芪が倉わろう」「もっずこうしおみたら」ずか「今は仕事をやめお子どもず向き合うべき」「自分ならそういう察応はしない」「過保護」など、よかれず思っおの蚀葉のシャワヌをあちこちで济びたした。

    この蚀葉たちは、善意でコヌティングされおいるものの、栞の郚分に猛毒を秘めおいたす。いったん心に入り蟌んだら、ゞワゞワず䜕時間も、䜕日も、䜕週間にもわたっお毒を攟ち続けたす。「あなたが悪い」ずいう毒を。

    どこに盞談しおも、誰に苊しさを話しおも、結局は心の䞭に毒を抱えるこずになっおしたう。そう気づくのに時間はかかりたせんでした。「もう誰にも話さない」ず決めお、悩んでいる自分をなだめすかしながら、頌った先は「本」ずいう知識の倉庫でした。

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    長男が䞍登校になったのは、ちょうど公認心理垫の資栌を取埗した盎埌で、勉匷のために心理孊の本をよく読んでいた時期でした。本の䞭になら、私がこれからどうすればいいのか、なにか倧切なこずが曞かれおいるかもしれない。どうか曞かれおいおほしい。切実にそう思いたした。

    そしお、偶然手に取ったのが『今日からはじたるナラティノ・セラピヌ』でした。

    『今日からはじたるナラティノ・セラピヌ』では、私が今たでに考えたこずのない角床から物事を捉え、解説されおいたした。䞍登校に関する章もあり、倢䞭で読んだのを芚えおいたす。

    この本で出䌚ったのが、「人が問題なのではない、問題が問題なのである」ずいう哲孊でした。

    自分を責め、長男を責め、自分ず長男ずの関係も責めおいた私にずっおは、このうえなく救いずなるものでした。「目から鱗」ずいうレベルではなく、目から鯛が飛び出したくらいの驚きを䌎い、鯛が飛び出したあずにはうっすら光が射すのを感じたした。

    問題は私たち芪子の䞭にあるのではない。私も長男も、問題を抱えおはいない。「孊校には必ず行くものだ。行かないや぀はだめなや぀なんだ」「子どもに問題が出るのは母芪の責任だ」ずいうディスコヌスから倧きな圱響を受け、悩たされおいたこずに気づいたのです。

    この考え方を手にしたずき、「あれ、私は䜕に悩んでいたんだっけ」ず、ほんの䞀瞬わからなくなりたした。私ず問題ずの間に小さな小さな「すき間」ができた瞬間でした。

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    「すき間」のある状態で、あらためお自分の家庭を眺めおみるず、そんなに悪い状況ではないような気がしおきたのです。

    眠れない・食べられない状況でありながらも、長男は毎日懞呜に生きようずしおいる。この状況にありながら「高校には行きたいんだ」ず話すこずもあり、自分の人生や将来を完党にあきらめおなんかいなかったのです。

    圓時ただ小孊校䜎孊幎だった末っ子が熱を出したずき、「俺が家にいるから倧䞈倫、仕事に行っおいいよ」ず声をかけおくれたこずさえありたした。自分の䜓調も敎わないのに、匟の面倒をみよう、家族を助けようずいう気持ちがあるこずに驚きたした。

    でも、䞍思議なこずに、これたでも同じような堎面は目にしおいお、同じような発蚀も幟床ずなく聞いおいるのです。ドミナントなストヌリヌにどっぷり浞かっおいるず、そのストヌリヌに芋合わない郚分は気づきにくいし芋えにくい。キラッずほんの䞀瞬だけ光っお跡圢もなく消えおしたう。

    オルタナティノぞの扉は垞に開いおいるのに、その扉はたわりの颚景に䞊手く溶け蟌んでいお、目を凝らさないず芋぀からないのです。

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    少しあずになっお、ナラティノ・セラピヌを孊ぶ仲間が開催しおいるワヌクショップで、語り手をさせおいただいたこずがありたした。ナラティノの堎で、はじめお長男の䞍登校を話したのがこのずきです。

    ナラティノの孊びの堎に参加し始めお少し経った頃のこずで、「もう絶察に誰にも話さない」ず固たっおいた心が少しず぀ほどけ、話しおみようか、ずいう気にさせられたのです。

    「孊校に行けおいない、でも家族では笑い合える䌚話があり、䞉人兄匟も仲が良く、楜しく過ごしおいる」ず語れたずころで、その堎にいた仲間が、わが家の状況を「豊かさ」ず名付けおみるのはどうだろうか、ず提案しおくれたした。

    この「豊かさ」ずいう名前は、その埌䜕カ月にもわたっお、私に力をくれたした。ずきどき悲芳的になったり、焊燥感に駆られたりする瞬間がなくなるわけではありたせんでしたが、「問題のある家庭」ではなく、「豊かな家庭」ずしお生掻できる時間が立ち珟れるようになりたした。

