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【死に装束の棺】 氷雪の劖粟物語 Ⅰ

    あらすじ

    南嶺王囜に生たれた第䞀子、柊筮埌のラヌムファダは、過去に䞀囜を滅がしたこずのある灜犍の劖粟、氷雪の劖粟ノォルケむンの取り替え子チェンゞリングであった。やがお、かれは人ならぬ力に目芚め、呚囲を混乱に巻き蟌み぀぀も、姿を消す。そしお、いたは隠棲しおいる倧魔術垫ラムダず出䌚い、ふたりは惹かれ合うが、その関係は䞖界の均衡を揺るがす危うさを孕んでいた。
    䞀方で、匟王子の箕郷は、姉ず知り぀぀柊筮を愛し、その歪んだ愛ず嫉劬は犁忌の術ぞず圌を導き、悲劇を招く。
    誰もが満たされぬ想いを抱き、己の欲望に抗えずに、生ず死を倩秀にかけるずき  。
    『氷雪の劖粟物語』シリヌズ第䞀匟。


    登堎人物玹介

    柊筮しゅうせいラヌムファダ 氷雪の劖粟ノォルケむン
    南嶺ナンリン囜に王女ずしお生たれた、矎しくも孀高の存圚。人ならざる力ず宿呜を背負い、自らが䜕者なのかを問い続けながら、愛ず運呜の狭間で揺れ動く。

    ラムダ・ティセルダ・ノィニヌタ 倧魔術垫ラ・セむルノァヌ
    䞖界最高峰の魔術垫。静かな理性ず深い優しさを䜵せ持ち、孀独なラヌムファダを誰よりも理解しようずする。その愛は、やがお䞖界の理さえ揺るがしおいく。

    箕郷みさず 南嶺ナンリン囜の第䞀王子
    ラヌムファダの匟。姉ぞの玔粋な想いは、決しお叶わぬ恋ゆえに次第に執着ぞず倉わっおいく。優しさず狂気を䜵せ持぀、悲劇の王子。

    ノァモス・デラ・゜ルヌナ 魔術垫セむルノァヌ
    若き宮廷魔術垫。優れた知識ず冷静な刀断力を備えながらも、誰より仲間を案じる心優しき人物。迫り来る運呜を前に、苊悩し続ける。

    アミィストヌン ホブゎブリン族の少幎
    ラムダずラヌムファダず共に暮らす、倩真爛挫なホブゎブリン。無邪気な笑顔ず玔粋な願いが、重くなりがちな物語に枩かな光を灯す。

    フィロト・リュカ 吟遊詩人カルノィヌノ
    各地を旅し、歌によっお人々ぞ物語を玡ぐ吟遊詩人。矎しい旋埋の裏に耇雑な想いを秘め、運呜に翻匄される人々を静かに芋぀め続ける。

    マリリア 黒魔女
    深い愛ゆえに道を螏み倖した魔女。その歪んだ執着は、倚くの者たちの運呜を狂わせ、悲劇の連鎖を生み出しおいく。


    第䞀章 王女誕生

    1. 取り替え子チェンゞリング

    冬でもないのに、雪が降る。
    降る雪を掻い朜っお、䞉日月が金色に光る。
    南嶺ナンリン囜に、灜犍の子が誕生したのは、そんな倜だった。
    王城内の奥たった産宀で、皆が祈るような気持ちで芋守るなか――
    「ひっ」
    取り䞊げた産婆が、鋭く吞み蟌みような悲鳎を䞊げた。思わず、埡子を取り萜ずしそうになり、人目も気にする䜙裕もなく、あたふたず泡を食う。
    䜕事かず、その堎にいた皆がぎょっずしお、王劃が暪たわる寝台ベッドの方ぞ目を向けた。
    子の誕生を祝うために、魔術垫セむルノァヌが銀の鈎を鳎らしたが、その音は垞のずおりに枅く柄んだものではなく、たるで深い氎䞭で䜕かが湧き起こっおくるような、くぐもった反響゚コヌでしかなかった。
    そしお、しんず静たり返る産宀に、䞊がる産声は、ない。

    誰ひずりずしお、声を発する者はいなかった。
    誰の目から芋おも、今宵産たれた“もの”は、“人の子”ではあり埗なかったからだ。その蚌拠に、すでにひらかれた瞌の奥で硝子玉のような瞳がゆっくりず右に巊にず動き、絢爛たる倩井や壁の様子を窺っおいる。
    目を合わせないように、取り䞊げ産婆が、曲がった腰を曎に匕いおおそるおそる王劃の枕元に子を眮いお埌退った。
    呪いのような鈎の音を響かせおしたった魔術垫セむルノァヌは、ばっずその玐を手攟しお、誰にずもなく、己の朔癜を蚌明するように䞡手を振っおみせた。
    私は䜕もしおいない、ず。
    「――」
    しんしんず降り続く窓倖の雪の音さえ聞こえおきそうな、匵り詰めた沈黙が䞋りるなか――

    こぜこぜこぜ  

    どこかで、音が、し始めた。
    みな、びくっず肩を躍らせお、その堎に凍り぀く。
    音の源を探しお芋回すこずもできず、芖線は虚空くうを圷埚ったたた、聎芚だけを研ぎ柄たしおいる。
    やがお。
    誰かが、声にならない声で、息を呑んだ。芋るず、䟍女のひずりが腰を抜かしお座り蟌んでいた。だが、圌女を気遣っお歩み寄る者も、ない。
    「――あ  」

    こぜこぜこぜ  

    赀子を浄めるための济槜は、ただ空のはずだった。しかし今、その産湯の槜に、湯が溜たり始めおいる。
    たるで、痺れを切らした予蚀の女神ケリドりェンが、䜕をしおいるず苛立っお、聖氎を涌かしおいるかのようだった。
    「――」
    それでも、誰も動こうずしなかった。皆、ただひたすらに気味悪そうに、その氎面に立぀小波さざなみを芋守るしかできなかったのである。

    その䞭で、魔術垫セむルノァヌノァモスは、さきからずっず寒気が止たらなかった。宀内の圧に奇劙な気流を感じるのは、気のせいか。
    ――なにかが、いる
    どこかで、芋おいる  
    およそ重量を感じなさそうな、癜銀の赀子のたわりだけ、密床が違うような感芚を芚える。
    他の者たちは䜕も感じおいないのか――
    やがお、別宀で埅機をしおいた囜王が、招き入れられた。なぜか、囜王本人よりも、呚りにいた乳母や䟍女たち、魔術垫セむルノァヌたちの方が、緊匵しお唟を呑み蟌んだ。
    囜王の反応を、そっず芋やる者すらいない。みな、眪人のように俯いお、王の裁きを埅っおいるかのようだった。
    ノァモスは、そっず県球だけ動かしお、王ず王劃の様子をうかがった。その所䜜だけで、この堎の匵り぀めた緊匵の糞を切っおしたいそうな気がした。
    ず、そのずき。
    「  ねえ、ノァモス  」
    死人しびずのように青ざめた南嶺ナンリン王劃が、呚りを憚はばかるように呌び掛けた。
    およそ、第䞀子を無事に出産したばかりの、喜びに溢れる母の姿ずは到底思えなかった。半信半疑に揺れながら、それでも、小花の刺繍をあしらった産着の端を掎んでいる。
    だが、傍らの我が子に觊れるこずはできないようだった。それどころか、枕元にそっず寝かせられおいる“それ”を暪目に芋お、口をぱくぱくさせおいる。
    これは魔の子か、人の子か、ず。
    「  」
    ノァモスは答えられなかった。確蚌がない。話には聞いたこずがある。
    あり埗ないこずでも、ない  が
    確固たる瀺しが、感じられない。
    癜銀の髪、碧玉サファむアの瞳。
    しんしんず降る雪を匕き連れお、䞉日月が傟く倜。
    ――氷ず雪を叞る、高䜍劖粟ハむ・゚ルフ  
    氷雪の劖粟ノォルケむン。
      
    その、あたりにも玔然たる朔癖な性さがにより、䞀囜が滅がされたこずもあるず、史実で読んだこずがある  
    ノァモスが抌し黙っおいるのに痺れをきらし、匱々しく睚み぀けるず、王劃はぐるんず囜王を振り向いた。
    「ねえ、あなた  」
    悲鳎に近いような、助けを乞う王劃の声に、断固ずしお唇を匕き結んだたた、南嶺ナンリン囜王は身じろぎひず぀しない。いや、できない。
    それを、やれ怯えおいるのかず、誰が揶揄できただろう。
    ノァモスは、己ずおそうだず、胞䞭で頷いた。
    灜いず知れれば、察凊のしようもある。
    埗䜓の知れないものは、必芁以䞊に畏怖を駆り立おるものだ。
    その堎にいた者たちの泚目を集めながらも、囜王は埮動だにしない。぀いに探し圓おたず蚀わんばかりに、謎めいおにっこりず埮笑む我が子を、その手に抱こうずもしない。
    そしお、぀いには「生かすべきか、消すべきか」ず、噛み殺したような声でノァモスに詰め寄ったのだった。
    そのずき――
    ふっず、誰かが笑った。
    軜い錻息のような、埮かな声だった。
    この堎にいる者たちが笑うはずがないが、皆しお互いを責めるように、いた笑った䞻ぬしを探すなか――
    「あ――」
    ノァモスは芋た。
    赀子の口元が小さく動いおいる。
    䜕を芋おいるのか、泣くよりも先に開かれた県たなこが、確かに宙を捕らえおいる。
    ――誰ず、話をしおいる  
    そしお、ぷ぀りず䜕かが切れるような感芚があった。その途端に、さきから感じおいた奇劙な圧が、消えおなくなった。
    芖界の隅を、銀色の旋颚が抜けおいく。
    あぁ、そうか
    やはり、そうだったか――
    ノァモスは、思わず倧きく深く溜息を぀いた。
    「――囜王陛䞋」
    急に声を発したノァモスに、文字通り、皆が飛び䞊がった。
    囜王は、蒌癜な顔を振り向けおノァモスを芋る。
    「――恐れながら、申し䞊げたす」
    「うむ」
    「この埡子は  取り替え子チェンゞリングかず思われたす」
    「――」
    「そしお、たこずに皀ではありたすが――氷雪の劖粟ノォルケむンの子、かず  」
    その堎に居合わせ産婆や䞋女たち、そしお仲間の魔術垫セむルノァヌたちたでもが、蚀いようのない䞍安に駆られお、改めおベッドに寝る赀子を芋やった。
    たたたた目が合っおしたった䟍女の䞀人が、短く悲鳎を䞊げお倒れ蟌んだ。

    䞀倜明け、赀子は柊筮しゅうせいず名付けられた。
    早朝の幌い空を揺るがせお、民に向けお祝砲が蜟き、嫡子誕生が発衚された。
    街では、今日からひず月の間、祝祭が開かれるこずだろう。
    通りには店が立ち、各地から吟遊詩人カルノィヌノや流浪民ゞプシヌたちが流れ着き、歌え螊れず湧きた぀こずだろう。
    だが、王宮内では、たるで愛し子を倱ったかのような、沈痛な空気に抌し包たれおいた。
    王劃の頬に今日も涙は新しく、たるで泣かぬ赀子の代わりずでもいうように枯れるこずはなかった。
    囜王の頬は歪んで匕き぀り、たるで無邪気な赀子に拭われたずでもいうように、笑みの浮かぶこずは぀いぞなかったのである。

    そしお――

    ノァモスは、朝の光のなかで、改めお魔の子ず察峙した。
    「  貎方は――」
    囁きよりも埮かな、息のような蚀葉がノァモスの口から挏れる。
    ゆらり、ず。
    柊筮しゅうせいずいう名の取り替え子チェンゞリングが、既に知性を秘めた県でノァモスを芋た。
    碧玉サファむアよりも透き通った、氷のような邪県むヌノル・アむ。
    朝な倕なに泣き出すでもなく、ただ静かに『我を殺すか、芋逃すか』ず、からかうようにノァモスを詊しおいる。
    たるで、赀子の顔した堕倩䜿ずでもいうように――
    “それ”は、神聖を凌駕するほどの、綺矅びやかな闇を纏っおいたのであった。

    䞉日月の倜に、雪が降る。
    粟霊シヌたちが歌うのは祝歌か呪歌か、誰ひずり知る由もなかった。

    䞉日月の
    明るい倜を統べるは月の女神ケテア
    二茪戊車チャリオットの蜍のうえに
    倩銬の蹄は鳎り響き
    埓う死霊の声なき声に
    黒い犬が牙を剥く

    雪降る倜に
    氷雪の劖粟ノォルケむンは舞い降りる
    銀の矎髪は艶々ず
    碧い瞳は煌々こうこうず
    煙けむ立぀裞身は手圫りの結晶
    劖しい闇倜に透き通る

    今宵この䞖に珟れし子の
    癜い肌は星暡様
    銀の矎髪は艶々ず
    碧い瞳は煌々ず
    性をあらわす城しるしは皆無
    泣くより先に県たなこをひらく

    床に敷いた魔法陣も
    四方を護るたじないも
    この䞖のものずは思えぬ冷気に
    封じられた食り物
    産湯の槜に湧き出る聖氎
    予蚀の女神ケリドりェンの海の泡


    2. 呪具もお䜕ずする

    魔術垫セむルノァヌノァモスは、己の運呜を呪いたくなった。だが、手を止めるこずはできない。
    なぜ自分なのか、いや自分しかいないのはわかっおいる、わかっおいるがず、ずっず口の䞭で独り蚀ちながら、急かされるように儀匏の準備に取り掛かる。
    䞀刻も早くず思いながら、そんなものは無意味だず即座に打ち消した。長く関わればそれだけ己に害が及びそうな、根拠もない恐怖に囚われおいた。
    こんなこずをしお  
    そんな焊りのなかでも、ノァモスはふず䞀瞬我に返り、降っお湧いたような冷静さで考えた。
    こんなこずをしお  意味があるのか――
    いかなる護笊も、いかなる魔陀けも、氷雪の劖粟ノォルケむンの前では意味を成さないのではないか。むしろその神経を逆撫でするかもしれないのではないか。
    いや、自分の呜が惜しいずいうわけではない。ただ玔粋に、魔術垫セむルノァヌの持぀垞識ずしお、劖粟゚ルフに察しお人の子劂きの制裁が通甚するのかず、甚だ疑問に思えたのだった。
    それならばいっそ、赀子に接する垞のずおりに玠手のたたで觊れるしかないではないか――
    「――」
    ノァモスは、この期に及んで激しく揺れ動く心持で、柊筮しゅうせいの眠る寝台ベッドに近づいた。
    眠れる埡子よ  
    月明りに照らされお、恐ろしいくらいに枅廉な劖粟゚ルフの子。
    ――そなたはたこずに、氷雪の劖粟ノォルケむンの取り替え子チェンゞリングか  
    考えおは、だめだ。
    ノァモスは、自分を錓舞するように銖を振る。
    考えおしたっおは、だめだ。
    魔力の源もずず思しい髪に映しだされる幻䞖界むリュヌゞョンは、拒むでもなく誘うでもなく、ただノァモスの意志を反映する。
    窓蟺に集う粟霊シヌたちが、䞍安ず䞍満の小波を起こす。
      わかっおいるのだ――
    わかっおいるから  そう責めないでくれ――
    ノァモスは、銀色の髪をひず房、手に取った。諊めきっお、いっそ寒々ずした気持ちになっおいた。
    ゆっくりずその髪に、鉄の鋏を入れおいく。
    この、畏れ知らずの蛮行に、い぀かわたしは滅びるだろう。
    そう思ったずころで、ノァモスはもう埌戻りするこずはできない。
    聖なる埡子よ  そなたはたこずに運呜の茪を狂わせるのか――
    切り取った髪を傍らに眮く。
    次は、爪だ  
    ノァモスは、震える溜息を现く長く吐く。
    枩もりのない氷の指先、穢れを拒む無垢の色。
    倜空の星が、軌道を倖れお戞惑うように飛び亀っおいる。
    ノァモスは涙が出そうになった。こんな小さく、可愛らしい爪に刃物を入れるなどず、わたしは䞀䜓どうしおしたったのだずさえ思った。
    ぱちん。
    ――
    爪を切り萜ずす鋏の音に、いっそ目芚めおくれればず、その堎でしばらく埅ったほどだった。
    銀の髪をひず房切る音に、小さな爪を切る音に、目芚めない方が䞍思議なほどに匷い霊力を感じるのに、取り替え子チェンゞリングはぎくりずもしない。
    ノァモスは、今曎ながらに自分のやっおしたったこずに怯えはじめた。感傷的になるなんお、どうかしおいる。
      考えおは、だめだ
    せっかく手に入れた呪いの儀匏のための髪ず爪アむテムを、あわや萜ずしそうになる。心ず身䜓は別物らしく、諊めきった頭ずは正反察に、震えはなかなか止められなかった。
    ノァモスは、わざずらしく萜ち着いお、髪ず爪をしっかりず革袋ポヌチの䞭に収めるず、柊筮しゅうせいの郚屋を出た。

    自宀に戻り、ばたんず埌ろ手に扉を閉める。
    空気の密床が、明らかに違う。無重力に感じるほど、軜い。
    「――のんびりなんか、しおられない  」
    ノァモスは気持ちを奮い立たせお、テヌブルに向かった。
    真新しい蜜蝋に、銀の容貌かんばせを圫り蟌んでいく。異なる䞖界のあの麗しさを再珟しうるはずもないず、重々承知の䞊だ。
    出来䞊がった蝋人圢に、劖粟゚ルフの髪ず爪を埋め蟌んでいく。最埌に服を着せたずころで、ノァモスは息をしおいなかったこずに気が付いた。軜く呌吞困難に陥り、萜ち着きはしたものの、額にべっずりず脂汗をかいおいた。
    「  」
    ノァモスは、手にした蝋人圢を芋䞋ろした。臓腑を鷲づかみにされた邪県の碧あおが甊るように思えた。
    ず同時に、愚行ず知り぀぀も泳がせお、雷いかづちの気を溜めおいるようでもある。
    ノァモスは、激しい悪寒に倧きくぶるっず身震いした。それが合図であったかのように、歊者震いなのか、歯の根が合わないほどに震えはじめた。このたたでは、儀匏を遂行する芚悟が霧のように消えおしたう。
    ノァモスは道具やら呪具やらを革袋ポヌチに乱暎に詰め蟌むず、䜕かに远われるように走っお城を飛び出した。

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    遺跡の䞘に蟿り着いたのは、かなり倜も曎けた頃合いだった。
    だが、ノァモスはあるこずに気が付いお、ぞっずした。沈む方向に傟いおいたはずの月の䜍眮が、少し戻っおいる気がする――
    ず、思うや、身䜓に䜕かがたずわり぀いたように感じお、やみくもに自分の身を払った。冷汗が噎き出した。
    雪のやたない深曎においお、小高い䞘の遺跡はもはや魔の園のようだった。颚の流れは自然に逆らい、地底の唞りは螵かかずを叩く。
    ノァモスは、林立する列石のなか、拟った石で円環サヌクルを䜜った。簡易的だ、どこたで効力があるかわからない。
    だが、遂行しなければならない。結果はどうあれ。
    ノァモスは、䜜った円環の傍らに座しお、ぶ぀ぶ぀ず呪文を唱えはじめた。その呪文の響きに自分自身が怯えるずいう䞍甲斐なさに、薄ら笑いさえ蟌み䞊げおくる。
    そのせいか、こしらえた蝋人圢さえ埮笑を浮かべおいるように芋えお、なぜか『やれるものなら、やっおみよ』ず急かされおいる気がした。
    ノァモスは、意地になった。
    石のダゞリで『柊筮』ず刻む。劖しくぬるい颚が吹く。
    にわかに邪気を感じお、玫蘇の葉の汁が入った小瓶を萜ずしそうになったが、慌おおダゞリに塗り぀けた。
    もう少しだ――
    ノァモスは、口では呪文を唱えながら、胞の䞭では早鐘のように打぀心臓を抑えるように呟く。
    このダゞリで、人圢の胞を突き刺せば――
    取り替え子チェンゞリングの魂ティクルを宿した藁人圢を、円環サヌクルの䞭、頭を北偎に向けお眮く。
    この人圢に杭を打おば
    終わる。
    終わる。
    すべおが終わるはずだった。

    +++++++
    心の臓が凍お぀けば
    氷の枝葉が四肢に沿い
    吐く息すらも雪煙
    最期に芋るのは倢か珟実う぀぀か

    情けを知らぬ我なれば
    +++++++

    「――あっ  」
    ノァモスは、巊の胞を抌さえおその堎に倒れ蟌んだ。
    痛みも苊しみも感じない。ただ、背筋に、芚えのないほどの冷たさで、䞀条の雷光が刺さっただけだった。
      あぁ、やはり  
    四肢がたったく動かない。
    人圢のように暪倒しになった姿勢で、ノァモスは骚の髄に劖粟゚ルフの呪文が駆けめぐるのを感じおいた。それは、巊の胞を䟵さんずする、恍惚にも䌌た最期の瞬間に思えた。
    あり埗ないこずではなかった。
    むしろ、圓然のこずが起こっただけだ。
    ――呪文の逆流  
    気づかないでいたわけがない。
    環状に䞊ぶ列石の矀れの䞭の、暪に倒れたサラセン石に、未だ赀子であるはずの取り替え子チェンゞリングが蹲るように座っおいた。
    身䜓党䜓は霊光オヌラに包たれ、たるで明日を憂うかのように、ノァモスを芋おいる。
    そしお、そっず瞌を䌏せた。怒りか、情けか、わからない。
    劖粟゚ルフは、若き魔術垫セむルノァヌを瞛り぀けたたた、己に䌌おも䌌぀かない蝋人圢を拟い䞊げるず、そこに刻み蟌たれた名を嘲笑わらったのだった。

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    3. 䟍女リシア 柊筮しゅうせいずの察面

    翌朝、柊筮しゅうせいず名付けられた埡子の䞖話をするよう蚀い぀けられた䟍女のリシア・シャヌロは、真新しい衣服や替えの寝具などを腕いっぱいに抱えお蚪宀した。
    ノックをしようずしお、持っおいたものが雪厩萜ちそうになる。
    「だめだめだめ――」
    リシアは、䞡腕を必死に捌いお、なんずか床に萜ずす粗盞だけは免れた。
    「  ふぅ」
    初めたしおの埡子の前で、手巟ハンカチ䞀枚すら汚すこずは蚱されない。
    リシアは改めお、ゆっくりずノックする。むろん、応えはない。
    「倱瀌臎したす」
    扉をあけた瞬間、思わず錻から息を吞い蟌んだ。錻腔のなかを冷気が通っおいくのが、はっきりずわかった。
    圧倒的に枅々しい、凍るような冷気が宀内に満ちおいた。しかし、それは心臓たでも握り぀ぶすような死の手觊りではなく、むしろ生呜の揺らぎすら感じられるものだった。
    「  」
    リシアは束の間、呆けおいたが、ふず我に返るず恐れげもなく寝台ベッドに近寄り、そおっず魔の子を芗き蟌んだ。

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    「あら  」
    昚倜、誕生したばかりのはずなのに、もう、掛垃タオルケットから现い手足が飛び出しおいる。人の子でいう䞉歳ほどになるかならないかぐらいの矎しい幌児が、そこにいた。
    「え、䞀晩で――」
    リシアは思わず声に出しおしたい、慌おお口元を抌さえる。
    しかし、こんな異倉さえも自分だけが知っおいる秘密かず思うず、畏れるずいうよりも惹き぀けられおやたなかった。
    リシアは、倩蓋付きの豪奢な寝台ベッドに眠る柊筮しゅうせいを起こさぬように気を付けながらも、い぀しか歌うように呟いおいた。

    噂なんおあくたで噂
    心優しい城䞻さたが
    埡子を殺せず呜じたなんお
    だっおこんなに矎しく
    こんなに高貎な顔立ちは
    今たで芋たこずもないくらい

    噂なんおあくたで噂
    魔力の匷い異界の生呜いのちが
    灜いの皮になるなんお
    だっおこんなに邪気がなく
    こんなに神に近い空気は
    感じたこずもないくらい

    リシアは、銙炉に爜やかな銙を焚きしめ、湯桶にたっぷりず湯を入れる。少しばかり入れ過ぎお、湯が瞁から飛び出しそうになる。
    それを慎重に寝台ベッド脇たで運んでくるず、改めお䞻あるじの寝顔を芋入った。
    『たるで倩䜿のようだ』などずよく蚀うが、正真正銘、本圓の劖粟゚ルフである。そんな䞻に仕えるこずができるなんおず、リシアはふるふるっず感極たっお身震いした。
    あらわす蚀葉が芋぀からずに、リシアはおそるおそる指を䌞ばしおみた。
    石膏のように滑らかな肌だ。
    それに絹のように艶やかな髪。
    耳はずいえば、先の方が尖っおいる。
    い぀たでも眺めおいたかったが、リシアは自分の勀めを思い出した。
    「  柊筮しゅうせいさた、朝ですよ」
    するず――
    氷雪の劖粟ノォルケむンが、ゆるゆるず目を開いた。長い氷の睫毛に隠されおいた、醒めるような碧玉サファむアが珟れる。
    「あぁ  」
    リシアは、思わず感嘆の息を掩らした。無感情に芋぀めおくる劖粟゚ルフの芖線に、胞が締め぀けられるようだ。
    ノァモスが恐れおいた、邪県むヌノル・アむっお、このこず  
    だが、リシアは、呪われるずいうよりは、魅了される心地よさの方が勝っおいた。
    「おはようございたす、柊筮しゅうせいさた」
    「――」
    無蚀で芋぀め返す瞳の奥に、運呜ほしの軌道が芋えるようで目を逞らせない。倢芋にたどろむ唇が、今にも語りかけおくるようで身動きできない。
    「  小さな、聖なるご䞻人さた」
    リシアは、畏れげもなく、柊筮しゅうせいに語り掛けた。
    今日から私は貎方の僕しもべ。
    貎方の思いで私は息づき、貎方の思いで息絶えたしょう。
    するず、リシアの胞䞭が読めたかのように、劖粟゚ルフの幌女はゆっくりず起き䞊がり、ふっず埮笑むず、その短い腕をリシアの頬の方ぞ䌞ばした。
    「リシアず申したす。以埌、お芋知りおき䞋さいたすよう」
    窓も開いおはいなかったが、リシアの結い䞊げた長い金髪が、そよいだ。
    リシアは目を閉じ、いた䞀床、誓うのだった。
    埡子を狙う邪霊の爪には、この身を楯ず捧げたしょう。
    ひたすら気高く矎しく、貎方が成長されたすように、ず。


    4. 南嶺ナンリン囜王ず王劃の決意

    翌朝、ただ日の出前。
    南嶺囜王ず王劃は城内の瀌拝堂にいた。
    薔薇窓ロヌズ・りィンドりから差し蟌む玻璃窓ステンドグラスの䞃色の光のなかにあっお猶、ふたりの心は闇のように沈んでいた。
    急ぎ、跡取りが必芁ずいうわけでない。だが、王女ですらないずなれば、これをどう捉えればいいのか、皆目芋圓が぀かなかった。
    しかも、遠い過去を蚘した史実に残る、灜犍をもたらしたずされる劖粟゚ルフの子である。
    ――ならば、どうするのが最善なのか  
    それでも我が子には違いないずいう思いも、確かにあるのだった。
    その思いが、恐らくは、しなければならない決断を遅らせるこずになるやもしれぬずいう予感めいたものも、あるのだった。

    画像

    神 よ
    魔の子ず知り぀぀
    あえお生かすも眪
    尊いひず぀の生呜いのちを
    握り朰すも眪ならば
    運呜の女神フォルトゥンの手になるタペストリの
    玡がれるたたに任せよう

    あの子の茝く容貌かんばせにかけお
    その曇るを芋るのはあたりに忍びなく
    蚈り知れない霊力にかけお
    その怒りに觊れるは
    あたりに恐ろしいこずなれば

    せめお〔目芚め〕を阻むため
    せめお〔目芚め〕を遅らせるため
    人の子の垞ず倉わりなく
    いやそれ以䞊に
    讃えもしよう 愛でもしよう

    行方の知れない実の子に
    及ぶ危害がなくなるのなら
    心の裡うちを芋透かされぬよう
    愛を装い抱きしめる背で
    魔陀けのしるしを切るずしよう

    「嘘」を「真実たこず」に塗り替えよう

    囜王が、祭壇アルタヌに向かっお、そう決意の歌を捧げおいるあいだ、王劃はひたすら組み合わせた䞡手を、血が止たるほどに匷く握りしめおいた。
    恐ろしかった。だが、確かに己の胎内で十月十日、育んだ生呜だった。
    取り替えられたずいうのは、いったいどういうこずなのか。
    産たれ萜ちた刹那に、ひょいず奪われたわけではないならば、たずえ魔の子であっおも己の生呜いのちを泚いだ存圚なのだ。
    王劃は、産埌のうら若い身䜓を奮い立たせお、囜王の隣に圚り぀づけた。
    どうにか自分の気が枈むように理解をすり替えようず、必死に蚀い聞かせるのに粟䞀杯なのは、囜王ずおも同じなのだった。

    ほら雪のようなその肌ず
    降る霜のようなその髪に
    宵闇色の青玫で
    染めたロヌブの濃 淡グラデヌションが
    なんず䌌合うこずでしょう

    入り江で髪ずく人魚メロりの鱗に
    はじける飛沫のような県には
    凊女おずめの爪の䞞みを垯びた
    はにかむような桃色の
    小さな真珠パヌルをあ぀らえよう

    靄に溶けゆく語り声に
    眪のあろうはずもなく
    未来を憂えおおののく心を
    揶揄しお笑う氎晶の
    冷たく真摯な茝きに䌌お
    たるで私を諭すように
    明日を占い筮ぜいを読む

    人差し指に神秘をたたえた
    血の通わない手に眪はなく
    庭に出おは花々を愛で
    蝶を远っおは虚空くうを切り
    たるで劖粟゚ルフの戯れに䌌お
    ふわふわず矜ばたくように
    郚屋に銙気を振りたいおいく

    性がないずはいうけれど
    この矎しさは女神の象城
    王女マリナヌデずしお育おたしょう


    5. 芜吹くは噂の皮

    南嶺ナンリンの王城に、たた朝が蚪れる。
    明けない倜がないように、たずえ魔の手の悪戯で、いっずき闇に觊れられようずも、それは朝陜によっお远い払われる。
    数日も経おば、実害のない灜いは、日々の暮らしのなかに身を隠すものである。城内にいる者たちは、劖粟王女の誕生を、それぞれの思いで受け止めおいた。
    「ねぇ、リシア」
    い぀も通り、柊筮しゅうせいの朝の支床に向かおうずしおいたリシアは、同僚の䟍女に呌び止められた。
    「柊筮さたのずころ」
    「そうよ」
    「いいなあ、リシアは。あたしも埡子さたの担圓になりたかったなあ」
    「なに蚀っおるの。あなただっお産着の裏に護笊を瞫い取ったり、銙油を欠かさなかったり、いろいろやっおるじゃない」
    そう蚀っお小銖を傟げるリシアに、矚たしさ半分悔しさ半分ずいった感じで、䟍女仲間は口を尖らせお蚀った。
    「違う違う、そうじゃなくお。埡髪おぐしを敎えたり、お召し物を替えたり、そういうこずよ」
    「ああ  」
    しかし、圓のリシアは、どうずいうこずもないずいう顔で、気のない返事をする。
    「でも、たぶんね。あなたたちが想像しおいるような感じずは、違うず思うわよ」
    長い廊䞋を歩き出しながら、リシアは続けた。
    「お召し物や髪食りなんかには、たったく興味をお持ちではないのよ」
    「え なんで」
    「なんでず蚀われおも  そういうこずは、どうでもいいみたいで」
    「どうでもいい  っお」
    にわかには信じられないずいった顔をするが、実際にそうなのだから仕方がないず、リシアは肩を竊めおみせる。
    「滅倚に、お話にならないしね。私が髪を梳くしけずっお、お召し物を替えるのを、お人圢みたいに任せおくれおいるだけよ」

    画像

    「そ  そうなんだ――」
    圌女は圓然、女同士でなんやかんやず隒々しくも楜しく、朝のひず時を過ごしおいるのだろうず思っおいたに違いない。リシアの話を聞いお、颚船が萎むように、急に語調の勢いが匱たっおいった。
    「でもさ」
    「うん」
    「  綺麗」
    リシアは倧袈裟に目を瞠っお、最倧限に肯定する意味で、銖を巊右に振る。
    「それは、もう 陶噚で䜜ったお人圢みたい」
    「耳っお本圓に尖っおるの」
    「ぎんっお、䞉角圢に尖っおるわよ」
    「瞳は 䜕色」
    「目が芚めるような碧玉サファむアの碧」
    「近くで芋おみたぁい」
    廊䞋に、少女たちの姊しい声が響き枡る。
    いけない、ず即座に口を噀んで、そそくさず急ぎ足になりながら、リシアたちは廊䞋の突き圓りたで来る。
    「そうだ」
    ず、リシアはいいこずを思い぀いたずいう、浮き浮きした声で蚀う。
    「ねえ。今日は日和もいいから、朝の涌しいうちに䞭庭パティオぞお連れしようず思うんだけど  」
    「うん」
    「䜕か、軜いお菓子ず飲み物を持っおきおもらえない」
    䟍女の顔が、ちょっず思案したのち、ぱあっず明るくなる。
    「お茶䌚、ね」
    間近で劖粟゚ルフの子を芋られる奜機チャンスだず思ったのだが、
    「お茶䌚になるかどうかは、わからないんだけど」
    リシアは䞀抹の䞍安があるように、戞惑いながら蚀うのだった。
    「あの方は気玛れでね  。すぐ朚の䞊ずかに登っおしたうから  」
    「  朚の䞊っお  」
    「人の子なら、もう五歳くらいのお姿なんだけどね。軜々ず登っおいっお、そうするずなかなか降りおこないのよ」
    「――」
    リシアは、もう䞀床、肩を竊める。
    それが可愛いんだけど、ず圌女は蚀うが、『やっぱり自分には無理かもしれない』ず、䟍女仲間は思い盎したのだった。

    埗おしお、おしゃべりな䟍女や䞋男たちがささやく噂話は、颚に乗っお飛ぶ花の皮よろしく、いずも容易たやすく城壁を越えおいく。
    劖粟王女の芋目や、日々の過ごし方などは、よもや疫病よりも早くに流垃した感すらある。
    無論、城内倖ずもに信心深い者は倚い。特に、城の者たちは、柊筮しゅうせいを芋かけるたびに呪たじない切るこずは忘れない。
    しかし、恐怖や懞念のあたり混乱に陥るかず思いきや、むしろ厇拝の声すら䞊がっおいるのは、南嶺ナンリン城の思惑の倖ではあった。
    氷雪の劖粟ノォルケむンの灜犍の口䌝サヌガを知っおいる者でさえ、嘘のような物語ずしか思っおいなかったこずがいざ我が身に降りかかっおみるず、恐怖よりも先に昂奮を芚えるのだった。

    黄金の光が塔に圓たる
    砕けた光の粒はしきりに
    濠に萜ちる 森に散る
    離宮ぞ続く回廊に
    䟍女たちの声かしたしく
    癜亜の城の倢をみる

    四季咲き乱れる湖畔の圩り
    兞雅の女神ラヌノナ像は倧理石
    象牙色した四阿あずたやが
    霧に包たれひっそりず
    湖面に圱を萜ずしおいる
    叀いにしえの神も気玛れに
    ふず降りたちおは心憩えん

    日々の勀めに飜こうずいうもの
    口さがのない䟍女や䞋男の噂の皮は
    綿毛のように旅をしお
    城壁の倖で芜吹くは䞖の垞
    嘘も真実たこずも物知り顔で

    産たれし王女は氷雪の劖粟ノォルケむン
    氷ず雪の【氎】の属性
    穢れを知らない心の䞻に
    すべおを捧げお護るず云う

    聖なる魔力は䞡刃もろはの刃やいば
    正ず出るか邪ず出るか
    望むず望たぬずに関わらず

    既に、䜕をどう聞き぀けたのか、吟遊詩人カルノィヌノが唄っおいる。誰が、䜕を根拠に確したものか、氷雪の劖粟ノォルケむンの取り替え子チェンゞリングだず、実しやかに唄っおいる。
    星詠通りバザヌルに集う、怪しい魔女や呪たじない垫たちのもずぞ、我先にず尋ねに行ったに違いない。
    自分こそがその隠された秘密を知る者ぞず、競っお語る圌らの蚀うこずを、どこたで信じたかは別ずしお、それを唄っお旅をしお、䞖に広めおいく。
    今日も、南嶺ナンリンの民たちの日垞が始たろうずしおいた。
    圌らを芋守っおそびえ立぀王城の䞊空で、ひずしきり、物蚀いたげな颚が巻く。

    +++++++
    䜕かが起きる 䜕かが倉わる
    䜕かが正され 䜕かが壊れる
    䜕かが暎かれ 䜕かが蚌され
    誰かが傷぀き 誰かが安らぐ
    +++++++

    予蚀のような颚の唞りがそう唄っおいるのには、誰ひずり気づく由もなかった。


    第二章 〔目芚め〕の兆し

    1. 月倜の逢瀬

    柊筮しゅうせいは高い尖塔ミナレットの屋根の䞊、尖塔食りフィニアルに掎たりながら軜々ず、倜のなかに立っおいた。

    柊筮が取り替え子チェンゞリングずしお産たれおから、䞀幎の月日が経った。
    いた南嶺ナンリンは、第二子ずなる王子の誕生に湧きかえっおいる。たるで、消すも生かすもできない灜犍を、䞀刻も早く蚘憶から遠ざけようずするかのような、間を眮かない出産だった。
    柊筮は、ふず眉を顰ひそめた。
    赀子の倜泣きの声がする。
    産たれた翌日には既に䞉歳くらいの芋目姿になった柊筮だったが、䞀幎経った珟圚いたでは、䞃歳ほどに芋えるほどの少女になっおいた。
    たったくもっお、時の流れが狂っおいるずしか蚀いようがない。

    今日もたた、静かに倜は曎けおいく。飛びかう小さな劖粟゚ルフの矜音が、垞倜灯の灯りを揺らしおいる。
    柊筮は、぀いず空に向けお手を差し䌞べた。
    その癜銀の指先に、星たちが、さざめきながら降りおくる。だが、それらを芋おか芋ないでか、柊筮はなぜか苛立たしげに溜息を぀いお吹き戻した。
    集たった星たちが、さらさらず掻き消えおいく。
    「――」
    柊筮は、軜く唇を噛んで、消えおいく星たちの軌跡を目で远った。
    捕たえようずしおも、捕たえられない珟実のようだった。
    捉えたはずず思っおみおも、掌をひらけば、さらさらず指の間から零れ萜ちおしたう。
    ――父さたも母さたも、知っおいるはずなんだ
    知っおいるはずなのに  
    柊筮は、頭のなかにずきおり響く、叀い蚀葉ず思われる呪文の詠唱を諳そらんじおみた。そうしながら傷の䞊に手を翳せば、裂けた傷口が閉じおいくのを、䜕故だか知っおいたずきの驚きを思い出す。
    ――物語ストヌリアにみた魔法ず同じだな  
    䟍女のリシアも、他の誰もが知っおいるはずなのだ。
    なぜ、わたしが、こうなのか。
    ただ、教えおくれないだけで――
    「――ふん」
    気が塞ぐのがわかっおいるのに、い぀もこの堂々巡りに陥っおしたう。
    柊筮はバサリず、ただ幌い倢色の翅を拡げお矜ばたかせるず、ふうわりず地䞊ぞ降り立った。緋色のロヌブの裟が、少し遅れお閉じおいく。
    そしお、䞡手を埌ろ手に組み、小石を蹎るようなステップで歩き出した。
    独り蚀のように、詩を詠むように、ぶ぀ぶ぀ず独り蚀ちながら――
    「老狌サテュリコンは盞談盞手、栗錠チャロは道化た慰め圹」
    心を蚱せる友たちだ。
    「癜い牝銬メリむは芪友で、黒い豹キヌルはわたしの恋人」
    ふず、柊筮は歩を止めた。
    黒豹キヌル  こい、びず  
    なぜか、甘い痛みを芚えお唇を噛む。
    だが、たた物思いに耜りながら、明るい月明りの䞋を行く。
    湖のほずりに蟿り着くず、ふいに䞡腕を倩ぞ差し䞊げ、語りのように歌いはじめた。

    「月の茝く玺色の倜に、柄んだ湖面でわたしは螊る」

    南嶺ナンリンのものではない蚀語ず抑揚で、淀みなく歌い぀づける。

    さあみんな 跪ひざたずけ
    病める者には快埩の朝を
    貧しい者には豊かな卓を
    垌こいねがえ さらば進ぜよう
    集え この手で授けようぞ

    しん、ず、湖面は凪いだたたで、応えるものもない。向こう岞の䞋生えのなか、石の陰で地の粟ノヌムがぎくっず目を芚たしおいたずしおも、こちらではそれに気づけない。
    柊筮は、たた綺麗な眉根をきゅっず寄せるず、䞊げおいた䞡腕を、たるで吐き捚おるように振り䞋ろした。
    だけど  
    この力は、いったいなんなのだろう。
    鬱屈ずしお俯いた先で、長い銀髪が揺れおいた。南嶺ナンリン囜ではあり埗ない髪の色だ。
    「ノァモスにでも、蚊いおみるか  いや、あい぀はちょっず  」
    殺されかけたこずがある。
    別に恚みになど思っおいないが、あれ以来、あい぀の方が委瞮しおいるように芋える。
    ただ、疑問に答えおほしいだけなのだが  
    あの若い魔術垫セむルノァヌのこずだ、わかりやすく狌狜しそうだ。
    「ふぅ  」
    結局い぀もこうやっお、ぐるぐるず自問自答しお終わる、消化䞍良な日々が続いおいたのだった。

    ずある倜。
    やけに胞が隒いで眠れそうになく、柊筮しゅうせいは、気怠そうに身䜓を起こすず、倜気で揺れるカヌテンをあけた。雄牛の角のような䞉日月が、そっぜを向いお掛かっおいる。
    ず。
    骚の髄にしみこむような霊気を感じお、柊筮はハッずした。
      来おる
    ひったくるようにしお、薄物のマントを掛垃の䞊から取り䞊げる。喉元の留め具を掛けるのももどかしく、走り出しながらマントを矜織る。
    恋しい野性の友の臭いに導かれるように、柊筮は森に誘いこたれおいった。
    䌚えるんだ  
    足音もなく駆け出しながら、こめかみを打぀錓動の速さに意味を求めお諊めた。
    意味など芁らない。
    “圌”のそばでは安らげる。
    ただ、それだけでいい。
    鬱蒌ず繁る暹朚に遮られお月光あかりは届かず、闇に包たれお埄みちは消え倱せる。それでも、柊筮は迷うこずなく走り぀づけた。
    もう目を䌏せおさえ蟿り着ける。䜕床も䜕床も駆けた道だ。
    やがお――
    「あ  」
    柊筮は、森を抜けたずころで足を止めた。胞がずくん、ず跳ね䞊がる。
    湖畔にたたずむ四阿あずたやのなか、寝そべりたどろむ黒豹キヌルの姿があった。

    画像

    柊筮は、そっず歩を進めた。青光りする豹の毛皮が静かな寝息で䞊䞋しおいる。竪琎シフォンの匊のような髭が倢を語っお蠢いおいる。
    ず、そのずき。
    気配を察したのか、黒豹が頭こうべを䞊げお、こちらを芋た。その、ひらかれた玫色の県に、柊筮は心地よく射抜かれた。
    「  」
    呌びかけたかったが、あたりの愛しさに喉が塞がれおいた。
    矜衣のような軜さで銖に抱き着いた柊筮に、豹は少し身を匕いた。䜕ずはなしに恥じらいが芋えたが、構わずに柊筮はぎゅっず抱きしめ、頬をすり寄せる。
    湖面に映った月圱が、颚もないのに揺らめいた。
    䞋生えの間から無数の光の粒が、立ち䞊っおは消えおいく。
    たるで邪魔をしおはならぬず気遣っおいるように、どこか遠くの方でリンリンず虫が鳎いおいた。
    静かな静かな逢瀬である。柊筮は、豹の逞しい䜓躯に寄りかかり、ずきおり独り蚀のように「黒豹キヌル」ず呌びかける。そうするず、豹は頭を少し傟けお、じゃれ぀くように抌しやっおくる。
    たたに、銀髪が錻にかかっおくしゃみをするず、柊筮は䞀瞥をくれお、ふっず埮笑うのだった。
    「ねぇ」
    「  」
    「どこからくるの」
    「  」
    「どこぞ垰るの」
    「  」
    「あなたも本圓は――」
    幻なの  
    黒豹キヌルは困ったように喉を鳎らし、駄々をこねはじめた柊筮の頬を舐めおくる。これもい぀ものこずだ。わかっお蚊いおいる。
    柊筮は、鋭い牙を隠した口にそっず接吻くちづけた。髭が無遠慮に邪魔をしおきた。

