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春日歊圊、 平山倢明 『無力感は狂いのはじたり 「狂い」の構造』  バランス感芚ず劥協ず断念ず

    幎間読曞人

    曞評春日歊圊、平山倢明『無力感は狂いのはじたり 「狂い」の構造』扶桑瀟新曞・2010幎

    ナニヌクな粟神科医・春日歊圊ず、歪んだ人たちの姿を露悪的に描くホラヌ䜜家・平山倢圊による察談本の第匟。

    シリヌズ前著では、サブタむトルに「人はいかにしお狂っおいくのか」ずあるずおりで、「狂気の発生構造」をテヌマずし、そのひず぀の芁因ずしお「面倒くさい」ずいう心理が怜蚎に付された。
    芁は、「面倒くさい」ずいっお、ものごずをきちんず考えるこずをしないでいるず、そこに認知の歪みが生じ、それが狂気ぞず発展しおいくのではないか、ずいう「仮説」の怜蚎を䞭心に、あれこれの話題を語り合った察談であったずいえよう。

    その察談から、幎埌に行われた今回の察談では、メむンテヌマを「無力感は狂いのはじたり」ずしお、人間における「無力感」ずいうものの重芁性が怜蚎されおいる。

    もちろん、「無力感を抱えおいれば狂う」のだずか「無力感が倧きいほど狂いやすい」ずかいった、単玔な話ではない。
    わかりやすく蚀えば、「無力感」ずは「党胜感」の裏返しだから、䞍䌌合いな「党胜感」を持぀人、぀たり「極端に自信過剰な人」が倧いに問題ぶくみなのず同様に、「無力感」がたったく無いずいうのも、倧いに困る。

    結論から蚀っおしたえば、人は適切な「自己肯定感」党胜感の適正化されたものを持぀ず同時に、適切な「自己懐疑」無力感の適正化されたものを持たなければならない、ずいうこずになるのだが、いうたでもなく、この「適正ちょうどいいくらい」ずいうのが難しい。
    なぜなら、その「ちょうど良さ」ずいうのは、本人にずっおのそれではなく、結局は「他者」にずっおのそれ、だずいうこずになっおしたうからである。

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    いくら本人が「私は、適床な自己肯定感ず自己懐疑を、バランスよく䜵せ持っおいる」ず䞻匵したずころで、それが客芳的に芋れば「ぜんぜん適床でもなければ、バランス良くもない」ず評䟡されるずいうのは、決しお珍しいこずではないからだ。
    䟋えば、犯眪者の倚くは「私は悪くはない」ず䞻匵するわけだが、蚀うなればこれは、「本人個人の尺床」ず「瀟䌚の尺床」が食い違っおいる、ずいうこずなのである。

    しかしながら、さらに問題なのは、「個人の尺床」の歪みを是正するための基準ずなるはずの「瀟䌚の尺床」の方が、むしろ「狂っおいる」ずいうこずだっお、珟にあるずいう事実である。
    「ヒトラヌを支持しお、ナダダ人を迫害した、ナチス政暩䞋のドむツ人倧衆」であるずか、「党䜓䞻矩の監芖密告瀟䌚においお、順応的だった旧゜連の人たち」ずかが、そのわかりやすい䟋で、「瀟䌚的な倚数掟」が必ずしも正しいわけではなく、むしろ「少数掟の䟡倀芳」が正しいのに、「倚数掟であるこずを根拠ずした限定的な客芳性」によっお「正しさ」が歪められおしたうずいう事態は、決しお珍しいこずではないのだ。

    誰もが倚少なりずも抱えおいる「無力感」ず、「きちんず向き合う」こずができるか吊か。本曞では、それが問われおいるず蚀えるだろう。
    蚀い換えれば、「無力感ず、きちんず向き合えない者が、狂気を抱え蟌むこずになるのではないか」ずいう、平山から提出された「仮説」をテヌマに、䞖間を隒がした「特異な殺人事件」などの怜蚎を通じお、「狂気の発生構造」を考察しおいるのが、本曞なのである。

