
因果の糸〈1. 記録されない光〉
【あらすじ】
これは、私が占術という名の「因果の糸」を弄ぶことを生業としていた頃の、静かな回想録である。
私は特定の拠点を持たず、北は北海道、南は九州まで、因果の導きに従い各地を飛び回っていた。大阪に住まいながらも、縁は魔窟・京都や混沌の首都・東京へと繋がり、日常の裏側に潜む、夢の浮橋のような時間を積み重ねていった。
沖縄にだけは縁がなかったが、それもまた一つの旅の形。これは、虚実の間に揺らめく人々の営みと、明日あなたにも起こりうる運命の綻びを巡る、不可思議な日々の記録である。
第一篇となる本作では、富士の麓の神社で遭遇した青白い光の謎に遭遇する他、各地で様々な体験をしていく(全七話)。
登場人物は実在の人物なため、プライバシーに配慮しつつ、許諾を得ている場合のみ公開しています。
【記録されない光】
目には見えない。けれど、カメラの中にだけは映り込む。
そんな矛盾に満ちた現象を、あなたならどう定義するだろうか。
ある人はそれを心霊現象と呼び、ある人はそれを光学的なエラーと断じ、またある人は、日常の中にふと現れた「解かれるべき謎」として受け止めるのかもしれない。
実際のところ、それがどのような理屈で成立しているのか、私にはわからない。物理学的な解釈も、魔術的な正体も、私の関心の外にある。ただ、特殊な「気」が滞留する地域に足を踏み入れた際、私たちの認識を軽々と飛び越えて、デジタルな網膜が「何か」を捉えてしまうことは、ままあることだ。
これは数年前。
日本の象徴にして、古来より「あちら側」の住人が鎮座するとされる霊峰・富士の麓で起きた、ささやかな、けれど決して忘れられない、光と影の交錯についての記録である。
発端は、東京での慌ただしい仕事を一通り片付けた、ある秋の日だった。
明日は大阪へ戻るというタイミングで、友人がレンタカーを調達してきた。「せっかくだから、ドライブがてら山梨の方へ行ってみないか」という誘いに、私は静かに頷いた。
目的地は、いわゆる「金運神社」。
私を含め、同行者の半数が関西在住だったという事実は、この目的地選定において決定的な意味を持っていた。関西人にとって、金運という響きは一種の甘やかな福音であり、抗いがたい引力なのだ。私たちは、そんな自分たちの世俗的な欲望を苦笑いで包み隠しながら、車を走らせた。
車窓を流れる景色が、都心の無機質なビル群から、次第に深い緑を湛えた山の稜線へと移り変わっていく。その穏やかな静寂を破るように、友人が問いかけてきた。
「日下さん、占いもやっているんだよね?」
「『占いも』、ではなく。そちらが本当の私」
私は、窓の外を流れる雲を眺めながら答えた。
「最近始めたのかと思っていたけれど」
「いや、ずっと前から。ただ、あなたが私を見つけたのが、最近だったというだけの話」
言葉の受け取り方は、人それぞれだ。私はそれを訂正するのではなく、ただ事実としてそこに置いた。
「具体的には、どんな種類? 和風なやつ?」
「主にタロット占い」
「意外。もっと和風なものかと思ってた」
「もちろん易占いも嗜むけれど、タロットは記号としてとても「おおらか」だから。誰が見ても、その絵柄から物語を感じ取ることができる。例えば、死神のカードのように」
「死神のカード、怖いよね。あんなカードが出たら、誰だって不吉な予感に支配されてしまうよ」
「確かに。けれど、あの骸骨の意匠は、恐怖を煽るために生まれたわけではないんだ。十四世紀のヨーロッパ、ペストという名の死の影が街を覆い尽くしていた時代。人々は死を日常として受け入れざるを得なかった。あのカードは、そうした過酷な現実を、象徴という形に封じ込めた知恵の結晶でもある」
「魔法使いの道具かと思っていたよ」
「元々は、十五世紀のイタリアで遊ばれていたゲームの札だと言われている。トランプと同じ、ただの遊び道具。それがいつしか、人の運命を映し出す鏡へと変貌を遂げた。遊びの中に深淵を見るというのは、とても人間らしい、愛すべき行いだとは思わないかい?」
私は愛用しているメディバル・タロットを数枚広げてみせた。
友人は、納得したような、あるいはまだ不思議なものを見るような顔で、ハンドルを握り続けていた。
昼近く。私たちは富士の麓に広がる、荘厳な神社の駐車場へと到着した。
休日ということもあり、境内は多くの参拝客で賑わっていた。けれど、どれほど人が多くとも、この場所が持つ特有の「静謐」が損なわれることはない。
そこは修験道の霊場。
拝殿へと続く参道には、重厚な門が幾つも立ち並び、特徴的な天狗の面が我々の歩みを静かに見守っている。
「鳥居は、あちらとこちらの境界だから。くぐるときは、少しだけ背筋を伸ばしなさい」
いつか読んだ本の一節だったか、あるいは誰かからの忠告だったか。その戒めが、私の脳内で静かにリフレインしていた。