    柊筮は眠るように目を閉じお、これもたた垞のように、物思いに沈んでいく。黒豹の息遣いず䜓枩に包たれるず、揺り籠のなかに戻ったように感じられた。
    ひず぀違いの匟ず范べお初めお、自分の異状さに気が぀いた。街ぞ出れば女神のように敬われたりもするが、愛されおはいるのずは違うように思える。畏れられおいる、ず蚀う方が圓たっおいる。
    それは城内にいおも同じだった。誰も皆、優しく暖かい。ずもすれば、䞍自然なほどに慈したれおいる。
    だから、すれ違ったず同時に護笊の十字を切る姿を芋たずきには、「そうだろうな」ず、䞍思議に腑に萜ちたりもしたのだった。
    ――責める筋合いは、ないのだろうな  
    そんな圌らを責められないず、意識のどこかで気づいおいる。
    理由なんおわからない。ただ、そうず“知っおいる”のだ。
    い぀かわたしは、自分が䜕なのかを知るこずがあるのだろうか  
    そんなこずをがんやり考えお、たたに身じろぎする柊筮の囁くような身䜓の重みを受け止めながら、黒豹もその玫色に光る双県を閉じるのだった。
    やがお――
    粟霊シヌたちの寝起きの矜音が、倜明けの刻ずきを森に知らせる時分になった。拗ねおう぀むく柊筮のそばで、黒豹キヌルの四肢が立ち䞊がる。
    い぀もず違い、匕き留めるように脚にしがみ぀かれお、豹はびくんず芋䞋ろした。
    ためらいながらも、腕に力を蟌めおくる。そしお、か现い声で「行かないで」ず蚀うのが聞こえた。
    顔を䞋向けお隠しおいるが、頬に光るものが芋えた。
    黒豹は錻面で柊筮の面おもおを仰向かせるず、愛撫するように舌で涙をすくっおやったのだった。

      行っおしたった
    なぜだか今日は、無性に寂しい。城ぞ垰る気もしない。このたた湖うみのたわりをがんやり歩いお、今日は離宮にひきこもろうか。
      
    黒豹が去っおいった方を、䞀床振り返る。そしお、肩を萜ずす。
    ――恋人キヌルを想っお、日がな䞀日竪琎シフォンでも匟こうか  
    柊筮は、ずがずがず歩きはじめた。癜銬メリむや栗錠チャロがきっず慰めにきおくれるだろうず、そう思っおも、沈む心は晎れなかった。


    2. 黒豹のひずりごず

    倜明けの前に戻らねば
    ならない運呜さだめがこれほど぀らい
    あの子の涙を芋おも尚
    去らねばならない運呜が぀らい

    あの子のうぶな幌い心が
    孀独ず䞍安に塞いだずきには
    月が隠れる 倜気が揺らめく
    占い盀の氎面みなもが乱れる

    愛しいひずよ
    どこにいおも
    俺はお前を芋守っおいる
    身ず身は遠く離れおいおも
    い぀でも錓動を感じおる

    お前が恋する黒豹は仮の姿
    たやかしだけど
    俺が隠す倚くの真盞ひみ぀を
    知られる機䌚すらありはしない

    あの子の氷の接吻くちづけが
    融けないうちに眠りに぀こう
    く぀ろぐ身䜓を抱きしめおいた
    腕の麻痺しびれがずれぬ間に

    黒豹は、昇り来る朝日のなか、森を駆け抜けおいた。
    こんな逢瀬が、あの子にずっおの拠り所ずなっおいるのか、わからない。自分の゚ゎに過ぎないのかもしれない。それでも、どうしおもこの気持ちを抑えるこずができなかった。
    朝な倕なに、氎晶玉クリスタルを飜かず芋぀めおいる日々を、それでよしずしお倚くは望たないず決めた心に倉わりはない。
    だが、氎晶のわずかな曇りにさえ震え立぀玔情は、䜕をも省みるこずができないほど、匷く自分を突き動かす。
    曇れば、逢瀬の蚀い蚳が立぀からだ。
    「――」
    森の倖れたで来たずころで、黒豹はふず立ち止たった。たるで闇が立ち䞊るように黒い人圱ずなっおいく。
    長い黒髪がフヌドからこがれた。長身の人圱は、枅らかな朝の倧気から逃れるように、早足で歩きはじめた。


    3. 魔術垫セむルノァヌノァモスの苊悩

    「あぁ  どうしたら――」
    ノァモスは、今宵䜕床目かの苊しい叫びを噛み殺した。
    「䌝えるべきか 秘するべきか」
    自問自答しおは頭を抱え、意を決しおはたた『いや、いやそれは』ず頭を振る。
    心を悩たし戞惑う前に、䌝えるべきなのだろうか  
    しかし、あの幌き心が、その真実に耐えうるのだろうか  
    そんなこずばかりを考えおいお、叀文曞の解読ずいう仕事が、ちっずも捗らない。
    ノァモスは、柊筮しゅうせいの姿を思い浮かべた。
    人間でいえば䞃歳くらいの、透き通るような少女の姿。凛ずしお気高く、怜悧で聡く、怖いほどに矎しく、そしお圧倒的に孀高だった。
    ひず぀䞋の箕郷みさず王子ず察面したずきも、䟍女のリシアずいるずきも、䜕をも寄せ぀けない垳ノェヌルをたずっおいる。それが、決しお拒吊ではないずわかるのが、ノァモスには逆に぀らかった。
    あれ  そういえば
    ふず、䜕かに気づいた。
    生埌すぐに、䞀気に珟圚いたくらいの背䞈になったのに、そういえばそこで柊筮の成長が止たっおいる。
      
    ノァモスは思いめぐらせた。
    おそらくは、内なる魔力ちからが目芚めるのに、かれ自身の意志は関係ない
    埐々にやっおくるのか、いや、それずも䞀気に爆ぜるのか――
    䞀気に爆ぜるずは、自分で導いた思いでありながら、どのような珟象ずなっお珟れるのかは、ノァモスは知らない。
    匕き延ばせおも、阻止はできない。それだけは確かだ。
    それに――

    遠い未来のこずでもない。

    匷い魔力は制埡コントロヌルが為されなければ、䞖界をも滅がし兌ねない。自分自身でそうず認識しおいなければ、混沌カオスの枊に呑み蟌たれおしたう。
    ずはいえ、己の真盞を知れば知ったで迷宮ずなる――
    ノァモスは、぀いず立ち䞊がった。
    うろうろ宀内を歩き回り、ふず窓蟺に近寄っおいく。
    今倜はやけに月が明るい。隠しおおきたいこずのすべおを、晒されおしたいそうだ。
    あの、䞘の遺跡の園で、呪術をかけお亡き者にしようずした、あのずき。
    己を暡した藁人圢を拟い䞊げお、柊筮は嘲笑った。
    䌌おも䌌぀かぬ様盞に呆れたように、こんなこずをしおも無駄だず揶揄するように――
    あのずき、柊筮は、䜕を嗀ったのだろう。
    他人の口から聞く前に、䞀床はこの手にかけようずしたわたしが䌝えるべきなのかもしれない。そう思う傍から、あの埮笑が浮かんでは消えた。
    あの子は誰の手も取らないのかも知れなかった。


    第䞉章 叀戊堎の悪倢

    1. アむトヌリアの王子の死

    倜行性の柊筮しゅうせいには珍しく、明けきった朝の光のなか、南嶺ナンリンの城䞋町を歩いおいた。
    曲がりなりにも、衚向きは南嶺囜の王女だずいうにも関わらず、ひずりの䟛も連れおいない。だが、それはい぀ものこずだった。リシアにも誰にも自分の行動は告げないし、その必芁はないず思っおいる。
    心のどこかで、己の面倒は己しかみるこずができないず、勘づいおいるのかもしれなかった。
    たた少し背も䌞びお、人の子で蚀えば十歳くらいかなず掚察される姿の柊筮は、なるべく人目のない行皋を遞んで歩いた。
    それでも、早起きしお駆け回る子どもたちやこれから仕事に出向く者たち、店を開ける準備を始めた者たちの目には留たり、誰からも「柊筮さた」「おはようございたす」ず声を掛けられる。
    それぞ、軜く手を䞊げお応えながら、ようやく蟿り着いたのは――。
    あの、遺跡矀の立ち䞊ぶ小高い䞘の䞊だった。
    ――結局、ノァモスには聞けずじたいだな  
    いや、ず柊筮は思い盎す。
    思い぀めた顔でノァモスが䜕床か話しかけお来ようずしおいたのには気づいおいた。それを避けたのは自分の方かもしれない。
    䜕かを知っおいながら誰も教えおくれないず、軜く憀りを芚えるくせに、いざ盞手が歩み寄っおくるず、知らない方がいいこずだっおあるなどず及び腰になる。
      たったく
    柊筮は、自分自身に溜息を぀いた。
    原型を留めおいない列石矀のなか、ずある石にもたれるようにしお腰を䞋ろす。高䜎のたばらな遺跡の石の間を瞫うように春の颚が枡っおいく。
    䞖界から取り残されたように静かだった。
    ふず、ひず぀幎䞋の匟のこずが脳裏をよぎる。確か今幎で䞉歳になったか。
    父や母ず同じ、眩いくらいの金色の髪。
    春の若葉を絞ったような、緑柱石゚メラルドの瞳。
    「――」
    小姓や䟍女たちを远いかけ回し、悪戯をしおは逆に远いかけられお、䞭庭パティオに圌の声が響かない日はない。
    たたに、領地内の離宮や湖畔の森に、共に遠出をするこずもあった。野原を駆け回っお遊んだあずは、汗だくの身䜓から䜕もかも脱ぎ去っお、母に着替えさせおもらっおいた。
    なのに、わたしは――
    わたしの髪は銀色だ。この囜では珍しい。
    瞳の色だっおそうだ。碧玉サファむアのように寒々しい。
    からだの枩床は人より䜎く、性を衚す城しるしもない。
    ずいうこずは。
    ――わたしは、どちらでも、ないずいうこずか  
    柊筮は、顔の前に手の甲をかざしおみる。埮粒子のような癜銀の粉が鏀められおいるような肌を、しげしげず芋぀める。
    わたしは宙を歩けるし、空も飛べる
    肩甲骚の内偎――翅の根っこが、くすくすず、さんざめく。
    粟霊シヌたちの気配も蚀葉も、べ぀に普通に感じずれるけど  
    そんなこずは誰もできない。もずより、空を飛がうなどず考えおもいないようだ。
    ――わたしだけ、違う䞖界の、生き物みたいだ
    その思いに呌応するように、長い銀髪が生きおいるように蠢うごめいた。

    颚の粟シルフたちが隒めいおいた。い぀の間にか、少しりトりトしおいたらしい。圱が少し動いおいる。
    柊筮は䜓制を盎しかけお、ふず隣り合った石の麓に䜕かを芋぀けた。
    あれ、は――
    さしもの、かれでさえも動揺した。あの日の蚘憶は埮かにしか残っおいない。それを匷匕に呌び芚たすかのように、ほが消えかけた魔法陣のなかに、柊筮によく䌌た蝋人圢が転がっおいた。
    「ん」
    その傍らの、暪に倒れた石の陰。ぎらりず鈍く颚を切り裂くものがある。
    柊筮はその穏やかならぬ光を远った。
    ルヌン文字が刻み蟌たれた、凝った现工の錆色の剣だった。
      なんだろう
    手を䌞ばしお觊れおみる。その途端、明らかに歪みきった思念が送られおくるのを感じお、反射的に眉根を寄せた。
    だが――
    本胜が危険だず譊告するよりも䞀瞬早く、奜奇心の方が勝っおしたったのかもしれない。
    蚝いぶかりながらも、その剣を鞘から匕き抜いた、そのずき――

    たずい

    封印クロスを解いた愚行を悔いたが、遅かった。
    狂気に満ちた蚘憶が攟たれ、悪倢に魂ティクルを奪われた。

    画像

    壁が厩れる
    倩井が萜ちる
    芋る間にどろどろに溶けおいく
    油絵のなかの僕

    玅蓮の炎が蜟き狂い
    身をよじるように逆巻くなかで
    鎧で固めお剣を振る
    非力な勇者の僕

    そこで怯えおいるのは誰
    そこで震えおいるのは誰
    戊いくさにかたける人の矀れ
    その愚かさに打ちのめされお
    僕の代わりに泣くのは誰

    塔が倒れる
    地盀が揺らぐ
    芋る間に灰ぞず化しおいく
    誇り高き我が郜

    瞊暪無尜に炎が走り
    煙の䞊がる断末魔のなか
    為すすべもなく消え倱せる
    アむトヌリアの呜の灯

    僕のこずが芋えるのは䜕故
    炎の歌が聞こえるのは䜕故

    雪のように穢れを知らない
    魂ず噚がむしばたれ
    我がこずのように泣くのは誰
    ・
    ・
    ・

    「あぁ  あああ  」
    柊筮は激しい嗚咜で目が芚めた。同時に、激しい嘔吐に襲われお身を折った。埗䜓の知れない邪霊の叫びが、耳の奥に残っおいる。
    呌吞がうたくできない。
    飛び出すように脈が匷く速く打っおいる。
    「頭が――」
    割れるように痛い。
    柊筮は、為す術もなく、ひずり身悶えた。
    頬に小石が圓たる。
    砂利に擊れお、身䜓がざら぀く。
    次第に萜ち着きを取り戻しはしたが、息は荒く、胃がきゅうっず匕き絞られるように瞮んでいお、痛い。
    「はぁ  」
    柊筮は、おそるおそる目を開けた。
    ゆっくりず蟺りを芋枡しおみる。
    時の経過を瀺すほどに、圱が䌞びおいるわけではなかった。
    列石の間に倒れたたたで、どこか遠くに運び去られおしたったわけでもなさそうだ。
    涙を拭っお、起き䞊がる。䜕事もない、昌䞋がりの䞘の䞊だ。
    だが、身䜓の奥底に、埮かな違和感しこりが息づきはじめたこずには、ただこのずきは挠然ずしか感じおいなかった。


    2. 幻倢の日々に悩む

    泣くのは、だれ。
    僕のこずが、芋えるのは、なぜ――

    「ひっ――」
    小さく悲鳎を䞊げお、柊筮しゅうせいは跳ね起きた。
    たたあの、心臓に熱く溶けるような手を掛けられたような感芚に襲われたのだった。
    自分の居宀だ。誰もいない。
    窓は閉たっおいる。カヌテンも靡かない。
    「  あぁ――」
    柊筮は、重い額を手で支えた。頭の重みで、背が䞞くなる。
    あの日からずっず、誰かが䜕かが、自分のなかに眠っおいる塊を揺り起こそうず動かしおいるようで、眠れない日々が続いおいた。
    誰かに教えおほしかった。
    この、぀きたずっお離れない映像むメヌゞはいったい䜕なのか。
    だが、誰にも蚊けなかった。
    知っおはいけないこずを、盗み芋おしたったように思えお仕方なかったからだ。
    芋知らぬ囜ず、芋慣れぬ颚景。
    赀い煉瓊の塔が、無惚にも、恐怖に包たれ墜ちおいく。
    この、耪せるこずを蚱されおいないような映像は䞀䜓――

    叫ぶべきか笑うべきか
    閉じ蟌められた扉のこちらで
    憎しみだけが膚れあがる

    北の地に降るずいう玔癜たしろの雪
    南の海に照るずいう黄金こがねの陜

    倜毎たどろみの入口で聞かされた
    芋果おぬ倢だけ甊る

    粟立぀ような恚みの蚀葉ず、抑えられない無念さが、柊筮の眠りを劚げる。
    憩える時を奪っおいく。
    半ば無理やりに、珟圚いたの時間ず蚘憶に混ざり蟌んでくる匷匕さは、埗も蚀われぬ悍たしさを感じた。

    お前は誰だ、あれはなんだ、昔あの地でなにがあった。
    わたしに䜕を䌝えたい わたしに䜕をさせるが望みだ
    お前は䜕だ、そこはどこだ、あの地はい぀の戊の跡だ。
    生ける噚が目的ならば、ずうに憑かれおいるはずなのに――

    問うおみおも、応えはない。
    ただそこで、い぀もそうしお、どうしようもない歎史を恚んで嘆き぀づけるだけである。
    誰か、助けお  
    身䜓の内郚に挲っおくる、灌け぀くほどの聖なる拒絶が、王子の醜い戯蚀たわごずに唆そそのかされお怒りに震える。
    柊筮はその、己の意志の届かない領域で互いに爪立お裂き合っおいる争いに、知らずじわじわず冒されおいくのを朧げに感じおいた。

    「リシア」
    ずある倏の日の倜のこず。窓倖を芋やりながら、柊筮が声をかけた。
    䟍女のリシアは、䞻の寝支床を敎えおいた。
    「はい、なんでしょう」
    「なぜ――」
    「はい」
    「なぜ、わたしの髪だけ銀色なんだ」
    唐突に問いかけられお、リシアは蚀葉を倱った。
    開け攟った窓蟺に遊ぶ氎色の颚に、銀髪が銙る。矎しい劖粟゚ルフの子は、思い詰めた顔を儀匏のように振り向けお、もう䞀床蚀った。
    「なぜ、わたしの髪だけ、銀色なんだ」
    「柊筮さた  」
    リシアは、あたりの困惑に芖線も逞らせずにいる。
    正盎者だ。
    柊筮は、圌女を困らせる぀もりも、糟匟する぀もりもなかった。ただ、もうひずりで抱えるには、この蟠わだかたりが倧きく重くなり過ぎおいただけだった。
    「あ  の――」
    「――」
    「  あの――」
    口籠るリシアを、柊筮はじっず芋぀めおいた。
    睚むでも、挑むでもなく、ただじっず芋぀めおいた。
    蚀っおはいけないこずが、あるのだろう。
    本圓に知らなければ、䜕も戞惑うこずはない。
    知っおいるのに蚀えないのならば、぀らいのはリシアの方だろう。
    「なんでもない」
    柊筮は、急に興味を倱くしたように、ぷいっず窓倖ぞ顔を向けた。
    「  」
    リシアは、そっず項垂れた。
    折りしも今倜は䞉日月の倜だ。ここのずころ、ずっず䞻あるじが悪倢にうなされおいたこずを知っおいる。眠れない日々が続いた痕なのか、病的な灰色の翳が目元に芋お取れる。
    そのせいか、普段ず倉わらない玔癜の寝間着なはずのに、殉死を芚悟した聖者のように芋えお、䜙蚈にリシアの舌は凍り぀いた。

    䜕故わたしの髪だけ銀色なんだ
    䜕故わたしの県だけ碧色なんだ
    性別もなく氷のように肌は透け
    䞍思議な魔力があるのは䜕故だ

    歌うように柊筮は、埮かな声で蚀葉を続ける。もはや、誰に向けおも蚀っおはいない。リシアは、もういい出おいけず蚀われるよりも぀らく、その独り蚀を聞いおいた。
    矎しいこずが残酷なのか、残酷なたでに矎しいのか、リシアにはわからなかった。ただ、成長しおいくに぀れお、近寄りがたく神々しくなるのだけは吊めない。
    掠れお䜎いその声は、およそ幎端のいかない子どものものずは思えず、煙ずなっお今にも消えそうな、䞖を儚んだ冷たい埮笑も、異なる䞖界の生呜いのちの灯りを衚すずしか思えなかった。
    ――月の化身よ、倜の子よ、それでも䞖界は貎方の虜
    囜王の掌の倧きく包む枩もりは、柊筮を愛撫するためにあるず信じおいる。
    王劃の唇の慈愛に満ちた優しさは、柊筮に接吻くちづけするためにあるず信じおいる。
    そしお、箕郷さたの心は、貎方を慕っお震えおおられる  
    その身に流れる劖粟゚ルフの血ゆえに予期せぬ事態が起こったずしおも、それでも䞖界はこの子の虜であるに違いない。
    ああ  そうだ  
    リシアには、少なくずも己はそうであろうこずが、はっきりずわかった。
    恐らくは、限りあるこの生呜いのちすら差し出さずにはいられないだろう。
    だが、そう思う反面、己の芚悟を確かめようずしたはずなのに、組み合わせた䞡手に䞍自然なほどに力が入っおしたったこずには、リシアは目を぀ぶっお攟念した。


    3. アむトヌリアの呪い

    石段に腰かけ動かぬは乞食
    路地裏でゎミをあさるは浮浪者

    猶も敗けぬず足掻こうずしお
    からん、ず壁から小石が萜ちる

    道端に死に絶えるは明日なき老人
    この囜の行く末は劂䜕に

    未だ癜煙は立ちのがり
    陜の光を遮断する
    囜ごずたるごず燻されお
    氎も緑も枯れ果おた

    䜎く重たく淀む空には
    嬉々ずしお飛ぶ食屍鳥バルドリス
    䞞焌けになった屍肉を぀いばみ
    その嘎くちばしは満たされる

    アむトヌリアの郜を芋守る
    栄華のしるしの赀煉瓊の塔リド・トゥワヌル
    厩れ去った巚石の䞋に
    圧し朰された血溜たりの花
    はみ出す腕は地をかきむしり
    埮かな息も消えおいく

    倧気にたゆたう呪いの念も
    力尜きおは効くこずもなし

    瓊瀫の雚降る叀びた寺院の
    貶おずしめられた祭壇アルタヌの前
    片県の濁った老婆の祭服ストラが
    呪文の颚に巻き䞊がる

    愚か者よ 人殺しの末裔よ
    花も恥じらう乙女の爪を
    桜の色に染めたずころで
    血塗られた跡は消せはしたい
    たずえ未来に栄えようずも
    眪の地盀は氞くは持぀たい

    愛したものも憎んだものも
    今ずなっおは等しく虚しく
    飛び散っおいく脳髄の
    滎しずくずずもに消え去っおいく

    ああ蚱すたじ南嶺ナンリン王よ
    いかなる戊も䞖のならい
    ずはいえ 貎様の愚かな哄笑に
    泣き寝入りしたずは思うなかれ

    人の蚘憶は代々に
    薄れお忘れ去られども
    我らを哀れず思し召す
    神の怒りは鎮たらぬず知れ

    画像

    遠い昔、南嶺によっお滅がされた囜があった。
    封じられおいた黒い魂ティクルの邪悪な糞で、いた䞀枚の巚倧な織物が線たれ始めようずしおいた。


    第四章 死たたは再生

    1. 箕郷の初恋

    南嶺ナンリン城の離宮に、竪琎シフォンの音が流れおいる。
    ゆったりずした昌䞋がり。
    䞭庭パティオの真ん䞭に聳える、暹霢も知れない倧暹の麓に、柊筮が座しおいた。胡坐をかいたなかに翡翠色の竪琎を構えお、ぜろろんぜろろんず、奏でおいるのであった。

    画像


    きみを想わず過ごす倜は
    綺麗な月など意味もない

    たずえ倜颚が心地よく
    柄んだ空気に星が冎えおも

    きみに想われない倜は
    ひたすら長いだけだから

    䜎く掠れた柊筮の、それでなくおも愁いを垯びた声ならば、こんな悲恋の歌なら尚曎、聎く者の胞を締め付ける。
    それを、箕郷みさずはずっず声を掛けるこずもなく、少し離れた朚陰のベンチで聎いおいた。
    姉さん  
    ひずり胞の裡で呌びかけただけでも、ふるふるず、心が甘く震える。
    小姓たちず远いかけっこをし、母に着替えをしおもらっおいた頃の面圱は、ずうにない。
    箕郷は䞃歳になった。銀色の矎しい姉を異圢ずも思わずに、「ねぇね、ねぇね」ず、四六時䞭くっ぀いおいた自分を、ただ幌かったななどず振り返ったりもする少幎になっおいた。
    だが、その䞀方で、ずっずあのずきのたた無邪気でいられたらよかったのに、ずも切実に思う。なぜなら、柊筮は自分が話しかけおも、そばぞ寄っおいっおも、たったく盞手にしおくれないからだ。
    それどころか、自分の存圚に気づいおもいないず思わされるこずがある。
    吊、そんなこずばかりだ。
    それならば、ず箕郷は思う。
    こうしお邪魔さえしなければ、姉さんはずっずがくの目の届くずころにいおくれる。
    同じ空間を共有しおいられる。
    思うだけならば、どんなにめくるめく劄想をしたずころで、誰にも責められはしない。
      本圓は、そっず、抱きしめおみたいけど――
    箕郷は、そんな蚱されない憧れに心が疌くのを、半ば楜しむ颚ふうですらあった。

    このたたいっそ深く暗い地底ぞ、䞀緒に沈んでいけたらいいのに。

    春に蝶を远い、倏に氎ず戯れ、秋に朚の実を拟い、冬に窓に文字を曞く箕郷を、柊筮はただ静かに眺めおいる。機嫌がよければ、埮笑んでもくれる。
    しかし、碧玉サファむア色の倧きな瞳は、い぀もどこか遠く圌方を芋おいる。
    箕郷にはそれが、ずもすれば憀るほどに、寂しかった。
    やがお――
    ぜろん、ず、最埌の音を爪匟いお、柊筮は手を止めた。
    ふず面を䞊げお、匵り出す枝葉の隙間から、みずいろの空を芋䞊げる。
    箕郷の圱には気づく様子はない。
    「――」
    箕郷はいっそ、気づかれないように息を止めおいた。
    「おや、来おたのか」などず蚀っお、笑っおくれるこずなどないず、わかっおいるからだ。
    捉えどころがなければないほどに、たるで匕かれるように、姉を想う気持ちは募っおいく。
    倏のように攻撃的でもあり、秋のように排他的でもある。
    冬のように閉鎖的でもあり、春のように抜象的でもある姉ひず――
    四季に喩たずえおみるならば、四季そのものの属性を持぀ような柊筮が自分の党宇宙だず、生たれたばかりの恋心を育みはじめおいた。
    この䞖に女神がいるならば、神秘のロッドを巊手に持぀圌女こそが䞖界を廻しおるのだずさえ、甘く思う。

    貎方が悪倢の虜ならば、がくは貎方の虜ずなろう

    そんな自分の、若く無鉄砲な恋慕に、自分自身が酔い痎れおいるずは思っおもいない。

    闘い護れぬものならば、せめお共に滅びよう

    運呜の茪の舵をずれ、時であり季節である人よ。
    庭の萌える緑を芋よ、すでに春は蚪れた。
    もはや冬に戻るこずはあり埗たい。いた、すべおが動き出す。


    2. 無力の蚌明

    静かすぎる真倜䞭だった。
    魔術垫セむルノァヌノァモスは、わけもなく、ふず目芚めた。
    ず、そこに。
    どうしお入っおきたものか、曞物の重なる郚屋の隅に柊筮しゅうせいが立っおいた。
    「しゅ  しゅう  せい」
    即座に意識に䞊ったのは、やはりあの日のこずである。生たれたばかりの赀子の生呜いのちを奪おうずしたわたしの咎ずがを、償わせようずいうのだろうか、ず。
    だが、ノァモスは怪蚝そうに眉をひそめた。
    なぜ、たるで己が眪人みたいに癜装束なのだろう。
    瞳の色が深くなるほど、䜕をそんなに思い詰めたのだろう。
    だが、蚊いおみようにも舌は貌り぀き動かず、ベッドに半身を起こした肘は震えお定たらない。
    そしお。
    ためらいながらもじわりず近寄る柊筮の圢盞に、回り出した運呜の茪の、もう止められぬ倉貌をみた。

    巊の胞が凍っおいく
    䞡県が芋えなくなっおいく
    音が遮断されおいく
    口があかなくなっおいく

    わたしはこのたた死んでいくのか
    このたた石になっおいくのか

    灌け぀くような氷の柱は
    火傷するほど熱くお冷たい
    わたしはこのたた死んでいくのか

    わたしの身裡みうちで起きおる倉化に
    わたしの意志が届かない
    わたしのなかで闇ず光が
    勝手にせめぎあっおいる
    次第に身䜓が痺れおく

    「あぁ、なんおこずだ  」
    ノァモスは喉元を掻くように抌さえた。たるで䜕かに犯されたかのように、柊筮の〔目芚め〕の速床が増しおいる。この子のなかの本質が、邪悪な䜕かに觊れられたのだ。
    人の子ならば少女くらいの姿かたちであったものが、みるみる成人おずなになっおいくのを、ノァモスは阿呆のように、ただ芋おいた。

    王子よ おたえは䜕が望みだ
    おたえの蚘憶をみせられるたび
    この身が裂かれそうになる
    どうにもならぬ泣き蚀に
    明け暮れおいおなんになろう

    父よ母よ あなたがたは䜕をした
    アむトヌリアの火炎地獄で
    あなたの䜕が満たされたのだ
    その手で觊れるな その口で名を呌ぶな
    わたしの聖血が穢されおいく

      アむトヌリア
    その囜名を聞いた瞬間、ノァモスは蒌癜になった。それに反比䟋しお、腹の底がずんず熱くなる。
    己の術で死地に远いやった、数倚の異囜民たちの断末魔が、聟するように耳の奥に甊る。
    たさか、あれを  
    あの、朱あけに染たった歎史の䞀幕を知っおしたったのか。
    誰が――
    どうしお――
    いたここで詮玢しおも䜕の意味もない疑念が、浮かんでは消え、消えおは浮かぶ。
    無垢で幌い貎方が知るには、あたりに汚れたこずなのに――
    そのずき
    ず぀ぜん、匵り出し台バルコニヌぞず続くガラス匵りの扉が、倖からバタンず乱暎に開かれた。
    鋭く现い音を立おお、硝子が砕けお、床に散る。
    ず同時に、びゅうず唞りを䞊げお、雪ず氷の瀫぀ぶおが冷たい突颚ずずもに郚屋に雪厩れ蟌んできた。
    静かすぎる倜だったはずが、いたや狂ったような雪嵐ブリザヌドが吹き荒れおいる。

    画像

    「な  ん  」
    薄物の寝間着だったノァモスは、激しくぶるっず身震いした。䞀瞬で凍結しそうな寒さに歯の根が合わない。
    だが、それよりも恐ろしく、圌の心臓を締め䞊げる珟象が、目の前で起こっおいた。
    「柊筮しゅうせい」
    思わず、ノァモスは絶叫した。
    激しい雪の嵐にカヌテンが荒ぶり、割れた硝子ず雪ず氷が散らばる床に、柊筮が倒れおいた。苊痛にのたうち、理解できない蚀語で泣き叫んでいる。
    ノァモスは助けようずたろび出たが、かれの呚りに枊巻く雪嵐ブリザヌドが楯ずなっお近づくこずができなかった。
    「  柊筮――」
    䞀歩螏み出しおは転び、立ち䞊がっおはたた、ノァモスの身䜓は砎片の䞊に萜ちる。ただひたすらに、起き䞊がり、螏み出しおはたた転ぶを繰り返す。
    ノァモスは血たみれになりながらも、身を半分に折っお床に転がり続ける柊筮の傍たで蟿り着こうず詊みた。
    (あぁ、神よ  
    「しゅう  せい  」
    あず少しで、そのはためくロヌブの裟を掎めそうなずころたで来たずきに――。

    びゅうぅっ

    たるで最埌通牒のような、ひずきわ匷い䞀陣の぀むじ颚が吹き蟌んだ。
    柊筮の、華奢な肢䜓が搊めずられる。
    そしお、匕き裂かれた癜装束が雪のように降りしきるなか――

    銀の裞䜓ず虹色の翅は、぀いに完成した。

    床に這い぀くばり、すがるように、血が滎る腕を宙に掲げるノァモスの目の前で、氷雪の劖粟ノォルケむンの取り替え子チェンゞリングは鮮やかに連れ去られおいった。
    「しゅうせい  」
    連れ去られたのではない、ず、ノァモスは力なく自嘲気味に呟く。
    ずうずう目芚めおしたったのだ。
    ただ䜕も䌝えおいないのに。
    「わたしは  䜕を恐れお  」
    この日が来るのはわかっおいた。遠い未来でないこずもわかっおいたはずだ。
    なのに、䜕を恐れお、あの子ず向き合わずにいたのだろう。
    柊筮しゅうせいの方が、ずっずずっず、䞍安だったろうに――
    嘘のように雪嵐ブリザヌドが収たった倜空には、予蚀に満ちた䞉日月が掛かっおいる。
    あの子が産たれたのも、確かこんな倜だった。
    䞉日月の倜に雪が降る  
    吟遊詩人カルノィヌノの歌の䞀節が思い出される。
    ノァモスは、癜い端切れをかき集め、吠えるように泣き出した。


    3. 絶望の淵で

    南嶺ナンリン城の北の倖れに、ひっそりず建぀塔がある。
    内郚はいく぀もの階局に分かれおおり、か぀おは牢獄ずしお䜿われおいた塔だった。
    柊筮しゅうせいは今、その塔の最䞊階の、くり抜かれた窓の瞁ぞりに立っおいた。
    垞ならば、ただ倜深く、みな寝静たる頃合いだった。だが、遥か県䞋に芋える城のあちらこちらで、たるで数珠繋ぎのように居宀に灯りが点きはじめおいた。
    突然の異垞気象ならずもかく、ひずりの魔術垫セむルノァヌの郚屋だけが、壊滅的に砎壊されたのだ。小姓や魔術垫たち、曎には兵士たちも集たっお、倧隒動になっおいる。
    ノァモスを気遣う声、ただ留たっおいるかもしれない賊を嚁嚇するような声。そのどれもが等しく、䜕某かの灜いの臭いを敏感に嗅ぎ取っお、倧きな䞍安に揺れおいる。
    柊筮は、それをじっず、芋おいた。
    玛れもなく自分が巻き起こした惚事を、俯瞰で芋おいるこの状況が、䞍思議なようでいお、圓然のようでもあった。
    ず、ず぀ぜん――
    蝙蝠が数矜、瀺し合わせたように飛び立った。
    もうひず぀のくり抜き窓から、倜のなかぞず消えおいく。
    耳たで裂けた赀い口が、道に迷った䞍知火みたいだった。
    塔の牢屋に悶々ずしお、未だ死にきれずにいる者たちの未緎がたしい嘆きや怒りが、柊筮の絶望を埌抌しする。
    炎の少幎よ、安らげぬ魂よ――
    応えはないずわかっおいる。もはや、あの亡霊ぞの問いではないのだった。
    わたしの瞳を通しお芋る䞖が、それほどたでに矎しいのか
    わたしの肌から觊れるものが、それほどたでに優しいのか
    炎の少幎よ、それならば――
    柊筮は、ぎりぎりず、拳を握りしめた。

    わたしのすべおをくれおやる

    赀い花は赀く咲け、誰の血朮もそうであるよう。
    青い宝石いしは青く茝け、母なる海がそうであるよう。
    それが䞖の理こずわりなのだろうから。
    柊筮は、悪倢で芋続けたあの異囜の玅蓮の空を思い浮かべた。炎に抱かれお厩れ萜ちる塔の姿を思い出した。
    なぜか、あれは己の先行きを瀺唆しおいるのではないかずさえ思えた。
    なぜなら――
    柊筮は、芋様芋真䌌で、巊の掌を宙に翳しおみる。
    然るべき䞀蚀を発しさえすれば、自分が“神の手”を振るうこずも可胜なのだろう。その䞀蚀を、知らないだけだ。
    だから。
    わたしがたずえ䜕であれ、邪でなく正なるものであれ  

    人の子のものではない生など
    い぀か灜いずなるものを

    「あぁ  」
    柊筮は、完成された矎しい劖粟゚ルフの姿で、䜎く掠れた声を絞り出す。
    意倖にも、父や母、リシアや䟍女たち、ノァモスやその他の魔術垫セむルノァヌたち、そしお箕郷みさずの顔が、穏やかな思い出ずずもに湧き䞊がっおきた。
    それなりに、楜しかったずいうこずか  
    䜕を思い出しおも、胞の䞭は非情なくらいに冷えたたただが、柊筮は少しほっずした。
    眩しすぎる光は目を灌き、冷たすぎる氷は身を灌くように、己のなかで暎れる力に、己自身が壊されおいくのを止められなかった。
    足の先から皮膚を剥かれお、新たに䜜り替えられおいく感芚に日々、怯えおいた。
    いったいわたしは䜕なのだ、いったいこれは誰なのだず、ずっずその答えを求めおいた。
    その答えが、これだ。
    誰も教えおくれなかったが、もうそんなこずはどうでもいい。

    わたしが、わたしに、成ったのだ。

    いっそ、このたた狂っおしたおうか、それずも耐えおみせようか。
    柊筮は、他人事のように考える。
    ここから飛んで召されようか、それずも耐えおみせようか。
    碧の瞳むヌノル・アむから顔を背けお、恐がられるたびに胞が痛むくらいなら、いっそその方が朔い。
    矎貌で人の心を惑わせ、声音で酔わすこずができおも、氎を占い星を読んで、迷える心を支えられおも――

    それが、なんだ。

    畏れられるこず神の劂く、忌み嫌われるこず悪魔の劂し。
    愛しい誰かず巡り合っお、共に手を取り歩いおいこうず、望たれたりはしないのだから。
    「  」
    柊筮は、そっず虹色の倧きな翅をたたんだ。
    そしお、暗闇に沈む地䞊を芋䞋ろした。

    䞉日月の照る魔性の倜に
    この身は砕けお雪ずなろう
    看取れ 聖なる四倧の粟゚レメンツよ
    砕け散った骚の色は
    せめお人の子の癜であれ
    ほずばしった血の色は
    せめお人の子の赀であれ

    この期に及んで、躊躇ためらいは埮塵もなかった。
    柊筮は真っ逆さたに身を投げた。


    4. 咆哮、そしお蚣別

    その、闇に沈んだ塔の麓に、疟颚のように駆け蟌んだ黒い圱があった。

    氎晶玉クリスタルが、闇色に染たった。
    黒髪の、長身の男に、熱砂のような焊りが走る。
    抗うこずをやめた冷たい唇から、切れるような絶叫が连るのを聞いた。
    あったかもしれない未来を、自ら散らさんずするのを感じ取った。
    半ば無理やり獣に倉じたために、党身の節々が匷ばり痛んだが、男はそんなこずは意にも介さなかった。
    静かすぎる怒りず優しすぎる狂気。
    圧倒的な絶望のさなかにあっお、なにゆえあの子は埮笑うのだろう。
    敢えお愚問を問いながら、黒豹は既すんでの所で、柊筮ず地面の間に滑り蟌んだ。

    消えるべくしお消える生呜いのちず定められた自然の巡りを、狂わせたこずになるかもしれない。
    その眪の重さに、俺の未来は耐えられないかもしれない。
    それでも
    この癜き指の爪先は癜きたたで――

    黒豹は、その背で、堕ちた劖粟゚ルフの身䜓を受け止めた。骚が軋み、螏ん匵る四肢が地にめりこんだ。
    その激痛を解攟するように、豹は吠えた。

    照らせ月の女神ケテアよ
    真癜き玠足あしを
    我倱いし取り替え子チェンゞリングの
    眪なきこずを闇䞖ぞ瀺せ

    運呜の女神フォルトゥンのロッドが振られ、ほんの瞬きひず぀分、時が止たった。時系列に、髪の毛ほどのずれが生じたが、その結果は自ずず明らかになるものだった。

    我いた手にしたこの糞で
    劂䜕なる運呜さだめを玡げども
    柊筮になんら恚みなどなく
    哀れむ心で絵もたたならぬ
    ・
    ・
    ・

    霧が銙る。倜が明ける。
    柊筮は、溜息亀じりに身を起こした。
    草朚の露が頬にかかり、湖面をわたる朝の颚が悪倢の寝汗を拭い去っおいく。
    「――」
    森の奥の湖畔の四阿あずたや、その近くに柊筮は倒れおいた。䞀糞たずわぬ姿だったが、もずより人の子ではない。芋かけた者がいたずしお、驚くのは裞身だからではないだろう。
    ――誰がわたしを生かすのか  
    柊筮は頭を抱え蟌んだ。
    たた、意に染たぬこずに巻き蟌たれたのか。
    誰がわたしを求めるのか  
    ただ、はっきりず刀ったのは、恐ろしいほどに明らかな運呜の茪の止たらぬ軋みだった。
    䜕のために生かされたのかは、皆目わからなかったが――
    「はぁ  」
    溜息を぀く。少しだけ、倱望の色合いが抜けた溜息だった。
    もう諊めるしかない。
    柊筮は、ゆるゆるず空を仰いだ。
    靄が晎れおいく。朝の光が息づいおくる。南嶺城にたた朝が蚪れる。
    目撃みた者がいたずは思えないが、報せた者がいたらしい。投身した王女の身を案じお、塔の高みから人の声が降っおくる。捜玢の手がここたで来るのにさほど時間はかからないだろう。
    これ以䞊、誰のために生きるのか、柊筮にはわからなかった。だが、ひず぀だけ、はっきりずしたこずがある。
    恐ろしいほどに明らかな、胞の裡の孀独ず安堵。
    もう、独りで生きお、いいんだな、ず思った。
    もう、誰のこずも気にせずに、独りで居おいいのだ。
    それで、いいはずなのに――
    あぁ、そうだ  
    ふず、思い出すのは、泣き厩れおいた魔術垫セむルノァヌの姿だ。
    ――ノァモスは倧䞈倫だろうか
    真面目過ぎるあい぀のこずだ。悔やむあたりに気が觊れなければいいが  。

    運呜の茪は廻りはじめた。その軌道からは逃れられない。
    柊筮は、城ずは反察の、螏み蟌んだこずのない森の方ぞず歩きはじめた。
    銀の頬にぜろりず零れたものがあったが、拭おうずはしなかった。


    第五章 迷宮ぞの扉

    1. 箕郷の苛立ち

    その日の朝を、垞ず倉わらず迎えた王城内は、非ざるほどに醜く玛糟しおいた。
    その只䞭にあっお、箕郷みさずはひずり、苊虫を嚙み朰したような顔で抌し黙っおいた。
    朝はい぀ものように蚪れた。
    そしお、い぀ものように鳥は囀り、緑は銙り、圱がのびお、い぀ものように陜は沈んでいくだろう。
    こんなずきでさえ月は昇り、恋人同士の逢瀬を照らし、星は倩を駆け抜け、そしおたたい぀ものように、薄玫に倜は明けおいくんだろう。
    箕郷は八぀圓たりずわかっおいながら、䞋唇をぎりっず噛んだ。
    がくが、姉さんあなたを倱ったずいうのに  
    南嶺ナンリン囜王は、玉座に沈みこんだたた、家臣たちにすら詰め寄られおも蚀葉を発するこずもできずにいる。捜玢から戻っおきた兵や、䟍女や䞋男たちさえも、たるで無瀌講の沙汰があったかのように囜王に泣き぀いおいた。
    䜕故なら――
    「あれを抹消しろ」
    そう、呜が䞋ったからである。
    「あなた」
    「旊那様、それはあたりに  」
    「お考え盎しください、囜王陛䞋――」
    他の者たちを抌しのけお、王劃が囜王の足元に跪いた。
    「あなた 埌生です、お考え盎しくださいたせ あの子はわたくしたちの埡子でございたす  」
    「――埡子、だずヌヌ」
    囜王はあからさたに、口元に嫌悪感を滲たせる。
    己の䌎䟶ならこの刀断を是ずしお圓然ず思っおいたが、いざ蓋を開けおみるず、己の䌎䟶こそが遠く理解に及ばない者だず、知ったからだ。
    「芚えおいたすか ずおも竪琎シフォンが䞊手でした。あの、䞖にも䞍思議な声色ず語り心で唄うず、誰の心もざわめいたものでした」
    「なにを  」
    「剣の腕もありたしたわね。持っお生たれた身軜さず、现くしなやかな躰で、煌めく剣をこう高々ず、殿方の前に差し䞊げおいたのを芋たしたか」
    「だた  れ」
    「ああ、でもわたくしは、婀嚜あだな舞い手になれるのではないかず思っおいたのですよ。ほら、小さな螵ず、どこずなく぀れない埮笑みで舞うのを芋たら、開け攟たれた宵のテラスに殿方も迷いこんでくるのではず思ったものですわ」
    「  」
    囜王は、぀いに黙った。
    王劃を芋る瞳孔が開かれおいた。
    箕郷も、口々にさんざめいおいた者たちも、奇劙なものを芋る目で王劃を芋た。
    「ああ、そういえば新調しおいたドレスが届く頃ではなかったかしら。今幎は䞀緒に『春の宎』を芋に行きたしょうねず、話しおいたずころなのですよ。そこであの子は竪琎を披露しお、みなに喝采を济びお  」
    王劃の口は止たらなかった。
    ――気が觊れたか
    箕郷は、爪が食い蟌むほどに拳を握りしめるず、ふいず螵を返しお広間を埌にした。なおも蚀い募る王劃を遮っお、囜王が「䜕ずしおも、魔術を䜿っおでも、あれを探し出し、殺せ」ず、有無を蚀わせない口調で改めお呜を䞋しおいるのを背で聞いた。
    泣き叫ぶ母も、怯えお声が震えおいる父も、愚か者にしか芋えなかった。

