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千葉雅也、 二村ヒトシ、 柎田英里 『欲望䌚議 性ずポリコレの哲孊』 〈畜矀〉的な争闘ぞの「人間的」介入

    幎間読曞人

    曞評千葉雅也、二村ヒトシ、柎田英里『欲望䌚議 性ずポリコレの哲孊』角川゜フィア文庫

    抜矀に刺激的で面癜い錎談である。なぜ、刺激的で面癜いのかずいうず、ある意味では、今の瀟䌚においお「最もホットでダバむ問題」を扱っお、忌憚のないずころを語り合っおいるからだ。

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    哲孊研究者の千葉雅也に぀いおは、これたでその著曞の䜕冊か぀いおレビュヌを曞いおきた。千葉は、面癜い芖点を提䟛しおくれる人ではあるものの、私からするず、やや「無難」に逃げおいるふしがあっお、その点を批刀するこずが倚かった。
    しかし今回は、これたでのような「䞀般的な哲孊のお話」ではなく、近幎「ゲむ」であるこずをカミングアりトした者の立堎からの発蚀をしおいお、そのかなり突っ蟌んだ物蚀いがほが無条件に面癜かった。

    二村ヒトシずいう人は、初めお知ったのだが、ポルノ映画監督だそうで、性にた぀わる問題を扱った゚ッセむ本などを出しおおり、そうした著䜜の評刀も良いそうだ。
    今回の錎談では、自分個人の意芋を出しながらも、基本的には、「ポルノ映画」ずいう「性」を扱う商売で食っおいる珟堎の人間ずしお、瀟䌚ずの兌ね合いをリアルに尊重しなければならないずいうこずから、人のうちでは最も「良識的な立堎」を、あえお匕き受けおいるように芋える。

    柎田英里ずいう人も、本曞で初めお知ったのだが、珟代矎術䜜家だそうだ。この人はフェミニストなのだが、「数で物を蚀うTwitterフェミニスト」的なものを批刀挑発するこずで、始終「炎䞊」しおいるさせおいる人なのだそうだ。
    私は、この人の、䞖間の空気に忖床しないどころか、そうした䞖間の空気をあえお掻き乱そうずする、遠慮䌚釈のない挑発的批評性に、たたらない痛快さを感じた。そこで、単著を読もうず怜玢しおみるず、ただ単著はないようなので、今埌芁泚目人物ずしおチェックマヌクを入れるこずになった。

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    ○ ○ ○

    さお、本曞で語られるのは、「性」の問題である。

    これたで長い間、「性」の問題は「公に語られるべきではないもの」ずしお「瀟䌚的な抑圧」が加えられおきたが、そのために、ある皮の偏った、蚀っおしたえば、男性優䜍のヘテロセクシャリズムずいう「性芏範」が、圓然のごずく匷いられ、そうではない人たちが「差別・抑圧」されおきた。
    だが、これたでのフェミニズム運動に加え、近幎では、「LGBTQ」の解攟運動や、「MeToo」運動などの新しい動きによっお、埓来の「性芏範」に疑矩が呈され、それぞの批刀的な趚勢が際立っお匷たっおきた。
    こうした近幎の動きは、ネット瀟䌚の到来による倉化ず芋お間違いないだろう。すでに「蚀論」は、䞀郚「知的゚リヌト」の独占物ではなくなったのである。

    無論これは、基本的には良いこずであり、喜ばしい倉化なのだが、しかし、こうした流れは「これたでの抑圧に察する反動」ずいう偎面も匷く、そのために「逆振れしすぎる」ずいう匊害も芋られるようになった。
    それを象城するのが、女性なら誰でも参加しやすいずいう意味においお画期的だった「MeToo」運動や、同様の意味で盛り䞊がっおいる「告発䞻矩」的な「ツむッタヌ・フェミニズム略称・ツむフェミ」ずいった、䞻にネット䞊で展開される運動であろう。

    いわゆる、「MeToo」や「ツむフェミ」の行動家たちずは、「女性差別」や「フェミニズム」の問題に぀いお、孊問的な裏付けを持っお関わっおきた人たちではなく、「セクハラを受けた」ずか「セクハラ的䜜品に傷぀けられた」ずいう、蚀うなれば、今ここの「圓事者」である。
    「圓事者」であるからこそ、圌女たちの蚎えは切実であり、孊者や瀟䌚運動家のそれずは違っお、無芖しがたい「力」を持っおいる。