門を一つ、また一つと抜けるたびに、日常の騒がしさは薄皮を剥ぐように遠ざかっていく。
参拝を終えた後、私たちは自然と、それぞれに分かれて境内を歩くことになった。
私は友人と二人、参道の脇にある、手入れの行き届いた植え込みに沿って歩を進めた。
その時。
私の感覚の端っこを、誰かの視線が「撫でて」いった。
それは不躾な監視ではない。けれど、確実に私を捉え、観察している、多層的な気配。
振り返っても、そこには誰もいない。
再び歩き出せば、その視線は再び、背中にそっと張り付いてくる。
それは、この場所が持つ「自浄作用」のようなものかもしれない。あるいは、部外者に対する、静かな、けれど断固とした「検閲」。
私はどうにもたまらなくなり、その視線の主が潜んでいるであろう空間を、そっと指さした。
「あのあたり。そこに、カメラを向けてみてほしい」
「え? 何かあるの?」
「いいから。肉眼では見えない何かが、レンズ越しなら微笑んでくれるかもしれない」
友人は戸惑いながらも、スマートフォンのカメラを起動した。
レンズがその空間を捉えた瞬間、彼女の瞳が驚きに丸くなった。
「……何これ。何か、映ってる」
「見えるか」
「うん。光が……明滅している。変な感じ。これ、反射じゃないよね?」
私も彼女の画面を覗き込んだ。
そこには、透き通った空間を泳ぐように、青白い光が呼吸を繰り返していた。
一定のリズム。一定の座標。
それは電子の海を漂うエラーのようでもあり、あるいは、かつてそこにいた誰かの「想いの残滓」のようでもあった。
二人の様子に、他の友人たちも集まってきた。
「なになに? 何か面白いものでもある?」
「これを見てよ」
友人が画面を提示する。集まった全員が、その小さな四角い窓に釘付けになった。
「……俺のもやってみよう」
次々にスマホが取り出される。一箇所に集中する複数のレンズ。それは、現代における一種の儀式のようでもあった。
「こっちでも映ってる」
「俺のにもだ。何だこれ、本当に不思議だね」
誰もがその光を確認した。ならば、それを「記録」に残そうとするのは、人間の自然な欲求だろう。
「撮影してみれば? せっかくだし」
「心霊写真みたいになったら嫌だな」
「大丈夫。これはきっと、「揺蕩う」ものだから」
友人たちは幾度もシャッターを切った。
けれど。
「……写っていない」
「え?」
「画面にはあんなに光っていたのに、保存された写真には、ただの景色しか映っていない」
誰もが首を傾げた。
リアルタイムのモニターには鮮烈に映し出される光が、静止画という記録の中に留まることを拒んでいる。
「やっぱりね。変な現象だけれど、これは『映像』にはなっても、『記録』にはならないんだよ」
私は、それ以上の理屈を言葉にすることを止めた。
脳裏には、ある穏やかな確信が芽生えていた。
あれは、この神社の「番人」なのだ。
彼らは自分たちの姿を一時的に見せることは許しても、それを持ち帰り、固定し、分析することを許さない。
「見ていてもいい。けれど、連れていくことはできないよ」
そんな静かなメッセージが、デジタル回路の隙間から漏れ聞こえてくるようだった。
神社を後にし、車へと戻る参道。
私の背中に、ふとした違和感があった。
触れてみると、そこには一匹の、鮮やかなエメラルド色をした芋虫が乗っていた。
「おや、こんにちは」
私はその小さな命を、指先でそっと包み込んだ。
芋虫――常世の神。
古来、日本人が理想郷からやってくる神の使いとして崇めた存在。
私はそれを、近くの茂みへとそっと帰してやった。
「ここで、ゆっくりしていなさい」
車に戻り、私たちは富士山の中腹にある、次の目的地へと向かった。
金運神社。
そこは、驚くほど質素で、驚くほど静かな場所だった。
小さな祠。管理棟。
先ほどの「明滅する光」の体験が、私の心に心地よい沈黙を落としていたこともあり、私は深く立ち入ることなく、遠くから静かに祈りを捧げた。
ネットには情報が溢れ、誰かの撮った写真が世界中を駆け巡る時代。
けれど、実際に行ってみなければわからない、空気の密度や、背中に張り付く視線の熱量がある。
カメラの中だけに映り、記録には残らないもの。
それは、私たちがどれほど科学の義眼を磨き上げようとも、決して暴くことのできない「世界の余白」なのかもしれない。
私は、大阪へ向かう帰りの車中で、自分のスマートフォンのギャラリーを閉じた。
そこには、ただの美しい山の風景。
けれど、私の記憶の底には、保存ボタンを押すまでもなかった、あの青白い光の呼吸が、今も静かに刻まれている。
……それでいいのだと思う。
すべてを記録に残す必要はない。
本当に大切なものは、いつだって、レンズの向こう側ではなく、それを見つめる私たちの、この瞳の中にだけ残ればいいのだから。