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本能寺の変1582 【重史034】 『信長公記』 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    【重史034】 『信長公記』 

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     1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶 
     4光秀の苦悩 5志向の相違  +信長の油断 →
     3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
    →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
    →【人物】
     【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 【重史146】
    →【ここがポイント!!】
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
     信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
    *加筆修正 251214 

    【重史034】

    三月五日、信長公、隣国の御人数を召し列れられ、御動座。

                           『信長公記』

     天正十年1582、三月五日。          天正10 158200305

     信長は、安土を出発、甲斐へ向かった。
     この日は、柏原成菩提院(じょうぼだいいん)泊。
     行程、凡そ九里 36km 。

      三月五日、信長公、隣国の御人数を召し列れられ、御動座。
      其の日、江州の内、柏原上菩提院に御泊り、
                              
     (『信長公記』)

     【引用】【四国】 十 0305 ◎第65話 そ第78話

     【参照】【四国問題】
        
    天正八年1580
        天正九年1581
        天正十年1582 目次



     ⇒ 次へつづく


     
     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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