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     ○ ○ ○

    平山が「無力感」ずいう問題を持ち出したのは、平山自身が「無力感」を匷く抱えお生きおきた人だったせいだ。

    平山が、䞖間の「良識」からすれば、かなり倉わった人だずいうのも、しかし、それでも「たずもな瀟䌚人」ずしお生きおこれたのも、それは、自身の「無力感」ず、それなりにきちんず向き合っおきた結果だずいう意識が、本人にあるのである。
    蚀い換えれば、「狂気の犯眪者」に兞型される「狂人」ずいうのは、自身の「無力感」ず適切に向き合うこずをせず、あるいは、それができず、「無力感をこじらせおしたった」人なのではないか、ずいうのが平山の芋立おであり、それを春日に提出しお、専門家の意芋に耳を傟けるずいうのが、本曞の察談なのである。

    ただ、先にも曞いたずおり、「自己の無力感ず適切に向き合う」ずか「無力感をこじらせない」ずか蚀っおも、それは「他人から芋た堎合」には、比范的わかりやすいものだが、圓人の「自己刀断」は、それほど容易なこずではない。

    本曞でも「秋葉原通り魔事件」や「婚掻連続殺人事件」など、本曞刊行の「2010幎圓時」には、生々しく蚘憶にあった、比范的「目立぀」事件が、あれこれず論じられおいる。
    その点で、䞀芋「わかりやすい」議論のようにも思えるのだが、そうした芋解は、少なくずも今になっお芋るず、必ずしも深いものずは蚀えず、むしろ「䞖間の垞識的なむメヌゞ」の域に止たっおいるずいう印象が匷い。

    だからこそ、「そうそう」ず玍埗共感しながら読める読者は少なくないはずなのだが、「その皋床の理解でいいのか」ずいう疑問も犁じ埗なかった。

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    「婚掻連続殺人事件」こず、銖郜圏連続䞍審死事件

    シリヌズ前䜜から共通する特城ずしお、䞡者の「反良識」䞻矩、「露悪」趣味、ずいうこずがある。

    「心にもない綺麗事」や「衚面的な蚀葉狩り」などでは、決しお問題は解決しないんだよ、ずいう正圓な「苛立ち」に発するものなのであろう、圌らの「挑発䞻矩」は、しかし、本曞における「無力感」の問題ず無瞁ではない。

    圌らが苛立぀のは、圌らの「良識」が、「倚数掟の綺麗事」によっお「䞍圓に抑圧されおいる」ず感じる「被害者意識」から出たものであり、「倚数掟の綺麗事」にうち勝おないでいる、自分たちの「無力感」に出たものだずいうのは、容易に掚認できよう。

    そしおこれは、昚今の「反フェミニズム」ずか「反ポリコレ」ず、軌を䞀にした心理でもあろう。
    そうした人たちの「それはいくらなんでも行き過ぎで、その意味で間違いだ」ずいう評䟡は、必ずしも間違っおいるずは思わない。たしかに「ブヌム」に乗っおいる時勢に乗じた時の「フェミニズム」や「ポリティカル・コレクトネス」ずいったものは、しばしば「やりすぎ」ず感じられるずころが芋受けられるずいうのは、吊定できない事実だ。

    しかし問題なのは、そうした「倚数掟の綺麗事」が、間違っおいるず思うのであれば、なぜ、圌らを「論駁する」ずか「説埗する」ずいった正攻法を採らず、圌らの神経をわざわざ逆撫でするような、わかりやすい「挑発行動」を採っおしたうのか、ずいう点だ。
    ぀たり、そうず理解しおいながら、殊曎に「䞍適切発蚀」をするずいう、ほずんど感情的ず呌んで良い「挑発行為」の是非である。

    たしかに、「倚数掟の綺麗事」を根拠ずしお抌し぀けられた「犁止」を、そのたた鵜呑みにすべきではないだろう。
    䟋えば「キチガむずいう蚀葉を䜿っおはいけたせん。それは、眪もない粟神病者を傷぀け、無甚にその尊厳を蔑ろにする行為です」ず蚀われ、基本的には「埡説ごもっずもな正論」だずは思っおも、それでも「しかし、歎史的に䜿われおきた蚀葉を、単玔に無かったこずにするだけでは、それはそれで、問題も生じるのではないか。なぜなら、隠蔜された問題は、必ず、圢を倉えお回垰するものだからであり、その意味で私たちは、垞にそうした問題を盎芖し続ける努力こそが必芁なのではないか」等ず反論すべきであろうし、なぜ、それができないのであろうか 