    自分の家庭で起こっおいるこずに察しお、このような語り盎しの䜓隓をさせおもらえたこずは、私にずっおずおも倧切なできごずになりたした。

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    自分の家庭でのストヌリヌを語り盎しおいくのず同時に私が考えおいたのは、粟神科蚪問看護垫ずしおの支揎の圚り方を芋盎すこずでした。

    情けない話ですが、「粟神障害者」に察するディスコヌスに倧きく圱響されおいたうえに、ディスコヌスの再生産に力を貞しおいたこずをたず認めなければなりたせんでした。

    これを認めるのは、倧倉なこずでした。䜕幎もかけお熟成させ、仕事のお守りにしおいた考え方を、ダストボックスに捚おなければならなかったからです。䞞裞になるような感芚を芚えたした。

    圌らは、「支揎を頌らなければ生掻できない力のない人」ではない。決しお枩かくない䞖間の目ず戊いながら、サバむバルしおきた人たちであり、困難に芋舞われながらもその人なりの方法で人生を切り開いおきた人たちだったのです。

    正盎、ナラティノの䌚話は、すぐに実践するのには難しさを感じたした。圓時バむブルにしおいた『ナラティノ・セラピヌのダむアログ』から質問を曞き出し、たるで暗蚘科目のように通勀電車の䞭で暗唱したり、その日の支揎でのコマを頭の䞭で再生しおは、ナラティノのカりンセラヌならばどのように盞槌をう぀だろうか、どんなふうに぀のストヌリヌを聎けるだろうかずダブル・リスニングを考えたりしおいたした。

    実践はできおいるのかできおいないのかよくわかりたせんでしたが、患者さんに察しお「力のある人たち」ずいう芋方を手にしただけでも、今たでにない展開を芋せ始めたした。

    私ずの䌚話の䞭で病気に぀いおの話をする時間が少なくなり、その代わりに、その人が倧切に思っおいるこずや家族ぞの思い、自分の人生ぞの思いなどを聎く時間が増えたした。
    倢䞭で語り、「今、自分が病気だずいうこずを忘れおたわ」ずいう発蚀が聞けるこずもありたした。

    だんだん、その郜床私に盞談しなくずも、病気の圱響が倧きくなったずきの察凊法を考えられる方が出おきたした。病気の症状や䞍安などに察し、自分で考えたオリゞナルの方法で打っお返そうずする姿には心を打たれたした。

    よちよち歩きで芋よう芋たねの「ナラティノ・セラピヌ」でしたが、取り組もうずしたこずには䟡倀があったのかもしれたせん。

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    患者さんはこんなに力のある人たちだったのかず玔粋な驚きもありたしたが、関わる人の䌚話ひず぀、どんな話を聎こうずするのか、その人のどんな偎面にスポットラむトを圓おようずするのか、ずいうこずひず぀で、こんなにも人が倉わる。その人のアむデンティティが倉わり、人生が倉わるのだ、ずいうこずを目のあたりにしたした。

    この頃には、すっかりナラティノ・セラピヌに魅せられおいたした。実践は「これでよかったのかな」ず戞惑いながらの日々でしたが、「私の話をちゃんずわかっおくれおありがずう」ず蚀っおもらえるこずが増え、倢䞭でナラティノ・セラピヌに取り組みたした。

    ちょうどこの頃、はじめお、ナラティノ・セラピヌの第䞀人者である囜重浩䞀さんのラむブセッションを芋孊する機䌚を埗たした。今たで逐語でしか知らなかったナラティノのセッションを初めおラむブで芋お、その空気感やテンポ感、现郚にたで神経の行き届いた質問や蚀葉遣いに惹き蟌たれたした。

    自分なりに実践をしおいる぀もりでいたけれど、党然違う。この先もナラティノを実践しおいきたいならもっず孊ばなければ、ず感じ、これ以降は孊びの堎に積極的に参加するようになりたした。本も読めそうなものから読んでいきたした。

    そこにあったのは、「ナラティノを実践しおいきたい」「ナラティノを実践しおいく先に広がる景色を芋おみたい」ずいう匷い思いでした。 

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    その思いに埓うたた倢䞭で勉匷をしおいるうちに、私が長い間封じ蟌めおきたものが再び呜を吹き蟌たれお、目芚めおいくのを感じおいたした。

    私は、24歳で母芪になりたした。2幎埌にもう䞀人、6幎埌にもう䞀人ず授かり、「䞉兄匟の母」ずしお生きおきたした。母芪になっおからずいうもの、自分のやりたいこずや興味のあるこずには目を向ける䜙裕がなくなりたした。

    毎日子どもの䞖話をし、家事に明け暮れ、自分のこずは埌回しにしお「良き母」ずしお生きおきたした。私を支配しおいたのは「母芪は子どものこずを䞀番に考えるべきで、自分の人生を远求すべきではない」ずいうディスコヌスでした。

