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「前にある島」第4話(第四部/五部)

    📖 この物語は全五回です。
    ・ 第一回 消えゆくもの
    ・ 第二回 島へ向かう
    ・ 第三回 生きている人達
    ・ 第四回 人は世界を反対に見ている(このページ)
    ・ 第五回 前にある島

    第十八章 客観線と主観線

    のんのんとは、ときどきLINE電話で話をした。
    最初は電子書籍の話だった。
    出版の方法。表紙の作り方、Amazonの仕組み。
    そんな話から始まるのに、気づけばまったく違う話になっている。

    猫のこと。庭の花。
    神社。子どもの頃の思い出。
    何時間話しても結論なんて出ない。それでも楽しかった。
     
    ある日、のんのんが庭に咲いた花の写真を見せてくれた。
    スマホ越しでも、きれいな花だった。
    オレは聞いた。
    「これ何の花?」

    のんのんは首をかしげた。「知らん」
    「いや、自分の庭やろ」思わず笑った。

    「そうやけど」のんのんも笑う。
    「きれいやから撮っただけ」
     
    オレは少し考えた。
    オレならまず名前を調べる。
    どんな花なのか。いつ咲くのか。どういう特徴があるのか。
    そういうことが気になる。

    すると、のんのんが聞いた。
    「金ちゃんは何でそんなに名前が気になるん?」

    何でだろう。不意打ちだった。
    名前を知れば分かった気になる。
    整理できる。安心できる。そんな癖が、昔からあった。
    「職業病かな」
    そう答えたが、本当は違う。

    オレは昔から理解したかったのだと思う。
    物事の仕組みも、人の気持ちも、世界の構造も。
    だから本を読んだ。哲学も好きになり、ヌーソロジーも学んだ。

    のんのんは少し考えて言った。
    「私は分からんままでもええかな」
    その一言に、肩の力が少し抜けた。
     
    分からんままでもいい。
    オレは、あまりそう思ったことがなかった。
    何かあれば理由を探し、意味を探し、答えを探す。
    ガンちゃんが亡くなったときもそうだった。
    死とは何か。人生とは何か。答えを探し続けた。
    けれど、のんのんは違う。
    悲しいときは悲しい。うれしいときはうれしい。
    まず、そのまま受け取る。
     
    別の日、今度は猫の話になった。
    一緒に暮らしている猫のうち、一匹が最近元気がないらしい。

    「病院連れて行った?」
    「行ったよ」
    「原因は?」
    のんのんは猫を撫でながら笑った。
    「分からん」
    少し間を置いて続けた。
    「でも今日は、一緒におれる。」

    オレは返事ができなかった。
    その瞬間、庄屋の家に伝わる言葉が頭をよぎった。

    『人は世界を反対に見とる』
     
    意味は分からない。
    けれど、何かが胸に残った。
    オレは猫を見ていたつもりだった。本当は、原因を見ていた。
    花を見ていたつもりだった。本当は、名前を見ていた。
    人を見ているつもりで、理由や背景ばかりを見ていたのかもしれない。
     
    のんのんは違う。
    目の前にいる猫を見る。咲いている花を見る。そこに暮らす人を見る。
    ただ、そのまま受け取っていた。
    その話をすると、のんのんは少し笑った。

    「金ちゃんは、いろんなもん足しよる。」
    「あたしは、そのままで足りとるって思うだけ。」

    その言葉に、妙に納得した。
    オレは世界を理解したい。
    のんのんは世界を味わいたい。
    同じ景色を見ていても、向いている先が少し違う。
    電話を切ったあと、庭へ出た。

    花が咲いていた。
    名前は分からない。
    けれど、その日は調べようと思わなかった。
    ただ眺めていた。
    それだけで十分だった。

    ヌーソロジーで聞いた言葉を思い出した。
    「主観線と客観線」
    昔は難しい話だと思っていた。
    けれど今なら、少しだけ身近に感じる。
    オレなりに言えば、
    「客観線」とは外から世界を見る方向で、
    「主観線」とは自分の内側から世界を感じる方向。