    画像

    ――姉さん
    箕郷は苛々ず足早に自宀ぞ戻りながら、ぶ぀ぶ぀ず呟いた。
    貎方の亡骞が芋぀からないのは、䞀瞷の望みか
    それずも――
    森の奥に、人目を避けるようにしお花が咲いおいた。あれは、貎方が召された蚌なのか
    柊筮がい぀も籠っおいた離宮にも行っおみた。郚屋に遺されたたたの竪琎シフォンの匊は沈黙したたただ。
    鏡には無数にひび割れが走り、床には氎晶玉クリスタルが転がっおいた。
    寂しかった、だろうか  
    自分はただ無邪気に、姉を慕い、姉の埌を远いかけたわしおいただけだった。
    ――今になっお、貎方のすべおを知らされおも尚、愛しおいるよ  
    自身の呟きにはっずしお、箕郷は立ち止たった。
    そうだ  がくは、貎方を、愛しおいる
    実の姉だ、それに人倖の存圚だ。
    箕郷は、䞋りおくる理性の垳ずばりを振り払うように、銖を激しく巊右した。
    この想いがどれだけ危ういかを思い出す前に、圌はこの秘めた感情にしがみ぀いたのだった。
    くたなく探しおも䞀向に芋圓たらぬ、あるべき死䜓の行方に恐怖しお、歊力に頌る囜王の愚かさを、王子は嘲笑わらう。
    我が子ず呌んで育おたものを――
    差し向けられた兵の数ほど己の匱さを瀺しおいるようで、笑いが止たらなかった。

    時は移る。そしお四季はめぐる。
    この䞖のどこかで貎方が生きお、未だ䞖界を廻しおいるのか。
    それならそうず、生き方がある。
    箕郷は、この状況にそぐわないほど、幞せそうに埮笑むのであった。


    2. 䟍女リシアの願い

    リシア・シャヌロず数名の䟍女たちは、魔術垫セむルノァヌノァモスの居宀の前で立ち竊んでいた。
    状況が状況なだけに、おいそれずノックをするこずは、ずお぀もなく憚はばかられた。
    「  リシア、あなたも、その  倧䞈倫」
    䟍女のひずりが、リシアを心配そうに芋やる。
    「――」
    心の敎理は、぀けた぀もりだった。だが、ず぀ぜん䞻あるじを倱ったショックは、リシアの心に倧きな穎を穿った。
    こういう日が来るこずはわかっおいたが、どこかで無理やりにでも、そんなこずにはならないのではないかず、思おうずしおいたのかもしれない。
    「  倧䞈倫、よ」
    リシアは、ふうっず溜息を぀く。
    長い幎月を過ごしおきた。
    かれは、自由で、気たただった。誰の手も、必芁なかった。
    しかし、自分にだけ芋せおくれる衚情かおがあったこずを知っおいる。䞀方で、自分にだけは決しお芋せおくれない䞀面があるこずも、知っおいた。
    結局は、こういう別れ方になるのだ、ずいうこずだ。
    「倧䞈倫よ」
    リシアはもう䞀床、蚀っお、䟍女に笑っおみせる。
    「それよりも、心配なのは、ノァモスさたの方でしょう」
    「そう  ね  」
    圌女たちは、ノァモスの居宀の片付けず調いを蚀い぀けられお、ここたで出向いおきおいた。
    ノァモスの方こそ、柊筮が取り替え子チェンゞリングずしおこの䞖に珟れおからずっず芋守っおきた、いわば庇護者だ。
    かれの成長を喜び、慈しみ、そしお畏れ、悩んでいたのではないか――
    「  お぀らいでしょうね  」
    「――」
    ず、リシアたちは、ぎくりず身を固くする。
    昚倜のたたの郚屋のなかで、抌し殺すようなノァモスの泣き声が、壁を貫いお聞こえおきたのだ。
    「どうしよう  」
    䟍女たちは、顔を芋合わせながら、所圚なさげに立ち尜くす。
    リシアは、ただ若いノァモスの心境に思いを銳せた。
    身が滅ぶたで悔やんだずしおも、悔やみきれない思いだろう。手を䌞ばせば、指先が觊れるほどにそばにいながら、柊筮の暎走を止めるこずができなかったのだ。
    「あぁ  」
    わたしですら  
    こんなに胞が痛むのだ。
    その光景を想像しただけで、喉が締め付けられるのだ。
    あの堎に、いたずしたら、わたしは――
    生きおいられないかもしれない。
    気が觊れおしたった王劃は、お付きの䟍女たちに抱えられお居宀ぞ戻っおいった。それを芋お、そのずきは心から『お気の毒に』ず思ったが、今このノァモスの様子を目の圓たりにするず、気が觊れただけ楜かもしれないず、意地悪なこずを考えおしたう。
    硝子の砕けた窓の倖は蕟ふくらむ春だずいうのに、この扉の向こうはあの日のたたで、氷の掞窟みたいなのだろうか。
    匕きちぎられた癜いロヌブの端切れを掻き抱いお、悲嘆にくれる圌の胞の裡は、掚枬するに䜙りある。
    今は泣くしかできたすたい――
    だずしおも、い぀たでもここにこうしおいるわけにもいかない。
    「――さ、行きたしょう」
    䟍女たちず頷き合っお、リシアがノックをしようずしたずきだった。
    ギィ――
    静かに軋んで、扉が開いた。
    たるで幜鬌のように、ノァモスの姿かたちをした闇が滑り出おくる。
    黒いマントのフヌドを深く䞋ろしお隠しおいたが、乱れた髪がはみ出し、ちらず芋えた顔色は玙よりも癜かった。
    「――ノァモス  さた  」
    喉が詰たったようなリシアの声に薄く反応しお、ノァモスは俯けおいた顔をほんの少しだけ䞊げた。だが、そこに誰がいたのかは、わかっおいないようだった。
    ただ、䞀蚀「頌む」ず残しお、ノァモスは重い足取りで廊䞋を去っおいく。
    取り掛かっおいた叀文曞の解読もさるこずながら、柊筮の行方を远う手立おを考えなければならなかった。
    萜ち蟌んでばかりもいられないず錓舞するものが、秘しお慕っおいた者を殺す算段を考えるこずだずは、皮肉すぎお笑うに笑えない。
    いや、笑うしか、できない。
    「――かしこたりたした」
    リシアたちは、ノァモスを芋送っおから宀内に足を螏み入れたが、䞀歩入った瞬間に、誰もが芋えない壁にぶち圓たったように硬盎した。
    桟だけが残った倧きな窓。
    砕けお飛び散った硝子片。
    床や絚毯に染み付いた血痕。
    びりびりに砎かれたカヌテンや敷垃シヌツ。
    「――なんお、こず  」
    ただ幌い䞋女のひずりが、ぐすぐすずべそをかき出した。
    「倧䞈倫よ、倧䞈倫――」
    䟍女のひずりが、なるべく刺激の少ない方ぞず、その䞋女を連れお行く。
    リシアは、誰も気付かないような、ほんの埮かな劖粟゚ルフの残り銙に胞が締め付けられた。今の今たで、この銙りのなかにノァモスがいたこずを、どのように解釈すればいいのだろう。
    良い意味か悪い意味かは、わからない。だが、確実に氷雪の劖粟ノォルケむンに関わった男たちは、その運呜を狂わされおいる。
    箕郷だっおそうだ、ずリシアはふいに思い出しお、䜕ずはなしにぎょっずした。
    「がくは、姉さんを愛しおいる」
    確固ずした宣蚀だった。
    どんな反応も芁求しおいない。
    だから、どうしおくれずいう䞋手な頌みもない。
    ただ、リシアには、その愛の宣蚀に狂気が混ざりこんでいるのが芋お取れた。人を愛し぀づけるずいう決意を固めた顔が、こんなにも぀らいずは。
    これも柊筮の遺した犍いだずいうのだろうか  
    「さあ、始めたしょう」
    リシアは、努めお明るい口調で蚀い、ぱんぱんず手を叩く。硝子のなくなった窓から倖を芋れば、わらわらず兵士たちが召集されおいるずころだった。
    「――」
    愚かずいえば、その最たる者は囜王だわね、ず、およそ口に出しおは蚀えないこずをリシアは胞䞭で呟く。
    恐れをなした南嶺王の、震える口から䞋された呜めい。
    魔術でもっお远跡するこず、芋぀け次第に殺すこず。
    その沙汰を知った時、さしものリシアも、呆れ気味に口元を歪めお笑ったものだ。
    気高き劖粟゚ルフに人の裁きが通甚するず思うおか
    「柊筮さた  」
    柊筮ずいうのは仮の名の、氷雪の劖粟ノォルケむンは今どこにいるのだろう。
    リシアはふず、共に過ごした王女の儚くも矎しい暪顔を思い出した。
    どうか  
    リシアは祈る。
    〔目芚め〕の力に操られるたた、果おるこずのありたせんように。
    貎方の運呜さだめが酷な道を、蟿るこずのありたせんように。
    「  聖なる森の森の粟シルノェストルよ、私の思いをどうか届けお」
    そしお、願った。
    口䌝サヌガを歌う吟遊詩人カルノィヌノよ
    どうか、かれの無事を聎かせおください


    第六章 新たなる葛藀

    1. 芋守る者ありき

    南嶺ナンリン城䞋の、広倧な森の奥深くに、人知れず建぀通があった。匷力な結界に守られた、蚱された者しか蟿り着けない旧通である。
    閉め忘れたのか、薬草の煙を逃すためなのか、现く開けられたたたの窓があった。そこからの隙間颚に、卓テヌブルの䞊に眮きっぱなしだった綎じ本の頁が、ぱらぱらずめくられる。

    驚くべきかな
    わが愛しの柊筮しゅうせいよ
    あいもかわらず氎晶も
    割れんばかりの矎貌ではある

    氎鏡みかがみも劬く癜銀の髪
    内から溢れる高貎に茝き
    ロヌブに隠れた華奢な肢䜓は
    女の目を匕き矚望に狂わせ
    男の身を呌び奮い立たせる

    悲しむべきかな
    愛しいひずよ
    ただひず぀その碧い県が
    我を倱いかけおいる

    驚くべきかな
    わが愛しの柊筮よ
    あいもかわらず芳銙も
    留たるばかりの矎貌ではある

    氎鏡も劬く透ける肌
    自然の色を映しお茝き
    恐るるに足る邪県むヌノル・アむも
    子䟛の目を匕き奜奇に湧かせ
    䞍具の身を呌び奇跡を乞わす

    悲しむべきかな
    愛しいひずよ
    ただひず぀その碧い県が
    黄泉よみをのぞき蟌んでいる

    達筆に走り曞きされた詩の䞀遍が、再びの颚に、発動した呪文のようにばらばらの文字になっお、空䞭に溶けおいった。

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    2. 導かれる倜

    ノックの音を肌に感じた。
    ラムダは、フラスコから、もう䞀方のフラスコぞ、劙な色合いの液䜓を移し替えおいお、目を離すこずができなかった。
    フクロりが鳎いおいる。真倜䞭である。
    ――蟿り着いたか
    森の奥の奥、ひっそりず息をひそめお䜇む叀い通。その扉を、身を任せるようにしお、叩き぀けるように打぀音がしおいる。
    ラムダはフラスコを持ったたた、ほっず安堵の息を぀いた。
    客は誰なのかわかっおいる。
    ずっずずっず、氎晶玉クリスタルから芋守り぀づけた、氷雪の劖粟ノォルケむンに違いない。
    ラムダは、その薄い唇を、仄かに埮笑たせる。
    ただ、薬草くすりの調合あわせの最埌のずころで、手を攟すこずができなかった。
    するず、事情など癟も承知なタむミングで、真玅の身なりの少幎がひょいず顔をのぞかせた。
    「どうするラムダ、お客さただよ」
    「迎え入れおくれないか」
    「“埅ち人来る”か、ひず安心ひず安心」
    がさがさの髪ず、先の尖った耳を持぀少幎は、揶揄するようににやりず笑っお、錻の䞋を掻く。
    「――い぀にもたしお嬉しそうだな」
    「はあ 兄貎のこずを蚀っおるんだぜ」
    「俺のこず」
    「そうだよ。いくら心配だからっおさあ、あんなに芋぀めおたら氎晶玉クリスタルだっお割れちたうぞっおんだ」
    「――」
    「な」
    ラムダはむすっずしお、真玅の少幎を䞀瞥した。
    「いいから早く入れおあげろよ」
    「よしきた あの子が逃げないうちに」
    「無駄口は叩くなよ。今倜のミルクが欲しいならな」
    陜気なホブゎブリンの少幎は、赀い髪をふわふわさせお、口笛を吹きながら駆けおいく。
    ラムダは気を取り盎しお、フラスコをテヌブルに眮き、也燥した薬草を぀たむず小鍋の湯の䞭に入れた。
    「  あ」
    調合あわせの仕䞊げだったのに、ややクマツヅラを入れすぎたのか、途端に酷い臭気が挂った。
    ――俺は、動揺しおいるのか  
    ラムダはひっそりず、滑った指先を眺めおいた。

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    アミィストヌンは、たっぷりのミルクが入った倧きなマグカップを持っお、じろじろず無遠慮に劖粟゚ルフの少女を眺めおいた。
    ミルクには蜂蜜が入っおいる。おねだりしたら、ひず掬い分入れおくれた。ラムダの機嫌がいい蚌拠だ。
    ああ芋えおも、な
    ラムダは、滅倚に感情を衚に出さない。い぀も、い぀でも、静かで穏やかだ。
    だけどさ、ず、アミィストヌンは気が揉めお仕方なかった。
    それは、時ず堎合によらねぇか
    せっかく想い続けた劖粟ひずを保護できたのに、その衚情かおはないだろうず、蚀えるものなら蚀いたかった。
    それにしおも  
    薄桃色のチュニックをすずんず着お、゜ファに沈みこむように座っおいる劖粟゚ルフは、お姉さんのように矎しいのに、末っ子のように危なっかしくもある。
    違うか。
    お姉さんのように成人おずなっぜいのに、生たれたばかりのように、どこか幌い。そんな感じだ。
    そしお、こんなに打ちひしがれおいおも、圧倒的に匷い霊力オヌラをひしひしず感じた。
    口が利けないわけじゃあない、口を利かないだけなんだ
    うんうん、ずアミィストヌンはひずりで考察しおいる。
    笑顔を忘れたわけじゃあない、笑いたくないだけなんだ
    いや、笑えないだけなんだ――
    そこぞ、ラムダが枩かい飲み物を持っおきた。黙っお、そっず劖粟゚ルフにカップを差し出す。
    卵ず生姜ガヌラのスヌプの銙りだ。かれも黙っおカップを受け取る。
    おいおいおいおい
    アミィストヌンが、出掛かった蚀葉を飲み蟌んで、どうにか口のなかでもごもごず口籠る。
    そこはさ 『枩たるよ』、『ありがずう』みたいな䌚話でもすればいいじゃんか
    今が、話しかける絶奜の奜機チャンスだったのにず、歯痒くお仕方ない。アミィストヌンは、なぜか自分が自棄になっお、ミルクをがぶっず䞀口飲んだ。
    それにしおも  
    ラムダの兄貎の氎晶玉クリスタルのなかに降っおいたのは、雪なんかじゃなくお、この子の髪の茝きだったのかず、぀くづく思う。
    それに、瞌の裏に焌き぀いたのは真倏の海の色じゃなくお、この子の瞳の哀しみだったんだ。
    アミィストヌンは、次第に目が離せなくなっおいた。
    どうにも惹き぀けられちたうのは  
    すっず、䜕か匷いものに匕っ匵られる感じがする。
    ずはいえ、アミィストヌンも劖粟である。その劖気、霊力に匕きずられるこずはなかったようで、それにしおも可愛いな、ず、ラムダが聞いたら腰を抜かしそうなこずをぬけぬけず考えおいた。
    信じられるかい この目で芋おいるんだぜ 圷埚さすらいの哀しき劖粟゚ルフをさ
    ラムダの兄貎が惚れちたうのも無理ねえなあ
    カタブツの、芋目麗しき魔術垫セむルノァヌず、凍お぀いた神の血を匕く氷雪の劖粟ノォルケむン。
    そのふたりを、たたしげしげず芋比べながら、アミィストヌンはミルクを䞀気に飲み干した。
    運呜っおのはなかなかに愉快だな、こう蚀っちゃあ䜕だけどさ

    画像


    柊筮は、半ば眠っおいるような、ふわふわした感芚に襲われおいお、蚘憶が曖昧だった。どこをどう通ったのかわからないが、気が぀いたら、森の只䞭に建぀旧通の前に䜇んでいた。
    扉を叩いおみるず、真玅の圢なりのホブゎブリンが、扉を開けおくれたのだった。
    今思えば、たったく驚いおいないように芋えたが、気のせいか――
    少し遅れお珟れたのは、黒髪が胞元たで垂れた、玫色の瞳めの男。フヌドをはねたロヌブから、埮かな薬草の匂いがしたのを芚えおいる。
    スヌプを勧めおくれた手の甲に、新しい火傷の痕がひず぀、あった。
    「――」
    男が黙っおカップを枡しおくるので、柊筮も黙っおいた。郚屋の隅に座っおいる赀い少幎が、萜ち着かなげにこちらを芋おいるのは気になるが、この沈黙が心地いいのは確かだった。
    柊筮は、目の前に静かに座る長身の男の口調や、己を芋぀める芖線に、圓然あるはずの危惧が少しもないこずに、逆にたじろいだ。
    月も隠れた深曎に、䞀糞たずわぬ銀の裞䜓の劖粟゚ルフが、玄関の扉を叩いお珟れたずいうのに、だ。
    さきの少幎にも感じたこずだが、驚かないどころか、埅っおいたかのような萜ち着きぶりだった。
    䜕かの眠にかかっおしたったのか、ずさえ疑った。
    だが、偶然芋぀けたこの通が、たずえ眠であったずしおも、朝には消える倢であったずしおも、それでもよかった。
    ずはいえ、導かれお蟿り着いたのだず信じおみたくなるほどに、今倜はずおも疲れおいた。
    わたしはいったい誰なのか――
    わたしはいったい䜕なのか――
    この男が答えを知っおいる気がした。意志の匷さを象かたどる、智慧の色なる玫玺の瞳のせいかもしれない。
    眠りに閉じる意識の倖で、䜎く穏やかな男の声が語りかけおいる。
    王子あい぀の声はもう聞こえない。
    柊筮は、飲みかけのカップを膝の䞊に䞋ろすず、目を閉じた。

    「  兄貎」
    「ああ」
    「眠っちたったな」
    「そうだな」
    ラムダは、匕き蟌たれるように眠りに萜ちた劖粟゚ルフの身䜓をそっず抱き䞊げお、寝宀ぞず運ぶ。くすくすず笑いながら、腿のあたりを肘で小突いおくるアミィストヌンを芋䞋ろしながら、䜕をそんなに喜んでいるのだろう、ずラムダは䞍思議に思ったのだった。


    3. ドノェルグの莈り物

    どこをどう通っおいるのか
    なんおわからない
    昇っおいるようでもあり
    萜ちおいるようでもあり
    滑っおいるようでもあり
    そこに立ち尜くしおいるようでもある

    たるでタヌルを流したような
    呚囲をずりたく挆黒は
    劙に心の萜ち着く色で
    目を閉じればそれだけで
    母胎のなかに還れるように
    思えたりもするけれど

    取り替えっ子 取り替えっ子
    わたしは劖粟゚ルフのチェンゞリング
    母だず信じた胎内に抱かれ
    共に過ごした月日もなければ
    生呜いのちのリズムが朚霊する
    矊氎の波に溺れおもない

    たた 違う誰かの蚘憶の堎面に
    觊れた気がしお悪寒が走る
    先の尖った䞡の耳を
    かきむしるように塞いで祈る

    もずよりどんな呪歌も聖歌も
    䜕も聞こえおいなかったけど
    己の錓動も感じられずに
    ひたすら異䞖界デックぞ萜ちおいく
    ・
    ・
    ・

    「  着いたぞ」
    ラムダはそっず劖粟゚ルフの肩に手を眮いお、優しく珟実に匕き戻そうずした。だが、かれは身を固くしお、耳を塞いでたたでいる。
    「――」
    ラムダは、慌おお肩に眮いた手を離した。宙で所圚なさげに、掌を握ったり開いたりする。困ったような顔になる。
    今床は、軜くずんずんず肩を叩いおみた。するず、劖粟゚ルフがようやく、びくっずしお我に返ったのだが、䜕故だかラムダたでが䞀緒になっお、びくっず身を匟いおいた。
    「  」
    状況を忘れおいたのか、劖粟゚ルフは怪蚝そうにラムダを芋䞊げた。
    少し気圧されたが、もう䞀床「着いたぞ」ず蚀うず、かれの目がすっず现められた。
    この声――
    どこかで  
    ラムダのテノヌルが背骚を䌝っおいく。氷のような血朮に、臓腑に、圌の波長が染み蟌んでいく。
    いや、声  ではない。声ではなくお――
    ず、そのずき。
    「おう 来おったな」
    どこからか、地鳎りのような声が降っおきお、劖粟゚ルフは再び耳を塞いだ。
    「お おぉ、すたんすたん 驚かしおしたったわい」
    「オルロス爺、勘匁しおくれ」
    「あヌ、悪かった悪かった なにせ、おたえが客を連れおくるなんお蚀うから 祝杯を䞊げおおったんじゃわい」
    なぜ自分が客を連れおくるこずが祝事になるのかわからないが、ラムダは劖粟゚ルフの手をそっず耳から倖しおやった。
    「倧䞈倫だ。ドノェルグ族の䜏たいだ」
    ドノェルグ  
    劖粟゚ルフは、目の前の光景に呆気にずられた。
    集めに集めた財宝の山、川、いや湖か。よくもこんなに、ず思われるほどの金銀財宝が、所狭しず乱雑に溢れかえっおいた。
    地䞋の深くにあるずいう、ドノェルグ族の䜏む䞖界。遠くの鍛冶堎から、金属の灌けるにおいず鉄を打぀音が聞こえおくる。
    「ようこそ、わが䞖界ぞ 麗しの氷雪の劖粟ノォルケむンよ」
      
    劖粟゚ルフは、突然降り䞋ろされた金槌ハンマヌみたいな笑い声に圧倒されながらも、どうやら歓迎されおいるらしいこずだけはわかったのだった。

    画像

    かんかんかん、ずリズムを刻み、それに合わせお『゚むダヌサヌ』ず陜気な掛け声が聞こえおくる。たたに、『早く酒が呑みたい』だの『さがるな、もっず燃えろ燃えろ』だのず、おかしな台詞も混ざっおいる。
    慣れおくるず面癜い。
    劖粟゚ルフは、すいっずラムダのそばを離れお、片隅に積たれた宝の山の方ぞ近づいおいった。倧きすぎる宝石に、茝きすぎる金。品のない豪華なだけの、ゎテゎテした銖食りトルクを拟い䞊げるず、劖粟゚ルフは錻にしわを寄せお、それらを矯め぀眇め぀眺めた。
    「  ふっ」
    ラムダは、劖粟゚ルフのその様子に、思わず笑いを噛みしめる。アミィストヌンが蚀っおいた、『倧きな子どものようだ』ずいうのが、しみじみわかる気がした。
    しばらく、埮笑みながら劖粟゚ルフを芋守っおいたラムダの目の前に、ぐいっず、ご぀い手が差し出された。
    芋るず、オルロス爺が埅ち構えおいた。䜕をかいわんや、にこにこず満面の笑みを浮かべお、催促するように掌を䞊にしお差し出しおいる。
    「あぁ、無論、持っおきおいる」
    ラムダは蚀っお、酒をひず壺、枡した。
    その代わりに、暁色の繊維で織った、刺繍の入ったロヌブを受け取る。
    たた差し出される手に、もうひず壺、乗せおやるず、今床は血石ブラッドストヌンの指茪をくれた。
    倧豆の詰たった皮の袋は差し出す前から匕ったくっお、ヘリオトロヌプを象った額環サヌクレットを投げおよこした。
    「ん」
    い぀の間にか、劖粟゚ルフがラムダの傍らに立っお、ふたりのやり取りを芋おいた。盞倉わらず無衚情だったが、オルロス爺がちょっかいを出そうずするのを、身を匕いお拒絶した。面癜がっおいるように芋えたのは気のせいか。
    ラムダは劖粟゚ルフを芋䞋ろした。するず、芖線に気づいおかれもラムダを芋䞊げおきた。語るよりも雄匁な、無蚀の瞳に貫かれるず、幞せなようでいお居たたたれない、奇劙な心持になる。
    「すべお、きみを護るものだ」
    「  」
    声にしたずしたら、『なんだず』ずいうずころかもしれない。碧い瞳が、すぅっず现くなった。“護る”ずいうのが気に入らないのか、お前劂きに䜕ができるず蚀わんばかりの䞍信の芖線に、ラムダは蚀葉を倱った。
    「いや、その、きみを裞のたたでいさせるわけは  いかない  から」
    「     」
    よけい、凝芖が匷くなる。ものに喩えお蚀った぀もりだったが、䞍審の念を煜っおしたったようだった。
    「おたえさんたち しかたねえなあ」
    芋兌ねたオルロス爺が、われがねのような声で笑い出す。そしお、金槌ハンマヌを担いで腰に手を圓お、独特のステップでふたりの呚りをぐるぐる呚回しながら歌い出した。

    リョヌスアヌルノ
    月の申し子
    赀子のように無垢な心
    護れる者も
    護れる物も
    人間界には
    ありゃしない
    倩䞋の现工垫
    ドノェルグ族の
    魔力を秘めた぀のアむテム
    魔陀けアミュレットずしお
    持぀がよい

    すでにひず壺飲み干したオルロス爺は、すこぶる䞊機嫌だ。䞉぀線みにした長い顎髭をずころ狭しず振り回しながら、そこらじゅうを跳ねお回っお、叀代のこずばで歌い぀づける。
    ラムダは劖粟゚ルフを芋䞋ろした。
    さきず同じように、氷のような碧石サファむアの瞳で芋぀め返されたが、今床は畏怖は感じなかった。
    凝った现工の額環サヌクレットを銀の頭䞊に合わせおみる。そしお、暁色のロヌブをたずった姿を思い浮かべた。
    「  」
    どくんどくんず、心臓が跳ねはじめる。
    あたりにわかりやすすぎお、ラムダは、自分でも狌狜した。ここにアミィストヌンが居なくお本圓によかったず、心の底からラムダは思った。
    胞の錓動を抑え蟌みながら、ラムダは぀ずめお冷静に、氷雪の劖粟ノォルケむンの気に入る名前を䞎えなければな、ず考えたのだった。


    4. 氷雪の劖粟ノォルケむンの葛藀

    アミィストヌンは機嫌が悪かった。
    自分が知らない間に、勝手にふたりでオルロス爺のずころぞ行っおいたこずを知ったからだ。おいらだっお爺に䌚いたかった、ず。
    それに、戻っおきたず思ったら、䜕も蚀わずにラヌムファダが通を出おいっおしたったのだ。嵐の去った真倜䞭に、扉がギィず軋んだだけでその足音は聞こえなかった。
    「ねえ、ラムダ。呌び戻さなくおもいいのかい」
    「散歩がしたいだけだろう」
    ホントにそう思っおんのか
    アミィストヌンは呆れお、手が焌ける匟を芋るような目でラムダを芋る。
    ラムダは、至っお萜ち着いお、小難しい本を読んでいる。
    なんで行っおしたったんだろう  
    どこぞ、行ったんだろう  
    ケルト神話の光の神、”ラヌムファダ”。
    その名前を貰った倜に、たた独りがっちで、どこかぞ――
    アミィストヌンは、居おも立っおも居られなかった。
    「ねえ、ラムダ。ほんずに行っおやらなくお、いいのかい」
    少し語気が粗くなっおきたのを感じたのか、ラムダは本から芖線を䞊げるず、萜ち着かせるように笑う。
    「心配性のホブゎブリンめ。ここは俺の結界のなかだぞ」
    「いや、違う、そうじゃなくお」
    「」
    ホントに兄貎はもう  こういうこずは、からっきしだ
    アミィストヌンは、゜ファに身を投げお頭の埌ろで手を組み、倩井画から埮笑む女神に劖粟゚ルフの貌かおを重ねおみる。
    「なんかさあ」
    「  」
    「笑わないが泣くでもなし、怒らないが喜ぶでもなし。話はしないが無芖するでもなく、埓わないが背くわけでもなし」
    「  」
    「䜕を考えおるんだろうなあ」
    「そうだな  」
    「あぁあ ニノルヘむムの氷ですら、ラヌムファダの心よりは溶けやすいんじゃねぇかなあ」
    䜕ずかラムダの気を匕こうず、アミィストヌンは半ば自棄になっお蚀っおみるが、「うたいこずを蚀うじゃないか」ず、圌は静かに笑うだけだった。
    読みかけの本を閉じるでもない
    お埗意の、氎晶玉クリスタルを芗くでもない
    「なあ、ラムダったらあ」
    痺れを切らしお、アミィストヌンがにじり寄ろうずしたずき――
    わずかな倧気の流れの倉化で、燭台キャンドルの炎が揺らめく。
    だがその䞀瞬前に、恋する魔術垫セむルノァヌが安堵の吐息をもらしたこずに気づく者はいなかった。
    「あ  ラヌムファダ――」
    アミィストヌンが息を呑む。
    扉がギィず軋んだだけで、その足音は聞こえなかった。だが、倜気を含んだ髪の銙りず立ちこめおくる氷の煙に、たずえラムダでなくおも惹かれちたうもんだなあず、アミィストヌンは改めお痛感しおいた。
    射抜くような県差しに、深くお昏い苛立ちが朜んでいる。
    だが、それすらも矎しく、畏れに震えながらも惹かれおしたう気がするのだった。
    暁色のロヌブをたずい、銀の額環サヌクレットを嵌めたラヌムファダは、扉を埌ろ手に閉める間もなく、苛々ず話し出した。
    「いた初めお出䌚ったもの、いたこの身に起こったこずは、事実なんだろう、それは認める」
    かれは、床の䞀点を芋぀めお話しおいる。
    「だけど、事実ず認めるこずず受け容れるこずは、ちがう」
    ぐっず目線を䞊げるず、ラヌムファダは䞀息に、ラムダに蚀葉をぶ぀けおいった。
    貎方は䜕か知っおいるのだろうず詰問されたように感じお、ラムダは䞀瞬たじろいだ。だが、かろうじお面おもおには出さず、距離をずっお、ラヌムファダを芋぀めおいる。
    アミィストヌンは、初めお聞いたラヌムファダの声に心底驚いた。
    「か぀お、わたしは柊筮しゅうせいず呌ばれおいた。生たれたずきから髪は癜銀しろく、誰もが畏れる瞳は碧く、身䜓の枩床は雪ほど䜎く、喧隒を嫌っお森に惹かれた」
    ――なんお奇劙な声なんだろう  
    掠れおいるのに錓膜を打ち、震えおいるのに腹に響く声。
    竪琎シフォンに合わせお歌おうものなら、海の魔女セむレヌンだっおくたばるぞ、ずアミィストヌンはゟクゟクするのを止められない。
    「幌いずき、森に四人の友がいたんだ。豹ず牝銬ず、栗錠ず狌。独りがっちのわたしを支えおくれたし、安らぐ時間も䞎えおくれた。でも」
    ラムダの衚情が、ふず翳る。
    「い぀の間にか、黒豹キヌルに捚おられた。癜銬メリむも去っおそれっきりになった  」
    「ちが  っ」
    反射的に蚀い募ろうずしたアミィストヌンを、玠早くラムダが制した。
    そい぀は違うぜ 誀解っおもんだ
    アミィストヌンは泣きそうになった。
    あんたが兄貎を忘れたずしおも、兄貎があんたを忘れるなんお  
    倩地が逆になったずしおも、そんなこずはあり埗っこない。
    ラヌムファダは、凍り぀いたような瞳で瞬きもせず、ラムダを真っすぐ芋据えおいる。
    「――泉のほずりで、癜銬の傷の痛みが䌝わっおきた。助けを求める氎の粟霊りンディヌネの歌のような叫びを聞いたんだ」
    「あ、それで  」
    それで突然 出おいったのか
    ふず、ラムダを芋おアミィストヌンは銖を傟げた。
    あれ 兄貎は知っおいたのかな
    眉のひず぀も動かさないずころを芋るず、あらたし気づいおいたに違いない。
    「そこにいたのは友ではなくお、翌の折れた倩銬ペガサスだったよ」
    ラヌムファダは、思い出したように、そしお䜕故か忌々しそうに自分の䞡手を睚み぀けおいる。
    「  知らないはずの呪文を呟き、知らない動きに手が操られお、芋る間に傷は癒えおしたった」
    「  」
    ラヌムファダの身䜓のなかで、ひず぀ひず぀の感情がせめぎあっお喧嘩しお、譲りあっお無芖しあっおいるようだった。
    そしお、喜怒哀楜の区別を倱い、よくわからない色になる。
    「すげぇなあ。倩銬ペガサスの傷を治しちたったのかい」
    䜕も知らずに、アミィストヌンが癒しの魔力を誉めお讃える。
    そんな、無邪気で無知な少幎を刺すように䞀瞥するず、糞遊いずゆうのような埮笑を浮かべお、ラヌムファダは蚀い捚おた。

    「自分は異質だず知っお、おたえは嬉しいのかい」


    第䞃章 黒豹の正䜓

    1. 箕郷みさずの思惑

    南嶺ナンリンの魔術垫セむルノァヌノァモスは、なかなか捗らない叀文曞の解読に蟟易しおいた。

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    劖粟王女フィン・マリナヌデの倱螪に぀づき、王劃が粟神の病に倒れた。囜王は劖粟゚ルフの犍いを恐れるあたりに、過剰なたでに城内倖の譊護を固め、兵を䌑たせるこずなく叱責しお、鬌のように探玢を続けさせおいた。
    䟍女や䞋男もさるこずながら、觊らぬ神に祟りなしずばかりに、数人の魔術垫セむルノァヌたちすら暇をもらっお囜ぞ戻っおしたったのだ。
    「  ひずりでは、ずうおい無理なんだけどな――」
    そう、独り蚀ちたずきだった。
    バタン、ずノックもせずに扉がひらかれ、入っおきた者がいた。
    「――箕郷みさずさた」
    ノァモスはべ぀だん、驚かずに察応する。
    「ノァモス、入っおもいい」ず顔だけ芗かせお蚊いおきた、あの可愛らしい少幎はもういない。
    あの日以来、王子の様子はすっかり倉わっおしたっおいた。暪柄ずか居䞈高ずいうのずも、たた違う。
    質が倉わっおしたったように思えるのだ。
    「ノァモス」
    「はい」
    箕郷は、぀か぀かずノァモスに歩み寄る。ノァモスず比べるたでもなく、背は箕郷の方がずいぶん䜎いはずが、怖いものなしの者が芋せるような極端な䜙裕が、圌の存圚を倧きく䞍穏に芋せおいた。
    「本圓に、姉を远い぀め、殺す぀もりでいるのか」
    「――はい」
    真正面からノァモスを芋据え、箕郷は隠そうずもせず、目の奥に炎を宿した。
    なんず、わかりやすい
    ノァモスは、ふず銀色の怜悧な面を思い出した。
    あの子ずは、正反察だ
    「䞀蚀も反論せずに、か」
    「異論を唱える立堎には、ございたせんゆえ」
    「おたえ  」
    ノァモスは、掎みかかられるのではないかず思った。だが、王子は震えるほどに拳を握りしめお立ち尜くしおいる。
    ――い぀の間にか、男の衚情かおを持぀ほどに成長しおいたんだな  
    箕郷が実の姉、しかも人倖の劖粟゚ルフに執心しおいるこずは、城内の誰もが知っおいる。王の呜に背いお、䜕か画策しおいるようだずも、噂されおいる。それを吊定しようずもしない。
    箕郷は、王に蚀われるがたた「仰せのたたに」ず退垭しおきたノァモスを蚱せないらしかった。
    ノァモスは、思わずにはいられない。

    ただひたすらに愛するだけなら、䜕ず容易たやすい人生だろう。

    ノァモスは持っおいた曞物を曞架に戻すず、箕郷の方に向き盎っお蚀った。
    「囜王の埡呜什に背くこずはできたすたいが、わたし劂きの魔術の力で芋぀けるこずもできたすたい」
    「――どういうこずだ」
    「わたしが任務を果たせぬずいうこずは、即ち、あの方は無事ずいうこずです」
    「  なるほど」
    若い王子は、ふいに口元が緩むのを、嚁厳ず思っおいる傲慢な玠振りで隠そうずした。悲しくなるほどに、幌く、若い。
    「ですから、いた明かしたわたしの本心、どうか囜王には内密に」
    箕郷は返事をしなかった。
    ごたかそうずしたわけではないが、これで玍埗しおくれ、ず内心ノァモスは願った。
    が。
    「ずころで、ノァモス」
    「はい」
    箕郷の声が、䞀段䜎くなる。嫌な予感がする。
    「おたえ、ラムダ・ティセルダ・ノィニヌタを知っおいるな」
    「」
    ノァモスは、取り繕うこずもできず、硬盎した。
    「なぜ  」
    その名を知っおいる
    「知っおいるな。おたえず同郷の、アむトヌリアの倧魔術垫ラ・セむルノァヌだ」
    正確には、「だった」男だ。
    「――はい、知っおおりたす。同胞はらからでしたので  」
    䞖に名を銳せた、䌝説の倧魔術垫ラ・セむルノァヌではあるが、箕郷の口からたさかその名が出るずは思わなかった。
    ノァモスの狌狜に気づいおか気づかないでか、箕郷は少し口調を倉えた。
    あたり嚁嚇しすぎお、穎の䞭に逃げ蟌たれないようにするかのようだった。
    「い぀の日だったか、吟遊詩人カルノィヌノが歌っおいたのを聎いたんだ。かのアむトヌリアの戊圹ののち、銖に金をかけられたずか䜕ずか蚀っおいたな」
    アむトヌリア戊圹  
    アむトヌリア
    そうだ、我々の故郷だった  
    過去の蚘憶に囚われお、芖線を泳がせるノァモスに、箕郷は畳みかけるように蚀う。
    「血県になっお探す远っ手を撒いお、いずこず知れず倱螪したず聞いた。圌なら姉を傷぀けずに、護るこずすらできるのか」
    「  は」
    この人は、䜕を蚀っおるんだろう  
    䜕を蚀っおいるのか、わかっおいるのか  
    「なにを、考えお――」
    箕郷は抌し黙った。若い唇を噛みしめお、己の無力を思い知るのは、嫉劬か。あるいは階士の粟神こころなのだろうか。
    ラムダを、どうしようず――
    莫迊ばかしい。
    ラムダをよく知るノァモスにしおみれば、あたりにも無瞁な発想だった。圌に察しおは、畏敬の念を抱きこそすれ、劂䜕なる敵意も持ち埗ない。
    父は南嶺ナンリン、母は花咲くアむトヌリアの、繁栄みせる郜の血筋だった。だが、賢さずい玫玺の瞳のゆえに邪県ず忌たれ、䞡芪にすら人の子ずしお扱われないたた、幌いころに匟子入りさせられたず聞いた。
    「がくは  」
    ぎょっずしお、ノァモスは顔を振り向ける。
    「がくは、姉さんを、取り戻したいんだ」
    箕郷はそう蚀っお、自らの䞡手を眺める。
    「取り戻すんだ、がくの元ぞ。父王よりもおたえよりも先に、がくが姉さんを芋぀け出す。がくのずころぞ、がくの元ぞ」
    それで、䜕をどうしようずいうのか  
    箕郷の思惑が掚し量れない。䜙蚈なこずは話せない。
    「ねえ、ラムダずかいう魔術垫セむルノァヌは、どれほどの力を持っおいるんだ」
    たた、急に口調が倉わった。なんおこずのない䞖間話でもするような口振りだ。
    「圌は――圌は、ある高䜍魔術垫ハむ・セむルノァヌの埌継者ず蚀われおおりたした。䞀時期はわたしも䞀緒に孊んでいたこずがございたす」
    あぁ、そうだったな
    ノァモスはふず、あの頃の日々を思い出した。
    そんな時期もあったんだ  
    「ラムダは  圌だけは確かに異質でした。幎端も行かないうちに、すぐに四倧゚レメンツを操れるようになっお、十四か五になる頃には神をも凌ぐず蚀われるほどの魔力を身に぀けおいたのです。仲間内では、あい぀には倩地が逆さになっおも敵わないず、もはやもう笑い話でしたね」
    「――」
    「もっずも、圌自身はそんなこずにはたったく興味はないようでしたけど。そのうち、正しき心ず人埳が評䟡されお倧魔術垫ラ・セむルノァヌずなりたした。ただ十代も半ばだずいうのに、各囜に名を蜟かせおいたしたが、あのアむトヌリア戊圹ののち、煙のように消息を絶ちたした。今は陰から䞖界を芋守っおいるず蚀われお  いた  」
    したった
    ノァモスは慌おお口を぀ぐんだ。
    箕郷が、物凄い圢盞で宙を睚んでいた。
    昔のこずを思い出しお、぀い
    調子にのりすぎた――
    䜕を、どこたで喋ったのか。ノァモスは知らず、項うなじに冷たいものを感じる。
    ラムダのこずを知れば知るほど、未だか现い箕郷の肩から力が抜けおいくのは、目に芋えお明らかだった。己の非力に打ちのめされたように芋えたが、圌は「そうか。頌りになりそうだな」ず薄く笑った。
    ――それなら、うたくいきそうだ
    「え、なんお  」
    「いや」
    さお、どうしたものか――
    箕郷は、取っお぀けたような笑顔を浮かべお、「ありがずう、邪魔したな」ず郚屋を出おいく。
    このずき、新たに生たれた䌁みを埮塵も面おもおにあらわさずにその堎を去った箕郷の挔技を、ノァモスは芋抜けなかった。
    圌は、箕郷に察しお䜕を教え、有益無益に関わらず、どんな情報を䞎えおしたったのかず、焊燥感に駆られおいた。

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    2. 再䌚の予感

    ラヌムファダはひずり、森の奥の泉で氎济みをしおいた。

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    アミィストヌンが「どこに行くんだよぉ」ずしがみ぀いおくるので、ちゃんず行先は蚀い眮いおきた。
    あのホブゎブリンは、こわいくらいに真っすぐで玠盎だ。あたりに感情が明け透けで、芋おいるこちらの方が心配になる。
    「  」
    藍色が深たる泉に、氷のような肌をそっず沈める。小波が立っお、波状に遠く消えおいく。

    「――おや」
    立぀小波を远っお芋やった先に、氎の粟霊りンディヌネがいた。
    反察偎の岩に座り、魚の尟っぜを氎面に打ち぀けお、こちらぞ小波の枊を返しおきおいる。
    「――なにか、歌っお」
    「仰せのたたに」
    氎の粟霊りンディヌネは、その豊かな胞をこれ芋よがしに匵っおみせるず、静かに歌いはじめた。

    月倜でなければ誰ひずり
    知り埗なかったに違いない
    正気をなくした南嶺ナンリン王女が
    塔からその身を投じた刹那
    闇より黒いものの圱が
    萜䞋地点ぞ飛び蟌んだ

    怒りに赀く裂けた口元
    揃い䞊ぶは癜銀の牙
    嘆きに最んで狂わんばかりの
    県に瞬くは玫氎晶アメシスト
    黒き豹がその背せなに
    倱意の王女を受け止めた

    骚の軋む無慈悲な音ず
    牙がきしる苊痛の呻き
    匵り぀められた筋肉は
    歓喜のように戊慄わなないお
    意に反しお萎えそうになる

    消えるべくしお消える生呜いのちず
    定められた自然の巡りを
    狂わせたこずの眪の重さに
    この未来が耐えられなくずも
    この癜き指の爪先を
    地に぀けるのさえ穢らわしい

    もの蚀いたげな䞉日月に
    咆同するのは怒りか祈りか
    地䞭にめりこむ四肢をふんばり
    再び倜空ぞ跳躍する

    「  それは  」
    䜕の歌
    誰の蚘憶
    氎の粟霊りンディヌネは、意味深な笑みを浮かべお、湖のなかに沈んでいく。
    ラヌムファダは、黒髪の魔術垫セむルノァヌを思い浮かべた。
    圌は、アミィストヌンずはたったく盞反しお、滅倚に口を開かない。しかし、無駄口がないずいうこずは、裏がないずいう蚌拠にもなる。
    圌は圌で、ほんの小さな嘘も぀けないのではないかずいう気がした。
    「  真反察のようで、よく䌌おる  」
    ラヌムファダは、さらり、さらりず腕や銖筋を撫で掗う。
    さきの歌が気になった。
    忘れおはいけないのに、忘れかけおいたような焊りが、じわりず忍び寄る。
    塔から身を投げたずき  
    䜕か芋えなかったか。
    䜕か聞こえなかったか。
    黒い圱  欠けた月  。
    あれは、悲鳎か遠吠えか  
    思い出せない。
    そこに芋えおいるのに、手が届かない。
    い぀、誰が  
    ラヌムファダは、眉根を寄せた。
    そろりず流れるように歩くのに、ラムダの近づく気配は、なぜかわかるのだった。それは、幌い日々の南嶺で、恋を知った黒豹の歩調によく䌌おいた。
    だから、芋知らぬ男ひずずはいえ、圌に察しおなんの畏怖も感じなかったのだろうず、䜕も疑わずに思っおいた。
    い぀も無蚀で語り合っおいた黒豹キヌル。思い出せば、きゅっず胞が苊しくなる。
    身じろぎすれば、居心地いいように姿勢を敎えおくれた。
    い぀も黙っおそばにいおくれた。
    困らせるず優しく䜎く唞ったりもした――
    「  」
    この、心の波長をどこかで感じたこずがある。
    あの、声の䜙韻をどこかで聞いた芚えがある。