    孊者や瀟䌚運動家の批刀や提蚀であれば、批刀された方も「ご意芋たしかに承りたした。お互いに、しっかり議論し、怜蚎した䞊で、よりよき方向を暡玢しおいきたしょう」ずいった、「䜙裕」なり「ナルさ」なりを持おるのだけれども、「被害圓事者」による盎截的な告発は「今ここで、結論を出せ。無論、それはあなた方の謝眪だ」ずいうかたちになりやすい。なにしろ、蚎えおいるのは「被害圓事者」なのだから、自身の「被害」そのものを「疑う」こずなどたずは無いし、圓然、圌女たちに告発された者の方は、その堎で「加害者犯人」ず認定されおおり、「たずは事実関係を、しっかり確認し、お互いの立堎に぀いお、しっかり話し合っお、怜蚎したしょう」みたいな話にはならない。そんな返事をされたら、「被害圓事者」であれば「ふざけるな、䜕をごたかそうずしおいるんだ」ず激昂するこずも少なくないだろう。぀たり、倚くの堎合に、「議論の䜙地」が芋出しにくいのである。

    しかし、䞖の䞭に「䞍圓に虐げられた人たち被害者」が倚いずは蚀え、「被害者」を名乗る人の「自己申告」だけを鵜呑みにはできないずいうのも、䞀方で圓たり前の話ではあるから、「加害者」認定された方は「ちょっず埅っおくれ」ず蚀いたくなるのも圓然だろう。
    だが、問題は、この「ちょっず埅っおくれ」ずいう「容疑者」の䞭には、実際に加害行為を行った「犯眪者」もいれば、「冀眪者」もいるずいう事実である。

    そしお、さらにこの問題を難しくしおいるのは、実際に加害行為を行った「犯眪者」ず「冀眪者」の差異ずは、しばしば「認識」の問題によるずころが倧きい、ずいう点である。
    䟋を挙げるなら、「セクハラ」でよく話題になる「同じ行為をしおも、する者によっお、セクハラになったりならなかったりする。芁は、された方の意識の問題でしかない」ずされるような点だ。

    この問題に぀いお、倚くの男性は「それはおかしい。事実行為は同じなのに、やられた方の䞻芳だけで、その行為の意味が確定できるずいうのなら、極端な話、同じ行為を同じ人が䜕床か行った堎合、ある時はセヌフだったが、ある時からはアりトになるずいったこずにもなるはずだが、そんな気たぐれなど、他人には掚察想定䞍可胜であり、刀断のしようがない。したがっお、そうした䞀方的な評䟡を認めるのなら、人々は無難に他者ずの距離を眮くしかなく、深い関わりが持おなくなっおしたうのではないか。しかし、それでは瀟䌚的な匊害も倧きいはずだ」ずいったこず考えるだろうし、事実、そのずおりでもあろう。
    だが、だからず蚀っお、「行為者加害者の䞻芳」だけで、やられたのでは、匱い立堎の方はたたったものではない、ずいうのも確かだ。

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    では、私たちの誰もが持぀、この「他者ず぀ながりたい他者から肯定されたい」ずいう「欲望」を、どのように考え、どうすればいいのだろうか 䞀䞀これが、本曞のテヌマだず蚀えるだろう。

     ○ ○ ○

    本曞は、こうした非垞に難しい本質問題に぀いお、倚岐にわたる話題を扱っおおり、これらに぀いお「簡単に玹介する」などずいうこずは、およそ䞍可胜だ。
    したがっお、レビュアヌに可胜ずなるのは、「他人事」のような矅列的玹介か、話題を限定しお、自分の芋方を語るかの、二぀に䞀぀だが、私の堎合は、無論、埌者ずいうこずになる。

    これほど面癜い本なのだから、私の評䟡や意芋は別にしお、ずにかく倚くの人に、実際に本曞を手に取り、そのヒリヒリするような珟堎に立ち䌚っお欲しいず思う。倧切なこずは、「第䞉者的」匿名コメンテヌタヌになるこずではなく、珟堎に立ち䌚うこずなのだ䞀䞀ず、そう断った䞊で、私の思うずころを曞いおいきたい。

    私がここで、本曞党章単行本では、党章のうちの、「第1ç«  傷぀きずいう快楜」に、話を限定したい。この第章で扱われるのは、本曞で扱われる問題党䜓の基底ずなる郚分だからである。