    もちろん、本当はもっと深い意味があるのだろう。
    けれど今のオレには、それくらいがちょうどよかった。

    オレは意味を探す。
    のんのんは、そのまま受け取る。
    どちらが正しいという話ではない。
    立っている場所が違うだけなのだ。
    庄屋の家に伝わるもう一つの言葉を思い出した。
     
    『人は世界を反対に見とる』
     
    その意味は、まだ分からない。
    けれど、もしかすると反対に見ているのは世界ではなく、オレの方なのかもしれない。

    正岡さんは未来を見る。
    トヨミおばあちゃんは今日を生きる。
    のんのんは人の心が動く場所を見る。
    そしてオレは意味を探している。
    同じ世界にいるのに、見えている景色は少しずつ違う。
    そのことに気づいてから、人と話す時間が前よりなんだか面白くなった。

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    第十九章 観測者はいるのか

    その頃のオレは、大島へ行くたびに同じことを考えていた。
    人口八十人。
    数字だけ見れば、かなり少ない。
    初めて聞いたときは正直思った。「もうあかんやろ」と。
    学校はないし、店も一軒もない。若い人も少ない。
    ニュースなら「過疎の島」と紹介するだろうし、行政の資料なら「課題」と書くだろう。
    オレも長い間、そう見ていた。
     
    けれど正岡さんと出会い、トヨミおばあちゃんと話すようになってから、
    その数字が少し違って見え始めた。

    トヨミおばあちゃんにとって八十人とは、向こうの合田さん、船着場の中山さん、畑の渕上さん。一人ひとり、顔の浮かぶ人たちだ。
    数字ではなく、暮らしだった。
     
    ある日、大島へ向かう船の甲板に立っていた。
    潮の匂いがする。海面が光を反射してきらきらしていた。
    十五分ほどの船旅。
    子どもの頃は長く感じた時間も、今ではあっという間だ。
    島が近づいてくる。
    緑の山と、小さな港。
    見慣れた景色を眺めているうちに、ふと思った。

    本当の大島って、どれなんだろう。
    過疎の島。
    海賊の島。
    正岡さんが夢を見る島。
    トヨミおばあちゃんが暮らす島。
    オレが子どもの頃、冒険していた島。
    全部、大島だ。
    けれど少しずつ違う。
    島へ着くと、いつもの時間が流れていた。
     
     猫が歩き、風が吹く。
    畑仕事をする人がいて、誰かが道端で立ち話をしている。
    何も特別なことはない。
    けれど、その景色を眺めながら思った。
    オレは今まで何を見ていたんだろう。
    帰りの船で、ふと大阪に住んでいた頃を思い出した。

    四階建てのマンションだった。
    上にも、下にも、隣にも人が住んでいた。
    けれど名前も知らない。
    どんな仕事をしているのかも、何が好きなのかも知らない。
    それでも勝手に、自分と同じような毎日を送っているんだろうと思っていた。でも本当は分からない。
    その日、大切な人を亡くしたばかりだったかもしれない。
    病気と闘っていたかもしれないし、夢を追いかけていたかもしれない。あるいは、小説を書いていたかもしれない。何も知らない。
    知らないのは当たり前だ。
    けれど、その一人ひとりの違いを感じることもなく、世界をのっぺらぼうのように見ていたのかもしれない。
    そのことに気づいたとき、少しぞっとした。
     オレたちは世界を見ているつもりでいる。
    けれど、本当に見ているのは、自分が見たい世界なのかもしれない。

    その夜、のんのんと電話で話した。
    いつものように、猫のことや庭のこと、本のこと。
    その流れで言った。

    「大島って人口八十人くらいなんよ」
    「そうなんや」

    「少ないやろ」 
    「そうやなぁ」

    少し間があった。そして、のんのんが聞いた。
    「猫はおるん?」
    思わず笑った。

    「おるおる」
    「何匹くらい?」
    「知らん」
    「そっか。元気にしとる?」
    「たぶん元気やと思う」
    それだけ聞くと、のんのんは満足そうだった。