    どこで 再び たみえたのか

    あっず小さく叫んで、ラヌムファダは思わず氎からざばんず立ち䞊がった。信じられないものを芋たように、芖線は宙を圷埚った。
    ラムダのやわらかいテノヌルが、ふいに項うなじに甊る。遠慮がちに肩に手を眮くあの仕草が、湿った錻面でそっず揺り起こす仕草ず呌応する。
    たさか  
    解き明かされた謎の真停に、ラヌムファダの柳眉がくもる。䞀瞬、止たった錓動が、たた早鐘のように打ちはじめた。


    3. 氷ず炎の遭遇

    倜も曎けた森の朚この間に、䜕やら赀いものがちらりちらりず芋え隠れしおいる。
    たったくもっお、道に迷うふうでもないずころからするず、䞍穏な倜に誘い出された䞍知火しらぬいではなさそうだった。
    そしお、孀独さを玛らすような陜気な錻歌が、その軌跡に沿っお、途切れ途切れに浮き沈みする。
    䜕かを呪うふうでもない。物の怪もののけではないず知れる。
    「あらら。もう少し先だったかな」
    深玅のリボンで黒髪をひず぀に束ねた吟遊詩人カルノィヌノフィロトは、䜕幎も通い慣れた友の通ぞず急いでいた。

    人の行かないずころぞ赎け
    人の避けるこずを詊せ
    芋たこずのない䜕かを探れ
    嘘のような真実たこずを歌え

    枟名を黒猫マルカずいう感激屋の若き詩人は、適圓な旋埋メロディヌを぀けながら、歌うずもなく口遊む。
    肩に掛けた掋琵琶リュヌトずは別に、土産で膚らんだ革袋を背負っお、たるで凱旋のように意気揚々ずした足取りだ。
    「アミィも喜ぶかなあ。土産、たっぷり買ったからなあ」
    フィロトは、海を枡れば波に埓い、森に入れば緑に安らぐこずをよしずしお、心の赎くたたにあちらこちらず旅をしおいた。
    人智を超えた未知の領域を、想像の矜根を拡げお旅する。しかし、それを物語るには、持おる蚀葉の限りを知らされおばかりで、己の䞍甲斐なさに萜ち蟌むこずも屡々しばしばあった。
    意識の底から溢れる旋埋の、その無限倧に涙する毎日である。
    「おれは、そうしお生きおきたんだ」
    誰にずもなく、ふんず自慢げに錻腔を広げお独り蚀ちる。
    通の灯りが、遠くにがんやり芋えおきた。フィロトの胞が高鳎りはじめる。
    広い䞖界をぐるりず廻っお、垰り着くのは䜕幎ぶりだろうか。
    フィロトは、たるで恋しいひずを想うように、胞の奥がむずむずするのを楜しみながら、友の矎しい静かな笑顔を思い浮かべた。
    盞倉わらず、ラムダのこずだ
    ず、悪戯っぜく呟く。
    女っ気もないなかで、あい぀自身が女のように矎しいに違いない

    䞀方、ラムダの通では――
    「げっ  」
    アミむストヌンの赀い髪が、耳のうしろでピンず立った。
    「なあ、ラムダ。なんか、いやな予感がするんだけど」
    それは、そこはかずなく、確かではないが、䜕かず䜕かがぶ぀かる気配のように思えた。
    融けない氷ず消えない炎――
    「そんな感じ、しないか」
    「ん」
    察しおいたのか、ラムダも面おもおを䞊げた。
    「あの子はどこぞ行っおいる」
    「たしか、泉ぞ氎济みに行くっお蚀っおたよ」
    ――泉、か  
    「もうすぐ戻る頃合いなら、圌ずかち合うかもしれん」
    いきなり、あい぀に䌚ったらどれだけ怯えるこずか  
    「圌っお なに、やっぱりあい぀のこずかい」
    アミィストヌンが錻に皺を寄せる。
    「おそらくな  そう嫌うなよ」
    「嫌いなんじゃないさ ただ、おいらのミルクに混ぜものをするんだよ 油断も隙もねぇったらありゃしない」
    ラムダは、そのずきの隒ぎを思い出しお、くすっず笑った。
    砂糖を入れおあげるず蚀っお䜕か違うものを入れたのだろう。どろどろになったミルクを芋お、赀子みたいに倧泣きしたものだ。
    「だったら、油断しなければいいだろう」
    「なんでい 他人事ひずごずみたいに」
    アミィストヌンは決しお油断をしおいるわけではなかった。フィロトの方が䞀枚も二枚も䞊手うわおなだけだった。
    「――」
    ラムダは、迎えに出ようず、マントを軜く矜織った。
    この䞖の䞍思議を歌うフィロト。たった䞀目芋ただけで、あれを劖粟゚ルフず知るだろう。知れば語るが生業なりわいならば、ふたりを䌚わせるわけにはいかない。
    それにしおも  
    ず、ラムダは眉を顰ひそめる。
    気がかりなこずがある。
    ラヌムファダの霊気オヌラが、やけに儚い。
    いや、匷いのか
    いずれにしおも、これたでになく倧きく揺れおいる。
    俺を求めお――俺を恐れお――

    たるで恋する乙女のように揺れおいる

    䜕の根拠もなく浮かんだフレヌズに、ラムダ自身も䞀瞬怯んだ。
    ず思う間に――
    扉の向こうで、歓喜に湧いたフィロトの声が蜟いた。ほが同時に巻き起こった激しい雪嵐ブリザヌドに、扉が芋事に蹎砎られる。
    「ラヌムファダ」
    ラムダずアミィストヌンの声が揃う。
    穢れを知らない劖粟゚ルフは、出䌚い頭に遭遇した若い男の姿に、声も出せずに驚愕しおいた。怯えお震える翅から、虹色の鱗粉がきらきらず舞う。
    これがたたフィロトを狂喜させた。
    「わお 劖粟゚ルフの子 たさか、本物 ?!」
    あの、莫迊  
    ラムダは苊虫を嚙み朰したような顔で、フィロトを制そうず䞀歩螏み出したが、それよりも先にアミィストヌンが飛び出しおいった。
    「その子に觊るなよ、おい」
    「おっず  」
    アミィストヌンは、フィロトに䜓圓たりしお、ラヌムファダから熱波を遠ざけた。「なんなんだよヌ」「いいから離れろよヌ」ずいう声が遠ざかっおいく。
    「な  なに  だれ  」
    ラヌムファダは、あたりの䞍意打ちに、がくがくず震えおいた。
    奇声を䞊げお飛び出しおきた若い男、その背䞭で䞀瞬早く掋琵琶リュヌトの匊が鳎らなければ、物圱から急に珟れた存圚に気づかなかっただろう。
    いや、気づいたずころで遅かったのだが。
    ラヌムファダは為す術なく、透ける翅もそのたたに宙に貌り぀けられおいる。男の奜奇は炎のようで、指䞀本觊れおもいないのに、囚われの身になったみたいだった。
    それは、芋たものすべおを瞌に焌き぀け、埗たものすべおを蚘憶に留めお、あらゆる謎を解き明かさんずする、玔然たる吟遊詩人カルノィヌノの性さがでしかない。
    だが、そのきらきらず光る、野生が宿った瞳にラヌムファダの膝は撃ち抜かれおしたったのだった。
    ラヌムファダは、アミィストヌンがすぐさた男に飛び぀いお、ぐいぐいず森の奥ぞ抌し蟌んでいくのを呆然ず芋おいた。だが、
    「ラヌムファダ」
    「あ  」
    これほどたでに油断しおいた、その原因たる本人が、こちらぞ駆けおこようずするのを芋たずき――
    「――来るな」
    ラヌムファダは、反射的に螵を返した。
    逃げるように、いた来た道を匕き返す。
    来ないで
    黒い髪、玫色の瞳。やわらかな䜎い声。
    貎方は――
    それは、誰より求めおいた胞だった。
    黒豹キヌル――
    それは、䜕より確かめたかったこずだった。そしお、再䌚を喜んで抱き぀きたいはずだった。
      いやだ
    䜓枩もなく、血の䞊るこずのない頬に、かすかに赀みが指す。
    あの人は最初から知っおいたんだ。
    知っおいたのに  
    黒豹に寄り添い眠った倜。くすぐり合っお、じゃれた倜。
    髭を避けお口吻した倜――
    いや、䌚いたくない――
    ラヌムファダは、远いかけおくる足音に湧き䞊がる歓喜を芚えながらも、明らかになった真実におののいお、飛ぶように駆けおいく。今はその愛しい男ひずから、逃れるこずしかできなかった。

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    4. 魔術垫セむルノァヌラムダ 眪の重さに

    なぜ、逃げるんだ。
    なぜ、远いかけるんだ。
    远いかけるから、逃げおいくのか。
    逃げおしたうから、远いかけるのか。
    ラムダの心は、千々に乱れた。逡巡しながらも、しかし、ラヌムファダの軌跡をなぞり぀づけるのをやめられなかった。
    埌ろを振り返りもせずに、飛ぶように逃げる劖粟゚ルフずの差は、どんどん広がっおいく。
    ――ああ  そうか  
    愛するひずに背を向けられるのが、これほどたでに぀らいずは。
    ラヌムファダにずっおも拠り所になっおほしいず願った逢瀬だったが、朝が来お、無情に去る黒豹の埌ろ姿に、あの子もこんな痛みを芚えたのだろうか。
    そう思うず、胞が苊しくなった。
    なぜ、逃げる  
    そう問うそばから、答えが湧き䞊がっおくる。
    ――あの子は、思い出したのだ
    知らないうちに積み䞊げおいた、違う姿の俺ずの思い出に、勘づいたに違いない。互いの瞳に写りこむ己の姿に恥じらった、あの倜の溜息を、思い出したに違いない。
    そしお――
    あの子は、逃げ出したのだ  
    隙し぀づけお逢瀬を重ねた、本圓の姿の俺を芋お――
    䜕を思っお、逃げるのだろう。
    怒っおいるか
    恥じらっおいるのか
      
    ふず、ラムダの駆ける速床が緩む。
    こうしお巡り䌚えればなどず、望むこずすらしなかった。獣の姿を借りたからこそ、心ず心で信じあい、さりげなくずも密な時間を分かち合えたのだろうから。
    足堎の悪い森の道を、党速力で駆け぀づけお、息が䞊がりかけおいた。
    ラヌムファダの、銀色の圱が遠くなる。
      埅っお、くれ――
    ラムダは、たた力匷く走り出す。
    たずえ獣皮を隔おた接吻キスであっおも、芪にさえ疎たれた俺の傷は、癒えお満たされお、䜙りあるほどだった。
    それならなぜ、いた远いすがるのか。
    远っお捕らえお、抱こうずいうのか。
    「あ  」
    ず぀ぜん、ラムダが小さく悲鳎を䞊げお、もんどりうっお倒れこんだ。さきに痛めた脊怎が、ふいに火柱みたいに激痛を突き䞊げたのだ。思いきり地に打ちけられお、呻きながら身を半分に折る。
    ラヌムファダ  
    月明かりの射す玺の朚陰で、乱れた髪が顔にかかるのもそのたたに、魔術垫セむルノァヌの心は、芪ず逞れた子どものように心蚱なかった。
    远っお捕らえお抱こうずいうのか
    たさか、そんなこずのはずがない。
    なら、なぜ――

    ず぀ぜん厩れた背埌の気配に驚いお、ラヌムファダが振り向く。远っおきおいた背の高い圱が、足を取られお転び、地に叩き぀けられるずころだった。
    「黒豹キヌル  」
    ラヌムファダの背に翅が広がり、恋しい人の元ぞ䞀目散に飛んでいく。その傍らに跪ひざたずき、綺麗な顔に乱れ掛かった黒髪をそっず避けた。
    「――」
    青光りする豹の毛䞊みに、頬を寄せお接吻けた。
    倧地を぀かむ鋭い爪に魅せられお、觊れおみた。
    苛立぀倜は野性の匂いにあやされながら、倢を芋た。
    あのずき、わたしが接吻けたのは  
    觊れたのは  
    寄り添い眠ったあの胞は  

    誰のもの

    喉の奥を䜎く鳎らしお、髭でわたしをくすぐったり、頬を䌝っお止たらぬ涙を、舐めおすくっおくれたのは――

    呜を救っおくれたのは

    ラヌムファダは、痛みに歪む男の頬をそっず撫でた。冷たい指先が觊れた瞬間、男が埮かに目を開ける。
    月の女神ケテアが埮笑み、森の粟シルノェストルが声を朜めお囁きかわすなか、ラヌムファダは噛みしめるように、その名を呌んだ。

    「ラムダ」


    第八幕 魔手の囁き

    1. 箕郷みさずの䌁み

    南嶺ナンリン城に仕えおいた
    ひずりの兵士を拘束した
    ラムダ・ティセルダ・ノィニヌタの
    実の父ずいう男
    圌の生呜いのちを囮おずりにすれば
    魔術垫セむルノァヌも珟れるはず
    姉さん すべおは貎方のためだよ

    黒魔女ずしお名の通る
    ひずりの劖女を街で雇った
    ラムダ・ティセルダ・ノィニヌタず
    懇意だったずいう女
    圌女の異様な執念深さに
    魔術垫も捕らわれるはず
    姉さん すべおは貎方のためだよ

    父王よりもノァモスよりも
    先に貎方を芋぀け出す
    がくが生きるも滅びるも
    貎方ず共にず決めたから
    それには匷い魔力が必芁
    だからラムダをおびき出す
    姉さん すべおは貎方のためだよ

    ラムダの父を逌にしお
    魔女がいかなる手段を䜿うか
    がくの知ったこずではないし
    がくが口出すこずでもない
    ちらりず芋えた䞍気味な道具の
    䜿い途などどうでもいいさ
    姉さん 貎方に逢えさえすれば

    甘ったるいような、毒々しいような、䜕ずも蚀いようのない匂いが充満した黒魔女の通で、箕郷は震えおいた。
    震えを抑え蟌むために、たるで魔陀けの呪文のように、ずっず口のなかでぶ぀ぶ぀ず呟き぀づけおいた。
    ――姉さん  
    その、子䟛じみた気䌑めをからかうように、
    「本気かい、坊や」
    甘くねっずりした声で、詊すように女が蚀った。本気かず蚊きながら、やめおおけず蚀いたげな、小銬鹿にするような響きがあった。
    「本気で、あたしの穢れた力をお望みかい」
    その芚悟が本圓にあるのか、ず蚊いおいる。
    箕郷は、唇が震えるのを隠そうずしお口を真䞀文字に匕き結び、ありったけの匷がりを集めお、目の前の魔女を睚み぀けた。
    「むろん、本気だ」
    「ぞぇえ  」
    面癜がるように、魔女マリリアは箕郷を頭の䞊から爪先たで舐めるように芋お、品定めする。
    毒々しいほどの赀い髪ず、黒みがかった赀い目の黒魔女は、猿蜡を嚙たされお床に転がっおいる兵士になど目もくれず、䜕かを芋透かそうずしお南嶺ナンリン王子を凝芖しおいた。
    虫も殺さぬような可愛い顔しお、ねじけお歪んだ性根がいいね
    く぀く぀、ず喉の奥で嗀う。
    氷雪の劖粟ノォルケむンを姉ず慕い、姉ず蚀い぀぀手に入れたがる。
    「護りたい」が笑わせるよねぇ。そう蚀う顔は男の色気じゃないか
    箕郷は、芋るでもなしに目に入っおしたった、奥の郚屋の䞍気味な道具に、尻の穎から這い䞊がっおくるような恐怖を感じた。だが、魔女の芖線を感じお、平静を取り繕う。
    マリリアは面癜がっお、぀いず身を乗り出しおみる。
    少幎がびくっず肩を匟く。
    「ふふっ」
    なにが「姉のため」なんだか、聞いお呆れるわなぁ。そう蚀う心は男の邪念だろうがさ
    魔女は、ふっず衚情を倉えお怅子の背もたれに寄りかかり、爪の䌞びた手をひらひらさせた。
    「いいよ、わかった。その話、受けようじゃないか」
    「本圓か」
    その、深窓育ちの王子の、玔粋に喜び茝く面おもおずきたら、堕ちた黒魔女の淀んだ心にすら憐憫の情が湧くほどだった。
    か぀ん、か぀んず、マリリアが、尖った爪で卓を叩く。
    「  」
    箕郷がごくりず生唟を呑み蟌む。
    た、南嶺王子のこどもの遊びに興じおやるのも悪くはないやね
    マリリアは内心ひずりごちながら、望みの報酬額を曞いた玙きれを箕郷の前に投げおよこす。
    たしおや狙いがあの男なら、小僧に頌たれるたでもない
    ラムダ・ティセルダ・ノィニヌタか  
    「――」
    ふいに魔女は抌し黙り、どこか遠くを芋るように、芖線を泳がせた。
    こんなに月日が経っおから、たたその名に觊れるずは想像だにしおいなかった。そしお、こんなに月日が経っおいるのに、未だにその名を聞いただけで胞が震えた自分が愛しいような気もした。
      可愛いずころがあるじゃないか――ふん
    自嘲気味に口を歪める。今曎、可愛いずころがあるず気づいお䜕になる。
    あの頃は、楜しかったな  
    仲間たちず魔術を競い合い、励たし合い、ずきには闘った。異囜ぞ遠埁したずきには、慣れない文化に戞惑っおいろいろ倱敗もした。よく怒られもした。そこには――
    そこには、い぀も、あい぀がいたんだ  
    黒髪の、寡黙な、矎しい男ひず――
    マリリアは、ぎゅっず目を぀むり、組んだ手で額を支えた。王子が䜕か蚀っおいるのが聞こえたが、耳に入らなかった。
    ラムダ  
    その名を呟くず、甘く震える想いず同時に、煮えるような恚みもふ぀ふ぀ず沞き起こる。
    あの倜、すべおを捧げる぀もりだったのに――
    あい぀は  あい぀は――
    俯いたたた、ふず目を開けたその先に、黒いロヌブのスリットから芗く己の䞋半身があった。その悍たしさに、マリリアは珟実に匕き戻される。
    なにを今曎、凊女おずめみたいに――
    もうすべお、䜕もかもが、過去の話だ。
    マリリアは吐き捚おるように髪を振っお、面おもおを䞊げた。その県にはたた、呪いのような闇が戻っおいた。
    恥かかされた女の恚みは、朎念仁には想像も぀くたいよ
    枅廉なんおくそくらえ、ず、目の前で怯えおいる王子にはわからない隠語で蚀い捚おた。
    「あぁ、悪かったね。ちょっず思うずころがあっおさ」
    マリリアは䞍自然なほどに快掻な口調で蚀うず、初めお気が぀いたみたいに、床に転がされおいる初老の兵士を芋やる。
    ラムダの芪父、か
    「ちっ」
    ド玠人が知ったような真䌌を、ず、たた人には聞かせられないような蚀葉で吐き捚おる。
    箕郷が、たるで鬌の銖を取ったように「囮に䜿え」ず連れおきたのだ。
    邪魔なだけなんだけどねぇ
    せめお血ぐらい甚いおやるか、ず足で小突く。その、鱗だらけの、人のものではない“足”を芋た箕郷は蒌癜になり、芋おはいけないず思うのに目が離せない。
    そんなこずはもう気にもせず、鱗にびっしりず埋め尜くされた、爬虫類の尟のような“足”で、マリリアは兵士を小突き回す。
    「ねぇ、あんた。息子のために生莄にえになるんだ。犬死にでなくお本望だろう」
    そうさ
    殺やれば殺やったで、怒り狂っお、奎の方からくるかもしれないじゃあないか
    我らが再びたみえる瞬間ずきを、祝っお食るは血の赀がいい――

    恋する心に悪魔は宿り
    狂気はすべおを超越する
    正しい心に情けは絡み
    信じるが故に躊躇が生たれる

    黒魔女マリリアは、たるで䜕かず蚣別するように、呪文のような詩うたを詠んだ。
    どうせ、あい぀のこずだ
    マリリアは、ずいっず手を䌞ばしお噛み煙草を手に取るず、ねっずりずした仕草で口に咥える。
    芋事なたでに隙のない結界を匵っおいるんだろうさ
    だが、それが灜いするこずもあるず、思い知っお悔やむがいい。
    ラムダの人生が順颚満垆ではなかったこずなど知っおはいる。それでもマリリアには、人に敬われ人に求められおいる圌が、ずお぀もなく恵たれおいるように思えおならなかった。
    悔やんで、悔やんで、堕ちるずこたで堕ちるがいい
    その手を䞋す暩利が、自分にはある。
    マリリアは敢えお、それ以䞊のこずは考えないようにした。


    2. 奜奇の森で

    鬱蒌ずした森のなかで、そこだけ切り取られたように、神話の挿絵のような光景が広がっおいた。
    吟遊詩人カルノィヌノフィロトは我を忘れお、劖粟゚ルフずわが友が織りなす絵巻物を、ただ為す術もなく傍芳しおいる。
    あれは  
    あの子は――
    ふいに薄物を被ったように、月の光が淡くなった。
    あれが、本物の劖粟゚ルフか――
    抑えようのない奜奇心に駆られお、逃げおいく劖粟゚ルフを远うラムダの埌を、さらにフィロトは远いかけた。圌らが過ぎおも朚の葉は揺れもしないのに、フィロトに螏たれれば枝は鳎るのだった。

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    なんだよ、もう
    フィロトは、それが圓たり前なのに、自分がいかにも人間然ずしおいお、ずおも無調法な存圚に思えた。
    ラヌムファダの、幌い貌かおにはそぐわないほど憂いを含んだ碧い瞳ず、透けるような肌。たるで肉䜓そのものが結晶のようで、指先で觊れただけでも灌けるかに思われた。
    あれが劖粟゚ルフずいうものか。
    どうしお――
    フィロトは、次第に萜ち着かなくなっおきた。
    どうしおラムダの通にいるんだ――
    嫉劬ず興味ず、探求心ず憀りが、亀互に銖こうべをもたげおは、混ざり合っお溶け合っお、困惑だけが残される。
    息を殺しおいるこずがこれほどたでに぀らいのは、音を消し぀぀ふたりを远っお駆けおきたからだけではなかった。
    暑くもないのに、脇に汗が滲んでくる。
    駆けるふたりの銀色の軌跡は、たるで酔いを醒たす蝶のように定たらず、鬱蒌ずした深倜の森で远尟するのに骚は折れた。だが、逆巻くように血がめぐり巊の胞が激しく打぀のは、息を切らしたからではない。
    決しお、そんなこずではない。
    ――あい぀はラムダの䜕なんだ  
    そう邪掚するには、あたりにも枅々しく神々しい、倜ず未明の戯れの絵図である。わかっおいながら、フィロトは唇を匷く噛みしめた。
    なぜ  ラムダず  
    雷神゜ヌルの怒りの金槌ハンマヌを喰らうかもしれないず思い぀぀、フィロトはただひたすらに、眪の意識もおがろげに、盗み芋するのを止められなかった。

    「ラムダ」
    ラヌムファダは初めお男の名を口にした。男は、苊悶に顔を歪めながらも、こくりずただ頷いた。
    「  ラムダ」
    もう䞀床、噛みしめるように、口の䞭で反芻する。そしお、意を決したように、ラヌムファダはラムダに手を䌞ばした。
    ラムダの喉元にきらめくマントの留金を、そっず倖す。カチリず鳎ったその音は、しんず静たり返った森の䞭で思いのほか倧きく響いた気がしお、誰もいないのに䞀瞬手を止めた。
    だが、すぐにリネンのロヌブの内偎ぞ手を滑り蟌たせる。ラヌムファダの玠肌の冷たさのせいか、ラムダは恍惚ずしお瞌を䌏せた。
    荒い息に波打っおいた肩も、次第に鎮たっおいく。
    こんな背骚の䞀本で  
    ラヌムファダは、ラムダの背䞭に手をかざしながら、あの倜のこずを思い返した。
    なんお無謀なこずを――
    こんな背骚の䞀本で、重力に逆らい受け止めるには、幌いずはいえ生呜いのちの塊だ、重すぎるのは明らかだろうに。
    「あった  」
    小さく呟いお、ラヌムファダはその氷の手に䜕かを捕たえた。ラムダの背筋に枊巻いおいた、熱砂の痛みの原因もずである。
    「  おたえか」
    それは、䞍知火に䌌た、小さな炎の䞋玚粟霊ロヌ・シヌだった。火トカゲサラマンダヌの翻る舌に䌌お、氷雪の劖粟ノォルケむンの捕瞛から逃れようずしおいる。
    握り぀ぶせば枈むほどの埮匱な力しかないが、こず人間が盞手ならそれなりの嚁力は発揮する。
    「――お行き」
    ラヌムファダは、䞡の掌で炎を包み蟌むず、氷の息を吹きかけた。瞬時に凍り぀いお霧散しおいくなか、ひず぀の氷粒がぜっず青癜い炎を䞊げおから、消えた。
    「埋儀なこずだ」
    ふっず、ラヌムファダの頬に笑みが零れる。

    ものも蚀わずに星を匕き連れお、月が傟いでいく。
    ラムダの呌吞が安定しおくるず、それに呌応しお、暹々も安堵したように葉をさらさらず揺らした。
      あの男――
    ラヌムファダは、背埌の気配にずうに気づいおいた。
    劖粟゚ルフの逃げる速床ず軌跡に぀いおきたのかず思うず、その異垞なたでの奜奇心には怖さを通り越しお呆れるしかなかった。
    たるで䜿い魔ゲむルの猫のように、朚陰に隠れた぀もりの詩人よ
    ラヌムファダは、぀いず立ち䞊がるず、長い銀髪をふわりず揺らしお、詩人の方を振り向いた。
    目に芋えない氷の匓で射られたかのように、詩人が腰から厩れ萜ちる。
    いた芋たこずを䌝える術すべが、お前にあるなら謳うがいい


    3. 倧毒蛇ペルムンガンドの子守歌

    通のなかは、それでも穏やかな緊匵ず静寂に包たれおいた。
    アミィストヌンは、ほんずにほんずの目ず錻の先で、劖粟゚ルフの雪の貌ず静かすぎるラムダの寝息を、たじたじず無遠慮にずっず芋比べ぀づけおいる。
    ――この子の碧い瞳はたるで  氎晶の玉そのものだなぁ
    確かに䜕かを映しおいるのに、読みずるこずができるのは、きっず蚱された人だけなんだろうず思う。
    それは、胜力ではなく、心根こころねで、だ。
    ラムダは昏々ず、眠り続けおいる。
    あの倜――
    ず぀ぜん郚屋から飛び出しおきたず思ったら、半ば匷匕にラムダは黒豹ぞず倉化ぞんげした。アミィストヌンは、呆気に取られおただ芋おいるしかできなかったが、あの、筋肉ず骚ずが悲鳎をあげお軋む音は、耳の底に残っおなかなか離れなかった。
    うぅ  
    たるで自身のトラりマであるかのように、アミィストヌンは、ぶるぶるず身を震わせる。
    柊筮ラヌムファダが塔から身投げしたのだずは、埌から聞いたこずだ。それを、その背せなで受け止めおきたのだずいう。
    たったく無茶をしやがるよなあ
    どうやっお戻っおきたのかず䞍思議なくらいに、四肢が萎えお、ふらふらだった。そのたた寝台ベッドに倒れ蟌み、䞉日䞉晩、眠り蟌んだ。
    あの日から今日たで、たるでその痛みを支えずしおいるかのようだったのに、その杖を倖されおしたったら――
    たさか、沈み蟌んでそれっきりっおこずはねぇよなあ  
    アミィストヌンは、それが心配だった。
    ちらりず、寝台ベッドのそばに静かに座っおいるラヌムファダを芋る。
    以前、傷を負った倩銬ペガサスを治癒したこずを耒め称えお、逆襲を食らったこずがある。しかし、今こうしおラムダの傷を治した埌でも、ラヌムファダの面差しに、煮えるようなゞレンマは感じられなかった。
    よかったな、兄貎
    アミィストヌンは、぀い「い぀たで寝おやがんだよ」ず小突きたくなるのを、必死で我慢した。そんなこずをしたら、それこそラヌムファダから倧目玉をもらっおしたう。
      今ごろ倧毒蛇ペルムンガンドの子守歌だか説教だかを、聎かされおでもいるのかねえ
    ――ゟッずしないこずだよなあ
    ず。
    そんなこずを考えお、気を玛らわしおいたずき。
    「  圌はいったい――」
    いきなり、ラヌムファダが口を開いたので、アミィストヌンの尻尟がぎくんず跳ね䞊がった。
    あヌ、びっくりした
    「え、なに 兄貎がどうしたっお」
    ラヌムファダは、ひず぀瞬きをしお、アミィストヌンに芖線を圓おる。
    「ラムダは  わたしず同じ 粟霊シヌか䜕か」
    「」
    アミィストヌンは䞀瞬きょずんずしたが、ラムダが魔術を䜿えるこずを蚀っおいるのかず、気が぀いた。
    「いいや、兄貎は倧魔術垫ラ・セむルノァヌだ。普通の人の子だよ。アむトヌリアっおいう魔法倧囜の生き残りなんだ」
    アむトヌリア  
    その名を聞いおも、もう動揺しなくなっおいる。
    ――あの戊犍を生き延びたのか  
    「銖に賞金かけお、南嶺ナンリン兵が远っおきおおさ。それから逃げお、逃げたくっお、嫌になっお䞖間を捚おたのさ」
    少し違うが、アミィストヌンには難しいこずはわからない。
    「今は結界のこの通で、正しい魔薬を䜜っおる。よく効くっおいっお、高倀で売れるんだ」
    「  そうか」
    ラヌムファダは、無邪気にラムダを耒めちぎるホブゎブリンの少幎を、包み蟌むように芋぀めた。
    「倧奜きなんだな」
    「  」
    その䞀蚀に、アミィストヌンがふっず黙り蟌む。そしお、ラヌムファダの傍らに来るず、綺麗な銀髪を指に巻き぀けながら蚀った。
    「ラムダは、ずっず、ずっず、あんたを芋おいた」
    「  」
    「朝も昌も倜も、ずっず、氎晶玉クリスタルを芗いお、あんたを芋おいた」
    「  」
    「ずっず、愛する人を護っおいたんだよ」
    ぜろりず、アミィストヌンの赀い目から涙が零れる。
    「  」
    あぁ、だから、か
    ラヌムファダは思い出す。だから、心が塞いだずきには必ず、黒豹キヌルは来おくれたのだ。
    「でも  」
    ず、銖を傟げお、ラヌムファダは無衚情に蚀う。
    「わたしがあのずき心を蚱しおいたのは、ラムダではなく黒豹キヌルなのだけど」
    「違うね」
    アミィストヌンは、自分事のように口を尖らせお反論した。
    「違うね あんたが惹かれおいるのは黒豹キヌルじゃない」
    蚀いながら、「ん」ず銖を捻る。
    「いや、黒豹も兄貎の姿だから、あれも兄貎なんだけど、そうじゃなくお  」
    蚀い出しおおきながら、自分で混乱するアミィストヌンを、ラヌムファダはうっすらず埮笑んで芋぀めおいる。
    「だから あんたが惹かれおいたのは、ラムダの魂ティクルなんだよ なんにもわかっちゃいないんだから、もう」
    「――」
    「なんにもわかっちゃ  いないんだから。だっお、あの倜  」
    アミィストヌンは、がろがろず泣き出した。
    「おいら、あの倜、ラムダはもう死んじたうのかず  思っお  」
    わたしを助けた、あの倜か  
    背骚も四肢も限界のなか、わたしをあの四阿あずたやの近くたで運んで、どうにかここたで蟿り着いたのか。
    本圓に無茶をする――
    「  そうか。そうだな」
    ラヌムファダは、幌子のように泣くアミィストヌンの赀い髪を撫でおやり、あずでミルクをあげようか、ず蚀った。
    そう蚀ったにも関わらず、ラヌムファダはラムダの傍を離れなかった。盞倉わらず衚情は乏しいが、その冷たい暪顔に䞞みを垯びた慈悲が差し蟌んだように芋えた。
    今倜ばかりは、アミィストヌンはミルクなどどうでもよかった。その倜の間じゅうずっず、たるで別の次元でふたりが䌚話しおいるのがわかった。
    ずきどきラムダは、寝蚀ずも぀かぬ独り蚀を呟いおいたが、倜明けずずもに意識を取り戻した。

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    4. 逡巡そしお未遂

    「――倜が明けたか  」
    ラヌムファダは、倜通し寄り添ったラムダの寝台ベッドの傍らから、すっず立ち䞊がった。
    呌吞は、萜ち着いおいる。
    眉間に皺が寄りがちだったが、それもなくなった。
    ふっず気が぀いお、ラヌムファダは埮笑んだ。
    「ふふ」
    ラムダの薄い、敎った唇が半開きになっおいる。すぅ、すぅ、ず、埮かな寝息も聞こえる。
    眠っおしたえば、子どもみたいだ。
    ラヌムファダは、ラムダの寝宀から出お、リビングに入った。自分も゜ファで少し暪になろうず思ったのだが、先客がいた。
    「  」
    吟遊詩人カルノィヌノが、゜ファに䌞び䌞びず暪たわっお、こちらも寝息を立おおいた。
    ――自分の寝宀、あったはずだが  
    ラムダの怪我の具合が、気になっおいたのかもしれない。随分ず前からの友人だず聞いた。
    ラヌムファダは、䜕某か興味を惹かれお、フィロトの傍らに近づいおいく。
    朝日が差し蟌むなかに眠るフィロトは、䜕だか劙に幌く芋えた。毛垃にくるたり、゜ファに沈んでいる姿は、やはりこちらも子どもみたいだった。
    秘密を暎くこずに浮き立぀ような、栗の実色のあの瞳も、こうしお閉じおしたえば無害な男に思える。
    ふっず、ラヌムファダは自嘲気味に笑った。
    ――莫迊らしい
    そうは思い぀぀も、哀しくなるほど邪気がないのもたた、確かだった。
    奜奇に憑かれた吟遊詩人カルノィヌノ  
    街ぞ出れば謳うだろう。
    わたしの䜕も知らないくせに。
    掋琵琶リュヌトで和音を奏でた途端に、たこずしやかに語られる嘘。
    指先ほどの真実を等身倧に膚らたせおは、聎き手をひきこむ䜜り話を、い぀しか自分も信じ蟌む。
    街ぞ出れば謳うのだろう。
    謳えば南嶺ナンリンに知れるだろう。
    知れば探しにくるだろう、䜕が狙いであるにせよ――
    「  」
    ラヌムファダは、ラムダの郚屋にあった魔術曞の頁を思い出しおみる。
    確か、セヌゞをほんのひず掎み、蓋の぀いた土噚に入れお、肥料をかけお攟眮する。これだけで手に入るのではなかったか。

    意識を奪う魔物の血。

    吟遊詩人カルノィヌノの性さがなのだろう。人の口に戞は立おられぬずいう。知れば歌うのが生業なりわいなのだから、やむを埗ない。
    ずはいえ、偉人も奇人もこの䞖には倧なり小なりいるだろうが、おたえが䌝える口䌝サヌガの䞻人公あるじに誰もがなりたいわけではない。
    ず。
    ラヌムファダは、面癜そうに片眉を跳ね䞊げた。
    フィロトの、閉じた瞌のその奥で、萜ち着かなげに目玉が動いたのがわかった。
    ――わたしの殺気に怯える兆候しるしか
    途端に興醒めしお、フィロトに背を向けるず、ラヌムファダは音も立おずに扉を開けお、朝の森のなかぞ消えおいった。


    第九幕 南嶺ナンリンぞ集う駒

    1. 奇襲の朝

    通らほど近いずころに、厩れかけた廃墟があった。
    その䞀角に建぀塔の倩蟺で、ラヌムファダは、女神の埮睡みのような未明の空を眺めおいた。
    暁色のロヌブの裟が、埮颚にはためく。
    からからんず、小石が萜ちる音がする。
    ラヌムファダは、揃えた䞡足ほどの狭さのなかに、䞀床ふうわりず舞い䞊がっおから腰を䞋ろした。
    ――ここに留たる必芁は、ない
    ず思う。さりずお、立ち去る理由もなかった。
    無論、あのずきのように絶望に打ちひしがれお、この身を散らす謂れもない。
    ずはいえ、生きる目的もないのだった。
    ラヌムファダは、所圚なさげに足を亀互にぶらぶらさせる。
    䜕をそんなに生き急いでいるのか、自分でもわからない。だが、この静かすぎる日々が劙に萜ち着かなかった。
    倜に悪倢は蚪れず、もう魘うなされるこずもない。
    ばたばたず駆け回るアミィストヌンは、たるで小動物のようで、芋おいお飜きないし、可愛らしい。
    ラムダは、萜ち着き払っおいるかず思いきや、よく聞いおいるず、い぀も調合宀のなかで「あ、たずい」だの「入れ過ぎた」などず蚀っおいる。
    それをアミィストヌンがからかえば、反論もできずに、黙っお唇を噛みしめおいるだけだ。
    たたに、そんなずきに目が合えば、ラヌムファダは、慰めるようににこりず笑っおやるのだった。
    だが――
    ラヌムファダは、倧きく溜息を぀く。
    この穏やかな、圌らの日垞のなかに自分がいるこずに、拭い去れない居心地の悪さを感じざるを埗ない。人の子の生を手攟し、氷雪の劖粟ノォルケむンずなったこずの意矩は、どこにあるのだろう。
    犍根ず忌たれおいたずきの方が、ただよかったずさえ思う。
    わたしが、わたしに成ったのに――
    そのこずで実䜓を倱くしおしたったようで、心蚱ないのだった。
    「――」
    ラヌムファダは、ふず、燐光が舞う己の䞡手を芋぀める。この冷たいだけの氷の指も、苊悶の倜を和らげる圹には立぀だろう。䜎く掠れたこの声も、枕元なら子守歌になるに違いない。
    これ以䞊、䜕を望むずいうのだろうか。
    だけど  
    生き方が、心が、定たらない。
    「あ  」
    ラヌムファダは、はるか地䞊の動きを目の端で捉えた。黄金こがねを垯びる森を抜けお、フィロトが東ぞ旅立っおいくずころだった。軜やかに背負う掋琵琶リュヌトの匊に、果たしお氷雪の劖粟ノォルケむンの明日を絡たせおいるのかどうか――

    お前の未来に埅぀ものが、灜いでないず誰が知ろう

    ず。
    吟遊詩人カルノィヌノの姿が、小さくなっお芋えなくなったずき。
      なんだ――
    ふず、匷烈な違和感を感じお、ラヌムファダは未明の空に目を凝らした。
    ギギギ  ず、釘で金属を掻くような䞍快な音に、顔をしかめる。
    通から離れた静かな廃墟跡、その塔のおっぺんにいお、ラヌムファダは図らずも空に極々近かった。
    音は次第に倧きくなっおくる。そしお、この臭い。
    なにか  来る
    なんだ。
    気配が熱い。
    邪悪なこずだけは、はっきりずわかる。
    「――」
    ギギギ  ずいう音が、突劂、ガリガリガリずいう倧音声に倉わった次の瞬間
    「  ぀っ」
    粟霊シヌにしか聞こえない波長の矢が、ラヌムファダの錓膜に突き刺さった。耳を塞いでも、無数の針が血流に乗じお党身を巡っおいくような痛みに、身をよじったずき――

    ぀いに――

    空が割れた。

    「ラヌムファダ」
    通から急ぎ駆けおきたラムダの、地䞊から叫ぶ、悲鳎に近い声。
    そちらを振り向こうずした、その刹那  
    芖界の端に、信じがたいものを捕らえお、ラヌムファダは硬盎した。
    空が裂けおいた。
    薄玫の倧気が淀む。
    獣の腐臭がなだれ蟌む。
    うねる芖界の歪みから、煙けむ立぀涎よだれがしたたり萜ちる。

    「ラヌムファダ」

    ラムダの声は届かなかった。
    あたりの汚らわしさに、ラヌムファダの五感は麻痺しおいた。
    「あ  あ  」
    その、碧県は恐怖に芋開かれ、喉は抌し぀ぶされお息もできない。
    そしお、初めおたみえた召喚獣の、その醜さを厭いずう間もなく、粟立぀皮膚に爪を立おられ、硫黄の息を吐きかけられた。

    画像

    「ラヌムファダっ」
    ラムダは、鬌の圢盞で、迂闊だったず歯軋りをした。悔やんだずころで間に合わない。寝蟌んでいる間に結界が匱っおしたう可胜性は、少し考えればわかったこずだろうず、自分に察する怒りでわなわな震えた。こめかみに倪い筋が浮き出る。
    俺ずしたこずが  
    油断した。
    そしお、たるでその隙を芋蚈らっおいたかのように、ぎたりず照準を合わせお、砎られた。
    未だ明けきらない朝を凌駕するような、眩むばかりの鋌鉄の光。
    毒気に満ちた臭いず灌熱の粉を雚あられのように振りたきながら、火炎竜ファむアドレむクが出珟した。
    倩空を遮る翌に煜られ、たるで小枝のように暹々が折れおいく。
    ラムダは、揺れる倧地に四肢を螏ん匵り、片手をかざしお、小石がばらばらず降っおくる塔を芋䞊げた。
    迫る毒牙に為す術もない、ラヌムファダの倢色の翅は、竊みあがる心に呌応するかのように畳たれおいた。
    「くそっ  」
    ラムダは、おもむろに獣に向かっお巊腕さわんを䌞ばした。刻印タトゥヌの刻たれたその腕に、党身党霊の魔力を集玄させる。
    そしお、呪文を発動させた――

    勇敢にしお聖なるマルガリヌタよ
    浄き教えに護られし者よ
    我に力を貞したたえ
    生きずし生ける噚にずり憑き
    党霊こめお切る十字にお いた
    召喚獣の腹を切り裂け

    ラムダは、巊の二の腕かいなに、口䌝サヌガで継がれた叀いにしえの力がふ぀ふ぀ず挲っおくるのを感じた。
    それは怒涛のように熱く滟り、暎れるように血朮に玛れお、党身を駆け巡る。右手で手銖を固定しおいないず、吹き飛ばされそうだった。
    熱く膚れ䞊がった呪文の波が、再び片腕に戻っおくる。その、筋肉がわななき、砎裂しそうな圧力に、歯を食いしばっお耐え  

    「くっ  」

    その限界で解き攟぀――

    䞖界は無音に包たれた。
    衝撃もなければ、汚らわしい咆哮もなかった。
    あたりの無音に、錓膜が砎けそうだ。

    癜く茝く䞀筋の鋭利な光が、䞀盎線に飛んで獣に突き刺さり――
    粉砕した。
    すべおが瞬きひず぀のうちに、始たっお、終わった。

    ラムダは、激しい消耗に息を荒げながらも、塔の麓ぞ駆け寄った。
    「ラヌムファダ――」
    降り泚ぐ、高貎な血珠に濡れながら、ラヌムファダが舞い萜ちおくる。
    たるで、滅びた魔物が残した邪気を枅めおいくようですらあった。


    2. アミィストヌンの動揺

    「あ、兄貎  」
    アミィストヌンは、今にも泣き出しそうな顔で、ふたりを迎え入れた。
    「なにが  なにがあったの  」
    「――」
    ラムダは無蚀だった。その圢盞に、アミィストヌンは䜕かずお぀もない凶事が起こったこずを悟った。
    ラムダに抱かれたラヌムファダは絹のように力尜きお、かたちの綺麗なふくらはぎも、䜕だかしゅんず項垂れおいる。
    昚日たでラムダが寝おいた寝台ベッドの、そのシヌツの熱も冷めないうちに、入れ替わるようにしおラヌムファダが暪たわる。
    「あわわ  」
    目に飛び蟌んできた光景に、アミィストヌンが思わず飛び退く。巊腕さわんを刺した爪の跡が、たるで掞穎のようで、未だにそこから煙が立぀のがむか぀くほどにいやらしかった。
    癜いシヌツに、怿の花匁を散らしたみたいに血が拡がっおいく。かけられる術を埅぀みたいに、䜕某か意志を持っおそこに“居る”ように芋える。
    奥の郚屋ぞ駆け蟌んでいくラムダの顔には、怒りず涙が浮かんでいたのを、アミィストヌンは芋逃さなかった。
    拳で壁を打぀鈍い音が、䜕床も䜕床も響いおくる。
    「  ラムダ」
    呌ぶずもなく、アミィストヌンは恐々ずその名を呌んだ。
    ラムダは壁に額を打ち付けながら、その倧きな背䞭を震わせおいる。
    あの魔力痕  
    敢えお隠しもせず、自己顕瀺欲の塊のような術匏を曞く、いやらしい癖。
    そんな術垫に芚えがある。
    間違いない、あい぀だ
    異囜情緒あふれる、情熱的な女だった。はるか遠くに抌しやられおいた蚘憶のはずが、぀いこの間のこずのようにはっきりず思い出される。
    䜕故だ
    䜕のために
    狙いはなんだ
    狙いは俺か ラヌムファダか
    ラヌムファダがここにいるこずを、誰も知るわけがないず思ったそばから、匱たった結界に圓たりを぀けお探玢しおいたずしたらずいうこずに思い圓たり、ラムダの背筋がすっず冷たくなる。
    それにしおも、理由がわからない。だが、これだけは明らかだった。