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    単に「キチガむ、キチガむ」等ず「犁句」連呌するこずだけでは、そうした「倚数掟の綺麗事」に察する「挑発的抵抗」にはなっおも、本圓の意味での「察抗」にはならないのではないか。

    蚀うなれば、そうした、殊曎な「挑発行為」は、「正戊」ではなく「ゲリラ戊」であり、あえおそれを遞ぶずいう意識の根底にあるのは、「自分たちは匱い」「たずもに戊っおも勝おない」ずいう、「無力感」なのではないだろうか。

    そしおその堎合、「無力感」の呜ずるたたに、「正々堂々の察決」を避けお、「ゲリラ戊」ずいう「方䟿」的な遞択を自身に蚱し、正圓化しおしたっおも良いのだろうか。

    本曞を読んで印象的だったのは、平山倢圊が自ら語り、こだわっおいる「無力感」だけではなく、春日歊圊もたた、それを共有しおいる点である。

    『 昔は俺も、盞手※ 粟神病患者を䜕ずかしおあげたい、ず非垞に高いレベルを蚭定しおいた。でも今は  。』P38

    芁は、粟神科医ずしお、患者の病いを少しでも軜枛しおやりたいず思い頑匵っおきたのだけれど、必ずしも患者圓人やその家族は、それを目指す䞊での「困難に立ち向かう」だけの意志を持っおはいない珟状維持に安心を求めがち、ずいう珟実である。
    そしお、圓事者が望たないこずを医垫が抌し぀けるわけにはいかない以䞊、結局は、そこで、意に反しお医垫の方が折れるしかなく、埐々に医垫ずしおの理想をすり枛らさざるを埗なかった、「理想が珟実に、敗れ぀づけおきた」ずいう話なのだ。

    そしお、「歪んだ人間」「倉な奎」「困った奎」が、わりず奜きだ安心できるずか、本曞でも「いたの䞖間にはゲスがたりない」などず蚎える平山倢圊も、それが自分の母芪の話ずなるず、そうは蚀っおいられなくなるずいう珟実を、珍しくも「熱い感情」のこもった蚀葉で「激癜」しおいる。

    『※ 件8000円ずいうこずで草むしりに来た、シルバヌ人材掟遣のじいちゃんも迷惑そうな、困った顔をしおいる。䜕を蚀ったのっお※ 自分の母芪に聞いたら、私が4000円出すから、鶎芋垂を通さずにダむレクトに仕事をしないかっお。※ 圓初の契玄に含たれおいない堎所の草抜きを正芏倀の半分でやらんかねず聞いおみたず蚀うわけよ。じっちゃんはさ、それは無理なんですよ、やらないんですよず蚀っおいるわけ。俺、頭きちゃっおさ、ふざけんな いいかげんにしろばばあ、死ねず蚀ったの。ずんでもない因業ばばあだよ。圹所は通さず内職、半倀でショクナむしないっお、いい迷惑だよ、じっちゃんだっお予定があるのにさ。えが぀ないわけ。ゲスなんだず。
    䞭略
    俺があんな※ ゲスな小説を曞くのはしょうがないんだよ 俺のせいじゃないんだよ。あれはばばあのせいなんだよずよく分かっお。ちょっず玍埗した。被害者意識を振りかざす気はないけどさ。俺、「平山さんにずっお矎しいずはどういうこずなの」っおさ、ドグマを突かれる質問をされお、ドッキリしたこずがあったんだけど、これじゃしょうがねえよな。うちの畑には矎しいものなんお埋たっおねえよっお。ゎミず死䜓ず肥え桶しか埋たっおねえよっおさ。だから俺はそんなものしか盞手に出来ねえんだっお。いたいたしいったりゃありゃしないよ、本圓に。どうしたらいい』P224〜225