    オレは人口を見ていた。
    のんのんは、そこで暮らしている命を見ていた。
    同じ島の話なのに、見ているものがまるで違う。
     
     しばらくして、話題は宇宙の話になった。
    オレは昔から、そういう話が好きだ。
    宇宙の始まりや銀河、ブラックホール、量子力学。
    聞くだけでわくわくする。
     
    けれど最近、こう考える。
    宇宙は何百億光年も広い。地球は小さい。人間はちっぽけだ。
    そんな話を聞いていると、自分まで小さくなっていく気がする。
    もちろん科学はすごい。人類の知恵だ。
    けれど、その世界ばかり見ていると、今ここにいる自分まで消えてしまいそうになる。
    その話をすると、のんのんが言った。

    「でも金ちゃん」
    「ん?」
     
    「海見たら海やん」
    オレは笑った。
    意味が分かるような分からないような返事だった。
    でも、のんのんらしかった。
     
    宇宙の話じゃない。
    今見えている海。今吹いている風。まず、そこなのだ。
    電話を切ってから、庄屋の家に伝わる言葉を思い出した。

    『人は世界を反対に見とる』
     
    その意味は、まだ分からない。
    けれどそのとき、島が違うんじゃない、見ている人が違うのだと思った。
     
    ヌーソロジーでは、それを「観測者」と呼ぶ。
    昔は、どこか遠くから世界を眺める人のことだと思っていた。
    けれど今は違う気がする。
    世界が変わるのではない。見ている側が変わる。
    すると、世界まで違って見えてくる。

    正岡さんは未来を見る。
    トヨミおばあちゃんは今日を生きる。
    のんのんは目の前を味わう。
    そしてオレは意味を探している。

    同じ島なのに、それぞれ違う島を見ている。
    ならば変わるのは島ではない。見ている方なのだ。
    そのとき、のんのんの言葉を思い出した。
    「でも金ちゃん、その島好きなんやろ?」 
    たしかにそうだ。
    人口八十人でもいい。過疎でもいい。
    未来がどうなるか分からなくてもいい。
    オレは、あの島が好きだ。
    その瞬間、数字も理屈も少し遠くへ行った。
     好き。
    それだけで十分なのかもしれない。
    窓の外では、夜風が静かに木の葉を揺らしていた

    第二十章 実在と実存

    ガンちゃんが亡くなって、一年以上が過ぎていた。
    時間というのは不思議だ。
    つい昨日のことのようでもあり、ずいぶん昔のことのようでもある。

    店を開け、配達へ行き、大島へ渡る。
    正岡さんと話し、のんのんと話す。
    毎日は変わらず続き、世界は何事もなかったように動いている。
     
    それでも、ときどきガンちゃんを思い出す。
    祭りの話になったとき。車を運転しているとき。
    東京へ向かった日のことを思い出したとき。
    ふいに、
    「ああ、ガンちゃんならこう言うな」そう思う。
    その瞬間、ガンちゃんがいる。
    もちろん会うことはできない。
    電話もLINEも届かない。それでも、いる。

    ある日、祭り仲間と飲んでいた。
    昔話になり、ガンちゃんの話が出た。
    「ガンちゃん、あの時やらかしたよな」

    みんな笑った。
    オレも笑った。
    笑い声の中に、ガンちゃんがいた。
    そのとき、島に伝わる言葉を思い出した。

    『ある・いる・なる』

    あのときは意味が分からなかったが、今なら、「ある」と「いる」は少し違う気がする。
     机はある。酒瓶もある。壁もある。
    誰が見ても、そこにある。
    けれどガンちゃんは違う。
    客観的には、もういない。祭りにも来ない。電話もかかってこない。
    それでも、いる。

