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因果の糸〈2. 堤防に揺れる赤〉

     引っ越しという行為は、単なる荷物の移動ではない。それは自分という存在を、全く異なる文脈――すなわち「土地の記憶」の中に放り込む、極めて暴力的な再定義である。
     数年前、私が大阪市平野区という場所に居を移した際も、例外ではなかった。

     平野。

     そこは、一歩路地裏へ踏み込めば「ここは鎌倉か」と錯覚するほどに寺社仏閣が密集し、古い歴史の層が地層のように積み重なった場所だ。新しい土地の空気に馴染むには、まずその土地を統べる「不在の住人たち」――すなわち神仏にご挨拶を済ませるのが、作法というものだろう。

     私という個体が、この土地の呼吸と共鳴できるか。それとも異物として弾き出されるか。それはまさに「神のみぞ知る」領域の話である。

     当時の私は、仕事に専念するためにその地を選んだ。

     だからこそ、最初に行ったのは「占術」による自らの座標確認だった。吉日を選び、因果の糸を整える。占術師が自分の生活を占うのは、医者が自らの脈を取るのと同義であり、そこには一切の妥協は許されない。

     およそ「占い」という言葉を聞いて、あなたはどんな託宣を期待するだろうか。

     「右へ行けば宝の山がある」とか、「明日、運命の人と角でぶつかる」とか。残念ながら、私の占いはそんな安直な予言の類ではない。

     問い:仕事はうまくいくでしょうか。
     答え:動かなければ、何も起きない。

     身も蓋もない話だと言われるかもしれない。けれど、これこそが「因果」という名の絶対法則だ。口を開けて待っているだけで成功という名の果実が落ちてくるのは、お伽話の中だけの特権である。

     具体的な行動指針? 再現性のある戦術?

     そんなものはAIに聞けばいい。データという名の「過去の蓄積」は、いくらでも効率的な答えを提示してくれるだろう。

     しかし。

     困窮した人間ほど、すぐに「結果」という名の果実を、熟す前に捥ぎたがるのが人の性だ。闇雲に動いた結果、取り返しのつかない泥沼に足を取られないよう、その歩幅を調整する――それが私の占いの、最も繊細な部分であった。

    「彼氏は浮気をしていますか?」
    「失くしたものは出てきますか?」

     そんな具体的な、あまりに具体的すぎる問いを投げかけられるたび、私はこう返すことにしていた。

    「私の占いは、目に見えないものを知るためのものです。そして、その見えないものとは、あなたの周囲のことではなく、あなた自身の輪郭のことですよ」

     占術とは、判断を容易にするための「心の地図」である。

     動くか、止まるか。あるいは、別の道を探すか。占った後に視界が少しだけ開け、なすべきことが輪郭を持って立ち上がってくる。その「動けるようになる」という確信こそが、占いの本質的な功徳だ。

     私自身、占術の導きに従い、自宅から一・五キロほどの場所に、幸いにして居心地のいい神社を見つけることができた。

     社殿こそ大きくはないが、その由来は古く、併設された公園では昼下がり、子供たちの無邪気な笑い声が弾けていた。地元の信仰が、年輪のように幾重にも重なって、その場所を穏やかに守っているのが見て取れた。

     私は毎夜、その神社へ参拝に訪れるようになった。

     夜の神社に足を踏み入れることが、守護となるか、あるいは障りとなるか。それはその人と土地との「縁」の深度による。私の場合は、幸いにして、夜の静寂が心地よい対話の場となった。