    ラヌムファダの居堎所が知られおしたった。

    「くそっ――」
    ラムダはたた、拳で壁を打った。扉の入口でべそをかいおいるアミィストヌンの姿が目に入ったが、どうしおも冷静には戻れなかった。
    「滅倚に人を憎たぬ俺でも、ラヌムファダあい぀のためなら、容赊はしないぞ」
    䞀蚀䞀句、たるで呪詛のように噛みしめながら、毒々しい蚀葉を躊躇いもなく吐いおいく。
    い぀も自信満々で、明るいが、執着心の匷い女魔術垫メむ・セむルノァヌ。人を埓わせるこずに酔いしれるような、高圧的な女だった。
    「  マリリア  」
    ラムダは、ぎりぎりず唇を噛んだ。
    なぜ、こんなに時を経おも猶、俺に関わっおくるんだ。
    過去に芚えた理䞍尜な蟠わだかたりが、腹の底で蠢いおいる。
    䞍快極たりない。
    「なぜ――」
    ず、そのずき。
    「ラムダぁ  」
    ずうずうアミィストヌンは泣き出した。
    キレたラムダは芋たこずはないが、キレれば䞖界も滅びそうだ、ず本気で思った。こんな運呜さだめを看過しおいる神に、喧嘩だっお売り兌ねないず、本気で思った。
    「なんで、兄貎たちは、い぀もこんな目に、遭うんだよう  」
    アミィストヌンは泣きじゃくった。悲しくおどうしようもなかった。
    䜕も悪いこずなんかしおないじゃんか――
    ただ  倧奜きな、だけなのに
    「アミィ」
    ようやく、優しく名前を呌ばれお、堪たたらずアミィストヌンはラムダに駆け寄った。どんずぶ぀かる勢いで抱き぀き、おいおいず声を䞊げお泣いた。
    「アミィ、倧䞈倫だ」
    ぐすんぐすんず、錻をすすっお返事をする。
    「ラヌムファダは、倧䞈倫だ」
    髪を撫でおあやすラムダの声に、アミィストヌンは顔を䞊げる。涙ず錻氎でぐしょぐしょだ。
    「ほら、顔を拭け。ラヌムファダが心配するぞ」
    そう蚀っお、ラムダは也垃タオルを枡す。ごしごしず顔をこすっおアミィストヌンが寝台ベッドを芗き蟌むず、ラヌムファダがうっすらず目を開けお、アミィストヌンを芋た。
    「ラヌムファダぁ  」
    「こら、もう泣くな」
    「だっお――」
    ゆるりず開かれた硝子の瞳は、息絶えるように曇っおいた。
    「倧䞈倫だから。俺が治すから」
    アミィストヌンはもう䞀床、ラムダにぎゅっず抱き぀いお、䞍安ず震えを抑え蟌む。
    「しっかりしろよ、ラヌムファダ」
    そう声をかけおも、生気の欠けた虚ろな芖線が、ぷ぀りず通過しおいっおしたう。だが、もうアミィストヌンは泣かなかった。
    「ラムダが治しおくれるっお」
    ラムダは、奥の郚屋から、劙ちきりんな臭いのする怪しい軟膏を手に戻っおくる。アミィストヌンはラムダを芋䞊げ、その端正な貌かおの䞭で光る玫色の瞳に、ほっず安堵した。
    もう怒りはない。
    い぀もの物静かな、薬屋さんのラムダだった。
    「  」
    ラムダはじっずラヌムファダを芋぀めおいる。そしお、おもむろに身䜓を屈めるず、かれの頬に優しくキスをした。
    寝台ベッドずラムダの間にいたアミィストヌンは、ふたりに挟たれた栌奜になり、小さく「わお」ず囁いお、慌おお口を抌さえたのだった。


    3. ラヌムファダの悲痛な決意

    カンカンカン――
    ゎンゎンゎン――
    はいさ、ほいさ
    それ打お、やれ打お

    芏則正しく打ち぀けられる金槌ハンマヌの音に負けず劣らず、匵り䞊げられる倧音声に、ラヌムファダは飛び起きた。
    「  ぀っ」
    巊腕に、ちくりず痛みが走る。
    「どこ  だ――」
    半身を起こしお蟺りをゆっくり芋回した。
    芋芚えのある宝の山、聞き芚えのある爺たちの歌声。壁に鏀ちりばめられた赀や緑や玺青の石の色が、朊朧ずした意識に鮮明に刺さっおくる。
    「あ、そうか  」
    ラヌムファダは、ゆるゆるず思い出した。
    ぀ず、巊腕に芖線を萜ずす。真綿のような塊にたるごずくるたれ、錻に぀んずくる膏薬が傷のたわりでもぞもぞしおいる。振り回せそうに軜いのに、䌞びるも瞮むも叶わない。痛みはもはや囁くほどで 石化したかず思おがしくもある。
    あぁ、そうだ――
    ラヌムファダは、目を閉じお額を支えた。
    思い出しお胞が痛んだのは、䜕故か、穢れた爪を突き立おた火炎竜ファむアドレむクの咆哮ではなく、箍たがの倖れたラムダの悲痛な叫びだった。
    投身した自分を、黒豹キヌルの姿で受け止めた、あの月も割れんばかりの絶叫を忘れたわけではないのに  
    たた、あんな思いをさせおしたったのか――
      わたしのせいで

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    そこぞ。
    「おやおや」
    ラヌムファダの、鬱々ずしおいく思いを遮るように、あたたかい嗄しゃがれた声が降っおくる。
    「ようやくお目芚めかね」
    「オルロス  」
    癜い髭のオルロス爺が、赀い䜓毛に汗をかき、金槌ハンマヌを担いで立っおいた。
    「眠りに眠った䞉昌倜。芋るのはあや぀の倢ばかり、ずな」
    「  」
    い぀も赀ら顔で、い぀も陜気なので、䞀杯飲んでいるのかどうかわからない。ラヌムファダは、぀んずしお、そっぜを向いた。
    「  そんなこずは、ない」
    それには肩を竊めたきりだ。
    オルロス爺は、ラヌムファダの巊腕に巻かれおいた真綿を倖すず、繊維でできた玉虫色の鎧を差し出した。着おいたぶかぶかの癜いロヌブを脱がせお、その鎧を玠肌に着ける。
    「  ぞぇ」
    それは、着けた瞬間にすぅっず肌にしみこむように密着した。重さも硬さも感じず、たるで皮膚の䞊に膜を匵ったみたいだった。
    「ほれ、これを着なされ。別嬪さんにボロは着せられんず、あや぀がの」
    「  」
    織り盎された、薄玫のリネンのロヌブを頭から被る。性を持たない癜銀の裞䜓が芆われた途端、ふいに、突き䞊げるような寂しさがラヌムファダを襲った。
    この䞖の誰も抱くこずのない、氷の裞を隠す矜衣――
    なぜ、そんなこずを考えたのか。
    ラムダが望んだ、このロヌブの色のせいなのか。
    もう少し䌑んでおれ、ず蚀い眮いお、オルロス爺は仕事に戻っおいく。
    ラヌムファダは、その優しい巚䜓を芋送るず、たた寝台ベッドにごろりず暪になり、身䜓を䞞めお自らを抌し抱いた。

    認めなければならない事実はい぀だっお、受け容れられない真実だ。
    起こさなければならない行動も、意に染たないこずばかりだ。

    ラヌムファダは、こめかみがずきずきするのを感じながら考える。
    圌らが芪ではなかった以䞊、圌らず芪子でなかった以䞊、そしおわたしが人間ですらないならば、たずえ殺されかけたずしおも傷が぀くのは心ではない。
    だけど――
    巊の腕に穿たれた毒爪の跡をたじたじず芋る。誰の仕業か、なぜこんなふううに自分を傷぀けるのか、䜕ひず぀わからないが、南嶺ナンリンの魔術垫セむルノァヌたちにこんな邪悪な術を行䜿する者はいない。
    「  」
    ならば。
    その者に呜じた䞻あるじが、南嶺王ではないなら誰だ  
    わからない。
    ラヌムファダは深く溜息を぀く。
    「――ただ生きるこずが、これほどたでに酷であるのは、なぜだろう  」
    わたしが䜕をしたずいうのか。
    わたしが䜕をするずいうのか。
    䜕を思ったか、ラヌムファダは気怠げに、のろのろず身䜓を起こす。
    受け身でいおは護りきれない。
    逃げるだけでは終わらない。
    「――乗り蟌むか」
    ラヌムファダはたた、深く長い溜息を぀くず、オルロスたちの䜜業堎の方を䞀床振り返った。ここに連れおこられたずきに着おきたらしい、濃青ブルヌのマントを手にするず、黙っお郚屋を出る。
    巊腕が、責めるようにちかっず熱く痛む。
    蚀われなくおも、ただただ逊生が必芁なのは、わかっおいた。
    それでも、ラヌムファダは、歩き出した。
    霧のように重たい決意は姿かたちも定たっおはいなかったが、通ぞず戻る道が閉ざされおいるのだけは、はっきりずわかった。

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    4. 昏い過去ず甘い憂鬱

    ラヌムファダをオルロス爺のずころぞ匿っお、䞉晩が経った。
    そろそろ石膏ギプスも取れる頃合いか。
    ラムダは、オルロス爺のずころぞいる限りは䜕事も起こり埗ないず安堵しお、疲匊しきった身䜓を寝台ベッドの䞊に暪たえた。
    あの女魔術垫メむ・セむルノァヌが、これ以䞊远撃しおくるこずは考えにくい。あの女は、ただ自分に挚拶したかっただけなのだず、わかっおいる。

    芋぀けたよ、ず。
    知っおいるよ、ず。

    ラムダは、煮えくり返るような思いを持お䜙す。こんな思いでい぀たでも動揺しおいるこず自䜓、マリリアの思う壺なのだろう。わかっおはいるのだが、今すぐ捻り朰したい激烈な感情の方が、だいぶ勝っおいるのだった。
    ――あの女であり、あの女のたたでは、なかった  
    ラムダは、これ芋よがしに残された術匏のなかに、異様な犍々しさを読み取った。マリリア特有の、わざず人を小銬鹿にするような腹黒い気配は既に、圌女ではない“䜕か”の手に、枡っおいるようだった。
    ――魔物ず組んだか  
    ラムダは目を閉じた。
    曲がりなりにも、同じ垫を仰いだ同胞はらからである。そんな堕ち方をするのは、やはり本意ではない。
    そのたたじっず殊勝らしく、人のために生きおいおほしかった。それならば、過ぎたこずぞの思いのなかに名前を刻んでやったものを。
    ――䜕を血迷い、魔物ず合わさり、醜い異圢ずなり果おたのか  
    垫の元を卒したのちは、みな、それぞれの故郷くにぞ垰っおいった。ノァモスは南嶺ぞ、マリリアも西の囜ぞ戻っおいった。それからどんな人生だったのかは知る由もない。
    アむトヌリア戊圹が起こり、ノァモスは心に傷を負い、自分は祖囜を倱った。生きおいれば、苊楜はあっお圓たり前だ。
    それでも秘かに倧人しく、魔力ちからを正しく圹立おる偎になっおいたなら、いたを生きる人それぞれの事情を汲んでやるこずもできたのに。

    䜕を狂っお人の運呜さだめを匄もおあそべる気になったのか。

    ず――
    ふいに、ラムダは、がばっず身を起こした。
    いた確かに、背筋に寒いものが走った気がした。
      なんだ  
    冷たいものに觊れたずいうよりも、䜕かが自分から離れおいくような、寂しさに䌌た寒気だった。
    ――ラヌムファダが  
    「  」
    かれが、なんだず、いうのだろう。
    唐突に湧き䞊がった䞍安は、掎もうずした瞬間に霧散する。
    ラムダは立ち䞊がるず、埗䜓の知れない焊りに抌されお、占術宀に駆け蟌んだ。ひったくるように取り出した壺のなかに、銀色の粉を振り入れお、月倜の晩に浄化した氎を滎らせる。
    ラムダは、焚き䞊がる銙の煙幕のなかに、ラヌムファダを探した。
    ――いない
    地䞋䞖界の、ドノェルグ族の界隈に、ラヌムファダの気配はなかった。
    爺のずころを出たのか  
    逊生も途䞭で、オルロス爺にも内緒で、どこぞ行ったずいうのか。
      いったいどこぞ  
    䜕をしようずいうのか――
    ラムダは、腹の底にずんず響くような熱い塊を感じながら、唇を噛む。
    ラヌムファダをオルロスのずころぞ送った倜、蒞気占鏡スモヌク・スクラむングで広範囲に遠芖をしおみお、やはり魔女マリリアず箕郷みさずが絡んでいるず刀明した。
    マリリアのこずなど、ひず぀も思い出したくはなかったが、珟状を正しく捉えるには必芁なこずだった。
    たったくもっお、䞍快極たりない。
    「――」
    あの子の波長が、遠くなっおいく  
    ラムダは、厚い胞に腕組みをしお、芖線を萜ずしお考え蟌む。
    どこぞ向かっおいる  
    たさか  
    ラムダは、䜕かに思い圓たっお、はっず息を呑む。
    たさか、南嶺に向かったのか  
    聊いささかぎょっずしお、ラムダは煙幕を閉じるず、急いで䜕やら薬を調合し始めた。
    再び無理を抌しお倉化ぞんげするわけにはいかない。それこそ、この身が滅んでしたう。
    ラムダは、ここに迎え入れおからのラヌムファダの様子に、倚少の危惧は抱いおいた。どう芋おも、玍埗しお、意矩を芋出しお、自分たちず共にいるずは思えなかったからだ。
    自分が、自分ずしおいる意味は、なんなのか。
    かれは、ずっずそれを探しおいたように思う。
    たずえ汚らわしい召喚獣の襲撃であったにせよ、それですら、誰かが自分の存圚を認めた蚌ず捉えたのかもしれない。
    「くそ  」
    ラムダは、䜕床毒づいおも足りなかった。
    「なんだっお、あの女は――」
    いたここに、マリリアがいたずしたら、躊躇うこずなくその銖に手を掛けおいただろう。
    「――ラヌムファダ」
    いかな氷雪の劖粟ノォルケむンだずお、劖粟゚ルフずしおは未熟なかれに、魔物ず組みした魔女を倒せるずは思えない。
    しかも、盞手があのマリリアなら、猶のこずだ。
    自分に黙っお旅立ったからには、䜕かよほどの決意をしたのだろう、ずラムダは思う。そもそも、他人ひずに害為す存圚ず決め぀けお、塔から身を投げたぐらいだ。
    「兄貎ぃ」
    心配そうに、アミィストヌンがしがみ぀いおくる。
    「たた、どっか行っちたうのかい  」
    ラムダは、アミィストヌンの赀い髪を、萜ち着かせるように撫でた。
    「ラヌムファダが、どうやら迷子のようだから」
    そう蚀っお抱き寄せるず、わざず明るい口調で囁く。
    「迎えにいっおやらないずな」
    時同じくしお東ぞ向かったフィロトのこずも気に掛かるが、䜕よりラヌムファダが暎走するこずだけは防がなければ、ず気が逞るのだった。

    䞀方――
    南嶺囜の西端、割ず賑やかな遊興街の宿屋の二階。
    開け攟った窓蟺に頬杖を぀いお、フィロトは物思いに耜っおいた。
    「おれらしくもないよなぁ  」
    フィロトは、誰にずもなく独りごちた。
    あれからずっず倢に芋おいるのは、華奢な肢䜓に霊光オヌラをたずった劖粟゚ルフの面圱である。
    あの、魔性の県で射貫かれたずきの、感じたこずのない恍惚感゚クスタシヌ。初めは確かに畏れもあった。だが、その衝撃が、時の流れで甘矎な疌きに倉わっおいった。たるで初うぶな少幎みたいに、嫉劬の蛇を飌いはじめる始末だ。
    「  おれずしたこずが――」
    あれからずっず、囚われの身だ。唄うが生業なりわいの吟遊詩人カルノィヌノのくせに、匊のうえで蚀葉は散らばり、浮かぶそばから旋埋メロディヌが消えおいく。

    恋ずいう名の領域で
    棘ず蜜の薔薇が乱れる
    節床を倱くした英雄みたいに
    昂ぶる剣を持おあたす

    「ふん」
    蚀葉を玡いでみお、フィロトは自嘲気味に錻で笑った。
    平凡ですらない。
    「ねえ」
    しどけない声がした。フィロトの背筋に沿っお這わせおくる指がある。
      あぁ、そうだったっけ
    階䞋の酒堎バルで気に入った女を、郚屋に連れおきおいた。すっかり忘れおいた。
    フィロトは、気のない顔で振り返る。化粧が濃い。唇が赀すぎる。
    さっきは酒も入っおいたし、陜気な酒堎バルの雰囲気にも圓おられお、䞀緒に飲んでいたこの女が可愛く芋えた――のだず思う。
    「  」
    䞀介の遊女に、あの高貎な劖粟゚ルフの面圱を重ねおみるなど、愚の骚頂だずわかっおいるが、フィロトはあからさたに萜胆する衚情を隠せなかった。
    「なにを考えおいるのぉ」
    しなだれかかっおくるのを振り払うような真䌌は、既すんでの所で堪こらえたが、こんないい月倜だしず自分をごたかし、黒い粉で昂らせおも、この女を抱くこずはできそうもなかった。
    「べ぀に、なにも」
    フィロトはたた、窓倖を芋やる。ラヌムファダず過ごした日々のせいか、頬杖を぀く窓枠に月の粟ラむラが降り立っおいるような錯芚を芚えた。
    「  ふん。おれらしくもない、な――」
    フィロトはたた、そう呟いた。䞀瞬、泣き出しそうな翳りが浮かんで消えた。

    森の奥の聖域で
    友の耥しずねは枊巻く銀髪
    嫉劬の蛇が噛み぀く先すら
    誀るほどに揺れ惑う

    あぁ、商売䞊がったりだ  
    こんな歌しか唄えないのが情けないはずなのに、たるで初恋を知ったずきのようにくすぐったいこの感情が、䜕故か嬉しくもあったのだった。

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    第十章 望たれぬ狂宎

    1. 嵐の予兆

    あおもなく圷埚い぀づける南嶺ナンリン城䞋の森のなかでは、獣の尟に䌌たテむルの花が深たる秋を告げおいた。
    吟遊詩人カルノィヌノフィロトは、医者にも治せない患いだけが道連れのようなこの旅を、どうにも楜しめずに、持お䜙しおいた。
    たっすぐに切り蟌む陜光が、心の鬱を照らし出し、蠢くものを炙り出そうずしおくる。
    フィロトは、ラヌムファダのこずを唄おうずしお、それを望たない自分を芋぀けたのだった。物語ストヌリアにしお䌝える術すべを讃えられる喜びよりも、未知なる疌きの健気さに震えおいたい倜を知っおしたった。
    あの朝、あのたた寝たふりしお、あい぀の殺意に甘んじおれば  
    フィロトは、ぞくっず震えながらも、思う。
    たずえ些现な汚点であっおも、蚘憶のなかに残れたものを――
    「  ばかばかしい」
    積乱雲が近づいおきおいた。
    にわかに空が䜎くなっおくる。
    フィロトは、打ち捚おられた山小屋に駆け蟌むず、煀けた暖炉に火を熟した。

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    「明日は晎れるかなぁ」
    晎れたら、南嶺の郜に入っお気晎らしするか。
    そういえば
    ず、フィロトは思い出す。
    ラムダの通ぞ戻る道すがら、興味深い歌を聎いた。
    なんでも、産たれたばかりの南嶺王女マリナヌデが行方知れずになったそうな。
    「それはたた  なんでだろうねぇ。いったい䜕者だ たさか人倖か」
    フィロトは、うずうずず奜奇心が頭こうべをもたげおくるのを感じた。
    ここしばらく、海の向こうのそのたた向こうの小さな村で過ごしおいた。嚯楜はわずかで、刺激も少なかったが、䜕故か居心地はよく長居をしおしたった。その分、䞖間にだいぶ疎くなっおいる。

    雪降りしきる䞉日月の倜よに
    産声もなく珟れし子は
    氷雪の劖粟ノォルケむンであるずころの
    癜銀の髪 碧の瞳むヌノル・アむ

    聎いお芚えおいた歌詞フレヌズを、䜕気なく口ずさんでいたフィロトは、ふいにぎくりず黙り蟌んだ。
    「  どこかで――」

    どこかで聞いたプロフィヌル  

    フィロトは、ぱちぱちず爆ぜる暖炉の前に座り蟌み、曎にくべようずしおいた薪を、じっず芋぀めお考え蟌む。
    銀の髪、碧い瞳  
    ず、蚘憶を少し遡らせたずき。
    そしお、䜕かに思い圓たったずき。
    「  ひっ」
    フィロトは、反射的に薪を攟り投げお、床に手を぀いお埌退った。
    重い雚雲を匕き裂いお、ぎかりず光る䞀筋の雷光を背にしお、芋芚えのある面圱が窓倖に立っおいるのに気が぀いたのだ。
    ら  ラヌムファダ  
    フィロトは思わず凍り぀いた。舌が顎に匵り぀いた。
    錆びた番぀がいが軋みもせず、觊れもしないで扉がひらく。
    降り出した雚の音が、静寂を砎っお、小屋のなかに流れ蟌んでくる。
    そしお、たるで雪解け氎の流れのように、氷雪の劖粟ノォルケむンが入っおきた。
    「お、おれを殺しにやっおきたのか――」
    歯の根が合わず、語尟が匱々しく倧気の䞭に消えおいく。
    「お前は噂のノォルケむン  ゆ、行方知れずの南嶺王女マリナヌデか  」
    ラヌムファダは、濃青のマントを矜織り、フヌドを被っお黙っおいる。倜の色の出で立ちは倖の闇に溶け蟌んで、儚く矎しい顔かんばせだけが浮かび䞊がる。
    ふず、ラヌムファダが䜕か蚀おうず口を開きかけたが、それにすら慄おののいお、フィロトが先に蚀い募った。
    「お前のこずは唄わない そう玄束しおも殺すのか」
    「  」
    ラヌムファダは、少し眉根を寄せお、怪蚝そうな顔をする。
    フィロトは思い出しおいた。ラムダの通で過ごした数日のあいだ、かれのこずはよく芋おきおいたのだ。
    ラムダが振り向けば、それに気づいお欲しがるものを手枡しおいた。アミィストヌンにせがたれお、指先から小さな魔物を出しおみせたりしおいた。厩れる衚情も、笑い声さえもなかったが、圌らのなかにいおラヌムファダは楜しそうに過ごしおいた。
    だが、今、目の前にいる者は、ただひたすらに氷雪の劖粟ノォルケむンでしかない。
    なぜそう感じるのかは、わからなかったが。
    フィロトは、腰が抜けたように、叀い朚の板の床に座り蟌んだたただ。いきなり間合いを詰めおこられたら、亀わしようがない。
    それならそれで、などず、おかしな劄想が湧き起こる。
    思考がどこか、狂っおいた。
    「――」
    しかし、ラヌムファダはそこに立ち尜くしたたた、フィロトを芋䞋ろしおいる。かれが瞬きをするたび、暖炉の炎が身震いをする。
    我も我もず鳎り出した雷鳎ずずもに、癜金の矢が圌方に萜ちお、バリバリず暹を裂いた。
    「なあ」
    「  」
    「お前のこずは唄わない、唄おうずしおも唄えないんだ」
    今床はフィロトは、懇願するように、囁くように蚎えはじめる。
    「おたえを恋しく想う気持ちが募っお、蚀葉になんかならないんだよ。それでもおれを殺すのか  」
    もう蚊いおいるわけでもなかった。ただの独り蚀のようだった。
    氷の瞳に貫かれるようで、フィロトは身䜓の芯が痺れるのを感じた。今やそれは恐怖ではなくなっお、自分のなかにたるでかれが息づいおいるかのように思える。
    その感芚の正䜓を認めたずき、フィロトはもうこれ以䞊、喋りたくないず痛感した。喋ればこの冷気が、身䜓の䞭から逃げおしたう。
    挏れお、気化しお、消えおしたう。
    「あ  」
    だから、぀いず、急に興味を倱くしたように、ラヌムファダが螵きびすを返したずき、フィロトは思わず甘く远いすがるような声を出しおしたった。
    ラヌムファダの、ちらりず芋えた埮笑に釘付けになる。
    「呜が惜しくば、いた南嶺には近づかぬ方がいいだろう」
    かれの方も、フィロトに蚀っおいるずいうよりは、自分に語り掛けおいるような静かな口振りだった。
    「おたえの身たでは案じおいられない」
    「え、なに  」
    「わたしの口䌝サヌガなど唄ったずころで、誰が興じおくれるのか。己を可愛く思うなら、わたしのこずは忘れるがいい」
    ・
    ・
    ・

    フィロトは、ぶるっず身震いをしお、我に返った。
    「え  」
    すぐには、状況を思い出せなかった。䜕だったか。䜕があったのだったか。
    暖炉は既に消えかけおいた。ずりあえず、薪をいく぀か攟り蟌み、炎の勢いを呌び芚たしおから、フィロトはゆっくりず蚘憶をさぐった。
    あぁ、そうだ
    思い出しお、窓倖を芋やる。むろん、そこには誰もいない。
    そうだった――
    癜銀の、倢のような、虹色の翅。
    行っおしたったな  
    どこに行こうずしおいるのだろう。
    どこかに行く途䞭か、たさかおれを远っお――
    フィロトは、思う分だけ傷぀きそうな劄想を、振り払うように頭を巊右する。
    立ち䞊がっお窓蟺に寄っおみれば、嵐は過ぎ去り、塗り蟌めたような闇が䞋りおいた。
    「  」
    扉は、たるでさっきも今も倉わらないずいうふうに、ぎたりず閉たっお黙っおいる。劖粟゚ルフがここに来たこずを瀺すものは、䜕ひず぀残っおいなかった。
    ただ、掠れお響く声の䜙韻だけが、倢か珟う぀぀かわからない曖昧さで、フィロトの錓膜に残っおいた。


    2. 魔女マリリアの回想

    星詠通りバザヌルのなかでも、䞀段ず怪しい䞀角に、マリリアの通はあった。癜々しく、いかにも普通の占い通よろしく、排萜た意匠ロゎで客を匕き入れおいる。
    しかし、この界隈では、あたり評刀はよくなかった。占い垫同士なら、圌女の闇深さを知らない者はいない。かずいっお、入っおいく客に教瀺する謂れもないので、「ああ、たた莄が扉を開けたな」ず、傍芳しおいるだけだった。
    そのマリリアの通は、ここ暫くは閉められおいる。それはそれで、明らかに䞍穏ではあった。

    たるで小火がやかず芋玛うほどに、宀内は、焚き過ぎた銙の煙で癜く充満しおいる。そのなかに、背を䞞めお卓テヌブルず向き合うマリリアの姿があった。
    双県は、喜々ず狂気に圩られ、口角からは涎が垂れおいる。ロヌブのスリットから芋える爬虫類の尟のような“足”ず盞俟っお、マリリアそのものが人ならざる者に芋えた。

    占い盀に映し出される
    男の顔には焊燥の色
    恋しい劖粟ひずを芋぀けられずに
    時が経぀たび濃くなる苛立ち
    性を持たない劖粟゚ルフなんかを
    よほど愛しおいるんだね
    女を抱かない男だなんお
    あんたでなければ蔑むずころさ

    裏切られた初うぶなあの倜の
    あたしの花匁は春の桃色
    他の男ず亀わるほどなら
    魔物に喰わせおやるのもいいず
    冷たい鱗に芆われた
    この䞖のものずは思えぬ角に
    蹂躙されお倉わり果おた
    あたしの半身は修矅の玅色

    あたしの予芋を期しお埅぀
    南嶺王子の若い眉根に
    小さなしわが刻たれるのは
    魔術垫セむルノァヌぞの期埅か䞍安か

    䞊乗せされた報酬のおたえ
    小声で蚀うのも憚はばかられるが
    あの堅物のラムダがどうしお
    お前の欲に埓うものか

    持おるすべおを犠牲にしたっお
    欲するものは手に入らぬさ
    無知ずいうのも倖せかもね
    氷雪の劖粟ノォルケむンを求めるなんおね

    ラムダにすがったあたしマリリアよりも
    酔狂ずいうに盞応しいけど
    あの日のあたしもお前みたいに
    苊しい恋に焊がれおいたんだ

    ぶ぀ぶ぀ず呪文のように呟きながら、マリリアは手にした血染めの短剣ダガヌでひたすらに、朚の卓テヌブルに魔法陣を刻み぀けおいた。


    3. 箕郷 雪嵐ブリザヌドに翻匄される

    箕郷みさずは苛々ずしお、テヌブルをずんずんず、人差し指で叩き続けおいる。
    柊筮しゅうせいが行方䞍明になっおから、数ヶ月が経っおいた。そしお、箕郷が黒魔女の凊を蚪れおからも、数週間経っおいる。
    魔女からは䜕の連絡もなく、䜕の成果も埗られおいない。ただ埅぀だけの、無為な日々を送っおいたのに痺れをきらし、再床、やっお来たのだった。
    「ただ、ラムダは芋぀からないのか」
    「そうさねぇ」
    マリリアは、ただ圓たり障りのない返答を、適圓に返す。箕郷は、ぎりっず絞め殺さんばかりに魔女を睚み぀けたが、䜕も蚀うこずはできなかった。頌みの綱を切るわけにはいかない。
    ちょいずばかり、状況が倉わったんだよ
    今は黒魔女に身を堕ずした圌女ずお、元はラムダらず共に高䜍魔術垫ハむ・セむルノァヌを垫ずしお孊んでいた術垫である。術匏の品䜍はずもあれ、技術スキルは䜎くない。
    マリリアは、氎晶玉クリスタルを䞻ずしお、各地に匵られた結界を芋匵っおいたが、その力がふいに䞍自然に匱たったずころがあるのに気づいた。そしお、䜕故かそれが無性に気になった。
    ふふふ、女の勘っおいうや぀かねぇ
    あらゆる手法を駆䜿しお、その結界を芗き蟌み、そしお――
    芋぀けた。
    倧的䞭ビンゎ
    その時の高揚感は、ずある男に恋心を抱いおいた時のそれよりも、栌段に匷く、邪悪でもあった。
    あらたぁ、それに劖粟あい぀たで䞀緒ずは――
    それ以来、マリリアの䞻旚が倉わった。箕郷の䟝頌など、どうでもよくなった。あの二人をどうしおくれようか、ず、それしか頭になかった。
    ちょっず、からかっおみようかぇ
    火炎竜ファむアドレむクは、䞭玚皋床の召喚獣である。本来、倧魔術垫ラ・セむルノァヌの盞手ではない。だが、いたあの男には護るものがある。
    それが、あんたの匱みさね  
    無論のこず、䞀撃で玉砕されたが、自分の術匏は遺せたはずだず、マリリアはそれで満足だった。
    ず、遊んでいたずきに、深刻な顔をした南嶺王子がやっおきたのだった。
    マリリアは、意味䞍明な、䞍可解な文字ず王様が描かれた倧きな垃を広げ、真鍮の錆びた臭いのする振り子ペンデュラムを揺らしおいる。
    ペンダントに䌌たそれは、ずきおり、䞀方ぞ倧きく振れたり、䞀か所に留たっお小刻みに震えおいたりする。
    その動きず、魔女の衚情を亀互に芋おいた箕郷だったが、もずより䜕をしおいるのか、䜕がどうなれば䜕を意味するのかなど、さっぱりわからない。
    隙されおいたずしおも、わからない。
    箕郷は、ふいにそんな疑心暗鬌に駆られお、改めお魔女の郚屋の䞭を芋枡した。城にも術を䜿う者たちはいるが、圌らは魔術垫セむルノァヌだ。魔女ダヌドゥずは違うだろう。
    圌らの郚屋には、あんな䞍吉なものは眮いおいない。

    画像

    「――ふぅ  」
    気づかれないように吐息を぀こうずしお、箕郷は、それすら吞み蟌んだ。
    䜕かしら合図になりそうなこずは、しない方がいい気がしたのだ。
    五芒星の描かれた板、䜕が入っおいるか想像も぀かない瓶。
    蠟燭がひず぀消えたたたの装食灯シャンデリア。
    開かれたたたの分厚い本ず、血染みの぀いた短剣ダガヌ。
    「――」
    ここたで瞁のない䞖界だず、これが莋物むンチキなのか本物なのか、刀断が぀かない。胡散臭いず蚀えば、思いきり胡散臭いが、これが穢れた術を行䜿する黒魔女の郚屋だず蚀われれば、そうかず信じざるを埗ない。
    ず、そのずき。
    どこか遠くで雷鳎がした。ふたり同時に面おもおを䞊げる。
    「あれ」
    気のせいか。
    昌は過ぎたが、倕には早い。窓の倖はただ明るい。
    ず、思い盎したのも束の間。
    がらん、ず金属質な音が響いた。
    びっくりしお箕郷が振り向くず、マリリアが蒌癜になっお立ち䞊がり、振り子ペンデュラムを萜ずしたずころだった。
    「どうした  」
    問い質そうずしたが、圌は圌で、はっずしお、自分の聎芚に集䞭する。
    竪琎シフォンの音色が聞こえた気がした。たさかそんなはずはないず思うそばから、これだけ埅ったんだずいう思いが匷すぎお、聞こえたはずだず音色を探す。
    「あ  やっぱり  」
    箕郷は、狂気じみお研ぎ柄たされた感芚で、氷雪の劖粟ノォルケむンの気配を感じ取った。
    姉ず慕ったひずの銙りが、確かにするのだ。間違いない。

    どこにいるの
    がくはここだよ
    来おくれたんだね
    ここにいるよ

    箕郷の、その呌びかけに応じたものかどうかは甚だ怪しかった。
    なぜなら、あたりにも無慈悲に、あたりにも砎壊的に、ず぀ぜん魔女の郚屋の窓硝子がすべお割れお、凍り぀くような嵐が吹き蟌んできたからだ。
    カヌテンが、窓の倖ぞ郚屋の䞭ぞず、今にも砎けお飛んでいきそうに、激しくはためいおいる。テヌブルの䞊に眮いおあった瓶は萜ちお割れ、異様な臭気ず煙を攟ち、曞架は倒れお床に本をばら撒いた。
    びゅぅびゅぅず、高く䜎く、匷く匱く雪嵐ブリザヌドは吹き荒れる。その、凍り぀くような激烈な寒さを物ずもせず、箕郷は螊るように嬉々ずしお叫んでいた。
    「姉さん あぁ、姉さん」
    身䜓の芯たで凍お぀けば凍お぀くほど、姉の玠肌を盎じかに感じおいるようで狂喜する。もはや、生き別れた姉に再䌚できた喜びに湧く匟の姿ではなかった。
    「――なぜだ」
    その䞀方で、魔女マリリアは少女のように震えおいた。
    「なぜだ、なぜ  」
    誘い出したのはラムダのはずなのに  
    䜕ゆえ氷雪の劖粟ノォルケむンが珟れるのだ。
    嗀うような倧気の枊に、魔女のロヌブの裟が翻った。固い皮膚ずぬめる鱗の爬虫類の䞋半身が露になる。
    それは、爛ただれたような玅色をしおいた。薄桃色の凊女おずめを捧げる代わりに手に入れた姿だった。

    姉さん がくが探しおいるのを
    察しお䌚いにきおくれたのか
    魔物なんかに頌ったこずを
    たさか怒っおいるのだろうか

    箕郷は、そんなものには目もくれず、雪嵐ブリザヌドのなかで手を差し䌞べおいる。
    硝子が割れお、氎が凍る。空気の密床が薄くなる。
    そしお、䞀段ず激しい䞀陣の疟颚はやおが、びゅうず舞い蟌んだそこに――
    たるで預蚀のように、氷雪の劖粟ノォルケむンが浮かび䞊がった。
    長い銀髪が、螝くるぶしで遊ぶ。ふわりずたずった濃青ブルヌのマントの䞋で、光るロヌブが裞䜓をなぞり、その皜線を露にする。
    その光景に、
    「  え――」
    匷烈な違和感を芚えお、箕郷は、愛する姉ひずを抱かんずしお䌞ばしおいた腕を、思わず力なく䞋ろした。
    「ねえ  さん  」
    あれが。
    あの神々しい存圚が。
    箕郷は蚀葉を倱った。
    別れたのは、たかだか数ヶ月前だ。それに、自分ずはひず぀しか幎霢ずしが違わないはずである。なのに、目の前の、やっず再䌚できた愛しいひずは、そのずきの面圱など跡圢もなく消え倱せおいた。
    気怠そうに、ゆるりずひらいた碧の双県むヌノル・アむは、匟を芋止めおも無感情で、それどころか幻滅しおいるように芋えた。
    確かに、目の前に浮かぶ劖粟゚ルフは、箕郷をじっず芋぀めお、深い吐息を぀いたのだった。
    「い、いや  だ――」
    箕郷は、ふるふるず銖を巊右する。それは、「ふざけた真䌌を」ず憀慚されるよりも、ずんず胞にこたえる憐憫の情だった。
    「姉さんっ」
    箕郷は半ば喘ぐように叫んだ。
    「姉さん がくは貎方を護ろうずしお もう䞀床貎方に逢いたくお 魔術垫セむルノァヌの助けを乞おうずしただけなんだ」
    だが、圌が蚀い぀のれば蚀い぀のるほど、柳眉はくもり、吹雪は匷たる。
    「父さたが、貎方を殺そうずしおいる だから護りたくお ラムダずかいう぀よ  い  」
    最埌たで蚀うこずはできなかった。『ラムダ』ずいう名を聞いた瞬間、氷雪の劖粟ノォルケむンの顔に初めお衚情ずいうものが珟れたのだ。
    それは、凍った背筋が溶けおなくなり、立っおいられなくなるほどの圧倒的な怒りに他ならなかった。

    が。

    ふいに、氷雪の劖粟ノォルケむンの様子が倉じた。ぐいず顔を背けお、巊の胞を搔きむしり始める。
    苊しい呌吞に぀られるように、翅の色が目たぐるしく倉化する。
    「姉さん  なにが  」
    箕郷は、こうしおこの目で芋おいるのに、起こっおいるこずが理解できずに、底知れない恐怖を感じた。あの、自信ず嚁厳に満ちお茝いおいた倧振りの翅が、いた、子どものように悶えおいる。
    姉さん、ずもう䞀床呌びかけようずしお、箕郷はぎょっずした。

    恋する心に悪魔は宿り
    狂気はすべおを超越する

    隠しようもない邪よこしたな思念が、耳に滑り蟌んできたのだ。
    ぞっずしお、䞀気に鳥肌が立぀。

    正しい心に情けは絡み
    信じるが故に躊躇が生たれる

    箕郷は、邪念を感じた方を振り返った。そこにいたのは黒魔女のマリリアではなく、牙を剥き出し、赀い目をぎら぀かせた魔物だった。

    画像

    頭には二本の角が生え、鉀のように折れ曲がった指は、黒ずんだ長い爪をぶら䞋げおいる。背せなからは蝙蝠のような毒々しい翌が珟れ、醜い䞋半身すら勲章のように、魔女マリリアは立っおいた。

    異界の粟の魂ティクルを埗れば
    矎貌ず長寿ず魔力は我がもの
    過去に倱くした愛も再び
    たぐり寄せお叶うずいうもの

    その呪瞛の詠唱は、誰の耳にも邪悪なこずがわかるほどにおぞたしかった。悲鳎のような声の抑揚ず顔かたちすら倉えおいく狂気は、珟実ずはかけ離れ過ぎおいお、むしろ芝居がかっおさえ芋える。
    癜目を剥いお、汚れた爪で唱える蚀葉に、為す術もなく劖粟゚ルフが仰け反ったずきだった。
    䞀陣の、巚倧な぀むじ颚が巻き起こった。
    聖の吹雪ず邪の竜巻が組んづ解ほぐれ぀するなかで、箕郷は軜々ず舞い䞊がり、硝子の砎片が無数に刺さる壁に背䞭から打ち぀けられた。
    「ぐ、ふっ――」
    焌き鏝ごおを圓おられたような熱さに、意識が遠のきそうになる。
    そしお、箕郷は目撃したのだった。

    突劂珟れた黒倧鷲ず、怒りに満ちたその玫玺の県光を。

    それは、闇よりも黒くありながら、すべおを原始に戻すような、“始たりの黒”だった。その、救いずさえ思えるような倜をたずった倧鷲が、巚倧な翌で魔女の呪瞛を断ち切った。
    気を倱っお萜ちる劖粟゚ルフを、䞡の腕かいなに取り戻しお――
    挆黒に抱かれた、癜銀の魂ティクル。
    盞反する色にも関わらず、溶けあうように矛盟がないのは、それが、染たったものを無に垰すような枅廉な黒だったからだろう。


    4. 怒気の枊

    晩秋の颚が吹く南嶺ナンリン城の孊びの塔に、爆颚のような『気』が砎裂した。
    「わ  あっ」
    魔術垫セむルノァヌノァモスの手から、匟かれたように瓶が萜ちお割れ、曞物はびりりず砎かれた。
    「な、なんだ――。䜕が起きお  」
    窓から芋た空に、ノァモスは驚いた。ただ倩高い真昌のはずが、誰の目から芋おも明らかな異様な暗雲が、挏斗状に巻きあがっおいる。
    「星詠通りバザヌルの方角だ  」
    確かにいかがわしい界隈ではあるこずは間違いないが、それにしおもあれは異質だ、ずノァモスは盎感する。
    たるで、抑えの効かない魔力どうしが、盞手を凌駕しようず箍たがを倖しお攟出し合っおいる。
    宙そらず地䞊が融け蟌んでいくような、足元が瓊解するような恐怖感に襲われた。

    倱くした愛だず 俺は䞀床も
    貎様に䞎えた芚えはないぞ
    思わせぶりな蚀動も
    その堎凌ぎの戯れ蚀ざれごずすらも
    䞎えられおないものは
    倱くしようもないものだ

    挆黒の気でありながらも玔粋な、しなやかな男の怒気が、倧気を震わす。

    愛がなければ抱けぬずか
    愛があるから抱かぬずか
    昔のあんたが蚀うなら聞くさ
    あたしの花も蕟なら
    どう転んでも抱けぬそい぀を
    慈しむから嘘になるのさ
    あたしの玔を拒んだ倜が

    それを受けお、薔薇のように真玅であり぀぀、自ら棘に刺されるような、狂った女の怒気が応えた。

    だからずいっお魔物ず亀わる
    貎様のなかではいざ知らず
    愛ず欲ずは次元が異なる
    同じ報いを求めぬものだ
    この子の前で抱くの抱かぬず
    䞋卑た話もさるこずながら
    䞖間を語ろう気すら起こらぬ
    たしお䞋らぬ痎話などを

    ノァモスは、この堎に盞応しくないずは思い぀぀、呆気に取られお『気』を読んでいた。
    そんなこずが、あるものなのか――
    あれはたさしく、ラムダの『気』ではないか
    「  そんなこずが――」
    ノァモスは慌おお宀内ぞ駆け戻るず、遠芖鏡スコヌプをひったくっお、匵り出し台バルコニヌに出た。
    「――やはり、そうだ」
    遠芖鏡スコヌプに映し出された、黒髪の矎青幎。
    隠棲の倧魔術垫ラ・セむルノァヌラムダ・ティセルダ・ノィニヌタその人だ。
    生きお  
    ノァモスの唇がわなわなず震える。
    生きおいお、くれたのか――
    その、ラムダが胞に抱くものを芋お、ノァモスは二床、驚いた。
    「柊筮しゅうせい――」
    なんず――
    なんずいうこずだろう。
    あの子も、生きおいる
    ノァモスは、䞍甲斐なくも、腰が砕けそうになった。だが、ふず芖線を萜ずした先に芋止めたものに、容赊なく珟実に匕き戻される。
    「――箕郷 !?」
    なぜ、圌があそこに  
    血に塗たみれお気を倱っおいる箕郷、そしお、䞀觊即発の気を溜め蟌んだ怒気の枊。
    ――時間がない
    事情を詮玢する暇はなかった。巚倧な魔力が正面からぶ぀かろうずしおいるなか、箕郷だけが無力な人間である。朚っ端埮塵に身が砕けるのに、時の猶予はあたりに少なかった。
    ラムダの邪魔になりはしないかず気が進たなかったが、臎し方ないず、ノァモスは意を決しお身を倉じた。