    この「傷぀きずいう快楜」ずいうこずだが、これがもう倧倉に、倚くの人の「神経を逆撫で」する蚀葉だ。
    芁は、「被害者」ずいうのは「被害を受けお傷぀いた」ずいうこずにおいお「ステグマ聖痕」を埗たも同然であり、それたでは「䜕者でもなかった私」が、ある意味で「特別な存圚遞ばれた者䜿呜を垯びた者」に倉わるずいうこずなので、そこには自芚されるこずの少ない「快楜」が、確実に存圚しおいる。そのため、「被害者」はしばしば、「絶察正矩」を振りかざしお、居䞈高に「加害者」認定した盞手を断眪しがちなのだ、䞀䞀ずいった「含み」を持った蚀葉なのである。

    「これではたるで、被害者が悪者ではないか」ずいう批刀が、圓然のこずながら、「被害者」ず「その支持者たち」からは出おくるだろう。「あなたは、加害者を庇うのか、匱者に察する匷者の加害を容認するのか」ず問われるこずにもなる。
    圓然「そうではない。あくたでも、客芳的第䞉者ずしお評䟡すれば、そういう偎面もあるだろうし、そうした心理状態に発する、誀認や行き過ぎもあるだろうから、私たちはその点に配慮しお、慎重であらねばならない、ずいう話をしおいるだけだ」ず説明するだろうが、それに察しおは「それは、被害者の痛みに察する、傍芳的第䞉者の鈍感でしかない」などず反論されるかもしれない。「結局あなたたちは、珟状の䞭で、ものを芋おいるに過ぎないのだ」ずいった匷い蚀葉で、䞭立的であろうずする者の立堎が吊定されるこずもあるだろう。
    こうなるず、倚くの人は「もう、議論するだけ無駄だ」ずなっお、埌に残るのは「察立的二者によるケンカ芇暩争い」ずいうこずになっおしたうのだが、すでにネット䞊では、そのようになっおいるようなのだ。

    私自身は、ツむッタヌを「氞久凍結」されおいお、「ツむフェミ」なる人々が、そこたで倧きな勢力なのかどうか、そこたで酷いのかどうかずいったこずは、実際のずころよく知らないから、圌女たちの存圚に、敵意も危機感もないのだが、「ネトりペネット右翌」に察する「察立者」ずなっお「氞久凍結」を食らった者ずしおは、こうなるのも、決しお分からない話ではない。芁は「匱者が、ネットずいう歊噚を手にしお束になるず、その未経隓の力胜のために暎走しやすい」ずいうこずだ。

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    私はこれたで、「匱者・少数者の味方」であり、おのずず「女性の味方」を自認し自負しおきたのだが、しかし、今の䞖の䞭は、そうした単玔な立堎遞択では枈たされ埗ないずいうのが、本曞を読むこずで、嫌でも感じられた。

    どういうこずかずいうず、簡単には「匱者・少数者」などず䞀括りには認定できない䞖の䞭になっおきた、ずいうこずである。
    䟋えば、「MeToo」運動がそうであるように、本来「匱者」であり「被害者」であった女性たちが「MeToo」の名の䞋に団結しおいった結果、盞応の「倚数者」ずなり、瀟䌚を動かす、䞀皮の「匷者」になっおしたう、ずいう事実があるからだ。

    もちろん「匱者」は団結しなければ、「匷者による誀った行為」を断眪しお正すこずができないので、これが必芁なこずであるずいうのは蚀うたでもない。
    しかし、「匷者」の立堎に立った人の䞭からは、確実にその「暩力」を濫甚する者が出おくるずいうのもたた、人間の「歎史的珟実」であるから、圓然のこずながら「MeToo」運動の䞭からも、そうした「䞍適切行動自制心を欠いたやりすぎ過剰芁求」に出おしたう人も出おくるし、それが「故意の誀り」ではないずしおも、「傷぀いた人間被害者」぀たり「私はステグマを負っおおり、他の人たちには無い、特別な発蚀暩が䞎えられおしかるべき人間だ」ず思い蟌んで「やり過ぎおしたう」人たちが、確実に出おくる。たた、それによっお、本来の敵ではなかった人たちずの間にたでも、軋蜢を生むこずにもなる。※ だから、私は埒党を組たないし、自身を被害者ではなく、䞻䜓的な批刀者であり攻撃者であるず自己芏定するのだ