    祭りの話になれば現れる。
    東京で会った日の顔が浮かび、病室で聞いた声がよみがえる。
    オレの中だけじゃない。
    あの日、一緒に笑ったみんなの中にもいる。
    そう考えていると、「ある」と「いる」は、違うものなんだと思えてきた。
     
    哲学では「実在」と「実存」という言葉がある。
    難しい話ではない。
    実在は「ある」。スマホは「ある」と言うが、「いる」とは言わない。
    実存は「いる」。人は「いる」という方が自然だ。
    今のオレには、そんな違いのように思えた

    世の中では、目に見えるものが現実で、思い出や想像は現実ではないことになっている。けれど、本当にそうだろうか。
    机を思い出して胸が熱くなることはないし、酒瓶を思い出して涙が出ることもない。
    ところがガンちゃんは違う。
    東京へ向かった新幹線の景色。祭りの笑い声。病室の空気。
    今でも、そのままよみがえる。
    胸が動く。心が動く。
    オレにとっては、その方がずっと現実だ。 
    そんなことを考えながら、大島の船着場に座っていた。

    夕方だった。
    潮が満ち、波の音が聞こえている。港の向こうを白猫が歩いていた。
    ふと、村上義弘のことを思った。
    六百年以上前の人だ。顔も声も知らない。
    それでも名前は残り、物語が残っている。
    大島には今も、皇子山。比丘尼の磯、船かくし、のぼり立て、明火。
    そんな地名が残っている。
     
    人は消える。けれど、何かは残る。
    建物かもしれない。言葉かもしれない。生き方かもしれない。
    正岡さんは言っていた。

    「人はな、何を残すかや」
     
    ガンちゃんも、たくさんのものを残していった。
    その一つは、今のオレなんだと思う。
    ガンちゃんが逝かなければ、あの日の歌も、東京への旅もなかった。
    大島を見つめ直すこともなかったかもしれない。
    正岡さんやのんのんとの縁も、今とは違っていたはずだ。
    そう考えると、不思議な気持ちになる。
    ガンちゃんは、もういない。けれど確かにいる。
    いや、今のオレという人間の中に、ガンちゃんが少し生き続けている。
    そんな気がした。
     
    夕日が海へ沈んでいく。
    波の上で光が揺れていた。
    『ある・いる・なる』
    「ある」と「いる」は、少しだけ近づいた気がする。
    けれど、「なる」だけは、まだ分からなかった。
    茶トラの猫が、何も知らない顔で防波堤の先を歩いていた。

    第二十一章 前がわたし

    六月が終わり、七月になった。
    夏の匂いがしていた。
    大島へ向かう船の先頭に立ち、海を眺める。
    潮風が気持ちいい。海は穏やかだった。

    子どもの頃、この船が好きだった。
    島へ向かう十五分が、特別な時間に思えた。
    今も、その気持ちは少しだけ残っている。
    前には海があり、島があり、空がある。当たり前の景色だ。
    けれど最近は、その当たり前が少し違って見える。

    きっかけは何だったのだろう。
    正岡さんか。トヨミおばあちゃんか。のんのんか。
    それともガンちゃんか。
    誰のおかげかは分からない。ただ、見え方が変わってきた。
    前には海があり、島がある。
    人がいて、猫がいて、夕日がある。思い出もある。

    ふと気づいた。
    オレは人生で一度も、「前」の外へ出たことがないぞ!
    どこへ行っても前がある。何を見ても前に現れる。
    大島も、ガンちゃんも、正岡さんも、のんのんも。
    全部、前に現れている。
    のんのんの言葉を思い出した。
    「金ちゃんは考えすぎやな」そう言って笑っていた。

    その通り。 オレは意味を探す。理由を探す。答えを探す。
    けれど、のんのんは違う。
    花が咲いていたら、「きれいやなぁ」
    猫がいたら、「かわいいなぁ」
    まず感じる。そこから始まる。
    その姿勢が、最近少しうらやましい。