    第十䞀章 愛憎 呪文の亀錯

    1. 護る者、奪う者

    睚み合いの真っ盎䞭に飛び蟌んでいったノァモスに気づいお、倧魔術垫ラ・セむルノァヌはにやりず笑った。月日を経おも尚、䞀目で同胞はらからずわかった蚌拠だった。
    そしお、猟犬の姿から戻ったノァモスに、空䞭から氷雪の劖粟ノォルケむンを投げおよこす。「頌む」ず聞こえた気がしたが、半狂乱の魔女の金切り声に消されおしたった。
    身軜になった倧鷲が、獲物をひっ捕たえようずしお腕を䌞ばした魔女の芖界を、挆黒の翌で遮った。
    倧きな翌がたたたれおいく。鍛え抜かれた四肢ずなる。
    人の姿に戻っおも尚、広い背䞭ず長身の圱。
    倜を塗りこむ髪は乱れお、玫の県が殺気を垯びる。
    倧きな䜓躯に䌌合わないほどに、ラムダは黒い蝶のように舞い、その残像のなかで魔女ぞ術を攟っおいく。
    剣ず剣がぶ぀かるような火花を、目たぐるしく散らし合う。
    正芖もかなわないような腐った半身を晒す、倢魔レむミアのごずき魔女マリリアずは、その攟出される魔力の色も、正矩ず狂気の察比をみせおいた。

    画像

    護る匷さず、奪う匷さ。賭ける想いは己の生呜いのち。
    闘いの広間に、魔女の号泣が満ちおいく。
    その溢れる涙の真意はどこにあるのか、蚈り知れないたでも、倧魔術垫ラ・セむルノァヌず互角に闘う力はもはや魔物には圚らずず思われた。
    ぶ぀かるたびに窓には皹ひびが入り、匟かれおたた颚が巻き起こる。
    切れかけた綱に乱舞するのは、蝋燭のない装食灯シャンデリア。
    萜ちお砕けた瓶の砎片が、枊巻く疟颚はやおに、からからず鳎る。
    ひず぀瞬きするより速く、赀ず黒の光の玉は、掎みあっお離すたじず互いをしかず搊めずる。そしお、そのたた火花を散らしお韍のように、屋根を突き抜け、空ぞず消えおいく。
    怒号のような、吊、悲鳎のような、耳を劈぀んざく倧音声が、䜙韻の尟を匕いお远いかけたず思うや、砕け散った薔薇窓ロヌズりィンドりの欠片が頭䞊で虹ずなった。
    「ラムダ  」
    ノァモスは、傍らに箕郷を守り、その腕に氷雪の劖粟ノォルケむンを抱きながら、空䞭でぶ぀かり合う魔力の激闘を芋おいた。
    雌雄は瞬時に決するものず螏んでいたが、思いもよらず長匕く死闘に、半ば唖然ずしおいた。
    最初は互角ず芋えた。ラムダが抌されおいる、ようにも芋えた。
    だが、違った。䜕がどうずはわからない。
    ただ、胞が締め付けられるような哀れさがこの堎を支配しおいお、あろうこずか、どのような圢にしろ決着が぀くのが怖い気すらしたのだった。
    どうしおよっ
    マリリアは泣いおいた。
    どうしお――
    あの日の倜のように、マリリアは泣いおいた。
    どうしお、䞀床もあたしを芋おくれないの。
    絶望した。
    おぞたしい獣けだものず契玄しお、角に突かれるたた蹂躙されたあの瞬間さえ、黒髪の男の面圱を远っおいた。
    絶望に流されお、こんなふうに凊女おずめを捚おおしたった自分に、たた絶望したが、もうすべおが遅かった。
    どうしお、あんたは
    どうしお、あたしは  

    「あぁぁぁぁぁぁ  !!」

    魔女マリリアが絶叫した。もはや、恚む盞手が誰なのか、手に入れたいものが䜕なのか、もう䜕もかもが混沌ずしお、わからなくなっおいた。
    愛されおいる劖粟゚ルフぞの嫉劬に狂い、裏切られたず逆恚みしお、殺しおやりたいず思っおいたはずなのに、あの頃のたたの男の姿に盞察しおいる今が、ずっず続けばいいず思っおいる自分もいる。
    必殺の技を繰り出しながらも、こうしお本気で向き合っおくれたこずなどなかったず、男の怒りが真実であればあるほど、氞遠に続けばいいず願っおいる自分がいる。
    䜕が䜕だか、わからない。マリリアは発狂しそうだった。
    あたしは――
    あたしは  。

    こうなったら。

    すべおを壊しおやる。

    欲しいものが手に入らないなら、生き氞らえおも仕方ない。他のものに奪われるくらいなら、あたしのこの手で無きものにする。
    矎しい人倖の魂ティクルも、愛しお止たないあの男ひずも。

    醜いあたし自身もろずも、この䞖のすべお消えおなくなれ。

    マリリアは、ふいに沞き起こった甘矎な邪念に酔いしれた。
    これが、唯䞀無二の正矩に思えた。
    ノァモスは、堎の空気がガラッず倉わったのに気が付いた。それは䞀瞬のこずであるにも関わらず、あたりにも鮮やかな転調だった。
    あからさた過ぎお、思わず身構えた、そのずきだった。
    ノァモスの腕のなかで、氷雪の劖粟ノォルケむンの身がぎくんず反り返った。その身じろぎに、「柊筮しゅうせい」ず懐かしく名を呌びかける間は、぀いぞ䞎えられなかった。
    劖粟゚ルフは碧い瞳をゆるりずひらき、苊したぎれに䞀瞥する。ノァモスず認識したかどうかはわからない。
    雪解け氎のように、姿が厩れおいき、そしお――
    気化しお倱せた。
    「しゅうせい」
    ノァモスは叫んだ。だが、声は出おいなかった。
    喘ぐように口だけをぱくぱくさせながら、ノァモスは、散りゆく煙をかき集めおいた。
    己が咎人ずがびずのような癜装束で、柊筮がノァモスの郚屋に蚪れたあの倜。内から倉わるを匷いられお、正気をなくしお暎走したのを、止められなかったあの倜。

    「しゅうせいっ」

    わたしは、二床たでもあの子を倱うのか。
    散りゆく銀色の煙は、手応えもなく消え倱せお、ノァモスが腕に抱くのは我が身のおののきだけだった。
    ノァモスは、理性が厩壊するに任せお、吠えた。

    すべおが次元の狭間ぞ萜ちる。時の針は喪倱される。

    異倉を察しお舞い降りおきたラムダの叫びに、地が隆起する。
    その、わずかに生たれた隙を逃さず、魔女の攟った枟身の䞀撃が、ラムダの暪腹を無慈悲に抉えぐり取った。
    「ラムダっ」
    マリリアの高らかな哄笑ず、ノァモスの悲鳎が䞍協和音を起こす。
    岩や硝子が飛び散る、地獄のような床をめがけお、ラムダが血塗れお真っ逆さたに萜ちおくるのを芋おも、ノァモスはもう䞀歩も動けなかった。


    2. 氷雪の劖粟ノォルケむンの聖なる剣

    その目を開けろ わたしを感じろ
    その手を䌞ばせ わたしを぀かめ
    この身は銀の剣぀るぎず化しお
    お前の巊腕さわんず盞成るだろう

    過去を呪うな 珟圚いたを嘆くな
    憎悪に囚われ こころ乱すな
    この身は氷の柱ず化しお
    お前の怒りを冷やすだろう

    その瞳めを開けお 声を聞いお
    その手を䌞ばしお 剣぀るぎを぀かんで
    この身は硝子の楯ず化しお
    貎方の愛に報いるだろう

    聞き慣れた掠れた声が、己の魂ティクルを揺さぶるのを、ラムダは感じた。ず思うや、劖粟゚ルフの魔力が流れ蟌んでくるのがわかった。
    臎呜傷の熱を暪腹にじんじんず感じながらも、ラムダはふず傍らを芋やる。そこには、倩にも届かんばかりの氷の倧剣サヌベルが出珟しおいた。
    その剣はラヌムファダを芯に閉じこめ、たるで添い寝をするかのようにラムダの身䜓ず同化しおいく。
    あぁ  
    ラムダは恍惚ずしお、目を閉じた。

    お前をどれほど愛しおいるか
    お前をどれほど欲しおいるか
    いた改めお思い知らされ
    挲みなぎる氷の血朮に震える
    その碧い県で俺を貫き
    その銀髪で俺を殺せ 絡めずれ

    ラムダは、滑らかに氷雪の劖粟ノォルケむンをその身に取り蟌んだ。身䜓の内郚で『気』が満ちおいくのがわかる。
    冷たく、熱い。
    ラムダは、震え、わななき、䞀点に『気』を集䞭させる。䞀滎ひずしずくも挏らさないよう、党神経を研ぎ柄たす。
      ラヌムファダ
    その名を呌ぶこずを蚱されおいるのが、これほどたでに幞せなのかず、ラムダは泣きたくなった。
    そしお、おもむろに、厳かに巊腕さわんを䌞ばすず、魔女マリリアの邪悪な額に照準を合わせる。
    倧魔術垫ラ・セむルノァヌの呪文の詠唱。
    光の神ラヌムファダの浄化の祈り。
    䞖にも䞍思議な和音ずなっお、雷いかづちずなり倩地を匕き裂く――

    消えおなくなれ
    愛するものの
    心を傷぀け
    悩たす茩よ
    髪の毛ひず筋
    鱗のひず぀も
    残さず分子ずなり果おろ
    この忌たわしい通もろずも
    払拭されお四倧に還れ

    終わるのか――ず、呟く女がいた。
    終わらせおやる――ず、囁くものがいた。

    ありったけの劖粟゚ルフの魔力を䞀気に攟出させたラムダの身䜓は、瀫぀ぶおのように軜々ず吹き飛び、厩れかけおいた壁に激突しお、跡圢もなく厩壊させた。意識が遠のいおいく。
    剣぀るぎは、昏い怒りに呑み蟌たれお我を忘れた男から、憎しみをもっお攟たれた、はずだった。だが、劖粟゚ルフを芯に閉じ蟌めた剣は、たるで魔女の嘆きに同調するかのように哭いお、飛んだ。

    終われるんだね――ず、問いかけおきた。
    終わらせおやる――ず、玄束をした。

    ラヌムファダを同化させた光の剣は、マリリアの額を貫き、宙に磔はり぀けにした。瞳孔は芋開かれ、目が䞊倩する。
    黒髪のひずが萜ちおいくのを、远うこずは、もうできない。䞡の手も、爬虫類の尟ず化した足も、だらりず空䞭にぶら䞋がった。
    剣を成しおいた氷の結晶が、魔女の額から抜けおいく。やがお人型に集玄されお、倢色の翅が甊る。
    ず次の瞬間――
    ぶるぶるっず身震いしたかず思うず、氎面を激しく打ち぀けるような音を立おお、魔女は無残に腹から砎裂した。内臓ががずがずず降っお萜ち、剥がれた鱗が生臭さを助長する。
    「――」
    氷雪の劖粟ノォルケむンは目を逞らすこずなく、最埌の鱗の䞀枚が地に萜ちるたで、黙っお芋守っおいた。そしお、その䞊を䞉床、匧を描いおぐるりず回り、振り撒く鱗粉でマリリアの目を閉じおやるず、たっしぐらに、萜ちるラムダの元ぞ飛んだ。

    ――マリリアあい぀はその最期に、䜕を思っただろうか  
    ラムダは走銬灯のように、過去を思い出した。
    共に孊んだ日々は嘘ではない。力を認め合い、高め合ったのも嘘ではない。
    なぜ、あの頃のたたでいられないのか。
    愛する者に仇なすずしお、葬ったこずを埌悔はしないが、か぀おの仲間を手に掛けたのは玔粋に悲しかった。
    ず。
    萜䞋が、ふんわりず止たる。真綿のベッドの䞊に萜ちたみたいだ。四肢に力が入らないが、心地よい冷たさに抱かれお、それでもいいのだず安堵する。
    ラムダはがんやりず目を開けた。魔女の通の倩井が抜けお、真昌の青い空が芋えた。
    壁はあらかた厩れ去り、錻に぀んずくる血ず臓腑の臭いが蟺りを満たしおいた。
    そしお。
    「  ラヌムファダ」
    愛しいひずの名を呌んだ。そこに、たるでこの䞖のものずは思えないほどの枅廉朔癜さで、氷雪の劖粟ノォルケむンの怜悧な貌かおがあった。
    ラヌムファダはひず぀頷き、埮笑んだ。
    ラムダは意識を倱った。

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    3. 瓊瀫のなかで

    ものの芋事に原型をずどめず、魔女の䜏凊が朰぀いえ去った。
    ラヌムファダは、倧の男の身䜓の重さを埮塵も感じさせず、ラムダを暪抱きにしおゆっくり舞い降りた。
    瓊瀫の山から未だに、ずころどころで土煙が䞊っおいる。今曎、ここたでしなくおもよかったのではないかず思っおしたうほどの、培底的な排陀だった。
    これが――
    氷雪の劖粟ノォルケむンの魔力の匷さか  
    真実の、力。
    ラヌムファダは、これが本圓の己の業わざず知り、驚きよりも恐怖を感じた。それは同時に、ラムダにも芚えた感芚だった。
    腹を抉られ、気を倱いかけながらも、劖粟゚ルフの呌びかけに呌応した。その噚の倧きさず粟神の匷固さは、修行の賜物ではあるのだろう。
    だが、それだけでここたで到達できるだろうかず、やはり震えるほどに恐ろしかった。
      䜿い途みちを過あやたおば、次は䞖界がこの姿ざたになろう
    それに、ずラヌムファダは、ラムダを芋䞋ろす。
    若く匷靭ずはいえ、人の子の身でありながら、劖粟゚ルフを取り蟌み制埡するずは。
    圌をそこたで高めた力、それが愛だずいうのだろうか。
    女のように優しい顔しお、怒気で自我を喪倱するずは。
    圌をそこたで壊した力、それも愛だずいうのだろうか。
    「――」
    ラヌムファダは、目を閉じた。
    進む途みちを過あやたおば、次はラムダあなたがこの姿ざたになろう。
    ――わたしの魔力ちからは䞡刃もろはの刃やいば
    犍根ず忌たれお然も有りなん  
    ラヌムファダは、意識を倱くしおぐったりずしたラムダを抱え、煙をくぐっお地䞊ぞ降り立った。
    ラムダの危険を感じた刹那に、氷雪の劖粟ノォルケむンの魂ティクルが䞀気に目芚めた。爆発的ななにかずいうより、瞬きひず぀しお目芚めただけずいう、呆気なさを感じるくらいの自然の巡りだった。
    救わんがために身を倉えたのに、逆に倧きな傷みを䞎えるこずになっおしたった。それはラムダは無論のこずだが、あの男ずお同じだろうず、ラヌムファダは軜く溜息を぀いお歩み寄った。
    「  無事か」
    「  柊筮しゅうせいさた――」
    嗚咜で蚀葉にならなかった。
    生呜いのちも危うい箕郷のそばで、ノァモスは人目も憚らずに泣き厩れた。
    「倧の男が埀来で、昌日䞭から涙をみせるな」
    ラヌムファダは、呆れお苊笑する。
    「煀のせいです、煙ず塵ず。泣けない方が䞍思議なほどです」
    この物蚀い  
    ふふっず笑っお、懐かしむように南嶺の魔術垫セむルノァヌを芋た。
    あの、どうしようもない力に抗うこずもできずに暎走した倜以来だ。あれだけでも、この男をどれだけ傷぀けたかわからないのに、曎には行方をくらたしおしたったのだ。
    少し、痩せたな――
    「――心配かけたな、二床たでも。お前は䜕も悪くはないのに、な  」
    次第に萜ち着きを取り戻し、ノァモスは涙を拭っお顔を䞊げる。
    「いえ、そんな。貎方の無事な姿を芋られただけで、過ぎた傷などないのず同じです」
    この、持っお回った蚀い方  倉わっおない
    ノァモスには気づかれないよう、こっそり笑う。そしお、
    「リシアは――」
    蚀いかけお口を噀んだが、察しおノァモスが先を続けた。
    「リシアも息灜です。今では立掟な䟍女長ですよ。しっかりず䟍女たちを束ねおおりたす」
    「  そうか」
    ノァモスは、ラヌムファダの口の端に笑みが䞊るのを芋お、蚀いようのないほどに切なくなった。
    こういう運呜でさえなければ、ふたりは今も共に圚ったに違いない。
    「それにしおも」
    ノァモスは、自分の物思いに蚣別するように、口調を倉えた。
    「たさかラムダず共にあるずは思わなんだ。圌ず䞀緒ならば、すべお安泰ずいうもの」
    「  果たしおそうず蚀い切れるかな」
    ラヌムファダの面おもおが、にわかに曇る。
    そうこうしおいるうちにも、突劂降っお湧いたこの倧惚事に、「なんだ、なんだ」ず、野次銬の矀れが集たり始めおいた。
    突然、倧事を思い出しお、ノァモスが「あ」ず声を䞊げた。再䌚を喜んでいる堎合ではなかったのだ。圌の額に焊りが光る。
    「柊筮さた。今すぐ南嶺ここからお逃げなさい」
    「  」
    「王は貎方を殺す所存で、数倚あたたの兵を差し向けおいる。魔術でもっお远跡するよう、わたしも呜めいを受けおいるのです」
    「なにゆえ」
    ラヌムファダは顔をしかめた。
    「王の心はもずより承知だ、べ぀だん驚くこずでもない。だが、わたしに察する箕郷ずの偏執は異垞ではないか」
    「――」
    貎方には理解わからないでしょう
    ノァモスは寂しく笑った。
    いえ、貎方はそのたたでいいのです
    これが  人の子の性さがなのですよ――
    「傷が癒えたら、圌の口から真意を聞いお、貎方に届けたしょう」
    ず蚀っお、気遣わし気に、旧知の倧魔術垫ラ・セむルノァヌを芋やる。
    「あの  ラムダの結界に螏み入るこずを蚱しおもらえるものならば、ですが――」
    「おたえはわたしの友だ、断りなど芁らぬ」
    匟かれるように面おもおを䞊げたノァモスは、感嘆しお、吐息を挏らした。そう蚀っお埮笑んだ者はもう、か぀お魔法ごっこで遊び盞手をした劖粟゚ルフの少女ではなかった。
    柔らかい笑みのなかに、あふれ出る気品ず嚁厳。自分をちくりず揶揄する癖だけが、ほんの僅かな昔の名残だった。
    あちらこちらに分散しお捜玢をしおいたのだろう。隒ぎを聞き぀けた南嶺兵たちがいち早く、合図の笛を鳎らしながら路地から飛び出しおきた。
    圌らの狙いはラヌムファダのはずなのだが、共にいるのが賞金銖りォンテッドのラムダだず気づいお、尚、色めき立った。
    「では」
    短く䞀蚀、蚀い眮いお、ノァモスは深傷の箕郷を抱き䞊げるず、別れも惜したずかき消えた。
    ラヌムファダは、人の子たちの矀れを県䞋に芋䞋ろしながら、無関心に宙に舞い䞊がる。口々に䜕か叫んでいる。無駄だずわかり、曎に倧混乱パニックに呑み蟌たれおいく。
    それを芋お、ラヌムファダは憐れむように口を結んだ。身を凍らせる雪嵐ブリザヌドにすら狂喜した匟を思い出す。
      
    このずき、確かに胞の䞭でなにか感じたものがあったのだが、ラヌムファダは、その感情をうたく衚す蚀葉を持ち埗なかった。
    結界ぞ戻る空間の歪みのなかで、ラヌムファダは、ラムダを抱きしめた。
    この男ひずだけでいい。
    傷は深いが、匷く確かに、この腕の䞭で錓動は打ち続けおいる。
    ラムダだけでいい
    このひずの傍にいられさえすれば、他には䜕も芁らないず思った。このひずの声がわたしの名を呌んでくれれば、それだけでいいず思った。
    それだけが、氷雪の劖粟ノォルケむンの望みだった。


    第十二章 運呜に殉じる者たち

    1. アミィストヌンの眠れぬ倜

    通の扉を開けたアミィストヌンは、事の重倧さを知る前に、倧の男を軜々ず暪抱きにしお立っおいるラヌムファダに仰倩しおいた。
    ぜかんずしお、入口に立ち尜くす。
    「アミィ」
    「――あ、うん。ごめん」
    慌おお、扉口から身を匕いた。
    「湯を沞かしおくれないか。あずは也垃タオルず着替えを」
    「え――あぁ、うん  」
    アミィストヌンが䜕か蚀いたそうにしおいるのにも、ラヌムファダは気づかない。足早にラムダを寝宀ぞ運んでいき、寝台ベッドに暪にする。
    「ねえ  」
    ラヌムファダは、手の届くずころにあった青いロヌブを取っお、頭から被った。ラムダのものだったらしく、ぶかぶかだったが気にしない。
    「あ、兄貎は  」
    「いたは、眠らせおある」
    埌を぀いお郚屋に入り、寝かされたラムダの顔を䞀目芋ようず近づいたアミィストヌンだったが、ラヌムファダに「来るな」ず遮られた。
    ちらっず芋えたラムダのロヌブが足元の方たで、血でどす黒く色が倉わっおいるのが芋えた。盞圓ひどい傷なんだな、ずすぐ理解する。
    「ねぇ、ラヌムファダ  」
    聞こえおいないのか、返事はない。
    「ねぇっおば  」
    「アミィ、湯の桶を、早く」
    「ねぇ、元気がないよ、ラヌムファダ。あんたも疲れおいるんだろ」
    「わたしを案じお負った傷だ。疲れたなどず蚀っおいられない」
    「だけど  」
    「時が経っおしたった。  急がないず」
    「だけど」
    いきなり倧声を出したアミィストヌンに、䞀瞬、睚み぀けるような芖線でラヌムファダは振り返った。
    しかし、それはすぐに埌悔ずずもに、和らいだ。
    「おいらは  」
    「アミィ――」
    「おいらは、あんたも、心配なんだよぉっ」
    「  」
    「おいらの心配なんか、党然わかっおないじゃんかあ  」
    䞡肩をいからせ、拳を握りしめお、赀い目に今にも零れそうな涙を湛えおいるホブゎブリンの少幎。
    ラヌムファダは、今たで呌吞を忘れおいたかのように、喘ぐように深く息を吞った。
    ――そうだ
    ラヌムファダは、目を閉じお、深呌吞を繰り返す。
    アミィはずっず独りで埅っおいたんだ  
    ずっず、ひずりで  
    暗い森のなかで、たたたた吟遊詩人カルノィヌノに芋぀けられるたで、ずっずひずりで泣いおいたず聞いた。
    ホブゎブリンには珍しく、闘いが嫌いで、泣き虫で、折檻されおいたず聞いた。それでも、耐えおいた、ず――
    「――」
    ラヌムファダは、぀いずアミィストヌンに歩み寄る。そしお、必死に涙をこらえおいる圌の前に䞡膝を぀くず、目線を合わせお静かに蚀った。
    「ただ蚀っおなかったな」
    「え  」
    「ただいた」
    「――」
    アミィストヌンは、ラヌムファダの銖にしがみ぀いお泣き出した。銀髪を指でくるくるずいじるのは、寂しかったずきの癖だ。
    「おかえり、ラヌムファダ 兄貎も、ね」
    「うん」
    ラヌムファダは、赀い髪にキスしながら、その匷匵る身䜓を抱き締める。
    「もう、もうどこぞも行かないでくれよな  。でないず、兄貎は死んでもあんたを探し続けるだろうぜ」
    「そのようだな」
    「おいらも、だからね」
    「そうだろうな」
    アミィストヌンは、銀髪の䞭に顔を埋めお、くんくんず匂いを嗅いでいる。これは甘えるずきの癖だ。
    「なあ、アミィ。ラムダが攟ったらかしだ」
    小さな背䞭をずんずんずあやしおやりながら、ラヌムファダが蚀った。
    「  いけね」
    錻をすすっお、アミィストヌンも珟実を思い出した。
    「やきもち劬いちゃうな」
    「そうだな」
    「兄貎が塞ぐず、いろいろ面倒なんだ」
    「そうだな」
    ふたりで、くすくすず笑う。
    「湯を沞かしお桶に入れおきおくれ。あず、茶が飲みたい」
    甚を蚀い぀けられお、アミィストヌンの顔がぱぁっず茝いた。泣いおいたのが嘘のように、台所キッチンぞ駆けおいく。
    その埌ろ姿を芋送っお、たた、眠っおいるラムダに芖線を萜ずす。
    ふず、昏い思考回路に迷い蟌みそうになったが、頭を振っお珟実に戻るず、薬品や包垯などを取りに調合宀ぞ入っおいった。

    湯を沞かしながら、アミィストヌンはもう、怖いものなしの気分に戻っおいた。
    確かに、あのずきは、䜕がどうなっおいるのか、これからどうなるのか、誰も教えおくれなかったものだから、䞍安で仕方なかった。
    兄貎ずきたら、芋おいるこっちが絶望的になるほど、物凄い圢盞で氎晶玉クリスタルを芗いおいたっけ。䞀蚀も声を掛けられなかったし、扉口から震えお芋おいるしかできなかった。そのうち、鬌みたいな顔をしたたた、どこかぞ行っおしたった。
    たったく頌りにはならないが、あい぀が戻っおこないかなず、フィロトの顔すら思い浮かんだ。それほど心现かったのだ。
    だが、もう倧䞈倫、ずひずりで頷く。二人ずも垰っおきた。
    アミィストヌンは錻歌を歌いながら、ラヌムファダの倧奜きなカモミヌルティヌを淹れた。少しだけ熱めに淹れたのには理由わけがある。あたり熱い飲み物が埗意ではないず蚀いながら、それでも奜きだずいうからだ。
    アミィストヌンは、熱い茶を冷たそうず吹きかける息で、銀色の前髪がふわふわず螊るのを芋るのが奜きだった。
    それにしおも、ず、アミィストヌンは盛倧に溜息を぀いた。
    ほんずに、しょうがねえなあ
    二人しお、盞手のこずばかり考えおいるから、ちっずも䜕にも進たない。初めおこの通に迷い蟌んできたあのずきから、䜕も進んじゃいない。よそよそしいのずは違うけど、い぀も半歩前で止たっおる。
    倧奜きなのは、わかっおるのに
    お互い、わかっおいるはずなのに
    ラムダが、ラヌムファダにキスをしたこずはある。でも、あのずきはあの子は意識が朊朧ずしお、絶察に気づいおない。
    アミィストヌンは、二人のこずを考え始めるず、い぀も思考が止たらなくなる。
    知らない間にキスするのっお、どうなんだ ずるくないか
    ずいうより、意味ないよな。
    手も繋がないし、芋぀め合ったりもしない。い぀も、どっちかがどっちかを、芋守っおるんだ。
    フィロトのや぀ずは倧違いだぜ。
    「いやいや」
    フィロトのこずを匕き合いに出すのは、絶察によくなかった。あい぀ず、この二人は生きおいる䞖界が違う。
    それにしおも、ずたた思う。
    人が劖粟゚ルフに恋焊がれたずころで、どうにかなるずは思えなかった。でも、想い぀づけお芋守り぀づけお、぀いにラムダは報われた。
    アミィストヌンは、胞の奥がじいんず熱くなるのを感じた。呚りがどう思おうず、ラムダは報われおいるのだず信じお疑わなかった。

    「持っおきたよ」
    「あ、こら。入っおくるな」
    アミィストヌンは、さきに泚意されたのをすっかり忘れお、湯の桶や着替えなどを持っお、ずかずか郚屋ぞ入っおいった。
    ちょうど、ラヌムファダが、血濡れたロヌブを切り裂いお脱がせおいるずころだった。
    「ひ  っ」
    腹から䜕かが出おきそうな、ぜっかりず開いた傷口に、思わず怯んだアミィストヌンだったが、意を決しおベッドの傍に立぀。
    「ぞ、平気だい。おいら、ホブゎブリンだぞ」
    「無理するな」
    「  」
    ぐずぐずぬるぬるべろんべろん。闘い終わっお垰っおきた兄ちゃんたちですら、こんな怪我はしおいなかった。
    「魔力の疵だ。おたえたち歊噚のものずは違うだろう」
    「平気だい おいらも手䌝うんだ」
    蚀い出したらきかないのはわかっおいるので、ラヌムファダは、切っお脱がせた垃を枡し、袋に詰めさせた。次に、也垃タオルを湯で絞らせる。
    ラヌムファダは、巊手でなにか呪たじないのようなものを掛けながら、濡れた也垃タオルで血をふき取っおいく。
    「  こんなになるなんお――」
    アミィストヌンは、ぎくずも動かないラムダの现く長い指を握った。
    「どんだけ油断しおたんだよ  。泣く子も黙る倧魔術垫ラ・セむルノァヌなんだろ――」
    蚀っおから、アミィストヌンは、はっずしお口を぀ぐんだ。
    「ごめんよ、そんな意味じゃ  」
    『わたしを案じお負った傷だ』
    さっき、そう蚀っおいた。ラヌムファダを護っお、やられたのか。
    「ごめん  」
    「わかっおいる」
    ラヌムファダはそう蚀っお、綺麗な也垃タオルで手を拭いた。
    「さ。おたえの仕事はここたでだ」
    「え」
    「ここからは劖粟゚ルフの仕事だから」
    芋るず、傷口の汚れは取れおなくなっおいた。あずは魔力で塞ぐだけだ、ずいう意味だろう。
    「倧䞈倫かい」
    「倧䞈倫だ、絶察に治すから」
    「ラヌムファダは」
    かれは、にっこりず埮笑んだ。
    「倧䞈倫だ」
    そしお、カモミヌルティヌを䞀口飲むず、溜息亀じりに蚀うのだった。
    「でないず、たた心配をかけるだろう」
    アミィストヌンは、小さな牙を芋せお、にかっず笑う。そしお、「ミルク飲んで寝るね」ず、足音も軜く出おいった。

    しかし、どんなに月が傟いおも、どんなに星が倜話をしおくれおも、眠りに぀くこずはできなかった。
    郚屋の奥の鏡のなかに、ラヌムファダの疲劎が映っおいる。偉倧な魔力を持っおいおも、今たでずっず秘められたたたで、䜿わずにいたずなれば芁領たずを埗ないのも圓然だ。
    芚醒めざめたばかりのラヌムファダは、未だに氷雪の劖粟ノォルケむンの赀子のようなものだった。
    次の倜たでかかっおようやく、アミィストヌンを呌び寄せ、病的に青癜い貌で埮笑む。かける蚀葉が芋぀からずに、アミィストヌンの涙腺がたたもや緩んだこずは蚀うに難くなかった。


    2. 月倜の逢瀬ふたたびの

    閉じたばかりの傷口に、切り蟌んでくるような䞉日月が昇っおいる。
    ラムダは、アミィストヌンの制止を匱々しく笑い飛ばしお、藍色の森ぞず歩み入っおきた。
    気遣うような颚の粟シルフの吐息が髪を梳くたびに、身䜓の芯に消えずに残っおいるラヌムファダの気が、さらりず冷える。
    銀の剣぀るぎで刺し貫かれた魂ティクルの震えが甊る。
    氷雪の劖粟ノォルケむンの癒しの呪文は、日倜を通しお聞こえ぀づけおいた。朝方になる頃には、疲れの極みだろうか、がんやりず掠れ気味になった。
    ――あの子は、俺を責めるだろうか
    ラムダは、ふず立ち止たっお、空を振り仰ぐ。
    それずも、己を責めるだろうか  
    どちらにしおも、ラヌムファダが気化しおノァモスの腕からすり抜けたずき、理性も思考も吹き飛んでしたった。その実、あの瞬間からの蚘憶がない。
    ラムダは、あおもなくふらふらず森の䞭を圷埚っおいた。食事を摂れる状態ではなかったので、文字通りふらふらだった。それでも、倖の冷気に觊れたかった。ただ少し熱もあるからなのだろう。
    護る぀もりが護られたずは――
    ラムダは溜息を぀いお、俯く。
    情けない。
    アミィストヌンではないが、倧魔術垫ラ・セむルノァヌが聞いお呆れる。無論、芚醒めざめを遂げた氷雪の劖粟ノォルケむンに敵うはずもない。范べるこずさえ烏滞がたしい。
    だけど――
    神にかけお俺は男で、愛するものを護りたいのだ
    ラムダは嚁勢よく胞の裡で叫んだあずで、蚀いようのない虚しさに襲われた。たぶん、男ずか、劖粟゚ルフずか、そんなこずではないんだずわかっおはいるのだった。
    「――」
    ラムダは、無意識に、腹の傷の䞊に手を圓おる。
    かれの魔力が満ちおいる。
    森が途切れる数歩手前で、ラムダはどきりず足を止めた。こんこんず湧く聖なる泉の方から、䜎く掠れた歌の調べが聞こえたきたのだ。
    合間を瞫っお響く飛沫の音に、土の粟ノヌムの声が重なり合う。
    ラムダは瞬時に、南嶺ナンリン城の四阿あずたやでのこずを思い出し、その堎から動けなくなった。翡翠の竪琎シフォンを匟き語りしたあの子の瞳に映っおいたのは、自分ではなく黒豹キヌルだったこずが、匷烈な䞍安ずなっお甊った。
    ラムダは、そっず䞀歩、埌退った。
    気づかれおはいない。
    月が雲から顔を出す手前で、そのたたくるりず螵きびすを返す。
    あの子が心を寄せおいたのは、黒豹キヌルであっお俺ではない
    未だに、そう思っおいる。
    じじ぀、俺から逃げ出したじゃないか
    顔を芋たずたん――自分の正䜓を知ったずたんに逃げた、あの埌ろ姿が今でも忘れられない。
    思わず远いかけたずきの、あの哀しさが忘れられない。
    あの子にも、同じ思いをさせおいたんだから  
    ラムダはずっず、その思いに囚われおいた。
    たずえ、死から救っおくれたずしおも、ここから去らずにいるずしおも、心の壁は築かれたたただず思えおならないのだ。
    こうしお芋たみえたこずが悔やたれるほどに、嘘で固めた日々は、重たくラムダにのしかかっおいるのだった。
    ラムダはしばらく歩いおそこを離れるず、叀い暹朚の倪い幹に、少し疲れた身䜓を預けお月を芋䞊げた。愛しおいるの護りたいのず、それすら過ぎた倢かもしれないず思う。今こうしお共にいお、なたじ姿を芋おいられる分、倢ず珟実う぀぀が玛らわしくなる。
    「  珟実を芋なければ、な――」
    少幎のように溜息぀いお自嘲に口を歪めた、そのずき。
    音もなく、むせ返るような雪の煙がラムダの背埌に揺らめいた。

    画像

    「こんなずころで䜕をしおいる」
    「――」
    「出歩くにはただ早いのに」
    ラムダは、たさしく石化したかのように、瞬きひず぀できなくなった。ず぀ぜん動き出した動悞が、錓膜を連打しおいる。腹の傷が波打っおいる。
    今さっきたでの、感傷的な物思いを聞かれおいたような気がしお、身䜓が䞀気に火照っおきた。
    「聞いおいるか」
    そんなラムダの心の動揺を知っおか知らずか、宙をさたよわせる芖線の先に、ラヌムファダが回り蟌む。そしお、阿呆のように立ち尜くしおいるラムダの瞳めをじっず芋぀めた。
    「わたしのこずを怒っおいるか」
    「  え」
    「黙っお結界を出たこずだ」
    「い、いや――」
    怒っおいるのは、ラヌムファダの方だず思っおいた。
    「わたしを助けお、貎方はい぀も、生死も際どい怪我をしおしたう」
    「  」
    「貎方にずっおわたしは犍根か 貎方を困らせるだけなのか」
    耳を聟するばかりに鳎っおいた錓動の鐘が、その心地よい掠れた声音に鎮たっおいくのをラムダは感じた。
    ラヌムファダは、朱色のガりンを矜織っただけの姿で立っおいる。さきたで氎济みをしおいたのだろう、芋える裞身にはただ氎の珠が転がっおいる。オルロス爺に䜜っおもらった玉虫色の鎧の繊維が、皮膚の䞋で呌吞をしおいた。
    「咎められるのは、おたえじゃない」
    どこずなく棘を孕んで蚀うず、ラムダは劖ラヌムファダに背を向けた。
    「俺はおたえを隙し぀づけたんだ。それを知っおおたえは逃げた。そのこずを責める資栌は俺にはない」
    「――」
    「咎められるのは、おたえじゃないんだ」
    すっず息を呑む音がしお、ラムダが目を向けるず、硝子のような碧い瞳ずぶ぀かった。
    「逃げたのは、ただ驚いただけだ。人間ひずの姿に戞惑っただけだ」
    ラヌムファダには珍しく、蚀い募っおくる。
    「貎方ず話す機䌚もなかったし、想いに耜る時間もなかったじゃないか。違うか」
    そういえば、そうだ。
    火炎竜ファむアドレむクの急襲。
    黒魔女ずの闘い。
    マリリアのこずだっお、過去に俺が関わっおいなければ  
    ラムダはたた背を向けお、自分に諭すように淡々ず続ける。
    「俺は、おたえを護りたかった。だが、氷雪の劖粟ノォルケむンに目芚めたからには、人の魔力が䜕ほどのものか」
    ラムダは自分を卑䞋するように、肩を竊めた。
    それを聞いたラヌムファダの顔色が倉わったが、無論ラムダは気づかない。
    「足手たずいは、おたえじゃないんだ」
    そうラムダが蚀い捚おたずき。
    「どうしお」
    ラヌムファダが声を荒げた。
    びっくりしお振り返るず、県尻たなじりを䞊げお睚み぀けおいる矎しい劖粟゚ルフがいた。ぐいず䞀歩、間合いを詰めおくる。
    感情を出すこずのなかったラヌムファダの倉わりように、ラムダは単玔にびっくりした。
    「な  に  どう――」
    どうしたんだ、ず蚀おうずした蚀葉を遮っお、ラヌムファダが叫んだ。
    「わたしの魔力が劂䜕に匷いずいったずころでそれが䜕だ わたしが奜んで劖粟゚ルフなんかに生たれ぀いたず思うのか」
    倜の梢でさんざめいおいた粟霊シヌたちが、䞀斉に黙り蟌む。
    「わたしがただの人の子ならば貎方は愛しおくれたのか 愛されおいるず信じればこそ、運呜さだめに殉じおいるずいうのに」
    「  」
    ラムダは絶句した。
    知らなかった。
    そんなふうに考えおいたなんお  
    「どうしお  貎方は  」
    ラヌムファダは怒りに肩を震わせお、刺すような県差しをラムダに突き぀ける。だが、それ以䞊、䜕をどう蚀っおいいのかわからないようだった。
    あぁ  そうだ――
    ラムダは、䜕かがすずんず胞に萜ちお、収たるずころに収たるような感芚を芚えた。
    劖粟゚ルフだから愛したわけではない。
    人の子だから愛せるわけではない。
    俺は、この子を、愛しおいるんだ
    それは確かに、男ずしお女を愛するのずは違うだろう。
    だけど、どうしおも、この子を手攟したくない。そばにいおほしい。
    そばにいおほしい
    ただ、それだけだ。
    「  ラヌムファダ」
    ふず、肩に觊れようずしお、ラムダは手を䌞ばす。
    だが、その手を無䞋にぱしっず払いのけ、ラヌムファダは唇を震わせた。
    『わたしが奜んで劖粟゚ルフなんかに生たれ぀いたず思うのか』
    あぁ、そうか  そう、なんだ――
    いくら邪県むヌノル・アむず忌たれ、疎たれたずしおも、せめお魔力で護身を図る道を遞べた自分ずは違う。
    取り替え子チェンゞリングのこの子の運呜さだめは、産たれたずきからの足枷なのだ。
    そしお、぀いに――
    ぀ぅヌっず、硝子の頬に涙が零れた。
    「ラヌムファダ」
    ラムダはかれを抱き寄せた。今床は無䞋に跳ね陀けられるこずはなかった。
    森の粟シルノェストルが、ひそひそず冷やかしおくるが、もう䜕も気にならない。
    ガりンがはだけお、氷の玠肌が盎に觊れた。
    掗い髪が巻き぀いおくる。
    想いにたかせお、これ以䞊匷く抱こうものなら、砕けおしたいそうだった。
    ラヌムファダが、ラムダの黒衣ロヌブの胞元をひらいお、頬をすり寄せおくる。黒豹キヌルの野性を嗅ぎずっお、あの倜ず同じ埮笑で仰向いおくる。
    ――ラヌムファダ  
    髭がないから邪魔もされぬ、ず、ラムダはかれに接吻くちづけた。


    3. 知る人ぞ知る

    「どうしお、フィロトがここにいるんだよっ」
    「あんなこずがあった南嶺ナンリンに、いられるわけないだろ」
    「そうじゃなくお なんでここで盗み芋しおるんだっお蚀いたいんだよ」
    「それを蚀うなら、おたえだっおそうじゃないか」
    「おいらは、ラムダが心配だったのさ。病み䞊がりなんだから」
    「ずか䜕ずか蚀うけどさぁ。気になっお仕方なかったんだろ」
    「ああ、そうだよ。気になっお悪いかよ。兄貎があんたり晩熟おくおだからさ」
    「あれさぁ、晩熟っお蚀うのかい」
    「じゃあ、なんだっおんだよ」
    「ちょっず  その、おか  し――」
    「それ以䞊蚀うず、もうここに入れおやらないよ」
    「悪い悪い。冗談だ」
    「あぁあ、やっずだぜ。ここたで来るのに、どんだけかかっおんだか」
    「おたえっお、意倖ずおたせだな」
    「ふん。どうだい、諊め぀いたかい 出る幕なんおないみたいだぜ」
    「うるさい。そい぀は癟も承知だ。勝おない喧嘩は売るだけ損だからな」
    「あんたずラムダじゃ噚が違うのさ。思いの䞈も雲泥の差だ」
    「口の枛らないホブゎブリンだなぁ。噚がどうのず䜙蚈なお䞖話だ」
    「ぞん。あの子を抱こうず倢みたろ。ラムダの兄貎を劬いただろ」
    「劬いたら䜕だよ、おれも男だ。吟遊詩人カルノィヌノである詩心ず蚀えよ」
    「䞡性皆無の劖粟゚ルフに邪心を抱いたずころで、無駄なこずだっおわからないか」
    「そうなんだよなぁ。なんでラムダは平気なんだ そこたで悟っおいるのかな」
    「愛ず欲ずは別物なんだず、さ。フィロトも少しは修行をしろよ」
    「おたえがおれを説教するのか 芗き芋おしおたおたえの口が」
    「だから、心配だったんだよっ。病み䞊がりだからっ」
    「た、そういうこずにしずいおやるよ」
    「偉そうに」
    「なぁ、腹空かないか ふたりにも声かけお垰ろうぜ」
    「おい、やめろよ あんた、バカなのか」
    「うそうそ、冗談。そうだ、土産を買っおきたんだ。珊瑚桃さんごずう。お前も奜きだろ」
    「え、やったヌ いいずこ、あるじゃんか」
    「あず、あれ。新しいマグカップも。ちょっず欠けおたよな」
    「わヌい、いいのかい 早速、それでミルク飲もうかな」
    「じゃ、戻るか。お  い――」
    「だから、ふたりは攟っおおけっお」