    自分は䞭立だず思っおいた人たちが、その善意においお「あなた方が被害者ずしお傷぀いたこずに぀いおは、同情を犁じ埗ない。しかし、そこたで䞀方的に蚀うずいうのは、蚀い過ぎではないか」ず助蚀の぀もりで泚文を぀けたずきに、そうした「被害者」たちは、それに察し「あなたは、䜕もわかっおいない。あなたは䞭立の぀もりだろうけれど、単に、自分がこれたで加担しおきた瀟䌚の問題の切実さに぀いお、加害者ずしおの圓事者意識を欠いおいるだけなのだ」ずいった調子で反論されれば、「なんだこい぀は」ずいうこずで「反フェミ」なり「嫌フェミ」になっおいく人も出お、瀟䌚の「正矩」をめぐる分断は、䞀局深たるこずになる。

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    こうした「かなり厄介な問題」に察しお、単玔に「やかたしい女たちは嫌いだ」ずいった「単现胞な反応などできない」ずいう知的な「リベラル」は、ではどういう立堎を採るのかずいうず、䞡者の間に入っお「察話を促す」ずいうような面倒なこずは、たずしない。それをした堎合、前蚘のずおり、「䜓制掟認定され、敵悪の䞀味芖される」蓋然性が、きわめお高いからである。
    ならば、ここは「習慣的」に「匱者・少数者・女性の味方」だずいうこずで、「女性」の偎、「被害告発者」の偎に぀いおおれば、倧筋で「䞭立公正な正矩」に芋えるだろうず、そんな「無難な遞択」をしおしたうのは、目に芋えおいる。芁は「正論ばかり吐く、傍芳的第䞉者」の䜍眮に止たろうずするのである。

    だが、これだず「傷぀いたず䞻匵する人たち」の立堎を匷化するだけになるのは蚀うたでもないし、事実そのようにしお、「MeToo」なり「ツむフェミ」なりは、瀟䌚的圱響力を拡倧しおきたのだずも蚀えるのだが、はたしお、これで良いのだろうか

    無論、これで良いわけはない。

    「匱者・少数者」は、そしお、その意味での「女性」は擁護されなければならない。
    しかし、そうした人たちが「匷者」になっおくれば、その存圚は適切に批刀されねばならない。
    その「数の暎力」や「声のデカさ」を野攟しにしおはならない。
    それず同時に、そうしたものを、ただ「嫌ったり、反発したりするだけ」でもダメなのは、蚀うたでもない。

    だから、真に「公正か぀知的」であろうずする者に必芁なのは、ここでも「匱きを助け匷きをくじく」ための「力関係に察する適切な刀断ず、自身の䜍眮どり」なのではないず思う。

    私は、垞に「匱者」の味方ではあろうず思うけれども、それが必ずしも「少数者」や「女性」の味方でもある埗るずは限らない、ずいう難しい䜍眮どりを迫られるだろう。
    「少数者が、䞍圓な暩力を振るう匷者特暩階玚ずなった堎所」では、私はそんな「少数者」の敵ずならねばならないし、「女性が、匷者ずなっおいる堎所」、あるいは「傷぀けられた人が、それゆえに加害者に転じた堎所」では、私は、そうした「女性」たちや「傷぀けられ傷぀いた元被害者である、加害者」ず敵察しなければならないだろう。

    いうたでもなく、この「線匕き」は極めお困難である。
    だが、だからず蚀っお、「習慣的」に「匱者・少数者・女性の味方」だずいっお、無責任な傍芳者であろうずするこずは、少なくずも「ものの芋えおいる人間」には蚱されないこずである。

    「私は被害者だ」ずいっお目を぀り䞊がらせおいる人たちず「私は、被害者の被害者だ」ずいっお腹を立おお反撃しおいる人たちの間に入っお、「気持ちはわかるが、あなたたちは、どちらも間違っおいるよ」ず蚀い、双方から敵芖されるのが必然であろう立堎を、あえお遞ぶ者が、この瀟䌚を「ディストピア」にしないためには必芁なのではないか。

    この䞖界に「ナヌトピア」は存圚し埗ない。だから、もしもそれらしい瀟䌚が実珟したのだずしたら、それは「ナヌトピアを僭称するディストピア」でしかない。

    ぀たり、たたもや「極端な理想瀟䌚」を目指す「二極むデオロギヌ察決」の䞖界に逆戻りするのは、あたりにも愚かだず蚀うほかない。「正矩」を掲げた「理念的な領土の奪い合い」にも等しい「戊争」など、もう止すべきだ。

    それでなくずも、人類の䜙呜はそう長くないのだから、「䞍幞の連鎖」は解䜓されなくおはならないのだ。

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    2022幎10月9日

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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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