    船が島へ近づいていく。
    緑の山が大きくなり、港や防波堤が見えてくる。
    茶トラの猫が歩いている。
    その景色を見ながら、もう一つ気づいた。

    オレは今まで、自分はこの体の中にいると思っていた。
    頭の中から世界を見ている。
    そんな感じだ。
    そして同時に広い宇宙があって、地球があって、日本があって、愛媛があって、新居浜があって、その中にオレがいる。
    そんなふうに思っていた。
    けど、それは誰の見方なんだろう。
    宇宙から見ればそうだろう。地図でもそう見える。
    でも今、オレは宇宙を見ているわけじゃない。
    地図を見ているわけでもない。
    海を見ている。島を見ている。風を感じている。
    その全部は、前に現れている。
     では、見ているオレはどこにいるんだろう。
    頭の中だろうか。目の奥だろうか。そう考えてみる。
    けど、それもただのイメージだった。

    確かなのは、海が見えていること。
    島が見えていること。風を感じていること。
    それだけだ。
    そのとき、何かが反転した。
     
    世界の中にオレがいるのではない。オレの前に世界が開いている!
    そんな感覚だ。
    もちろん理屈じゃない。うまく説明もできない。
    ただ、「あれ?」と思っただけだ。
     
    港へ着いた。ロープが投げられ、船員さんの声が響く。
    いつもの風景だ。けれど、今日は違って見えた。
    トヨミおばあちゃんも、正岡さんも、のんのんも、ガンちゃんも。
    どこか遠くにいる気がしなかった。
    そのとき、ヌーソロジーで何度も聞いた言葉を思い出した。
     
    「前がわたし」
     
    昔は意味が分からなかった。
    今も分かったとは言えない。
    けれど、その言葉が指している方向だけは、少し見えた気がした。
    世界は目の前に並んでいるのではない。
    こちらへ開いてきている。
     
    宇宙の中の小さな存在。
    そう考えると、人は簡単に小さくなる。
    けれど今見えている海は、宇宙より近い。
    今吹いている風は、宇宙より近い。
    今思い出しているガンちゃんも、宇宙より近い。
    いや。
    オレにとっては、ガンちゃんの方が宇宙よりずっと大きいぞ!
    何百億光年の話より、ガンちゃんと向き合った時間の方が現実だ。
    オレを変えたのは、宇宙じゃない。
    ガンちゃんだった。
    学校で習った知識も、本で読んだ理屈も、全部脇へ置いてしまえば、その感覚の方が、ずっと本当のことのように思える。
    島に伝わる言葉を思い出した。

    『人は世界を反対に見とる』
    『ある・いる・なる』

    あの言葉を残した人たちは、何を見ていたんだろう。
    もちろん分からない。
    けれど、大島には昔から、世界を少し違う角度から眺める人たちがいたのかもしれない。
    歴史や建物だけじゃない。人から人へ受け継がれてきた見方。
    ひょっとすると、それこそが島の宝なんじゃないか。
     
    港へ降りた。
    茶トラの猫が、こちらをちらりと見ると、防波堤の先へ歩いていった。
    風が吹いていた。空は青かった。
    大島は今日も変わらず、そこにある。
    変わったのは、オレの方だったのかもしれない。

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    第二十二章 島は終わらない

    気がつけば、大島へ渡る回数が増えていた。
    昔は年に一度か二度、子どもの頃の思い出をたどるように訪れる島だった。
    それが今では、何かあると大島のことを考えている。
    島の未来や、島に暮らす人たちのこと。
    これから、この島で何が始まるのか。そんなことを考える自分がいる。

    港へ向かう坂道を歩く。
    夏の日差しが強く、蝉が鳴いている。
    海は青かった。いつもの大島だった。
     
    ふと気づく。
    この島には、終わったものがたくさんある。
    海水浴場は閉鎖されたまま。
    オレンジハウスも廃墟になり、子どもはいなくなった。
    人口も減った。白いもでの島おこしも、以前ほどの勢いはない。
    そう考えると、終わってしまったものばかりに見える。
    けれど、本当にそうだろうか。
    わいたの浜は今もある。
    海も山もある。猫もいるし、人も暮らしている。
    昔とは違う。けれど消えたわけではない。
    形を変えながら続いている。それは人も同じなのかもしれない。
     