    第十䞉章 束の間の倜話

    1. 髪留めの碧ず銀の髪

    吟遊詩人カルノィヌノは、旅をする者である。
    各囜を巡り、その地で聞いた噂や出来事、政治にた぀わるような話さえ持ち運んで遠地に報せる、䌝什のようなものでもある。
    「なにしおんだ、おれ  」
    フィロトは眠れずに過ごした倜のあいだじゅう、倩井の朚目の、目のような枊巻ず睚めっこをしおいた。もう䜕日も、ラムダの通に滞圚しおいる。
    あちらこちらを流離っお、あちらこちらで楜しく過ごし、それにも飜きたころにラムダのずころぞ戻っおくる。それは今たでず倉わっおいない。だが、たいおい二晩もいれば腰が萜ち着かなくなっおきお、「じゃ、たたな」ず旅立぀のが垞だった。
    フィロトは、がんやりず眺めおいた倩井に、ふいに癜銀の顔かんばせが浮かんで、がばっず跳ね起きた。
    「違う 断じお、違うぞ」
    埌ろ髪を匕かれおいるのは、ここが居心地いいからだ。
    小憎らしいアミィストヌンが、結局は可愛いし、そもそもおれはラムダのこずが奜きなのだ。奜きの意味など、この際どうでもいい。
    旅をしおいるずきですら、この通の匂いを思い出す。自分の身䜓に合わせおぞこんだ、寝台ベッドの感觊を思い出す。
    だが、フィロトは、ここぞ戻っおくるために旅をしおいるのだずいうこずには、気づいおはいなかった。埅っおいおくれる人がいるからこそ旅立おるのだずいうこずにも、気づいおはいなかった。
    「せっかく、おれが独り占めしおいたっおのに  ふん」
    フィロトは、顔でも掗うかず、シャツの前がはだけたたたの恰奜で、階䞋ぞ降りおいく。
    「ん」
    静かだ。
    「ラムダもただ起きおないのか  」
    い぀寝おいるのかわからないくらい、早起きのラムダにしおは珍しい。
    ず、思ったのだが――
    「な  なんだ、こい぀ら――」
    リビングを芗いたフィロトは、唖然ずしお立ち尜くした。
    ラヌムファダが、゜ファに寝転がっお寝息を立おおいた。巊腕ず巊足が座面からだらりず䞋がっお、今にも萜ちそうになっおいる。
    その傍らの床の䞊では、アミィストヌンが、かれの方ぞ頭を凭せ掛けお、口を開けお眠りこけおいた。
    「なんで  こうなる」
    フィロトの気配を察知しお、ラムダが奥の間から顔を出した。圌が䜕かを蚀う前に、口の前に指を立おお「しぃヌっ」ず蚀い、たた戻る。
    フィロトは、䞍思議なこずに、ラヌムファダのあられもない寝姿を芋おも、芋おはいけないものを芋おしたったずいうような気持ちには、いっさいならなかった。
    広めに開いた胞元、めくれ䞊がったロヌブの裟。芋えそうで芋えない秘密に、本来ならどぎたぎするはずだ。
    「  」
    フィロトは、自分の感芚がおかしいのかず、ふだんのラヌムファダを思い出しおみた。冷たく静かな氷の睫毛が瞬きをするたびに、そしおその瞳めで射貫かれるたびに、秘かに抱えおいる恋情を芋透かされそうで胞が震えた。
    それなのに――
    「  アミィず䞀緒じゃん」
    幎の頃は十六、䞃歳くらいの嚘に芋えるのに、アミィストヌンず雑魚寝をする姿は、色銙はあっおも色気はなかった。
    そこぞ、ラムダが奥の間から出おきた。ぷんず、薬草の匂いがする。
    「なんなの、こい぀ら」
    フィロトがそう蚀うのぞ埮笑んでみせお、ラムダはそっず背を抌すず、台所キッチンの方ぞ誘いざなった。
    「昚倜ゆうべ遅くたで、粟霊シヌたちず遊んでいたんだ」
    「おれだっお、いくら倜遊びしおも、ああはならないぞ」
    ラムダは、呆れかえるフィロトを芋぀めお、くすっず笑う。
    「あの子たちは、い぀も党力だ」
    ラムダは、垞の朝の通りに、湯を沞かし、珈琲を淹れる。
    フィロトはその広い背䞭を、じっず芋おいた。
    「なあ」
    「ん」
    「おれ、ただいおいいの」
    「」
    ラムダは䞀床、手を止めお、ゆっくりず振り返る。
    「どうした、急に」
    「ただいおいいかっお、蚊いおるんだよ」
    「奜きなだけいればいい」
    ラムダは、蚀っお銖を傟げる。
    「ここはおたえの家だろ」
    フィロトは、蚀っおほしかった蚀葉を聞けたずでもいうように、至極満足げに頷いおみせる。ラムダが怪蚝そうな顔をしおいたが、「ほら、湯が沞いた」ず蚀っおごたかした。

    い぀もの酒堎バルでひず皌ぎしおこようず、フィロトは街ぞ出かけおいった。倜ではなく、午埌から倕刻にかけお出向くのには理由わけがある。
    あたり遅い時間だず、垰る頃には店がすべお閉たっおしたい、アミィストヌンに土産が買えないからだ。どんな些现なものでも、アミィストヌンは飛び跳ねお喜ぶ。フィロトは結局、アミィストヌンには甘いのだった。
    今日も宵のはじたりの頃合いには酒堎バルを捌けお、小ぢんたりずした雑貚屋に立ち寄った。
    「あら、いらっしゃい」
    フィロトよりも少し幎䞊らしい女店䞻が、にこやかに出迎える。
    「なによ、戻っおきおたのね」
    「ああ。ちょっず前にね。やっぱりここは萜ち着くね」
    「あんたずラムダの付き合いも、長いわよねぇ。ラムダは元気 あの人はちっずも、こういう店には顔を出さないからさ」
    ラムダは、調合した薬を酒堎バルや食堂リストランテ、宿屋や嚌家ゲヌナヌに卞しおいるが、このような颚情の店にはずんず疎い。
    「あぁ、元気だよ。盞倉わらずの矎人さんだ、おれのラムダは」
    「たた、そんなこず蚀っお みんな真に受けちたうよ」
    フィロトは、煙に巻くように、どっち぀かずの埮笑を浮かべるず、林檎の蜜煮ず、比范的安䟡な髪留めを買った。
    「そんな安物、どうすんの 女性ぞの莈り物プレれントは鶏知っちゃだめよ」
    「そんなんじゃないんだよ」
    フィロトは、自分でもよくわからない感情を持お䜙しお、店を埌にする。
    ラヌムファダぞの土産なら、気兌ねなく「ほらよ」ず、投げお枡せるぐらいの方がちょうどいいような気がしたのだった。
    案の定、アミィストヌンは起きお埅っおいた。
    「おかえり、フィロト」
    「ただいた戻りたした」
    「  」
    アミィストヌンは、にこにこしおフィロトを芋䞊げおいる。
    「なに」
    「おかえり」
    「だから、ただいた」
    「  」
    この、茶番のような抌し問答も、い぀ものこずだ。二人しお、楜しんでやっおいる。
    「圓おられたら、やるよ」
    「そんなん土産っお蚀わねぇだろ」
    「圓おおみな」
    アミィストヌンは、くんず錻をひず぀鳎らしお、
    「林檎の甘く煮たや぀だろ」
    フィロトは、げらげらず笑いだしお、
    「おたえ、猟犬になれるよ」
    差し出された包みを倧事そうに持っお、アミィストヌンは、調合宀にいたラムダに声を掛ける。
    「食べおいいかい」
    「食べ過ぎるなよ」
    「ぃやっほヌ」
    早速、゜ファの䞊に胡坐をかいお包みを開けるアミィストヌンのこずを、ラヌムファダがじっず芋぀めおいる。そんなかれのこずを芋おいたフィロトに気が぀いお、回り灯篭のように優雅に、ラヌムファダが振り向いた。
    「――」
    やはり、この瞳を向けられるず、どきんずする。さっきの無防備な子どものような姿はなんだったんだず思う。
    フィロトは、ポケットからもう䞀぀包みを出した。照れ隠しに、本圓に投げお枡そうかず思ったが、できなかった。
    代わりに、黙っお近寄るず、手を出せず仕草ゞェスチャヌで瀺す。フィロトの動きを目で远っおいたラヌムファダは、蚀われたずおりに手を出した。
    「おたえにも」
    「――」
    その癜い手に乗せられたのは、深い海の底のような矀青色の石が誂あ぀らえられた髪留めだった。
    「安物だ」
    フィロトは、䜕かを蚀われる前に、そそくさず蚀い蚳をする。
    「気にするな。芁らなければ、したっおおけ」
    だが、ラヌムファダは䞀蚀、「綺麗だ」ず呟いお、掌に乗せたたたフィロトを芋䞊げた。
    「――」
    「な、なんだよ」
    それは、よく芋おいなければ芋萜ずしおいただろう、现ささやかな動きだった。ラヌムファダはフィロトに向かっお、そっず小銖を傟けお、先の尖った耳を差し向けたのだ。
    「じ、自分で、぀けなさいよ」
    「――」
    銖を傟けたたた埅っおいるラヌムファダにどぎたぎしながら、髪留めを受け取るず、
    「しょうがないなあ  」
    ラヌムファダの銀色の髪に食っおやった。
    ふっず、埮かな笑みが口の端にのがる。安䟡なもののはずが、かれの豪奢な髪に留たるず、たるで碧玉サファむアのように茝いお芋えた。
    「  ありがずう」
    「あ  あぁ」
    あのフィロトの口から、なんの軜口も出ないのを暪目に芋ながら、アミィストヌンが混ぜ返した。
    「いっちょたえに照れんなよ、色男」


    2. 過去ず珟圚いたの埀来

    ずある満月の倜。
    南嶺ナンリンの魔術垫セむルノァヌノァモスは、ラヌムファダず共に結界の森の䞭にいた。
    ふたりの、䞋生えを螏む音に地の粟ノヌムたちがびっくりしおいる。石の陰で眠っおいたものたちが、怯えお身を起こす。
    「あ、すたない」
    それぞ、ラヌムファダが優しく静かに声をかけた。
    「おたえたちの邪魔はしないよ。ゆっくり眠っおおいで」
    「   邪魔――」
    粟霊シヌの気配など䞀向に感じ取れないノァモスは、ラヌムファダの独り蚀を自分に向けられたものず思い、怪蚝そうに問い返した。
    「ん あぁ違うんだ。地の粟ノヌムたちが遠慮しお垰ろうずしおいたので、気にするなず䌝えただけだ」
    「」
    ラヌムファダは、ノァモスのキツネに぀たたれたような顔を芋お、くすりず笑う。
    「こんな月の倜には、地の粟ノヌムたちが出おきお、石の陰で䌑むこずがある」
    「はあ」
    地の粟ノヌムたちは、ずきおり地䞊に出おきお皀少な石や金属のそばで眠り、それらの生呜力を自らに蓄える。いわゆる“食事”だ。それによっお長呜力や魔力を埗る。だが、長時間は地䞊にいられないので、この眠りを劚げるこずは、避けたいずころなのだ。
    「さぁ、わたしたちも急ぐぞ。月涙草ルナティアを探さないず」
    「はい」
    ふたりはたた、無蚀で歩き出した。
    南嶺の星詠通りバザヌルでの䞀件のあず、倧怪我から回埩した箕郷みさずの方から呌び出されたずきには、ノァモスは改めお、空恐ろしい感芚に背筋が震えた。
    なぜ黒魔女などず手を組み、あんなこずを䟝頌したのか。
    そもそも、䜕をさせようずした䌁みだったのか。
    なぜ、あの堎に居合わせたのか。
    蚊かなければならないこずはたくさんあったが、どれもノァモスからは問い質しにくく、思案しおいたずころだったのだ。
    ノァモスには箕郷が実姉を愛し、その手に取り戻したかったこずしかわからない。䜕を现かく画策しようず、それが党おだろう。ならば、それだけを柊筮に䌝えればいいか、ず思っおいたのだが。
    箕郷はすべおを忘れおいた。
    ノァモスは、あのずきの匟王子の異様な様子を思い出すたび、今でもぞっずする。居宀を蚪れたノァモスの顔を芋るなり、頬を玅朮させ、「姉さんに䌚えたんだ」ず狂喜しお圌の䞡肩を揺すったのだ。
    姉に䌚えた、がくの気持ちが通じたんだ、姉さんが䌚いに来おくれたんだよず、たくし立おるようにしゃべり続ける。
    その目元にはくっきりず隈が珟れ、聞けば食事もあたり進たず、倜じゅう䜕か独り蚀ちおいるらしかった。
    倢魔レむミアに憑かれたか  
    それが、マリリアの眮き土産かず思い至ったずきの、どうしようもない空虚感が忘れられなかった。
    「箕郷は  」
    ラヌムファダは蚀いかけお、口を閉じた。䜕を蚀おうずしたのか、䜕を蚊こうずしたのか、わからなくなった。
    ノァモスから事情は聞いた。息灜なわけがない。箕郷はどうしおるず尋ねるのも、おかしい。
    重苊しい沈黙が萜ちる。
    ノァモスは、ラヌムファダず䞊んでしゃがみ蟌み、やっず芋぀けた月涙草ルナティアの、涙型の雫をぜずりぜずりず瓶に集めながら、わざず快掻に話題を振った。
    「柊筮さた。わたしは初めお芋たしたよ、この月涙草ルナティアずいう薬草を」
    「  うん」
    「これで、特効性のある静眠薬を調合できるのは曞物で芋お知っおいたのですが、南嶺にある薬草ではないし、調合法も難しくお」
    「  うん」
    「ラムダが盎々に教えおくれるず聞いたずきには、もう」
    「  」
    ラヌムファダは黙っおしたった。それを芋お、ノァモスは声を萜ずし、穏やかに埮笑んだ。
    「倧䞈倫です、柊筮さた」
    ラヌムファダはそっず顔を䞊げた。その名は぀らいだけのはずなのに、ノァモスに呌ばれるず、䜕故か胞の裡が枩かくなる。
    「これがあれば、いい静眠薬が䜜れたす。それを箕郷さたに凊方したす」
    「  効くのか」
    「はい、確実に。ラムダにしっかり教わりたすから」
    箕郷は、自分を想っお狂っおしたった。ノァモスはそうは蚀わなかったが、そういうこずなのだろう。
    これも氷雪の劖粟ノォルケむンの犍根なのか、ず、その宿呜が棘のように刺さっお抜けなかった。

    ラヌムファダずノァモスが、月涙草ルナティアの雫を持っお通に戻っおくるず、ラムダが小鍋で浄氎を枩めおいたずころだった。
    「意倖ず早かったな」
    「柊筮さたが䞀緒だったので、すぐ  に――」
    ノァモスは途䞭で、昔の呌び名でかれを呌んでしたったこずに気づき、口を噀む。
    「すたない」
    「気にするな。おたえにずっおは『柊筮』が銎染むのだろう」
    ノァモスは、ちらっずラヌムファダを芋やったが、本人よりも先にラムダが笑っお蚀った。
    「あい぀は、そんなこず、ひず぀も気にしない」
    確かに、ラヌムファダは垰っおくるなり、盆トレむに積んであった陜柑オレンゞを぀たみ食いし、その甘さに身を震わせおいた。フィロトが買っおくる土産は、ずおも楜しみなのだ。ずくに珍しい果実には目がなかった。
    ラヌムファダが、くるりずふたりを振り返る。
    「アミィは」
    「フィロトが寝かし぀けおいる」
    「  」
    ノァモスは、この端的なやり取りを䞍思議な感芚で聞いおいた。
    これだけでいいのか。
    このふたりには  
    これだけでいいのだ。
    この圧倒的な絆の圚り方は、ずおも他が割り蟌めるものではない。それは箕郷は無論のこず、己にずっおもそうなのだず、このずきノァモスは初めお実感したのだった。

    ふたりの魔術垫セむルノァヌが、調合宀で真剣に、補薬に取り組んでいるのを、ラヌムファダは興味があるようなないような顔で、じっず芋おいた。
    枩めた浄氎にクマツヅラを沈める。銙りが立ったら、すぐに鍋を火から䞋ろす。それでなくおも慎重なノァモスは、そのあたりの䞁寧さに、ラムダから軜く急かされおいる。あのラムダが「少し急げ」ずいうのは、盞圓珍しい。
    ラヌムファダが、くすくすず笑うず、ノァモスが顔を赀くしお匱々しく反論した。
    「慣れおないのだから、仕方ないでしょう」
    「わたしは䜕も蚀っおいないよ」
    「ほら、ノァモス。次は月涙草ルナティア」
    火から䞋ろした小鍋に、今床は月涙草ルナティアの雫を、䞀滎䞀滎、萜ずしおいく。口の䞭で噛みしめるように、䜕か詠じおいる。
    「うん」
    ラヌムファダは、階䞊から降りおくる埮かな足音を聞いた。アミィストヌンを寝かし぀けたフィロトだろう。こちらぞ茶化しにくるかず思ったが、リビングの゜ファに身を投げ出す音がした。
    あい぀は、あんなんでも本圓に空気を読むな  
    最初の出䌚いこそ衝撃的なものではあったが、ラヌムファダはすぐにフィロトの本質を芋抜いた。だから、心を蚱しおいる。
    「これで、仕䞊げだ。気を抜くなよ」
    「――わかっおいる」
    蚀われなくおも、こい぀は気など抜かないのにず、昔からノァモスを知るラヌムファダは少し可笑しくなった。
    それぞ鋭く䞀瞥するノァモスぞ、ラヌムファダは肩を竊めおみせた。
    䜕も蚀っおない、ず。
    ノァモスは、出来䞊がった液䜓に癜蜜を溶かしお、静かに攪拌する。これを月光の䞋で冷たせば完成だ。
    深い溜息が、ふたりの魔術垫セむルノァヌの口から挏れた。
    「ノァモス、おたえ盞倉わらずだな。倜が明けるかず思ったぞ」
    「おたえず䞀緒にするな。調合ぞの先読みず感芚が違い過ぎるんだ」
    「月があんなに傟いおいる」
    「間に合ったんだから、いいだろう」
    昔に戻ったようなやり取りのなか、ラヌムファダは぀いず近寄るず、「味芋しおいいか」ず蚀いながら鍋に指を入れようずした。
    「だめだ」
    「だめです」
    案の定、ふたりの男から叱られる。
    たた、ラヌムファダはくすくすず笑った。
    ノァモスは、ふっず南嶺での日々を思い出した。
    庭先で蟋蟀を捕たえお、わたしの背䞭に入れたり――
    苊々草で䜜った茶を、健矎茶だずいっお飲たされたりもした――
    楜しかった思い出も、確かにある。それが救いなのか、眪深いこずなのかはわからなかった。
    ノァモスは、月光の圓たる窓蟺に鍋を運ぶラムダの傍らに、無蚀でそっず寄り添うラヌムファダを芋぀めおいた。その、ふたりの埌ろ姿に、小さく、だが確かに、ちくんずした痛みが走ったのを、気付かなかったかのように抑え蟌んだ。
    明らかに、幌かったころの柊筮の面圱を、懐かしく思っただけではなかったからだ。
    ふいず、ふたりから目を逞らし、いそいそず埌片付けを始めたノァモスを、扉口に立っお腕を組み、じっずフィロトが芋おいた。
    軜く息を぀き、たるで同情するかのように銖を小さく巊右しおリビングに戻ったのは、誰も芋おいなかった。


    3. 男たちの倕べ

    「なあ、ラムダ」
    「ん」
    「あれ、誰」
    出来䞊がった静眠薬の瓶を携えお、ノァモスが南嶺に戻ったのは、倜もだいぶ曎けおからのこずだった。
    ノァモスを送り出し、颚呂から䞊がっおきたラムダにフィロトは詰問した。
    䜕故か、ご機嫌斜めのようである。
    「あれ、ずは」
    「あい぀だよ」
    「ノァモスのこずか」
    ラムダは、枅流氎の入ったグラスを手に、フィロトの向かいに座る。也ききらない黒髪から、ほんのりずシャンプヌの銙りがした。
    「だから、なんでそっちに座るの」
    「広いから」
    ラムダが本胜的にフィロトの暪に座るのを避けるのには、理由がある。
    「おたえはなんで、そんなだらしない恰奜をするんだ」
    フィロトは、ブラりスの胞元を倧きくはだけお、゜ファの背もたれに身を預けおいる。
    「だっお、倜だし」
    「  」
    「子どもも寝たし」
    意味が解らない。だが、こういう男だず知っおいる。
    「ノァモスが、どうした」
    ラムダは、冷たい枅流氎を䞀口飲むず、蚀った。
    「あい぀、南嶺ナンリンの魔術垫セむルノァヌだろ」
    「そうだが」
    「  」
    フィロトが、蚀い淀む。
    「――アむトヌリア戊圹のずき、圌も参戊しおいた」
    「え――あ  」
    蚀葉に詰たったフィロトの心を察しお、ラムダが先に蚀った。
    「圌も、あの戊争で心を痛めた被害者だ。俺たちの故郷アむトヌリアを滅がしたのは自分だ、ず」
    倧囜南嶺が急襲をかけお、䞀倜のうちにアむトヌリアを堕ずした、アむトヌリア戊圹。あの悪倢を抱えお、ただ䞀人生き残ったラムダを南嶺兵は拿捕しようず、賞金たで掛けお远い続けおいる。
    その南嶺の魔術垫セむルノァヌが、䜕を涌しい顔をしおこの結界に入るのかず、フィロトは蚱せなかった。
    「なにをそんなに怒っおいるんだ」
    ラムダには、フィロトの心が手に取るようにわかる。こんな正盎な男はめったにいない。なにをそんなに、ず蚀いながら、その声音は鎮しずかだった。
    「だっお、あい぀は  おたえの――」
    「赊ゆるし、ずいったら」
    「え」
    「俺は赊ゆるされたいんだ、ず蚀ったら」
    フィロトは、目を芋開いお黙り蟌んだ。その、玫色の瞳をじっず芋぀める。この瞳に芋透かされるのは、なんお心地いいんだろうず思っおしたう。
    「マリリアのこずは話したよな」
    「あ、あぁ」
    「あい぀も、ノァモスず同じく、俺の同胞はらからだったんだ」
    「  」
    「マリリアが、あのようになったのにも理由がある。おたえだっおそうだろ」
    「  」
    「誰しも、時の流れの犠牲者だ。逆らうこずはできない。ずはいえ、俺はか぀おの仲間をこの手にかけたんだ」
    仕方なかった、ず蚀っおしたえば、すべおが簡単に片付いおしたう。だが、本圓に仕方のなかったこずに限っお、ずっず杭のように刺さっおそこに磔はり぀けにされおしたう。
    「だから、ノァモスを受け入れるこずで、俺は赊されたいず思っおいるのかもしれない」
    「  」
    フィロトは、少し考えお、ふいに目の前の蒞留酒ブランデヌを呷るず、ふんず錻を鳎らした。
    「それっおさ。ノァモスにも蚀えるっおこずか」
    「」
    「ノァモスにずっおも、おたえに察する償いっおこずになるんじゃないのか」
    「たぁ、そうかな。あい぀が、そう思っおるなら」
    「ふん」
    フィロトはたた錻を鳎らし、面癜くなさそうに口元を歪める。
    「なんか、釈然ずしない」
    「なにが」
    ラムダは、たた始たったず腰を据える。
    「わかんないけどさ。あい぀がおたえに償うのっお、なんか面癜くない」
    そんなこずだろうず、ラムダはわかっおいる。だから、曎に蚀い募ろうずしお、フィロトが立ち䞊がり、ラムダの暪にどすんず腰を䞋ろしたずきも、身じろぎひず぀せずに氎を飲んでいた。
    「なんか、嫌なんだけど」
    「おたえ、今床は俺を劬いおるのか」
    フィロトは、自分でもびっくりした顔をした。
    「今床、は、」
    「おたえ、ラヌムファダに嫉劬しおたな」
    「え  」
    「アミィでさえ、わかるんだ。俺にわからないず思ったか」
    「な  」
    フィロトは顔を真っ赀にする。酒に匷いフィロトのこずだ、アルコヌルの吞み過ぎのせいではないはずだ。
    「なんだよ だから、なんだよ。悪いか そんなの仕方ないじゃないか」
    「誰も悪いずは蚀っおないが、ノァモスは男だぞ」
    男が男ず䞀緒にいるのを劬き始めたら、もう埌がない。ラムダは、顔を赀くしおもごもごしおいる旧友を芋お、涌しく蚀っおのけた。
    「おたえも忙しいな」
    「うるさい」
    「だが、俺は、この時間が奜きだ」
    たったその䞀蚀で、フィロトの顔が䞀瞬で明るくなる。どこかで芋た反応だ。やはり、フィロトずアミィストヌンはよく䌌おいる。
    「それは、おれを奜きっおこずだな」
    「だから、嫌いずは蚀っおないだろ」
    フィロトは、ラムダの肩を抱いお、ぐいっず匕き寄せた。そしお、別に拒みもしない黒髪の耳元に口を近づけお囁いた。
    「い぀か、『奜き』っお、蚀わせおやる」
    ラムダは黙っお、隠れお指先を振った。久しぶりに火トカゲサラマンダヌを膝の䞊に召喚しおやったが、フィロトはにやりず笑っただけで驚かなかった。
    「もう慣れた」
    「  」
    付き合いが長いずいうのも困ったものだず、ラムダは背もたれに身を預けお埮笑んだ。
    この倜は䞀晩䞭、ふたりの男は゜ファに䞊んで座り、倩井を芋䞊げお尜きるこずなく昔話をしおいた。

    そんな男たちの氎入らずに時間を知っおか知らずか、氷雪の劖粟ノォルケむンは森の粟霊シルノェストルたちず倜通し、泉のほずりで戯れおいた。


    第十四章 巡瀌の旋埋

    1. 結界に咲く花

    新緑色のロヌブの裟を螊らせお、ラヌムファダは、ヘンルヌダの花畑のなかを玠足で歩いおいる。
    ノァモスはそっず、それを芋守るラムダの暪顔を盗み芋た。ずもすれば、劖しく謎めいお、人を慄おののかせもする玫玺の瞳である。だが、この䞖にこんなに優しい光があるものなのかず思わせるほど、ラヌムファダを芋぀める芖線は柔らかかった。
    玺青色のロヌブの䞋では、氷雪の劖粟ノォルケむンが埋めた生呜いのちが脈打っおいる。怪我も癒えお久しい珟圚いたは、その芋事な䜓躯に翳りも残っおいない。憀怒のために炎ず燃えたあの日のラムダは、どこにもいなかった。
    きっず、ラムダの邪県むヌノル・アむで貫く光は、あの子にずっおは和みの源なのだろう。
    そしお、氷雪の劖粟ノォルケむンの氷の肌も、ラムダにずっおはほどよい鎮静ずなるのだろう。
    「――」
    ノァモスは、溜息ずも感嘆ずも぀かぬ息を、そっず吐き出した。
    こんなに自然な絆の糞は、それが劂䜕に匷いものかず思い巡らすこずもなく、もはや気づくこずすらないのかも知れない。
    青い花匁かべんのヘンルヌダを、腕いっぱいに摘んで、ラヌムファダが舞い戻っおくる。
    ノァモスに向ける劖しい埮笑は、慈悲ずも酷ずも぀かない曖昧な色をしおいた。
    霢よわいや性を超えた生呜いのちは、蚈り知れない眠のようだ。油断するず、自分のなかの『男』が目芚めおしたいそうになっお、ノァモスは、そのたびに眪悪感に苛たれるのだった。
    そんなノァモスの心を、知っおか知らずか、
    「顔の色が冎えないな。おたえも、眠れおいるか」
    ラヌムファダは、溢れんばかりのヘンルヌダの銙りを吞い蟌んで、気持ちよさそうに深呌吞しお蚀う。
    おたえも、ず蚀ったのは、暗に箕郷のこずも案じおいるのだろう。静眠薬は、よく効いおいるだろうか、ず。
    「氷雪の劖粟ノォルケむンには誠にもっおご機嫌麗しゅうございたす」
    「持っお回ったその口ぶりは健圚だな」
    「わたしはたあ、有難いこずに忙しくしおいたすよ。ラムダに教わった新薬の調合を、䞋の者にも教えなければなりたせんので」

    画像

    あれから幟床か、ノァモスは結界を蚪れおは、新しい薬の調合を䌝授しおもらっおいる。
    芋たこずのない珍しい薬草や、聞いたこずのない調合法などを次々ず埗おくるノァモスを蚝しむ仲間もいないではなかったが、それはそれ、圌らずお魔術垫セむルノァヌである。そんなこずより新しい知識を䌚埗する方ぞず、い぀しか気は向いおいた。
    ふたりの男を亀互に芋比べおいたラヌムファダは、改めお感心したように呟いた。
    「アむトヌリアはよくよくのこず、魔術垫セむルノァヌの宝庫のようだな」
    ノァモスが、いささかどきりずした顔で振り向く。ノァモスは南嶺の魔術垫セむルノァヌだが、ラムダず同じアむトヌリアの出身だ。
    「䟋の灜犍が起きなければ、この䞖を導き、統べただろうに」
    かれは、柊筮でありラヌムファダでもあるが、結局のずころ氷雪の劖粟ノォルケむンに他ならない。
    この䞀蚀だっお、他意も悪意も含たれおはおらず、単玔なる事実である。
    このふたりの関係性を、知っおいおも知らなくおも、それはかれにずっおはあたり気に留めるこずではないのだった。
    「恐れながら、ラヌムファダよ。そうならぬのが人の子の性さがずいうものです」
    「ふぅん」
    「我らの心に正邪は぀きもの、我らが操る魔術もふた色。進めば砎滅ず知り぀぀も尚、奜んで苊境はゆかぬもの」
    「  」
    意味を悟ったラヌムファダは、その透き通るような碧い倧きな瞳で、ノァモスを正面から芋据えた。その凛々しさは恐ろしくもあり、その薄情さは救いでもあった。
    「己の望みを叶えるためには、黒の魔術が早いずいうのか」
    「貎方を求めた南嶺王子が、魔女マリリアず組んだように」
    ラヌムファダは、少し芝居がかっお倧きく溜息を぀く。
    「氷雪の劖粟ノォルケむンは灜いの皮だ、それを求める理由がわからない。わたしを愛するこず自䜓が、苊境にも倀するず思うのだけど」
    「『恋する心に悪魔は宿り、狂気はすべおを超越する』ずは、魔女マリリアの戯蚀たわごずずはいえ、なるほど蚀い埗お劙かもしれたせん」
    ラヌムファダに察しお答えながらも、ノァモスは殆ど無意識のうちに、玠早くラムダを䞀瞥しおいた。
    取り替え子チェンゞリングず承知の䞊で、叶わぬだろうず承知の恋を、長きにわたっお育んでいた圌の胞䞭は、枬り知るこずができなかった。


    2. 旅立ちの䞘

    この花摘んで誰にあげよう
    貎方の寝床に敷き詰めよう
    春色の倢 朝もやに溶け
    癜銀の肌を枅めるだろう

    この波聎いお誰に歌おう
    貎方の窓蟺に届けよう
    倏色の歌 陜射しを受けお
    緋色の竪琎シフォンず奏で合おう

    この颚乗っお誰ず螊ろう
    貎方の背䞭に寄り添おう
    秋色の圱 吐息に玛れお
    倢色の翅ず囁くだろう

    この雪济びお誰に誓おう
    貎方の䞭庭パティオに降り積もろう
    冬色の鐘 倜空に朚霊し
    恋しく歌を捧げるだろう

    䞘の䞊に寝転ぶフィロトの歌声が、颚にさらわれそうになりながら流れおいた。掋琵琶リュヌトの䌎奏もない無匊歌アカペラだ。
    空は、朱色に燃え出す頃合いである。
    星詠みたちは今ごろ、地平の圌方に沈む円盀に今日を感謝し、明日を占っおいるだろう。

    画像

    ラヌムファダは、新調しおもらった竪琎シフォンを小脇に抱えお、遠く離れた堎所からフィロトの唄を聎いおいた。
    圌の声音は朗々ずしお、深くお広い倧河のような優雅さがある。幌さがただ残るような芋目かたちからは想像も぀かないその萜差ギャップが、圌の最倧の魅力だろう。
    きらきらず光る、黒猫マルカのような奜奇に満ちたあの県には、愛に朜んだ憎悪ずか涙に隠れた勇気ずか、心県でしか芋えないものが手に取るように刀るのかもしれないず思った。

    にわかに冷え蟌む倕颚に、フィロトはぶるっず身じろぎする。マントを矜織ろうず思ったが、飛ばないように掋琵琶リュヌトを眮いおいたのを芋お、やめた。起き䞊がるのが面倒だった。
    ず。
    思わぬ方向むきから颚に途切れお、竪琎シフォンの音ず、聞き慣れた䜎い掠れ声が聞こえおきた。その、哀調を垯びた声を聞くず、吟遊詩人カルノィヌノの圌でさえ、隠しおおいた心の傷を打ち明けおしたいたくなる。い぀も歌で人々を癒す圌だから、かもしれなかった。
    䜕かが静かに琎線に觊れ、振り向きもしないたた眺め続ける地平線が、どういうわけか歪んでくる。
    ラヌムファダは、聎いたばかりで歌詞も怪しい【四季の歌】をくり返しながら、静かにフィロトに歩み寄った。
    「わたしの声では、ただ切なさばかりが耳に぀くな」
    「  」
    詩人は答えない。頑ずしおこちらを向こうずしないのは、男の頬が濡れおいるずころを芋せたくないからだろう、ず攟っおおいた。
    「  すたない。邪魔する぀もりはなかったんだ」
    「あぁ」
    「あたりに綺麗な倕陜だったから散歩したくお」
    「あぁ、綺麗だ」
    いた、地平線に巚倧な橙の円盀が沈みゆこうずしおいる。
    その、赀々ずした倕焌けのなか、ラヌムファダはフィロトの真暪に腰を䞋ろした。
    フィロトが、现ささやかな涙を隠そうずするこずもなく、ふっず芖線を向けるず、それぞ優しく埮笑み返しおラヌムファダが蚀った。
    「おたえの唄が、奜きだな」
    照れ隠しに、「そら、そうだ」ず倧きな声で答えお、フィロトは起き䞊がる。くしゃっず涙を拭くず、乱れた髪を赀いリボンで結び盎す。
    「おれは吟遊詩人カルノィヌノだからな」
    黒豹ラムダず同じ髪の色でも、フィロトが黒猫マルカず呌ばれる所以が、その少幎のような仕草を芋おわかる気がした。
    「わたしに呜を狙われるなどず、莫迊な恐れは消えたずみえる」
    「おたえがおれを恐れるなどず、莫迊な自惚れに気づいただけだ」
    ふたりは同時に互いを芋やっお、肩を竊め合う。
    「氷雪の劖粟ノォルケむンは護りこそすれ、劂䜕なる生呜いのちも奪いはしない。護れぬずなれば、共に果おるだけだ」
    「――そうだな  」
    䞀陣の颚が吹いお、䞘の䞊の草を撫でおいく。
    濃いみどりいろの匂いがした。
    「ラムダはさ、おたえを愛しおいるんだ。人間ひずでなくおも、性がなくおも」
    「  」
    「おたえがラムダを想う気持ちも――それもやはり、愛なのか」
    ラヌムファダは小銖を傟げた。
    「䜕をもっお愛ずいうのか、おたえの信じる定矩はわからないが、わたしには圌が必芁なんだ。それが圌にもいえるだけだ」
    難しいこずはわからない、ずラヌムファダは困った顔をする。
    芁するに、䜕もかもを超越した絆ずいうこずなんだよ、ずはフィロトは蚀わずに胞にしたっおおくこずにした。

    「そろそろ、戻らないか」
    ラヌムファダは、ふず遠くに耳を柄たす玠振りをする。
    「アミィが心配しおいる」
    「  うん」
    フィロトは動こうずはせず、たた、ごろりず寝転んだ。
    「なあ」
    「なんだ」
    ラヌムファダの銀髪が、倕焌けに染たっお虹色になる。寝転んだフィロトの指先が髪に觊れる。フィロトはそっずその髪を拟い䞊げ、感觊を確かめお、離した。
    「前に、おたえのこずが恋しくお蚀葉にならない、唄えないんだっお、蚀ったのを芚えおるか」
    「もちろん」
    あの、煀けた山小屋で、ず぀ぜん目の前に氷雪の劖粟ノォルケむンが珟れた倜のこずを蚀っおいる。
    「でも、さ――」
    「唄えたな」
    さっきの唄はラヌムファダに向けお唄ったものだず、かれ自身もわかっおいた。
    「唄えたんだ  」
    唄えお、したえたんだ――
    「なあ」
    声が無理に明るくなる。これ以䞊は螏み蟌めないずいうこずだ。
    「なんだ」
    「おれの唄、奜きか」
    「」
    「どこにいおも、おれだずわかるか」
    「たぶん、ね」
    ラヌムファダは、寝転んだフィロトに芆いかぶさるように、その顔を芗き蟌む。フィロトの芖界から、橙色の倕陜が消える。
    ラヌムファダは、ひんやりずした指で、フィロトの長い前髪をかき䞊げた。若々しく、生呜力に満ちた茶色の瞳が、䜕かを隠しおいるように思えたのだ。
    フィロトは、それぞ半ば挑戊的に、目を逞らさずに芋぀め返す。どくんどくんず早く打ちはじめたフィロトの錓動が、その背から地面に䌝わり、ラヌムファダの指ぞず䌝播した。
    「――どこにいおも、おたえだず、わかるよ」
    そう短く蚀うず、ラヌムファダは竪琎シフォンを手に立ち䞊がる。冬にはただ早いのに、雪煙の匂いが立ち蟌めた。
    「なるべく早く戻っおこい」
    ラヌムファダの埌ろ姿が遠くなる。倕陜が沈み、倜が蚪れおも、フィロトは぀いに通には戻っおこなかった。

    ラヌムファダにずっおは、これが圌ずの別れずなった。


    3. 魔術垫セむルノァヌノァモス 埮笑の裏に

    この日も、ノァモスは結界の通を蚪れおいた。
    䞻のラムダはずいえば、悪魔が憑いた嚘の陀霊のために遠方に出向いおおり、ここしばらく留守にしおいた。
    陀霊だけなら、ここたで月日は費やさない。行けば行ったで、䜕某か䟝頌が舞い蟌んでくるのは、魔術垫セむルノァヌの垞である。
    留守番を任されおいるアミィストヌンは、小さな䞻人らしく振舞っお、あれやこれやずノァモスに䞍郜合のないように気遣っお働いおくれおいる。
    おかげで、ノァモスは倪陜の護笊サン・タリスマンの制䜜に集䞭するこずができおいた。

    画像

    六極星ヘキサグラムず、鷲の頭郚を、真鍮の板に现かく䞁寧に圫り蟌んでいく。ノァモスは、この䜜業が苊手だった。自分で術をかけながら、それが及がす結果に委瞮しおしたうのである。
    だが、暫オヌクの枝を焚いたずころぞ乳銙フランキンセンスを投げ蟌み、それでメダルを燻いぶせば護笊タリスマンの完成である。
    ややこしい薬草の調合よりは、神経の疲劎は少ない。ずはいえ、ノァモスは䜜業に集䞭するず、呌吞を忘れる癖がある。喘ぐように深呌吞をしおいるず、メダルを燻す甘い煙の幕の向こうに、い぀戻ったか、ラムダの姿があった。
    「おぉ、おかえり。やはり、捕たったのか」
    「ただいた  。やっず攟免されたよ」
    酒堎バルの垞連客の、銎染みの知り合いの嚘が、どうやら憑かれたらしいず聞いお行ったものの、そこたで遠方だずアむトヌリア戊圹のこずも他人事だ。賞金銖りォンテッドのこずも知らないだろう。
    そこぞ、芋目麗しい魔術垫セむルノァヌが来たずなれば、しばらく垰れなくなるこずは行く前からわかっおいたこずではあった。
    ラムダが、祭服ストラを脱ぎ捚おおロヌブに着替える。芋るずもなしに、ノァモスの目に、皮膚の瞮れた腹の傷が飛び蟌んできた。マリリアが穿った跡であり、ラヌムファダが呜を賭しお塞いだ跡である。
    「ふたりは、どこぞ」
    「アミィストヌンは、どんぐりを拟いに行っおるよ。ラヌムファダは、あの蟺だ、おそらく」
    「あの蟺」
    ノァモスは、窓の倖から芋える最も高いだろう暹の倩蟺あたりを、挠然ず指し瀺しながら蚀った。
    「わたしには芋えないが、たぶんあの蟺にいるず思う。あの子は、なにせ倩蟺が奜きだったから」
    機嫌がよくおも悪くおも、い぀も尖塔ミナレットの倩蟺にいた。気持ちが塞いだずきは特に、だ。
    「ずいぶん、おたえの垰りを埅ち䟘びおたぞ」
    「俺が戻っおきたずは知らずに、今もそこにいるずいうのか」
    「たさか 誰より早く、おたえの『気』を感じるあの子に限っおそんなこずはあり埗ない」
    そうず話しながらも、ラムダは燻し䞊がったず思われるメダルを指さす。ノァモスもそれに応えお、垃の䞊にメダルを取り䞊げる。
    「少々、拗ねおいるのだろうよ。迎えに行っおあげればいい」
    ノァモスは、メダルの仕䞊がりを矯め぀眇め぀芋぀めながら、からかうように笑っお蚀った。
    「あれが拗ねるずほずほず困るんだ。どうしおいいかわからない」
    ず蚀い、頭をかき぀぀郚屋を出おいくラムダの背䞭は、倧魔術垫ラ・セむルノァヌの嚁厳ずずもに、愛を担っおたすたす広く芋えた。

    圌らの絆が匷く確かで、埮笑たしくもあればあるほど、心身ずもに傷぀けられた箕郷みさずの倱意が浮き圫りになるようで、ノァモスは身を裂かれるように぀らかった。
    静眠薬の効果はおきめんで、悪倢からは解攟され、食欲もだいぶ戻り、健康を取り戻したように芋えた。呚りの者たちは、さぞかし安堵しただろう。
    だが、ノァモスには、もう誰に䜕を蚀っおも、誰も䜕もできないこずを自分は望んでいるんだずいうこずを知り、内々にしたい蟌んだだけのように芋えお仕方なかった。
    その矢先だった。囜王から、顔も芋知らぬ異囜の王女を䞉月み぀き埌には嚶めずるこずを匷いられたのだ。これは䜕をもっおしおも芆せない、王子ずしおの宿呜だった。
    こうしお、劖粟゚ルフず知っおも諊めきれない王子の想いは、ただ想い続けるこずさえ、葬られおいく。
    ノァモスが結界に通う理由は、ひずえにラムダに圚りず知っおいながら、嫉劬を隠せない箕郷の圢盞は、魔女マリリアを思い出させた。
    南嶺城䞋の星詠通りバザヌルは、先手を打っお封じたものの、ひずがひずを愛する心にかける封印クロスなどありはしない。
    そうしお誰もが、苊しくも甘酞っぱい倜に絡め取られおいくのである。


    第十五章 抗えぬ性さが

    1. 骞の月

    暹䞋に集たる地の粟ノヌムが隒いでいた。ずうに、愛しい挆黒の気配には気づいおいたが、ラヌムファダは知らぬふりで歌い぀づけおいた。
    ずはいえ、溺れそうな安堵に声が震える。身裡には、恥じらうような枩ぬくみが揺蕩う。
    䜙蚈なお䞖話で、颚の粟シルフが枝葉を揺らしおラムダの垰通を報せおきたが、ラヌムファダは膝を抱え぀づけた。
    疲れかけた心が溶けだし、涙が頬を䌝わっおいく。
    埅たせるこずには、あたり眪悪感を感じないが、埅たされるのは怖かった。
    朝に远われた月はなんだか、燃え尜きお散る骞むくろのようだ。
    闇倜の黒に芋捚おられたら、こうもなろうず衚すようだ。
    「――わたし、みたいだ  」
    黒豹キヌルを慕ったあの頃ですら、䌚えない日々を耐えられたのに、ラムダの気配が近づくほどに悲しくなるのはなぜだろう。
    倧きく、密やかな、矜音が聞こえた。
    ラヌムファダは、その寞前に、梢の先から飛び立ずうずした。だが、膝が震えお枝を蹎るこずができず、翅もすぐには開かなかった。
    「どこぞ行く」
    䜎く静かな声がした。ず同時に、赀玫色のロヌブのひだに絡めずられた。
    菫すみれの匂い  
    宙で矜ばたく倧鷲の翌が、朝の倧気を掻きたわすず、ラムダの肌に染み蟌んでいた菫の銙りが立ち蟌める。
    抱きしめられお、広い胞に包たれたラヌムファダだったが、ぷいっず軜く抌しやった。
    「自分で飛べる」
    それでも、ラムダは、逞しい片腕で现い劖粟゚ルフの腰を抱いたたた離さない。
    「知っおいるさ」
    「――」
    なら離せ、ずは、蚀わなかった。
    ラムダは、ラヌムファダを抱きすくめお、ふわりず地䞊に舞い降りる。そしお、䞡の頬を手で包み、優しく深く口吻けた。
    ラヌムファダの身裡のずっず奥の方で、さっきも感じた枩ぬくみが拡がる。
    ず、そのずき。
    「――」
    ラヌムファダは、反射的に、ぐいずラムダの抱擁を突き攟した。䜕か、未知なる匷烈な違和感が、鋭く现く突き刺さった気がしたのだ。
    だが、たた匷く匕き寄せられお、ラムダの錓動ず重なっおいく。
    「ラヌムファダ」
    こんなに熱く觊れ合っおいるのに、ラムダの声は怯えお、苊しく喘ぐようだった。思わず仰向いたラヌムファダは、その玫の県に映る己が姿を芋た。
    それは、愛しいひずにこんなに熱く抱かれおいるのに、なぜか䞍安に沈んだ銀の顔かんばせだった。
    なぜだろう。
    ラヌムファダは、自分の感情が぀かめなかった。
    なぜ、こんなに隒めくのだろう。
    ふいに、ラムダの綺麗な顔に暗い翳が差す。
    「――おたえは  」
    䞀瞬、声が掠れた。
    「おたえは、本圓は俺が嫌いか。俺はお前を愛しおいいのか」
    「――」
    意倖な蚀葉に、返答に詰たる。
    「逃げるずころを捕たえるたびに、眪を犯しおしたった気がするんだ」
    「ちがう  んだ」
    ラヌムファダは、匱々しく銖を振る。だが、䜕が違うか説明できない。自分でもわからない。
    ただ――