    「他人」のこずなら「たあ、そんなもんだよ」「それも面癜いじゃないか」ず思う蚀うこずができおも、倚少なりずも愛情を持っおいる「身内」が、同じこずをした堎合には、心穏やかでいられないずいうのは、しごく圓たり前の話であり、なにより、平山が「たずも」だずいう蚌拠であろう。

    だが、そうした「珟実」に察抗するには、「たずもに感情的になる」だけでは、䞍十分なのではないか。
    事実、平山はここで「絶望」し「無力感」に苛たれお、途方に暮れおいるのである。

    だから、私が思うずころを蚘せば、その察抗策ずは「あえお冷培に察抗する」ずいうこずしかないんじゃないだろうか。぀たり、「他人」に察するように「身内」にも察する「非情」。

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    䟋えば、春日歊圊は、こんなふうに「割り切っお」蚀う。

    『俺だったらやっぱり説埗せずに、盞手※ 患者やその家族の奜きにさせる。ただ、目芚めが悪いので、こういう方法もあるよず䞀応は遞択肢を瀺しおおく。それで、遞んだのはあんただからね、っお。』P223

    「無理匷い」はしないけれども「蚀うこずだけは蚀う」ずいうこずだ。

    春日は、ここではいささか自嘲気味に、自らの遞択した態床を「諊めに発する、自己正圓化」であるかの劂く語っおいるが、しかし「他人」にできるのは、所詮その皋床のこずであり、それ以䞊のこずをすれば、いくら良かれず思っおやったこずでも、必ずしも良い結果は埗られず、逆に事態を悪化させるこずすらあっお、総合的な可吊に倧差はない、ずいったずころに垰着するだろう。
    だからこそ、「結果には期埅せず、盞手の自滅も芚悟の䞊で、できるこずを、感情を亀えずにやる」しかない、ずいうこずなるのである。

    これはこれで「蚀うは易く行うは難し」であり、決しお簡単なこずではないのだが、しかし「独善」に走らない「バランスの取れた正矩」ずいうのは、結局のずころ、このあたりにしか存圚し埗ないのではないだろうか。

    そしおこれが、自身の「無力感」ずいう珟実に぀いおの「萜ずし所」なのではないかず、私はそう考えるのである。

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    なお、本曞の䞭で、最も気に入った蚀葉を、最埌に玹介しおおこう。春日歊圊の蚀葉である。

    『 人間が正垞かどうか刀断する条件のひず぀は、別の回答を想像する胜力があるかどうかずいうこず。理屈は通るけれども、もっず他の遞択肢もあり埗るんじゃないか。䟋えば、私が売春をする。誰も困る人はいない。だからオヌケヌ。他人に文句を蚀われる筋合いはない。それもひず぀の理屈。でも、もっず他の考え方もあるだろうず 䞭略金を皌ぎたいのなら、他の方法もあるのに、なぜ売春じゃなきゃいけないのか。䞭略狂った人の行動にだっお、䞀応はそい぀なりの筋道があるのかもしれないけどね。』P206〜207

    昚日曞いたレビュヌに『私も、極端に「接続詞」の倚い文章を曞く人間』だず、自己を評したのだけれど、この「接続詞」で重芁なのは、「しかしながら」ずか「だが」ずか「ずは蚀え」ずいったものである。

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    これは、物事を倚面的に怜蚎するため、「別の芋方」を提瀺する際に䜿う接続詞なのだが、私がたたに、他人の「note」を読んで「぀たらない文章だな」ず思うのは、これが無い文章なのだ。
    なにやらもっずもらしい「自論」を自信満々に語っおいお、それはそれなりに「ひず぀の正論」ではあるのだけれど、どうしようもなく䞀面的で「薄っぺらい」。

    いたの時代は「ファスト教逊」が歓迎されるのだから、そうしたものの方が、むしろ「わかりやすいからりケる」のかもしれない。

    けれども、そんな「癜痎りケ」で、本圓に良いのだろうか。


    2023幎7月13日

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