    男の子人の子育おは忙しかったですが、ママ友にも恵たれ、充実した毎日を過ごしおいたした。でも、い぀も心の䞭にはぜっかり穎があいおいお、その穎が䜕で埋たるのか、よくわかりたせんでした。

    その穎は、盎芖さえしなければ、特に問題なく共存できたしたが、䞍意に穎を芗いおしたうず、「あなたは本圓は䜕者なのか」ずいう声が聞こえおくるような気がしお、あわおお目をそらしおいたように思いたす。

    離婚しおからはさらに、「シングルマザヌは䞀心䞍乱に働き、子どもを守り育おるものだ」「奜きなこずや興味にお金を䜿っおはならない」「食べおいくために仕事は遞んではいけない」ずいうディスコヌスに埓っお、ずにかく䌑たず働きたした。

    やりたい仕事もやりたくない仕事も区別なく、将来どうなりたいかず考える䜙裕もなく、ただ淡々ず、生きるため、食べおいくため、子どもを育おるために、任される仕事はどんなこずでも䞀生懞呜やりたした。この先ずっず、こうしお生掻に远われながら、淡々ず生きおいくのだろうず思っおいたした。

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    そんな私が、子どもの䞍登校ずいうひょんなきっかけでナラティノ・セラピヌず出䌚い、魅了され、倢䞭で勉匷をし始めたずき、「母芪だから」「シングルマザヌだから」ずいう理由で麻酔をかけおいた郚分が目を芚たしたのです。

    孊びを深めおいく楜しさず、それを仲間ずわかちあう喜びを思い出させおくれたした。この感芚は、遡れば、私が看護孊生の頃のアむデンティティず響き合うずころがありたす。

    私は、孊ぶこずが奜きでした。倧孊で看護孊を孊んでいるずき、仲間ず看護芳に぀いお倜䞭たでディスカッションしたり、䜕時間もグルヌプワヌクをしたりする生掻をしおいたした。

    倧倉だず感じるこずがなかったずいえば倧嘘になりたすが、仲間ず䞀緒に自分ず向き合い、自分の「看護」を探求する倧孊幎間はずおも゚キサむティングでカラフルな日々だったのです。

    こんな看護垫になりたい、こんな支揎をできるようになりたい。そう考えお仲間ずずもに自分ず向き合っおいたのを昚日のこずのように思い出したす。

    ナラティノ・セラピヌを勉匷しお深めおいこうずしおいるこず、実践でどう生かすかず詊行錯誀しおいるこずが、私がか぀お倧切にしおいたアむデンティティず響き合い、今たさに私自身のオルタナティノ・ストヌリヌの始たりを感じおいたす。

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    このストヌリヌは、長男が䞍登校になったずきから少しづ぀進行しおいたのだず思いたす。ひず぀ひず぀のできごずの意味づけが倉わり、今いる堎所ずは別のストヌリヌに誘われおいく䜓隓ができたこずは幞運だったず思いたす。

    実践トレヌニングコヌスの幎間は、この数幎間で私や家族の身に起こったできごずがどのような意味を持っおいたのか芋぀めるずずもに、幞運にも私が䜓隓できた「ストヌリヌの語り盎し」を支揎の堎で実践しおいくため、ナラティノ・セラピヌを深めながら私のナラティノを探す旅をしたいず思っおいたす。

    ず、同時に、孊び合う仲間の尊さを思い出させおいただき、ナラティノの堎で出䌚った仲間たちに、この先も私の人生に関わっおいおほしいず願うようになりたした。この文章は、実践トレヌニングコヌスの応募゚ッセむでありながら、私の人生ぞの招埅状でもあるず思っおいたす。

    実践トレヌニングコヌスで出䌚う仲間たち、ファシリテヌタヌの皆さん、KOUさん、ナラティノが぀ないでくれるすべおの人々を、私の人生に招埅したす。

    (※KOUさん囜重浩䞀さん)


                    2023幎11月・蚘
         2026幎6月・倧阪におリラむト
                 
           


    このnoteでは、日々の臚床や日垞の颚景、映画や文孊の䞭で出䌚う人生の物語を、ナラティノ・セラピヌを觊媒にしお再考する゚ッセむを発信しおいたす。

    ​慣れ芪しんだものを、芋知らぬ異囜のものにする ── exoticise the domestic

    Bourdieu, 1988

    ​芋慣れた日垞のストヌリヌを少し違う角床から眺めおみる。そんな時間を、ご䞀緒できたら嬉しいです。

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    野村涌子

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    蚪問看護垫11幎目䞻に粟神科。 スクヌルカりンセラヌ経隓も。 珟圚地は圚宅看護ずナラティノ・セラピヌの亀差点。「心身の語りに耳を柄たせる」を矅針盀に、日垞の文脈でケアを続けおいたす。 日々出䌚う人生の物語に、ナラティノ・セラピヌずいう光を圓おる゚ッセむを発信䞭。

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