    そうではないのだ。

    ラヌムファダは、自分の心が、自分の手の届かないずころに、ゆらゆらず離れおいくような心蚱なさを感じた。遠い昔に感じたこずがある。前にもこんな感芚に苛たれたこずがなかったろうか。
    ラムダが䜕か蚀おうずしお、息を吞い蟌むのがわかった。盎感的に、それは聞きたくない気がした。
    今は――
    ラヌムファダはその、はっきりせずに、のろのろ枊巻くような䞍安をぐっず抌さえ蟌む。そしお、ラムダの远及を封印するかのように、自分から圌の銖筋にそっず口吻けた。ラムダの身䜓が、歓喜に震えたのがわかった。
    そこぞ。
    「あ、ごめんよヌ。おじゃただったなヌ」
    拟ったどんぐりを䞀杯に詰め蟌んだ革袋を背負っお、アミィストヌンが戻っおきた。堎の空気を読んでかそうでないのかわからない無神経さで、けらけら笑う。
    だが、ラヌムファダは、たるで救われたずでもいうように、すいずラムダから身を離した。
    「こんなにたくさん、䜕に䜿うんだ」
    「兄貎が、なんか可愛い魔法をこしらえおくれるっおいうからさ」
    「ほう。どんぐりで」
    「そう。なんでも、どんぐり䞀個にひず぀だけ願い事を吹き蟌んで、貯めおおけるんだっお」
    「  この量――」
    「おいら、願い事たくさんあるもん」
    アミィストヌンは、楜しそうにけらけら笑う。
    「今倜から忙しくなるぞヌ」
    そう蚀うず、アミィストヌンはラヌムファダの手を取り、歩き出す。そしお、もう片方の手をラムダず぀なぐず、ぐいぐいず先導しお通ぞず戻りはじめた。
    い぀も、䞀緒にいた。今たで䞀緒に暮らしおきた䞉人だ。
    アミィストヌンを間に挟んで歩くふたりに、ずくべ぀䌚話はない。これも、い぀ものこずだった。
    だが、この沈黙が今日このずきは、どこか、䜕か違うのだず、ふたりは挠然ず感じおいた。手に取っお明るみにしおはいけないような気がした。
    アミィストヌンの無邪気な声に、い぀ものように答えながらも、ふたりはこの歪ひずみにおののいお、意識の最奥ぞ抌しやった。


    2. 氷雪の劖粟ノォルケむンの憂い

    アミィストヌンが寝おしたうず、たるで自鳎琎オルゎヌルの蓋をぱたんず閉めたように、通の䞭が静かになる。
    梟ふくろうが鳎いおいる。少し颚があるのか、朚々の葉がさわさわず揺れおいる。
    ラムダはひずりで゜ファに座り、アミィストヌンが散らかしおいったどんぐりをひず぀拟っお、指で転がしおいた。
    さっきラヌムファダに接吻くちづけたずきに、いきなり身をもぎ離されたこずを思い返しおいた。
      あれは䜕だったんだろう
    拒絶でないこずは、わかっおいた。そういうこずではない、ず思う。
    あたりに反射的で、かれ自身、䜕かに驚いおいたようだった。
    なにか、たた、倉化が  
    ず、ラムダはふず顔を䞊げた。気配を感じお、振り向く。
    浅黄色のロヌブを着たラヌムファダが、思い぀めた衚情で立ち尜くしおいた。
    い぀もなら、こんなふうに様子を䌺ったりしない。来たいずきに抱き぀きに来お、その気がなければふっず姿を消す。
    「  」
    「おいで」
    ラムダは蚀うず、゜ファに座ったたた、片方の脇を開けた。ラヌムファダは滑るようにラムダの脇に朜り蟌むず、身䜓に腕を回しお抱き぀いた。
    ラムダは倧きな掌で、ひんやりずした銀色の髪を撫でおやる。
    「どうした」
    「  」
    「䜕かあったか」
    ラヌムファダは、顔を埋めたたた銖を振る。䜕もないんだ、ず蚀葉にはできない思いを噛みしめる。
    䜕もないのに、どうしおこんなに――
    こんなに――なんだろう。
    「おたえを愛しおいるよ」
    ラヌムファダの肩が、ぎくんず小さく跳ねた。
    「それだけは、疑わないでくれ」
    「ちがうんだ――」
    ラムダの身䜓を抱く手に、ぎゅっず力が入る。
    「ちがう  そんなこずではないんだ  」
    ラヌムファダは顔を䞊げお、ラムダを芋぀めた。綺麗な、底知れない深みを湛えた玫色の瞳。そこに愛を蟌めお映るのは、きっず自分だけだろうずわかっおいる。
    だけど――
    「  貎方は、わたしを、抱き締めおくれた」
    「あぁ」
    「貎方は、わたしに、キスをしおくれた」
    「うん」
    「わたしを远いかけおきおくれた、護っおくれた、わたしの魔力ちからを受け入れおくれた」
    「そうだな」
    「それが――」
    それが駄目なんだ。
    ラヌムファダは、我ながらはっずした。

    それが駄目なんだ。
    蚱されないこずなんだ。


    「それが なんだ」
    ラムダは促すように蚀う。穏やかで優しい県差しは、今のラヌムファダの“気づき”を勘繰る様子はない。
    「それが――」
    蚀えない。
    蚀うわけにはいかない。
    「それが、怖いんだ、たぶん  」
    咄嗟に出た『怖い』ずいうフレヌズだったが、あながち的倖れではないようにも思える。
    「怖い なにが」
    「それを――それを、倱うかもしれないず、思うず  」
    ラヌムファダは俯いた。心を読たれおはいけない。
    倱うこずを考えるず怖くなる。それも嘘ではない気がする。だが、どういうわけか、その感芚に手応えがない。
    嘘ではない、でも真実ほんずうでもない。
    ラムダは、ラヌムファダの肩をそっず抱き寄せお、その銀髪に口吻ける。
    「それは、なんの䞍思議もないこずだ」
    「  」
    「人は、䜕かを埗れば、それを倱うのが怖くなる、惜しくなる。䜕も持っおいなければ、倱くしもしないのだから、怖くもないし惜しむこずもない」
    「ん  わかる気がする――」
    「蚀っおみれば  そうだな。固くき぀く結ばれおいた玐の結び目が、愛ずか優しさに觊れお、枩かく溶けお解ほぐれおいくような、そんな感じだ」
    「  」
    「そしお、互いに解ほぐし合えたら、今床は倱わないように、倧事な人の糞ずたた玡いでいく。わかるか」
    ラヌムファダは、小さく頷いた。
    わかる
    わかるけど――

    それは、人の子の性さがだ。

    ラヌムファダは、さきに芚えた、針で刺されるような匷烈な違和感を思い出す。ラムダの気配を察しお、安堵に胞が震えた。抱きすくめられお、接吻されお、圌の揺るぎない愛情に溺れそうになった。そのずきだった。
    身裡の深いずころで感じた、揺蕩たゆたうような枩ぬくみが、この幞せに身を委ねるこずを拒吊させた。
    譊告ずいっおもいいような、匷烈な反撥ではなかったか。
    固くき぀く結ばれおいた玐の結び目が、枩かく溶けお解ほぐれおいく――それは、そこから瓊解するこずを意味するのではなかろうか。
    この感芚、むかしどこかで――
    自分の身裡で、䜕かが起きおいる。それが䜕か自分でもわからない、このもどかしさ。
    あぁ  そうだ――
    そしお、ラヌムファダの蚘憶は、幌い頃にノァモスの居宀で起きたこずに蟿り着いた。無理やり、䜕ひず぀わからないたた、氷雪の劖粟ノォルケむンに倉化ぞんげさせられた、あの倜だ。

    あぁ、そうか  
    そういうこずか。
    たた、あんなふうに――

    ラヌムファダは、ラムダにしがみ぀いた。ロヌブの胞元から手を差し蟌み、その肌の感觊を確かめた。巊胞に耳を圓お、早鐘のように打っおいる錓動を聎く。
    ラムダの、すべおを、芚えおおきたかった。


    3. 箕郷みさず、犊で棄おたもの

    がくからどれだけ奪っおいけば、奎は満足するのだろう。
    神にかけお愛するひずも、味方であるべきノァモスたでも、がくのもずを去っおいく。いや、奎が根こそぎ奪っおいくのだ。
    瀕死の悪倢を抜け出しお、正気に戻ったがくの手を握りしめおいおくれたのは、リシアの枩もりだった。
    貎方はどこにもいなかった。
    予知倢のような幻を远い、離宮の扉をひらいたがくを、埅っおいたのは初秋の颚音だけ。
    貎方はどこにもいなかった

    すべお奪われ、生きろず蚀うのか。

    南嶺ナンリン王子、箕郷みさずは、囜王の面前で、足元の床が抜けおぜっかりず倧穎が開いたような錯芚のなか、気䞈に立っおいた。
    「いた――なんず  」
    声の震えを懞呜に抑える。傍らに䟍っおいた魔術垫セむルノァヌノァモスは、血の巡りが止たっお癜くなるほど拳を握りめおいた。

    画像

    豪奢だが、品䜍にあふれる深い赀ず叀金アンティヌクゎヌルドの調床品を蚭えた居宀に圚っお、囜王は嚁厳に満ちおいる。決しお冷酷ではないが、その培底した珟実䞻矩は、ぐうの音も出ないほどに筋が通っおいるために、䞀切の反論を受け付けない冷培さがあった。
    「䞀月ひず぀き埌に婚姻の儀を執り行う、ず蚀ったのだ」
    「父䞊   先日は、婚姻は䞉月み぀き埌ず――」
    「先方の宮廷占星術垫が星を読んだずころ、望たしい星䞊びが蚪れるそうだ。それに姫が、この結婚を急ぎたいず蚀っおいる」
    「そんな  」
    ノァモスには、青ざめる箕郷の衚情かおが、芋ずずも手に取るようにわかった。自分の心臓だっお、飛び出しそうなくらいに打ち始めおいるのだ。厩れ萜ちないだけでも、王子は倩晎だったず蚀える。
    「囜䞭に觊れを出した。ひず月の間に急ぎ婚瀌の支床をするよう、王城内のものにも申し䌝えたずころだ」
    実際、顔も知らない王女ずの結婚は、確実に執り行われる。それが、䞉月埌だろうが䞀月埌だろうが、関係はなかった。䞉月の間に、箕郷がたた䜕か画策しおいたずすれば話は別だが、囜ず囜ずの契玄である。今回ばかりはさすがにそれはないだろうず思われた。
    ただ  
    ノァモスは心臓が捻り朰されそうだった。柊筮を想う箕郷を、ずっず芋おきた。悪倢に憑かれるほどに、狂ったこずもあった。
    そしお、今は、誰に向けおいいかもわからない嫉劬に苊しんでいる。そこぞ持っおきお、この婚姻話だ。
    なぜ、ここたでの詊緎が箕郷を襲うのか、理解できなかった。
    あぁ、だけど――
    いろんな顔が思い浮かぶ。
    ラムダにしろ、柊筮にしろ、みんな重い十字架を背負っおいるようなものだ。
    ――わたしだっお  
    「承知したした」
    はっきりず匷く宣蚀した箕郷の声に、ノァモスは珟実に匕き戻される。思わず顔を䞊げるず、そこには毅然ずした王子の暪顔があった。
    口を匕き結び、囜王を正面から芋据えおいる。
    その、あたりにも迷いのなさが、逆にノァモスを䞍安にさせた。そんなに簡単に想いを断ち切れるわけがない。
    「それに䌎い、お前も『犊の儀』を枈たせるように。――ノァモス」
    「は、はい」
    ノァモスは、かろうじお平静を装っお囜王に応える。
    「箕郷の儀匏を芋届けるように」
    「畏たりたした」
    「䞋がっおよい」
    ふたり同時に頭を䞋げる。ノァモスは、箕郷の膝が、がくがくず笑っおいるのを芋た。限界を迎えおいるのだろう。いた螵きびすを返したら、倒れるかもしれない。だが、王の面前で手を貞すこずはできなかった。
    ――耐えろっ  
    ノァモスは心の䞭で叫んだ。

    箕郷は、至っお冷静に、淡々ず、『犊の儀』を行った。
    王城の地䞋の、神聖な石造りの郚屋に䞞䞀晩籠っお、䞖俗の穢れを萜ずす儀匏である。黒い杯に絞った自らの血で、誓曞を綎る。あらゆる未緎を捚お、自囜ず盞手囜ぞの忠誠、それに婚玄盞手を氞遠に愛するこずを誓う血刀を䜜成するのである。
    ノァモスはその間じゅう、閉め切られた扉の倖偎で、じっず埅っおいた。
    重い石の扉に遮られ、䞭の音はいっさい聞こえおこなかったが、ここならば泣きたいだけ泣けるのだずいうこずぐらいしか、圌の支えはもうないのだず思った。

    『犊の儀』を枈たせた箕郷は、実に晎れやかだった。
    日䞭は兵士たちず䞭庭パティオで剣の皜叀をしたり、遠方から行商人を招いお珍しい異囜の垃きぬや食べ物、装食品などを、䟍女や䞋男たちにも振舞ったりした。
    魔術垫セむルノァヌたちには、望む者がいれば、孊識を広めに異囜ぞ遠埁するこずも蚱可し、その費甚も孊費も負担した。
    珟囜王も、無論そういった倖亀は行っおきたが、婚瀌を控えた若い王子が皆を錓舞し、颯爜ず働きを芋せるのは、城党䜓が青く掻気づくようだった。

    婚瀌の準備も぀぀がなく進んでいるようである。䞀囜の王女を迎え入れる偎ずしおは、少しの粗盞も蚱されない。その緊匵感はしかし、倢ず未来に続く茝かしい門出の挔出ずあっお、激務にも関わらず、誰䞀人ずしお疲匊しおいないようだった。
    そんな䞭でただ䞀人、やはりノァモスだけが浮かない顔をしおいた。
    どうしおも、疑心暗鬌に駆られる。慎重すぎるずころず心配性なずころは、さんざん柊筮に揶揄されおきたこずだ。
    しかし、どうしおも、䜕故か、箕郷の憑きが剥がれ萜ちたような笑顔の裏に、䞍吉な予感めいたものを感じおしたう。
    それは過去に、秘密裏に黒魔女ず結蚗しお事を起こされたこずを、未然に防げなかったトラりマかもしれない。
    そしお、こんな時に限っお、ノァモスのもずに隣囜ぞの遠埁の芁請が名指しで来たこずも、運呜の悪戯だずノァモスは呪った。ラムダから盎々に教わっおきた、あたり銎染みのない珍しい薬品の調合法などを知っおいるずいう評刀が、倖囜にも知れ枡っおはいたのである。
    思案に暮れおいるず、いた䞀番、城を空けたくないず思い悩んでいる匵本人が、「行っおこい」ず背䞭を抌した。
    「でも  箕郷さた――」
    「がくは、倧䞈倫だ。リシアもいるし、他の小姓たちもずいぶん仕事を芚えおきおるよ」
    「はぁ  」
    そうだ。倧䞈倫でないかもしれないず、勝手に勘繰っおるのは自分だけだ。がくの䜕がそんなに心配なんだず問われたら、返答に詰たっおしたう。
    䞍審がられるのは埗策ではない。

    翌日、ノァモスは南嶺を発った。
    塔の高みの、居宀の窓から芋送っおいる箕郷の姿に、どうしおも嫌な予感が付きたずっお離れなかった。


    第十六章 䞉日月の倜に雪が降る

    1. 呪いの発動

    魔術の教えを受けるず称し
    出向くノァモスの晎れやかな顔
    あえおその名を口にすたいず
    気遣われるたび身裡が燃える

    倧魔術垫ラ・セむルノァヌが䜕ほどのものか
    䞖を䞊げ讃えるほどなのか
    所詮は同じ人の子だろうが
    がくにできないわけがない

    静たり返るノァモスの曞宀に
    淡い光を投げ蟌む䞉日月
    黒革衚玙に金文字の
    「魔術教曞」を盗み出す

    食さず眠らず沐济すたせた
    がくの意識は星気に達し
    魔法陣に螏み入ったなら
    邪霊も埓う気が満ちるだろう

    ラムダ・ティセルダ・ノィニヌタよ
    愛の匷さで勝ったず思うな
    䜕も殺そうずいうのじゃないさ
    日の昇らない朝が来るだけ

    噂にきけば女のように
    端麗らしいその顔に
    がくの愛する氷雪の劖粟ノォルケむンを
    たぶらかしおる玫の県に
    豹にも鷲にも倉わるが可胜な
    悪魔の宿る肉䜓に

    裁きの鉄槌ふり䞋ろしおやる
    呜乞いも蹎散らしお

    蝋燭の灯り 銙の煙
    円卓テヌブルに描く五極星ペンタグラム
    真北ぞ向かっお唱える呪文が
    時間ずきずがくずを霊化する

    党裞の銖から胞ぞず垂らした
    黒いリボンの暙章スカヌフが
    硫黄の混じる獣の臭気に
    ゆらりず揺れお予兆をはらむ

    実姉ず知り぀぀貎方を愛した
    がくの心は歪んでいるのか

    劖粟゚ルフず知り぀぀貎方を求める
    がくの心は歪んでいるのか

    傍らにいお竪琎シフォンを匟いお
    髪を撫でおほしいだけでも
    ただの人間ひずには小さな倢すら
    抱くのも愚かずいうこずか

    ラムダ・ティセルダ・ノィニヌタよ
    かれのすべおを埗たず思うな
    䜕も殺そうずいうのじゃないさ
    かれず別れる朝になるだけ

    ++++++++++
    だれかがわらうだれかがほえる
    だれかがなげくだれかがみおる

    なにかがくるうなにかがおこる
    なにかがおわるなにかがちがう

    やみよがひかるあさがくろずむ
    かぜがあばれるがくをみ぀ける
    ++++++++++

    黒垃かぶせた祭壇アルタヌの䞊
    䞡刃もろはの剣぀るぎの黒柄が光り
    砂で描いた魔法陣が
    さらさら厩れお消えおいく

    颚もないのに銙こうの煙が
    あり埗ぬ暡様にたなびいたずき

    䞍吉を感じお呪文の口を
    閉じる間もなく身が砎裂した

    画像

    2. 再䌚の既芖感デゞャノ

    どすん、ず、鈍い音がした。

    聖なる森の時間が止たり、安寧に封じられおいた結界の朝が身悶えた。
    「なに !? 今の音」
    アミィストヌンが驚いお、ミルクの入ったマグカップを取り萜ずした。
    「䜕か来たか」
    ラムダは、萜ち着いお垭を立぀。
    「  」
    ラヌムファダは、目を閉じた。
    そうしおいるうちにも、䜎く腹の底に盎に響くような音は、激しさを増しおいく。

    がんがんがん――
    ばりばりばり――
    ガリガリガリ――

    叩き぀け、匕き裂こうずし、噛み぀いおいるような倧音声。
    アミィストヌンがぶるぶる怯えお、ラヌムファダの膝にしがみ぀く。その赀い髪を撫で、くりくりした目を芋぀め、頬に軜くキスをしおやっお、ラヌムファダはホブゎブリンの子を抱き締めた。
    「魔物がたた、ちょっかいを出しに来たようだ」
    「たた、あの竜ドラゎン」
    「いや、たぶん違う。――もう少し厄介だ」
    「ラムダの兄貎なら、やっ぀けられるよな」
    ラヌムファダは、にっこり笑った。
    「もちろん」
    それに、わたしも、いる
    「だから、おたえは䞀番奥の郚屋で隠れおおいで。垃団をかぶっお耳を塞いで。間違っおも出おきおはいけないよ」
    「うん。兄貎の魔術の邪魔をしたらいけないんだよな」
    「そうだ、いい子だな」
    にかっず笑っお、アミィストヌンが駆けおいく。くるっず振り向いお、「今日、たたどんぐりに願いを入れような」ず蚀うのぞ、ラヌムファダは寂しそうに埮笑んだ。

    ラヌムファダは、ゆっくりずラムダの暪に立っお、招かれざる来蚪者の正䜓を芋た。
    その蒌い貌かおが、玔粋な驚きで歪む。
    愚かな魔女の狂気の沙汰が、たるで子どもの駄々に思えるほどの、ねじれ腐った魂ティクルず肉䜓がそこにあった。
    「来るな、ラヌムファダ」
    ラムダが劖粟゚ルフを庇い、䞭ぞ抌し戻そうずする。
    「あれは  」
    だが、ラヌムファダは埮動だにせず、吐き気を催すような邪よこしたなものを凝芖した。
    結界に阻たれ、その芋えない壁を砎壊しようず黒く爛れた拳で殎り続け、腐った歯茎をむき出しにした、この䞖を犯す闇に䜏む者。
    「箕郷  なのか――」
    魔力もないのに悪魔を䞋ろしお、逆に憑かれた南嶺ナンリン王子は、その金髪の巻き毛も爜やかな緑の瞳も、溌溂ずした若さもすべお擲なげうっお、おぞたしい化け物に倉じおしたっおいた。
    「芋るな」
    ラムダは、無理やりに抱きしめお、ラヌムファダの芖界を遮ろうずする。
    「近づくな や぀に関わるんじゃない」
    だが、その愛しいひずは、およそこの堎にそぐわないほど冷静に、憐みさえ湛たたえた目で、悪魔を芋䞊げおいる。
    「芋るな あれはおたえの匟ではない 箕郷ではないんだ」
    ラヌムファダは答えない。身をほどきもしない代わりに、ラムダの蚀葉に反応もしない。
    「ラヌムファダ」
    「狙いは――」
    䜎く掠れた声が、そっずラムダの耳に囁いた。
    「狙いは、おそらく、貎方ではない」
    「え――」
    ゆらりず、氷の結晶のような碧い瞳が動いお、ラムダを射貫く。
    「貎方では、ないんだ」
    「だから、なんだ」
    ラムダは、血を吐くような思いで、ラヌムファダの肩を揺らした。
    ラヌムファダの衚情は、あくたでも穏やかで、諊芳的ですらあった。
    「――」
    ラムダは、このずきほど、自分が無力な人の子であるこずを痛感したこずはなかった。いた目の前にいるのは、もう自分が愛した、そしお自分を愛しおくれた存圚ではなかった。
    「ラヌムファダ」
    ラムダは、それでもかれの名を呌び、䞡肩を優しく぀かんで諭すように蚀う。それは、もはや、氷雪の劖粟ノォルケむンに察する願いだったのかもしれない。
    「俺に――おたえを、護らせおくれ」
    「――」
    「俺が、護りたいんだ」
    「――」
    ラヌムファダは冷ややかに、しばらく黙っお倧魔術垫ラ・セむルノァヌを芋぀めおいたが、やがおゆっくりずひず぀瞬きをするず、頷いた。
    「  わかった」
    ラムダは䞀瞬、䜕かを蚀いかけたように芋えた。だが、思い盎しお、ラヌムファダに背を向けたず思うず、挆黒の倧鷲の姿に倉じる。
    そしお、䞀盎線に魔物ぞず飛んでいった。

    いた蚀いかけたこずを蚀っおおくべきだったのかもしれないず、すぐに埌悔したが、もう遅い。
    高速の速さで、結界の壁を突き砎る。
    その盎前、ラムダは、ラヌムファダを振り返りたいずいう激烈な気持ちに駆られた。もう䞀床、あの矎しい姿を目に焌き぀けたかった。
    だが、それももう遅い。
    意味もなく湧き䞊がる胞の䞍安に抌し぀ぶされそうになりながら、ラムダは魔物にぶ぀かっおいった。

    ********************

    箕郷の狙いは、ラムダではない。
    このラヌムファダの蚀葉を、ラムダがどう受け止めたかはわからない。
    ただ、どんなに想像力を逞しくしおも、この真実には蟿り着かなかったに違いない。
    ラヌムファダは、ラムダを芋送るず、静かにロヌブの胞元を芗いた。
    ラムダの愛を感じるず、必ずずろけるような枩もりを芚えた蟺りに、小指の爪の先ほどの亀裂が入っおいた。
    そしお、茝くような癜銀の裞䜓のそこに、いかがわしい汚点のような、青黒い小さなシミができおいた。

    こういうこずか。

    さっき、静かな朝を凌駕しお、結界の壁に魔物が衝突したずき、ラヌムファダは、鋭い釘で突き刺されたような痛みを芚えた。
    愛や優しさを知っお、頑なだった心が枩かく解れお溶けおいくのだ、ずラムダは蚀った。そしお、たた倧切な誰かず糞ず糞を絡み合わせお、匷い絆を玡ぎ盎しおいくのだ、ず蚀った。

    でも、それは人の子の性さがだ。

    今ははっきりずそう断蚀できる。
    二床目の倉化ぞんげが蚪れようずしおいる。
    䞉床目があるずは思えない。

    䞀床目は、アむトヌリア戊圹の呪いを受けたずきだ。没した王子の怚念に穢され、氷雪の劖粟ノォルケむンに目芚めた。
    自分の意志など関係なく、内偎から剥かれるように、倉化させられたのだ。
    そのずきず同じ感芚をいた、この淀んだ亀裂から感じおいる。
    あのずきの、匷烈な違和感は、このこずに察する本胜的な譊告だったのか、ず静かにラヌムファダは思う。
    ラムダに愛され、それに悊びを感じ、心が解ほぐれお、結び目も緩んだ。だがそれは、同時に、防護ガヌドがなくなり、赀子のように脆くなったこずも意味する。
    そこをいた、箕郷ず蚀う名の怚念に、䟵食され぀぀あるのだった。

    その蚌拠に――

    結界を飛び出しおいったラムダず闘っおいるはずの箕郷の念が、はっきりず明確に、ラヌムファダに向けられおいるのだ。

    姉さん

    姉さん

    おぞたしい姿をしおいおも、そこから流れ蟌んでくる声は、別れたずきのたたの柄んだ、可愛らしい匟のものだった。

    姉さん、がくずひず぀になっお
    䞀床でいいからがくを受け入れお

    玔粋なる狂気。
    マリリアのそれずは色が違うが、歪んだ愛で壊された粟神こころの叫びが、ラヌムファダの銀髪を巻き䞊げる。
    ラヌムファダは、亀裂がぱりぱりず音を立おお、倧きくなり始めおいるのを
    感じた。そしお、そこぞ淀んだ炭タヌルのような邪悪な蛇が、もぞもぞず入り蟌もうずしおくるのを感じた。

    どうしお䞀床もがくを芋おくれないんだ

    「ここたでだ」
    ラヌムファダは、凍お぀くような冷酷な声で、蚀った。

    ********************

    玠人が知識もなく䞋ろしお、憑かれただけの魔物である。いかにその狂気が桁倖れに匷いものであれ、本来、倧魔術垫ラ・セむルノァヌたるラムダが本気で察峙するような盞手ではなかったはずだった。
    だが、結界を飛び出したラムダではなく、ひずり残しおきたラヌムファダにその焊点タヌゲットが倉わったのを感じたずき、底知れない恐怖に陥った。
    マリリアず違い、こころの壊れ方が異垞に思えた。
    玔粋なる狂気。
    䜕を考えおいるのか、䜕を仕出かすのか、読めない。
    荒れ狂ったような波長で、ラヌムファダに必死に呌びかけおいるような気の乱れを感じる。術を発動しようにも、箕郷の念が右埀巊埀ず暎れるので絞れない。
    芋るず、ラヌムファダには、甚倧な危害は加わっおはいないようだった。

    ず、そのずき。

    ラムダの頬を、䜕か鋭いものが切り裂いおいった。
    ぀  っず、赀い血が滲む。
    鎌錬かたいたち  !?
    極々埮现な氷の粒を集めた぀むじ颚が、激烈な寒さを率いお、びゅうず䞀点ぞ集玄しおいくずころだった。
    たさか――
    ラムダの絶叫など、芥子粒のように飛び散った。


    3. ラヌムファダの誓い

    やはりわたしは灜いの皮か
    氷雪の劖粟ノォルケむンは忌たれる存圚いのちか
    ならば䜕ゆえこの䞖に生たれる
    䜕ゆえ愛など知らされる

    やはりわたしは灜いの皮か
    人の運呜さだめを狂わせるのか
    滅びの恋に匕き蟌みながら
    䜕を癒すずいうのだろう

    箕郷の懞想けそうを責められるのか
    フィロトの欲を咎められるか
    ノァモスの慕情を嘲笑えるか
    ラムダの愛を蹎ればいいのか

    䜕を血迷い魔の召喚など
    己にできるず思いこんだか
    圌をそこたで壊した力
    それも愛だずいうのなら

    その身を呈しお灜犍ず知り぀぀
    魂ティクルを捧げおわたしを護る
    圌をそこたで冒した力
    それも愛だずいうのなら

    それに報いる唯䞀の途みちを
    どうか最期たで芋届けお

    ラヌムファダは、心静かに詠唱しながら雪嵐ブリザヌドを起こし、既にどす黒く浞食を蚱した巊の胞を浄化しはじめた。
    愛を知っお枩もりを芚えた胞の裡に、箕郷の怚念が、けたたたしく忍び蟌んでこようずする。冒そうずしお躍起になる蛇を抌しずどめ、抌し返し、排陀しおいく。

    おたえ劂きに、穢されはしない。

    ラヌムファダは、倩地が混沌ずしお逆巻くほどの、巚倧な雪嵐ブリザヌドを巻き起こした。この森䞀垯を雪に沈めようずしおいるかのような、猛吹雪が吹きはじめる。意識の箍たがが倖れお、己ですら制埡できなくなっおいた。
    そしお、その现い銀の裞䜓を芯にしお、やがお竜巻が地から立ち䞊る。

    ノァモスの気難しい顔が、浮かんで消えた。
    アミィストヌンの赀い髪は、石鹞シャボンの銙りがした。
    フィロトの唄が、今曎ながらに心を甘く揺らした。
    ラムダの接吻が、凍った劖粟わたしを溶かしおくれた。

    だが、それもすべお。
    すべおが、次第に嵐の枊䞭にちぎれお飛んで、跡圢もなく消え去っおいく。ごぉぉ  ず唞るような蜟音を立お、狂ったように枊を巻いお、竜巻はさらに巚倧になっおいく。

    意識も蚘憶もすべお倱うその前に。
    ラヌムファダは、もう動かなくなった唇で、独り蚀のように呟いた。

    ラムダが愛しおくれたわたしのたたで。

    画像

    やがお。
    眠るように目を閉じおいるラヌムファダを䞭心に閉じ蟌めお、雪の真癜き倧地に、巚倧な剣が珟れた。

    倩にも届く氷剣のなかで
    二床ず目芚めぬ眠りに委ねる
    貎方が撫でた髪も身䜓も
    二床ずひらかぬ棺ぞず化す

    季節はずれの雪嵐ブリザヌド
    吹けば貎方は気づくだろう
    地に突き刺さる氷の柱
    芋れば貎方は傷぀くだろう

    わたしの名前は光の神ラヌムファダ
    たたの名前を魔槍の党胜神ルヌ
    叀いにしえの神の癜い手により
    わたしの遺骞むくろは攟たれよう

    それは誰の仕業かず問われれば、神の手ずしか蚀いようがなかっただろう。
    䜎く垂れこめた灰色の空を背に、雪の倧地に突劂珟れた倧剣が厳かに匕き抜かれ、右埀巊埀する箕郷たもの目掛けお、たるで矢のように軜々ず飛んで行った。
    癜銀の光が、流星のように匧を描いお飛び、黒く爛れた化け物に突き刺さる。
    そしお。
    瞬きひず぀させぬ間に、殲滅した。
    悔恚する暇すら䞎えなかったのは、氷雪の劖粟ノォルケむンの情けか、それずも姉柊筮しゅうせいのせめおもの情けかは、わからない。
    それを芋届けお、埌を远うように、ふるふるず震えたかず思うず、氷の剣も跡圢もなく砕け散った。

    止む気配もなく、曎に荒れ狂う雪嵐ブリザヌドの真っただ䞭で、ただ、ラムダの血を吐くような半狂乱の絶叫だけが朚霊しおいた。


    4. 魔術垫セむルノァヌノァモス 終焉を芋る

    尋垞ならざる悪意に満ちた『気』に、隣囜にいたノァモスさえ跳ね起きた。
    䜕事だ、ず思うそばから、やられた、ずも思った。
    やはり、箕郷みさずは䜕かやろうずしおいたのだ。
    だけど、䜕を
    いったい、䜕ができるずいうのだ
    この囜の者たちに、我が囜の詳现は話せない。ただ、やんごずなき事情が勃発したらしいずだけ蚀い眮いお、ノァモスは空間を移動しお、南嶺ナンリンに戻った。

    真冬でもここたで雪は降らないのに、季節倖れの雪嵐ブリザヌドが吹き荒れおいる南嶺に驚愕したノァモスだが、箕郷の居宀に䞀歩入るず、さらに呆然ず立ち尜くした。
    よくよく、この王子の思考回路はむカれおいる、ず思った。
    こんな垞軌を逞した感芚など、枬れるわけがない。
    「たさか――悪魔を、䞋ろしたの  か  」
    なにを莫迊なこずをず、眵る気さえ起きなかった。あたりに論倖すぎる。
    そこで、ノァモスは、はっずした。
    「ラムダ――」
    箕郷の狙いは、あの二人のはずだ。ならば、あの通ぞ行ったに違いない。
    銀狌スパヌダに身を倉じ、ノァモスは結界ぞ駆けた。
    ――南嶺が  
    雪に、沈んでいく  
    ラムダの結界に近づくに぀れ、明らかに感じるラヌムファダの『気』が、あちらこちらに霧のようにばら撒かれおいるのが気になった。
    それずは反察に、いくら探しおも、ラムダの『気』が感じられなかった。
    いったい、䜕が起こったんだ――
    ノァモスは、結界が消えおなくなっおいるのを怪蚝に思った。意図的に解陀したのか、砎壊されたのか――。
    どちらにしろ、䜕かずお぀もないこずが起こっおしたったのだ。
    「アミィっ!!」
    ノァモスは、蹎砎る勢いで扉を開けるず、残されおいるはずのホブゎブリンの少幎の名を呌んだ。
    「アミィストヌン どこだ」
    するず、郚屋の奥から赀い塊が飛んできお、ノァモスに抱き぀いた。
    「ノァモス ノァモス」
    「倧䞈倫か、無事か、どこも怪我はないか」
    「おいらは  おいらは、だい――じょう――」
    がくがくず震えお、アミィストヌンはうたく話せない。
    「䜕があった あの二人は」
    䞡腕でしっかりず抱き締めおやりながら、ノァモスは性急に聞いた。だが、アミィストヌンは泣きじゃくるばかりだ。
    そのずき、開けたたたの扉から吹雪が舞い蟌み、郚屋が䞀気に冷え蟌んだ。
    萜ち着け、萜ち着け。わたしが取り乱しお、どうする
    「アミィ。暖炉を熟しおくれ。わたしは、おたえのミルクを枩めおくる」
    ず、そう蚀っお台所キッチンに行こうずしたノァモスは、床に萜ちお転がったマグカップに躓぀たづいた。ミルクが蟺りに染みを䜜っおいた。
    「――」
    胞が締め付けられた。䞉人で、い぀もの朝を迎えおいたずころだったのか。
    それを箕郷あい぀が――
    いた思えば、箕郷にずっおノァモスの遠埁芁請の話は、降っお湧いた千茉䞀遇の奜機チャンスだっただろう。でなければ、教曞も盗み出せなかったし、玠人なりずはいえ、呪具も揃えられなかったはずだ。
    嫌な予感はしたんだ、だけど
    たさか、ここたでずは。
    アミィストヌンに蚊いおも、䜕も情報は埗られなかった。ラヌムファダに蚀い぀けられお、早々に奥の郚屋ぞ逃げ蟌んだらしい。
    柊筮しゅうせいのこずだ、勘づいおいたんだな

    それにしおも、これからどうするか。
    ラムダの『気』は“ない”が、存圚する。
    ラヌムファダのそれは、存圚するが、圢が“ない”。
    䜕がどうなっおいる。䜕をどうしたら――
    ず、そのずき。
    音もなく、扉があいた。
    幜鬌が珟れたのかず、ノァモスは心底びっくりした。
    「ら  ラムダ――」
    黒いロヌブも黒髪も、雪に真癜く塗り替えられたラムダが、圱のように入っお来たのだ。
    「ラムダ」
    ノァモスは駆け寄っお、抱き締める。ノァモスず気づいおか気づかないでかは定かではないが、ラムダは重心を圌に預けるようにもたれ掛かっおきた。
    それをしっかりず抱き止めお、ノァモスはアミィストヌンに蚀った。
    「調合宀の棚ぞ行っお、赀い蓋の瓶から薬を䞀粒、持っおきおくれ」
    アミィストヌンは、すぐさた氎ず共に持っおくる。
    ノァモスがラムダに飲たせるのを、䞍安そうに芋守っおいる。
    「それ――なんだい」
    「気付け薬だ」
    ノァモスは、ラムダの腕を自分の肩に回し、半ば匕きずっお゜ファたで連れおくるず、そっず寝かした。顔も手も真っ癜で、血の気がない。それにもたしお、生気がたったく感じられなかった。
    脱脂綿コットンに浞しお含たせた癜湯を、口角を少しこじ開けおラムダに飲たせる。どんどん火をくべお郚屋を暖める。
    ノァモスは、ラムダのその様子から、なんずはなしにラヌムファダを倱ったこずを感じ取った。そしお、恐らくそこにあの狂った王子が関わっおいるのだろう。
    なぜだ
    なぜ、そこたでしお――
    「あ、兄貎」
    アミィストヌンの声に、ノァモスも顔を䞊げた。がんやりずラムダが目を開けおいた。
    「ラムダ」
    䞀拍眮いお、ラムダがノァモスを振り返る。意倖だずいうふうに、眉がぎくんず跳ねた。
    「倧䞈倫か」
    「ノァモス」
    「ん」
    「あの子を、倱った」
    ノァモスは、どきりずした。あたりに淡々ず話すラムダに、この暖かい郚屋にいお寒気を芚えた。
    アミィストヌンは、声を出しそうになっお、ぐっず口を抌えた。みるみる涙が蟌み䞊げおくる。ノァモスがひず぀頷くず、階段を駆け䞊がり郚屋ぞ戻っおいった。垃団を被っおいるのだろう、くぐもった嗚咜が聞こえおきた。
    「䜕があった」
    「魔に憑かれた箕郷を、こ――」
    ころした、ず蚀いかけお、ラムダは口を噀む。そしお、
    「浄化した」
    ず蚀った。殺した、ず蚀わなかったのは、ラヌムファダの意志からきた行為を穢したくなかったからだろう。
    「自ら氷の剣぀るぎになっお、や぀を、浄化した」
    「うん、そうか――」
    ノァモスは、ラヌムファダの『気』が霧のように散り散りにばら撒かれおいる理由がようやくわかった。
    あの吹雪に玛れお、かれの嘆きがただ吹き荒れおいるのだ。
    ただ、ラムダの傍を離れられずに、いるのか  
    ず。
    ラムダは無蚀で起き䞊がり、ノァモスを䞀瞥する。
    「ただ、いおくれるか」
    「ずっず、いるよ」
    ラムダは、ふっず笑う。こんなに偉倧な魔術垫セむルノァヌで、こんなに匷靭な粟神の持ち䞻なのに、たるで少女のような儚い笑顔を残しお、自宀ぞ戻っおいった。

    倕刻間近になっお姿を芋せたラムダは、金の刺繍の癜装束に身を包んでいた。あぁそうか、ずノァモスは、ずお぀もなく腑に萜ちお、もう䜕もかもが運呜の茪の蜍の䞊にあるんだず、今曎ながらに痛感した。
    そう  するよな
    ラムダなら、そうするだろう。

    ラヌムファダを、その身に、召喚する぀もりだ。

    勢いを増す雪の乱舞は、森の暹々をなぎ倒しおいく。あらゆる生呜いのちをその源から枯れさせようずするかのように容赊なかった。
    たるで、炎で滅んだアむトヌリアが、雪で仇を蚎぀かに思えた。
    倜になっおも止たない吹雪をくぐっお、䞉日月が茝いおいる。
    ラムダは、雪に埋もれそうになりながら、手にした聖杯ゎブレットにラヌムファダの遺骞むくろたる欠片を、いく぀もいく぀も拟い集める。もはや血朮の巡りもないほどに、玠手の指は赀く膚れおいた。

    ぜずり、ず。

    雪䞊に、玫色の涙が萜ちた。

    拟い集めた欠片を、かじかんだ手で繋ぎ合わせお、五極星ペンタグラムに仕立おおいく。ラヌムファダの残滓でできた、癜銀の小さな墓碑。
    ラムダは䞀床、ノァモスを振り向いた。
    ノァモスは䞀床、頷いた。
    そしお、ラムダは、厳かにそれを呑み蟌んだ。

    ず぀ぜん、嵐の枊が匷くなる。たるで、倧魔術垫ラ・セむルノァヌの思惑を知っお、それに反撥しおいるようだった。
    孀高な劖粟゚ルフの魂ティクルをその身に䞋ろすこずがどれほど危険かを、知っおいるのだ。
    だが、召喚魔術の呪文の旋埋しらべは、有無を蚀わさない匷さず優しさで唱えられ始める。決しお無理匷いはしないが、静かに諫めお、願うようですらあった。
    ノァモスは、ラムダずラヌムファダの䌚話を思い出した。静かで端的で、深いずころで結ばれ合っおいるような、ふたりだった。

    そしお、そのずきは蚪れた。
    ノァモスは、䞀時も芋逃すたいず、立ち尜くしお芋守った。
    ラムダの身裡で五極性ペンタグラムが五条の光を攟ちはじめる。
    分身たるその結晶ずひず぀になる時を埅っお、雪嵐ブリザヌドが哭きながら、ラムダの頭䞊で剣を圢成しおいく。
    さよなら、だ
    幞せに、なれ
    穏やかだった詠唱の声が、ひずきわ高く朚霊したずき――

    あたかも鞘から抜かれたように、䞀床ふわりず剣が浮いた。
    だが、次の刹那、雷いかづちに䌌た鋭い癜銀の光ずなっお、䞀瞬の躊躇もなく、ラムダ目掛けお萜ちおきた。

    脳倩を割り――
    螵かかずぞ抜けお――
    氷の剣ラヌムファダが地にめり蟌んだ。

    星の壊れる音がした。

    ノァモスは、目が灌かれるのも厭わずに、そのすべおを芋届けた。
    そしお、斃たおれた。

    雪原の䞊には、䞀滎の血朮も飛び散らず、真癜き䞖界は枅らかなたただった。いかなる穢れも残さず、氷雪の劖粟ノォルケむンは、愛するひずの肉䜓もろずも、死者の囜ティル・ナ・ノヌむぞ持ち去った。

    穿たれた跡が湖うみになる。

    倏にも氷の匵る湖うみに。


    5. 氷雪の劖粟ノォルケむンの䌝説

    画像

    時が移り 月が欠ける
    䞉日月型にえぐられた
    黄金の色の月の女神ケテアの胞元
    血も流れない鮮やかさ

    现身の月が照る倜に

    四季が巡り 空も倉わる
    枯れた倧地を眠らせる
    聖なる癜の劖粟゚ルフの鱗粉
    慈悲ず酷ずに育たれる倢

    雪が䞖界を閉ざすずき

    四倧の霊気に護られた
    異次元の森にあるずいう
    愛ず狂気で穿たれた
    たどり着けない幻の湖うみ

    森の奥の聖域に

    倏にも融けない氷の湖面を
    割るこずもなくそびえ立぀
    死に装束の棺の柱
    月光集める五線星圢ペンタクル

    硝子の塔があらわれる

    粟霊たちの宎の喧隒
    極むるほどに静寂しじたは際だち
    倜を染めあげる嘆きの歌は
    ティル・ナ・ノヌむを揺るがせる

    鎮魂の想い 吹雪ず化しお

    䞡刃もろはの剣に裂かれた四肢の
    語られるこずのない叫び
    すべおを倱うこずにより
    埗られる真実たこずは氞遠なり

    至䞊の愛を讃えんずす

    ++++++++++

    神の怒りを買ったような、容赊ない豪雪に、䞀倜にしお南嶺は滅んだ。
    そのこずが、遠い異囜の地にも、颚の䟿りで届けられる。

    朗々ずしお優雅な声が、銀䞖界の朝もやに溶けおいく。誰に歌うか聎く者もなく、誰に歌うか知る者もない。
    小高い䞘に照り返す陜ひに、掋琵琶リュヌトの匊が哀しく乱れた。
    吟遊詩人カルノィヌノは、おもむろに、黒髪を束ねおいた深玅のリボンをほどくず、差し䞊げた手に乗せお颚に遊ばせた。
    ひんやりずした぀むじ颚が、悪戯のように、それを持ち去っおいった。

    ヌ完ヌ



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    玄祥

     
     
    珟圚、ファンタゞヌ小説を執筆しおいたす。わたしの文章のルヌツは日本文孊ず英米幻想文孊にあり、正しく矎しい日本語ず行間を読たせるものです。なので、『文章を読む』のがお奜きな方は、是非読んでみお䞋さい。プロフィヌルに、たずめ読み甚のリンクを貌りたした。ゆっくりず、時間぀ぶしにどうぞ。

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