    ガンちゃんが亡くなったとき、オレの中の一つの時代が終わったと思った。
    もう祭りで会えない。一緒に飲めない。バカ話もできない。
    終わった、そう思った。
    けれど本当に終わったのだろうか。

    祭りでガンちゃんの名前が出ると、誰かが「乳もませて〜」と真似をする。
    そのたびに、みんな吹き出してしまう。
    子どもたちは大きくなっている。
    ガンちゃんが残したものは、今も動き続けている。
    そう思うと、「終わる」という言葉が少し分からなくなった。
     
    海底熟成酒もそうだ。
    最後の引き揚げを終え、ひとまず幕を閉じた。
    正直、ほっとした部分もある。毎年の準備は決して楽ではなかった。
    それでも、あのプロジェクトがあったから多くの人と出会い、何よりオレ自身が大島を見つめ直すきっかけになった。
    終わりというより、次の始まりだったのかもしれない。
     
    ある日、港で正岡さんと話していた。
    クソニンジンの畑を見ながら、これからの話になった。
    今年はいよいよ本格的な収穫を迎える。
    ドレッシングの原料も切り替える予定で、ホームページも立ち上げたという。まだ大きく宣伝はしていない。それでも少しずつ反応があるらしい。

    普通なら、収穫してから考えようとなる。けれど正岡さんは違う。
    もう能登の話をしている。那須高原の話も、若い人たちの話もしている。
    まるで次の景色が、もう見えているようだった。
    「正岡さん、そんな先ばっかり見て疲れません?」
    とオレが聞くと、正岡さんは笑った。
    「金ちゃん」
    少し海の方を見てから言った。
     
    「島は終わらんよ」
    「終わらん?」
    「人が変わるだけや」
    その一言が、胸に残った。
     
    のんのんも、どこか似ている。
    未来を計算するのではなく、花が咲けば喜ぶ。
    誰かの笑顔が増えれば喜び、居場所が生まれれば、もっと喜ぶ。
    正岡さんとは正反対に見える。
    けれど根っこは同じように思える。
    そういえば、二人とも同じことを言っていた。

    「オレ、アホやからな」
    「あたしアホやねん」

    思い返せば、そのあとに続く言葉まで似ている。
    好きだからやる。面白そうだからやる。
    二人とも、自分が信じた流れに素直なのだ。
     
    港のベンチに座り、海を眺めた。風が吹き、波の音が聞こえる。
    茶トラの猫が、防波堤の上を歩いていた。
    その景色を見ながら思った。
     島は終わらない。
    人口が減っても、人が入れ替わっても、事業が終わっても、誰かが亡くなっても。終わるのではない。姿を変えながら続いていく。
    それは大島だけではない。人も同じなのだろう。
     
    オレ自身もそうだ。
    ガンちゃんと出会った頃のオレも、酒屋を継いだ頃のオレも、もういない。けれど続いている。出会い、考え、少しずつ変わりながら。
    それでも、オレは続いている。

    遠くで船のエンジン音が聞こえた。
    空には大きな入道雲が浮かんでいる。夏が始まっていた。
    大島の物語は、まだ終わらない。
    そして ―― オレの物語も、まだ続いていく。

    ▶ 第五部「前にある島」
    ▶ 第三部「生きている人達」

    #創作大賞2026
    #エンタメ原作部門

     

     
     
    愛媛県の酒屋店主。趣味は空手、読書。昔ある宗教に属するも心がついていかず頓挫。2023年のある出会いをきっかけに再び精神世界の探求がはじまる。驚きの宇宙論、全く新しい人間意識の捉え方に目からウロコの毎日なり♪

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