    ――異変が起きたのは、平野の夜気にようやく慣れ始めた頃のことだ。

     不思議な夢を、見た。

     場所は河川の傍。堤防の側帯に広がる、湿り気を帯びた草むら。

     そこに、一人の少女が立っていた。

     防犯灯の乏しい照明が、彼女の輪郭をぼんやりと浮き上がらせている。暗い。けれど、見えないわけではない。そんな曖昧な視界の中で、彼女は何事かを熱心に探していた。

    「何を探しているんだろう」

     そう思って歩み寄ろうとした瞬間、意識は現実のシーツの上に引き戻された。

     翌日も、またその翌日も、私は同じ夢を見た。

     繰り返される情景。不変の座標。

     近代的な堤防という背景に、あまりにもアンバランスな、時代がかった「赤い着物」を纏った少女。

     夢という現象に合理性を求めるのは、野暮というものだろう。夢はいつだって非論理的であり、唐突で、そして残酷だ。けれど、こうまで執拗に連続する夢には、何らかの「指向性」がある。

     新月の夜、夢の中の少女を認識しながら、私は思った。

     明日もまた彼女に出会うのなら。

     そのときは、この「場所」を探してみよう、と。

     三度目の正直――あるいは、三度目の誘い。

     寝付いた私の前に現れたのは、やはり防犯灯の下で何かを探し続ける赤い少女だった。

     あまりに奇妙で、あまりにアンバランスな取り合わせ。

     けれど、不思議なことに。

     そこには、一欠片の恐怖も、一滴の悪意も存在しなかった。

     ただ、胸の奥を細い指先で撫でられるような、切ないほどの「寂しさ」だけが漂っていた。

     目を覚まし、枕元の時計を確認する。

     丑三つ時までは、まだ間がある。窓を開けると、春の夜特有の、暖かさと湿り気を孕んだ気が部屋に流れ込んできた。

     「大丈夫だ」

     自らの直感を占術的に補強し、私は神社へ参拝するために購入したミニベロに跨った。

     夜の平野を、フラフラと漕ぎ出す。

     不思議な感覚だった。ペダルを回すたび、時間の感覚が摩耗し、消失していく。

     深い霧が街を包み込み、昼間とは全く異なる表情を覗かせていた。

     誰ともすれ違わない。

     車の走行音さえ聞こえない。

     街全体が深い眠りについたというより、街そのものが「一時停止」しているような、そんな非現実的な静寂。

     私は、見えない糸に引かれるまま、自転車を走らせた。

     「あっちだ」という確信だけが、コンパスの針のように私の内側を指し示している。

     やがて、ある住宅街の端で、私はブレーキをかけた。

     そこには、夢に見た光景が、あられもないほど鮮明に広がっていた。

     防犯灯の冷たい光。

     堤防に沿って広がる、重苦しいほどに深い草むら。

     夢と現実が、ミリ単位の狂いもなく重なり合う。

     唯一の相違点は。

     そこに、赤い着物の少女がいなかったことだけだ。

     私はしばらくの間、その場所に佇んでいた。

     夢の少女が探していたのは、一体何だったのか。

     それは、落としたかんざしだったのか。

     あるいは、この土地から失われてしまった、誰かの記憶だったのか。

     あるいは、彼女自身ですら忘れてしまった「自分」という名の落とし物だったのだろうか。

     その夜を境に、赤い少女の夢を見ることはなくなった。

     私の占いが導き出した答えは、ただ「その場所へ行くこと」であり、それ以上の解決を土地は求めていなかったのかもしれない。

     あるいは。

     私がその場所を訪れたことで、夢と現実の回路が繋がり、彼女は探しものを見つけるための「きっかけ」を得たのだろうか。

     今でも、雨の降る夜や、湿り気を帯びた空気に触れるたび、私はあの夢を思い出す。

     防犯灯の光の下、赤い着物を揺らしながら、熱心に地面を見つめていたあの背中を。

     この世界には、カメラには映らず、記録にも残らず、ただ誰かの夢の中にだけ「現れる」ことが許された場所がある。

     少女は探しものを見つけられただろうか。

     それとも、今もどこか別の誰かの夢の中で、同じ草むらを探し歩いているのだろうか。

     探しものが見つかったかどうかは、やはり、神のみぞ知る――。

     いや。

     彼女のみが知る、か。
     

    次の話
    視界を塞ぐ指先

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